第256話 真インフェルノ対片翼の天使 その3
ヒーラーが倒れても、タンクが倒れても、ギルドマスターが倒れても、真インフェルノの攻撃はやむことも、緩むこともなかった。奴の牙が、爪が、尻尾が、一人、また一人と、ユニオンメンバーを葬り去っていく。
――そして、ついに最後の一人が崩れ落ちた。
さっきまであれほど統率の取れた動きを見せていた十八人のユニオンが、あのブレスをきっかけにわずかな時間で全滅。
これがHNM――いや、真インフェルノという存在の恐ろしさなのだ。
俺達四人は、ただ黙って、悠然と泉のほとりを闊歩する真インフェルノの姿を見つめていた。
「……あの『片翼の天使』が、こうも簡単にやられるなんてな」
メイの低い声が、静寂の中でやけに重く響く。
誰もが同じことを思っていた。
聖域でのインフェルノ戦のことを考えれば、おそらく真インフェルノも体力低下に応じてさらに苛烈な攻撃を繰り出してくることが予想される。だが、今のバトルはまだそこにすらたどり着いていない。つまりまだ本気の攻撃を仕掛けてきていない真インフェルノ相手に、三大HNMの一角がこうもあっさりとやられたということだ。
「……さすがに、攻略情報がほとんどない状況では仕方ありませんよ」
ミコトさんの静かな声が、現実を突きつける。
ただレベルを上げるだけで勝てるRPGなんて三流だ。この「アナザーワールド・オンライン」では、正しい情報を得て、適切な行動を積み重ねなければ、倒せるレベルの敵であっても簡単には倒せない。
だけど――真インフェルノ相手に、その情報を手に入れるのに、いったいどれほどの犠牲を払わなきゃならないんだ?
そして、そうやって血で築いた情報を積み重ねても……本当に勝てるのか?
目の前の真インフェルノは、ただのHNMではなく――ただの、怪物にしか見えなかった。
「ショウ!」
背後から響いた声に、我に返る。
一度聞いたら忘れられない、フィジェットの声だ。
チャット越しではない。生の声。
振り向くと、ねーさんを先頭に「ヘルアンドヘブン」のメンバーがこちらに駆け寄ってくるところだった。
「『片翼の天使』の連中はどうなった?」
俺のもとに駆け寄ったねーさんに、言葉を返す代わりに後ろへと視線を向ける。
そこには、泉の水を悠然と啜る真インフェルノと、その足元に無残に転がる死体の群れがあった。
「……ちっ、間に合わなかったようだね」
ねーさんが舌打ちする。
フルユニオンでの戦闘データは、貴重な情報の宝庫だ。
ねーさん達も、できるなら自分の目で確認したかったのだろう。
そういう意味では、俺達は一部始終を見られただけでも幸運だった。
……もっとも、その幸運を活かす術は今のところないが。
「あいつら、どれくらい真インフェルノを削れたんだ?」
「……五パーセントってところかな」
「たったのそれだけか。……また詳しく教えてくれよな。何か礼くらいはするし」
「いや、そんなのタダでいいよ」
ライバル関係にある三大HNMギルド同士なら、情報を共有するなんてあり得ない。
けれど、俺達と「ヘルアンドヘブン」は敵対関係にあるわけじゃない。むしろ、俺としては――彼らとは友好関係にあると思っている。
だからこそ、彼女達の役に立つのなら、今日見たことくらい、いくらでも話してやるつもりだった。
「そうか……助かるよ」
ねーさんは柔らかく微笑んだ。
「……ねーさん達も、真インフェルノとやるつもり?」
北の砦で会ったとき、ねーさんは確かに「一度戦ってみてもいい」と言っていた。
だが、今の彼女達は二パーティ――十二人。
十八人の「片翼の天使」でさえ、あの有様だった。勝てるはずがない。
情報収集が目的だとしても、仲良くなったプレイヤーが無惨に散るのは見たくない。
……ただ――そこに俺達四人が加われば、十八人のフルユニオンには届かないまでも、三パーティ十六人のユニオンが組める。
もし、ねーさんが誘ってくれるのなら――
「いや、今回はやめておく。『片翼の天使』のあの累々たる屍を見せられては……さすがに、戦う気も失せるってもんだよ」
ねーさんの言葉に、安堵と、ほんの少しの失望が入り混じる。
冷静に考えれば、いくら破天荒なねーさんでも、勝ち目のない戦いに他のギルドの人間を巻き込むような真似はしない。
そんなこと、頭ではわかっている。
――わかっているのに。
それでも、ほんの少しだけ胸の奥で思ってしまった。
「もしかして、俺達なんて戦力として見られてないんじゃないか」って。
その後、俺達は真インフェルノが飛び立つまで、ただ黙ってその姿を見つめ続けた。
ちょっとした動きでも、何か攻略のヒントになるのではないかと信じて。
やがて、ゲーム内で空が赤く染まりはじめたころ――真インフェルノはゆっくりと翼を広げ、火山の方へと飛び去っていった。
その巨大な影が森を覆い、やがて静寂だけが残る。
その頃には、デスペナルティでドロップした金を回収するため、「片翼の天使」のメンバーが数人やって来ていた。おそらくギルドチャットで新エリアにいるメンバーへ呼びかけていたのだろう。大所帯のギルドだからこそできる連携だ。
だが正直、俺は死体が消えたあとで他人の落とした金を拾う気なんてなかった。
どんなにそれがシステム上の正当な行為だとしても――あの戦場の光景を見たあとでは、ただのコソ泥にしか見えやしない。
その後、俺達はねーさん達と別れ、何事もなかったかのように狩りを再開した。
新エリアのモンスターを倒し、素材を集め、淡々と時間を過ごす。
けれど、その最中にも、俺の心はずっとざわついていた。
――あっさり負けはしたが、ルシフェル達が羨ましい。
彼らは少なくとも、真インフェルノと戦うという「スタートライン」に立っていた。
俺はまだ、そのラインにすら届いていない。
聖域で奴にトドメを刺したときの手の感触はまだ覚えている。
今度も、奴を最初に倒すのは俺でありたい――そう思うのに、俺にはその手段がないことを今さらながらに思い知らされる。
 




