6 幻影での道行き
ゼイブンはローフィスを見た。
無表情だ。
馬はどんどん山道にさしかかる。
巨大な森林が黒々と目前に迫る。
仕方無い。
どんな化け物が出ようと、全力で…呪文を唱えるしか無い。
が…ふと思い当たる。
しかしデカい獣が出て来たら…。
ゼイブンは必死でサッテスを操ろうと両手を動かす。
僅かだが、手綱を操る事が出来る。
奴の武器は…短剣が無けりゃ…幾らサッテスを操れても、意味が無い。
ゼイブンは思い切り顔を下げる。
ローフィスが、唸った。
「史実道理なら…森の中の集落で武器や食料を調達してる。
それ迄にこいつらの口で俺達がしゃべれて動けるように成ったら……まあそれも、ぞっとしないがな」
「…短剣を調達しろって…?
…ぞっとしないって、何が?
まだあるのか?この上」
ローフィスはかなりラオールレンに重なっていたが、まだ透けてこちらを見つめる。
その青の瞳がくっきりと鮮やかで、ゼイブンはつい真っ直ぐ見つめ返す。
「お前がはっきりしだしてる。
こいつらを操れるようになるって事は、そのものに成りつまり…それだけ深く、幻影の中に取り込まれてるって事だ」
「…つまり?」
ゼイブンは気が回らず尋ねる。
ローフィスは吐息混じりに顔を背けた。
「…つまりそれだけ、抜けにくく成るって事だ」
ゼイブンは…暫く固まった。
「…ってか、どうしたら抜けられる?」
「さあな…アイリス!
見当付くか?」
ローフィスが怒鳴るが、返答が無い。
ローランデの悲鳴に近い、心配げな声音が響く。
「アイリス!
差し違えてもノルンディルを殺す事が出来ればそれでいいなんて、思わないよな?!」
ローフィスが思わず、怒鳴った。
「アイリス!
お前が頼りなのに、ノルンディルなんかに気を取られるな!」
暫くの沈黙。
誰の声もしない。
が、ようやくアイリスの声が頭の中に響いた。
「…姫を犯しに、奴は戻ってくる筈だ!
絶対に!」
ギュンターが怒鳴った。
「だって武器持って無いんだろう?姫は!」
アイリスがすかさず怒鳴る。
「ガスパスは持ってる!」
「…ガスパスって…ノルンディルって事だろう?」
ディンダーデンが吐息混じりに囁く。
「俺はまだ上手くこいつを操れないが…あんたは出来るんだろう?!」
スフォルツァに凄まれ、ディンダーデンは呻く。
「姫の所へ行けって?
…ならノルンディルの代わりに俺が手を出しても、文句を言うなよ!」
「…スフォルツァ!」
ラフォーレンの焦る叫びに、ローフィスは項垂れる。
「…どうしてこんな時なのに発情出来るのか、理解出来ない…」
オーガスタスの、暗い声音が響く。
「…ディンダーデンには何を言っても無駄だ」
「ローフィス!大丈夫なのか?」
シェイルの心配げな声。
「そっちこそどうだ?」
「俺と合流した」
ディングレーの男らしい声音が響く。
「お前ローフィスと入れ替われ!」
シェイルの悲鳴に、ディングレーは困り切ってつぶやく。
「俺だって、出来たらそうしたいが………」
ローフィスは頭を抱えて呻く。
「真面目に聞くな!ディングレー!
シェイルは…取り乱すと何だって言う!
それよりお前と合流したって事は戦は間近だろう?!
シェイルを頼んでいいか?!」
ディングレーの、気弱な声がする。
「…なら俺はゼイブンにあんたを頼むのか?」
ゼイブンが即座に却下した。
「あんたの頼みなんか、誰が聞くか!」
すかさず、オーガスタスの声。
「俺の頼みでも、駄目か?」
ゼイブンは言い淀み…偉そうに言った。
「…まあ…あんたに頼まれちゃ、仕方無い」
が、アイリスの声音が響く。
「ゼイブンは自分が大事だからローフィスを無くす訳にいかず、絶対ローフィスを護るに決まってる!
誰も頼む必要なんか無い!」
ゼイブンが歯を剥いた。
ローフィスが、情けなげに囁く。
「自分の為に俺を、護るのか?」
ゼイブンは開き直った。
「結果あんたを護るんだ!
理屈なんて関係あるか!!!」
シェイルが泣き叫ぶ。
「ディングレーの方が、数倍マシだ!」
ゼイブンは吐息混じりに言った。
「奴が神聖呪文を言えるか?
巧みに山道で馬を操れるか?
絶対、俺の方がマシだ!」
全員、『西の聖地』の山道を思い出し、ぞっとして項垂れた。
「…確かに、乗馬と神聖呪文はゼイブンは卓越してる。
ディングレー。
君よりは」
ローランデの声に、ギュンターが唸る。
「ゼイブンはああ見えてもヤバく成ったら絶対何とかするから、放って置いて平気だ!」
が、ギュンターはアーマラスの動きに目を見開く。
戦の準備は整い、銀髪の一族の長が出陣を決めたと連絡を受け取る。
アシュアークの入ったアラステスが、部屋に駆け込んで来る。
「…奴に遅れを取る気か?!」
アーマラスの、顔が歪む。
ギュンターは彼こそが、先陣切って斬り込みたいのだと知った。
が………。
アラステスの、後から姿を見せる英雄サナンキュラスを、アーマラスは見る。
その中に、透けてオーガスタスが伺い見える。
アーマラスが、告げる。
「君の…意見は?」
「俺は…あんたに従う」
男らしい…オーガスタスよりはうんとごつい顔をした…けれど英雄らしい顔立ちの、その男の顔に少しずつ…オーガスタスの、細い小顔が透けて見える。
アーマラスは気づきもしない。
自分も…この、どちらかと言えば右将軍アルフォロイスに似た男らしい顔立ちの…男の顔に透けて見え始めているのか。
ギュンターはそう思いながら、アーマラスが見つめるように英雄サナンキュラスを見つめる。
「もっとはっきり浮かんでる」
オーガスタスの、声が響く。
ギュンターはそれを聞いて吐息を吐いた。
「…お前より早くにここに、居るからな」
ギュンターがぼやいた時…アーマラスは決断した。
部屋に…入って来るその男の姿を見付け。
『光の民』
史実では、『光の国』の罪人『影の民』を追ってアースルーリンドに、降りて来た男。
横に、『光の民』には珍しい、小柄な男を従えていた。
「…小柄な…『光の民』も居るのか?」
ギュンターの問いに、すかさずアイリスが返答する。
「『金の蝶』だ…。
『光の民』はこの国で光の力を補充出来ない。
が、『金の蝶』と呼ばれる特殊な古代種だけが…『光の国』からこの国へ、光を導ける。
『金の蝶』はどこでも光の力が使える。
例え、アースルーリンドでも。
が、その能力は大きく無い。
『光の民』は『金の蝶』から進化し…周囲に満たされる光の力を自らに取り込み…自在に能力を操り、中には強大な力を持つ者が現れた。
けれど…それだけの能力者も、このアースルーリンドの地では力の源…光を得られず、ロクに力が使えない」
アイリスの説明に、ギュンターが唸る。
「『金の蝶』が居ると、連中は光の力を、使えるのか?」
「神聖騎士団の源と同じだ。
質の高く、濃い光を得られる」
「…そうか…。
アーマラスが出陣を、決めた」
アイリスの、吐息が漏れる。
「こっちは…!
