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第169話 役割選択

 いよいよ運営イベントの当日がやってきた。

 土曜日の夜。多くのプレイヤーにとって、最もゲームに集中しやすいゴールデンタイムだ。街には普段よりも明らかに人が多い。誰もが胸を高鳴らせながら、この夜を迎えているのがなんとなくわかる。

 おそらく、彼らも皆、これから始まるイベントへの期待を抱いているのだろう。


 過去の運営イベント――たとえば「お月見」や「お花見」では、イベントの間、参加は基本的に自由だった。プレイヤーは好きなときにふらっと参加でき、途中でやめても誰にも咎められることはなかった。モンスター討伐のあとにちょっと加わったり、最初の雰囲気だけ味わってログアウトしたり、楽しみ方はそれぞれだった。

 しかし、今回は違う。

 イベント名「チャリオット」。参加には、「申請」が必要だと明記されていた。

 そして、その申請受付は、イベント開始の一時間前――ルールが発表された瞬間から、開始の直前までの限られた期間にしか行えない。

 だからこそ、俺達は早めに集まっていた。

 お馴染みの三つ星食堂、個室の一室。

 落ち着いた照明のもと、木目のテーブルを囲んで座る四人――クマサン、ミコトさん、メイ、そして俺は、いつルールが発表されるのかと、今か今かと待ち構えていた。


 正直に言おう。

 今日は朝から、ずっとそわそわしっぱなしだった。

 どんなイベント内容なのか、どんな戦いが待っているのか、想像が追いつかない。けれどそれ以上に、この三人と共に挑めるという事実が、妙に胸を弾ませていた。

 ……いや、恥ずかしいけど、本当に楽しみだったんだ。


「そろそろ時間だよな」


 思わず口をついて出て独り言に、向かいの席からすかさず声が飛ぶ。


「……ショウ、それを言うの、もう五回目な」


 クマサンが、いつものぶっきらぼうな口調でツッコミを入れてくる。

 でも、俺は気づいている。クマサンの肩がほんの少し揺れているのを。きっと、意味もなくステータスウィンドウを開いては閉じてを繰り返しているのだろう。

 俺と同じくらい、クマサンもこのイベントを楽しみにしているんだ。


「とりあえず落ち着けって。開始時間まではまだ一時間以上あるんだぞ。ルール説明がきても、ゆっくり読む時間はあるんだから」


 冷静な声で、そう諭してきたのはメイだった。

 言葉も表情も、いつもと変わらない。幼い見た目のキャラアバターとは裏腹に、その落ち着きはやはり大人のものだ。……まぁ、俺のほうが年上なんだけど。

 ミコトさんは、というと。

 隣の席で黙って虚空を見つめている。ただ空間を見つめているだけなのか、開いたウィンドウを見ているのかは判別がつかない。期待と緊張の入り混じった表情を浮かべながら、小さく息を吐いている。ただ、その気持ちだけは、手に取るようにわかる。

 だって、俺達は今、同じ時間を、同じ想いで過ごしているんだから。


 そして――


「きましたっ!」


 弾むような声が、部屋の空気を一気に変えた。

 ミコトさんの顔がぱっと華やぐ。その声を聞くまでもなく、俺の目の前にもそれは現れていた。


【イベント「チャリオット」ルール説明】

【読みますか? はい/いいえ】


 目の前にそんなシステムメッセージが浮かび上がっていた。

 イベントに参加するつもりのないプレイヤーなら、ここで「いいえ」を選べばいい。ただそれだけのことだ。

 ルール説明のウィンドウも表示されず、以降はイベントに干渉されることなく、通常通りのプレイが行える。

 実際、この手の運営イベントでは、そっちの方が「得」だと考えるプレイヤーもいる。なにせイベント中は、狩場が驚くほど空く。普段は混雑している人気の狩場も、快適そのものになる。経験値稼ぎや素材集め……やることはいくらでもある。

