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「アースルーリンドの騎士」別記『幼い頃』  作者: 天野音色
第六章『光の里での休養』
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9 意外な訪問者達

 オーガスタスは廊下を進む目前に二人の騎士の姿を見つけ、それが右将軍アルフォロイス傘下、アシュアークの右腕、それに左腕と呼ばれる手練れの二人だと気づく。


前を歩くディングレーが歩を止め、横のディンダーデンも習い、足を止めて首を揺らす。

「…珍しいな。

お姫様抜きの、お伴の二人の登場は」


ディングレーはチラ…。と横の大柄なディンダーデンの態度のデカさに、一つ吐息を吐いた。

確かに彼より年下の若造二人だったが、右将軍傘下の者として、今は抜きん出て目立つ存在だ。


さらりとした真っ直ぐな栗毛を肩で滑らせ、ラフォーレンが俯く。

横の、手入れの良く行き届いた艶やかな癖のある栗毛を肩に流したスフォルツァは大貴族らしく顔を上げ、ディンダーデンを睨め付ける。

「アシュアークがここに、来ている筈だ」


ディングレーは後ろのオーガスタスに振り向いたし、オーガスタスは視線を受けて肩を竦める。


「俺が隠してる。とでも言いたいのか?」

ディンダーデンの態度に、スフォルツァはますます張り合うように顎を持ち上げ、手を剣の柄に置き胸を張る。


それを目にずい!と胸を張り片手を腰に、肩を揺らし威嚇するディンダーデンの横で、ディングレーは

『無駄な努力を………』

とスフォルツァの張り合う若い姿に、吐息混じりに視線を床に落とす。


スフォルツァは尊大に、その色男に告げる。

「彼にそう、頼まれなかったか?

監視が直登場するから、匿ってくれ。と」

ディンダーデンはその青の流し目をくべ、フン。と鼻で笑う。

「…だったらどうした?

匿ってくれ。と言うのを探し出して引き擦って行くか?」


オーガスタスがとうとうディンダーデンの腕をぐい!と掴み後ろに引かせて前へ出、右将軍配下の出世頭の若造に視線を落とす。


目前に、赤毛で大柄な左将軍側近の姿を見つけ、スフォルツァは途端、恐縮するように態度を改めた。


ディングレーはぶすっ垂れるディンダーデンに、小声でささやく。

「…奴は大貴族だ」

「俺も一応、そうだぞ?!」

ディンダーデンの言葉に、ディングレーは即座に返す。

「だってあんたはマトモな大貴族じゃない

それに比べ、ヤツは生粋だ」

ディンダーデンはかっか来て、黒髪の王族に唸った。

「はっきり言え!臭わせるなんざお前らしくないぞ!!」

ディングレーは吐息混じりにスフォルツァに視線を向けてささやく。

「…身分至上主義で、自分より地位の低い相手に敬意を払われないと、ムキに成る。

若造なんだ。可愛い虚勢。と、大目に見てやれないのか?」


ディンダーデンはやっぱりブスっ垂れていて、ディングレーは若造と張り合う大人げない駄々っ子の様な年上の男の顔を見、

「(ギュンターが苦労する筈だ)」と俯いた。


オーガスタスは相手が自分に敬意を払い、発言を控えるのを見たが、素っ気なく告げる。

「アシュアークはここに来てない。

だから奴(振り向いて、ディンダーデンを親指で指す)だろうが、匿えない」


途端、ラフォーレンとスフォルツァは当たりがはずれた。とばかり、呆けたように首を回し互いの目を見つめあう。

ディンダーデンがそれを見て唸った。

「首輪付けとけ!

逃げられて困るなら!」


スフォルツァとラフォーレンは(いとま)の挨拶代わりに左将軍側近へ、軽く頭を下げ二人同時に背を向けたが、ディンダーデンの言葉にスフォルツァが即座に振り向く。

ラフォーレンがその様子に口を開きかけ、がスフォルツァは断固として言い放った。

「あんたに言われたく無い!

あいつが抜け出す度あんたにお伺い立てに来る俺達に、こっそり匿ってはすっとぼけ、影であいつと二人で笑ってるんだろう!!!」


ディンダーデンに真っ直ぐ喰ってかかる青いスフォルツァに、オーガスタスは両手を腰に俯き、吐息を吐き出す。


ディンダーデンはまたぐい!と胸を張ると笑う。

「そこ迄陰険じゃない。

第一、笑うんならお前の目の前で堂々と笑ってやるさ!

アシュアークの腰を抱いて

『奴はお前とは行かず、俺と居る』

はっきりそう言ってな!