とうに姫は汚されている筈なのに、ノルンディルは姿を見せない!」
ディンダーデンがぼやく。
「…そんなにノルンディルに犯られたいのか?」
アイリスが、吐き捨てるように言った。
「寝首掻いてやる…!」
ラフォーレンと、スフォルツァの溜息が聞こえる。
ゼイブンの、怒鳴り声が響いた。
「自在に幻影の人物を操れるように成っても、お前達の声は聞こえるのか?!」
ギュンターが唸った。
「出来るのか?!」
「こいつがあんまり危なっかしい手綱使いだから…俺が代わって操ったら…出来る…!
手に手綱の革の感触をしっかり感じる!
ほらまただ…!
そっちじゃない!」
「…ちゃんとお前の声は聞こえてる」
オーガスタスの声に、ほっとしたようにゼイブンが唸る。
「良かった…!
情報が無いと…不案内だからな…!」
途端…ローランデの不安げな声が響いた。
「史実では…援軍の、前か…?後か?!
サナンキュラスが…果てるのは!」
一斉に…皆どきっ!として、オーガスタスの気配を探る。
ディンダーデンの、呻く様な声が、響いた。
「「左の王家」の始祖が到着する、寸前に『影』の化け物に殺される」
皆、一様に沈黙に包まれる。
ディンダーデンの、声音が響く。
「…壮絶な、最期だ」
が途端、ローフィスの理性的な声色も響く。
「…姫のお付きの者達の方がもっと危ないぞ?」
ディンダーデンも気づいて呻く。
「…それもそうだな…。
ローランデ。
あんた神聖呪文を幾つか知ってる。と言ったな?」
ローランデが囁く。
「…ああ…戦いには向かないが、守護の呪文は幾つか」
ディンダーデンが唸る。
「俺は全く知らないが…こいつ(タナデルンタス)は知ってる。
こいつに、唱えさせられる。
お前は?スフォルツァ。
お前か…入った奴は、知ってるか?」
ラフォーレンもスフォルツァも、自分達の戦いは『影の民』との戦いだと気づき、項垂れきった。
スフォルツァの、気落ちした声音が響く。
「俺もこいつ(チェザク)も、殆ど知らない…」
ディンダーデンが呻く。
「それで良く、こんな所に忍び込んで姫を救出しようと思ったな…」
ラフォーレンが継ぎ足す。
「護符を、握りしめてる」
ローフィスの声が響く。
「スフォルツァ。ラフォーレン。
操れるんならローランデの側を絶対、離れるな。
護符なんて殆ど威力が無い」
スフォルツァもラフォーレンもただ、沈黙した。
そして…ローフィスが声を発しようとした時、オーガスタスの明るい声音が響く。
「俺はこいつ(サナンキュラス)と違い、呪文を幾つも知ってる」
アイリスが、呻いた。
「…後は我々が眠る、“里”の光がこの結界内に満たされていれば…威力はもっと、上がるんだが…」
ローフィスが、呻いた。
「俺が試して結果を知らせる。
狼の群れだ…!
飛ばすぞ!ゼイブン!」
「くそっ!いつに成ったら短剣調達出来るんだ!
俺は長剣は……!」
オーガスタスが、小さく成る二人の声に告げる。
「喰われるなよ!」
ローフィスが、返した。
「お前もな!」
ディングレーは横のシェイルを見る。
正確には、シェイルの入った銀髪の長の若い横顔を。
真っ直ぐの銀の髪。
若く美しい顔立ちでまだ育ちきらぬ青年の肢体を、馬上でしなやかに揺らしている。
が頻りに幾度も、手綱を軽く鞭のように使って馬を急かし、身を倒して全力で疾走してる。
透けて…シェイルの可憐な姿が伺い見える。
不安げに…並走して走る、自分に振り向くのが見える。
「…操れそうか…?」
尋ねると、シェイルが泣き出しそうな声音で囁く。
「…手持ちの短剣が僅かだ…!」
ディングレーは吐息を吐く。
「俺がどっかから、調達してやる…。
俺の入ってるこいつは…俺が持ってるのより余程ごつくていい剣を持ってる」
オーガスタスの、声が頭上で響いた。
「気をつけろ…!
