第28話 記録に残らない仕事こそが誰かの明日を支えてる……かもしれない。
朝になると、だいたいの陰謀は急にみっともなくなる。
夜のあいだは秘密っぽかったものが、明るい光の下ではただの未処理案件の山に見えるからだ。
俺たちが四十三件を一斉再受理させた翌朝、庁舎は見事に終わっていた。
終わっていた、というのは爆発したとか停電したとか、そういう派手な意味じゃない。電話が鳴りやまない。上からの照会が降ってくる。保険会社から確認依頼。監査系から受領通知。観光協定窓口から是正要求。広報は顔面蒼白。現場は全員、コーヒーで延命している。
要するに、苦情が受理されたのだ。
本当にそれだけのことで、街の空気は変わる。
「寝ました?」
九条さんに聞かれて、俺は正直に答えた。
「たぶん二十分くらい気絶しました」
「それは睡眠とは呼びません」
「あなたは?」
「三十分です」
勝った気がしない。むしろ負けてる。
だが、彼女の目は昨日までと少し違った。疲れているのに、変な澄み方をしている。あの人は、正しい怒りに仕事の形がつくと強い。
庁舎地下の旧窓口は、朝七時には封鎖解除されていた。
あの、ずっと閉鎖中の札だけぶら下げて、中では機材だけが生きていた場所だ。近くで見ると、想像以上にただの受付だった。三つ並んだカウンター、古い番号表示、擦れた足元シール。都市伝説っぽかったものの正体が、こんなにも事務的な光景だというのが、この一件のいちばん嫌なところであり、いちばん好きなところでもある。
真壁さんが端末を叩きながら言った。
「地下窓口、正式名称は“地球圏臨時苦情中継ハブ”です」
「急に本性出すなよ」
「出していたのは向こうです。隠していたのも」
まったくその通り。
閉鎖中に見えた左から二番目の窓口は、もともと緊急転送系の操作席だった。番号札の左から二番目の桁が2の案件、つまりL-2案件を、現地判断から切り離して上位監査へ送るための席。だから機材だけ通電していた。だから保険約款の注記と繋がっていた。だからレビュー削除依頼のタイミングとも重なっていた。
全部、一本の実務だったのだ。
宇宙規模の陰謀、と言うと聞こえは派手だ。
でも中身は、案内文の雑な翻訳と、番号札の第二桁と、受理印を押すか押さないかの話だった。
堂前透は午前中のうちに職務から外された。逮捕とかそういう景気のいいものではない。記録が残る場所へ移された、という方が正しい。あの人にいちばん効く罰は、多分そこだ。
最後に短い聞き取りが入り、俺たちも立ち会った。
堂前は相変わらず整っていた。寝ていないはずなのに、まだ人前用の顔を保っている。その執念だけは認める。
「私は、制度を守ろうとしただけです」
最後までそれだった。
「現地で全件を正規受理すれば、都市機能はもたない。観光協定も崩れる。保険も行政も連鎖して止まる。だから負荷を逃がした」
「逃がした先で消したんでしょう」
俺が言うと、堂前は少しだけ眉を動かした。
「消してはいません。保留しただけです」
「結果、同じです」
九条さんの声は静かだった。
「保留で人生が止まる人にとっては」
堂前はそこで初めて黙った。
勝った、とはやっぱり思わない。
ただ、もうその言い方は通じない場所へ来たのだと思う。受理された苦情は、言い換えで消えない。
午前十時を回る頃には、地下窓口の前に人が並び始めた。
ニュースを見た人。昨夜の限定配信の切り抜きを見た人。ずっと泣き寝入りしていた人。自分の件も同じではないかと気づいた人。観光客も地球側市民も混ざっている。言語も服装もばらばらだが、顔だけはよく似ていた。長く待たされた人の顔だ。
その列を見た時、俺はあの夜の光景を思い出した。
左から二番目に並ぶ人たち。
でも今日は違う。
今日は、並んだ先にちゃんと受ける席がある。
「名倉さん」
真壁さんが書類束を持ってきた。
「人手が足りません。臨時受理補助、やれますか」
「やれますか、じゃなくて、もうやる前提の顔してますよね」
「そう見えました?」
「見えます」
断る理由はなかった。
いや、正確に言えば、時給の確認くらいはしたかった。社会人なので。でも今ここでそれを言うほど、俺も腐ってはいない。少しだけ成長した。少しだけだが。
俺は臨時の名札を受け取った。
《受理補助 名倉巡》
妙にちゃんとしていて、ちょっと笑う。昨日まで底辺配信者の残り香みたいな人生だったのに、急に肩書きがつくと人は照れる。
最初の相談者は、あの時列の先頭近くにいた年配の女性だった。
紙袋から、しわしわの番号札控えを出す。左から二番目の桁は、やっぱり2。
「これ、持っていていいものかわからなくて」
