13 魔法の“里”
………うふ。
絵が全然ありません。
野心だけはあります。
全員の、湯に浸かるシーンがいつか描きたい…。
スフォルツァは丸で魔法のようだ。と感じた。
皆で夕食を取り囲み、その後猛烈な眠気に、襲われた所までは覚えてる。
…が、目覚めたら…床一面にマットレスの敷き詰められた部屋で、いつの間にか連中同様、頭からすっぽり被る夜着に着替えてて、しかも雑魚寝してる…。
周囲に、近衛でも威厳溢れるディングレーの寝顔やオーガスタスらの寝顔を見つけ、ぎょっ!とする。
彼もラフォーレンもアルフォロイス右将軍陣営で、戦で顔合わせはするものの、同じテントで眠った事すら無い。
こんなに私的な場面は初めてで、両手寝台に付いて身を起こしたものの、そのままの姿勢で固まっていた。
横のラフォーレンも、仰向けで目を開けたまま、そっ…と横の、オーガスタスの寝顔に固まっていた。
「…何が起こったか、解るか?」
スフォルツァの声に、ラフォーレンは首を横に、振る。
「解ってる事は…」
スフォルツァがつい、腕を曲げて顔をラフォーレンに寄せ、聞き耳立てる。
「…あっちの窓辺に、別室に消えた筈のディンダーデンとアシュアークが………裸で居る」
顔を動かさず、視線だけで促すラフォーレンのその先に目をやると、窓辺の陽差しを受け、裸のディンダーデンの胸にアシュアークが、やっぱり裸の肩に陽を浴びて、抱きつき眠っていた。
スフォルツァはつい、キョロキョロと周囲を見回す。
「子供は別室だ。
今日は全員薬湯に浸かるから、子供は除外する。と連中が言ってた。
別室に運ばれてるだろう?多分」
その言葉は、巨大な雑魚寝寝台の外から聞こえ、見ると神聖神殿隊付き連隊でタマに見かける、淡い銀とも金ともつかぬ、独特の髪の男が、立ってこっちを見ていた。
横に以前近衛に居たローフィスが、その男に肩を支えられ、もう片方を銀髪美貌のディアヴォロスの恋人、シェイルが支えていた。
連中が、巨大な寝台の横を歩き、窓辺へと進み行くのを見つめる。
が独特の髪色の男が、扉を開けて顎を、しゃくる。
つい、横の身を起こすラフォーレンと目が合い、二人はまだ寝てる連中の間を、踏みつけない様気遣いながら寝台を脱け、後に続く。
ガラス扉のその向こうは外で、洒落た彫刻の彫られた白い石で囲まれた巨大な浴槽に、緑色の湯が張られていて、見るとシェイルが甲斐甲斐しくローフィスの衣服を脱ぐのを手伝い、促した男はさっさと衣服を脱いで先に浴槽に入り、服を脱いだローフィスの、手を支え湯の中へ、誘っていた。
ローフィスの、胸に治りかけの傷。それですら浅く無い。
脇腹に二カ所。
その一つは深く肉を抉り、裂けた傷からまだ赤い肉が、覗いていた。
ローフィスは男の手を支えに、それでも屈むとくっ!と眉根を寄せる。シェイルはもう必死で…ローフィスが辛く無い様腕を支え…。
シェイルのその真っ白で華奢な裸体は初めて見たが、小鳥のように可憐で、本当に綺麗な青年だとスフォルツァは改めて近衛一。と呼ばれる美青年を、感嘆の眼差しで眺めた。
が、辛そうなローフィスを見つめ、湯に屈むローフィスの腕を取りその顔色を伺うシェイルは泣き出しそうな表情で、普段冷たく無表情なシェイルの、そんな様子についびっくりし過ぎて言葉を無くした。
「傷は見慣れてるだろう?」
背後の声に振り向くとディンダーデンで、彼は素っ裸で立っていて、顎を上げ偉そうに
“とっとと先へ行け!”
と前を塞ぐ二人を促す。
二人は戸惑い、脇に避けてディンダーデンに道を開けると、ディンダーデンはさっさと進み湯船に浸かる。
が見ていると、湯に入った全員が、肌に染み渡る心地よさに顔を仰向け堪能する様に、つい顔を見合わせ、のろのろと衣服を脱いだ。
四角な浴槽の、端の湯の中へ続く階段を降りて行く。
透けた濃い緑の湯が揺らめき、すっかり浸かった時、言いようのない心地よさについ、スフォルツァは目を、閉じた。
次に現れたのはギュンターで、彼はアイリスをその腕に抱き上げていた。
湯の中からディンダーデンが途端、顔を上げて悪友に告げる。
「代わってやろうか?」
が、ざっ!と湯音を立て、先にスフォルツァが湯から上がる。
素っ裸でギュンターの前へ歩を進めるスフォルツァに、ラフォーレンは顔を下げて吐息を吐き出した。
ギュンターは進み来る、自分と変わらぬ程長身の右将軍派、若手筆頭頭の決然とした男らしい顔を見はしたが、つぶやく。
「こいつは、はっきり言って重い…!」
背後からローランデがついて来て、ギュンターの歩を塞ぎ、両腕を広げアイリスを、迎え入れようとするスフォルツァを見た。
ざっっっ!
ディンダーデンが湯から上がって来るのを見、ギュンターはつい二人から顔を背け、俯いて吐息を吐き出す。
アイリスはまだ寝ぼけ、ギュンターの胸に顔を埋めていたが、気配に顔を上げ、目前にスフォルツァが。
その背後からディンダーデンが、どちらも素っ裸で向かい来るのに目を、丸くした。
つい、あしらい易いスフォルツァで無くディンダーデンにつぶやく。
「アシュアークで思い切り、発散したんじゃないのか?」
スフォルツァはつい背後を振り向く。
ディンダーデンは肩を竦めた。
「全部出し切る前に、気絶された」
ギュンターが、アイリスの顔の上で吐息を吐き出した。
アイリスも顔を下げる。
「やっぱり噂は、本当か?」
目前の、スフォルツァがつい尋ねる。
「噂?」
ギュンターが引き継いだ。
「戦闘後は暫くケダモノに成る。と言うアレだろう?」
アイリスはギュンターの腕の中で、項垂れて頷く。
ディンダーデンはギュンターの腕が、アイリスの重みでぶるぶる震えてるのに気づく。
「限界なんだろう?」
ギュンターが、咄嗟に顔を上げ怒鳴った。
「限界なのはお前らが道を塞ぐからだ!