この時代の剣はごつい分、直ぐ折れるらしいからな…!」
途端、ディングレーがぐっ。と喉を詰める。
アーマラスは甲冑を、付け始めていた。
ギュンターが吐息混じりに囁く。
「どうしてそんな史実を知ってる…!」
オーガスタスがぼやく。
「史実じゃない…。
さっき、剣の練習してる連中がそう…ぼやいてた」
ギュンターは少し離れて立つ、背の高く体格良い赤毛の将軍を見つめる。
堂とした姿は、兵達を従えるに足る姿に見える。
一方、アシュアークの入ったアラステスは支度の遅い年長者の長に、腕組みしていらいらと横を向く。
「…アシュアークの声がしない」
ギュンターが言うと、オーガスタスが笑った。
「しゃべれると、分かって無いんだろう」
ゼイブンは必死で手綱を繰る。
「罠に気を付けろ!」
ローフィスの叫びに先を見ると、色違いの草が、盛られてる。
ゼイブンは咄嗟に避ける。
背後の狼が突然どさっ!と穴に落ちる。
ゼイブンはぞっ…とした。
「…やっぱり中には先の尖った竹串が、幾本も頭突き出してるんだろうな…!」
ローフィスが叫ぶ。
「が、狼は減る!」
さっ!とローフィスが避けると、襲いかかる狼が着地、した途端足元の草が崩れ、狼は落ちまいともがいていた。
「…夜行性じゃないのか…!」
ゼイブンの声に、ローフィスも叫び返す。
「森は薄暗いからな…!」
また背後から飛びかかる狼に、ゼイブンは剣を振った。
コト…!
音がして、アイリスは戸口を見つめる。
ノルンディルが、透けてガスパスに浮かび上がって見えた途端、アイリスの瞳がぎん!と眼光を、増す。
ノルンディルはうっ…。と唸った。
『ともかく、ガスパスに任せろ!
アイリスはまだ完全に姫に同化していない。
ガスパスが事を終えれば…お前は抜け出せるから…!』
そう…メーダフォーテに焚きつけられて来たものの…ガスパスが歩を進める度、姫の中に浮かび上がるアイリスの端正な…睨み顔につい、呻く。
『…俺じゃない…。
ガスパスなら、勃つんだ。あの顔を見てないからな…』
が、目を背けようとしても…無駄だった。
ガスパスが避けようとする姫の、華奢な腕を引く。
「恥知らず!
よくもこんな…こんな真似が、出来ますね!」
姫が叫び…ガスパスは頬に姫の平手を喰らう。
ノルンディルは目から火花が散りそうな痛みに、歯を喰い縛った。
姫の平手にアイリスが間違い無く力を乗せて来ていた。
身が、揺れた途端ローランデに負わされた無数の斬り傷が、体中のあちこちで一斉にちくちくと痛みまくり…次いでずきんずきんと鈍く痛み続けてノルンディルは更に歯を、喰い縛る。
華奢な姫を抱き寄せた途端、顔を背ける姫と頬が触れ合い、ノルンディルはアイリスの骨張って冷たい頬の感触から怒気を感じ、ぞっ…。と総毛立つ。
無理だ…!どうしたって…!!!
必死で自分を堪え、ガスパスに従う。
が、真正面から泣きそうな姫の表情に透けた、アイリスの凄まじい形相を見た途端…ノルンディルは思い切り、怯んだ。
ガスパスは姫の頭を後ろからその手で押さえ、唇を、近づける。
泣きそうな姫の表情を、見はしたが、泣き出したいのはこっちだった。
姫の唇に重なる…透けたアイリスの唇に口付ける事を考えると。
咄嗟に、アイリスが業を煮やしガスパスの首に…つまり、自分の首だ。
…に腕を回して来る。
姫の華奢な腕の感触もしたが、がしっ!と首を、掴むように回された、腕の感触は紛うことなくアイリスで、咄嗟にアイリスの方から自分を抱き寄せ口付ける形になって、ノルンディルは呆然とする。
アイリスの、唇の感触。
舌でざらり…と上唇を舐められると、もう逃げようと、体が浮く。
が、ガスパスはのめり込むし、アイリスの腕は力が籠もり、首をぐい!とその腕で引かれ一層…顔が寄る。
自分が恥知らずだったら、泣いていた。
そして直ぐ…股間を掴むアイリスの手の感触。
ノルンディルはもう…総毛立った。
唇を離し、アイリスが殺気を覗かせる妖艶な表情で囁く。
「…どうした…?
勃たないのか?
…剣では強気だが、寝室でこれ程だらしないと、思わなかった…」
言って、再び腕が首を強引に引き寄せ口付けられ…その手が股間をまさぐった時、ノルンディルは自分の手がぴくぴくと蠢くのを感じた。
どんっ!
一メートルも…飛び退ってた。
ハア…ハアと、肩で息をする。
姫は安堵の表情だったが、アイリスは嗤っていた。
「…怖いのか?私が?」
ノルンディルは返答せず、脱兎のごとくその部屋を、駆け出した。
ドアを激しく閉め駆ける。
階段を駆け下りる所でメーダフォーテが入った少年侍従に出会う。
が足が止まらない。
細い手に腕を掴まれ、メーダフォーテが叫んでいた。
「アイリスは怪我を負ってるんだろう?!
君が負わせた!
そうじゃないのか?」
ノルンディルは振り向き、怒鳴ってた。
「なん…何だあいつは…!
自分から顔を寄せ口付けた上!
手で触ろうとした!直にだ!」
「それがどうした…。
それくらい、いつも性奴がしてるだろう?」
「あいつは大貴族だろう…?!
プライドってものが、無いのか?!」
メーダフォーテはノルンディルを見た。
怯え、切っている。
「…性で挑まれた事が無いのか?」
ノルンディルが、両手を激しく振り降ろし叫ぶ。
「どうして寝室で戦える…!
あいつは…アイリスは剣を寝技に変えて…俺に挑む気だ!
どうしてそんな事が、可能かすら解らない!」
メーダフォーテは暫く、呆けた。
「…だって…それが出来るからアイリスなんだ…」
ノルンディルは歯噛みした。
「それが言い訳で通ると思うなよ!」
メーダフォーテが吐息を吐き、囁く。
内心(お膳立てしたお遊びしか、して来なかったからな…)とつぶやいて。
「…ともかく、落ち着け」
「落ち…着けるか!」
「部下にあいつを縛らせて…必要なら傷口を掴め。
左肩だろう?」
「…………………」
だが病み上がりのノルンディルは真っ青で、ぶるぶる震える唇に手を、当てたまま。
「…駄目だ…。
奴の前に俺が痛みで失神する………」
メーダフォーテは呆けた。
これでも歴戦の戦士だ。
「(今迄だって傷が痛もうが、戦って来たじゃないか)」
言おうとした。
が丸っきり想定外の戦いに、痛みはいや増す様子を目に、吐息を吐いて代案を出す。
「…じゃ誰かに代わりに襲わせて…体力を、削ぎ取ってからにするか………?」
ノルンディルはその時ようやく…口を開く。
唇に手を、当てたまま。
「…もう俺を…絡め取ろうとする気力は、無くなるか…?」
メーダフォーテが囁く。
「縛り上げて傷口をさんざ、握ってやったら無く成るさ…!」
ノルンディルは想像したが、怒鳴った。
「ガスパスはどうあっても姫が欲しいんだ!