「持っていてくれて助かりました」
俺は言った。
「今日、それがいちばん大事です」
女性はしばらく俺の顔を見て、それから小さく笑った。
「じゃあ、取っておいてよかったのね」
その一言で、少し泣きそうになった。
取っておいてよかった。
このシリーズ、たぶんずっとその話だったんだと思う。録音を取っておいてよかった。控えを捨てなくてよかった。気味の悪い文言を忘れなくてよかった。しょうもない配信のアーカイブを消さなくてよかった。見えない仕事の痕跡を、誰かがどこかで取っておいてくれたから、ここまで来られた。
俺は番号札を受け取り、端末へ入力した。
第二桁2。
今度は、正しいルートへ飛ぶ。
状態欄が表示される。
RECEIVED。
たった八文字。
でも、そこへ行くまでに人が何年もかかることがある。
「受理されました」
俺が言うと、女性はぽかんとした。
「もう?」
「はい。ここから先は確認と補償の手続きです。時間はかかります。でも、今はちゃんと記録に入りました」
女性の肩が、そこでようやく落ちた。
怒るでもなく、泣くでもなく、ただ重いものを下ろしたみたいに。
それを見て、俺はたぶん初めて、自分の仕事が好きだと思った。
好き、は言い過ぎかもしれない。苦情処理なんて、面倒で、泥臭くて、ありがとうより先に罵声が飛ぶ仕事だ。でも少なくとも、くだらないとは思わない。
誰かの『困った』を、記録の外へ落とさない。
それだけで、人の人生は少し違う。
昼過ぎ、マックスが差し入れを持ってきた。宇宙港土産みたいな色の菓子だ。食べるのに勇気がいる。
「勝利の糖分補給だ」
「その色で?」
「偏見だぞ」
一口かじったら、普通にうまかった。腹が立つ。
「お前、これからどうする」
マックスが聞く。
「借金返しますよ。劇的には無理ですけど」
「配信は?」
俺は少し考えた。
地下窓口の列。端末の受理表示。昨夜の限定配信。再生数は別に爆発していない。たぶん今日も世の中は、もっと派手でわかりやすい炎上の方を見る。
それでいい気もした。
「続けます」
俺は言った。
「でも、前みたいにバズり目的ではやらない」
「ほう」
「消されそうなものを残す。受理されなかった声を、消えない形にする。そのための配信にする」
マックスは肩をすくめた。
「地味だな」
「うるさい。俺に似合うんだよ」
夕方、地下窓口の壁から古い案内ステッカーが外された。
多言語の中に紛れていた、あの不気味な文言。
『苦情は左から二番目へ。』
回収された紙片を見て、俺は少しだけ礼を言いたくなった。お前のせいでひどい目にも遭ったが、お前が残っていたから辿れた場所もある。
ただ、もう要らない。
その代わり、新しい表示が貼られた。
『苦情・相談 こちらで受理します』
笑うほど普通だ。
でも普通でいい。いや、普通がいい。
回りくどい暗号も、左から何番目も、もう要らない。必要なのは、ちゃんと受けることだけだ。
帰り際、九条さんが臨時名札を外しながら言った。
「名倉さん」
「はい」
「今日は、いい仕事でした」
その一言で、だいたい全部報われた気がした。
安い人間だと思う。でも、ずっと欲しかったのは多分こういうことだ。再生数の跳ね方でも、派手な逆転でもなく、自分のやった仕事が役に立ったと、ちゃんとわかること。
外に出ると、夕方の空は妙に普通だった。宇宙観光都市とか言っておきながら、夕焼けは昔から同じ色をしている。腹立たしいくらい普通だ。
スマホを開く。新しい配信予約画面。
タイトル欄に少し迷ってから、俺は打ち込んだ。
『受理された声の記録』
派手さはない。伸びなさそうだ。コメント欄もたぶん地味だ。
でも今は、それでいい。
借金は残っている。家賃も待ってくれない。人生が急に勝ち組へ転ぶ気配なんか、もちろんない。
それでも、次に誰かが困った顔で窓口に立った時、俺は前より少しましな顔で言える気がした。
その苦情は、ちゃんと受理されます。
全28話、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
「手取り18万の男が、書類で宇宙を救う」。そんなバカバカしくも真剣な物語を完結させることができたのは、読んでくださった皆さんの「PV」や「星」という名の受理票があったからです。
名倉の物語はここで一段落ですが、世の中には今日も、誰にも届かない苦情が溢れています。
もし皆さんが何か理不尽なことに直面した時は、新宿の地下に、一人の意地汚いけど頼れる苦情処理係がいることを思い出してください。
本当にありがとうございました!また次の「真実」でお会いしましょう。