 それに、運営イベントに参加しても、多くの経験値やレアなアイテムが手に入るわけじゃない。せいぜい、特別な称号が手に入るくらいのものだ。

 それでも、俺は迷わなかった。

 たとえ「損」だったとしても、たとえ「効率」が悪くても――この機会だけは、絶対に逃したくなかった。

 運営イベントは、一期一会だ。同じ内容のイベントが、再び開催されることはない。

 その日、その瞬間にしか味わえない体験が、確かにここにある。

 それに――今回は、クマサン、ミコトさん、メイという、俺にとってかけがえのない三人と一緒に参加できる。それだけで、もう十分すぎるほどの価値があった。

 俺は躊躇いなく「はい」を選択した。


 ウィンドウがふわりと切り替わり、「チャリオット」のルール説明が表示される。

 なかなかの文章量だ。ウィンドウの右下には、改ページのマークが表示されている。複数ページにわたる本格的な内容らしい。

 黙って文字を追う。視線の隅にちらりと仲間達を見ると、三人とも同じように集中した表情で、それぞれのウィンドウに向き合っているようだった。

 言葉はなくとも、共有している時間と緊張感が確かにそこにあった。

 小さな個室に、静かだが熱のある時間が流れる。


 運営イベント「チャリオット」――簡単に言えば、パーティ単位で戦闘馬車「チャリオット」に乗り込み、ほかのプレイヤー達と戦いながら、最後まで生き残ることを目的としてバトルロイヤル形式のPvPイベントだった。

 この『アナザーワールド・オンライン』において、初めてのPvPイベントと言っていい。

 とはいえ、敗北したとしてもキャラクターが死ぬわけじゃない。あくまでゲームから脱落するだけで、ペナルティなどは存在しない。だからこそ、思い切って挑戦できるというものだ。


 また、チャリオット乗車にあたり、プレイヤーには明確な役割分担が求められていた。

 まず、必須の役割が二つある。

 一つは「御者」。チャリオットを操縦する者だ。

 御者は戦闘には一切関与できない。攻撃もスキルも使えず、ただひたすら操縦に徹する存在だ。逆に言えば、非戦闘職のプレイヤーでも参加しやすいポジションとも言える。おそらく、運営側もその点を考慮してこの役割を用意したのだろう。

 そして、もう一つ必須の役割が「王」だ。

 この「王」が倒された瞬間、そのパーティは即座に敗退となる。降車は許されず、王は常にチャリオット上に留まり続けなければならない。だが、その戦闘能力に制限はない。攻撃もスキルも使用可能だ。だが、その存在は象徴であり、パーティの命そのもの。王を守り切らなければ、勝利はない。

 イベントの参加人数が最低でも二人必要なのは、この「御者」と「王」が必須だからだろう。

 そして、三人、あるいは四人のパーティで参加する場合、残るプレイヤーは、ほかの役割に自由につくことができる。それが、「従者」「攻撃者」「防衛者」「補助者」の四つだ。

 「従者」は特別な制約がなく、所持しているスキルも自由に使えるオールラウンダー。戦況に応じて臨機応変に動けるのが強みだろう。

 「攻撃者」は、その名の通り攻撃に特化した役割だ。王や仲間を守るような行動や回復は行えないが、そのぶん攻撃に補正がかかる。

 「防衛者」はその対極にある。攻撃には加われないが、回復スキルには補正がかかり、さらに王を守るための特殊行動――いわば護衛としての能力が備わっている。

 そして「補助者」は、ほかとはまた異なる立ち位置だ。自身のスキルは使えなくなる代わりに、チャリオットの速度を上昇させたり、搭載された武装を操作して攻撃したり、パーティ全体の能力に干渉するチャリオット専用スキルが使用可能となる。これも「御者」と同様、非戦闘職のプレイヤーでも活躍の機会を得られるように配慮された役割なのだろう。

