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「アースルーリンドの騎士」別記『幼い頃』  作者: 天野音色
第六章『光の里での休養』
72/115

11 騒動の種

挿絵(By みてみん)

 白馬に拍車を軽く入れ…アシュアークは白い優美な門を潜った。

途端、ふわっ…と柔らかい…空気に包まれ、心の中で

『これが光の結界か……』

とつぶやく。

愛馬ロゼッタが、ひひん。と顔を上げ、アシュアークはなだめる様に手綱を引き絞る。

が直ぐにロゼッタの落ち着かない理由が解った。


緑の芝生と噴水のある庭園の中、突如として人が空間から、姿を現したからだ。

アシュアークはロゼッタに止まれ。と命じる。

そして馬上から突然の訪問者に微笑を投げた。

「これが有名な、『光の里』の歓待か?」


アッカマンは馬上の、右将軍が可愛がっている傘下の猛者に目をやる。

「右の王家」の証、金の髪を風に飜す綺羅綺羅しい面立ちの美青年。

見目は素晴らしく綺麗だったが、アッカマンには直ぐ彼の過ごして来た様子が手に取るように分かった。


剣を振り回し戦う事が人生そのまま。のようなその若者の生き様が、映像と成って頭の中を駆け巡る。

その身軽さ。そして強さ。

戦いを生き甲斐とする、戦場を駆け回る生き生きとした姿。

敵が血飛沫上げても動じるどころか、その瞳の輝きを増す。


が務めてアッカマンは感情を殺し、素っ気なく告げた。

「近衛准将。

すまないがこちらは正面玄関だ。

怪我人の訪問なら北門から入って頂かないと」


空間から突然現れたにも関わらず、驚く風も無くアッカマンの言葉にアシュアークは罰が悪そうに、背後を振り向く。

「…戻らないと駄目か?」

そして顔を正面に戻すと、その濡れた青の瞳でアッカマンを見つめる。


アッカマンは驚きを隠し心の中でつぶやいた。

『おや…。

“怪我人”で反応が色っぽくなったな…?

…なる程……』

その近衛の若き准将の思い浮かべる相手がギュンターだと解ると、その後の展開も思い浮かんだ。

アッカマンはくすり。と苦笑する。

「…ギュンターはまだ、かなりの重傷だ」

が、アシュアークは心を読むアッカマンにの不思議に、気づく風も無く眉間を寄せ、異論を唱える。

「ギュンターは戦闘で起き上がる事が出来ない程の重傷でも、私に応えてくれた!」


アッカマンは凄く、悩んだ。

どうやらアシュアークはギュンターと共に過ごす甘い時間にしか、関心が無い。

子供に取っての、美味しいお菓子のような若き准将の甘い期待を、ブチ壊す忠告を口にすべきかそれとも…黙って成り行きに任せるか。


アッカマンは心を決めると少し俯き、告げる。

「…今ここで馬を降りてくれたら、北館まで貴方を運ぼう」

アシュアークは目を丸くしたが躊躇うことなく直ぐ、馬から飛び降りる。

そして手綱を持ち進み来る。

「ロゼッタは水を欲しがってる」

アッカマンは頷き、差し出された手綱で無く、アシュアークの、肩に手を置いた。


一瞬だ。

アシュアークはそう思った。

手を置かれた途端景色が変わり、明るい緑が敷き詰められた絨毯のような芝生の庭から、新緑溢れる木々に囲まれた庭へと、移動していた。

アッカマンがその肩から手を放そうと浮かせた時、アシュアークが彼に振り向く。

「私毎移動出来るのか?」


アッカマンは手を放して肩を竦めた。

まるで『ご覧の通り』と言う様に顔を、変わった風景の庭へと傾けられ、アシュアークは『光の民』の長身の男を見上げる。

彼はくるりと背を向け、付いて来い。と言う様に先を歩く。

その先に真っ白で瀟洒な平屋の館を見つけ、アシュアークはその背に続いた。


玄関の扉を手も使わずに開け、その男は入って行く。

アシュアークもその扉を潜る。

広い玄関広間の向こうに廊下が、繋がっていた。

『窓が、多いな……』


大きく、広い上に、天井近くに幾つも横に並んでいる。

廊下も北側は全部窓で、昼過ぎの陽光が差し込み、光は交差して光の洪水のように感じられた。


廊下に並ぶ扉の一つが開いて、男が振り向きアシュアークは中へと通される。

客間だろうか。

白い壁。白い天井。

そして…白い、石で出来た床。


家具は皆洒落ていて、真っ白な室内の中、淡い黄色の光沢ある布が張られた椅子やソファが並んでいた。

だがそこに人の姿は無い。

「怪我人の所へ案内してくれるんじゃないのか?」

振り向くと、戸口に居たアッカマンは吐息を吐く。

異論が帰って来るのを覚悟しつぶやく。


「彼らは休眠中だ。

直起きて来るから、それまではここで待っていて頂こう」

がアシュアークから即答が、帰って来る。

「…別に寝室に案内してくれて構わない」

アッカマンは顔を下げたままささやく。

「こっちは構う。起こせないからな。

すまないが大人しく待って頂くしか方法は無い。

君も喉が渇いている様子だ」


突然、じゃぼじゃぼ…と水の注がれる音が背後の空間でし、アシュアークが咄嗟に振り向くと、テーブルの上でポットが空間に浮いていて、やっぱり空間に浮かぶカップにお湯が、注がれていた。


『手を、使わないにも程がある』

アシュアークはその光景に呆れた。

アッカマンが訂正する。

「ただの湯じゃない。

ハーブティーだ」

アシュアークは又しても頭の中を覗くその男に、ふてたようにつぶやく。

「そんな事どうでもいい」

そう、再びアッカマンに振り向く。

がもうその姿は無く扉は、閉まっていた。


腹を立てたアシュアークは扉に詰め寄りドアノブに手を掛けたが、引いても開かず、押したがやはり開かない。

つい…扉に向かって怒鳴ってた。

「ギュンターが起きて来る迄ここで一人で待てと言う気か?!

その時間で何度出来ると思ってるんだ!!!」

が、返答は静寂のみだ。


アシュアークはもう一度派手に開かない扉を蹴ると、怒鳴った。

「何度も言うが、ギュンターは怪我をしてもあっちは元気だぞ!

それとも股間を怪我したとでも言う気か?!

それならそうと、告げていけ!

第一こんな非常識なお茶の入れ方は見た事無い!

客への対応も、無礼極まるぞ!」


がやはり空間から帰って来る返答は、沈黙のみ。

アシュアークは腹立ち紛れに木で出来た白塗りの扉を、揺れる程蹴って怒鳴った。

「ギュンターが駄目でも、ディンダーデンが居るじゃないか!

アイリスだって名を連ねてる筈だ!

折角の再会を邪魔するな!!!」




 オーガスタスはひどく寝覚めが悪くて、身を起こすと首を横に、振る。

寝台がずらりと並ぶ雑居部屋のようなその部屋の風情に

『まさかこのせいか…?』

と首を捻る。


横には首に抱きつくシェイルの腕を、重そうに目を開けて天井を見つめ吐息を吐くローフィスが居たし、その向こうではギュンターを護るように腕に抱き眠るローランデの安らかな顔。

ギュンターの腕はそのローランデの腰に巻き付いていた。


オーガスタスはくすり。と笑う。

ローランデは滅多に本音を出さないが、どう見ても奴はギュンターにほだされてるし、惚れてる。


ディンダーデンが目を開け、横のディングレーの腕が胸の上にどっか!と乗るのを払い退け、どかしてた。

そして横に背を向けて眠る、アイリスの腰に腕を巻き付け、引き寄せ、その顎に手を当て自分に向かせ………あろう事か、口づけようとしていた。


が顎を持ち上げ顔を倒し込むのをふ、と止め、上半身起こして見つめている少し離れたオーガスタスに、視線を向ける。

眉を寄せ、まじまじと見つめるオーガスタスを睨んで唸った。

「………なんだ!」


オーガスタスは手を口元に、当てて暫し沈黙する。

「………いや………。

物好きが、居たもんだと思って………。

解ってるのか?

やつれてるのは本来の奴じゃない。

元の性格を…お前完全に、忘れてないか?


…見た目が全てなのか?

お前………そこ迄馬鹿だったのか?」


ぷっ!

