おばあさんの指輪
おばあさんの指輪
さだはる 作
登場人物
おじいさん
おばあさん
(+6人以上)
※素舞台。衣装あり、小道具なし。
一幕「いまのこと」
浜辺。車いすに乗ったおばあさんと車いすを押すおじいさん。
波の音、やさしい風、散歩をする二人。
人工呼吸器をつけいているおばあさん。
二人だけに当たる照明。舞台上手。
海のずっと向こうを見て―――
ばあ …やわらかい風ですね。
じい …。
ばあ ふふっ、まるであなたみたい。
じい …。
ばあ 居心地がいいところとか、やさしく包んでくれ
るところとか。そんなところが。
じい ん。
ばあ ふふっ。
波打つ音。
おばあさんは、明るく話すもどこか弱々しい。
ばあ あなたから散歩に誘うなんて。
じい …ん。
ばあ ふふっ。
海を、遠い昔を見るように―――
ばあ あなた。
じい ん。
ばあ あなた。
じい …ん。
ばあ わたしね、ひとつだけ後悔があるんです。
…ほら、昔、この海で。
じい …。
ばあ 落っことしてしまったじゃない。
じい (困ったようにこめかみあたりを掻いて)
ばあ それだけが心残り。
おばあさんは左手を空に浮かべる。
おじいさんは海の遠くを見ながら、何も言わず、おばあさんの手を、そっと、優しく握る。
おばあさんは、重なった手に薄らと微笑みを浮かべ、再び同じ海を見る。
しばらく波の音が続く。
ばあ あなた。
じい …。
ばあ …ごめんなさいね。
その言葉の意味を悟ったおじいさんは、もっと強く、おばあさんの手を―――
オルゴールC.I.
青い照明。海の中のような。
プロジェクターでホリに「おばあさんの指輪」というタイトル。
おじいさんとおばあさん、退場。
ホリには泡も浮かんでいく。(プロジェクター)
しばらくオルゴールが続く。
オルゴールに合わせて泡の音も響く。
二幕「この海のこと」
しばらくして、おじいさんがウェットスーツを着て出てくる。(上手、砂浜)
音響すべてF.O.
波の音 F.I.
下手は海。照明は海を再現したまま。上手をやや明るく。
以下、セリフはない。
おじいさん、おばあさんを家に置いてきた後のこと。
振り返り、家の方を向く。
もう一度振り返り、海を見る。
波打ち際に近づく。
ゆっくり足を水の中に入れてみる。もう片方の足も入れてみる。
腰のあたりまで水がいったところで、顔をつけてみる。息が持たない。
こめかみあたりをぼりぼり。
一度引き返し、酸素ボンベを背負ってくる。もう一度海に顔をつける。
顔を上げる。もう一度顔をつける。顔を上げる。
おじいさんは大きく息を吸い込んで―――
暗転。水の中の泡の音 F.I.(流しっぱなし)
おじいさんは、深い海へと潜る。
子供の声がする。
暗転から海の中の照明へ。
子供の声が聞こえたことに戸惑うウェットスーツ姿のおじいさん。
もう一度子供の声が聞こえる。そしてその声は止む。
海の中だと確認する。
次の瞬間、海の中にもかかわらず、子供二人が笑いながら走り去る。
おじいさんの思い出が流れてくる。
三幕「老後のこと」
子供が走り去った後、二人の老夫婦が出てくる。
旦那さんは車いすの奥さんを押し、おじいさんの横を通り過ぎる。
老夫婦はふと立ち止まり、二人で遠くを眺める。ただ、遠くを。
しばらくして、旦那さんがどこかへ行く。
おじいさんは、奥さんの方を見て何を思ったのだろう。奥さんの方にゆくりと近づいてゆく。何か、大事な昔を確かめるように、ゆっくりと。
しかし旦那さんが戻ってくる。野花を持って。
奥さんは優しく微笑み、旦那さんはこめかみをぼりぼりと掻く。
子供がまた走ってくる。その姿に、老夫婦は、祖父母の顔を浮かべている。
老夫婦は子供たちの後をゆっくりと追う。
その後ろ姿を見つめるおじいさん。こめかみをボリボリと。
老夫婦を見送り、本来の目的、探し物を探し始める。
四幕「孫のこと」
下手奥に、うっすらと光が浮かび上がる。
おじいさんがその光の場所へ行くと、錆びて壊れたカメラを見つける。
すると、祖父母、娘、娘婿、孫たちが出てきて集合写真を撮り始める。
祖母は車いすに乗っている。
祖父が三脚に乗せたカメラのシャッタータイマーを押し、みんなの元へ。
シャッターが鳴る。
一番小さい孫が祖母の車いすを持ってどこかへ消える。
祖母は腰を曲げながらも立っている。