そんな楽しい見物があるのにどうして匿う必要がある?!」


挿絵(By みてみん)


スフォルツァはとうとう腹を立てて剣の柄に手を添え、身をずい…!と乗り出し、慌てたラフォーレンに肩を掴まれたし、それを目にした途端肩を突き出すディンダーデンの前にその背をぶつけ入れ、止めたのはオーガスタスだった。

ディンダーデンが途端、前をそのデカイ背で塞ぐオーガスタスを睨み付ける。

が、オーガスタスも負けない程の野獣の目で睨め返す。

ディングレーが小声でささやく。

「オーガスタスは病み上がりだぞ?」

ディンダーデンはだが、唸った。

「俺のお楽しみの邪魔が出来る程、元気そうだぞ?!」


背後で行列が詰まり、シェイルは肩を助けるローフィスを見たが、ローフィスは取り合う元気は無い。と顔を下げてつぶやく。

「近衛のゴタ付きだろう?」

「管轄外だと、放って置くのか?」

追いついたローランデが二人の会話を耳に、彼らを追い抜き前へ、進む。


尚もスフォルツァは剣の柄に手を掛けたまま、ラフォーレンに掴まれた肩をぐい!と前に迫り出す。


ディンダーデンは真剣にオーガスタスを睨み付け唸る。

「その体で邪魔する気なら、考え直した方が良いぞ。

止めるなら、相手を奴からお前に、変える迄だ」

が、オーガスタスはそのきつい目を崩さない。

ディングレーが慌てて小声でささやく。

「あれだけ暴れてまだ、喧嘩がしたいのか?!」

ディンダーデンはかっか来て、黒髪の王族に振り向き怒鳴る。

「レッツァディンを沈められず、互角のまま決着が着かなくて寝覚めが最高に悪い!」


が、スフォルツァは両者の間に姿を現す、かつて教練で一年先輩だった端正な騎士、ローランデの姿を見つけると、はっ。と剣を柄から外し、静まる。

ローランデは一触即発の両者と、その二人を諫めるラフォーレン、そしてオーガスタスの様子を見回し、静かにささやく。

「スフォルツァ。

ディンダーデンは確かにギュンターの副隊長で地位こそは低いが、十分尊敬に値する相手だと、私は思うが?」

優しげなローランデにそうつぶやかれ、その白面が自分に向くと、恥ずかしい場を見られた。とスフォルツァが頭を垂れる。


ディンダーデンはそれを見て目を丸くしたし、オーガスタスもディングレーもほっとする。

スフォルツァはその剣聖に頭を垂れて尋ねる。

「失礼を、謝罪しろと?」

が、ディンダーデンは即座に怒鳴った。

「いや!

剣の柄に手を添えるのは俺に対しての、最大の賛辞だ!」


「惨事。の間違いだろう…」

ぼそり。とつぶやくオーガスタスのセリフに、ディングレーはこんな場面にも関わらず、思わず吹き出しそうに成った。


ローランデが振り向き、その静かな青の瞳が自分に投げられると、ディンダーデンは仕方なさそうに吐息を吐き出す。

「お前…俺がその目に弱い。と知ってるな。

嫌味な奴だ」

ローランデは笑うと、ディンダーデンに尋ねる。

「若輩の彼からの、謝罪を受けてやってくれないか?」

ディンダーデンはオーガスタスの笑いを含む鳶色の目を、見はしたが憮然、と頷き腕組む。


ローランデの瞳が自分に注がれると、スフォルツァは一礼し頭を下げたままささやく。

「無礼をした。失礼をお詫びする」

がディンダーデンは忌々しげに唸る。

「だからそれは俺に取っては無礼じゃない!」

スフォルツァは真ん中に立つローランデに、困った様に視線を投げる。

「…どう…すれば良いんです?」

ローランデがディンダーデンを見ると、彼はぶすっ垂れて腕を組んだままそっぽ向く。

オーガスタスが、ぶっきら棒にスフォルツァに告げた。

「本心をそのまま言え」

スフォルツァは目を見開いたが、居住まいを正し口を開く。

「本当はあんたに一太刀でも喰らわせて喉の溜飲下げたかったが、そう言う訳にも行かず、残念だ」

ディンダーデンはようやく、頷いた。

「俺もだ」

スフォルツァは素っ頓狂な表情で、ローランデに視線を向ける。

「これが謝罪に成るのか?」

ローランデが困った様にディンダーデンを見つめ、オーガスタスがようやく、朗らかに笑った。

「だが互いの理解を深めたろう?」

スフォルツァは『本当か?』とディングレーを見たが、ディングレーは肩を竦め、ディンダーデンは楽しい悪戯を邪魔された子供みたいにまだ、ふくれっ面をしていた。

ディングレーはその年上の駄々っ子に告げる。

「近衛の仲間に剣を抜くのは御法度だと、知ってるだろう?