とっととどけ!」
スフォルツァはつい、その迫力に口を閉じて道を開け、ディンダーデンも体を横向けギュンターを通した。
ギュンターは浴槽の横にアイリスの足を降ろす。
途端スフォルツァとディンダーデンがギュンターを押し退ける勢いで両横に張り付くのを見、ギュンターはチラ…。と、足を止めたまま呆けるローランデを見た。
ディンダーデンが、さっと屈むと、足先からアイリスの衣服を掴み上げる。
アイリスは足元からめくられ、スフォルツァ迄もが横に屈み、衣服をたすき上げられて仕方無く、腕を上げる。が左腕を持ち上げた途端、痛みに顔をしかめる様子に、スフォルツァがささやく。
「上げなくていい…」
ディンダーデンが右腕から衣服を抜くと、スフォルツァはそれを受け取り、アイリスの頭を潜らせ肩を通し、下げたアイリスの左の指先へと、衣服を通し落とした。
ローフィスもゼイブンも、見てられない。と顔を背ける。
シェイルがぼそり。とささやいた。
「丸でお姫様扱いだ…」
ローランデがそっ…とシェイルの横に浸かり、直ぐその横にギュンターが入って来る。
シェイルがローランデの向こうのギュンターを睨み怒鳴った。
「お前は、ゼイブンの横へ行け!」
ギュンターは直ぐ肩を竦めた。
「ゼイブンはだってディングレーだろう?」
だが今度はゼイブンが、ギュンターを睨んだ。
アイリスは右手をディンダーデン。左手をスフォルツァに支え導かれ、二人にエスコートされて湯へ足を入れる。
その、困惑し左右の男達を見つめる様子に、ローフィスが唸る。
「流石のお前もその傷じゃ、二人は殴れないか?」
アイリスは俯いた。
「親切は殴れない…」
そして湯に浸かると、左のスフォルツァに顔を向ける。
「私の全裸を見ても…その気に成るのか?」
がスフォルツァがそっとささやく。
「やつれたな…。少し細く、成ったんじゃないのか?
君が近衛を除隊する頃見たが、もう少し幅があったろう?」
アイリスが顔を下げる。
「…幾ら食べても…傷を治すのにどんどん…体力使ってるせいか…だがそれなら…」
顔を上げ、ローフィス、ギュンター、ゼイブンを見る。
が、アイリスに見つめられ、察したローフィスが唸る。
「俺が幾らやつれても、手込めにしたい男がここには居ないからな!」
ギュンターも頷き、ゼイブンも習った。
がギュンターはゼイブンを見た。
「お前は違うだろう?」
「この年の俺に、ディングレーが欲情するか!」
「誰が誰に欲情するって…?」
ディングレーはもの凄く眠そうな、いつものきりりとした男前で無く、寝ぼけ顔で身を屈めガラス戸を開け、が途端視界に飛び込む、アイリスの両脇のスフォルツァとディンダーデンを見、一気に眠気が覚めて、素早く衣服を脱ぐとゼイブンの横へと滑り込む。
ゼイブンの、眉間が寄る。
「…どうして俺の横だ!」
「一番、奴らから離れてる…。
どうして朝っぱらから、あんな濃い物を見なくちゃいけないんだ?」
アイリスが呆けた。
「湯に浸かってるだけで別に濃くは…」
が途端、眉間を寄せ、左のディンダーデンを睨み、湯の中から掴んだディンダーデンの手首を引き上げる。
「…どこを触ってる!」
スフォルツァが一気に睨み付けて戦闘態勢に、入った。
「彼が怪我人だと、お前が言ったんだろう!」
ディンダーデンは途端、笑った。
「この湯の中なら、多少揺さぶっても痛くないぞ?」
アイリスが、手を再び湯に戻そうとするディンダーデンの、手首を握り止めて力比べをし、怒鳴った。
「そう言う問題じゃない!
君はケダモノだろう?!
もうとっくの昔に女役なんて出来ない状態なのに、肩の傷の他に傷なんか、作ってたまるか!」
がディンダーデンはまだ手を下に落とそうと力を込め、つぶやく。
「それ位の傷、直ぐ癒えるさ。
ここをどこだと思ってるんだ?
説得力無さ過ぎだぜ?アイリス」
ディンダーデンに顔を寄せられ、アイリスが顔を背け怒鳴る。
「だから!どうして私だ!」
ギュンターが顔を湯に向けてぼそり。とつぶやく。
「そりゃ…お前なら壊れないからだろう?」
「もうとっくに壊れてる!大々的に!左肩が!!!」
ディングレーも顔を上げてぼやく。
「そうだな。普段のディンダーデンならシェイル辺りを口説いてる所だろう?趣味的に」
ゼイブンが俯いて、ぼそり…と言った。
「つまり…ガタイで選んでんのか?」
ディングレーが頷く。
「ギュンターでも良さそうなのにな。
いつも連んでる馴染みで、アイリスよりは軽傷だ」
ギュンターが、吐息混じりに囁く。
「俺でも良いって事は、お前でも良いって事に成らないか?」
が、ディングレーが口を開く以前にディンダーデンが眉間を寄せまくって怒鳴った。
「お前らで、勃つか!!!」
ごもっとも。とディングレーもギュンターも、同時に顔を下げた。
が、ディングレーが次に顔を上げた途端、目を、まん丸に見開く。
ディンダーデンが四の五の言わずアイリスに、被さり襲いかかったので。
アイリスはディンダーデンにのし掛かられ、顔を寄せられて身動き取れず、咄嗟にスフォルツァがのし掛かるディンダーデンの、頑健な肩を掴み引き剥がしにかかった。
「………………………」
シェイルもローランデも、湯を蹴立て暴れる三人に、言葉無くただ、目を見開き見つめる。
ローフィスが大きな吐息を吐き顔を下げ、怒鳴った。
「悪いな!アイリス!
