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美奈にバイトを持ちかけられた週の土曜日、面接があった。
ぼくは自転車で、自宅から十分ほどの町工場が立ち並ぶ地域にあるEK運送の事務所へ向かった。美奈はぼくより先に事務所の前についていた。
ぼくと美奈は受付の、おそらくぼくの母さんと同い年くらいの女性に、豪華なソファのある応接室へ案内された。
「ごめんなさいね、落ち着かないかもしれないけど、面接だけに使う部屋はないから、ここで行います。しばらくしたら社長が来ますから、待っていてください」
そう言って受付の女性は戻っていった。笑顔で応対してくれたので緊張が少しほぐれた。ぼくと美奈は用意されたソファに座る。
「フカフカだね。よく眠れそう」
「ちょっとは緊張してないの?」
「ちょっとは、ね。でも、あんまりしてないかな」
ぼくはかなり緊張しているが、美奈はいつも通りのようで、安心した。
なんとか緊張を抑えようと深呼吸を始めたとき、ドアノブが動いた。
「こんにちは!」
社長と思われる、作業服を着て、太っていて髪も薄いけれど優しい顔をした男性が、頬をいっぱいに上げて威勢よく挨拶しながら入室してきた。
「こんにちは!」
「こ、こんにちは!」
美奈が社長の威勢良さに負けじと大声で挨拶した。ぼくはそれに続いて、緊張を高めながらもなんとか声を発した。
美奈がいなければ、絶対に声が出なかっただろう。
「おお、元気なお嬢ちゃんだな。そちらの少年も、真面目そうな顔でよろしい!」
美奈はありがとうございます、と会釈しながら答えたが、ぼくはどう返答したらいいのか、いつものように思いつかず、黙って首を上下に振った。
「さて、実はあまり時間がなくて、君たちのことをあまり知らないまま面接に来てしまったんだが、その制服を見ると、君たちは北高だね?」
「はい、そうです!」
美奈が元気よく答える。どうして美奈は誰にも物怖じしないんだろう。
「何年生かな?」
「一年です!」
美奈の返答に、社長のやさしい表情が真剣なものにすこし変わったのを、ぼくは見逃さなかった。
「ほう、まだ入学してすぐだな。実は私も北高の出身で、ずっと地元に居る関係で北高の先生はよく知っている人が多いんだ。君たちの担任の先生を教えてくれるかな?」
「えっと、私は高橋先生です」
「ぼ、ぼくは丸屋先生が担任です」
丸屋先生という言葉を聞いて、社長の頬が一瞬、少し下がって、またもとに戻った。美奈は微妙な表情の変化に気づいていないらしく、いつもの笑顔。
「なるほど・・・あの二人の教え子なら大丈夫だろう!君たちを採用しよう!」
「ありがとうございます!」
「あ、ありがとうございます」
素直に喜んでいる美奈につづいてぼくもお礼を言った。
でも、何か違和感を感じる。仕事に必要な体力とか、勤務可能な時間帯とかをぜんぜん聞かれていない。これでいいのか?
「勤務時間が決まったらまた連絡させてもらうよ。おっと、そういえば名刺を渡してなかったな。高校生とはいえ仕事のつきあいだから、いちおう渡しておかないとな」
社長がポケットから名刺入れを取り出し、ぼくと美奈に名刺を渡した。
EK運送 代表取締役社長 黒川栄治
白地に黒文字だけのシンプルな名刺を見た瞬間、頭の中でいろいろなものがつながった。EKの意味、社長が担任の先生の名前を聞いた理由・・・
間違いない。
この人は、黒川栄子さんのお父さんだ。
* * *
EK運送に初出勤する日、学校での昼休みの中頃ごろ、黒川さんがぼくの席まで近づいて、仁王立ちをしながら座っているぼくを見下ろした。
「佐藤くんがバイトを始めたと噂で聞いたわ。本当だとしたら校則違反よ」
噂の元は、黒川さんのお父さん、つまりEK運送の社長だろう。
少し不自然な内容の面接の謎は、すでに解けている。EKは「栄子」、社長が担任の名前を聞いたのは、黒川さんと同じクラスかどうかを確かめるため。
察するに、社長はぼくたちを娘の学校での振る舞いを知るために雇った。黒川さん自身は、理由はわからないけど、それが不快で、どうしてもやめて欲しい。
「みんな、けっこうやってるじゃん。他の子には注意しないの?」
「みんな守らないからといって、破っていい規則はないわ」
いつも弱気な発言しかできないぼくだけど、この時は黒川さんのプライベートを知っているからか、少しだけ強気の言葉が自然と出た。
とはいえ、黒川さんに論戦で勝てる気はしない。
「お父さんに学校生活を知られるのが、そんなに嫌なの?」
「・・・っ!」
早く決着をつけるため、もっとも触れられたくないであろう部分を、意図的に突いた。
黒川さんは苦虫を噛み潰したような表情になった。
「もういいわ、パパに言いつけてクビにしてやるから!」
そう言い放つと黒川さんは自分の席へ早足で戻った。黒川さんが父親を『パパ』と呼んでいるのを少し意外に感じた。
黒川さんの脅しに少し怯えていたけど、ぼくも美奈もクビを宣告されることはなく、初出勤を迎えた。
以前と同じように、受付の女性に案内され、更衣室で着替えを済ますと、バイト用の、ガレージの端にある詰所に案内された。大窓から詰所のなかを覗き込むと、金髪でぼくよりは年上の、おそらく大学生くらいの男の人が、足を組みながらタバコを吸っていた。