幾らあんたが大貴族だってスフォルツァもそうだ。

どっちも相手を傷付けたら処分を免れない」


「…その御法度の筈の仲間と、激しく剣を交えた後だから理性がふっ飛んでるんだ。奴は」

ローフィスの言葉に皆が一斉に、最後尾の彼に振り向く。

ディンダーデンが見つめると、シェイルに肩を支えられたままローフィスも見返す。

「近衛の気に喰わない男を皆叩き切れるんなら、胸が空き、心弾むんだろう?本心は」

ディンダーデンがその青の流し目をローフィスに投げ、唸る。

「レッツァディンに血しぶき上げさせたかったぜ…!

あいつ、思った通りしぶとかったからな!」

シェイルがそれを聞いて俯く。

「どっちも豪速の剣が掠る度、飛沫を飛ばしてたじゃないか…」

ディンダーデンは眉間を寄せ、腕を深く、組み直して怒鳴る。

「あんな雨粒程度が、飛んだ内に入るか!!」


ラフォーレンもスフォルツァもそれを耳に、顔を下げる。

ラフォーレンが顔を上げるとそっと、ローランデにささやく。

「伝え聞いた通り…やったんですか?

ムストレス派と……真剣で?」

ローランデは頷くと、尋ねる。

「アシュアークはそれを聞いて?」

ラフォーレンも頷き返し答える。

「アルフォロイス殿から書状が。

子細を確かめろと。

この近くの別宅に来ていたので。

だからてっきりここかと………」

そうつぶやくと同様の職務を果たす筈の、スフォルツァに顔を向ける。


ラフォーレンからしたらスフォルツァは二つ年上。

その頼りに成る筈の男が、ディンダーデン相手だとこの体たらく。

がスフォルツァは頑健な態度を崩そうともしない。


確かにディンダーデンが“お姫様”と呼んだ「右の王家」の血を継ぐアシュアークは右将軍傘下若手の筆頭。

近衛の猛者達の中、小柄とも言える体格だがその強さは右将軍お墨付きの勇猛さ。


が、戦を離れると強く逞しい剣士の腕に抱かれる事を望む、文字通り“お姫様”に成り下がり、来ても拒まないディンダーデンの元へ出向く事しばしばで、その世話役、自分とスフォルツァはいつも消えたアシュアークの姿を、どこのしとねかと猛者達の間を尋ね歩き、その中にディンダーデンも当然居たから度々顔を合わした。

だが毎度ディンダーデンは所在を尋ねる自分達にそれはいい態度で、スフォルツァは年上だから。との気遣いはもうあいつには二度としない!


…と前回の顔合わせでもの凄く、憤っていた。

だからこの結果は当然と言えば当然かもしれない…。


ラフォーレンは左将軍側近オーガスタスと、スフォルツァが良く見知っているローランデが居てくれて、本当に良かった。

と胸を撫で下ろした。

がスフォルツァは散々アシュアークに振り回され、その上こんな嫌味な男のしとね。迄尋ねなきゃならない職務にうんざりしていたから、憮然とした態度を崩さず、低い声で話す。

「ここにはギュンター殿が居る。と聞いた。

それにアイリス。…そして…」

と、ディンダーデンに視線を投げる。


シェイルはアシュアークが名の上がった三人共と、寝ているのを知っていたので呆れた様に顔を背けた。

ローランデが皆の反応を知って、即座に言い返す。

「だが来ていない…。

どこかに、寄り道したんじゃないのか?」

それが言われた途端、ラフォーレンもスフォルツァも顔を見合わせる。

「…もしや………」

「まさか…ここに近い、ムストレス殿の屋敷に殴り込みか?!」

言葉が終わるか終わらない内に背を向け、二人同時に駆け出す。

がその背に、ディングレーが怒鳴った。

「奴が剣を抜こうが、メーダフォーテが早々簡単に応えるか!

王族の奴を傷付けたら幾ら何でも処分だと、ちゃんとメーダフォーテは計算出来てる!

第一お前達の前に出たんなら、とっくの昔に着いてる!