俺も負傷してなきゃ、助ける気は、あった。
仕方無いから喰われてくれ!」
スフォルツァが、ディンダーデンの肩を掴み引き剥がしながら怒鳴る。
「喰わせてたまるか!」
そして、ラフォーレンに助っ人しろ!と顔を向けるが、ラフォーレンは思い切り、顔を背ける。
のし掛かられるアイリスは、口付けようとするディンダーデンの顔を避けてどんどん湯の中に沈み行く。
ディングレーがつい、呆けて言った。
「あいつ…!溺れるんじゃないのか?!」
ゼイブンが、行こう、と肩を揺すりながらも進めず、顔をしかめ、デカイ三人の激闘を見守った。
が、すっ!とガラス戸を開け、やっと御大が姿を見せる。
一際長身のオーガスタスが、赤毛を靡かせさっさと浴槽脇に歩を進め、衣服に手を掛けシェイルに怒鳴る。
「ローフィスの、目を覆っとけ!」
シェイルは慌てて、両手をローフィスの、目に当てる。
ローフィスはシェイルの手を手で掴み退け、怒鳴った。
「餓鬼扱いするな!
あいつの傷くらい全部、受け止めてみせる!」
が、ざっ!と音を立てて衣服を頭から抜く、全裸のオーガスタスの、余りの傷の多さと時折十時に重なる部分の傷が深く抉れ、ローフィスはさっ!と顔を下げ、オーガスタスに怒鳴られた。
「言わんこっちゃない!」
が、御大オーガスタスはまず、アイリスの横の湯に飛び込み、スフォルツァを押し退けてディンダーデンの左肩を腕毎掴んで乱暴にアイリスから引き剥がすと、自分がアイリスの前に身を入れ、ディンダーデンと相対す。
ディンダーデンは咄嗟にのし掛かろうとしたその先にオーガスタスを見つけ、びくん!と身を、大きく揺らし止めた。
アイリスを背に回したオーガスタスと、ディンダーデンの睨み合い。
オーガスタスはあくまで静かで、断固としてディンダーデンを睨み、ディンダーデンは邪魔するライオンに、目を剥いた。
「どけ…!」
吠えるディンダーデンに、オーガスタスは余裕でゆらり…!と肩を揺らす。
がシェイルが、咄嗟に叫ぶ。
「ディンダーデン…!
オーガスタスの傷を、無視するな!」
その、泣き出しそうな声にディンダーデンは、敵の小顔で無くその下に視線を、つい送る。
肩も胸も、凄惨な傷だらけ。
一瞬で固まるディンダーデンに、オーガスタスがつぶやく。
「どうする?やるのか?やらないのか?!」
ディンダーデンは一瞬唾を飲み込んで戸惑いに身を揺らし、怒鳴った。
「出来るか!」
オーガスタスはたっぷり、頷く。
「俺の、負傷勝ちか?」
ローフィスは下げた顔を上げ、自分に尋ねる親友にぼやく。
「シェイルが怒鳴らなかったら!
ディンダーデンは気づかなかったんだぞ!」
「それは俺の、人徳だ。
シェイルはお前の為。
お前は俺の為。
結果、俺は傷を増やさず済んだ」
そして、まだ間近に取り囲むスフォルツァとディンダーデンに告げる。
「アイリスは、俺が貰う。
どっちも引いて貰おうか!」
ギュンターが、ぼそっと言った。
「アイリスに背を向けず、奴を見ながらそのセリフが言えるか?」
オーガスタスが、途端睨んだ。
「背を向けてるから現実を見ずに済んで、俺が庇ったのはか弱く可憐な奴だと、思い込めるんだ!
台無しにするな!!!」
ディンダーデンが、腕組んで顔を上げる。
「俺は直視、出来るぞ?」
スフォルツァも、にじり寄る。
「俺もだ!」
「私の意見を言わせて貰えば…!」
ディンダーデンとスフォルツァが、オーガスタスの背後からつぶやくアイリスに、注目する。
「この中で抱かれてもいい。と思うのはオーガスタスだけだ」
が、アイリスに背を向け庇うオーガスタスの身が、動揺仕切ってぐらり…!と揺らぐ。
ローフィスがそっと崩れそうな程ショックを受けてる親友に囁く。
「踏み留まれ!
アイリス得意の詭弁だ!」
が、ディンダーデンがフテ切って言った。
「奴は、本気だ」
スフォルツァが、泣きそうにつぶやく。
「そんなに…見劣りするのか?
俺はオーガスタスに」
がその問いに、全員が
『当然、そうだろう』
と無言で同意し、所望されたオーガスタス本人は、その場を逃げ出して二人に押しつけたいのを、必死で踏み留まって我慢した。
目が醒めた。と思ったらテテュスはいつの間にか、寝室とは別の場所に居て、目の前の光景に呆然。とした。
横でファントレイユが目を擦って起き上がり、レイファスがファントレイユの膝の上で安らかに眠っている。
そこは外で、草原で、周囲は木々で囲まれていた。
テテュスの目前には7・8人程の子供が居て…どの子もみんな、びっくりする程色白で、綺麗で可愛らしい顔立ちの子供、ばっかりだった。
内の一人が顔を上げる。
凄く、利発そうな顔立ちで、仄白い髪はでも、栗色を帯びていた。
くっきりとした碧の瞳で微笑むと、寄ってきて膝を付いて呆けて見ているテテュスに屈む。
その直ぐ横に、少し小柄な、凄く可愛らしい金髪巻き毛の子が、一緒に屈み込み、その子に告げる。
「人間の、子供?」
その子は頷くと、テテュスに手を差し伸べる。
「今からみんなで水に浸かるんだ。
今日は暑いから」
そして、見上げるファントレイユと、その膝から頭を起こすレイファスを見、ささやく。
「ごめん。僕まだ一人ずつしか運べない」
その利発そうな子が困っていて、ファントレイユは思わず頷く。
横の、可愛らしい子が言った。
「どうして自分で飛べないの?」
すっ!といきなり、猛々しい顔の少し年上の、真っ直ぐな白っぽい髪をした子がいきなり空間から現れると、ファントレイユに屈み肩に手を当て、もう片手をレイファスの背に当てて言った。
「人間は飛べない」
一瞬だった。
景色が変わってそこは岩場で、大きな窪みには水が満々と湛えられていて、たくさんの“里”の子供達が素っ裸で、はしゃぎながら水を蹴立てて嬌声を上げていた。
テテュスは運んでくれた利発そうな子を見る。
「服を、脱ぐの?」
その子はつぶやく。
「服を濡らしたい?
