3ポイント:子供
――願い事を一つだけ叶えてあげましょう
透き通った声。
こんな神のお告げみたいなセリフを生きてるうちに聞けるとは思っていなかった。
これはファンタジーもののアニメでたまに聞くセリフだ。しかも、今は夜空の下で二人きり。シチュエーションも文句なし。今なら、向かい合わせで距離も近い。
ここが正念場だ。
次に発せられる俺の一言で、シロはひどく動揺し、狼狽えるに違いない。そして、即嫌われる。それでも、自分に嘘はつけない。
望遠鏡がほしい。
母さんを楽にさせてあげたい。
香織や親父にもう一度逢いたい。
新しい星を見つけて名付け親になりたい。
もっと友達がほしい。
夢や願望は挙げ始めたらキリがない。
もう一度言おう、ここが正念場だ。
「本当に何でもいいんだよな?」
「もちろんです」
俺の願いが何なのかによって、彼女の今後の対応も俺自身のモチベーションも大きく変わるだろう。
だが、もう恐れるものは何もない。
彼女がこの願いを受け入れるかどうかは別にして迷う必要はなくなったのだ。
だから、恥じらうことなく堂々と言ってみせた。シロ手を握りながら、俺の一番の願いを――
「俺と結婚してくれ!」
「えっ?」
「だから、天界を救えたら俺と結婚してほしい」
彼女の右手を両手で包み込み、思わず身を乗り出す。人生二度目のアタックだ。
一度目は中二の秋。普段から仲の良かった女の子に文化祭終わりの放課後に告白。以外にも両想いだった僕らはそのまま付き合うことになった。
その後、食事に映画、ショッピングと一カ月に1度のペースでデートを重ねた。彼女と会うのが楽しみで、学校に通う毎日も以前より確実に充実していた。
十二月、クリスマスプレゼントに彼女の好きだったぬいぐるみを送ったら年末に手編みのマフラーをおお返しにくれた。女の子からのプレゼントは初めてだったので、本当にうれしかった。心の底から幸せを感じた。こんな時間がずっと続いてほしい、そう思っていた矢先に俺はやってしまった。
翌年の夏、プラネタリウムに彼女を誘った。星の事をよく知ってほしいと思った俺は天井を眺めながら、その一つひとつを解説。確かに、熱が入りすぎていたと言われれば、そんな気もした。
デート後、「ちょっと、引いちゃったかな…」とだけ言い残し、彼女は帰っていた。別れ話を持ちかけられたのも、その直後のことだ。
「理屈っぽい人は無理です。ごめんなさい」
それが彼女の最後の言葉だった。
それ以来、女子とは付き合わず何気ない日々を送っていた。毎日学校に通い、それなりに勉強し、それなりに遊び、そこそこの成績を修めてきた。
唯一の楽しみは天体観測。
そんなつまらない俺の人生に、目の前の天使が希望をくれたのだ。だから、踏み出せた。思い切って言ってみた。怖かったけど、断られるのは分かってたけど、今の自分の想いを真っ直ぐにぶつけた。
「いや、初対面で『結婚してくれ』はきついでしょう」
即却下。
その反応は驚くほど普通だった。愛の告白をされたというのに彼女は顔色ひとつ変えず、平然と俺のガラスのハートを砕き割ったのである。
まぁ、当然か。
だが、さすがの俺もこの程度では屈しない。
「さっきのお前の『死んでください』よりは絶対マシだと思うけど」
「いいえ、全く理解できませんね。『結婚』とは、愛しあう二人がその思いを募りに募らせて実った『愛の結晶』なんです。二人はそれに満足することなく愛を育み続け、互いを高め合いながら永遠に結婚という名の一つの結晶を磨いていくのです」
雄弁に語る彼女。まるで演説をする政治家のように、目でも訴えかけてくる。
少し分かりづらい例えではあったが、言いたいことは分かった。彼女は結婚がしたいのだ。強い結婚願望を持っているらしい。
「だったら、シロの言う『愛の結晶』を俺と一緒に作ろう。お前のことが好きなんだ!」
彼女の言葉を借りて、さらに押す。
「好き? 私のことが??」
「そうだよ。今さら何言ってんだ?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
思考停止。