 これらの役割を見る限り、運営はPvPイベントの開催に際して、非戦闘職の多く存在するこのゲームにおいて、誰もが参加できる仕組みを意識していたことが伝わってくる。

 だが、この説明を見て、まさに今、頭を抱えているプレイヤーもいるだろう。

 ルール上、どう考えても四人フルメンバーでの参加が有利になる。告知に「四人推奨」と記されていた理由が、腑に落ちた。それを素直に受け、四人パーティを用意していたプレイヤー達はいいが、二人や三人で参加しようとしていたプレイヤーは、慌てて追加メンバーを探しているかもしれない。

 また、全員がヒーラー、全員がアタッカーといった偏った構成で組まれていたパーティも戸惑っているだろう。始まってみないと実際にはどんな職業のどんな役割が有利なのかはわからないが、最低限のバランスは必要だろう。大規模ギルドであれば、このルールを読んだ段階で、メンバー編成を見直し始めているかもしれない。


 その点、俺達のギルドに、余計な選択肢はなかった。

 この四人以外に誰もいない。メンバーの入れ替えを考える必要などまったくなかった。

 しかし、誰がどの役割を担うのか――それは問題だった。


「――さて、役割をどうしようか?」


 全員がルール説明を読み終えたのを確認し、俺が切り出した。


「御者は私がやるよ」


 手を挙げたのはメイだった。彼女は「補助者」を担うこともできるが、それでも結局誰かが御者をする必要がある。それを考えれば、最も妥当な人選だと俺も思う。


「これでも運転には自信があるんだよ。ちゃんとゴールド免許なんだぞ」


 なるほど。メイは免許所を持っていたのか。ちなみに、俺も車の免許を持っていて、同じくゴールド免許だ。まぁ、マイカーもなく単に運転していないからなんだけどね。


「任せたぞ、メイ。ここには道路交通法もないし、好きに暴れてくれて構わないからな」

「ふふ、言ったな? じゃあ、遠慮なく『峠の夜叉姫』と言われた私の運転テクニック、見せてやるよ!」


 ……峠の夜叉姫?

 え? えぇ? なにそれ怖い。

 えっと、それって「頭文字D」や「マリオカート」ようなゲームの話かな? うん、きっとそうなんだろうなー。

 俺は何か危険な香りがしたので、その二つ名には触れないことにした。


「俺達の構成的に、ショウは『攻撃者』で決まりだな」


 そう口にしたのはクマサンだった。続けて、ミコトさんも静かにうなずく。


「そうですね。私達の中で、まともに攻撃ができるのはショウさんだけですしね」


 二人の視線が、自然と俺に向けられる。まっすぐで、どこか期待を滲ませた目だった。

 以前の俺なら、苦笑いしてこう言っていたかもしれない――「料理スキルは人には使えないから」と。だが、今は違う。俺にはアレがある。

 「狂気の仮面」。この装備さえあれば、俺の料理スキルは対象を選ばない。今回のイベントでも、その効果は変わらないはずだ。


「ああ、任せてくれ! 俺の力で、みんなを勝たせてみせる!」


 三人が頼もしげにうなずいてくれた。その瞳に浮かぶ信頼が、素直に嬉しかった。

 残る二人――クマサンとミコトさんの役割だ。これがなかなか悩ましいところだった。


「どっちかが『王』で、残りが『防衛者』だよな……」

「ああ、そうだな。でも、問題はどっちがどっちをするかだ」


 俺とメイは、無意識のうちに同じような仕草で腕を組み、クマサンとミコトさんをじっと見つめた。まるで答えが顔に書いてないかと探るように。

 クマサンが王なら、生存力のある「鉄壁の王」となるだろう。そこにミコトさんの回復が加われば、その王はそう簡単には倒されない。ただし、ミコトさんを先に落とされた場合、回復の要を失い、徐々に削られていくのは目に見えている。そのため、ミコトさんは「防衛者」でありながら、王を守るような防衛行動は取りづらい。