行き違いに成るから、ここで大人しく待て!」


二人は同時に、その黒髪の王族に振り向く。

横でオーガスタスが『そうしろ』と頷き、二人は再び顔を、見合わせた。



 その食事の並ぶテーブルに皆が着く。

オーガスタスが魔法のようにご馳走の並ぶ机上を見つめ、呻く。

「…言った通りだ」

ローフィスは席に着いておもむろに頷き、フォークを取り上げた。

ローランデを除く全員が、物も言わず席に着くなり無言で食事を始める光景に、ラフォーレンもスフォルツァも目を丸くする。


ローランデは二人に微笑む。

「君達も席に着くといい」


言われて二人はまた顔を見合わせ、空いてる椅子に腰を降ろした。

シェイルが空席を数え、首を竦め二人に告げる。

「腹が減ってるなら食え。

君らの椅子もちゃんと、人数に入ってる。

料理の皿数も、合ってる筈だ」


しかしスフォルツァは、やはり一年先輩だったシェイルに顔を向け毅然と告げる。

「昼飯を、食って来たばかりだ」

が、ラフォーレンは顔を下げると、年上の同僚に小声で告げた。


「確かにそう…なんだが……ここに来たら、やたら腹が減ってきてその…。

目の前からいい匂いが漂い、料理が並んでると………」


言われて、スフォルツァも俯く。

そしてラフォーレンに顔を寄せ、もっと声を顰めささやく。

「俺の…気のせいじゃ無かったのか?」


ラフォーレンも声を落としささやく。

「こんな空きっ腹で目の前にご馳走。

食べられなかったらまるで拷問だ」


スフォルツァも頷く。

そして二人もフォークを持ち上げ、食事に参加した。



「あれ?」

「人数が増えてるぞ?」

アイリスと、素っ頓狂なゼイブンの声音に皆が一斉に、戸口に振り向く。


オーガスタスが三人を目にした途端、吹き出す。

「で?

結局アイリスを糾弾出来なかったのか?」


笑われてギュンターは、アイリスの肩を担いだまま憮然。と悪友に視線を投げる。


アイリスが視線を向けるのに気づき、スフォルツァは友に挨拶しよう。と口を開きだが………。

やはりまだ青冷めて本調子で無いアイリスの、やつれた様子にスフォルツァはつい…遠い目をし、その美青年に見惚れる。


それに気づいたディンダーデンが、途端ぎっ!とスフォルツァを睨め付けた。


アイリスは右将軍派、左将軍派とかつての近衛で派閥は別れたものの、教練時代から同学年で昔馴染みの友の、その様子にあれ?と視線を向ける。


ギュンターがアイリスの肩を担いだまま、ほっ。としたようなローランデの穏やかな青の瞳に一つ、頷き、がスフォルツァが熱く乞うような瞳をアイリスに向けている様子に気づくと、アイリスより思い切り顔を背け、吐息を吐き出した。


ディングレーが叫ぶ。

「何だ!結局重傷のアイリス相手じゃ流石のお前も喧嘩、売れなかったんだな…?」

言いながらスフォルツァが、ディンダーデンの睨みが自分に向けられると気づいた途端反射的に睨み返す様子に、目を丸くする。


ゼイブンはアイリスの、ギュンターとは反対側の肩を担ぎ、ディンダーデンとスフォルツァの緊迫し、アイリスを巡って睨み合う様子にやはりアイリスから顔を背け、小声でつぶやく。

「…あいつ(スフォルツァ)にも…とっくに手を出してたのか?

もしかして」


アイリスはぎっ!とゼイブンを睨む。

「彼の場合はこっちから口説いたんじゃない!

第一、とっくに友人付き合いだ。

………どうして大昔に戻った目付きに成ってるのか、聞きたいのはこっちの方だ!」


ギュンターが反対側で、吐息混じりにささやく。

「…だから…今お前はやつれてそれは…綺麗な青年で、普段のお前を思い出すのが困難な位別人のようにしおらしく見える。


性格が前面に出、いけ好かない余裕溢れたお前をチラとも頭を掠めない位」


アイリスが、呆けたようにギュンターに振り向く。

「まさか…それでさっき、君も思い切り私に喧嘩売れなかったのか?」


ギュンターが、項垂れきる。

「…そりゃ俺のせいで…テテュスを危険な目に合わせたし、お前は庇って命を落としかけた。

その姿を見る度俺にそれを思い出させる」


アイリスは鏡が欲しい。と心底思った。

そりゃ、確かにちょっと力を入れる度、左肩が痛み表情を崩す。

余程気合いを入れないと作り笑いが出来ない上、ここは『光の里』。


空気の中に“気”を緩める作用が満ち溢れ、つい本音が出てしまう…。

泣き顔を、見られたくなんかなかったギュンターが意に反して、泣いてしまった様に。


スフォルツァの視線が再び向けられた時、思い描く理想の想い人。と懐かしさと熱さを滲ませ、見つめられたりしたので内心思いっきり慌てた。


ディンダーデンがまるで、自分の物を横取りする泥棒猫。のようにスフォルツァを睨み付ける様につい、アイリスは上ずった声でスフォルツァに挨拶を告げる。


「久し振り。

近衛時代も右将軍傘下、左将軍傘下と、部隊が別れてあまり近しく過ごせなかったけれど…私が神聖神殿隊付き連隊に移ってからはさっぱり会えなかったな?」

務めて友達付き合いしていた頃のような口調で話す。


がスフォルツァは熱いグリーングレーの、その瞳を向けたまま頷く。

「傷を…負ったのか?