彼女はようやく理解してくれたようだ。その証拠に、頬を林檎のように赤く染めている。というか、あんな熱弁までしておいて気づいていない方が驚きだ。
「本当なんですか…? 本当に私のことが好きなんですか」
弱々しい彼女の声に無言で頷く。
「で、でも…好きになったら普通は、お付き合いから始めるのでは? だいたい、結婚できるのは男性が十八歳、女性は十六歳からですよ。牛尾さんはお幾つなんですか?」
「そんなこと知ってるよ。俺は十八だ。お前は?」
「十二歳です」
「マジか!?」
「そんなに驚かないでください! 心外です。私って、そんなに老けて見えますか?」
誤解だ。
「いや、そうじゃなくて逆だ、逆! 俺の予想より上だったから驚いたのだよ」
「ちょっと待ってください…それって、もっと子供に見られているってことじゃないですか!?」
急な大声に心臓が止まるかと思った。
いや、目ん玉ひん剥いて驚くことじゃないと思う。だって、その見た目だもの。
「死んだのは十二歳ですが、生きていれば貴方と同い年です。早生まれなので」
「……ってことは中一か。災難だったな」
「はい」
「何で死んだ?」
瞬間、思い止まった。
なんてこと聞いてんだ俺は! わざわざ辛いこと思い出させなくてもいいだろ。
「あっ、いや…悪かった。急に話して。嫌な事思い出させっちゃ待ったな」
「いいえ、そんな事はありませんよ。貴方は優しい方ですね」
「そうか?」
そんなことを言われたのは初めてだ。素直に嬉しい。
俺の手を握った彼女が、満面の笑みで見つめていた。
「牛尾さん、貴方の願い叶えてあげます」
「えっ?」
天使の笑顔に見惚れていた俺は、ハッと我に返る。
「もし、本当に私の願いを叶えてくれたら、結婚してあげてもいいですよ?」
「本当か?」
「はい」
確かに嘘をついているようにも思えない。
正確には、そう思いたくないだけだが、俺は自分の惚れた女を信じたい。
「悪い人とじゃなさそうですし、何より私を助けてくれた恩人ですしね」
「シロ」
「どうぞ、私を惚れさせてください」
「おう、任せろ!」
期限は一週間。
天国を救ってください――それが彼女の願いだ。いまいちピンと来てはいないが、もう迷っている暇もない。俺は誓った。
彼女のために死に、彼女と結婚できるなら悪魔とだって戦う。
「じゃあ、今日からお前は俺の彼女な!」
よろしく、と握手を求めたが、
「何を言ってるですか? 貴方の彼女になった覚えはありませんよ」
握り返す手はなかった。
「どういうことだよ?」
代わりに向けられたのは、冷ややかな視線。さっきまでの彼女との距離感が、一瞬で変わった気がする。
「貴方と私は『恋人』ではありません。あくまで『協力関係』。利害の一致の上に成り立っているものです」
でも、そっぽを向いて顔を赤らめている様子を見ると、その心配もいらないようだ。
「それさ、『恋人』って言われるのが嫌なだけだろ? もしかして、男と付き合ったことないとか?」
「ち、ちちち…違います!! それに、好きな人はちゃんといました!」
図星だ。やっぱり、分かりやすい。
「分かったよ。でも、これから先お前に何かあったら俺が守ってやる。それでいいだろ?」
泣きそうになっている彼女の頭を軽く撫でる。
生きてれば同い年、とはいっても十二歳の女の子。ちょっと言い過ぎたと思った。
「分かりました。改めてよろしくお願いします」
俺の服の袖を掴んだまま俯いて、小さく呟いた。
そして、現在――
「で、次は何すればいいんだ?」
「困ってる人がいないか自分で探してください」
何度聞いても同じセリフが返ってくるだけ。『協力関係』とか言いながら本当にそのきがあるのだろうか?
というか何故、俺は十二歳の女の子と手を繋いで休日の昼下がりに街中をあるいているのだ?
一目惚れした俺としては、このシチュエーションはかなりありがたい。
でも、傍から見れば完全に兄妹だ。周囲の目がやけに気になってしまう。
「お前、本当にやる気あるのか?」
「ありますよ! 貴方こそ」
「もちろん、ある何せお前と結婚…お前の頼みだからな。俺に任せとけ」
気づいてよかった。危うく、行き交う人々に結婚報告するころだった。
落ち着け、俺!
