4歩目 小さな牙
♪ありがとう ここにいてくれて この暗い街で かけがえのない 小さな灯り♪
サイレンが、すぐそこで止まった。
ウィーン!ウィーン!ウィ!
赤と青の光が、周囲を不気味に染める。
(…ルナ、逃げるぞ)
月影の声が、頭の中で鋭く響いた。だが
「ま、待って…」
足元にぴったりと体を寄せ
震えながら金色の瞳で私を見上げる。
ガリガリでぼさぼさの毛並み
「…っ」
その小さな頭を、そっと撫でる。
荒れた毛から震えが
指に伝わってくる。
みゃぅ~
涙が、ぽろりと頬を伝った。
「ごめん……」
茶虎の小さな頭を
掌で包むようにして
ゆっくりと
離した。
けれど
離れまいと前足を伸ばして、私の足にすがる。
小さな爪が、薄汚れたコートに引っかかった。
みゃぅ~…
お金さえ…あれば…
脳無しでさえ、なければ…
「…っ…ごめん、ね…」
爪を取り
踵を、返した。
みゃぁ~!
振り向かなかった。
素足が、木製の歩道にペタペタと血の跡を残す。
沈黙した人だかりを無造作に掻き分けていると…
(ごめん、通報したの俺なんだ……逃げてくれよ……)
『久々に鳥肌立った』
(野良ねこを護ろうとする子が悪い子な訳ないよな、俺が、間違ってた…)
『は? 野良に餌やっただけで条例違反だろ』
(誰だ今暴言吐いた奴!)
『いやでも、ギャッハー団絡んでるっぽいしヤバくね?』
(あのねこ誰か飼ってやってくれ、頼む!漏れはもう飼えんにゃ!)
『血塗れの歌姫爆誕★ 拡散して救おうぜ!』
少しだけ
頬が緩んだ。
「おねえちゃん」
目の前に、屈託の無い笑顔
「お歌、とっても、と~っても上手だったよ♪」
嬉しそうに、両手で花を差し出してきた。
胸が、きゅっと縮んだ。
「ありがとう♪と~っても、綺麗だね★」
笑顔で受け取ると、女の子は宝石を見つけたように目を輝かせ
「あとね、あとね———」
弾んだ声が、不意に
細い腕に、抱き上げられた。
「すみません!」
「ままぁ?」
「この子が、ごめんなさいっ」
母親は、私を見ず
別の何かに、怯えていた。
「…ありがとう、ございました」
それだけ言って
ぎゅっと抱きしめたまま、後ずさった。
女の子だけが
小さく手を振り
「バイバイ、おねえちゃん、キラキラ、とっても、あったかかったよ!」
私も、笑顔で手を振り返し見送った。
ふと
キラキラ?
ね、月影—————
そう、尋ねようとした時だった。
≪動くな!貴様を逮捕する!≫
拡張機の大音量が、路地に響いた。
人だかりが割れたその先に、ザザザッと、黒い壁が現れた。
5人、いや6人。
銃口が、ズラリと私に向けられ
赤いレーザーの点が、血まみれのコートに散らばって踊った。
先頭の警官が、無表情で近付いて来た。
「傷害致死容疑で逮捕する。両手を上げろ、抵抗すれば射殺する」
———静かに、両腕を上げた。
ざわめき
誰かが息を呑む音
隊長格の男が、前に出て来た。
視線が一瞬、足元へ落ちる。
「名前は?」
「ルナ」
「年齢は?」
「解らない」
短い沈黙
男は、周囲を見回し
「これは———お前がやったのか?」
「そう、誘拐されそうになったのと…」
みゃぁ~
足元にじゃれついて来た茶虎を抱き上げ
「この子を救う為」
私は、目を逸らさなかった。
隊長は返事をせず
脳内回線を開いた。
(男のAIチップは?)
(ダメです。完全に破壊されてます。…代替照合に回します)
(代替?)
(歯列・顎骨の医療登録です。———致しました………)
(どうした?)
(それが…ギャッハー団の幹部のようです)
瞬間、隊員達に緊張が走った。
(そうか…で、あれば、この少女の言う事には信憑性があるな)
(ですね、少々過剰防衛な気はしますが)
(…奴等に攫われればどうなるのかを考えれば)
(ええ…)
銃口がわずかに下がる。
そこに
「待ってくださいよ、隊長さん」
他の隊員とは違う、スーツのような制服を着た男が
前に出た———瞬間
寒気が走った。
この男からは
”感情”がなかったのだ。
あるのは———
冷たい”何か”のみ
全細胞が
こいつは“敵”だと
そう
叫んだ。
隊員達がヒソヒソと
(誰ですか?あの人は)
(新入り、覚えとけ。あれが”上層部”様だ)
(え…世界治安維持局の人って事ですか?)