君程の手練れが?」


ゼイブンが横から急いで告げる。

「同じ近衛で思い知ってるだろう?

ノルンディルとやったんだ。

奴に息子を斬られかけ、剣先に飛び込んでその身で息子を、庇った時の傷だ」


アイリスはゼイブンに感謝した。

父親。と息子。を強調したその言い方に。


がスフォルツァは全然耳に入らないように見惚れたまま、時折睨みを向けるディンダーデンに視線を素早く向けて睨み返しては、幻が消えない内に堪能しよう。と思ってるようにアイリスに、そのうっとりとした瞳を又、戻す。


ゼイブンは顔を下げて吐息を吐き出し、肩を担ぐアイリスに振り向く。

「どれだけ強烈に虜にしたんだ?」


「…だから…!

とっくに大昔の出来事だ!

教練の一年の、それも入学当初の頃の!」


ゼイブンは噛み付くように声を落として怒鳴るアイリスの顔を見、拍子抜けしたようにその顔を、下げる。

「…何だ?」

アイリスに尋ねられ、ゼイブンも声を落とす。

「ギュンターの、言う通りだ。

確かに…今のあんたに、いつも道理のオーラも迫力も無い。


どころかやたら美形で、怒鳴るのにも骨が折れる。

前から綺麗な顔だとは思っていたが………」


アイリスは怒った。

「さっき、ギュンターと三人で話してた時はチラリ…!ともそんな事、言わなかった癖に…!」


「そりゃ…」

ゼイブンが言い、ギュンターが後を継いだ。

「俺もあいつもお前が幾ら綺麗だろうが、お前とどうこう。って気が全然無いからな」


ゼイブンは横を向いて吐息吐く。

「それよりどうやったら自分よりデカいヒグマ二匹の乱闘を止められるかで、パニくってたしな…!」


「ヒグマ…?!」

ギュンターとアイリスの声が揃い、同時に振り返られ、ゼイブンは慌てて二人から顔を背けた。



 アイリスはローフィスの横に掛けると、そっと尋ねる。

「子供達は?」

ローフィスも顔を寄せ、小声で返す。

「さぁな。

連中が、世話してるんだろう?


…お前、テテュスに庇って貰う気で居たのか?」

アイリスは声を顰める。

「ディンダーデンと違ってスフォルツァの感覚はマトモだから…。

いくら何でも子供の前じゃ私を口説かない」


ローフィスは顔を上げると途端、横のアイリスに見惚れるスフォルツァのこちらを向いてる顔を見つけ、また顔を、下げてアイリスに寄せる。

「…相当、イカれてる風に見えるがな」


アイリスはぐっ。と言葉に詰まったが、押し切った。

「…鏡がないから解らないが、私はそんなに…消耗してる?」

ローフィスは二度、頷いた。

「いい言い回しだ。


がお前の為にはっきり言ってやろう。

今なら押し倒しても抵抗されない。

と、襲いたがってる男共は思ってる」


アイリスはやはり顔を下げたまま、早口で声を顰めて怒鳴った。

「抵抗、出来る訳無いだろう…!まだ傷が痛むのに!!


私が知りたいのは、どうして怪我人を押し倒そうと奴らが思っているかだ!」


ローフィスは顔をアイリスに向け、その顔を真正面に見て、口を閉ざす。

が開いた。

「…言って、欲しいのか?本気で?」

アイリスもそのローフィスの反応に、ごくり!と唾を飲み込むが、ささやく。

「聞かせてくれ…!」


ローフィスは意を決して顔を下げ、アイリスも同時に下げて、聞き耳立てた。

「…日頃ゼイブンが言ってる。

ギュンターのあの顔で性格が野獣じゃなく女だったら、口説いてる。と」


アイリスはその例えがあまりにも遠回しで、眉間を寄せる。

「だから?」

ローフィスは顔をテーブルに着く程下げて吐息を吐き出す。


アイリスは弁舌巧みな彼が、言葉に困る様子に、不安に成って更に眉間を寄せる。

「そんなに…迫りたくなる程なのか?