公衆の面前で自分の秘密を晒す必要もないだろう。
ましてや、彼女の姿は誰にも見えていないのだから大声なんて出したら、まちがいなくイタイ人になる。
これだけは何としても避けておきたい。
「それにしても、お腹がすきましたね」
一週間後、自分の住む場所がなくなるかもしれないというのに傍らの天使は呑気なものである。
「何が食べたい? ていうかお前、空腹感とかあるんだな」
「はい。私も地上に下りてきて初めて気がつきました。というわけで、ステーキが食べたいです」
「ステーキだと!? んな贅沢できるわけないだろ!」
「ほら、あそこです。早くいきましょう!」
いや、人の話聞け!!
彼女の指差す道の向こう側には、白い四本の幟が見える。その後ろに『ステーキハウス ファイヤー』の看板を掲げた建物があった。
黒を基調としたその建物の外壁はシンプルで、全体に等間隔で細い縦縞があしらわれている。ステーキ屋にしては、モダンで落ち着いた印象だ。
ロゴマークの牛はナイフとフォークを両手に顔を辛そうな表情を浮かべながら火をふいていた。絵には描かれていないが、どんなメニューを頼んであの表情になったのかが気になるところだ。
「なぁ、天使ってお金持ってるんだよな?」
何気なく店の前まで来てしまった俺は、ここでようやく我に返る。
「そんなもの持ってません。おごってください」
「おごってって言われてもな…俺、三千円しか持ってないぞ。ステーキは無理だな」
遠慮する様子もなく、せがむ彼女になげやりに答えて背を向ける。
残金は三千円。
二人で外食をする場合、単純計算で二千円は必ず超える。俺の場合、隣に十二歳の女の子がいるので、それプラス食後のデザート付きなのは必至。
そして、カウンター前には次の敵・玩具が現れる。彼女の年齢からするに欲しがるようなものは置いていないと思うが、油断はできない。彼女が目を光らせる前に会計を済ませ、店を出なければならない。
よって、俺の財布に五百玉が残れば上出来という結果になるわけだ。
「帰るぞ。ここは無理だ」
シミュレーション終えて、彼女に背を向ける。
「待ってくださいよ。『腹減っては戦が出来ぬ』」って言うでしょう」
「いや、だからって学生にステーキは高すぎだろ」
渋る彼女を冷たくあしらう。
「私、食べたことないんです…ステーキ」
「俺だって滅多に食べないから」
親父が死んで母親と二人になってからは外食に言った覚えがない。まぁ、友達が少ないのだから誘われることもないのだが。
「とにかく、金がないと美味しいもんも食えないんだって」
「嫌です! 食べ過ぎたりしませんから、お店入りましょうよ。ほら、今ならたくさん空席がありますよ!」
「おい、ちょっ…待てって!!」
強引に手を引く彼女を振り払おうとした瞬間――
「きゃ!」
「うおっ!」
彼女と俺は同時に倒れ込む。
直後、鈍器で殴られたような強い衝撃が脳天から一瞬で頭全体を駆け巡った。
「イッテ~~! お前って相当な石あた…」
上体を起こすと彼女と目が合った。瞳を潤ませながら額に手を当てている。
ゴクリ。
言葉も出せず、痛みに耐える眼下の天使を見つめる。右目に溜められた涙が今にもこぼれ落ちそうである。それでも、彼女は堪えている。
弱い自分を見せないと、自分は弱くないと目で訴えかけてくる。笑ってはいけないが、その表情はどこか可笑しく可愛らしかった。
「お願い明彦、一緒にステーキ食べよ…?」
半泣きでこれは反則である。しかも、呼び捨てとか。
「分かったよ」
駐車場の方を向き、彼女に背を向けて答える。顔が熱いからだ。
「ほら、行くぞ!」
俺は手だけを伸ばして強引に引き起こし、店へと入った。
三十分後、俺の前に座る天使は未だ口いっぱいに料理を頬張っている。あろうことか追加注文しやがった。
俺が食ったのは八百五十円のハンバーグ(税込)+ライス二百円(税込)のみ。皿の数からしても、彼女は明らかに俺の倍は食べている。
「おい、どういう事だこれは…。お前、自分で食いすぎないって言ったよな?」
「こべおいひぃぼ? だぼべびぶ?」
「いや、何て言ってんのか全然分からんし、口に物を入れたまま喋んな!」
おまけに、スパゲッティソースで口の周りが鮮やかなオレンジ色になっている。生きていれば同い年であるということを疑いたくなる。
「もっと行儀よく食えよ。女の子だろ」
十二歳でこれってどうなの?