(そうだ。絶対逆らうなよ?人生終わるぞ)
(そんな、逆らいませんよ)
隊長が振り向き
「どうしました?顧問」
「勝手な判断は困りますね」
「…勝手とは?」
顧問は肩をすくめ、私を指差し
「その脳無しは重要参考人なのでは?」
「……」
「連行し、取り調べを行うべきでは?」
隊長は静かに言った。
「彼女にはAIチップがありません。
口頭の証言は、証拠としては弱いですよ」
「それでも」
顧問は即座に返す。
「重要な手掛かりになるかもしれないじゃないですか」
脳内に、ひそひそとした通信が走る。
(可哀想に…)
(なんです?)
(お前は知らんでいい)
(え?)
(新入りにゃ、まだ早いってこった)
隊長は、しばらく黙り
「ルナと言ったな」
パトカーを指差し
「任意同行してもらえるか?」
「断ります」
即答した。
(だ、そうですが、どうされます?)
顧問はにやけ
(隊長さん、”規定通り”やりましょう)
(規定、ですか…)
(ええ、貴方だってクビになりたくはないでしょう?)
(……)
(さあ、粛々と行ってください)
隊長は、表情を強張らせ、私を見ずに言った。
「貴様を…現行犯で逮捕する」
…
「罪状は?」
「……」
黙る隊長に顧問が
「あなたには“容疑”があります。ので、それが晴れるまで、です」
下卑た笑みで近付いてくる。
「来ないで」
手を突き出した。
「おや、抵抗しますか?公務執行妨害ですね」
「そっ、そんな…」
「さ、早く済ませましょう」
顧問が目配せし
隊員が動き
両手を掴まれた。
「やめてっ!」
「大人しくしろっ!」
「イヤッ離して!!」
パトカーへ、押し込まれそうになる中
「まってよ!おねえちゃんをいじめないで!!」
先程の少女が隊員に縋り付いた。
「お嬢ちゃん、離れて…」
「ヤッ!」
無理矢理割って入り
両手を広げた
胸が
鼻が
ツンと、痛くなった。
バツが悪そうに顔を見合わせる隊員達
そこへ、母親が飛ぶようにやって来て
「申し訳ありませんっ」
バッ
っと、少女を抱き抱え、振り返ったその時だった。
少女の靴が、顧問のズボンに触れた。
ほんの一瞬。
それだけだった。
顧問の視線が、ゆっくりと下がる。
濃い色の生地に、滲む赤。
「…あーあ」
ため息とも、舌打ちともつかない声。
「血、ついてますね」
母親が、反射的に頭を下げた。
「も、申し訳ありませんっ!」
少女を抱いたまま、何度も。
「あの、クリーニング代なら…」
顧問は、にやりと笑い
「では…」
目が点滅する。
「今すぐ、この金額を振り込んでください」
———母親の視界に、請求額が強制表示された。
「……ぇ」
掠れた声だった。
「い、いえ……あの……」
「公務中ですので」
淡々と、遮った。
「後払いは困ります。今、ここで」
周囲が静まり返る。
誰も口を開かない。
「そんなっ、そこまで掛かる程では…」
「おや、払えないと?」
「む、無理です…」
顧問は母親に近付き、小声だが
ドスの利いた声で
「これが、いくらすると思ってんだ?ああ?」
母親の足がガクガクと震え出す。
「で、でも…こんな大金…本当に……」
ママ友達がヒソヒソと
「…ねぇ聞きました?」
「ええ…」
「いくらなんでも…」
顧問はパンッっと手を叩き
「さあ、払って貰いますよ!」
にこやかに差し出された手
それを
バシッ
叩いた。
「…これは…傷害罪ですね」
「傷害罪?どこか怪我でもしたの?」
「脳無しか、生意気だな」
市民達が、ヒソヒソと
(おい、やべえぞ)
(ガチで逮捕されるんじゃ…?)