アイリスに…あいつにもう一度、口づけなんてされたら………」
メーダフォーテはガスパスの首に、ぽつり…ぽつりと赤い発疹が、浮かぶのを見つけてぎょっ!とする。
「…解った…。
解ったから………。
ともかくあいつを別の奴に襲わせ、毒を抜いてからでないと、抱けないんだな?」
ノルンディルは口に手を、当てたまま頷いた。
ディンダーデンは物陰からこっそり…二人の会話を聞いた。
入った、人物の口を使って二人は話していた。
そしてメーダフォーテの入った少年侍従の後を、こっそり付ける。
少年侍従は部下の一人でいかにも色事が得意そうな、体格のいい色男に声を、掛けていた。
「…縛り上げて、左肩を掴みながら入れて揺さぶるようにと…」
色男はその楽しい命令に、笑い混じりに頷いた。
メーダフォーテの少年侍従が姿を消すと、ディンダーデンは塔へ上ろうとする色男の前に、立ち塞がる。
「…タナデルンタス殿」
一応参謀の地位を追われたとは言え、城内にまだ絶大なる影響力のあるその大物に、色男は神妙に頭を垂れる。
ディンダーデンはしめしめ。と内心つぶやいて、おもむろに声を発する。
「…姫の相手は私がする…。
婚約者以外の相手と姫が抱き合うと…毒を出してその相手を殺す。と言う噂を、確かめたいからな」
色男は一瞬で、楽しい任務が毒味役だったと知って、ぞっ。と青冷める。
そして、タナデルンタスである自分に、命を救われた感謝すら滲ませて、職務を差し出した。
「英知あるタナデルンタス様。
当然、貴方の申し出に、文句はつけません」
ディンダーデンはその男に寄って、こっそり耳打ちする。
「…職務は自分が果たしたと…そう報告、するように…。
無駄な事は言わなくていい」
男はそれは、願ったりだ。と頷く。
生きて毒の無さを証明出来更に、手柄は自分のものだ。
一層の感謝を滲ませ…男はタナデルンタス…自分を見つめるのを見、ディンダーデンはほくそ笑んで男の肩をぽん。と叩いて頷いた。
扉が開くと途端、アイリスは戦闘態勢に入る。
が、奇妙な風体の済ました学者風の青白い顔の整った男前の向こうに、ディンダーデンが透けて見える。
途端、アイリスがふてくされた。
「状況を、見に来たのか?
悪いが君として、体力を削ぎ落とす気は無い」
ディンダーデンが、思い出してくすくすと笑う。
「…ノルンディルの奴、震え上がってたぞ?
刃物を突きつけた訳じゃないんだろう?」
アイリスはぶすっ垂れる。
「口付けただけで震え上がった?
…無礼な男だ」
が、ディンダーデンは目を見開く。
「…剣を…取り上げて突きつけたんじゃなく、股間を潰そうとしたんじゃなくて…あの震えようか?」
アイリスは二度、言った。
「口付けただけだ。
股間には触れたが。
別に全然力は入れて無い」
ディンダーデンは俯いたまま、絶句した。
が、気を取り直し尋ねる。
「…それでどうして震え上がる?」
アイリスは素っ気無く言う。
「こっちが、聞きたい」
「…メーダフォーテが男に命じていた。
縛り上げて左肩を掴み、入れて揺さぶれ。と」
アイリスの、眉間が吊り上がる。
「…余程私が怖いんだな?
…がメーダフォーテはさすがに私の対策に通じている」
そしてディンダーデンを見る。
「…その男がもうじき来る。と警告に来たのか?」
ディンダーデンはようやく、くすくすと笑った。
「もうここに来ている」
アイリスは肩を竦める。
「…で?君が私を縛り上げて揺さぶるのか?」
「…まあ…した事に、してやってもいい…。
あの様子ならノルンディルを落とせるようだしな」
「…せいぜいしおらしく、痛めつけられたフリをするか…」
「礼は後でいい」
そう言ってディンダーデンは扉の前で、腰掛ける。
アイリスは呆れた。
「礼を、要求するのか?」
ディンダーデンは頭を振った。
「…当然だろう?」
スフォルツァとラフォーレンがびくびくと背後に隠れるのに、ローランデは大きな吐息を吐き出した。
「…ギュンター達の話だと、こちらに押し寄せ戦いは間近なんだ…。
城内が不案内なままは、まずいだろう?」
ローランデに言われるが、さっきからやたら異形を目にする。
頭から山羊の角を生やす、真っ黒な顔の男や、体が毛むくじゃらの猪のような顔をした男。
すらり…と美しい魔も居たが、顔は真っ青だった。
不気味な異形達が、城下に行くにつれて増えて行き、城の兵達はその味方の異形をそれでも気味悪そうに見つめていた。
きーっ!
きーっ!
奇妙な声を発し、コウモリのような飛び魔が、城の庭を飛び回ってる。
「…哀れよの…。
そうは、思わぬか?」
柱の影に佇むその人物を見付け、ローランデが入った人物イェルクが、身構える。
『闇の帝王…!』
ローランデははっ!とする。
黒々とした真っ直ぐの長い髪。
端正な顔立ち。
理知的な青い瞳。
…が肌は青味を帯びて死人のように血色が無い。
「…元は『光の民』として、あれ程の美貌を誇った者達が力の源を無くし、あの姿だ」
イェルク(ローランデ)は頭を深く、垂れる。
スフォルツァが素早く背後から尋ねる。
「彼は知り合いなんですか?」
ローランデは咄嗟に返す。
「『闇の帝王』だそうだ」
ラフォーレンはぎょっとして叫ぶ。
「駄目じゃないですか…!
