百利
春が過ぎ、徐々に暑さが増す頃のことだった。
田舎の実家に帰省していた私はやることもなく、家の前でひっそりと煙草を吸っていた。
目の前に広がるのは田んぼと山と離れたとこにある他の人の家と青い空だけ。
「暇だな」
そう呟いて煙を吐く。
上空で輝く太陽に吸い込まれるようにその煙は消えていった。
「ねえ」
ぽけー、と何も考えず空を見上げていると、足元から声がした。
「なんでおじさんはタバコをすうの」
声のした方に目を向けるとまだ10歳ほどの少女が、苛立ちを含んだ顔で立っていた。
突然のことに驚き、しばし思考が止まる。
ぽかんとした表情を浮かべて何も応答しない私に更に苛立ったのか、少女は先程よりも語気を強めて再度疑問を投げかける。
「くさくて体にわるくて、何がいいのかぜんぜん分かんない!」
子供らしい癇癪のようなその言葉で私はようやく意識を取り戻す。
「うーん、煙草の良さ、かぁ」
胸ポケットから携帯用灰皿を取り出してゆっくりと煙草の火を消す。
「おじさんもあんまり良く分かんないなぁ」
「じゃあなんで」
食い気味に少女は突っかかる。
「そうだな、煙草は百害あって一利なし、って言われるんだ」
「ひゃくが・・・・・・?なにそれ」
「簡単に言うと、悪いことはいっぱいあるのに、良いことは全く無いって感じの意味。例えば煙草だと、肺炎とガンとか、病気になる確率が上がるのに、体に良い事は全く無いんだ」
「おじさんが吸う理由がもっと分かんなくなったよ」
少女から苛立ちが消え、今度は困惑した顔で首を傾げる。
少女の仕草が可愛らしく、クスリと笑い、言葉を続ける。
「おじさんはね、その百害、つまり悪いことが欲しくてタバコを吸ったら百利になるんじゃないかって思うんだよね」
「えーと、つまりどういうこと?」
「要は、悪いことが欲しい人もいるんじゃないかってこと」
「悪いことはみんなほしくないと思うよ」
「世の中には色んな人がいるもんだよ」
「変なの」
「君が思ってるよりこの世界はずっと変だよ」
納得がいかなかったのか、少女は口を尖らせる。
「▓▓▓▓ー、ちょっとこっち来てくれる?」
家の方から私を呼ぶ声がする。
「じゃあな。お前は煙草なんて吸うんじゃないぞ」
そう言って家の方に向かう。
それから何日か滞在したが、少女とは二度と出会うことはなかった。
あの日から長い年月が経った。
あの日どんなことを話して、どんなことを感じて、自分がどんな顔をしていたのか。
正直なところ何も覚えちゃいないが、私は今日も生きている。
大学生になったタイミングで田舎から出た私は社会人になり、仕事に追われる日々を過ごしている。
今日は数年ぶりに実家に帰ってきた。朝っぱらから親の質問攻めにあったり、納屋の整理を頼まれたりして疲れた私は、家の前でひっそりと煙草を吸っていた。
あの頃と変わらない風景にうんざりしながら、昼下がり、空に向かって煙を吐く。
「ねえ」
突然、声がする。
そこには少年が一人、臭いものを追い払うように手を顔の前で振りながら立っていた。
「なんでタバコ吸ってるの」
どこかで聞き覚えがある、いや、言い覚えがあるセリフに、思わず口角が上がる。
ポケットから灰皿を取り出して火を消す。
ああ、なるほど。
今となっては、あの時のおじさんの気持ちもわかる気がする。
「なんでだろうね」
その私の言葉に首を傾げる少年を横目に再び空を見上げる。
なんだか今日は、太陽がいつもより輝いてる気がした。
どうもk4rintoです。
短編6作目です。
これまでのより結構短めですね。
心身共に健康に気をつけてお過ごしください。