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翌日のロングホームルームの内容は、恐れていた班活動ではなかった。でも、それと同じくらい、ぼくにとっては恐怖で、苦痛なものだった。
学級委員長と、各委員会の役員決め。図書委員とか、風紀委員とか。委員の定員は、学級委員長と副委員長以外、すべて二人。つまり、誰かとペアになって仕事をしなければならない。
こういう時、普通みんなは友達とお互い申し合わせて、同じ委員になれるよう立候補するだろう。ペアになる相手のいないぼくがすでに二人組での申し合わせができている委員に手をあげて、選考のじゃんけんで勝って、二人組を壊してしまったりしたら、委員の任期である一学期の間、ずっと気まずい。どうにかして、端数になってしまった人と、偶然のように合わさってペアにならないといけない。
担任の丸屋先生が教壇の上に立った。男らしい初老の顔には、いつもどおりにさっさと終わらせたいという表情が浮かんでいた。ぼくに特別な配慮をおするような節はない。
「えー、まずは学級委員長を決めて、司会をしてもらいたいと思う。誰か立候補する人は?」
クラスが沈黙する。
うつむくヤツ、隣と顔を見合わせるヤツ。色々な動作があるけど、手を上げる者はいない。
目立つし面倒なことも多い学級委員長は、誰もが敬遠する。決定するまでには少し時間がかかるだろう。
その間に、どの委員を選ぶか考えないと・・・
「私がやります」
透き通った、上品な声が僕の予想を破った。
清楚な顔立ちで、前髪をきれいに切りそろえた長髪。「お嬢様」とか「優等生」みたいな言葉が似合う、黒川栄子さん。手を上げて立候補した黒川さんは先生に促され、ロングホームルームの司会をするために教壇の上に立った。
教壇に立った黒川さんは背筋が綺麗にまっすぐ伸びていて、よく見るとスタイルもよく、整った美しさを持っていた。
「黒川の他に、立候補する者は?」
先生の呼びかけに、クラスのみんなは無言という賛同の合図を送った。
「それでは、学級委員長は黒川に決定だ。次、副委員長に立候補するものは?」
こんどは、すぐに申しでる人はいなかった。クラスには重苦しい沈黙が戻る。
「あー誰もいないか・・・。じゃあこうしよう。委員長の黒川が、副委員長を指名しなさい。ただし、黒川は女子だから副委員長は男子に限る」
先生の一言でクラスの緊張が高まったのをぼくは読み取った。
黒川さんは、ぼくみたいに誰とも話せないわけじゃないけれど、たしか話し相手は女子ばかりで男子と話しているところはあまり見たことがない。
だから黒川さんは、あまり仲のよくない男子の誰かを選ぶことになる。まだ入学してすぐだから、頭の良さや運動神経の良さもよくわからないだろう。
黒川さんが誰を選ぶのか、誰もわからない。とりあえず、自分には当ててほしくない。
ぼくは、しばらくうつむいていたけど、黒川さんが誰を当てるのかちょっと顔を上げた。
黒川さんの清廉そうな瞳が、顔を上げた一瞬ぼくの目と合ってしまった。
ぼくは動揺したが、黒川さんはクールな表情を変えない。
「では、佐藤祐介くんにお願いします」
黒川さんが、教壇の上から品がありながらも鋭い声を発した。
ほぼ同時にクラスのみんなが教室の後ろのほうの席に座っているぼくの方を振り向いて、ハッとした。ぼくの顔はみるみるうちに真っ赤になる。
「佐藤、副委員長になってもいいか?」
丸屋先生がぼくに尋ねる。
ぼくは迷った。どうせこのまま進めても、何かしら恥をかかずに委員になれる可能性は少ない。だったら、いっそ副委員長のポストに飛び込んんだほうが安全かもしれない。でもサブとはいえ、委員長という仕事は下手に目立ってしまう。
「では、副委員長は佐藤に決定だ!」
いろいろ迷っているうちに、先生が返事のないぼくを受諾したとみなしてしまった。
「よし佐藤、お前は黒板に委員の名前を書いていけ。前へ出なさい」
丸屋先生に言われ、ぼくは少し緊張して平衡感覚を失いながらも、なんとかまっすぐ教壇まで歩いていった。ぼくが教壇に着くと、黒川さんは一瞬、無愛想とも無関心ともとれる表情でぼくの方をちらりと見て、すぐに視線を生徒たちのほうへ戻した。
何故だろう、黒川さんはあまり表情を変えず、つきあいにくいタイプなのに、その瞳の奥には揺るぎない清純さと美があった。
その後、ロングホームルームは黒川さんが司会し、ぼくが黒板に委員の役職名と決定した生徒の名前を書き込むという一定のリズムを保って行われた。