 一方、ミコトさんが王なら、クマサンがその鉄壁の防御力で彼女を守り、ミコトさんは傷ついた俺達を後ろから癒し支えることになる。ただし、ミコトさんが直接攻撃を受けるようなことになれば、クマサンが王の場合よりも簡単に沈む可能性が高い。思わぬ事故がありえる役割分担とも言える。

 なかなか難しい選択だ。


「……二人は、どっちの役割がいい?」


 こういう時は、本人達の希望を聞くのが一番だ。やりたいと思える役割のほうが、モチベーションも上がり、より良い成果も出る。

 だけど――


「ん~、ルール説明だけではどっちがいいのか判断できず、困りましたね」


 ミコトさんが困り顔で小首を傾げた。

 だが、クマサンは迷いなくまっすぐ俺を見つめていた。


「……ショウが決めてくれ。俺は、ショウが決めてくれた方でいい」

「あ、じゃあ、私もショウさんの判断でいいです! お願いしますねっ」


 えっ、ちょっと待って? 二人して急にそんな……。

 気づけば、俺は二人から熱い視線を受ける立場に立たされていた。軽く視線を横にそらしてメイに助けを求めるも、彼女は肩をすくめて一言も発さず、その目が「お前の役目だろ」と静かに告げてくる。

 ……マジか。

 小さくため息をつき、俺は改めて思案を巡らせる。

 これは誰もが初めてのイベントだ。攻略サイトもなければ、先行プレイヤーの報告もない。何が正解で何が地雷かなんて、やってみなければわからない。――ならば、考えるだけ無駄だ。理屈じゃない。今は直感で行くべきだ。

 クマサンとミコトさん、どちらが「王」――この場合は「女王」というべきだろうか?――に相応しいか。

 クマサンが王なら、とても頼りになる王だ。俺は相手を倒すことだけに集中できるだろう。

 だが、ミコトさんにはミコトさんの魅力がある。彼女のためなら、腕が千切れたとしても包丁を振り続けるとさえ思える。彼女の手が穢れずに済むのなら、いくらでもこの手を血で染める――そう思える存在だ。

 どちらが「王」に相応しいか――それはもう、好みの問題なのかもしれない。

 だが、そのとき俺の中に、ふと鮮やかなビジョンが浮かんだ。

 俺が矛なら、クマサンは盾。俺が右手なら、クマサンは左手、二人で一つ身体のように、自然と補い合い、支え合う関係。戦場で背中を預けられる相棒は、クマサンしかいない。そんな確信にも似た感覚が、胸の奥にストンと落ちた。


「……よし。じゃあ、決めた!」


 思い切って声を上げた俺に、三人の視線が集中する。


「ミコトさんが『王』で、クマサンが『防衛者』だ!」

「了解です!」


 ミコトさんはぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに手を胸元に添えてうなずいた。


「ショウさん達に守ってもらえる王だなんて、なんだか光栄ですね!」


 ――あれ? ずいぶんノリノリだな……。

 一方、クマサンはというと、口を尖らせて少し不満そうな表情を浮かべていた。どうやら、本当は別の役割を希望していたのかもしれない。……それならそれで、先に言ってくれればよかったのに。まあ、さすがに口には出さないけど。


「……ミコトのほうがお姫様みたいだしな」


 クマサンがぽつりとこぼしたその一言を、俺は聞き逃さなかった。


「クマサンには、俺の隣で一緒に戦ってほしいからな」


 その言葉は、自然と口から漏れていた。飾り気のない、心からの本音だった。


「俺の隣はクマサンしか考えられなかった」


 その瞬間だった。

 クマサンの表情が、ぱっと変わった。

 強がりも、照れ隠しも追いつかないほどに、あまりに素直な喜びの顔。そんな表情を見たのは、これが初めてかもしれない。


「みんな、勝ちに行くぞ!」


 クマサンが声を張り上げ、空気が一気に引き締まる。

 何がどう作用したのかはよくわからないが――とにかく、クマサンのやる気が爆上がりしたことだけは確かだった。

 ともかく、これで心置きなくイベントに臨めるというものだ。


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