今の私は?」


ローフィスは再び決意したようにささやく。

「ディンダーデンもスフォルツァも俺達ほどお前を思い知っていない」


横でシェイルがまどろっこしくなって、とうとう怒鳴った。

「お前、性格知らなきゃそりゃ綺麗な女顔だろう?!」

アイリスが顔を、上げる。


シェイルは見つめるアイリスに微笑むと言った。

「凄く、べっぴんさんだ!」

が、アイリスが即座に怒鳴る。

「教練時代ならともかく!

今どうして私の体格を無視できるか知りたい!」


アイリスの横でさっさと食事していたゼイブンが、パスタを二本のフォークで自分の皿に持ち上げ、呆れ混じりに唸る。

「それは俺も知りたいぜ!」


ギュンターはさっさとローランデの横の椅子に掛けたが、彼らに顔を向けると怒鳴った。

「ディンダーデンは滅多に手に入らない毒草を入手する時、触れても安全な時期に摘む。

それと同じじゃないのか?


毒草を手元に置きたがるくらい物好きなんだ。

体格なんて無視出来るに、決まってる」


アイリスは顔を、傾けた。

「…………毒草…?」


ディンダーデンはそう言ったギュンターの、ほぼ真向かいに座していたが、肘をテーブルに付き、その手に顎を乗せて呻く。

「毒草なら丁寧に精製して保存してやれば、いつ迄も手元に置けるがな…」


そしてアイリスを見つめる。

「だがあれは…一瞬一瞬で、好みに成ったり滑り落ちたり…変化が激しい。


いっそとっとと突っ込んで、俺の下で鳴かせてやったらずっと好みのままで、居るかもしれん」


だが皆がその言葉に、青冷めて顔を下げた。

横のディングレーがつぶやく。

「知らない。って…この場合、幸せなのか?

それとも、恐ろしい?」


シェイルが即座に言った。

「恐ろしいに決まってる。

でもディンダーデンは切り札に毒を持ってる程物騒な男だから…アイリスの怖さが今一つ、分かって無いかも」


ギュンターも顔を下げたままつぶやく。

「確かにディンダーデンも敵に回すと恐ろしい」


皆はいざと成れば手段を選ばず遠慮無く報復する二頭の、怒らせるとそれは凶暴な怪物が対決する様を思い描き、ぞっとした。




ラフォーレンとスフォルツァはその会話から何となく皆の恐怖が伝わり、会話の行方を見守る。


ローフィスが、フォークで肉をつ突き、呻く。

「今は確かに、圧倒的にディンダーデンが有利だ。


がアイリスは敵に“勝った!”と思わせといて足を掬うのが得意だし、相手を転ばせた後報復に出るが、やられた分はきっちりやりし、二度と自分の敵に成れない程徹底的にブチのめすのが常だ」


ゼイブンはそれを聞き、心から関わりたくない。と思った。

そして慌てて横に座るラフォーレンに振り向く。

「食卓に相応しい、楽しい話題は持って無いのか?!」

ラフォーレンは困って首を、横に振った。


オーガスタスはスフォルツァを見つめて告げる。

「お前が敵に回し、口説きたいと思ってる二人はそれだけ物騒な男達だ。

関わり合いに成らないのが無難だ」


が、スフォルツァは目を見開きアイリスを見つめる。

「…彼は確かに…敵には強気で容赦無いが…寝室ではそれは…素晴らしく色っぽい」


ディンダーデンが激しくそう言ったスフォルツァを睨め付け、アイリスに向かって怒鳴る。

「あいつに、させたのか?!」


アイリスはげんなりして俯く。

「14の頃の、大昔の話だぞ?

その頃の自分を抱け。と言われても断れない程まだ許容範囲の貧弱な体だったし」


皆がアイリスの言動に

『過去の自分迄許容範囲なのか?』と項垂れた。


アイリスはスフォルツァを見ると、ささやく。

「分かって無い。と思うけど。

今の私を昔と同じ風に考えたら、大事に取って置いた過去の美しい思い出が幻滅に塗り替えられる事を、請け合う」


がスフォルツァは微笑む。

「当時だって俺が幻滅を来していい位の、結構なガタイだった。

現に、君くらいの体格の相手を抱いて失望した経験があったのに、君に対してはそうならない」


ローフィスは吐息混じりにささやく。

「今度もそう成る。と思ったら、大甘だぞ?