黒川さんは要領よく生徒それぞれの希望を交通整理し、かなりのスピードで委員を決めていった。おかげでぼくは休む間もなく黒板に向かい続けた。黒川さんは委員の選考に集中し、ぼくと無駄な会話をすることは一度もなかった。
ロングホームルームが終わった後、黒川さんがぼくを選んだ理由をずっと考えたけれども、思い当たる節はなかった。
黒川さんとこれまで面識はなかったし、一応同じクラスでも会話したことはない。男子とも話せないぼくが女子と話せるわけないじゃん。
クラスの誰とも会話しないぼくを選んだのは、どんな理由があるんだろう。
どうしても気になったぼくは、放課後すぐに席を立とうとした黒川さんに思い切って聞いてみた。
「ね、ねえ、どうしてぼくを副委員長に選んだの?」
「あなた、一緒にペアで委員になってくれる人はいたの?」
黒川さんはそっけない口調で答えた。
いや、質問に質問で返してきた。
「それは・・・・いなかったけど」
「だったら、好都合でしょ?」
指名された時、ぼくが考えたことと似ているようなことを黒川さんが言った。驚いたぼくは、返答のための言葉が出なかった。
「私は、クラスのみんながなるべく不満にならない選択肢を選んだつもりよ。じゃあ、これで」
自分の行動の意味、別れの挨拶を同時に述べて、黒川さんは教室から出ていった。
この時、ぼくの胸に根拠のない考えが浮かんだ。
黒川さんとぼくは少し似ているのではないか。
誰が見ても「優等生」にちがいない黒川さんと、友達のいないぼくは普通に考えれば不釣合いだ。
でも何故か、黒川さんの後ろ姿を見てそう感じた。
黒川さんが下駄箱へ向かう間、放課後すぐの人通りが多い時間にもかかわらず、だれも黒川さんに合流しなかったんだ。
その後も黒川さんはまっすぐ自分の自転車に向かった。黒川さんには一緒に下校する友達が居なかった。
黒川さんには、友達が居ないんじゃないか?
「ゆうちゃーん!また会ったね!」
黒川さんのことがなおも頭から抜けず、いろいろ考えながら一人で下校していると、美奈が追いかけてきた。右手には学校の売店で買ったと思われるあんぱん。
そういえば、ぼくは小学校高学年のころまで「美奈ちゃん」って呼んでたけど、恥ずかしくなってやめたんだっけ。美奈はずっと「ゆうちゃん」のままだけど。
「美奈って、よく食べるよね」
「うん!高校は売店でいろんなものが買えるから幸せ!」
美奈は本当に心底幸せそうな表情をしている。単純でうらやましい。
「今日のロングホームルームどうだった?」
「ん・・・まあまあかな」
美奈がアンパンをかじりながら聞いてきた。
どうしてコミュ力の高いやつは「どうだった」という抽象的な質問をしてくるんだろう。答えの選択肢が多すぎてすぐに回答できない。みんなどうしてこの質問に適当な回答ができるんだろう。
「どの委員になったの?」
こういう、限定した質問になって、ぼくは初めて回答が思い浮かぶ。
「副委員長になったんだ」
「えっ、すごーい!自分で立候補したの?」
「いや、委員長になった人に指名された」
「そーなんだ。委員長は誰なの?」
「黒川栄子さん。知ってる?」
「んー、見たことはないなあ。噂はちょっとだけ聞いたけど」
美奈が唇に人差し指を当て、目線を上にむけながら思い出すしぐさをして歩く。
よく見ると汗で制服のカッターシャツが透けて、ブラの色が少しわかる。
「噂?ちょっと教えてよ」
「あんまり詳しいことは聞いてないよ。中学ではいつも成績トップで、生徒会長だったとか」
「そうなんだ。確かに優等生っぽいよ」
黒川さんの容姿や、委員長に自分から立候補するという振る舞いから考えると、美奈の言うことは嘘ではなさそうだ。
「ねえ、黒川さんってどんな友達がいるかわかる?」
「わかんないなあ。私が聞いたのは同じ中学の子からだけど、その子と黒川さんは友達って感じじゃなくて、知り合いかクラスメイトみたいだったよ」
やっぱり、黒川さんには友達がいないんじゃないか。
美奈のコミュ力と情報網はかなりのものだから、もう同学年のほとんどの情報はひと通り把握しているはず。
様々な友人ネットワークのどこかでつながっているはずの、「黒川さんの友達」にまだ接触していない原因は、黒川さんが徹底的に閉鎖したグループを持っているか、そもそも友達がいないかの二つくらいしか考えられない。まだ早合点かもしれないけれど、ぼくはますます確信を深めた。
「じゃあね、ゆうちゃん!また今度!」
通学路の分かれる交差点についた美奈は、いつものように走って青信号を渡っていった。