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第233話 完成した楽譜

 その後もバーバラさんは、キャサリンが語る祖母との思い出話に、静かに耳を傾けていた。

 ローランと別れたセーラが、その後どうやってメロディアの街へ行き、キャサリンの祖父と出会い、結婚に至ったのか――それはキャサリンの話からはうかがえなかった。

 もしかすると、王都を離れたのはローランへの想いを断ち切るためだったのかもしれない。あるいは、心のどこかで彼を思い続けながらも、新天地で別の運命に導かれたのかもしれない。

 けれど、それを知ることができるのは、もうこの世にいないセラフィーナさん本人だけだ。


 キャサリンの知る限り、メロディアの街で祖母が吟遊詩人として活動していた記録はないという。彼女と結婚した祖父もまた吟遊詩人だったため、セラフィーナさんは自ら歌う必要がなかったのかもしれない。あるいは、歌えばローランを思い出してしまうからこそ、表舞台に戻らなかったのか……。

 ――すべては、もう確かめようのないことだ。


 ただ、一つだけ、はっきりとわかることがある。


「私の思い出の中にある祖母は、いつも笑顔でした。特に、あの歌を歌ってくれているとき――とても楽しそうで」


 キャサリンのその声に揺るぎはなかった。

 きっとセラフィーナさんは、満ち足りた晩年を送ったのだろう。王都を離れた当時の心境はわからない。けれど、孫の前でそれほど幸せそうに歌えたのなら、その時にはすでに、ローランとの過去は彼女にとって甘酸っぱい青春の一ページであり、大切な思い出の一つだったに違いない。


「……そうか」


 バーバラさんも、その答えに満足したのだろう。穏やかに目を細めた表情は、柔らかな安堵に満ちていた。

 セーラがどんな人生を歩んだのかをバーバラさんに教える――その約束を、俺達は果たしたのだ。

 報酬こそないが、胸の奥にはそこらのクエストクリアでは得られない、確かな達成感と充足感が広がっていた。


「――どうやらキャサリンのおばあさんが、『幻の楽譜』を贈られたセーラさんで間違いなさそうだな」

「ああ、間違いないさ。私が保証してやるよ」


 俺の言葉に、バーバラさんは力強くうなずいた。

 実際に彼女と交流のあった人物がそう断言してくれる――これ以上の確証はない。


「じゃあ、キャサリンさんがおばあちゃんから聴かされていたあの曲を、ダミアンさんの前で歌ってもらえば、今回の依頼は達成ってことですよね?」


 ミコトさんが手を叩き、ぱっと笑顔を見せる。

 確かにその通りだ。もはや『幻の楽譜』そのものを探す必要はない。たとえ紙の楽譜がなくても、キャサリンの中には祖母から受け継いだ旋律と歌詞がある。

 楽譜通りに歌っていた保証はない、という意見もあるかもしれないが、『幻の楽譜』の存在がいまだ幻である以上、贈られた当人が口ずさんでいた歌こそ、本物の『名もなき小夜曲』だと言えるはずだ。なにしろ、それを否定する証拠を誰も有していないのだから。


「キャサリン、君がおばあさんから聴いた曲――『名もなき小夜曲』を、ダミアンの前で歌ってほしいんだけど、構わないかい?」

「はい、もちろんです」


 俺の問いかけに、キャサリンは迷うことなく答えた。

 今回のクエストは、彼女自身の将来に直結する。当事者である彼女に、断る理由などないだろう。

 ――それでも、少し照れくさそうに視線を落とし、彼女は続けた。


「ただ――メイさんにピアノ伴奏をお願いしてもいいですか?」

「え……? 私か?」


 突然の指名に、メイは自分を指差し、目を瞬かせる。


「はい。……私もピアノは弾けます。でも、歌だけに集中したほうが、より良いものをダミアン様にお届けできると思うんです。それに……メイさんのピアノ伴奏があれば、とても心強いので」

