2ポイント:救世主
夢を見てるみたいだった。
でも、夢ではない。
目の前の女の子は、ゆっくりと上体を起こした。自然と目が合う。
「大丈夫です。痛みもありません」
この声も確かに聞こえる。
「そっか」
俗に言う『天使のような』とか『天使すぎる』とか、そういう次元の話じゃない。百人中百人が百パーセント、彼女を『天使』と呼ぶに違いない。
「あれ?」
混乱していたわけでなく、冷静に状況を整理していたつもりだったが、
「消えた」
数瞬の記憶が欠落しているので、また見惚れてしまっていたらしい――いや、間違いない。
そして、彼女はいなくなっていた。
さっきまで、膝の上に確かな温もりがあったのに。
すぐに発見できたけれど、なんだか様子がおかしい。
地べたに体育座したまま、首を傾げているとこまではよく見るけれど、時に頭を抱えて幾度となく首を左右に振っている。察するに、相当に深刻な悩み事らしい。
「どうしたんだ?」
一度は躊躇したもの、声をかけずにはいられなかった。話だけでも聞いてやりたいと思った。
もとい、そんな思いやりからではなかった。単純に気になっただけだ――悩み事と、その子の事が。
「わっ!」
「うおっ!」
飛び跳ねた彼女に、こっちが驚かされてしまった。
俺に気づいて振り向いた彼女の目が少し怖い。
「一つ、質問していいですか?」
少しの間があって、彼女から発せられた声。
「いいよ。何?」
その、どこか怯えた声音に戸惑いつつも、極めて平静を装って返す。
「牛尾さんから見て、私って何に見えますか?」
「天使」
「やっぱり?」
「うん。天使にしか見えない」
「そうなんです。私、天使なんです。空想のお話に登場するものだと思われがちですが、実際はこうして」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
固まった。
彼女は錆びれたブリキ人形のように、ぎこちない動きでこちらを振り向く。
「急にどうした?」
油を差すつもりで話しかけると、
「ど、どどど…どうして、天使だって分かるんですか? 私の姿は死んだ人間にしか見えないんですよ?」
ロケット噴射の勢いで迫ってきた。どうやら、成功したみたいだ。
「おい、ちょっ…顏近いって! てか、勝手に人を殺すな」
「じゃあ、牛尾さんは何者で、何で私が見えるんですか?」
手で払い除けても、その口だけは止まらなかった。
「どうして何も言ってくれなんですか? 早く答えてくださいよ!」
もう限界だ。
「さっきから何だよ…自分で『天使』って認めたくせに…ゴタゴタうっさい! それに俺はフツーの人間で、ただの高校生だ」
「だったら、どうして」
「それは知らん」
「……そうですよね。取り乱してすみません」
「自分で成仏くらいできるっての」
投げやりに返すと、彼女はようやく静かになった。さっきの俺は確実に、えん罪の犯人状態だった。
ホッとしたところで、今度はこっちの反撃。
「んで、君の名前は?」
「私に名前はありません。死んだ人間ですので、亡くなった日と順番の組み合わせで管理されているんです。例えば私の場合、亡くなったのは五年前の四月六日。この日の十六人目の死亡者でしたので管理番号201046-16です」
「何だそれ…呼びにくいし、君だってそう呼ばれるの嫌だろ?」
「特に気にしていませんが」
「そうなんだ。でも、まぁ呼びやすいように名前つけてやるよ。何がいい?」
「別に何でもいいですけど」
「じゃあ『テンテン』は? かわいいだろ?」
「センスの欠片もないですね」
「なら、白いワンピース着てるから『シロ』とか?」
「いや、天使はみんなこの格好ですよ。アニメとかで見たことあるでしょう?」
「……何でもいいんだよね?」
「もういいです、それで」
「何で怒ってんの?」
「怒ってません!」
不機嫌にしか見えないんですけど。
「これから、よろしくな! シロ」
手を出すと握り返してくれた。
「よろしくお願いします」
全然そういう風には見えないけど、少しは信用してくれてるみたいだ。たぶん。
「では、私の名前も決まったところで、一つお願いがあるのですが…」
「何だよ、急に改まって。今度は何?」
そして、彼女はハッキリ言った。
「私たちの未来の為に、一度死んでください」
その表情には鬼気迫るものを感じた。
自分たちの未来の為に死んでくれ?
「どういうことだ? ちゃんと説明してくれ」
彼女が冗談でこんなことを言うはずがない。初対面だが、俺には分かる。だから目を見て、ちゃんと理由が聞きたかった。
「分かりました。今から話すことに嘘偽りはありません」
彼女はコクン、と頷き、話し始める。
天界――空の上の世界は『天国』と『地獄』の二つに分けられます。そのくらいはご存知ですよね?