睨み合いながら、私は言った。
「行ってください」
駆け出す足音
「おねえちゃん!」
チラリと見ると
少女が手を伸ばしていた。
微笑み、手を振った。
が
「逃がすな、捕まえろ」
顧問が冷たく言い放つ。
だが、隊員達は固まり、動かない。
顧問が怒鳴った。
「公務執行妨害だろうが!さっさとしねえか!!」
「はっ…」
隊員達が重い足取りで母親に向かう。
「あっ、いやっ!やめて、やめてくださいっ…!」
「なんで!?おまわりさん!!」
…
こいつだ
こいつを”ヤレ”ば
あの親子は助かる
奴の持っているブツを奪い……
冷たい計算をしていた時だった。
「いくらなんでも、それは…オカシクないか?」
一人の声が上がり
「…俺も、そう思う」
声は続いた。
「子供のしたことでしょ」
「あんまりよ…」
「横暴だわ…」
ざわめき出す市民達
だが
顧問は、メガホンを手に、ゆっくりと息を吐いた。
視線を、市民たちにゆっくり回しながら
≪黙れ≫
減るざわめき
≪たった今、逆らった者から“非国民”だ≫
その一言で、路地全体が凍りついた。
隊員の手が、銃を握ったまま固まる。
顧問は、ゆっくりと続けた。
≪今、この場で”非国民”と判断された者は、即座に連行する≫
市民の一人が、掠れた声で呟く。
「…非国民?」
顧問の目が、細くなる。
≪そうだ。今のお前達は…国家の秩序を乱す、非国民だ≫
母親が、少女を強く抱き締めた。
「ママぁ?」
その小さな声に、何も返せなかった。
顧問は、母親に視線を移す。
「貴様もだ。子供を盾に、権力に逆らうとは…立派な”非国民”だな」
隊員の一人が、銃を握り直す。
だが、その手は、震えていた。
…こいつらを皆殺しにすれば…
私は
静かに息を吐いて言った。
「…そのお金、私が払う。それなら文句無いでしょ?」
顧問が、ゆっくり振り向く。
「ほう…?」
「だから…あの親子は、放してあげて」
険しい口元が、歪んでいく。
「いいだろう。連行しろ。金は…特別に後払いで良い」
両膝を付き、ゆっくり両手を上げた。
悔しそうな上目遣いで。
顧問が
無表情を装ったまま
一歩、また一歩と近づいてくる。
—————簡単な話だ。
銃を奪う
安全装置を外す
撃つ
盾にするなり脅すなりして
ここを離れる
たった、それだけ—————
手が…伸びてきた。
今
指を曲げ、懐の銃を握ろうとした——
瞬間
—————茶虎の怯えた表情—————
それが、脳裏に強く映し出された。
ここで”それ”をする事は簡単だけれど
銃声や悲鳴で怖がらせてしまう……
また、茶虎が…怯えてしまう…
私が
また…
…
伸ばした手を
戻し
目を閉じた。
もう
嫌われたくないよ…
下を向き
瞳を閉じた。
だが…
伸びてくるはずの手は一向に来ず
「あ?」
ふー……ふー…
小さな息遣いだった。
瞳を開けると
熱い物が込み上げた。
顧問の腕の裾に、必死に噛みついていた。
凍えそうな、弱々しい牙で
雫が…頬を伝った。
「なんだこいつ?」
顧問の手が、茶虎の首根っこを掴んだ。
うにゃにゃにゃにゃあああ!!
「うぜぇ。誰か、保健所に連れてってヤレ!」
宙にぶら下がった茶虎を軽く振り回す——
「やめて!!」
咄嗟に飛び跳ね
「あ?」
奪い取った。
みゅぅ…
骨の浮き出た体を両腕で強く、強く抱き締めた。
震える熱い吐息が、胸をくすぐる。
「お願い…です」
溢れる雫が、茶虎の毛を濡らす。
「この子に……手を出さないで……」
顧問がニヤニヤと口角を上げ
「ダメだな。野良猫は即保健所行き、それが”ルール”だ」
嘲笑うかのようなその言葉が
震える体を通して
心を抉った。
…もう
この子が、生きてさえいてくれれば…
私は…
「私は…どうなってもいいから!」
顧問の口元が、吊り上がっていく。
吐き気が…
喉までせり上がる中
声が
途切れ途切れに聞こえた。
「やめろよ…」
「こんなの…ひどすぎる…」
『マジでクソだわ、警察』
『ねこまで…!』
『もう見てらんねぇ…誰でもイイ、誰か、誰か来てくれえええ!!』
「ほら、隊長さん、お仕事ですよ」
「…」
金属の輪が…振り揚げられた。
——ごめんね、ヨル…次こそは、ね…
??
ふと…哀しい瞳で見上げる、黒いこねこが脳裏を過ぎった。
ヨル?
解らない。
そのはずなのに…
胸が、裂けるように…
(…ヨル、か———)
月影?
たが
ブロロロロロ!!!
けたたましい爆音に遮られた。
遠くから、無数の色とりどりのヘッドライト
ネオンの光を切り裂くように
黒い影が
路地に雪崩れ込む。
世紀末のようなバイク軍団
革ジャン、鎖、モヒカン
チェーンソー
ギャッハー団の旗が
闇の中から不気味に浮かび上がり———
「てめぇらぁぁぁ!絶対許さねええぇ!!」
「血祭じゃぁぁああ!」
『ギャッハー♪』
色とりどりのモヒカン達が咆哮した。
…ヨル、お前は……
男の瞳には、初めて感情が浮かんでいた。
”恐怖”