着たままがいいなら着替えを用意させるけど」
テテュスはそれなら服を脱ぐ。と思ったらそれが解ったみたいに、その子は服を脱ぎ始めたから、直ぐテテュスも習う。
ファントレイユとレイファスは、凄くしっかりとした男の子らしい、きりりとした顔の子に連れて来られて振り向く。
その子はもう先に岩の向こうへ歩き出しながら服を脱ぎ、飛び込み体勢を作り、水の中の子達は、その子が飛び込む直前、避けて場所を空けた。
「…やっぱり僕らが、聞こえない言葉で話してるのかな?」
ファントレイユが横で一緒に呆けて見てるレイファスに聞くと、レイファスも言った。
「多分ね」
利発そうな子が、少し離れた横に居る二人を見つめ…すると途端、可愛らしい顔立ちの子がファントレイユの横に並び、同じ位だ。と肩を並べ、次にレイファスを見た途端“チビ”とつぶやくのが聞こえた。
テテュスの頭の中にも、声が響き渡る。
“どけよ”
“あっち行けばいいだろ?!”
“水、かけるなよ!”
“泳げないのか?!”
その合間に、きゃっ!きゃっ!と嬌声が上がる。
テテュスが利発そうな子を見ると、その子はちょっと悪戯っぽい目で見た後、素っ裸で走り行き、水の中に飛び込んだ。
ざぶん!
ファントレイユとレイファスが、脱いだ衣服を手に持ちそれを眺めてるテテュスの、横に来る。
テテュスが振り向き、二人に尋ねる。
「泳げる?」
ファントレイユが首を横に振り、レイファスは衣服を頭から脱いでつぶやく。
「僕は泳げる」
そして真っ先に、岩場へ走り行って、ざばん!と岩に囲まれたプールへ、飛び込んだ。
途端、頭の中に声が響き渡る。
“人間の子だ!”
“人間の子が飛び込んだ!”
“すげぇ、小っせえ!”
“凄く可愛い!”
ファントレイユとテテュスは顔を見合わせる。
テテュスが、ファントレイユの心を読んだ様に先に言った。
「僕が、付いてて教えるよ」
ファントレイユはにっこり笑って頷いた。
岩場のプールの端迄来ると、テテュスは振り向いてファントレイユの、手を握る。
二人は手を握って一緒に足から、飛び込んだ。
ざっぶん!
見るとレイファスはもう、水をかけてきた子にかけ返し、周囲の子も一緒に成って、盛大な水のかけっこを始めていた。
突っ立ってそれを見ているテテュスに、悪戯な子が笑って水をかけて来たから、テテュスはかけ返し、ファントレイユにもかかってファントレイユも仕返し、あっと言う間に水が飛ぶ、盛大な水掛合戦が、プール中に広がった。
後ろから背に水をかけて来る子に気づき、ファントレイユはその子に水をかけようとしたら逃げられて、その子を追いかけ始める。
みんな、笑顔で夢中で、水を掛け合ってはしゃいでいて、テテュスはレイファスとぶつかったけどレイファスにも水をかけられ、レイファスにかけ返してる内に別から攻撃が来たから、そっちにも夢中で、かけ返した。
岩場のプールより小高い丘の木の下で、サーチボルテスが腕組みしては水を掛け合いはしゃぐ子供達を見つめていると、アッカマンが姿を現す。
「やっぱり子供は子供同志だな」
サーチボルテスが頷く。
「…ワーキュラスはミラーレスがディアヴォロスに付きっきりなのを、心配しきってるしな」
アッカマンがつぶやく。
「ワーキュラスもあそこに案内するか?」
サーチボルテスは呆れて相棒を見た。
「見かけが子供として現れてるだけで、ワーキュラスはあれで何千歳なんだぞ?」
アッカマンは自分が凄く馬鹿な事を言ったと気づき、幾度も口を開けては言葉を紡ごうとしたが、馬鹿な発言を取り消す言葉は、出て来なかった。
アイリスは頭の中の言葉の指示に頷くと、緑の薬湯に傷口を浸す。
そしてオーガスタスを見ると、オーガスタスの肩が出てるのに忠告する。
「傷を出来るだけ浸せと」
オーガスタスは目を閉じたままつぶやく。
「聞こえてる。
だが下の傷だけでかなりあちこち疼くのに、これ以上数を増やしたくない」
ローフィスも、アイリスもがそう言ったオーガスタスを見つめ、だが思い出す。
「…闇の傷だったな…」
そのローフィスのつぶやきに、傷を浸せ、とローフィスに肩を押し下げられたシェイルが尋ねる。
「違うのか?」
アイリスがささやく。
「普通の傷は、染みるどころかじんわりくるまれたみたいに気持ちいいけど」
唯一人傷を負ってないローランデがギュンターを見つめ
「そうなのか?」と尋ね、ギュンターは無言で頷いた。
「痛みが和らいでる」
アイリスがオーガスタスを見つめる。
「どんな、感じ?」
「傷自体は同じだ。和らいで心地良いが、時折ちりり!と焼けたような痛みが、そこらかしこに立ち上る。
火傷に近いかもな」
アイリスが、吐息混じりに顔を、下げた。
「『闇の第二』の傷じゃな」
オーガスタスが目を開けアイリスを見る。
「そんなに厄介か?」
「奴の“障気”は他の何倍も強烈だ。
自分の“障気”に一度でも触れた者の古傷を見つけると、そこから強引に進入して心を乗っ取る名人で…」
ローランデが不安そうにささやく。
「ギュンターは乗っ取られかけた…」
ゼイブンが振り向く。
「が、振り払ったろう?