とっとと逃げないと!」
スフォルツァが馬鹿!と腕を引く。
「この異形だらけの庭でか?
奴はその親玉なんだぞ?!」
スフォルツァの入ったチェザクはローランデ同様頭を垂れ…ラフォーレンもしぶしぶ従って頭を垂れる。
が、スフォルツァが慌てて自分に振り向くのを目にし、ラフォーレンは
「?」
と見つめ返す。
「…お前…殆ど透けてないぞ?」
途端、ローランデの入ったイェルクが振り向く。
『口を使わず言葉を話せ…!
今のは聞こえてるぞ?!』
スフォルツァはラフォーレンを見る。
『…どこから口に出してた?』
『…透けてる所だ…』
スフォルツァは愕然とした。
同化、し始めている。
手も足も、感触としてある。
もし斬られたら…痛みを感じる程に。
「影で無いのに透けるのか?
お前の背後の男はどう見ても人間だ」
言われ、見つめられた途端心に重い闇がのしかかり…丸で吐き出す様に、名前、そして自分の過去を強制的に思い出す。
ローランデは咄嗟に神聖呪文を心の中で唱える。
「…ムゥ…!
お前、タナデルンタスの配下の者か?!」
『闇の帝王』に怒鳴られ、ローランデは頭を垂れる。
「然り」
ばっ!
黒のマントを手で引き寄せ、『闇の帝王』は身を背ける。
ローランデは下がっていい。と言う合図だと解り、頭を落として礼を取り、その場を離れた。
ラフォーレンとスフォルツァはローランデの背後にぴったりと身を寄せ、付いて行く。
『神聖呪文で追っ払えるのか?』
スフォルツァの問いに、ローランデが素早く応えた。
『『光の里』の結界内のせいか…増幅されてる』
ラフォーレンが心から言った。
『じゃ簡単に異形に食われませんね!』
ローランデが背後をちらりと見、囁く。
『私から、離れなければ』
ラフォーレンは慌てて、ローランデの背中に張り付いた。
「アースラフテス!」
ミラーレスの叫びに一瞬で、アースラフテスとサーチボルテスが空間から姿を現す。
寝台にずらりと横一列に寝ている皆の中の…ローランデの胸元から金の光が輝く。
アースラフテスは咄嗟にローランデに追随して、増幅の光を送った。
アースラフテスの手から放たれた金の光はローランデの光る胸元からその身へと、吸い込まれて行く。
がやがて輝きは消える。
「…今のは…」
サーチボルテスの言葉に、アースラフテスが振り向く。
「ローランデが神聖呪文を使った。
影と出会ったんだろう…。
アッカマンを呼べ。
必要ならその他の男達もだ!
呪文を使ったら、直ぐ援護してやれ!
傷口が開きかけたら直ぐ癒せ…!
が、気を失わせるな!
あちらの状況も解らず気を失わせてはまずい…!」
サーチボルテスもミラーレスも、同時に頷いた。
アースラフテスは直ぐ顔を上げると、瞬時にそこから姿を消した。
「…お呼びですか…?」
アースラフテスの声に、『光竜』ワーキュラスの、金に光る透けた少年の眉が、切なげに寄る。
“ディアヴォロスの目が、覚めた”
ディアヴォロスはやつれていたがしっかりとした瞳で自分を見つめる来るのを、神聖神殿隊の長は見つめ返す。
「アースラフテス殿…」
名を呼ばれ、アースラフテスは寝台に横たわったままのディアヴォロスに、顔を寄せる。
「…たった今…ワーキュラスがダンザインから、亀裂を見付けたと報告を受けた」
アースラフテスは頷く。
そして瞬時にダンザインが背後に姿を見せる、気配を感じる。
ワーキュラスが気弱に囁く。
“準備が…出来た様子だ”
「亀裂から中へ続く回路をウェラハスらが固定しています…。
邪魔が入らぬ内にお早く…!」
ダンザインの言葉にアースラフテスはまだ、彼に振り向かなかった。
寝台に横たわる左将軍の、やつれた顔から目が、離せなくて。
言いたかった。
その御様子ではとても………!
無理…だと。
がディアヴォロスは知っているように頷く。
ワーキュラスが彼に代わって言葉を発した。
“たった今、説明した所だ。
彼が一番無理無く同化出来る人物は「左の王家」の始祖、ダキュアフィロス。
…戦いには一番遅れて参加する。
まだ戦は始まっていない。
だから…中の様子をこちらに知らせ…回路を強く繋ぎ、援軍を我が送り込む間…彼は自分の領地でゆっくり休める筈だと”
アースラフテスは囁く。
「…それでもどう見ても…起きて動ける状態には、見えませんが…?」
ディアヴォロスは青ざめた顔で頭を揺らす。
「起きて…証明したいが彼が…余分な体力を使うなと…。
直ぐ…飛ぶ。
別にあっちに飛んで直ぐ、敵と戦う訳じゃない…」
アースラフテスはその…若き左将軍の強い意志と自分への信頼に感じ入って深く頭を垂れて囁く。
「…では引き続き治療はさせて頂きます。
向こうでお休み下さい」
「…だが…」
が、ワーキュラスが直ぐディアヴォロスの異論を遮る。
“君は向こうに、居てくれるだけでいい。
君と回路が繋がっている私が、こちらとの回路を強化する。
第一援軍を要請され、いざ出陣と成れば…君は嫌でも動くだろう…?
それ迄体を休めておかないと、肝心な時に友に逆に、迷惑をかけるぞ?
オーガスタスは君の身を護る為には平気で無茶をする”
ディアヴォロスは笑った。
「助けに行って護られる程、情けない事は無い」
ワーキュラスは頷いた。
“援軍を我が手配する迄…ゆっくり休め”
ディアヴォロスは素直にこくん…と頷いた。
ワーキュラスが顔を上げると、ダンザインが見つめ返す。
一瞬でワーキュラスから強い金の光がダンザインを伝って流れ行き、ダンザインから結界の外で配備している、ウェラハスへと流れ込む。
ホールーンとアーチェラスが、あまりに濃い金の光がウェラハスを伝い結界の亀裂内へと流れ行き、ウェラハスがきつく眉間を寄せる姿に慌てて、力を送りウェラハスの身を支える。
ドロレスとムアール、そしてエイリルは亀裂が崩れぬ様支えながら…蹌踉めくウェラハスを必死で支えるホールーンとアーチェラスの、眉間迄もが険しく寄るのを、見た。
“…こんな…きつい光を左将軍は人間なのに受けたのか…?!”