いきなり吹き出す声にオーガスタスも、オーガスタスの言動に腹を立てたディンダーデンもが振り向く。


見るとギュンターが、抱きかかえるローランデの腕の中で吹き出していた。

くっくっくっ。

顔は金髪で隠れてはいるものの、肩が声に合わせて揺れている。


背後の気配とオーガスタスのセリフに、ディングレーは咄嗟にディンダーデンに背を向けると、狸寝入りを決め込む。

背が微かにディンダーデンに触れるので、そのままずりずり…と寝台を滑って身を離す。

「…おい!」

ディングレーは左腕を枕代わりに頭の下に敷き、俯いていたがその声に顔を上げそこにはゼイブンの顔が…もっと言うと、ゼイブンの唇がほんの僅か先で、ディングレーは咄嗟に叫ぶ。

「わっ!」

声と同時に身を、ずり下げる。


ゼイブンは横たわったまま距離を取る黒髪の男前を睨む。

「まさか俺にキスする気じゃないだろうな!」

ディングレーは怒鳴った。

「鏡を見ろ!

自分が昔の綺羅綺羅しい美少年とかけ離れてると、忘れてるだろう!」


アイリスはその五月蠅さに、心地良い眠りを邪魔されて眉間を寄せる。

が、誰かの手が顎に回され、腰に腕をも回されているのに気づき、彼は普段の習慣に従って、自分を甘やかに抱き止める美女を思い描き、振り向きそこにディンダーデンの自分を見つめる顔を見つけ、一瞬で固まった。


ずい…!

いきなりディンダーデンとは反対側の背後から肩を抱かれ引き寄せられて、アイリスは眉間を寄せる。

が背後の人物…スフォルツァはまるで、危険人物から引き離すようにアイリスを胸に抱き寄せてはディンダーデンを睨み付け、怒鳴る。

「同意も得ずに盗み取る気か!」


ディンダーデンはその若造に、斜にその青の流し目をくべ唸った。

「お前だって得て無い上に、アイリスの負傷は左肩だ!」


スフォルツァは肩を引き上げてアイリスを抱いていたが、下敷きにした方のアイリスの肩が左だ。と気づくと、慌ててもっと引き上げ、アイリスの顔を覗き込む。


アイリスの眉間は傷の痛みに寄っていて、スフォルツァは掠れた声で謝罪する。

「ごめん……!」

アイリスはそれでも、心配げに自分を伺う……もうとっくに友達の域のスフォルツァの見慣れたハンサム顔に、青ざめながらも微笑を返す。


が突然ディンダーデンが取り戻そうと腰に腕を回し、抱き寄せようとし、背後からスフォルツァに引き戻され、スフォルツァとディンダーデンは取り合って睨み合う。


「………凄いものを見た……」

つぶやきが聞こえ、アイリスは振り向くとそれが、ローランデだと気づく。

同時にオーガスタスとギュンターの、人の悪い忍び笑いが洩れ、シェイルが唸った。

「真ん中が可憐な美女なら納得行く」

ローフィスが面倒臭げに唸った。

「本人の嗜好はそれぞれだ。

例えどれだけ悪趣味だろうが、とやかく言う事じゃない」


『悪趣味…?』

アイリスはその言葉に眉根を寄せる。

がディンダーデンが腰を引くと、スフォルツァは背を抱き寄せる。

その都度、アイリスは派手に揺すられて、その眉は傷の痛みに寄った。


三人は殆ど抱き合う程くっついていて、真ん中のアイリスを両端の二人が引き合ってる。

その様子を呆けて見ていたディングレーだが、オーガスタスに

『何とかしろ!』と視線を投げられ、慌てて顔を背けて背を向け、ずり…ずり。

と、向かいのゼイブンに寄って行く。

「おい…!

俺はもう綺羅綺羅した、美少年じゃないぞ!」


「それでもお前の方がマシだ………。

ギュンターは覚悟してた。

ローランデの問題で乱闘が起こっても止めようと。

がディンダーデンは管轄外だ。

で物は相談だが…場所を、代わってくれないか?」


ゼイブンはたっぷり、真顔で間近にあるその王族の男前をたっぷり見つめた。

「…場所を、変わったからってどうなんだ?

頼むから、ちょっと頭を働かせてくれ。

俺があの…二人を、止められると思うのか?


無理だろう…?

場所を代わろうが、あれを何とか出来るのはあんたしか居ない」

「お前!俺に意地悪して楽しいか!」

ディングレーに歯を剥かれ、だがゼイブンはささやき返す。

「あの二人相手で俺に、何が出来る!」


がその時だった。

空間から突如として人が姿を現す。

スフォルツァと、端の寝台のその場から動こうとしなかったラフォーレンはぎょっ!とする。


オーガスタスはミラーレスの姿を見つけ、やれやれ。と首を横に振る。

ミラーレスはすっ。とオーガスタスの寝台の横に来ると、オーガスタスは囚人のように自分の着ている、夜着をはだけた。


曝される背中…肩…胸に無数の傷跡……。

その凄まじさに、皆がぎょっ!と見つめる。


スフォルツァが、ごくり…!と喉を鳴らす。

「あの人にあんな傷を付けた強者は…ラルファツォル…それともノルンディルですか?」

アイリスが背後の彼にささやく。

「相手は人間じゃない…闇の生き物だ」


道理で……。

そう、顔を揺らすスフォルツァを見つめ、アイリスは苦しげに眉を寄せて視線をオーガスタスに戻す。


ミラーレスの手から、金の光が放射され、その塊の渦は拡散し、無数にある傷に散って行く。

「ムゥ………」

金の光が傷を覆うと、オーガスタスが眉をしかめ呻く。

「まだ…痛みを感じますか?」

オーガスタスが微かに頷く。

途端ミラーレスの左手から、真っ白な光が放たれる。

「これはどうです?」

「ああ…かなり良い」

ミラーレスはほっ。と吐息を吐く。


「闇の影はもう無い…。

だが、闇の傷跡はそれは…厄介ですからね………。

ここを出た後でも暫くは、処置が必要です」

オーガスタスが、大人しく頷く。


ゼイブンも…ディングレーもその傷跡の多さに…言葉を無くし呆然と見つめた。

ローランデが振り向くとギュンターは苦しげに眉を寄せたし、アイリスも少し瞳を潤ませて見つめ、オーガスタスのその壮絶な傷の痛みを気遣った。


ディンダーデンが青冷めるアイリスの表情に気づき、そっ…と告げる。

「お前のせいじゃない」


スフォルツァが振り向くと、アイリスは顔を下げる。

が、上げて苦笑いし、ディンダーデンに告げる。

「それは助けにならない…」


口に手を当て、崩れるように起こした上半身を前へと倒すローフィスの背を、シェイルが支え突如叫ぶ。

「誰か…!」


皆がその鋭い叫び声に、一斉に振り向く。

ミラーレスは手から光をオーガスタスに放射し続けて動けず、その場からローフィスの様子を伺った。


が、ローフィスは大丈夫だ。と言うように、シェイルの腕をやんわり振り払う。

けれど皆が見つめる中、口に当てたローフィスの手はガタガタと震い続け、髪にその表情を隠し俯いたままだった。


皆が心配げにローフィスを見守る中、ミラーレスが眉を切なげに、寄せてささやく。

オーガスタスを…失うと…今まで一度たりとも、考えに及ばなかったんですね?」


ローフィスは微かにその言葉に同意するように頷き、低い声で唸った。

「当たり前だ…!

奴を殺れる奴は早々居ない…!」

声はしっかりしていたが、口に当てた手は、だがまだ震い続けた。


オーガスタスは一つ、吐息を吐くとミラーレスにささやく。

「レイファスの前では絶対治療するな。

ローフィスでさえ、あれだ」

ミラーレスは周囲の皆の様子を見回し、頷く。

「失礼しました…。

貴方が、非常に影響力の大きい人物だという事を…忘れてた。

私は癒し手で…患者の貴方しか目に入らなかった」


オーガスタスは頷く。

「それがあんたの役目だしな…だが………」

そして顔を上げ、金と白金の光に身を浸しながらそっと気遣うように、ローフィスを伺う。


オーガスタスが見つめている。とシェイルに柔らかく手でその肩を押され、ローフィスは顔を上げたがその…眉は歪んでいて…ローフィスの瞳から涙が滴るんじゃないか。とオーガスタスは眉間を寄せ見守った。


ローフィスが見つめ返し…その親友の、いつもの朗らかな笑みをたたえる顔が…心配げに自分を伺う様子に…だがまだ口元を震わせながらささやく。

「…俺が泣いたら負担か」

オーガスタスが肩を揺らし、大きく吐息を吐き出す。

「当たり前だ。

俺をべっぴんの天使から奪還するぞと息巻いた、あの調子でやって貰わないと」

がローフィスは咄嗟に低い声で言い返す。

「いつも俺に期待をかけるな。

俺だって………動揺する事くらいある!

ここずっと普段決してお目にかかれないものばかり、見て来たからな!