傷付けられた訳じゃない」
シェイルも不安そうにオーガスタスを見つめ、ささやく。
「傷付いた方が…不味いのか?」
ローフィスは吐息混じりに頷く。
「跡も残るし痛みも、長引くだろう?
それだけ強烈に、刻印を付けたのと同じだ」
スフォルツァとラフォーレンはそれを聞き、つい黙り込む。
が、ディンダーデンは両肘浴槽の端に乗っけ、顔を上げて目を閉じていたが、とうとう唸った。
「我慢、出来ない!」
アイリスがジロリ。と視線をくべる。
「アシュアークがまだ、寝室に居る」
が途端、ラフォーレンが囁いた。
「…あの元気なあいつがまだ…起きて来ないって事は………」
ディンダーデンが唸った。
「だから…発散しない内に気絶された。と、言ったろう?」
スフォルツァがラフォーレンを見ると、ラフォーレンはざっ!と湯から上がり、様子を見に出て行く。
オーガスタスは面倒臭そうに目を開けると、眉間を寄せまくるディンダーデンに目を投げ、低い声でつぶやいた。
「出しきらないと収まらないのか?」
ディンダーデンが面倒臭げに唸った。
「誰だって、そうだろう?」
オーガスタスは隣のアイリスに視線を向け囁く。
「女を外から呼べないか、連中に聞けないのか?」
ゼイブンがふて腐れきって怒鳴った。
「俺がとっくに聞いた!
怪我人には調達出来ない!とミラーレスに怒鳴られた!
そんな体力があるんなら先に傷を治せと!」
ディンダーデンが目を開ける。
「それはお前だからだろう?!
俺のは治療の一環だぞ?!
戦闘後に起こる、全く正常な反応だ!」
オーガスタスがぼやく。
「お前に取って正常でも、周囲には異常だぜ…。
あの元気の塊のアシュアークを沈めるんだもんな…」
言った途端ラフォーレンが、アシュアークを抱きかかえてやって来る。
アシュアークはぐったりとラフォーレンの腕の中に居て、浴槽の端に足を降ろされて蹌踉めいた。
「…くたくただな…」
アイリスが目を見開き、ディンダーデンが唸った。
「やっぱりお前くらい耐久力が無いとな!」
ローフィスが見ていると、アイリスはすっとぼけた。
「冗談だろう?
確かに背は私の方があるが、アシュアークの方が若くて元気だ」
皆が見てる中、アシュアークはラフォーレンに助けられて湯に入ると、ほぅっ!と大きく吐息を吐き、少し元気を取り戻した様子で、向かいの自分よりうんと離れたディンダーデン
を睨む。
「薄情者!」
「心地良くくたばってたから、起こさなかっただけだ」
オーガスタスが目を閉じたまま、駆け巡る軽い傷の痛みに眉間を寄せ、呻く。
「で?元気に成ったのか?アシュアーク」
アシュアークは御大を見つめる。
「私はいつも元気だ!」
ラフォーレンは馬鹿を気の毒そうに見た。
「さっきくたばってたろう?」
アシュアークは可愛らしく膨れる。
「寝てたんだ!」
ディンダーデンに、目を閉じたままオーガスタスは頭を振る。
「…だ、そうだ。
この湯の中なら大丈夫なんだろう?
そつちの端で好きなだけ発散しろ!」
「?」
アシュアークがその言葉に首を捻る間も無く、ディンダーデンは目を上げないアイリスを吐息混じりにチラ見しながら腰を上げ、湯を掻き分けてアシュアークの前に立ち、見上げるアシュアークの、腕を掴む。
ディングレーが顔を下げた。
「…本気、なんだな?」
ゼイブンも顔を下げた。
「治療の一環でここから俺達は出られないのにか?」
オーガスタスが、片目開けて二人を見る。
「ディンダーデンも一応、怪我人だ」
ゼイブンが怒鳴った。
「奴の傷を見ろ!
もう消えかかってる!」
ディンダーデンが、振り向く。
「俺じゃない。アシュアークが気絶する」
スフォルツァとラフォーレンは絶句した。
「あいつを気絶させるって相当大変なのに…?」
ラフォーレンのつぶやきに、スフォルツァはディンダーデンを凝視した。
「…つまりどうやれば気絶せられるか、見られる訳だ」
ローフィスもシェイルもローランデも、こぞって溜息を吐いて下を、向いた。
ギュンターが、眉間を寄せてローランデから顔を背けたのをオーガスタスは見つけると、端へと移動するディンダーデンの背に怒鳴る。
「ギュンターを煽るなよ!」
ゼイブンが唸った。
「俺も煽って、欲しく無い!」
ディングレーがつい、ゼイブンを見た。
「お前が危なくなったって被害者は出ない」
ゼイブンが、怒った。
「そう言う基準か!」
ローフィスが横の、シェイルを見た。
「…出来ればシェイルも、煽って欲しく無い…」
がシェイルは義兄にその可憐な顔を上げる。
「湯の中なら大丈夫なんじゃないのか?」
ディングレーが怒鳴った。
「お前が襲って良い相手はこの中でゼイブンだけだ!」
シェイルが即却下した。
「その気に成らないから襲えない」
ゼイブンが、ディングレーに怒鳴った。
「奴じゃ逆に萎えちまう!」
ローフィスが小声でつぶやいた。
「めでたし」
シェイルと、ゼイブンの二人に同時に睨まれたが。
直ぐだった。
艶っぽいアシュアークの喘ぎ声に全員が、お通夜のように湯に向けて顔を、下げたまま上げない。
ラフォーレンと、スフォルツァを除いて。
二人はディンダーデンの扱いに目を、丸くした。
「…あの程度の乱暴さは、アシュアークは屁でも無いだろう?」
ラフォーレンの囁きに、スフォルツァも返す。
「…問題は、腰の動きじゃないのか?」
オーガスタスが、大きな吐息を付いて言った。
「実況は、必要無い」
二人は湯に浸かってもやはり迫力ある、赤毛のライオンの様子に息を飲み、が直ぐ又視線を、アシュアークとディンダーデンに戻す。
「…やっぱり…腰の動きか?
