1:プロローグ(1)
ちなみに、昔書いた↓の短編を少し設定変更して、後日談を本編として追加したものになります。
【とある撃墜王と戦後の空】
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あと数十秒後には戦闘開始となる。
操縦桿を柔らかく握ったまま、トキマ=クロノは浅く静かに息を吐いた。
雲一つ無い快晴。視界を遮るものは無し。つまり、相手もこちらも隠れる場所は無い。空戦の状況としては最高で、最悪だ。
もっとも、見る者にとって最高の状況であることは否定しない。飛行場は観客で随分と賑わっていた。「絶好の空戦日和ですね」と言ってきた記者には、曖昧な笑顔しか浮かべられなかったが。
正直言って、チャンピオンという称号はあまり実感が湧いていない。撃墜王と呼ばれたとしても、同じ事だろう。
それはきっと、空戦の腕で勝てないと思ったパイロットを知りすぎているせいだ。
そして、その多くのパイロットは既にこの世にいない。祖国ヤハールと、ここミルレンシアの間で起きた戦争中に命を落とした。自分が奪った命も含めて。
しかし、インタビューにはもう少し上手く受け答え出来るようにした方がいいとも思う。「勝てそうですか?」という問いに対し「分かりません。いつも通りやるだけです。相手の出方を見て、決して諦めずに、心を落ち着けて精一杯戦います」では、華が無いらしい。そう答える度に、記者に苦笑いが漏れているのだから。
「もっとも、どう答えればいいのか、分からないんだがな」
トキマは呟き、苦笑した。
エンジンの調子はいい。異音も、リズムの外れた振動も一切無い。プロペラは軽快に回っている。離陸前にも確認したが、空でも各補助翼の動きも意思の通りに動いてくれる。整備員達はこの"翔鷹"を万全の状態に仕上げてくれた。
《赤コーナー。ターニングポイントの通過を確認。高度、問題なし》
地上から無線が入った。
トキマは速やかに、上昇しながら左旋回を行う。定石通りだが、少しでも高度を取りたい。
《青コーナー。ターニングポイントの通過を確認。高度、問題なし》
挑戦者も問題なくターニングポイントを通過した。互いに背面で、どのような機動、作戦を取っているのかは見えていない。
トキマは旋回しながら顎を上げ、挑戦者がいるであろう空域へと視線を向けた。探すのは濃紺の機体だ。
逆に、挑戦者もこちらの深紅の機体を探していることだろう。
もっとも、競技エリアが広すぎても観客からは機影が見えない。敵機が「いる」ことが確実で、尚且つ視界の限界を超えた空域にいないことが確実なこのルールでは、実際の戦場に比べれば探し出すのは容易だが。
トキマは90度の変針を終えたところで、挑戦者の姿を見付けた。ターニングポイントから、ほぼ上昇を続けていたようだ。
やはり上昇力は自分が乗っている機体よりも上だと、トキマは判断した。
挑戦者も万全の状態に機体を仕上げてきたのだろう。優秀な整備士が整備した機体に、優秀なパイロット。やはり、今回も楽に戦える相手ではなさそうだ。
挑戦者の上昇が緩やかになった。
ほぼ点でしか見えないので正確な機動は分からないが、ループへと移行したのだろう。どうやら、挑戦者もこちらの姿を確認したらしい。
トキマは左旋回と上昇を続けた。挑戦者のいる空域へと機体を向ける。
ループする挑戦者とは進行方向は完全には正対しない。早撃ち。つまり、一か八かとなるような反航戦は避けたい。
挑戦者の作戦は、予想が付く。こちらも、ある意味ではセオリー通りだ。高い上昇性能と降下速度を生かし、高高度からのダイブでこちらを仕留めるのだろう。
トキマは進行方向を挑戦者の正対から僅かに逸らした。その初撃を躱し、旋回して下降から上昇へと移るその瞬間を狙う。
先手を取られるのは気に入らないが、現状で打てる手がこれくらいしかない。覚悟はしていたが。
そして、ここに勝機があると判断したからこそ、相手も挑戦してきたのだろう。
トキマは、すれ違うであろう挑戦者の機体を俯瞰した。焦点を絞り、視野を狭めるような真似はしない。戦場の経験だ。視野を狭めて、死角から撃墜されては堪らない。
その瞬間、トキマは背筋に嫌な寒気を感じた。
動揺はしない、操縦桿を持つ手に乱れは無い。動揺は被撃墜に繋がるからだ。一呼吸だけ、素早く息を吸って心を落ち着ける。
挑戦者の更に上空。有り得ない物があった。黒い点。
トキマは即座に無線へと口を開いた。
「管制、中止を要求する。挑戦者の後方。正体不明機が交戦エリアに侵入している」
《こちら管制、直ちに確認する。判断が確定するまで、試合は続行せよ》
「了解」
不利を誤魔化すための嘘ではないことが確認されるまで、戦いは続けなければならない。そのルールは理解している。どちらか一方が有利、不利な位置となった途端に中止と出来るなら、試合は成り立たない。
だがそれを理解した上で、トキマは苛立つものを感じた。
無線で伝えてから、時間にして数秒しか経過していないだろう。しかし、その一秒一秒が、妙に長く感じる。「まだか、早くしろ」と怒鳴りたくすらある。
挑戦者の乗る機体の姿が徐々に大きくなってきた。あと十数秒もすれば互いの射程圏に入ることだろう。
挑戦者の機動に乱れは無い。存在の不確かな妨害者に試合を中止される、あるいはそちらに意識を向けてしまうことより、こちらに弾を当てることに集中しているのだろう。判断に迷いは見られなかった。
濃紺の機体から注意を逸らすことなく、その上空の機体にも目を向ける。
トキマは息を飲む。
それは有り得ない機体だった。同時に理解する。はっきりと判別出来ていないうちから、本能が警告を発していたのも当然だ。
「試合は中止だっ! 挑戦者にも伝えろっ!」
《なにっ? これは? こ、こちらも確認した。直ちに中止だっ!》
その次の瞬間、濃紺の機体に火線が降り注がれた。機体が発火。続いて白い煙を噴いた。自動消火装置が働いたのだろう。
重力に導かれるまま、濃紺の機体はゆっくりと地上へと落下していく。
《実弾だとっ? 逃げろ、チャンピオン》
実弾なのは、この目で見たから分かっているとトキマは思った。
この空戦競技では、防弾版と防弾ガラスを破る可能性が低い、極小口径のペイント弾を使用している。深紅と濃紺の機体では、どちらも平原の上空では見付けやすいし、白いペイントが付着すればどちらが撃墜されたのかは明らかだ。
だが、そんなペイント弾で「本当に撃墜」させるのは無理だ。
そして、この場から逃げるのも不可能だ。
目の前にいる、緑がかったグレーの機体の正体。それは、四年前の戦争末期に登場し、ミルレンシアの首都防衛戦で多大な戦果を上げた機体だ。機体の名称はブリッツ・シュヴァルベ。雷の燕という意味を持つ機体は、非常に高い上昇性能と降下性能、最高速度を誇っている。
三日月型の後退翼を持つシルエットは特徴的で、当時はトキマもその姿を叩き込まれた。
《チャンピオン。聞いているのかっ!》
トキマは、変針しない。
逃げられないのだから、戦うことしか出来ない。ここで反転して尻を向ければ、それこそ確実に撃墜される。
覚悟は、既に決まっている。