…近衛の中でお前に傷を負わせられるのはディアヴォロスくらいだと思ってたのにお前は血塗れで…その傷だし、どんな事態でも自分を抑えられるアイリスは大泣きする。

ギュンターは全部自分のせいだ。と有り得ない程大人しい」


オーガスタスが名指しされたギュンターとアイリスを見ると、ギュンターは困った様に首を横に振って俯いたし、アイリスは濡れた濃紺の瞳でローフィスを見つめてた。


オーガスタスはだが笑って、ローフィスを見る。

「神聖神殿隊付き連隊で、化け物ばかり見てるのにか?」

ディンダーデンも、頷きながら呻く。

「俺の殺した死体が動いても、平気だったろう?」


ローフィスは咄嗟に顔を上げ、ディンダーデンに怒鳴った。

「「傀儡(くぐつ)の凶王」の結界内じゃあれが、当たり前だ!

奴は死体しか操れないんだからな!

死体がうろつき回ってるのが!

あいつの結界内じゃ当たり前の光景なんだ!」


ローランデは心から、対した闇の者が美女で良かった。と顔を真っ青にして俯いたし、ギュンターはその非常識な“当たり前”に、うっ。と唸って喉を詰まらせ、ディングレーは口に手を当て、ローフィスの到底付いて行けっこない尋常を遙か越えた常識に顔を下げきった。

ラフォーレンとスフォルツァに至ってはその会話の内容の気味悪さに、ぞっとして二人ほぼ同時に、顔を下げる。


シェイルはローフィスの言う事だ。今更。と肩を竦め、オーガスタスと目が合って

『あんたも同じ感想か?』と大柄な赤毛の男を見つめ返した。



がローフィスはオーガスタスに向き直ると、やっぱり口元を震わせ、怒鳴った。

「お前が血塗れで誰かに抱きかかえられてる様なんて普段決して有り得ない光景だし!

いつも手を焼かせるギュンターが滅茶苦茶しおらしく見えたり!

更にアイリスが………あんなにぽろぽろ涙を流し…大層可憐な美青年に見えるだなんて…普段絶対有り得無い!!!」


怒鳴られ、皆が見守る中オーガスタスはやっぱり普段通りその大きな肩を竦め、笑う。

「まあ…有り得ない事を起こす…ここは“里”だ」


ローフィスは親友のその言い様にぐっ!と喉を詰まらせ、睨む。

ゼイブンはやれやれ。と俯き、声の出ないローフィスに代わって言った。

「それで全部、済ます気なんだな?」


オーガスタスは肩を竦める。

「幸運な事に、俺は泣くアイリスを見ちゃいない」

ローフィスは咄嗟に、悪戯っぽく笑うオーガスタスを睨め付けた。

「あんなものを見ると浮き足だち、どうしようも無い程狼狽えるぞ!」


ローランデが俯き、ぼそり…とささやく。

「だから…みんな私に押しつけて部屋をさっさと、出て行ったのか?」


スフォルツァとラフォーレンが見ていると、皆固まったようにそのままの姿勢で、顔を上げなかった。


アイリスがその様子に気づき、つぶやく。

「…どうして…私が泣いたりやつれたりするとみんな大騒ぎするんだ?

私が人間だと…忘れてるんじゃないのか?もしかして」


皆がそれを聞くなり心から

『お前、人間だったのか?』

と尋ねたかった。

か、相手がアイリスだと思い出すと、口を開くのを止めた。

言葉で奴を説得出来る者はローフィスしか居ず、そのローフィスでさえ、顔を下げていたので。




 その扉が音も無く開くのを見て、アシュアークは手を止めた。


部屋は既に家具が散乱し、足の踏み場を探すのに、苦労しそうだった。

花瓶、ティーセットは勿論、原型を止めず床に砕け散っていたし、ソファは皆ひっくり返り、優美な長椅子は真っ二つに斬られていた。


アシュアークは開いた扉から抗議の言葉を待ったが、人が現れる様子無く、そっ…と近寄って外を覗うとがらん。と人気の無い廊下が見える。


やっと望みが叶ったはいいが、不案内だ。

アシュアークはまたぷりぷり怒って、扉をバン!と派手な音を立てて閉め、廊下を歩く。

が並ぶ扉に金に光る場所を見つけ、駆け寄った。


取っ手に手を掛け、一気に引くとその扉は開き…彼が望んでいた大勢の顔の中から、ギュンターの金髪を見つけ、一気に走り寄る。


その待ち望んだ美貌のギュンターは誰かの腕に抱かれ、その胸の中に居た。

のでアシュアークは走りながら瞬間右腕を差し出し、その邪魔な相手を振り退けようとし、接近間近その相手に身を後ろに倒しかわされ腕を掴まれ、その対応の俊敏さに眉を寄せ咄嗟に振り向く。

目に飛び込んで来る、その顔が一番苦手なローランデだと解ると、アシュアークは腕を引いて思い切り振り払おうとするその動作を、止めた。


がローランデが口を開くより早く、肩を後ろから、ズイ!と引かれる。

振り向き見ると、ラフォーレンだった。

アシュアークは目をまん丸にする。

「どうしてここに…?」

ラフォーレンは睨むと、くい!と顎を後ろに上げてスフォルツァを差し、スフォルツァは仕方なさそうに、抱いていたアイリスの肩を放すと、ラフォーレンの横へと並び来る。


ラフォーレンが横に付くスフォルツァに顔を向けると、スフォルツァが怒鳴るようにアシュアークに唸った。

「…どうして?

それを俺達に釈明させたいか?!」


皆が突然扉から飛び込んで来た無礼な訪問者に呆れてると、アシュアークはその素晴らしく綺麗な長い金髪を振り払ってスフォルツァを、首を傾け見つめ、つぶやく。

「…また…私の後始末…?

の御用………?」

スフォルツァはジロリ…!と叱られた子供のような自分より頭二つは背の低い、近衛の綺麗な猛虎を見下ろす。


「どうして待てないんだ!

俺が彼らの居場所を確認すると!

そう言った隙にどうして居なく成る!」

横のラフォーレンに迄怒鳴れて、アシュアークは途端、しゅん。と顔を下げる。


その、様子だけ見てると、でかい成りしても子供のように可愛らしいな。

とアシュアークを良く知るディンダーデンは笑った。

ギュンターはアシュアークが自分に抱きつこうとし、その邪魔!とばかり振り払われようとしたローランデをそっ…と見つめる。

ローランデはまだ、ギュンターを護るように腕に抱いていたが、保護者二人に叱られるアシュアークを呆れて眺めていた。


スフォルツァが、きつく睨み付けてアシュアークを促し、アシュアークは顔を下げ、が直ぐ上げて叫ぶ。

「だって最近忙しいってちっとも私の相手してくれないじゃないか!

だから…ギュンターもディンダーデンも…アイリス迄居るって聞いて、飛んで来た!

悪いのは、私なのか?」

がラフォーレンが凄まじい怒りを、抑え込んだ様な低い声で唸る。

「どこに行っていた…!」


アシュアークは途端顔を下げるとささやく。

「…ここに来る途中…ムストレスの館に怪我人が大勢運び込まれたって…道中の人が噂するのを聞いて…行ってみたらメーダフォーテが居たから…取次人を押し退けてちょっと…脅して来た」


途端、部屋中から溜息が、洩れた。

「………ちょっと?」

スフォルツァの声が怒声を帯びる。

が直ぐ、オーガスタスの声もした。

「してしまった事を今更怒っても取り戻せないぞ!」


三人は、左将軍側近のその、威風ある赤毛の男に振り向く。

アシュアークは叱られるのを覚悟するようにオーガスタスを上目使いで見たが、オーガスタスはチラとアシュアークに視線をくべ、ささやく。

「仮にも君は准将の地位に居る。

迂闊な言動はしなかったろうな?」

が咄嗟に怒声が飛ぶ。

「誰に言ってんだ!

こいつは、アシュアークなんだぞ?」

ひきつったラフォーレンの叫びに、皆が、やっぱりそうだろうな。

と顔を下げた。


スフォルツァがアシュアークを見つめ、促す。

「左将軍側近殿に子細を報告しろ」

アシュアークは思い切り顔を、下げたが上げ、つぶやく。

「ギュンターに手を出したら殺してやる。と脅した」


皆の目がまん丸に見開かれ、がスフォルツァは怒鳴った。

「それだけか!

何も斬って来なかったんだな?!」

アシュアークは口を尖らせた。

「メーダフォーテはあれで手練れだろう?

剣を抜いたらその瞬間決闘に成る」

「抜かなかったんだな?!」

雷鳴のようなラフォーレンの声に一瞬アシュアークは怯えるように首を竦め、が小さな声でぼそっ…と言った。

「…抜いてない……」


そして頭一つ半背の高いラフォーレンに振り向くと、怒鳴る。

「どうしていっつも私が全然分別無いと思ってるんだ!