微かに…ホールーンが驚きの内に囁くのを、耳にする。
エイリルがそっと一緒に亀裂を支えるドロレスに尋ねる。
“…どう…なるんだ?人間が受けると”
“ヘタをすれば身の粒子が皆離れ…体を保つ事が出来ず宙に拡散する…。
左将軍の酷い傷は多分…それに逆らい意志の力で身を、繋ぎ止めようと抗って出来た傷だ”
エイリルの頭の中に横たわる左将軍の身に幾つものひび割れが傷として残る様子に、ぞっとした。
ムアールが囁く。
“拡散すれば痛みも苦しみも無い…。
が抵抗を示した途端、激しく耐え難い痛みが身を幾度も、駆け抜けたろうな…。
良く、魂が傷の痛みに耐えたものだ。
身から抜ければ…痛みも消えるのに”
“魂が…抜ける?”
エイリルは言った途端、それが“死”を意味する。と解って項垂れた。
『光竜』の光を浴びて拡散し死ぬ事は、『光の民』達の最も幸せな“死”とされて来た。
痛みが一切無く、心地良い光に包まれ逝くのだから…。
だから昔から『光の国』では不治の病の者は、『光竜』の住む岩山へと登り行き…『光竜』に頼むのだと、伝え聞いていた。
世界で最も幸福な“死”を、我に与えたまえ。
そう…願って。
エイリルが、吐息を吐いた。
“そんなにして迄…生きる事に価値があるのか?”
ドロレスがそっと言った。
“彼が死ねばテテュスが自分のせいだと…自らを責める。
母親を亡くしたばかりの幼子に、そんな心の負担を与えたくなかったんだろう…。
そう…ウェラハスが告げてる”
エイリルはウェラハスを見た。
彼程の能力者が…伝い行く金の光に圧され…ホールーンとアーチェラスにその身を支えられながら…必死でダンザインから受ける光の回路を保っていた。
やがて…その金の光の中、透けたディアヴォロス左将軍の姿が、吸い込まれるように回路を伝い、結界内へと姿を消して行くのを目にする。
ワーキュラスの神々しい声が響く。
“後少し…耐えてくれ…”
ウェラハスは必死に一つ、頷くと足を広げ身を必死に支える。
ダンザインですら…無言でただ…強い金の光が身を貫く様子に、耐えている。
ドロレスもムアールも…エイリルもごくり…。と唾を飲み込んだ。
ワーキュラスは繋がったディアヴォロスが架空の幻影の中の青空を翔け…眼下に広がる大きな白城へと降り行き、石壁に囲まれた窓から中の一室へ吸い込まれ…部屋で椅子に座る、ディアヴォロスよりもごつく厳しい顔をした黒髪の男の中へと…落ち着くのを見守る。
“…もう…良い。
亀裂が閉じたり崩れたりしない様…固定してくれ”
ワーキュラスが言った途端、ウェラハスは身を貫く金の光が一瞬で掻き消えてその圧迫から解放され、身をぐらり…!と揺らしたものの、顔を上げて頷く。
ホールーンとアーチェラスがウェラハスを気遣い直ぐに向かい来て、ドロレス、ムアールらと共に固めの力を亀裂の周囲に送り始める。
エイリルだけは呆けて、一度も見た事の無いリーダーの、弱々しく足元をもつれさせる姿を見守った。
ウェラハスはエイリルに微笑む。
“だらし…ないか?”
エイリルは問い返した。
“気を抜けば…貴方でも拡散した?”
ウェラハスは静かに、頷いた。
ワーキュラスは幻影内部を見渡す。
ディアヴォロスとの回路で僅かだが介入が、可能だった。
透けたディアヴォロスが、入り込んだ「左の王家」の始祖、ダキュアフィロスの中でぐったりと身を折る姿に目を止めると、アースラフテスに告げる。
“癒してくれ”
アースラフテスはミラーレスに頷くと、意識を失わせる程の光を、横たわる左将軍に送る。
ディアヴォロスがダキュアフィロスの中で意識を失うのを見つめ、ワーキュラスはその、幻影の世界を見回した。
正規の夢の傀儡靴王の回路ではない…。
自分が別に作った空間にディアヴォロスは居た。
だから…ギュンターらの居る空間と隔絶されている今、この世界に捕らわれている誰かを見つけ出しこちらから、話しかけねばならなかった。
彼らが気づけば会話が成り立ち、回路が繋がれる。
捕らわれた者達は皆同じ夢の傀儡靴王の作り出した空間に居る筈だから、一人と会話が成り立てば全員の動向を、知る事も可能…。
ワーキュラスはディアヴォロスから外へと繋がる回路を見つめ、吐息を吐いた。
ディアヴォロスの意識が失われている今、それを強化する術は難しい…。
出来得れば、捕らわれた彼らと近しい意識の者達の援軍が必要だった。
けれど…テテュス。レイファス。ファントレイユ。
人間の、ましてや子供の彼らに、無茶は頼めない。
勿論、テテュスに話せば二つ返事で快諾するだろうが…。
アイリスの、悲嘆を考えると気持ちが重くなる。
ワーキュラスは大声で夢の傀儡靴王を呼び出し、直ぐ様問い正したい気持ちを必死に、抑えた。
王はとっくに自分の介入に気づき、それすらも自分を楽しませる駒としてこちらの出方を伺っている事だろう…。
必要とあらばあちらから話しかけて来る筈だ。
だが打つ手の限られている自分に、優越感に満ちた声音は響いては来なかった。
ワーキュラスは一つ、吐息を吐く。
脆弱な回路。
今ここに神聖騎士を呼び込んでも、直ぐに弾かれてしまう…。
ここは、人間を入れる為に作られた空間だったので…。
が、回路を強化すれば『光の民』の介入も可能…。
ワーキュラスは切なげな吐息を吐き、もう一度ダキュアフィロスの中で意識を無くすディアヴォロスを見つめる。
普段の彼の“気”なら瞬く間に回路を強化し、神聖騎士達を呼べた事だろう…。
が、ワーキュラスはその思惑を振り切るようにして、広大な空間目指して飛び立った。
遥か古代の創始の頃のアースルーリンドの、居城がまばらに点在する、緑多きその大地を駆け抜け、目指す姿を見つける為に………。
ワーキュラスが空を駆けていると、黒々とした森が眼下に伺えた。
そのうんと先の草原に、突進する速さで駆けて来る、二騎の騎手。
森の中では過去の幻影の『影』達が…援軍要請にやって来るアーマラスの部下達を、阻もうと待ち伏せしていた。
ワーキュラスは咄嗟に飛ぶ。
そして…まだ透けて浮かぶ淡い髪の男が馬上で馬を巧みに操るその、横へと飛んで叫ぶ。
“罠だ!戻れ!”
