お母さんと私
さらっと終われれば…。よろしくお願いいたします!!
あちら側での最後の記憶は振り上げられた鈍色の包丁。度重なる暴力で大分前から見えなくなっていた右目と包丁で切られた右腕と左足は使い物にならない。何とか逃げ回ってみたものの、身体からどんどん失われていく血液の量でもう助からないことは分かっていた。
「お前がいたからこんなことになった!お前さえいなければ!」
目の前の女のことは無条件に好きだった。物心ついた時から、ずっとどうすればこの人を笑わせられるかということだけ考えて生きてきた。勉強もスポーツも頑張っていたけれど、食事をまとめに食べさせてもらえないようになり、金の無駄だと学校にも行かせてもらえなくなった。暴力、暴言はひどくなり、足に力が入らなくなってここ数カ月は家から全く出られていない。
そして最後の日。好いていた男から、子持ちであることに交際を断られた彼女は壊れてしまった。苦労せずに生きてきた彼女は苦労することに、これ以上耐えられなかったのだ。自分の首元から流れ出る熱い血をぼんやりと眺めながら、私はゆっくりと目を閉じる。生まれ変われるなんて思っていない。きっと自分は冷たくて暗いどこかにいくだけだ。
でも。それでも、もし生まれ変われるとしたら、もう一度お母さんが欲しい。子を厭う彼女のような人間ではなく。優しくて慈しんでくれるようなそんな母親を。彼女が持つ目を見張るような美しさなどいらない。ただただ微笑むを。
そんなお母さんを守れるような強さが欲しい。この、幼くて小さい身体ではなく。大きくて強くて、頼り甲斐のある大きな身体で。誰にも負けない強い心で。
そんなお母さんがいれば、どんなことがあっても私が守り続けるのだから。
「んで、どうしてお前みたいな豚野郎がお母さんの美しい柔肌に触っているんだ?」
「うごっぉぉお!」
「流石豚野郎。啼き方がそっくりだな。前世は豚なんじゃないのか?見た目だってそっくりだしな。身体をバラバラに解体して、それぞれパック詰めにしてやるよ。豚なんだか美味しいんじゃないか?あぁ、お母さんにはお前みたいな豚野郎の肉は食べさせないから安心しろ。」
「おごぉおおあぁあ!」
豚野郎があまりにも醜い啼き声を出すのもうで聞くに耐えない。そろそろ殺していいだろうと豚の首を掴んで空中へ持ち上げていた右手に力を込めた。腕には焦げ茶色の獣の毛が生え、手首から下は毛が生えておらず、紫色の地肌が見えている。指先には黒色の長く鋭い爪。幼い身体の身長をゆうに超える巨大で豚野郎と同じくらい醜い右腕。
「こっ、こらユフィ!そんなことをしてはいけません!」
その右腕に何の躊躇いもなく女性が抱きついてきた。その瞬間にピタリと動きを止めた。彼女を傷付けてしまっては大変だ。そんなことは絶対にあってはならない。
「お、お母さん!いきなり入ってきたら危ないでしょ?怪我でもしたらどうするの!ちょっと待ってて。今、このゴミを片付けるから!」
「ゴ、ゴミじゃないのよこの人は。人間なんだからそんな意地悪しちゃダメよ。」
「お母さんは人間に甘すぎるんだよ。こんな生きる価値のない蛆虫みたいなやつなんて殺してしまえば。」
「こら、そんな言葉遣いをしちゃだめっていってるでしょ。あなたの可愛らしい顔が台無しよ。」
「お、お母さん…。」
「ふぶぇ!」
お母さんのあまりの神々しさに力が抜けてしまう。ドスンという鈍い音と同時に、醜い啼き声が聞こえたが無視だ。
「可愛いお目目が三角お目目になっちゃってるわ。まん丸のお目目に戻って」
お母さんが言っているのは、醜い左目。爬虫類のように縦に開いた赤色の瞳孔。その瞳孔
囲む紫色。顔面もまろい幼子特有の顔の左半分は紫色だ。顔の右側と髪、右目はお母さんと同じ雪のように美しい白 なのに。
「お母さん、でもこの男はお母さんのことを!」
「こ、この化け物親子がぁ!」
「うるせえ、この豚野郎!」
「うげぇええ!」