剣を抜いたらまずい状況が、あるって事くらい私にだって解ってる!」

「嘘つけ!」

スフォルツァに直ぐ直下型の地震のように怒鳴られ、アシュアークは思い切り、金の長い髪を思い切り振って顔を背けた。


ローランデがささやくように告げる。

「解ってるのか…?

メーダフォーテがどれだけ物騒な男なのか………」

その声が心配げに響き、アシュアークは彼を見た。


がアシュアークの目にその両腕がギュンターに回されてる様子が飛び込み、いきなりつかつか!と歩み寄ろうとし、スフォルツァの横を通り過ぎようとした途端、腕を乱暴にスフォルツァに握られ、引かれ振り向く。


「こっちの話がまだ終わって無いぞ!」

噛み付く様に怒鳴るスフォルツァは大層迫力があったが、アシュアークはそれでも喰ってかかる。

「…何日…放っとかれたか解るか?!

どれだけ頼んでも袖にした癖に!

スフォルツァがちゃんと相手してくれてたらここに飛んで来たりしない!」


アシュアークは切なげにその美男を、しなを作って見上げ、その様子は恋人同士の痴話喧嘩の様相を呈し始め、皆が無言で顔を下げる。


が甘やかに自分を見上げるアシュアークの可憐な表情を見下ろし、スフォルツァは嗤った。

「…どうして相手出来ないと思ってるんだ!

お前が准将の地位に居ながらその役割を全然果たさず、尻ぬぐいを俺とラフォーレンが全部!

してるからだろう?!


グッツァ隊の戦死者の家族への保証は今だ滞ってるし!

ロッドラステ隊の内輪揉めが深刻なのも知らないだろう?!


配置替えで頭を抱えてるのは本来お前の筈だ!

なのにお前は報告内容を何度言ってもちっとも頭に入れず!

顔を見れば“抱いて!”と来る。


これだけお前に腹立ててて、どうしてお前の顔を見て勃つと思ってんだ!!!」


がアシュアークは叱られ慣れた子供のようにすねた顔して俯き、文句を垂れた。

「…だって私が役割を果たそうとすると“馬鹿”って言うし、その上…“お前は口出すな!”って怒鳴ったのは、スフォルツァじゃないか………!」


ラフォーレンが横から噛み付く様に叫ぶ。

「一人の遺族に10万ロッドルも払ったら!

予算がどれだけあっても他に回らなんだぞ!」


皆が思いきり顔を下げる。

「…一人に付き10万………?」

俯くディングレーの言葉に、ゼイブンが頷く。

「お前の身の回りに年間消費する金額より高いか?」

ディングレーは顔を上げてゼイブンを見る。

「身の回り品に換算するんなら20年分は固い」

ディンダーデンが振り向く。

「毎度宝石付きの豪勢な衣装や剣鞘を着けてるのにか?」

ディングレーがたっぷり、頷いた。

「間違い無く城が三軒は買える金額だ。

それも相当豪勢な」


城を、買った事の無いディンダーデンとゼイブンは顔を見合わせ、ゼイブンが言った。

「まあ、想像の付かない程途方も無い額なのは確かだ」

ディンダーデンもおもむろに頷いた。


が尚もラフォーレンの怒声が飛ぶ。

「どうして勝手に支払い命令を出したりするんだ!!!

一度払った金額を、言い訳して俺達が遺族から取り戻すのに、どれだけ苦労したか知らないのか!


奴ら“もう使い果たして無い”の一点張りで、一銭も戻す気配が、無かったどころか他の遺族迄もが不当だだとか自分の所も頂けるんで?と連日問い合わせに詰め所迄押し寄せ、大騒動だったんだぞ!


なのにその騒動の元のお前は!

文句を言おうにもスフォルツァの顔を見、微笑ってこうだ!

“もう用は済んで、時間が出来た?”

服を、脱ぎながら!


俺は横で見ていたが、良くスフォルツァは手を出すのを我慢したと感心した!

ぼこぼこに殴られても文句は言えなかったんだぞ!!!」


が、アシュアークは子供のように顔を俯け、つぶやく。

「だって…大切な家族を亡くしたんだ…。

お金で代わりに成る訳じゃないけど…。


…けどそれで少しは慰められるし…詰め所に押し掛けたって事はそれだけみんな、元気に成ったっ…っっ……」

顔を上げ笑顔で見つめて来るアシュアークにスフォルツァは沈黙で応え、アシュアークの言葉はその凄まじい怒り顔を見つめ、途切れた。


皆は呆れ返って顔を下げたままで、シェイルがぼそり。とささやく。

「アシュアークの金銭感覚はどうなってるんだ?」


アイリスがシェイルに振り向き、小声でささやく。

「金を自分で、使った試しが無い」

ローフィスが呆れる。

「金を持ち歩かないのか?」


ギュンターが顔を下げた。

「持たせると直ぐ全部使うからと取り上げられてて、いつも側に居る奴が財布代わりに金を持たされる。

『アシュアーク様には決して、持たせないで下さい』と注釈付きで」

皆の吐息が漏れた。


がローランデが、口を挟むべきだがうんざりしきって放置するオーガスタスをチラ見し、ささやく。

「それも、過ぎた事だろう?

メーダフォーテの件が済んで無い。

報復は大丈夫なのか?」


アシュアークが明るい顔を上げる。

「ああ、それなら釘刺して置いたから平気だ!」

ラフォーレンが顰めた声音で問い正す。

「…どういう釘だ?」


アシュアークはやっぱり子供の頃からの世話役に、甘えた様に口を尖らせた。

「…私を毒殺したら取り巻きが、爵位財産一切取り上げて路頭に迷わせると………。

もし私が殺されたら…報復してくれるんだろう…?」

言って、ラフォーレンを見つめ、そしてスフォルツァを見た。


スフォルツァは大きな吐息を吐き出す。

「…お前、メーダフォーテに毒殺される気なのか?」

アシュアークは本当に、可愛らしく微笑った。

「脅したから奴はもうしない」


室内は大きな吐息で包まれた。

ローフィスが感想を漏らす。

「シェイルでさえ、もう少しマシだ」

シェイルが喰ってかかる。

「俺と比べるか?!!

あいつは脳味噌なんて丸っきり無い二歳児だぞ?」


ローランデが見てると、ギュンターは俯いたままささやく。

「二歳よりはもう少し育ってるだろう?」

そう言ってディンダーデンとアイリスを見る。

が二人共曖昧に頷いた。


アイリスがすっ…と身を進め、スフォルツァとアシュアークの間に入ると、アシュアークは嬉しそうにアイリスを、期待を込めて見上げた。

アイリスは微笑を返し、スフォルツァに顔を向けてささやく。

「ともかく、腹が減ってる子供には理屈なんて通用しない。

…さっさと食事を与えないと」

スフォルツァは眉間に指を当てて顔を下げたし、ラフォーレンは腕組みして顔を背けた。


アイリスは期待を込めて見上げるアシュアークにささやく。

「凄く…期待されてるようだが、私はここに息子と来ているし負傷が深刻だ」

皆が見てるとアシュアークの顔がみるみる間に曇り、肩を落としきってがっかりし、空腹な仔犬が餌を取り上げられたみたいに哀れだった。


アイリスはだが言葉を続ける。

「ギュンターも重傷で動くのが困難だが幸い、ディンダーデンは軽傷だ」

名指しにディンダーデンは吐息を吐き出し、アイリスを見る。

がアシュアークはぱっ!と顔を輝かせると、ディンダーデンの元へすっ飛んで行った。


ディンダーデンは胸に飛び込むアシュアークを抱き止めたものの、今だスフォルツァの前に居るアイリスをチラと睨み、スフォルツァに怒鳴った。

「俺が居ない隙にそいつを口説いたら、報復にお前を俺の下敷きにして声が枯れる迄鳴かせてやるからな!」


ラフォーレンがスフォルツァを気の毒そうに見つめ、スフォルツァは顔を思い切り下げ、室内は一気に寒い空気に覆われて、しーーーーん。と静まり返る。


ディングレーが思い切り項垂れ、小声でゼイブンに告げた。

「…だからディンダーデンは苦手なんだ………。

あいつ…本当に気に喰わない男を………。

どう見ても抱いたらゲロ吐きそうな、むきむきのごつい男を………公衆の面前で犯したんだぞ?」


それを耳にした途端、ゼイブンは震え上がった。

「…なら俺なんか完全に射程内じゃないか………。

……どうしてそんな相手に勃つんだ?」


ディングレーが呻く。

「だってあいつ、怪しげな薬を山程持ってるだろう?