俺の時、たったあれだけじゃ直ぐあいつに余裕で反撃される」
ラフォーレンの囁きに、スフォルツァは呻く。
「…ムゥ…確かに…アシュアークはもう意識が飛びそうだ…。
ディンダーデンの腰の動き。って、大砲みたいだな…」
ラフォーレンも頷く。
「…ラウンデル二世が、アースルーリンドに持ち込もうとして、山岳地帯の岩場で一発撃っただけで奈落に沈んだ、あれか?
………確かに、それ位の威力はありそうだ」
スフォルツァが視線はそのままで、吐息混じりにつぶやく。
「俺はあの兵器をかなり近くで見たが…発射した時、衝撃で後ろに思い切り下がる…。
発射とほぼ同時に」
ラフォーレンはスフォルツァの観察眼に、感心してつぶやく。
視線はやっぱりディンダーデンに釘付けで。
「確かに、引くと同時に突いた途端、あのアシュアークが体を跳ね上げてる。
余程の衝撃みたいだ」
スフォルツァがつい、ラフォーレンに顔を寄せた。
「大砲みたいに、お前突けるか?」
ラフォーレンは首を横に振った。
「あんたは?」
スフォルツァが吐息を吐き出すと、呻いた。
「…無理だ」
どんどん激しく成るアシュアークの嬌声に、ゼイブンがチラ…!と視線を投げる。
その余りの激しさに、色っぽい場を覗き見した。
と言うより、獰猛な獣が獲物を容赦無く貪り食ってる風で、ゼイブンは青く成った。
「…気に喰わない奴を犯した時も、あんなんだったか?
あいつ…公衆の面前で、見せしめに犯したんだろう?」
ディングレーが、凄く嫌そうに視線を、ディンダーデンに投げて安堵の吐息を吐く。
「相手がアシュアークだと、ちっとは見られるぜ…。
あの時の絵は、最悪に気持ち悪かったからな………」
「絵の話は聞いて無い!
あんなに激しかったか?と聞いたんだ」
ディングレーは顔を揺らし、ゼイブンを睨むと、見過ごしたディンダーデンの動きを、顔を仕方なさそうに再び上げて確認した。
そして顔を下げ、暫し沈黙する。
「…………………」
覗き込むゼイブンに、チラと、視線を向けてささやく。
「…相手がアシュアークだから、えらく情熱的に見える。
が、突き刺すような動きは、見せしめにした時の方が、もっと激しかった。
終わった後犯された奴は、腰が抜けてたからな…。
………あの激しさは怒りに比例するのかな?」
ゼイブンが唸った。
「俺に聞いたって解る訳あるか!
…じゃ…じゃあいつを怒らせると、体力のあると言われてるアシュアークでさえくたくたに成る、アレよりもっと、激しいってのか?」
ディングレーは顔を下げて首をふい。と横向けた。
「…多分な」
ゼイブンの声は、泣き声だった。
「…だからお前でさえ、あいつを怒らせない様気を、使ってんのか?」
ディングレーは俯いたまま、吐息を吐いた。
「…まあ…俺を犯そうとしたらその前に、殴り合いには成るだろうな」
ゼイブンは、恐る恐る尋ねた。
「殴り負けしたら?」
ディングレーは一瞬ぐっ!と詰まり、ゼイブンの顔を見た。
ゼイブンはそれこそ泣きそうで、ディングレーはごくり。と喉を鳴らし言った。
「頼むから、怖い想像はするな」
がゼイブンは呻く。
「相手があいつに殴られて気絶しても…それでもあいつは、ヤルと思うか?」
ディングレーは再び顔を下げ、ぐっ。と息を詰める。
「…アシュアークの時は気絶したから、止めたんだろう?」
ゼイブンの声は震えていた。
「だってあいつ、アシュアークの事は可愛がってんだろう?
嫌いな相手なら?」
ディングレーが、顔を上げるとゼイブンと思い切り目が合う。
ギュンターが、二人の会話を耳に、顔を下げたままつぶやく。
「もう、止めろ。
あいつを、怒らせなきゃいい話だ」
ゼイブンが、そうつぶやくギュンターに振り向くと叫ぶ。
「だが万一怒らせたら?」
ギュンターが、顔を上げる。
ゼイブンも、ディングレーもごくり。と唾を飲み込み、ギュンターを揃って凝視した。
「…その時は、出来うる限り全速で、走って逃げろ」
ぷっ!
ローフィスは吹き出したが、彼の親友、赤毛のオーガスタスはつぶやいた。
「笑えないぞ。あいつ、腹を立てるとそりゃ足が、早くなるからな」
が、シェイルがその御大に、喰ってかかった。
「ローフィスに手出しなんかしたら、俺が黙って無い!」
オーガスタスがシェイルにささやく。
「じゃ、お前がローフィスの代わりに餌食に成るか?」
ローフィスが見てると、シェイルが言い返せず、言葉を詰まらせた。
ローランデが心配げにアイリスを見つめる。
「そんな深手を負ってるのに…ディンダーデンは本気で君としようとか、思ってたのか?」
アイリスはローランデの優しい心配げな顔を見つめ、顔を下げたまま笑う。
「心配されて凄く嬉しいから、詭弁で逃げ続ける。
それに…いざとなれば、オーガスタスかギュンターの背後に逃げ込むから」
ギュンターは咄嗟に顔を上げ、怒鳴ろうとし、がアイリスの深く抉れた肩の傷をつい目にし、顔を下げた。
ローランデはそれを見たが、アイリスは肩を竦めた。
「ほらね。
ギュンターはちゃんと庇ってくれる」
ローランデが見ていると、ギュンターは凄く、不本意そうだった。そして唸った。
「…傷が、癒える迄だ!
