12
「あのね、私、江崎さんと別れちゃった」
二学期の始業式の日、久々に一緒になった帰り道で、ぼくの不安は思いのほか簡単になくなった。
「えっ?どうして?」
「あの喧嘩のあと、けっきょく仲直りできなかったんだ。江崎さん、私が簡単にエッチさせてくれないってわかったら急に冷たくなったみたい」
やっぱり、本心では体目当てだったんだ。美奈がギリギリのところで避けて本当によかった。
「江崎さん、バイトやめちゃうみたいだから、私が復帰することにしたの。来週からはゆーちゃんと二人でお仕事だよ!」
美奈がにっこり笑う。いつもの、無邪気な笑顔。
久しぶりだ。美奈の、屈託の無い笑顔。見ているほうを幸せにする、不思議な力のある笑顔。
「ちょっと、ゆーちゃん!どうして泣いてるの!?」
いつの間にか、ぼくの目から涙が静かに染み出していた。美奈が心配そうな顔に変わって、ぼくは我に帰った。
「な、なんでもないよ。その、久しぶりに美奈と会えて嬉しくなって」
「そんなことで泣くの!?」
美奈を心配させないよう、とっさに言い訳を考えたけど、不自然だったらしい。
「・・・えへへ、なんか嬉しい」
美奈が笑いながら、涙を左目から一粒流した。
「もらい泣きしちゃった。ゆーちゃんがわたしに久しぶりに会えただけで泣くほど嬉しくなるなんて思わなかったから」
今更、言い訳だったなんて言えないな。
「あたし、これから頑張るよ。毎日ゆうちゃんと一緒に働いて、黒川さんからゆうちゃんを奪う!」
ぼくの腰のあたりに、心地よい弾力をもつ何かが押し付けられた。
美奈が、突然ぼくに抱きついてきた。かつて野球で鍛えられた、そこそこの腕力で締め付けられて、ちょっと苦しいけど、女の子の香りと汗の臭いがまじった香りで、妙な気分になる。
「うわあっ!」
ぼくがびっくりしてのけぞると、美奈はぼくを開放した。
「えへへっ、じゃあね!」
美奈は、いつもの青信号を、今まで見たことのない全力ダッシュで渡っていった。
美奈が江崎さんと別れたことで、ぼくの悩みはとりあえず解決した。
でも、美奈はぼくのことをどう思っているんだろう。
『ゆうちゃんのお嫁さんになる』はどこまで本気なんだろう。
そういえば、美奈はぼくが黒川さんと付き合っていると思っている。ぼくが江崎さんと美奈が付き合っていたときに寂しくなったのと同じ要領で、あんなことを言ったのかな。
とりあえず、美奈と気まずい空気になることはなくなったんだ。来週から、美奈とこれまでの関係に戻って、一生懸命働こう。
平凡な世界で、普通に過ごすのが、いちばん幸せなんだ。
きっと以前の関係に戻れるさ。
* * *
新学期が始まると、ぼくと親しく話せる同級生が何人かできた。
一度固まってしまったグループに後から入っていくのは難しいと思っていたけど、案外そうでもなかった。一人、ぼくに気をかけてくれる子がいて、その子とすんなり話せたから、他の子とも問題なく会話ができた。ぼくは自然に、いつのまにか同級生と『友達』になった。
以前からぼくの問題だった、雑談が続かない症状はほとんどなくなっていた。むしろ、「佐藤の話は賢い」と褒められるくらい。きっと、EK運送でいい人がよくしてくれたおかげで基本的なコミュニケーション能力が鍛えられ、黒川さんと何度も遊んで、会話を重ねたおかげで、合理的な話術が身についたんだと思う。
まだ、一緒にジャスコへ遊びに出かけるほどの仲の友達ではないけれど、きっと近いうちにその日が訪れる。ぼくが今まで知らなかった、カラオケやボーリングもしてみたい。
きっとこの願いは、もうすぐ呆気無く実現して、どうしてあんな事が望みだったんだろうと振り返る日が来る。
ただ、一つだけ心配なことがある。
ぼくには友達ができたけど、黒川さんは相変わらず、同性の友達をクラスで作ることはなかった。
ぼく以外にも生徒会のメンバーとか、話し相手がいることは知っている。でも黒川さんは、未だにコミュニケーションに積極的じゃない。黒川さん自身が、そのせいで友達ができないことに多少の引け目を感じていることも事実だ。
ぼくは黒川さんのおかげで、コミュ障から卒業して普通の友達を持てるようになった。
今度は、ぼくが黒川さんの力になりたい。
きっと黒川さんはまだ『友達』とは何なのか、まだ悩んでいる。本当は、そんなことを考えるまでもなく、自然と友達をつくるのが普通なのに、黒川さんはそれができないらしい。
人並みはずれた知性と行動力を持っている代わりに、人が思いもしないことで悩みをもつ。それが黒川さんなんだ。
もし、ぼくが黒川さんの力になることができて、黒川さんが自然に友達を作れるようになったら、もう一度告白しよう。
どうやって力になるか、全く見当もつかないけど。
ぼくが変わったように、黒川さんも、きっと。
黒川さんとの出会いで、ぼくは、人は、人によって変われることを教わったんだから。
学校というシステムを、もう卑怯だとは思わなくなった。
勉強には興味が出ないけど、それはみんなが一番気にする共通の話題として、コミュニケーションに寄与している。
学校には、近くの土地に生まれたというだけの生徒が集められる。同じ学校に通っているというだけで、自然と友達になることができる。
時には、馬の合わないヤツもいるけど、関わらないという選択肢を遠慮なく使えばいい。
友達は、いるのが当たり前ではないけれど、ちょっとした努力で簡単につくることができる。
はじめはつくれない人も、いつかはきっと、作れるようになるさ。学校には、自分の足りないところを補ってくれる人との出会いが、かならずある。いろんな人から刺激を受けて、成長する。ぼくがそうだったように。
学校は、お互いの可能性を、最高まで引き上げることのできる、すばらしい場所なんだ。