精力剤を飲めば相手がどうだろうが、あそこは元気に成る」


ゼイブンは真っ青だった。

「…どうしてそこ迄して突っ込みたいんだ…?

普通、自分のムスコは可愛いから極力…キモチ悪い相手になんか挿れたく無いだろう?」

ディングレーも頷く。

「だがそこ迄してもディンダーデンは嫌がらせする。


成り行きでも仲間を斬ったら投獄。の規則が出来て迂闊に剣を抜けなくなって以来、奴はそれをする。と脅し続け…だが聞かなかった男が初の犠牲者で、見せしめと成った…。


……相手の男はディンダーデン相手にそれ以来態度をすっかり顰めその上…殴られるよりひどい目に合わされる。と……近衛の皆がディンダーデンを、恐れきってるのはその為だ」


ゼイブンは更に青く成った。

「どうしてそれをもっと早くに教えてくれないんだ?

第一どうして噂に上らない!」


ディングレーはゼイブンを真正面で見た。

「だってお前とは全然出会わない。

…それにそんな事をわざわざ口にしたい男がどこに居る?

本当に怖い話は迂闊に口に出来ないものだ」


ゼイブンは思い切り、頷いた。

「確かに、男にとってはもの凄く怖い話だ。

殴られた方が遙かにマシだ」

ディングレーも同意を兼ねて、深く頷いた。


アイリスがスフォルツァを見ると、スフォルツァは気づいた様に顔を上げ…教練の一年で見かけたきり姿を顰めた…それは綺麗で気品ある美青年に見えるアイリスを、心から惜しそうに見つめた。


ディンダーデンがアシュアークの背を抱き戸口に消えて行く。その背に、スフォルツァがぼそりとささやき掛ける。

「…彼の同意が、あっても駄目か?」

ディンダーデンとアシュアークが同時に振り向く。

がディンダーデンは顔を下げてるアイリスを見、スフォルツァに向き直り頷く。

「万が一同意が取れるんなら勘弁してやってもいい。

俺ですら犯す以外方法が無いんだ。絶対不可能に決まってるがな!」


スフォルツァが切なげに、正面の俯くアイリスを上目遣いで見つめる。

室内の全員が、アシュアークと居る時の姿こそ普段見知ってる、近衛の気骨ある武人の彼が、アイリスに顔を向けるなり途端、恋に一途な苦悩する青年に見えて、顔を下げきる。


ディングレーがそっとゼイブンにささやく。

「あいつ…あいつ、実は大馬鹿だったのか?」

ゼイブンは戸口に顔を向けディンダーデンが消えた事を確認し、ささやき返す。

「…ディンダーデンも大馬鹿か?」


ディングレーは吐き捨てるように言った。

「ディンダーデンが常識外れの大馬鹿なのは周知の事実だ!

がスフォルツァは…少なくともマトモな男に見えた」


ディングレーの、言葉を受けたようにオーガスタスもささやく。

「…ここを出たくても、他の戸は開かないしな………」

ローフィスは途端、絶望したようにがっくり。と首を落とし、室内は深いため息で満たされた。



 テテュスは目を開けた。

夢の中でずっと…アイリスは言葉と微笑みを送り続けてた。

“大好きだ。テテュス”

ずっと…………。


だからだろうか。起き上がっても…もう悲しくない。

が隣のファントレイユは身を起こし、俯いたままで…。

人形のように整った彼の綺麗な横顔を見つめると、振り向く。


テテュスは、微笑おうとした。

けどファントレイユが何か、言おうとするその前、もう片方の横からレイファスが、その小さな手を伸ばして首に巻き付け、そのまま抱きついて来て…テテュスは腿の上に乗る、レイファスの体を抱きしめる。


顔を寄せて…見ると、レイファスは泣いていた。

“どうして…?”

そう…聞こうと思ったけど、ファントレイユがつぶやいた。


「レイファスは一度泣き出すと………」

テテュスは思い出して腕の中に居るレイファスを見つめる。

レイファスはテテュスの胸に顔を埋めたまま…けど抱いてるのは自分だ。と言うように首に両腕を巻き付けて抱きつき…でも、泣いている。


正直、テテュスはもの凄く狼狽えた。

ファントレイユは

『泣き止む迄諦めた方が良い』

そんな表情で眉を下げて見つめてる。

だからテテュスは理由を聞かずただ黙って…レイファスを抱きしめた。


きぃぃ。

扉が開いて、ファントレイユは寝台を飛び降りる。

そして扉の向こうをそっ、と見つめ、そのまま戸の向こうに消えて行った。


テテュスも後を追おう。と思ったけどレイファスは顔を上げなくて…仕方成しに、レイファスに首を抱かれたまま、彼の背を抱いてもう片腕で両足を持ち上げ…そして寝台を降りた。


テテュスにお姫様だっこされて運ばれてると言うのに、レイファスはまだ顔をテテュスの胸に、埋めたまま上げない。


 ゼイブンはその扉が開くなり、小さなファントレイユが自分目がけて飛んで来て腰に抱きつく衝撃に身を揺らし、一瞬傷付いた左腕に走る痛みに顔をしかめ…が、腰に突っ伏す小さな息子にささやく。

「…どうした?」

「僕ゼイブンが大好きだ!」

「そうか…で?どうしたんだ?」

「ゼイブンが大好きなんだ!」

ファントレイユは顔を上げず、隣のディングレーは見つめて来るゼイブンに肩を竦める。


が戸口にレイファスを抱きかかえたテテュスが姿を現し、アイリスを見つける。

アイリスは視線を向けられるなり立ち上がり、隣のスフォルツァはそんなアイリスを見守った。


テテュスは抱きつくレイファスのお陰で重くて走れ無くて、困ってた。

途端、大きな影が出来て自分の腕から、レイファスを優しく奪い抱き上げた。

見上げるとオーガスタスが、色味の戻った赤毛を揺らし、微笑んでいた。


レイファスは顔を髪に埋めたまま、今度はオーガスタスの胸に顔を埋める。

テテュスがそれを見つめ、顔を向けるとアイリスが…微笑んで両手を広げていたから、テテュスは駆け寄って抱きつく。

「…ワーキュラスが!

アリルサーシャに会わせてくれた!」


アイリスは固く腕を掴み胸に顔を埋める小さな愛しい息子の耳にささやく。

「…彼女は元気だった?」

テテュスは咄嗟に顔を上げて叫ぶ。

「うんと!もう苦しくないって!

アイリスが毎晩泣いてるって!

僕がアリルサーシャの事ばかり考えてるから!

アリルサーシャは私のせいよ。って!

でも違うんだ!」


皆がその子供達の様子に驚き…けどアイリスを見守ると、アイリスは青ざめていた。

「アリルサーシャにちゃんと…違うよって教えた?」

テテュスは大きく頷く。

「アリルサーシャは僕が…大人に成ってもういっぱい生きたら、迎えに来るって!

でも僕のせいでレイファスを泣かせちゃった!」


レイファスは抱きつく、頼もしくて逞しいオーガスタスの胸から少しだけ顔を上げて、オーガスタスにささやく。


オーガスタスは頷くとテテュスに告げる。

「テテュスが可哀相で泣いてる。って言うとテテュスの負担に成るから………。

泣いたのは俺がいっぱい血塗れでそれでも笑っていたから。に、して欲しいそうだ」


オーガスタスがそう言った途端レイファスは顔を上げ、それをバラす力自慢の頼もしい男に、怒って腕を顔目がけ振った。

オーガスタスは微笑ってレイファスの拳を避ける。


ローフィスはだがオーガスタスの傷を見た後でつい、レイファスを止めようと身を起こそうとし、シェイルがローフィスの肩を手で握り止め、自分が進み出た。


シェイルはオーガスタスの前に出て、小さなレイファスに向かって両手広げるが、オーガスタスは心配げな表情のシェイルに微笑んだ。

「癒されて楽に成ってるから平気だ」

がシェイルはその可憐な白面をまだオーガスタスに向けたまま。

「…無茶をしたら傷が開いて、今度こそローフィスが泣く。

俺だってローフィスの涙なんて滅多に、見ない」


皆が一斉に寝台に座るローフィスに視線を投げ、ローフィスは罰が悪そうに、見つめる視線から顔を背けた。


レイファスはもぞ…と振り向き、背後のシェイルを見る。

シェイルが真顔で両手広げてて、レイファスはそれでようやく両手を後ろのシェイルに伸ばした。


が、オーガスタスが身をシェイルに傾けるレイファスの小さな体を、揺すって抱き上げ、レイファスは真正面に微笑むオーガスタスの顔を見て、叫ぶ。

「…シェイルはいっつも口が悪くて滅多に真面目な顔を僕に見せないんだ!