成獣に、成ってるからな。

色香とテクも倍以上だが、恐怖もそれに比例してる」


がスフォルツァは言い返す。

「君は知らないだろうが、彼は腕に抱くと凄く甘く成るんだ」


ギュンターが途端ローランデを見つめ

『彼もそうだ』と意味ありげな瞳をし、ローランデはギュンターのその反応に、一気に眉間を寄せた。


ディングレーがそっと、ディンダーデンの向こうのオーガスタスを盗み見る。

「そうなのか?」


オーガスタスは吐息混じりにささやく。

「アイリスがスフォルツァに甘かったのは、学年一のボスの座を彼に肩代わりして貰わなきゃ成らない。って弱味があったからだ。

ディンダーデン。お前だってギュンターに死なれたら後釜が居ないから、奴の命は大事なんだろう?」


ローフィスも吐息吐く。

「そういう利害が、あるからこそアイリスは甘かったんだ」

そしてアイリスを見る。

「いいから、当時言いたかった本心を今、奴にブチまけろ!」


アイリスは困った様にローフィスを見、また顔を下げてささやく。

「当時召使いだったシェイムにすら、性格のいいスフォルツァを傷付けると、貴方が落ち込む羽目に成りますよ。と脅される位彼はその…純朴で素直なんだ」


「今はもう大人だし、何も知らずお前とディンダーデンの二大怪物の闘争に巻き込まれる方が、不幸だ」


アイリスはローフィスをたっぷり、見た。

怪物。に思い切り不満だったが口を開く。


「じゃあ言うけど。スフォルツァ。

私は本気出さない様、あの当時そりゃあ、苦労した。

その気だったらとっくにひっくり返し、君を逆に攻めてただろう」


ラフォーレンが見ているとスフォルツァは、飲み込みかけた肉の塊を、一瞬喉に詰まらせた。

「…ぐっ!」

慌てて背中をさすってやる。


ギュンターもディングレーも、やっぱりか。

と頷く。


ローランデがそっ…。とアイリスの顔を盗み見る。

「どうしたらひっくり返せるんだ?

私はしたくてもギュンターに、出来た試しが無い」


このセリフにまた、あちこちで食べ物が喉に、詰まる音がした。


ギュンターがローランデの横でその、愛おしい白面を見つめ、ささやく。

「だって経験値が圧倒的にお前は、低い」

ローランデは恥じ入るように俯いて

「やっぱり、君達くらい不摂生じゃないと無理なのか?」


皆が一斉にローランデを見つめ、頷いた。


シェイルが唸った。

「だから君は経験値を上げる無駄をせず、短剣を隠し持ってギュンターが迫って来たら刺してやれ。

それが奴にとって最も親切だ」


言い切るシェイルを、ギュンターが睨み付ける。


ディンダーデンが途端吹き出す。

「刺される前に急所を襲う。

お前、ギュンターの事がまだ、分かって無いな?」


ローフィスが、横のシェイルがディンダーデンを睨め付ける顔を盗み見、呻く。

「毛嫌いしてるから、解る間も無い」


ディンダーデンが頷く。

「毛嫌いしてる奴程、じっくり観察すべきだ。

頭に血が上って近寄らず、敵を知らない。だなんて、もっての他だ。

それは一番マズイ」


アイリスも、その通りだ。と頷き掛けて…戸惑った。

そしてそっと再び、ローフィスに顔を寄せる。

「…やっぱり…対抗策としてディンダーデンを良く、観察すべきかな?」


ローフィスは自分より大柄なアイリスを見つめる。

「とっととあいつの相手してやったらどうなんだ?」

アイリスが睨む。

「一度で済むならそうするが!