成仏した人間は天界へと昇り、入口にいる死神がその魂の道標となって行くべき道を指示してくれます。当然、善人と判断されれば天国へ、悪人は地獄へと送られます。天国で魂を戻された者が『天使』となり、天国で善い行いをすれば、その魂は生まれ変わりのチャンスを得ることができます。
その一方で、悪人は『悪魔』に変わり、魂は消滅。生き返りチャンスはありません。犯した罪の度合いによっては更生し、天国へ移される者も稀に現れますが、一度、地獄に落とされたら生き返ることは諦めたほうがいいでしょう。
時折、無謀にも脱獄を試みる輩がいますが、今までに成功した者は誰一人いません。まぁ、当然でしょう。聞いた話ですが、罰が執行される地獄谷の深さは五千メートルもあるそうです。死後、悪魔になった人たちは、その奥深くで悶え苦しみながら、永遠に自身の罪の数々を反省しなければなりません。燃え盛る炎と煮えたぎるマグマに分かれ、その空間の温度は、一万度にも達すると聞いています。想像するだけで震えが止まりません。
さて、重要なのはここからです。
天界では百年に一度だけ『天界審問』が執り行われるんです。元は、死後の道を示す死神のジャッチが正しいものかを調査するもので、そこに誤りがあれば判断を下した死神と、それを言い渡された者が平等に罰を受けます。受け入れた側に天罰が下るのは理不尽だと思われるかもしれませんが、お互いが納得したうえで決まるので仕方のないことですね。
当初、天国行きを告げられた者が死神のミスで天罰を受け、さらに地獄へ落とされる――そうなった者の心中は計り知れませんが、その判断を下すのは天界の長にして、神の最高位である天神様でした。あのお方は人間の心を見透かす力をお持ちなので、その者の本性を暴くこと出来るんです。嘘は通用しません。
しかし、前回の武闘会での天神様の一言で状況は一変しました。
「なんか、わし一人で罰下すのつまんない。だって『はい、ダメ~。ドボ~ン』って地獄に落とすだけだよ? それよりさ、みんなで戦って敗けたほうが罰を受けるっていうのはどうかな?」
当然、反対する者など誰もいません。そんなわけで、十一回目となる今回より『天界武闘会』という名前に変わり、装い新たに天国と地獄…それぞれの生き残りをかけたバトルロイヤをやることになりました。出場するのは、各方面から選れた精鋭・二十人。この者たちは天界人1人ひとりが持つ生命力が高いのです。これを天使の場合は『ハピネスポイント(通称:ハピポ)』、悪魔の場合は『デビルポイント(通称:デビポ)』と言い、この力は、どんな力にでも変換できるんです。
つまり、それを多く持っている者ほど攻撃力・防御力が高いということになります。無敵と言った方が分かりやすいですね。
結果、敗けた側は勝った側に吸収されてしまい、天界の均衡が崩れることになります。このままでは、多くの人間が正しく成仏できなくなってしまんです。
そこで、私たち天使はこれに勝利して「こんなことは、もう二度とおやめ下さい」と天神様に直訴しようと考えました。
ところが、困ったことに天使側の精鋭が一人だけ不足している状態なんです。武闘会まで、あと一週間…もう、時間がありません!!
そこで、貴方に願いがあります。ここで出会ったのも何かの縁です。天界の未来の為に、一度死んで私たちと共に戦ってくれませんか?
「初対面でいきなり『死んでください』はきついよ」
聞き終わっての率直な感想をため息交じりに投げる。落ち着く間を俺にくれ。
そりゃ、事情があるとはいえ彼女の最後の一言には驚いた。というか、ドン引きだ。もちろん、俺じゃない誰かに彼女が同じ話をしても、誰もが俺と同様の反応を示すだろう。
なぜなら――という分かりきったことは置いといて、先に今一番疑問に思っていることを解決させよう。
「シロの願いは分かったけど、何でそれを叶えるのが俺なんだ?」
「決まってるじゃないですか。牛尾さんがパピポをたくさん持ってるからですよ。言ったでしょう? それは貴方が強い証です。悪魔にさえ勝てる可能性が十二分にあるということです!」
そんなキラキラした目で見つめられても困る。
「それに、人間界で初めて出会ったのが牛尾さんで頼るしかない…というか、さっきも言った通り、もう時間がないんです。どうか、お願いします! 貴方が救世主なんですよ!!」
「ちょ…そういうのはやめろ!」
そういうのは、もっと困る。女の子に土下座させるなんて男として最低だ。しかも年下の女の子に。
「顔上げてくれよ」
彼女の肩に手を置き、土下座をやめるよう促すことしか俺にはできなかった。実に情けない。
「お願いします」
顔を上げ、なおも訴えくる彼女。
救いを求めるその瞳には一点の曇りもない。ただ、真っ直ぐに俺を見つめている。死んでくれ、なんて馬鹿げた要求だってことは百の承知だ。
でも、彼女は本気だった。それがダイレクトに伝わってきたのだ。
そもそも、たった一人の人間(何の取柄もない、ただの天体オタクでロリコン)の死が天界の窮地を救えるなんて思っていない。
仮に目の前の天使様から「思い上がりも甚だしい」と超上から目線で罵られたら、返す言葉がない。それは分かっている。元より、そんな子ではないと思うが。
だからこそ、俺は思った。
彼女がそれを望むのなら、俺は応えなければならない。何より力になりたい――と。
「分かったよ。その願い叶えてやる」
「本当に?」
「うん。第一、そんな顔されちゃ断れないだろ」
「ありがとうございます! では、今度は貴方の願い事を聞かせてください」
「俺の願い事?」
「はい。もし、本当に天界を救ってくれたら今度は私が貴方の願いを叶える番です。助けてもらうのですから、これくらいは当たり前です。さぁ、何でも構いません。欲しいもの、したいことを何なりとお申し付けください」
安心したのかシロの態度は一変、慎ましやかな胸を前に突き出して左手を出すと、太鼓を叩く要領で豪快な音を鳴らした。任せとけ、と言わんばかりのその気迫は大工の棟梁のまさにそれだった。おまけに、鼻息まで荒い。
「…っ!」
思った以上に鈍い音がして痛そうだった。