が、横に突然現れた金の光にゼイブンは、目をやるだけで直ぐ、前を向いてしまう。
“戻れ!”
繋がらぬ空間の相手に声は届かず、ましてや幻影の人物の中にすら居ない自分の声は、風のさざめきと同じ。
黒々とした森の入口が目前に迫る。
それでもワーキュラスは必死になって叫んだ。
“戻れ!”
突然手綱を引き、いななく馬の歩を、揺れる馬上で身を跳ね上げながら止めたのは、横のローフィスだった。
ゼイブンは並立する相手が突然止まるのを目に、慌てて馬をいなし速度を緩め、馬の首ごと振り向く。
「ローフィス!何て無茶だ!
傷が開くぞ馬鹿!」
ローフィスは鎮まる馬上で脇に手を当て、痛みに顔をしかめ俯いていたが、馬を促し寄り来るゼイブンに面を上げる。
ゼイブンは吐息を吐き、口を開きかけた。
が、ローフィスは自分に寄り添うような金の光に顔を向け、囁く。
「どうした?
ワーキュラス。
ディアヴォロス迄もが捕らわれたのか?」
ゼイブンはその名を聞いて、びっくりした。
仄かな金の光はローフィスに認識され、瞬く間に金の大きな光と成って、14・5の少年の姿を、浮かび上がらせた。
が直ぐ、ローフィスの声を聞いたオーガスタスの獅子の咆哮のような凄まじい声が頭上で響き渡り、ローフィスは思わず目を閉じ、顔をしかめた。
「ワーキュラス?
冗談だろう?
ディアス迄ここに?!
あの体で?!!」
が、ゼイブンが見ていると金の光に包まれたワーキュラスは、明らかにほっとした。
“有難い…。
オーガスタスとも通じているのか?”
が直ぐ、ギュンターの憮然とした声音が響く。
「みんな、聞こえてるぞ…。
雷鳴のような声だったからな…」
ローフィスも同意した。
「不意打ちだと音量調節は難しい…」
が、オーガスタスは怒鳴った。
「いいから、ワーキュラスと話をさせろ!」
ローフィスも、ゼイブン迄もがその大声に眉をしかめたが、ワーキュラスはほっとした。
ローフィスからオーガスタス…。
その影響力の強い男は、空間で他の皆と繋がっていた。
細い…金色の回路が、傀儡靴王の作った空間と自分の作った空間に繋がれ行くのを見て、ワーキュラスはローフィスに囁く。
“陰謀が企まれ、君達はこの空間で人質と、成っている”
「やっぱり…そうか!
アイリス!
お前の言った通りになったな?!」
がディングレーの野太い、男らしい声音の後に、アイリスの声は続かない。
「…今、忙しいのかな?」
ローフィスの呟きに、がオーガスタスが叫んだ。
「あんたなら何とか出来そうなのか?
ワーキュラス!」
が、ゼイブンは見ていると、ローフィスの横に姿を現した金に光る少年は随分、気落ちして見えた。
“私がここで力を使うと、空間は崩落して君達は中の人物に、捕らわれたまま死ぬ”
「…ハァ………」
ギュンターの溜息が、はっきりと頭の中に響き渡る。
「でも方法は…あるんだろう?」
シェイルの心配げな声。
「勿論、全力を尽くす。
これで君達の姿が全員確認出来た。
私は力を使えないが、忠告する事は出来る」
ローフィスは直ぐ顔を上げて横の光を見つめた。
「それは有難い。
暗闇で、穴ぼこだらけの道を、歩いてるみたいなもんだったからな!」
オーガスタスの吐息に、ワーキュラスは躊躇ったが、告げた。
“ディアスは好んでここに来ている。
勿論私が付いてる限り、無茶はさせない。
…が、君達の居る場所と隔てられているのは確かだ”
オーガスタスの、思惑が複雑に揺れるのを、皆が感じて吐息を吐く。
「つまりわざわざ、来たってのか?」
その声が不機嫌で、ローフィスですら面を下げた。
“言ったように無茶はさせないし、今は眠らせている”
オーガスタスが、当然だ。と頷いてる気が、皆した。
「ワーキュラス!
ローフィスはまだひどい怪我なんだ!」
シェイルの叫びに、ローフィスが頷く。
「ワーキュラスは助けてくれる」
そうなんだろう?と横の金の光を見つめる。
ワーキュラスは一つ、頷くと囁いた。
“この先の森は駄目だ”
ゼイブンは口を開こうとし、が代わってローフィスが言った。
「罠だろう?
…だが迂回路が無い。
俺達が援軍を呼ばないと…戦に出る連中の生存の確率は低い」
ワーキュラスが悲しげに呻いた。
“ともかく、少し待ってくれ…
方法を見つけるから”
ローフィスは頷いて、ゼイブンに『休憩だ』と顎をしゃくって、馬から降りた。
ゼイブンは吐息混じりに足を跳ね上げ、馬の鞍から尻を、滑り落とした。
はーっ!