「……そういうことなら、構わないけど――」


 メイは照れ隠しのように頭をかきながらも、その表情はどこか嬉しそうに見えた。

 頼られることを、彼女は決して嫌がっていない。それが音楽に関することならなおさらだろう。


「――けど、演奏するなら、楽譜にない部分を譜面に起こしてほしいんだけど、できる?」

「はい、もちろんです!」


 キャサリンは力強くうなずく。その声音には、自分が受け継いだ旋律を形にできる喜びが滲んでいるように、俺には聞こえた。


 そして、彼女の記憶の中にだけ残っていたメロディが、俺達の書き写してきた未完成の楽譜に、丁寧に書き加えられていく。

 ローランが生み出し、イザークが守り、セラフィーナが歌い継ぎ、キャサリンが受け取った曲。さらに、それらを繋ぐために動いた俺達の手で――ここに『名もなき小夜曲』の楽譜は息を吹き返した。

 これは、オリジナルの『幻の楽譜』ではない。だが、俺にはそれ以上に価値のある楽譜だと思える。


「キャサリン、曲の練習をしたいんだけど、付き合ってくれるか?」


 譜面は完成したが、ピアノはメイにとっては専門の楽器ではない。ぶっつけ本番で弾くには無理がある。彼女の頼みはもっともだ。


「もちろんですよ。私も、ピアノに合わせて歌う練習をしておきたかったので」


 キャサリンは快く応じた。そのとき――もう一人、やる気をみなぎらせた人物が口を開く。


「よし! じゃあ、私が現役の頃のセーラの歌い方をレクチャーしてやるよ。彼女が『名もなき小夜曲』を歌っているのを聴いたことはないけど、もし歌っていたらどう歌ったかは想像できる」


 そう言ってコーチを申し出たのはバーバラさんだ。

 キャサリンは祖母から直接この曲を聴いているが、それは晩年、孫に向けて優しく歌ったもの。

 だがローランが作曲したときに思い描いていたのは、王都の舞台で輝く歌姫セーラの姿だったはずだ。

 その舞台の記憶を持つバーバラさんの指導を受ければ、キャサリンの歌は、きっと当時のセーラの響きに限りなく近づく――そんな確信があった。


 こうして、吟遊詩人ギルドの練習部屋を借りて、三人による『名もなき小夜曲』の特訓が始まった。

 ただ、こうなると、俺とクマサンとミコトさんの三人はやることがない。

 少なくとも、プレイヤーであるメイが納得するまでは練習を見守るしかなかった。


 最初はメイ達の練習の様子を眺めていたが、真剣な空気の中では雑談もできない。

 やがて俺達はそっと部屋を抜け、ギルドの空き部屋で腰を下ろした。


「……俺達のパーティに、たまたまピアノが弾けるメイがいたから良かったけど、もし弾ける人がいなかったらどうなってたんだろうな」


 手持ちぶさたなまま、ふと浮かんだ疑問を口にしてみる。


「その場合は、キャサリンが自分で弾いたか、あるいはバーバラさんが弾いてくれたんじゃないかな?」

「吟遊詩人ギルドの誰かが手伝ってくれた可能性もありますね」


 別に答えを求めたつもりはなかったが、クマサンとミコトさんからすぐに返事が返ってきた。きっと彼女達もやることがなく暇を持て余していたのだろう。

 まあ、確かに二人の言う通りだ。運営側だって、その程度の救済策は用意していたはずだ。


 俺が一人で納得している間にも、一度開いた口は止まらないらしく、二人の話題は自然とダミアンのことへと移っていった。


「それにしても、ダミアンは、すぐ近くに『名もなき小夜曲』を知っている人がいるのに、それに気づかず曲を探させていたんだと思うと……ちょっと滑稽だな」

「確かにそうですね。まさに灯台下暗しです」


 クマサンとミコトさんが、くすくすと笑い合う。

 従者扱いされた件以来、うちの女性陣はダミアンを目の仇にしている節がある。こうして陰で笑われるのも、まあ自業自得だろう。

 ……もっとも、俺達だって、すぐ近くにキャサリンがいるのにわざわざ東奔西走したわけで、人のことを笑えた立場じゃない。

 とはいえ、それをわざわざ指摘すれば、今度は矛先が俺に向くのは目に見えているので、余計なことは言わない。


 ――ただ、俺の中には別の考えがくすぶっていた。


 ダミアンは、本当にキャサリンがセーラの孫だと知らなかったのだろうか?

 もし、それを知ったうえで、敢えて今回の『幻の楽譜』探しを俺達に持ちかけてきたのだとしたら――そのときは、彼の別の狙いが見えてくるような気がするのだ。


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