治ったら見捨てるからな!」
アイリスは全開で、笑った。
「治ったら自分で処理するさ!勿論」
ローフィスが、俯いた。
オーガスタスも親友の、言わんとする事が解った。
「治ったらディンダーデンはお前の本来の性格を思い出し、お前はまた奴にアイリスと呼ばれず、口説かれたり決してしなくなるさ」
それは本望だ。と、アイリスはにっこり微笑った。
全員が、頭の中に響く声に、やれやれ。と湯から上がり始める。
ディンダーデンはぐったりするアシュアークを抱え、湯から上がった。
全員が濡れた体を拭き、用意された衣服に着替えた頃、扉が空いた。
「“里”の人?」
ラフォーレンの声に、オーガスタスが応える。
「人間だろう?奴らなら空間から、沸いて出る」
その戸から顔を覗かせたのは、アイリスにとても良く似た面差しの、がアイリスよりもっとしっかりとした顔立ちの、気品と威厳溢れる美男だった。
「エルベス!!」
アイリスが駆け寄るより前に、その若き威厳溢れる大公は甥に、駆け寄って抱きしめる。
「大丈夫だったか?
話を聞いて、気が気じゃなかった!!」
オーガスタスとローフィス、そしてギュンターも見ていると、ディンダーデンとスフォルツァの眉が一気に、寄る。
叔父は顔を上げると、大切な弟のような甥の顔を見、つぶやく。
「やつれたな…。ひどい怪我なのか?
テテュスは?
“里”の者は今は君と、一緒じゃないと…」
アイリスは立派な美男の叔父を見つめると微笑む。
「治療で傷を、曝さなくちゃいけなくて…。
あの子に傷を見せたらまた…落ち込むから」
「そんなにひどい傷なのか?」
問われて、アイリスが肩布を少し、ずらす。
そこから覗いた傷口の無残さに、気品溢れる大公が、眉をしかめる。
「君がそんな傷を負うのは、余程の事だろう?
どうして…そんな傷を負った?」
アイリスは少し、俯くと、途切れがちにそれを口にした。
「テテュスが……相手していた。近衛の騎士を。
しかも…相手は准将だ。
ファントレイユを庇って。
けど………」
「テテュスが?!あの子が、危なかったのか?!
それで君は………」
「褒めてくれ。エルベス。
あの子を真っ二つに切り裂こうとした刃を、止めた傷だ」
そう言うアイリスは誇らしげに微笑んでいて、皆もそうだったが、叔父も戸惑う様に俯くと、囁く。
「勿論…それはそうだ………。
君は素晴らしい父親だ。が………」
心配げなエルベスに、アイリスは叔父の胸を軽く手で押して、止めるように囁く。
「それで、十分だ。
あの子が無事だったんだ。
それだけで痛みが、吹っ飛びそうな程嬉しかった」
エルベスは、苦く笑った。
「でも君はテテュスにその傷を見せられない。
…堂々と…曝して誇る事が、出来ない…」
「それは………」
言って、アイリスは俯く。
「テテュスに傷を、見せられないのはどうして?
君は…あの子の前でうんと…ひどい様を、見せたのか?」
叔父の言葉に、アイリスは俯く。
がその表情が厳しく、エルベスは吐息を吐く。
「解ってるだろう?アイリス。
あの子は母親を、亡くしたばかりだ…。
たった一人の拠り所の君迄…亡くす恐怖にあの子が、耐えられないだろうとは…思わないのか?
アイリス。解ってるとは思うがきちんと言葉にして言おう。
君は大切な私の弟だ。
父親を知らない君を…赤ん坊の頃からずっと面倒見て来たのはこの、私だ。
父親には成れないと姉に笑われて以来、君の兄で居ようと…ずっと大切に、して来たんだ。
だから君が逝ってしまったら私はとても…とても悲しい。
多分君が、思う以上に。
勿論、テテュスは私が引き受けて君だと思って大切に育てる。
けど二人してきっと…先に逝ってしまった君への、愚痴を言い続けるだろうな。
死んでしまった君は一言も、言い返せない。
一言も。
それを…君は考えた事があるのか?」
皆がつい、顔を上げたアイリスの返答に、聞き耳立てる。
「エルベス。私は今ここに居る」
エルベスは素っ気なく言った。
「ならずっとこの先もそうしてくれ。
君が死んでしまったら私は鬼に成って、君を滅ぼした相手に身が凍るような報復をして、“闇”に魂を売った。と陰口を叩かれ続けるだろうから」
その時ようやくアイリスが、理性をその表情から消し、袖を掴み背を向ける叔父を振り向かせ、素の表情で囁き返す。
「すまない…心配かけて。本当に…………」
エルベスは無言で、自分を見つめる甥をきつく抱きしめ、そして放した。
ギュンターがディンダーデンに振り向くと、親愛籠もる兄弟の抱擁に、顔を背けていた。
「ギュンター」
アイリスに名を呼ばれ、振り返る。
「叔父のエルベスだ。明日の幻影判定に立ち会う」
ギュンターは、差し出された手を握る。
アイリスよりほんの少し、高い背。肩幅はアイリスよりあり、アイリスやテテュス、そっくりの濃い栗色の巻き毛と濃紺の瞳。
その、顎も頬も形はアイリスに似ていたが、ずっと太く、男らしい印象の…けれどアイリス同様、とても優雅で、気品が溢れる若き大公。
ギュンターは一瞬、その堂とした威厳ある存在感の大きさに、気圧される気がした。
彼はギュンターに微笑んでつぶやく。
「君の噂は甥に聞いて、良く知って居る。
だから君をその姿道理見られない。
とても勇敢で勇猛な…騎士に見える」
ギュンターは顔を、下げた。
「それは…光栄だ」
ギュンターは握る手を、引こうとしたがエルベスは引き戻し、更に握る。
きつく。
そして、真っ直ぐギュンターを見つめ言った。
「君を、信じてる」
ギュンターは咄嗟に顔を、上げる。
その大公は微笑んでいて、ギュンターは一気に表情を、引き締めた。
「貴方のような相手にそう言われた以上、俺は本気で貴方の期待に報いよう」
大公はその整った気品溢れる顔に、一層の微笑を溢れさせた。
「エルベス!」
岩場のプールの水の中で、テテュスが草地の上に立つ、アイリスとエルベスを見つけて叫ぶ。
水を蹴立て、素っ裸で駆け寄る。
がエルベスは迎えるように両腕広げ、テテュスを抱きしめようと駆け寄り、テテュスが一瞬で、身を飜し下がる。
「衣服が濡れちゃう!」
がエルベスはその、金糸の縫い込まれ、宝石だらけの見事な衣装が濡れるのも構わず、テテュスの腕を引き寄せ、抱きしめた。
テテュスはあんまりきつく抱きしめられて、そっと囁く。
「…僕の事、聞いた?