意識を取り戻したらしい男が床にへばりつきながら脂汗をかいて、醜い顔をさらに歪めて罵ってくる。お母さんとの大事な大事な会話を邪魔されたのが許しがたく、脂肪でパンパンに腫れた腹に左足で蹴りをくれてやる。右腕と同じく獣の毛が生えた醜い足で。嘔吐して苦しそうにもがき苦しむ男を冷めた目で見る。周囲を見回すと、男の使用人であろう人間たちが怯えた表情でこちらを伺っていた。主人が苦しんでいるのに、誰も助けに来ないことから、こいつの主人としての力量がうかがい知れる。天井には趣味の悪いシャンデリア。あちらこちらを宝飾品で飾られた趣味の悪い屋敷だ。こんなところには一生来る予定などなかったのに。息をすることさえも不快だ。それでも、来なければ行けない理由があった。
「あぁ、だめよ。蹴ってはダメです。」
それは目の前にいる美しくて優しい自慢の母さんが攫われたからだ。この醜くて愚かな人間の男に。
美しくて優しいお母さん。この世界で忌避される白を全身に纏ったお母さんは人間ではない。彼女はこの世界の1番の嫌われものの種族、オグリアンヌだった。オグリアンヌは、この世界を造ったと言われる2人の女神の1人、オグリアーネンからきている。
世界の守り神だった、プリークラムとオグリアーネンは姉妹だった。仲の良い姉妹は協力してこの世界「アフレディレウス」を守り続けていた。魔の恐怖から善なるものを守っていた2人は仲が良く、命を優しく見守っていた。
しかし、2人の女神が同じ人間に恋をしてしまったことから悲劇が始まる。2人が愛したのは、清き英雄だった。清き英雄はプリークラムを愛した。それをオグリアーネンは許せなかった。彼女は姉妹を、英雄を、見守っていた命を裏切り、清き英雄の心を得るために魔と通じてしまった。魔によって穢れたオグリアーネンは女神としての力を失い、その容姿は醜く変わってしまった。女神だけが持つ「与える力」だけは失わなかったものの、与えられるのは魔のように「醜い」ものだけになってしまったのだ。
魔と通じ、世界を滅ぼそうとするオグリアーネンは、清き英雄とプリークラム、そして彼女たちから祝福を受けたものたちによって討ち払われた。その時にオグリアーネンについた人たちは、彼女から強大な力を与えられたものの、容姿は醜く歪んでしまった。争いに負けたオグリアーネン側の人々はオグリアンヌと呼ばれ激しい迫害を受けるようになったのだ。
お母さんはその迫害されているオグリアンヌだった。彼女は、この世界では忌み嫌われる豊満な身体を持っている。穢れた女神オグリアンヌは大きく張り出した胸、くびれた腰、大きなヒップ。色気のある厚い唇。聖なる女神プリークラムはささやかな胸にスレンダーな身体、清廉な身体を持っていた。そこから、お母さんのような女は特に嫌われている。(私はとても色っぽくて素敵だと思っている。)
人権などあってないようなものであるオグリアンヌの女性は、男性の慰め者になるのがほとんどだ。奴隷のように扱われ、拷問まがいのことをされて若くで命を落とすことが多い。お母さんも奴隷として、働かされていた。豊満な身体、輝くような白い髪と瞳と肌。オグリアンヌの再来とも言えるその姿は、不幸にも王族の興味を引いてしまった。片田舎の貴族から王族に献上されたお母さんは、当時の王に気に入られてしまった。しかし、オグリアンヌを娶ることなどできないし、側室にすることさえも許されない。飼い殺しのようになっていたお母さんを救ったのは王子だった。王子は年の近かったお母さんを慰め、その心を癒した
しかし、お母さんが身籠もると同時にお母さんを殺そうとした。オグリアンヌの女を孕ませたとなっては、極刑だ。王子はそれを恐れて、お母さんの命を奪おうとしたのだ。女神
ような容姿は持っていても、あまり力の強くなかったお母さんが命を落とそうとした時。暗殺者を全員亡き者にしたのが、この私だ。その時私はどこにいたか。もちろんお母さんのお腹の中だ。あの女に、包丁で首を切られて殺された私は、お母さんの子供として転生していたのだ。生まれ変わりなんて信じていなかった私は心底驚いた。なぜならお腹にいる時点で自分の意識があったからだ。お母さんの命が奪われようとした時に、覚醒した私は、よく分からない自分の力を使ってお母さんを殺そうとしていた暗殺者たちの首を切った。最初、呆然としていたお母さんは、何故だか誰が暗殺者を殺したのか分かっていた。
「あなたがやったの?」
お腹に手を当てたお母さんが問いかけてくる。聞こえるかどうかは分からないけれど「そうだよ」と返事をした。
