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第240話 風呂上がりの不意打ち

 脱衣所代わりの洗面所の扉が閉まる音がした。

 たいして厚くもない扉の向こうで、これからクマサンが裸になる――そう想像しただけで、頭がどうにかなりそうだ。

 いや、そんなことを考えるのが失礼だってわかってる。わかってるけど……この状況で想像しない男がいるか? いや、絶対にいない!

 ラブコメなら、主人公がうっかりと扉を開けてしまったり、女の子の悲鳴に慌てて飛び込んでしまったり――そんなラッキースケベ展開が定番だ。けれど現実では違う。もし悲鳴が上がったとしても、俺ならまず扉の外から声をかける。

 ――そんな考えが頭を巡っているうちに、服を脱ぎ終えたのだろう、浴室の扉が閉まる音がかすかに聞こえた。

 まったく、この部屋の防音はどうなっているんだ。

 このままじゃクマサンのシャワーの音や湯舟に浸かる音まで聞こえてくるかもしれないじゃないか。


 …………


 だめだ、だめ!

 耳を澄ませてどうする!

 俺は慌ててテレビの電源を入れ、音量をいつもより大きくする。

 これなら風呂の音は聞こえはしないだろう。

 たとえ無意識に風呂の方へ耳が傾いたとしても、環境的に聞こえないようにしておく――それが紳士の嗜みってやつだ。


 …………


 テレビでは台風情報が流れていたが、正直、内容は一つも頭に入ってこなかった。

 やがて洗面所の扉が開き、姿を現したのは、俺が渡した着替えに身を包んだクマサン。

 紺のTシャツは、明らかにサイズが大きすぎた。肩のラインは落ち、袖は手の甲まで隠れてしまっているのに、そのぶかっとしたシルエットと鎖骨ののぞく首元とが、彼女の華奢さと不思議な色気を同時に際立たせている。

 黒のジャージ下も同様に大きく、裾は床を擦るほど余っている。だが、その「だぼっと感」がかえって可愛らしく、腰のあたりに寄った布地がかすかに身体のラインを浮かび上がらせる。そのアンバランスさが、愛らしさの中にほんのり艶を滲ませていた。

 さらに、まだ完全に乾ききっていないショートボブの黒髪が、濡れたように光を反射し、風呂上りの頬は上気して赤らんでいる。

 ――普段の彼女とはまるで違う。幼さと大人びた色香が同居する、思わず目を奪われるようなクマサンだった。

 俺は言葉もなく、ただ新鮮なその姿に見とれてしまう。


「お先にいただきました」

「……ああ」


 ご丁寧な彼女に返せたのは、そんな間抜けな相槌だけだった。


「……えっと、着替えを入れる袋か何か貸してもらえるかな?」


 ……はて?

 渡した着替えはすでにクマサンが着ているじゃないか――なんて一瞬戸惑ったが、すぐに理解する。

 そうか、さっきまで着ていた服のことだ。

 本当なら「脱いだ服」と言えばわかりやすいのだろうが、この状況で女の子自ら「脱いだ服」なんて口にするのは、さすがに気恥ずかしいのだろう。


「ちょっと待ってて」


 俺は慌てて立ち上がり、紙袋でも探そうとしたが、すぐに思い直す。

 クマサンが脱いだのはパーカーやキャミ、ショートパンツだけじゃない。見えていなかった下着もそこに含まれている。紙袋のように口が開いた袋では中が見えてしまうかもしれない。余計な心配をさせないためにも、ファスナーで閉じてきちんと隠せる袋を渡すべきだ。

 押し入れを探すと、ようやく見つけたのはスポーツバッグ。少し大きすぎる気もするが、大は小を兼ねる。これで問題ないだろう。


「これを使って」

「……ありがと」


 スポーツバッグを受け取ったクマサンは、安心したように微笑んだ。袋に対する憂いが解消されてのことだったら嬉しいし、俺が気を回しすぎているだけなら、それはそれで構わない。彼女が安心してくれるのならそれだけで十分だ。

 彼女が後ろを向くと、ふわりとシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。

 俺がいつも使ってるシャンプーなのに、どうしてこんなに甘く感じるのだろうか?

 そんなことを考えながら、洗面所に向かう彼女を見送った。


 しばらくして、洗面所に向かったクマサンが、少し膨らんだバッグを手に戻ってきた。

 その中にさっきまで彼女が身につけていたものが一式――下着も含めて――入っていると思うと、妙に意識してしまう。

 部屋の隅にちょこんとバッグを置く彼女を横目で見ながら、心を落ち着けようと深呼吸する。

 幸いにも(?)俺はクマサンの下着を見たことなんてない。だから、あのバッグの中にどんな下着がしまわれているのかリアリティをもって想像することはできない。思春期の中学生でもあるまいし、根拠のない妄想をしても不毛なだけだ――そう言い聞かせる。


 けれど、次の瞬間気づいてしまった。


 ――今のクマサンは、俺が渡したあの下着を穿いているんだ!


 未使用とはいえ、色も形も知っている。

 つまり今の俺は、クマサンの下着姿を明確にリアリティを持って想像できてしまうわけで――


「俺もお風呂に入ってくる!」


 思考を断ち切るように叫び、俺は洗面所へ飛び込んだ。

 あのまま彼女を見ていたら、想像が暴走してしまっていたに違いない。危なかった。


 ゲームの中ではクマサンは、俺にとって一番の親友。

 その大切な存在を、下品な妄想で汚すわけにはいかない。


 ……ゲームの中では親友……か。

 じゃあ、リアルでは?

 リアルでも親友? Vチューバーのパートナー? それとも――


 俺は頭のモヤモヤを服と一緒に脱ぎ捨て、浴室の扉を開いた。


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