うわあ、ぼくの苦手なタイプの人だ。世の中では『イケてる』ほうに分類されるけど、ぼくにとっては波長の合わない人種でしかない。どうしよう・・・
「この人はバイトの先輩で、しばらく二人の面倒を見てもらう江崎浩さん。それじゃ江崎さん、後はよろしく!」
「ういーっす!」
江崎さんはタバコを灰皿に押し付け、うんと伸びをしたあと、立ち上がってぼくと美奈のほうを向いた。
「はじめまして!俺、バイトの江崎です。いちおう大学生やってます。これからよろしく!」
「よろしくお願いしまーす!」
「お願いします・・・」
笑顔で自己紹介してきた江崎さんは、さっきまで思っていたほど悪い印象はなかった。
美奈は元気よく返事する。ぼくもいつものようにそれに続く。
なんだ、優しそうじゃん。人を見た目だけで判断しちゃダメだな。
「じゃあ、今から仕事の内容をひと通り説明するわ。ついて来て!」
江崎さんに言われ、ぼくと美奈は江崎さんの後を追った。
江崎さんは要領よく、仕事の要点を教えてくれた。主な仕事の内容は、トラックが運んできた荷物を倉庫へ運び出す、もしくはその逆。荷物は軽いダンボールもあれば、三人がかりでなければ運べない大きな工作機械もあること。トラックが着くまでは暇なので、詰所で息抜きをしていてかまわないが、トラックが着いたあとはかなり忙しくなること。荷物を持つときは腰を傷めないよう注意すること。
江崎さんの説明はわかりやすく、ずっと笑顔だったので悪い印象は全くなかった。苦手なタイプだと思っていたけど、大丈夫そうだ。ひと通り説明が終わる頃にはぼくたちと打ち解けていた。
「それじゃあ、説明はこんなところかな。何か質問は?」
「えっと、一ついいですか?」
美奈が尋ねる。
「何かな?」
「バイトの人って、ここにいる人以外には居ないんですか?」
「ああ、多分そうだね。今までは俺だけで、新しく採用されたのが佐藤くんと遠藤さんの二人だから、また新しい人が来ない限りは俺たちだけ。まあ、トラックのドライバーや社員さんも手伝ってくれるから、人出不足はないと思うよ」
「なるほどー。わかりました!」
つまり、基本的には江崎さんとうまく付き合えれば、あとは大丈夫なのか。バイト先でできる人間関係に不安を持っていたぼくは少し安心した。
「あっ、トラックが入って来ましたよ!」
美奈が外を指さして言った。大きなトラックがバックしながら近づいている。
「おっ、それじゃあ仕事開始だな!」
江崎さんが作業服の腕まくりをする。
「あと、一つだけ言い忘れていたことがあった。トラックがバックしているときは、必ずこの白線の後ろまで下がって待つこと。トラックは後ろの視界があまりよくないから、安全のために絶対守ってくれ」
ぼくと美奈は了解の返事をして、白線の後ろへ下がった。
「よし、今日は終わり!」
初仕事は十分くらい時間を残して終わった。基本的に仕事がすべて片付いたら終了のよようだ。
「さすがに三人いると早いなー。よし、今日は俺のおごりだ!好きなもん買え!」
「ほんとですか!ありがとうございますっ!」
江崎さんが、倉庫の外にある自販機でおごってくれた。ぼくは遠慮しようと思ったけど、美奈がおごってもらうのを見てそれに合わせた。
「さすが二人とも高校生だねえ。全然疲れてないな。若いよ」
「そんなことないですよ〜、これでも中学のときより体力落ちてるんですよ?」
美奈と江崎さんが話しはじめた。こうなると、ぼくは間に入っていくことができない。
どうして美奈はこんなにも早く仲良くなれるんだろう。
「それじゃ、あんまり遅くならないようにね!お疲れ!」
「お疲れ様でーす!」
結局、会話に入れないうちに江崎さんは帰っていった。
「ねえねえ、江崎さんって優しいね!」
「うん、はじめはちょっと怖い人なのかなと思ったけど、話してみたら全然そうじゃなかった」
「けっこうイケメンだったし、やっぱ大学生って大人だね。いいなあ。」
ぼくと美奈の江崎さんに対するイメージは、ちょっと違うようだ。
ぼくはコミュニケーションに失敗することが多いから、まず相手がどんな人かをよく考える。でも美奈はどんな人でも遠慮なく会話ができるから、同じ相手でも第一印象が違う。
それにしても、美奈は江崎さんのことをずいぶん気に入ったようだけど。
初めてのバイトのあと、帰宅して自分の部屋に入るころには、すでにぼくの腕に筋肉痛が現れていた。
荷物運びは息切れするほど激しい運動ではなかったが、二時間同じことを繰り返してさすがに疲労がたまったらしい。もともと運動音痴で、登下校と体育の時間以外に運動なんてしないから、疲れてしまうのは当たり前だ。慣れるまで待つしかない。
それに、学校から帰ってきたときの疲労とは、質がちがう。友達がいなくて、常に周囲からの目を気にして教室にいるぼくは、めいっぱいストレスを溜めて家に持ち込む。しかし、バイトで運動したことによって、体力は使ったけど、精神的なストレスも緩和されたような気がする。
先輩の江崎さんは優しくて、ぼくの言葉がつまっても笑ったりせずちゃんと話を最後まで聞いてくれる。他の社員もみんな愛想が良かった。ぼくは優しく応対してくれる相手には難なく会話ができることを知った。
自分でこんなこと言うのはヘンだけど、年齢差があるから可愛がられているんだろう。
けっこう体力を使うから、勉強と両立できるかどうかは怪しいけど、しばらくは続けてみよう。いつになく気持ちいいベッドの上で、まどろみながらぼくは決めた。