「あぁ、ありがとう。大好きよ、私のユフィ。」
優しい優しいその声が身体に染み込んんでくるような気がした。
「でもまだ起きるのは早いわ。もう少しお昼寝しておきなさいね、ユフィ。次会う時はもっとお話ししましょうね。」
お母さんの優しい言葉に頷いた後、ゆっくりと意識が遠のいたのだった。
豚野郎の醜い声で我に帰る。そういえば、ここはあの男の趣味の悪い屋敷だった。これ以上ここにいる理由はない。それに、豚野郎や周りにいる男たちがお母さんに邪な視線を向けてくるのも大変気に入らない。
「お母さん、早く家に帰ろうよ。こんな所にいたらお母さんの綺麗な肌が汚れちゃう。」
「綺麗な肌なんて。ユフィの肌もとっても綺麗よ。まるで紫紺の宝玉のようだわ。」
「お母さん!」
お母さんが褒めてくれたことが嬉しくて、勢いよくお母さんに抱きついた。お母さんは女性にしていは身長が高い。力が弱いとはいっても、オグリアンヌなので身体能力は高く、私の身体も易々と受け止めてくれる。
「どうしてあんな豚野郎についていったの?あんな人間に付いて行ったら変なことされるって分かるでしょ?」
でもいくら愛しいお母さんだとしても、これは言っとかないといけない。お母さんの身を守るためにもしっかり言い聞かせないといけないのだ。
「ユフィに新しいお洋服を作りたかったの。最近、お気に入りのお洋服が破けてしまったでしょう?誕生日も近いし、綺麗な布を使ってドレスを…。」
「お母さん、大好き!」
もう幸せだ。本当に幸せだ。こんなに優しくて素敵で綺麗な人が母親なんてこんなに幸せなことはない。もう死んでもいい。いや、まだ死ぬ訳にはいかない。お母さんを守って
お母さんをもっと幸せにするまでは絶対に死ねない。
オグリアンヌであるお母さんの娘である私ももちろんオグリアンヌ。私はお母さんと違って、とんでもない力を持って生まれてきた。その代償が醜い身体的特徴だ。前世であの女に壊された右腕と左足は醜い獣のそれに変わっていた。つぶされた右目も魔物の瞳と変わらない。お母さんを助けて一月後。私はこの世界に生を受けた。優しい声のお母さん、この人なら私のことを愛してくれるかもしれない。そう思って目を開けた時。飛び込んできたのは自分の醜い身体だった。それを見て絶望した。あぁ、今生も愛されない。もしかしたら今すぐにでも殺されるかもしれない。前世で慣れた暴力を待っていた時。
「あぁ、なんて可愛いの。私の大事なユフィ。あの時は助けてくれてありがとう。今度は私があなたを助けるわ。末長くよろしくね。」
お母さんは私を抱き上げて、醜い右の顔と右腕、左足にキスをしてくれたのだ。
嬉しい。その思いが溢れ出て、自意識はあるのに本当に赤子のように泣き喚いてしまった。そして、絶対にこの人を守ろうと誓ったのだ。
「お母さん、ちょっと先に行っといて。お母さんのことを口外しないようにあの豚野郎にお願いしとくから。」
「豚野郎って言っちゃダメよ。じゃあ帰る準備をしておくから。」
お母さんの背に手を振って、見えなくなったと同時にクルリと後ろを振り返る。
「やっぱりお母さんは優しいなぁ。お母さんに免じて、今回のことは許してあげるよ。」
「っ!餓鬼が偉そうなことを言うなぁ!」
腹の痛みから回復したのであろう豚が立ち上がり、どこからか持ってきた剣を手に取り振りかぶってくる。甦るのは前世の記憶。あの女に奪われた第1の生。
「あの女は私のものだぁ!」
汚く唾を吐き出しながら笑う男の顔面があの女と重なる。
「お母さんは私のものだ。お前なんかが二度と触れられると思うな。」
「あぎゃあぁぁぁああぁぁあ1」
汚い悲鳴を上げて豚が地面に膝をつく。手首から下がなくなった自分の両腕を見てのたうちまわっている。邪魔な男を蹴ってどかせた後、目に付いた宝飾品を何個かいただいた。
「お前ら、私たちを探すようなことがあればこの男と同じような目にあうからな。お前もだぞ、豚野郎。両足も無くしたくなければ口を噤んでおくんだな。」
し周囲にいる人間たちを睨みつけ、豚野郎に唾を吐きかけた後、私はルンルン気分でお母さんの後を追ったのだが、豚野郎を殺さなかったことを私は後日、死ぬほど後悔することになるのだった。