もう一度、今度は5人で写真を撮る。
もう一人の孫がどこかへ消える。
今度は祖父母と娘夫婦で写真を撮る。が、祖父は若干拗ねている様子。
シャッタータイマーを押す娘婿。
写真と共に時間が遡られているように見える。
シャッターが鳴った瞬間におじいさんも錆びれたカメラでシャッターを切る。
どこかへ消える思い出たち。
立ちつくすおじいさん。不意に襲う寂寥感。
カメラを海に捨て、再び探し始める。
五幕「娘のこと」
次は中央にうっすらと光が浮かび上がる。
おじいさんは近づき、ボロボロの人形を拾い上げる。
その人形を見つめ、砂を払ってあげる。
頭を撫でたり、目元を指の腹でなぞったり。
すると、誕生日プレゼントを持った父が現れる。
娘も現れ、父がプレゼントを渡そうとするも、受け取らず、無理に渡そうとするも受け取らず、何度かこのやりとりを繰り返すうちに、娘がカッとなりプレゼン
トを投げ捨ててしまう。
そのまま娘は消え、背中の曲がった父だけが残る。
捨てられたぬいぐるみを父は拾い上げ、そのままそっと置く。
父は消え、また娘が戻ってくるも、そのまま置かれたぬいぐるみを見て、再び消える。
おじいさんは、消えていく娘の背中から人形に目を移し、そっとボロボロの人形を置く。
六幕「家族のこと」
上手手前にうっすらと光が浮かび上がる。
おじいさんは欠けたワイングラスを拾い上げる。
海中に入る光にグラスを透かしてみせる。
ふと横に目をやると、同じようにグラスを光に透かす昔のおじいさんがいる。
奥さんもグラスを片手に昔のおじいさんの隣に寄り添う。
おじいさんは二人に近づく。
夫婦はお互いの目を離さずに乾杯を、
おじいさんも交じって乾杯を―――しようとした瞬間、夫婦は消え、おじいさん一人、何もないところへ乾杯を、する。
七幕「夫婦のこと」
中央奥にはっきりとした光が浮かぶ。
おじいさんはどうしてかその光に魅了される。
いつの間にか、光の輪郭に沿って一組の男女がはしゃいでいる。
追いかけたり、追いかけられたり。
男は、追いかけている女の手を取り、向き合い、女に目を閉じさせる。
女に目を開けさせたとき、女の目の前には、跪いて指輪を差し出す男の姿が映った。
「結婚して下さい」
そう言ったように見える。
頷き、ゆっくりと左手を差し出す女。
指輪がはめられ、抱き合う二人。
二人に近づくおじいさん。しかし、思い出は逃げてしまう。
二人が消えるよりも前に、同じ男女が出てくる。
崖の上にいる男女は心底幸せそうで、女は指輪をわざわざはずし、誰に自慢するわけでもないのに、指輪を空に浮かべてはしゃいでいる。
が、次の瞬間指輪を落としてしまう。
指輪は崖滑り落ち、海の底へ。
崖のギリギリまで行く女、危ないとそれを止める男。
おじいさんは、光の中のあるものを拾い上げる。
突然、大きな海流がおじいさんを襲う。海流 C.I.
照明、淡く。
八幕「出会いのこと」
海流にのまれる中、幼き日の思い出がぽつりぽつりと現れる。
目を合わせられずに告白した「初めて付き合った日」
照れくさくて少し距離を置いて撮った「二人の卒業式の写真」
カッとなって突き飛ばした「怪我をさせた日」
泣くのを我慢したけど頭を撫でられたら涙が溢れ出てきた「慰めてもらった日」
そんな思い出が、渦を巻いて流れていく。
海流の音 最大。
暗転。
九幕「後悔のこと」
波の音 F.I.
砂浜。おじいさんが倒れている。
しばらくして起き上がる。
オルゴールC.I.
おじいさんは、ゆっくりと、でも確かに一歩ずつ足を動かし、おばあさんの元へ。
照明、徐々に、徐々に暗く。
そして、徐々に徐々に、上手に最初と同じサスをいれる。
おじいさん、おばあさんを車いすに乗せて再び散歩。
サスの場所で止まり、海の、ずっと向こうを眺める。
波のやさしい音が、二人を包む。
おじいさん、おばあさんの前に座り込み、何十年も前と同じように―――
二度目のプロポーズをする。
―――失くした指輪を差し伸べて。
おじいさん、もう一度おばあさんの指に指輪をはめる。
おばあさんは、もう、何も言わない。
そして、共に歩んできた人生を、この波に乗せて、おじいさんは振り返る。
おばあさんの手を握り、ずっとこの海を見つめる。
おばあさんは、愛するおじいさんに見守れながら―――
波の音が、響く。
オルゴール 最大。
緞帳降りる。