あんな顔してるのはオーガスタスの傷がまだ…!」

「まだ?」

「…だって…大丈夫なの?」

小声で尋ねるレイファスに、オーガスタスはやっぱり朗らかに笑った。

「シェイルの心配は的外れで大袈裟だ」

シェイルが途端、むくれたように広げてた両腕組んで、膨れっ面をする。


ローランデがそれを見てぷっ!と吹き出し、ディングレーもゼイブンも笑った。

シェイルは膨れっ面のままオーガスタスにささやく。

「レイファスくらいならあんたの手を借りなくても、俺でも楽勝で抱えてられるのに!」


がオーガスタスは朗らかに笑う。

「俺はまだレイファスの文句を聞いてない。

文句を言いたい子供に遠慮させるのは、大人のする事じゃない」

「けど……………」

シェイルは困惑してささやき、がレイファスがびっくりして顔を上げ、オーガスタスを見つめる。

「シェイルが心配してる程なのに、文句なんて言える訳無い!

だってまだ…大して良くないんでしょう?!」


がオーガスタスは腕の中の小さなレイファスを見つめ、笑う。

「もうとっくに元気だ。

それともお前みたいなチビの文句で傷口が開くだらしない男だと、俺のことを思ったか?」

レイファスは口を尖らせる。

「…解ってない!

僕は口を開くと………」


「立て板に水。みたくしゃべる」

ゼイブンは腰が顔を上げてそうつぶやく、ファントレイユを見た。

小さなファントレイユはその淡い色の髪を揺らし、困ったようにオーガスタスに抱き上げられてるレイファスを見つめてた。


テテュスがアイリスの正面から顔を上げてレイファスにささやく。

「僕のせいでしょう?

文句は僕が聞くよ」


途端オーガスタスが朗らかに笑う。

「じゃ一緒に聞こう」

そして抱いてる小さなレイファスを見つめる。

レイファスはオーガスタスを見、一瞬躊躇い、怒鳴った。

「僕の事はいいって言ってるのに!

叫んだのに!

僕を結界の中に入れて……ちっとも来てくれなかった!

凄く!

叫んだのに!

解ってる?結界の中に居なくちゃいけないのはオーガスタスなんだ!!!

幾らオーガスタスが大きくったって!

僕はリスみたいに小さくくるまれるのに!

絶対二人入れるのに!!!

なのに叫んでも来ないから!

僕の前に…立ち塞がって盾に…なんか成ってるから!

だからそんなに傷だらけで血塗れに成っちゃったんだ!!!

僕の言う通りしてたら…アイリスが来てくれる時もっと……もっと元気で…………」


もう…レイファスの声は掠れ、嗚咽を上げて泣いていた。

がオーガスタスは静かに言った。

「あの場では俺がボスで、部下のお前に命令権は無かった」

レイファスは泣き伏そうと顔を上げ、悪戯っぽく笑うオーガスタスを睨み付ける。


「僕…自分が傷付くより痛かった!

オーガスタスがどんどん…傷が増えて血塗れに成るの!

凄く心が、痛かったんだからね!!!」


「レイファス。部下は上官の命令には絶対服従だ。

俺には覚悟があったから、お前は見届ける役割だ。

万一…俺が死んだ時、お前迄傷だらけに成ったら誰が俺の戦い様を皆に伝える?

第一俺とお前で、耐久力があるのはどっちだ?

お前が結界から出たら、ほんの三振りで殺られるぞ?

自分の小ささとか弱さが、分かって無いな?」


レイファスは言い返されて唇を噛み、両腕振り上げる。

シェイルが叫ぼうとし、がその前にレイファスが両腕振り上げて叫んだ。

「僕がオーガスタスの事大好きって忘れてるだろう!

目の前でオーガスタスに死なれたら、涙が涸れても泣いて、勇姿なんて誰にも伝えらっこない!絶対!!!」

言って両手を車輪のように振り回し、オーガスタスの肩をばんばん、ばんばん叩く。


シェイルははらはらし…振り向きローフィスが青ざめてないかを、必死で覗った。

ローフィスは親友の馬鹿さ加減を知り尽くしていたから、顔を下げて大きな溜息を吐く。


が…叩かれたオーガスタスはそれでも笑って…ささやく。

「俺は大好きなレイファスが護れて死んだら光栄だし、お前の口から『僕は凄い男に護って貰った』と自慢されたかったな」

レイファスはまだばんばんオーガスタスを叩くと怒鳴る。

「僕は嫌だ!

卑怯者で戦いが嫌いで、口先三寸で相手を煙に巻く弱虫のカレアス(レイファスの父親)の方が、よっぽどマシだ!」


言って、涙を頬にポロポロ伝わせ、オーガスタスの襟を掴んだ。

「…ゆ…う敢な騎士…なんて…だいきら………い!」

言ってぽろぽろと泣く。

オーガスタスが顔を寄せるとささやく。

「嫌いだから叩くのか?」

レイファスはうっく!としゃくり上げると、オーガスタスの首に、抱きついて叫んだ。

「大嫌いだ!オーガスタスなんか!」


言って必死でしがみつき、とうとうシェイルは困り果てたようにお手上げだ。と両手広げローフィスに振り返る。

ローフィスは青冷めてたが、苦笑した。


オーガスタスは首にしがみつくレイファスに優しい顔を向ける。

「大嫌いなのに、しがみつくのか?」

「そうだ!大っ………嫌いだ!オーガスタスなんて!!!」


ファントレイユはもっときつくしがみつくレイファスが、オーガスタスの首に顔を埋めて泣くのを見て、吐息を吐く。

そして両腕組んでオーガスタスとレイファスを見上げるシェイルの横に付く。

「…少ししたら泣き疲れて、剥がしても大丈夫に成る。きっと」

シェイルは無言でその忠告に、頷いた。


がテテュスが正面のアイリスのまだやつれた顔を見…顔を上げてレイファスに言う。

「僕にも、文句が言いたいんだよね?」


レイファスの背はびくっ!と震え、振り向き様涙でくしゃくしゃな顔で叫ぶ。

「どうしてそんなに性格がいいんだ!

病人の世話なんて真剣にしてたらこっちが病気に成る!


手抜きするのが当たり前なのに!

君は馬鹿正直に凄く一生懸命、世話したんだろう?!

だからアリルサーシャが死んじゃったら、アリルサーシャの所へ行こうって平気で思ったりしてアイリスを泣かせるんだ!


解ってるの?

生きてる人間は死者の国には行けないって!

なのに…テテュスは生きてるのに!

死人の国に、行こうとする!

それが…幸福みたいに!


僕だってファントレイユだってアイリスだって!

生きてる人間の世界に居るのに!

死者の国の、アリルサーシャの方が良いって思ってる!

君が性格良すぎて!

一生懸命過ぎて、手抜きしていい加減じゃないからそんな馬鹿な選択するんだ!

少しはゼイブンを見習わなきゃ!

ゼイブンは凄く手抜きでいい加減だけど大人やってて、しぶとく生きてる!


君みたいに…いい奴が死んで、ゼイブンみたいなロクデナシばっか生き残ってたら、僕だって生きてるのが馬鹿らしくて死者の国の方が良く成っちゃう!

僕にそうさせたいの?!」


もうそこら中でくすくす笑いが洩れ、ゼイブンは大きく吐息を吐いて両腕組んだ。

「俺をロクデナシ呼ばわりする位、テテュスは性格が良いんだな?」

レイファスはそう言ったゼイブンにきっ!と振り向く。

相変わらず涙が頬を伝ったけど。


「ゼイブンはモトからロクデナシだけど!

テテュスと比べると救いがたいロクデナシに思える!」


全員がゼイブンを見つめてると、ゼイブンは大きく頷いた。

「それは究極の褒め言葉だな?」

皆呆れかえったが、レイファスはテテュスに髪を振って振り向く。


「ほら!

あれ位図太く図々しく…君に成れとは言わないけど!

100分の一でいいから見習わないと!

タフと無神経は同意語だと解ってる!

君に無神経に、成って欲しく無いけど!

君に…………」

レイファスの瞳からとうとう涙が伝った。


「か…なしんで欲しく無い………」

言って、頬に涙を伝わせ俯き…そしてささやく。

「テテュスが悲しいと、凄く僕だって悲しい………」


テテュスは言葉を無くした。

以前だってそうだった。

悲しいのは自分で…けど皆は楽しそうだったからそのまま楽しんで欲しかったのに…悲しんでると、気づかれた瞬間、楽しい雰囲気は気遣いへと変わり………。

そして深い悲しみにその場は包まれた………。


アイリスが悲しげに愛息を見つめると、テテュスはレイファスに向かって叫んだ。

「だって悲しいのは僕なのに!

