第227話 下書き
なんとか舞台をやり遂げた俺達は、公演終了後すぐにギルド長イザークの執務室へと呼び出された。
思わず芝居に熱が入ってしまったが、今回のクエストの目的は芝居ではない。本来の狙いは――「幻の楽譜」だ。
舞台に間に合わなくなった四人の役者の代わりをちゃんとこなせば楽譜の下書きを渡す――イザークから出されたその条件をクリアするために、俺達は今回の舞台に挑んだんだ。
「四人とも、ご苦労だった」
向かいのソファに腰掛けたイザークが、俺達をゆっくりと見渡す。
その目には、安堵の光が宿っているように見えた。
本来なら、ここで礼を言われ、下書きを渡してもらえる流れだとは思うのだが――
「舞台はなんとか最後までもっていくことができた。何事もなく無事に――とは、とても言えなかったがな」
ぎょろりとした鋭い視線が、俺に突き刺さる。
思わず背中に冷たい汗が流れ、視線を逸らしてしまう。
「……すみません。それで、楽譜の下書きの件なんですが……」
恐る恐る切り出すと、イザークは低く問いかけてきた。
「俺が言った条件を覚えているか?」
「…………」
「『ちゃんと役をこなしたら、下書きを渡す』、そう言ったはずだが?」
……もちろん覚えている。
むしろイザークに忘れてほしかったが、そんな都合のいい話はなかった。
アドリブでなんとか繋いだつもりだが、主人公ラインハルトを塔から落として舞台を台無しにしかけたという自覚はある。自信を持って「ちゃんとこなしました」と言えるほど恥知らずではなかった。
「……できるだけのことはやったんですけどね」
「だが――『幻の楽譜』を渡すわけにはいかない」
「……ですよね」
……すまない、メイ、クマサン、ミコトさん。
三人は完璧に演じ切ったというのに、俺のせいでこのルートからの攻略は失敗だ。別の攻略手段が残されていればいいんだが……。
「……ご迷惑をおかけしました」
深く頭を下げ、静かに立ち上がる。それに倣うように、クマサン達も腰を上げた。
とりあえずバーバラさんに状況を報告しよう。
ほかに糸口がないか、探ってみるしかない。
そう思って扉に向かおうとした、そのとき――
「どこへ行く?」
イザークの渋い声が俺の背に飛んできた。
「……とりあえず、バーバラさんに、俺の失敗で下書きは手に入らなかったと報告をしにいこうかと」
「確かに、見事な舞台だったとは言えん。だが――失敗というほどでもないな」
「え……?」
「あれはあれでショーンの悲哀が描かれていて良かったと言ってるやつもいたし、俺も最後の演技には不覚にも見入ってしまった」
……なんだ、この流れは?
単なるお世辞とは思えない。
だが、さっきあれほどはっきり「渡せない」と言い切った彼が、考えを変えるとも思えない。
「……はあ、ありがとうございます」
一応、礼を言ったが、イザークの真意は読めない。
「結果的に、お前達のおかげで舞台が成立したのは事実だ。感謝している。……『幻の楽譜』は渡せないが――見せるだけなら構わないぞ」
「え……?」
「お前達は下書きそのものが欲しいわけじゃないだろ? 書き写す程度なら、許可しよう」
……そうだった。
俺達の目的は「幻の楽譜」に書かれた『名もなき小夜曲』をダミアンに聴かせることであって、楽譜を手に入れることでもなければ、ましてやその下書きを入手することでもない。
見せてもらい、必要な情報を写し取ればそれで十分なのだ。
そして、イザークは――俺達の芝居を、下書きを見せるに足るものだと思ってくれたということだ。下書きを見せてもらえるのも嬉しいが、イザークに評価してもらえたこともまた嬉しかった。
「あ、ありがとうございます!」
喜びと安堵が一気にこみ上げる。
こうして、俺達四人の芝居は、無事に「幻の楽譜」へと繋がっていったのだった。
「これが『幻の楽譜』の下書き……!」
俺達はイザークに案内され、吟遊詩人ギルド内の収蔵庫に足を踏み入れた。
そこは外光の差さない静謐な空間で、照明は魔法の淡い光だけ。
空調も風魔法によって管理されているのだろう、古い紙特有のカビ臭さなど一切ない。むしろ、乾いた紙と革の匂いが、どこか清々しく漂っていた。
そして、俺達はついに、その場所で羊皮紙に記された楽譜を目の当たりにした。
タイトルは――『名もなき小夜曲』。
走り書きの文字はやや乱れ、五線譜の上に描かれた音符もところどころ歪んでいるが、それはあくまで下書きゆえの荒さだ。実際に奏でてしまえば、それが清書か下書きかなんて関係がない。
「これでようやくダミアンにこの曲を聴かせて、キャサリンを自由の身にできる……」
長かったがようやくここまできた。
音楽の素養がない俺には、正直なところ、この譜面がどんな曲なのかまるで見当がつかない。
けれど、俺が演奏する必要なんてどこにもない。腕の立つ演奏家は王都にも、メロディにもいる。なんならキャサリン自身に演奏してもらってもいい。
これでようやく問題解決――そう思ったときだった。
「――待ってショウ。この曲は……まだ完成していない」
静かに、けれど真剣な口調で、メイが言った。
「……え?」
戸惑う俺に、彼女は一枚の楽譜の下部を指差す。
「ちゃんと見て、最後の部分を」
促されるまま視線を落とすと――五線譜の途中で、音符は唐突に途切れていた。
その先は、音も旋律も記されていないまま、ただ空白の五線譜が続いているだけ。
「……ここまでで曲が完成しているってことなんじゃ?」
あらかじめ五線譜を引いて、これで完成と思ったところで筆を止める。下書きならそういうことだってあるはずだ。俺はそんな淡い希望を口にするが――メイは静かに首を振った。
「――この楽譜には、一番大事なサビの部分が書かれていない。これは下書きというより……作りかけの、未完成の楽譜よ」
バンドをやっている彼女なら、俺と違って、楽譜を見ただけで音の構造や意図もわかるのだろう。その彼女が「未完成」と判断するなら、きっとそれが真実だ。
「せっかくここまで来たのに……」
思わず、肩の力が抜けた。
ようやくたどり着いた『幻の楽譜』の下書き。
けれど、そこに記された旋律は――まだ、物語の途中だった。