と伸びをし、ディンダーデンは戸口で降ろしていた尻を持ち上げ、豪奢な足の無い床付ソファに身を委ね目を閉じているアイリスの元へと這い進む。
アイリスは目を開けると、もう殆ど同化を果たしつつある、確かにチンドン屋のような紫ターバンと紫、黄色混合の派手な衣装に身を包んだディンダーデンの笑みを見つめ、近づくその男に眉をしかめた。
「…思ったんだが、コトが行われた。と少しはこの辺りを寝乱れ風に装わないとマズいだろう?」
アイリスの眉間が思いきり寄る。
がマジで睨まれ、姫の細面にアイリスの整った顔立ちがくっきり浮かび上がり、その濃紺の瞳で睨まれると、正直ぞくぞくしたし、やっぱり股間がざわついた。
「…そう言えば、胸の豊かな侍女を、指をくわえて見送ったな…」
「代わりをしろ。とでも言う気か?」
ディンダーデンは肩を竦める。
「どのみち時間潰しは退屈だし、その間は俺も二つ身じゃないから、遊びに行けない。
手でも口でも方法があるだろう?」
が、色白の華奢な姫の奥に、長身と逞しさを感じさせるアイリスがくっきりと浮かび上がると、見ているディンダーデンに低い声で唸った。
「…ノルンディルを確実に仕留める為に少しでも体力を温存したい。
分かってないと思うけど、未だ左腕は痛んで上げられないんだ!」
がディンダーデンは蛇のように這い進み、アイリスに圧し掛かると仰け反る顔を見つめ、囁く。
「口づけ程度なら構わないだろう?」
アイリスは笑う、その男の顔の裏が読めた気がした。
「…ギュンターは確か君は、キスが上手い。と言ってたな…。
キスだけ。と言って、今まで何人寝技に持ち込んだんだ?」
ディンダーデンは両手ついて見下ろすその顔の主が、油断ならない策謀家だと思いだす。
がふ…、と顔を上げ、つぶやいた。
「…さぁな…。
覚えてなんかいるか」
アイリスは横向いてふて切った。
「…そうだろうよ…」
ディンダーデンは顔を傾け、囁く。
「人の事が言えるのか?
お前は何人だ?」
ディンダーデンに思いきりソノ気で顔を傾けられ、アイリスもふ…と思い出そうとした。
が具体的な数はやっぱり、ディンダーデン同様思い浮かばない。
「…まあ…確率が高いのは確かだ」
ディンダーデンは頷く。
唇が触れると、それはどちらかと言うと、華奢な姫の唇の感触で、ディンダーデンは余りの嬉しさに、つい思いきり顔を傾けて舌を差し入れる。
腰に腕を回し抱き寄せると、姫は細腰で、更に胸もあって、僅かにもがく華奢な身の感触に、ついディンダーデンは内心呟いた。
『馬鹿だな…ノルンディルの奴…。
もっと時間が経てばアイリスがすっかり同化して、あのごつく逞しい身を抱く事になるのに』
ついその小さな唇の感触がたまらなくいじらしく感じ、もっと抱き寄せて唇を重ねると、突然姫の小さな舌が口の中に、入り込んで来たと思った途端、ざらり…。と頬の裏側を舐められ、次いで舌に絡みつき、吸い上げられてディンダーデンは一気に煽られ、思いきり姫を抱きしめたが、華奢な感触の下に確かなアイリスのごつく筋張った感触が浮かび上がり
『そうか…。
今のはアイリスか……』
と呟いたが、こんな女とも男とも言えない相手と抱き合うのは初めてで、物好きなディンダーデンはすっかり夢中に成って相手を追い、求めた。
がふいに、その右手が胸板に押し当てられたと思うと、ぐい!と凄い力で押され、身が押し上げられてさっき迄合わさっていた唇が真下に見えた。
「…………………………」
流石のディンダーデンも、姫が相手だと思い込んでいたら華奢な身の怪力女の力技にパニくったろうが、裏にアイリスが潜んでいる。と分かっていたから、アイリスの説得にかかる。
「俺の見たところだと、姫は欲求不満だ」
アイリスの、低い怒声が頭の中で響く。
「それは君の、見解だ」
腿に姫の華奢な腿の感触が衣服を隔てて触れ…ついディンダーデンはアイリスに囁く。
「ここが熱い。と言う事は欲している。と言う事だし、ここで遮るのはお前の自分勝手だ。
…入ってて感じないのか?
姫は俺が欲しいと思ってる」
「一緒に揺さぶられるのは間違いなく私だから、姫には可哀そうだが御遠慮願ってる」
きっぱりと言い切られ、潤んだ姫の瞳の向こうに意思の強いアイリスの視線が突き刺すように注がれ、ディンダーデンは吐息を吐いて細腰を手放す。
がつい、口では不満を漏らした。
「こんな面白い体験は滅多に、出来やしないのに」
「私なら、神聖神殿隊の幻術使いに頼んでやれるし、幻術なら君が女性の中にだって入れるぞ?」
「…便利だな。
なら幻術の中でお前を思い切り啼かせるか…」
身からどいて離れ行くディンダーデンのその呟きに、アイリスの眉間が寄る。
「幻想の私を口説く気か?」
「別に幻想なら構わないだろう?」
「君程のモノ好きも珍しい。
幻想の中なら、どんな相手も思うがままなのに」
ディンダーデンはアイリスの横に尻を落ちつけると、吐息混じりに囁く。
「確かにその場はいいさ。
が俺の意識はそれが幻想だと、知っているからな」
「本物じゃなきゃ、狩猟本能が満足しないか?」
やはり身を起こす姫の中にくっきりと男のアイリスが、壮絶に艶を含んだ表情でこちらを見つめて来る。
誰が見ても、注意が必要な危険な色香だと解る。
濃紺の瞳が潤み斜に見つめられると、ぞくりと身が、戦慄く程だった。
が、ディンダーデンは聞いてやった。
「今俺が、見えているか?」
アイリスは素気なく言った。
「姫を汚すのはガスパスだ」
「…つまりノルンディルか?」
にやっ!と笑う、アイリスの艶が増す。
あまりの壮絶な色香に、ディンダーデンは内心呟いた。
『色が奇麗でとても美味しそうな毒薬って、こんな風のを言うんだな』