俺は改めて財布の中身を確認し、ため息交じりに窓の外を眺めた。
バンッ!!
突然、店内に銃声が鳴り響いたのはその直後のことだ。
「キャー!」
「騒ぐんじゃねぇ!!」
ドスの利いた男の声に周囲は騒然となった。その男は天井に銃口を向けながら、辺りを見回している。
「ここに金を詰めろ」
「はい…」
冷静に指示したのは、長身の痩せ細ったもう一人の男だった。どうやら、この店は強盗に入られたようだ。
男に睨みつけられた女性店員は震えながらレジを開けると、指示されたバッグにお金を入れ始めた。
今日の俺は運が悪い。
「ちょっとこっち来いガキ!」
最悪なことに目が合ってしまったのだ。
「素直に応じた方が身のためですよ」
怖がる様子もなく、隣の天使が進言してくる。おごってやるという恩人に対して何という態度だ。
「バカ! お前何言ってんだよ!!」
お前は俺の味方じゃなかったのか?
天使は場違いな笑みを浮かべ、強盗団の様子を見ている。とても中一女子とは思えない。
「さっさと来い! 何をゴチャゴチャ言ってやがる。他の奴らはケータイを地面に置いた後、頭の後ろで手を組んで全員その場に正座しろ!」
拳銃を持った男の声が店内に響き渡る。皆、静かに従うしかない。俺も諦めて言われるがまま前に出る。
「よし、お前ら全員動くんじゃねぇぞ。動いた瞬間、コイツの脳ミソは吹き飛ぶぞ!」
立ち止まると同時に俺は首に腕を回され、こめかみに拳銃を突きつけられた。人質空きまりのポーズだ。
「あと、どれくらいかかる? 早くしろ!」
「まぁ、そう焦んなって相棒。確実に有り金全部入れさせるためだ」
長身の男はせっかちな相棒を眺めて宥めるような口調で言う。
俺は、とっさに目を逸らす
「ふん」
相棒はそれを鼻で笑うだけだった。
「これで全部です」
数分後、女性店員が小さな声で男を呼んだ。
「本当にこれで全部だろうな?」
身を乗り出してきた男に。女性は頷くことしかできなかった。
「帰るぞ」
バッグを持った男の言葉にお客さんたちはホッとため息をついた。
「ったく、いつまで待たせる気だ」
「痛ッ!」
もう一人の男は、女性店員に吐き捨てるように言って俺の背中を突き飛ばし、扉の方へと歩いていく。
ひとまず、これで一件落着。人の命に関わるようなことは何もなかった――なんてシメにはしたくない。
どんなことでも、悪いことをした奴はそれ相応の報いを受けるってのか世の理だ。当然だが、俺もこのままでは納得できない。
そして、それはパフェを片手に持った天使も同じ気持ちだったようだ。スプーンを口にくわえて鼻の下にちょこんとクリームを付けたまま、去っていく強盗たちを睨みつけている。
「おい待て…よ?」
「うわぁ~~!!」
一言言おうとした俺を遮り、顔の厳つい男が悲鳴を上げた。さっき、俺を人質にした方だ。
「どうなってる!?」
隣の男も驚愕に顔を引きつらせる。
「おい、宙に浮いてるぞ!」
「ママ、見て!」
「スゲェ~!!」
「カメラ、カメラ!!」
「こんな事って、あんの!?」
お前って怪力なんだな。
周囲が目を丸くする中、俺だけが笑っていた。
俺は全てを知っていて、この事は俺にしか分からないことなのだ。
天使も得意げに笑っている。彼女が振りかぶった次の瞬間、宙に浮いた男の体は窓ガラスを突き破り、遠くへと消えていった。
長身の男が青ざめた顔で店を出て行くと、いつの間にか俺は拍手の輪の中にいた。
「あれ、お前がやったのか?」
「いいえ、俺がやったわけじゃ…」
「じゃあ、誰なんだよ!?」
「それは…」
常人に天使は見えない。
返答に困って視線を巡らせる。ふと見るとシロは親指を立てて、こちらにウインク。その楽しそうな振る舞いは、幼い子供そのものだ。
俺も頭を掻きながら親指を立てる。
思えば、今日は楽しかった。窓ガラスのお詫びの皿洗いがなければもっとな。