無茶してアイリスに大怪我を…負わせたって…」
が、エルベスはそれを聞くとテテュスを自分から離し、顔を覗き込んで笑った。
「君がとても勇敢だって話しか、聞いて無いよ。
ファントレイユを、庇ったんだって?」
テテュスは照れたように俯いた。
エルベスはそんなテテュスを、とても大切そうに見つめる。
「君は父親に似て勇敢だ。
が、私に言わせると、アイリスには悪い癖があってね…」
テテュスが、顔を上げる。
エルベスは真っ直ぐテテュスを見つめ、告げる。
「誰かが、危ないと成ると自分の事も忘れて、飛んで行ってしまう…」
テテュスが途端、顔を下げる。
「…君も、同じなんだろう?」
テテュスは顔を、上げない。
が、すっ!と上げて、横に居るアイリスを見上げる。
「アイリスはどうやって…悪い癖を直したの?」
アイリスは肩を竦めて立派な叔父を、見た。
「だってエルベスも、人の事は言えないじゃないか…。
狼に喰われそうだった仔犬を庇って抱きしめる私と、狼の間に飛んで入って…代わりに狼に腕を、喰い付かれた癖に…。
あの時、貴方の腕が喰い千切られるんじゃないかって、幼いながらに、もの凄く怖かったんだぞ?」
テテュスは呆けた。
「それで…悪い癖が治った?」
アイリスは首を横に振る。
「自分一人で切り抜けられるよう自分を鍛えて…飛び込む時は、エルベスが居ない時にした」
テテュスがくすくす笑い、エルベスが肩を、竦める。
水の中で様子を伺う、ファントレイユやレイファスに気づき、エルベスはテテュスに遊んでおいで。と背を押し、テテュスは彼を待つ、二人のいとこと“里”の子供達の元へ、笑って駆け戻った。
さぶん!と水に飛び込み、振り返って笑うテテュスを、エルベスもアイリスも、微笑んで手を振り見守った。
「…怖かったのか?あの時……」
エルベスが吐息混じりに尋ね、アイリスは肩を竦めた。
「貴方は私の、ずっと手本だった。
その貴方は私が危険な時いつだって…自分を省みず助けてくれた。
…つまり、悪い癖。は遺伝だろう?」
エルベスは吐息を吐き出す。
「あれは…確かに幼い君の事が心配だってのは勿論だけど…姉様に…君を亡くしたりしたら、あのスケベ面の嫌味な婚約者が喜んで結婚話を蒸し返すから、くれぐれもアイリスの安全には注意して!
…と思い切り、釘を刺されていたから」
アイリスが、片眉上げて兄のような叔父を冷ややかに見た。
「…つまり、私の為より母の方が、怖かったんだな?」
エルベスは焦って怒鳴った。
「…エラインがした事を考えてみろよ!
たった七つの男の子を襲って子種を貰って産む程、婚約者を嫌ってた!
母様だって呆れていたし、姉様は“これ位しないと、どれ程私があの男が嫌いかを皆に思い知らす事は出来ないわ!”
と言う程だったし………」
アイリスはふて腐れた。
「…つまり私はただ、嫌な結婚話を断る為に作られたんだな?」
エルベスは膨れる甥の背に必死で説く。
「…勿論!母上も私も、幼い君がどれ程愛らしかったか忘れる事等出来はしないし、あんまり可愛くて一発で魅了され…君の為なら何でもしようと、思ってたさ!
君の母親…姉様は、私と母が君を取り合ってあやすものだから、すっかりふて腐れて…自分の子供なのにちっとも腕に、抱けないって。君はそれ程、私達にとっては宝物で天使のような存在だったんだ!
ニーシャ姉様に、聞いてみるといい。
君が誰に一番たくさん笑いかけたかで、皆が毎度喧嘩してた事を」
アイリスは必死で、言い諭す叔父を見た。
「…私が皆に、余りある愛情を注がれていたのはいつも、感じてる」
エルベスは、ほっ。とした。
「その君が、幾ら我が子テテュスの命を庇う為だって…私より若くして命なんて落としたら……私は母様にも姉様達にも顔向けできない。
確かに、一般常識の範疇を遙かに超えた変人達だが彼女達は…君の事を特別に、愛してる」
アイリスはとうとう、威厳の塊の若き大公が必死で言い訳るのに、くすくすと笑った。
「もう、解ったから、いつもの貴方に戻ってくれ。
それに………」
「それに?」
「いや…皆、私がテテュスの時とても取り乱す姿に狼狽える気持ちも、少し解ったから」
「狼狽えてる私が、面白かったのか?」
アイリスは首を横に振った。
「いつも貴方も、ゆったりと威厳のある姿しか人に見せない。…もし今の貴方を見たらきっと多くの人が…度肝抜かれて、見ては成らない物を見てしまった。と背を向け俯いても、無理は無い。と思ったんだ」
エルベスは目を、見開いた。
「君がテテュスの事で動揺すると、皆が落ち着かなく成るのか?」
「失礼だろう?」
問われて、エルベスは大きく頷き、同意した。
「全くだ。私達の一族愛を、解っていない」
アイリスは大きく頷き、叔父に囁く。
「マトモな神経のある、人間だとすら、思って無い」
が、エルベスは俯いた。
「それは…あんまり否定出来ないぞ?
姉様達を普段相手にしてるから…確かに、マトモな神経では、やっていけないものな…」
アイリスも暗く俯き、同意して頷いた。