アリルサーシャを亡くしたのは僕で、君じゃないのに!

君は楽しくっていいんだ!

僕の悲しみなんか、見なくていい!

僕はその方がいい!」


ようやく…ローフィスが俯き、つぶやく。

「お前は感情を隠すのが下手だから………」

テテュスがローフィスに振り向くと、ローフィスは顔を上げてテテュスを見る。


「みんなお前の事が大好きなんだ。

その…大好きなお前が泣いてるのを見るのは辛い…。

俺だって………」

とそう…深い吐息を吐き俯き…言葉を絞り出す。

「奴は平気だと笑うが…オーガスタスが傷だらけの姿を見るのは辛い」


が、オーガスタスはレイファスを抱きかかえ、笑う。

「見慣れてるだろう?」

ローフィスは俯いたまま、大きく頷く。

「教練の一年で。

お前は何でも無い。と古傷を曝す。

けど………その傷が深く、古い程…お前が幼少期の奴隷の時受けた傷がどれ程酷かったか…解って言葉が出ない。

なのにお前はいつも水臭く、見る俺達の気持ちを思いやって

『大して痛くなかった』


必ずそう言う………。

どう見ても…本当に深い傷なのに………。


なあ?レイファス。

そういうのを見るのは、こっちは辛いよな?

何も、出来なくて。もどかしくて。


でも伝えたいんだ。

お前が大好きだから…その痛みが薄らぐ様、必死で…それこそ本当に必死で祈ってる。と。


強がりで見え見えの虚勢の、大丈夫。をもう…お前が、言わなくていいように…………」


アイリスはテテュスを見る。

テテュスはアイリスの濃紺の瞳を見つめささやく。

「見え見え…だった?」

アイリスは深い吐息を吐いてこくん。と頭を揺らした。


「でも僕…本当に、どうしていいのか解らなかった。

毎日泣いて…何もしたくなくて…そんな風ならアリルサーシャは喜ばないし、アイリスは凄く僕の事心配する………」


がオーガスタスはローフィスを見て微笑む。

「虚勢に暴言で対応してくれた。

第一俺はそれにとっくに気づいてたから、お前がいつも大切だった」


ローフィスが少し怒った顔を上げる。途端、オーガスタスが肩を揺する。

「ほら…!言葉にすると、凄く気色悪いだろう?」

ローフィスも頷いた。

「確かにな…」


ローランデはもう、吹き出していて、ゼイブンはむっつり言った。

「テテュスは大丈夫だ。

レイファス。お前は気が回りすぎて人の事を心配しすぎだ。

第一ああ見えて、アイリスの息子だ。

素直な馬鹿。のままでいる訳無い」


レイファスはむっとした。

「ファントレイユがだんだん地が出ると、どんどんあんたそっくりに、成ってくように?」

ゼイブンはあどけなく見上げる、妻そっくりの顔立ちの息子を見た。

「…まあその方が、俺も安心だ」


スフォルツァは心から愛息を心配げに見つめる、今だまだ艶やかなアイリスを見つめてる。

ラフォーレンはついその頼れる先輩の様子に、吐息を吐き出した。


テテュスは困惑した様子でアイリスを見つめ、アイリスは悲しげに微笑んだ。

「君の亡くした物はかけがえのないものだから…みんな、心配してるんだ」


テテュスはローフィスとディングレーを、交互に見た。

二人が二人共、離れた場所から瞳を自分に向けていた。


いつも気遣ってくれていた二人。

そして、ローランデもギュンターも…そしてシェイルでさえ、じっ。と自分を見守っていた。


テテュスはオーガスタスを見上げる。

「虚勢を張るのは、効果ある?」

オーガスタスは途端、笑う。

「それをそのまま受け流す奴との付き合いはそれ迄で…心配する奴は最高にいい奴だ。と見分けが付く」


シェイルが見てると、ローフィスはオーガスタスの言葉に、苦虫噛んだような苦い顔をした。

がテテュスは大きく、頷く。

「じゃあファントレイユとレイファスは、間違い無くいい奴だね?」

オーガスタスに頷かれ、テテュスは心から微笑み、そして自分の前に屈む父親を見た。

「そして勿論、アイリスも」


アイリスが感激したように瞳を、潤ませたりしてテテュスを掻き抱いたから、全員が一斉に顔を背ける。


ラフォーレンとスフォルツァは皆のその反応を、首を振って見回した。

ゼイブンだけが腕組みし、驚く二人に唸った。

「皆アイリスがテテュス相手だと自分を無くしガタガタで、浮き足立つ程混乱してる」


スフォルツァがささやく。

「そりゃ…確かに近衛の時とは違うが…彼は元々、困ってる相手に凄く、親切だった。


………ギュンターが…グーデンらとの抗争の後ローランデを口説き出した時俺は…ギュンターに裏切られた。と見下したが、アイリスはだけはギュンターの方こそ、困ってると………。


相手は二級上で、年下の俺達に何が出来る。

そう思ったが…アイリスはギュンターに気を止めていた。

まあ…そりゃ、ギュンターの私生活はそれは最低だが俺達一・二年の監督生として、彼は確かに…素晴らしかったしグーデン抗争では英雄だった。


だがつい…俺は納得行かずアイリスに、喰ってかかった。

仲間として一緒に戦ったローランデを、あんな卑怯なやり方で辱めるなんて最低で見損なった!と。


がアイリスはこう言った。

『ああいうのを私は子供の頃山程見た。

好きな女の子の感心を、必死で引こうとする男の子がしょっ中やってた』

俺はムキに成った…」


アイリスの息子が、しゃべる自分を見つめるアイリスの横から視線を真っ直ぐ向けていた。

彼は小さく…その髪色は父親そっくりだった。

スフォルツァは俯くと言葉を続けた。


「…それじゃ、ギュンターがローランデに本気だと言う気か?!


…そう…怒鳴り付けると彼は言った。

『君だって入学当初、私に惚れ込んでどうしていいのか解らなかったろう?』


それでようやく…俺はギュンターの気持ちが解った。

俺の時…アイリスは応えてくれたから、熱が冷めたら思い切れた。

ギュンターはローランデに、受け入れるどころか耳さえ傾けて貰えないから…ああなるんだと。


それ以来だ。

アイリスが言う事に、真剣に耳を貸す習性が出来たのは。


アイリスは…大衆に流されず表面だけに捕らわれたりしない独特の観察眼があって…それはいつも確かだ」


皆がスフォルツァの言葉に感心、しかけたが言って顔を上げアイリスを見つめるスフォルツァの瞳はやっぱり……自分達では到底理解出来かねる、天上のマドンナを見つめるような熱の籠もった瞳で………。


ギュンターがぼそり。と言った。

「あいつ(スフォルツァ)の気持ちが解る場所に居ないから、アイリスを見誤るのか?」

ローランデがささやく。

「だって君はちっとも…アイリスの良さを認めようとしないじゃないか…!」


ギュンターが顔を上げる。

テテュスを必死に抱きしめるアイリスを見たりすると、やっぱり条件反射で見てはいけないものを見ている気分に成って落ち着かない。

第一見直そうにも、奴はちゃっかりし過ぎていつも…計算で動いてる。

それはどうしたって、無視出来なかった。


が、ぼそり…とささやく。

「俺がいい奴だなんてアイリスの事言えば…ローフィスがオーガスタスに『大切だ』と言われて気色悪がったみたいに…成ると思うがな」


ローランデがアイリスを見る。

アイリスはやっぱり目を、まん丸に見開いた。

「どうして気色悪い?

君に『大切だ』と言われたりしたら、にっこり笑って受け入れてやるぞ?」


ギュンターが途端、顔を下げ、ゼイブンが見てるとディングレー迄顔を下げた。


シェイルの眉間が寄る。

「ローフィスと、アイリスを一緒にするからそんな事に成るんだ!」


ギュンターは無言で頷いた。

そして顔を上げる。

「真顔で言われたら普通の神経が通っていたら、気色悪いよな?」

がローランデが喰ってかかった。

「私には平気で言う癖に!」

ギュンターが困惑してささやく。

「だって…お前は友達じゃない」

「私はそのつもりだ!

