冴えないサラリーマンが転生して誰もいない田舎でスローライフを送るやつ
唐須井真は少し黒めな企業に勤めるごく普通のサラリーマンだった。
年は30手前で独身であったが、相手はいないのかと親が五月蠅いことを除けば概ね生活に満足していた。彼の生きがいは休みの取れた週末にバイクを走らせることであり、時間さえ許せば丸一日走り続けることもあった。
そして旅からの帰路に就いていたある夜、唐須井は居眠り運転のトラックに轢かれ愛車と共に生涯を終えた。
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目が覚めると唐須井の目の前には女神がいた。
彼女はまさしく天女の羽衣と呼ぶべき純白の衣装に身を包んでいた。奥行きの掴めないこれまた真っ白な世界においても、美という概念そのものである彼女の存在感と容貌は際立っていた。
彼女は唐須井を見やると儚げに顔を歪め、善良な人間は生まれ変わり新たな生活を送ることが出来ると告げる。そして転生先の条件について唐須井にいくつか質問をおこなった。
しかしながらそれは純粋な善意によるものではない。単に彼女の仕事だからである。
天寿を全うすることなく消えてしまう魂を転生させ、次の人生に満足したら天国へと旅立たせる。それは色褪せた未来しかなさそうな冴えないアラサーであっても例外ではなかった。
しかし女神の質問に対面の男は何も答えなかった。
否、答えられなかった。
これまでの人生は彼女と出会うためにあったのだと、もし数時間前の彼が聞いていたら鼻で笑ったのち事あるごとに嘲笑っていたであろう青臭い台詞を、その人生が終わり手遅れになって初めて唐須井は心に浮かべていた。
端的に言えば一目惚れである。
唐須井は言葉を発することも忘れ、神々しく微笑む眼前の美女に見惚れていたのだった。空っぽなはずの脳味噌は視覚情報による幸福で埋め尽くされ、美しき被写体の放つ言葉を咀嚼する余地は残されていなかった。
そんな様子の「客」を見て女神は僅かな苛立ちを苦笑いへと変換、小さな溜息を零す。
人間界で言うところの接客という仕事柄、また神という信仰対象としての立場上、彼女はどれほど面倒に感じようと表面上だけでも親身に、丁寧に人間と接しなければならないのである。
『あのぉ~、大丈夫ですかぁ~?生まれ変わったら何したいですかぁ~?』
彼女は軽く手を振りつつ身の程を弁えない無礼な男に問いかける。
フリーズしていた唐須井は、
「・・・はっ!!??あなたはっ??それにここはっ???」
と息を吹き返したが、質問には何も回答しなかった。
めんどくせえな。話聞けや。
女神は心の中で舌打ちした。
ただでさえいっつも猫を被んないといけなくてストレス溜まってんのに…。視線が気色悪いしさっさといなくなってくんないかな。
『唐須井真さん、あなたはトラックに轢かれ死んでしまいました。しかし天寿を全うしたわけではありません。なので転生し新たな命を得ることができます。というわけで唐須井さん、生まれ変わったら何がしたいですか?』
なんか面倒くさくなった彼女は、相手の反応を無視し通達事項を一息で言い終える。
「え…あ、ちょ、ちょっと」
『何がしたいですか?』
なんでもいいから早くしてくれ。
そんな感情を殺し切れていない微笑みのまま女神は同じ質問を繰り返す。
「…」
『…』
「え…ええと、じゃ、じゃあ、あの、田舎でのんびり暮らしたい、とかどう…ですかね…?」
十数秒の沈黙の後、気恥しそうに頬を赤く染め唐須井が答える。
莫大な時間があれば万が一の確率で鬱陶しいから愛しいへと感情を変化させることもできたかもしれないが、女神の仕事にそれほどの猶予は存在しない。報われない魂など他に無限に存在している。
『それだけで大丈夫ですか?』
女神はマニュアルに沿って最後の確認をおこなう。
時代の流れというべきか、数年前よりクレーム対策として最終確認とチェックシートへの記入が義務付けられることとなっていた。見える化を図るという理由で業務内容の監視をする者が現れてからは、昔ほど個人的な感情を乗せた裁量をおこなうことができなくなってしまったのである。
一刻も早くこの馬鹿を消し飛ばし仕事場を浄化したいが、業務を疎かにしては評価点に関わる。
そんな女神の内心をよそに、何を思ったか自分を心配してくれていると勘違いした唐須井は内面のキショさを見せつけながら格好つけて語りだした。
「実は俺、バイク乗るのが趣味でして!悲しいことに一緒に回ってくれる人とかはいないんですけど(笑)。あ、いや、死んじゃったなら趣味だった、の方が正しいんですかね?(笑)ま、それは置いといてですね、そうやって色んなとこ回ってるとそれぞれの町でそれぞれの時間の流れ方があるのを感じられるっていうか、なんていうか…こう…わかりますかね?いや、わかんなくても大丈夫ですよ(笑)、皆に話してもわかってくれなかったんで(笑笑)。で、これまで仕事頑張ってきたんでそういう時間の流れの中で何にも縛られることなく緩やかに過ごしてみたいなぁ、なんて、ちょっと思っちゃいまして、その、変…ですかね??(笑)」
知るか。
『…それだけでいいんですね?』
「いやいや、それだけがいいんですよ(笑)、そこから自分でどうにかしt」
『かしこまりました、ではさようなら』
こうして唐須井真はシーラカンスに転生した。
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唐須井真は67歳という若さで第二の生涯(魚生)を終えた。
生命が宿ってから一年ほどは前世の記憶を保持していたが、魚の脳には大きすぎる負荷に耐え切れず徐々に薄れていくこととなった。そしてシーラカンスは卵胎生で数年は母親の胎内で生活する。つまり彼の人間時代の知識や経験は何一つ役に立たなかったのだった。
また彼は人間時代と同じく子孫を残すことも叶わなかった。食欲と性欲だけの世界で一生をかけて伴侶を探すも誰とも会えず息絶えることとなったのである。晩年は肥大化した欲望のままに息を荒く(エラ呼吸)し猛スピード(当魚比)で泳ぎ(立ち泳ぎ)回っていたが、行動範囲を広げようと深海から浮上したことが仇となり海流に流されてしまったため、体力を消耗した上に食事機会も減少したことが彼の死因となった。
そして死後唐須井は再度女神と対面するも、そのときには生殖行為のみを望む存在となり果てていた。
その後唐須井がオスのアンコウへと転生し、持て余していた性欲を根こそぎ搾り取られるのはまた別の話である。