君に真顔で言われて、気色悪いを通り越して赤面するんだぞ!!!」

ギュンターはそう言われ、心から困って俯く。


それを見て、スフォルツァがしみじみとささやく。

「確かに、ギュンターはもの凄く気の毒だ」

が皆は曖昧に、頷き返した。





 夜の帳が降りて窓の外を真っ暗に塗り潰す。

テテュスも、レイファスもファントレイユも、突然空間から現れた一団が皆に散らばり、その傷の具合を有無を言わさず確かめるのを、呆けて見つめた。


彼らは一様に背が高く美形で、そして真っ白な肌をしていた。

皆は無言で診察相手に夜着をはだけるよう促し、皆は次々に傷を曝す。


ラフォーレンはディングレーの背に溝の出来た斜めに深く切れ込む刀傷を見、つい一瞬体が揺れたし、スフォルツァはアイリスの左肩から胸にかけての、深く抉れた傷が肉を覗かせる様子に眉を、寄せた。


テテュスはその傷に動揺して顔を真っ青に染め、がアイリスは愛息に向かって青い顔で微笑む。


ファントレイユは『光の民』の癒し手が、ゼイブンの左腕に手を添え癒えかけた傷を曝すその腕を、折り曲げては具合を確かめる様子を目にした。

そしてゼイブンが『光の民』の癒し手に真っ直ぐ見つめられ、それが合図のように左の指を五本次々に、折り曲げて見せ、癒し手は頷く。


レイファスはオーガスタスを見たが、ミラーレスはオーガスタスの前に立つと、二人は瞬間、その空間からかき消えた。


シェイルが自分の矢傷もそこそこで、ローフィスに視線を送ってる。

ローフィスが夜着をはだけるとその脇腹に…くっきりと深い刀傷から肉が抉れて覗き、思わず叫びそうに成って慌てて口を手で押さえた。


ファントレイユも同様ローフィスの傷を目に、今にも泣きそうに成りながらレイファスにそっとささやく。

「あの傷で…でもローフィスはアイリスを後ろに乗せて“里”に、駆け込んだんだ」

レイファスも震えながらこっくり。と頷く。


ギュンターはあちこちが赤黒い穴だらけで…癒し手が傷に手を当てるが途中まだ痛む矢傷に顔をしかめると、癒し手はその手から、放出する光の色を落とした。

くっきりとした黄金色が、薄く淡い黄金(きん)に変わる。


途端、痛みが引く様にほっとするギュンターが吐息を吐き、けど額から、玉の汗が頬に伝い滑った。


ローフィスを気遣うシェイルを、その“里”の癒し手は腕を捕んで振り向かせ、夜着を肩から滑り落とし現れた矢傷に手を当てる。


シェイルは一瞬激しく身を揺らし顔をしかめ、が歯を喰い縛って耐えた。

癒し手はそっとつぶやく。

「痛む程、早く治る」


シェイルは頷き、ささやき返す。

「まだ平気だ」

癒し手は送る光の色の濃さを増し、シェイルは眉間を歪ませ唇をきつく、噛みしめる。

がその顔も肩も、ぶるぶると震っていた。


「…やっぱり…痛むんだね………」

ゼイブンが治療を終えてつぶやくファントレイユの横に戻って来る。

「3日分の痛みが一気に襲い、3日経たないと治らない傷が治ってるからな」


レイファスが、ゼイブンにそっと視線を送る。

「…痛む分は結局同じ?」

ゼイブンは肩を竦める。

「そりゃ…酷い傷は麻痺させて治療してるだろう?

痛みのショックで、死ぬ事もあるから」


レイファスが呆れた様に顔を上げる。

「じゃ麻痺させられたまま治されたら痛く無いじゃないか」

ゼイブンがレイファスの疑問に、顔を向け唸る。

「ずっと眠ってられるか?

だから連中は治療の一環で、喰って眠らせる。

傷が癒えていくのに、うんと体力を使って何もしなくても消耗してるからな。


喰えば眠く成る。

眠ってる間に傷は癒えていく。

だがそれなりに時間はかかる。


早く癒そうとしたら…どうしても痛みは我慢しないと」

ファントレイユがそっとささやく。

「…だって…そんなに急がなくてもいいんでしょう?」

レイファスもつぶやく。

「…ギュンターがまだ、護衛連隊長に成ってないから?」


ゼイブンが吐息を吐いて二人の子供を見つめる。

「多少痛んでも、傷があるままよりは少しでも癒えた方が怪我人としては嬉しいもんだ」

ファントレイユとレイファスはつい、お互いを見つめた。


レイファスがそっと言った。

「そんな酷い傷負った事無くて分かんない」

ゼイブンはレイファスの頭を乱暴に撫でて唸る。

「そりゃいい事だ。

闇の結界の経験者なのにな!」


レイファスはゼイブンに乱暴に撫で回す手の平の感触に、それでも俯くと頷いた。

「僕が傷付く分、オーガスタスが負ってくれた」


ファントレイユはレイファスが泣き出さないか、そっと顔を覗う。

レイファスはファントレイユの人形の様に綺麗な顔が心配げに覗くのに気づく。


ファントレイユは結果、優しい…。

そして…顔を上げる。

今だ治療中の仲間を見つめ、吐息を吐くゼイブンの横顔。

ゼイブンも…口は悪いけど、その心根はやっぱりファントレイユ同様、優しかった。


ローランデだけは腕組みして皆の傷を見つめながら、その癒し手の様子に感心していた。


注がれる光の色が揺らぎ濃く成ると途端、ギュンターは歯を喰い縛る。

肩が、ぶるぶると震えていたし、アイリスに至っては顔を、下げて居た。


濃い栗毛に顔を埋め、上げない。


ローフィスは一瞬、上げそうになる悲鳴を噛み殺し、髪をばさっ!と振った。

癒し手が途端、放射を止める。

がローフィスは呻いた。

「まだ平気だと…知ってる筈だ」


けど…そう…その癒し手は言おうとしたのだろう…。

が、言葉を飲み込み傷に手を当てる。


ローフィスの額から次第に汗が噴き出し、顔を次々伝い行く。

シェイルが泣き出しそうな目をローフィスに向け…が自分の痛みにくっ!と眉を寄せ、唇を噛んだ。


ばさっ!

ディングレーが手当てを終えて夜着を戻す。

が見ていると、ほっ。と吐息を漏らしていた。


ラフォーレンがローランデに寄って行くと小声でささやく。

「『光の民』の癒しは初めて見ましたが…どれも昨日、負った傷ですか?」

ローランデは頷く。

「随分早く治ってるだろう?」


ラフォーレンは頷き、ごくり…!と喉を鳴らした。

「信じられない早さですね」

ローランデが優しい表情を向けて頷く。

「アイリスやローフィスは間違い無く、ここで無ければ今寝台に横に成ってる」


スフォルツァは腕組みしながらじっ…と髪に顔を埋めるアイリスを見つめ、その息子が少し離れた場所で、泣き出しそうな瞳を父親に向けているのに目を止めた。


濃い栗毛。そして濃紺の瞳と色白の肌。

父親そっくりなその子供に、スフォルツァは寄って行くと、腕をそっと掴み、アイリスから引き離す様に導く。


テテュスは手を握るその近衛の武人を見上げた。

彼は屈むとそっとささやく。

「君相手にアイリスは絶対、痛む様を見せられない」


テテュスはその言葉に目を見開き、頷くと窓辺へと誘うスフォルツァに従った。


アイリスは一瞬離れて行く息子をスフォルツァが保護するように付きそう様子に、感謝の滲む視線を送る。


が旧友スフォルツァは、解ってる。とばかり頷いた。

テテュスはアイリスに背を向け、正面の長身の武人を見つめる。

「貴方も…あんな傷を負った事がありますか?」

スフォルツァは見上げるアイリスの息子の真摯な濃紺の瞳に一辺に親近感を覚え、顔を傾けてつぶやく。

「あれ程はひどく無いけどね」


「それでやっぱりその…とても、痛かった?」

素直にそう問われ、スフォルツァは一瞬黙り…が顔をもっとテテュスに傾け、耳元で小声でささやく。

「死んでも『凄く痛かった』と本音は吐けないけどね」


そして顔を上げ、テテュスにウィンクして見せる。

テテュスは彼が一辺に気に入って、微笑む。

品が良くて…けど堂としていて…だけど優しい。


「さて!」

いつの間にか、戻っていたオーガスタスの横で、ミラーレスが言った。

「食事をし、眠って下さい!

ギュンター。貴方は食後もう一度癒します。

明後日には幻影判定だ」


ギュンターが顔を揺らし、大きく吐息を吐き出した。

皆の視線が心配げに一斉に注がれるのに気づく。

顔を、すっ!と上げて告げる。

「傷を負ってるから俺が、ヘマするとでも?」


オーガスタスが、肩を竦めてつぶやく。

「誰もが、お前が傷を負おうが自分を曲げない馬鹿な頑固者だと、知ってるさ」


総大将のその言葉に、皆一斉に

『そうだった』と思い出してギュンターから視線を外し、ギュンターはその様子に眉を、しかめた。




















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