あいつ私を自分好みに調教する気だぞ?!」


ローフィスは怒るアイリスに吐息吐く。

「何も、ずっと付き合え。とは言ってない。

お前が回復する迄の、対抗策だ。


俺ならお前から差し出されても、それが毒入りだと知ってるから決して受け取らないが、ディンダーデンは毒は望む所なんだろう?」

アイリスの、眉間が寄りまくった。

「忠告してくれてるから大人しく聞いてるが、どうして君はさっきから、私が毒だと強調するんだ?」


オーガスタスが大きな吐息吐く。

「アイリス。ちょっと目端が利けば、人間にとって何が毒でそうでないかくらいは判別出来るものなんだ」

アイリスはオーガスタスを睨んだ。

「どうしても私を毒にしたいのか!」


オーガスタスがスフォルツァに顔を振る。

「何年も経ってるのに、あの体たらくだ。

強烈な毒。で無くて、何だと言う気なんだ?」


スフォルツァはやっぱり、その近衛の先輩達の言う事が今一つ、理解出来なかった。

だってアイリスが毒。だとしたら、あれ程甘やかで幻惑的な毒は無い。


ゼイブンが唸った。

「ここは『光の里』の光の結界内だから、普段は理性で抑えてられる事もタガが外れて突っ走っちまうと、理解は出来るが………」

言って、ディンダーデンの顔を見、ぷっ!と吹き出した。

「日頃隙あらば口説こう。と考えてた相手が、選りに選ってアイリス?」


ディンダーデンはその青い流し目をゼイブンに投げる。

「…良かったな。怪我が軽くて。

お前も重傷だったら、押し倒してた」


ラフォーレンが見ていると、ゼイブンは一瞬で真っ青に成って、手にしたフォークを、落とし掛けた。



 サーチボルテスが空間から姿を現す。

食卓に倒れ込むように寝入っている全員の、まちまちの寝姿を見つめ、両手を腰に当てて吐息吐く。


アッカマンも現れ、その光景を目にすると言った。

「もういっそ、食卓だけかたづけてこのまま放っとくか?」


サーチボルテスは心を読んだその相棒に顔を、向ける。

アッカマンは落胆したように顔を、下げた。

「忘れてた。

…怪我人だったな………」


サーチボルテスは頷くと、それぞれを怪我の程度に合わせた結界の張られる寝室の寝台へと、その体を送った。




 花々の咲き乱れるその庭園があんまり美しくて、テテュスは心なごむように魅入られる。

ファントレイユがそっ…。とテテュスを覗い見る。

「アイリス…元気に成って、良かったね!」

レイファスもささやく。

「ギュンター、まだ護衛連隊長に成ってないけど…あれだけ重傷だからアイリスは当分、動けない。

きっと代わって誰かが、この後指揮を執るよ。きっと。

だから…テテュスはアイリスとゆっくり過ごせる筈だ」


テテュスはファントレイユとレイファスを、見た。

そして…やっぱり同様、大変な思いをした二人を見つめ、頷く。

「ここは、綺麗だね!」

だがレイファスが不満そうに口を、尖らせた。

「でも“里”の人って大人ばかりだ…!

子供は、居ないのかな?」


ファントレイユも周囲を見回す。

「…僕達の他は誰も居ないね」

テテュスはどうしても心が…想い煩いから離れて行って軽やかで、楽天的に成ってつい、はしゃいで言った。

「思い切り、鬼ごっこ出来る!」

言った途端、ファントレイユが叫ぶ。

「レイファスが鬼!」


レイファスはテテュスがファントレイユの手を握り、二人して自分から逃げて行くのを見、腹を立てて追いかける。

「そんなの、ずるい!」


花畑はずっと続き、三人は相手を掴み合って鬼を押し付け合い、思い切り笑いながらとうとう、芝生の上に団子に成って倒れ込んだ。

三人とも腹を上にし、息切れに笑い合うと、ファントレイユがささやく。

「昨日…。

そしてここからほんの、少ししか離れてない場所だったんだよね?」


レイファスが、その手を顔の横に置き、思い返す。

テテュスも思い出す。

皆が必死で…本当に必死で、あれだけの数の敵から、自分達を護ってくれた事。


レイファスは気づいたら頬が熱く…涙が伝うのが、解った。

シェイルのきつく握る手。

必死さが、その痛みから伝わって来る。

「みんな…普段は口が悪いのに………」


ファントレイユもテテュスも、真ん中のレイファスに体を起こして様子を伺う。

レイファスは横たわったまま静かに泣いていて、ファントレイユは言葉を、無くした。


テテュスがそっと言う。

「元気な、オーガスタスにやっと会えたね」

レイファスは、こくん。と頷く。

「ぼく………」

ファントレイユもテテュスも、その掠れた声音に顔を、揃って横たわるレイファスに寄せる。

「…凄く…『光の民』が好きだ………」


テテュスも、頷く。

「彼らが居なかったらオーガスタスも死んでた」

レイファスは涙をその指で拭いながら、頷く。

ファントレイユも言った。

「僕らもきっと今頃、あの大きな敵の騎士に掴まっていて…アイリスは殺されてた」

テテュスは項垂れた。

「アイリスだけじゃない…ギュンターも…僕も…ローフィスも」


そして二人は、頷くレイファスがその脳裏に、ウェラハスと神聖騎士達…そして“里”の、ミラーレスやサーチボルテス達の姿を、思い描く様子が解った。

「大好きだ………!」


テテュスには、レイファスが思い浮かべたウェラハスが、その言葉に気づいた様に振り向き、微笑む様子が感じられ、そっと小声でつぶやく。

「ここは“里”だから…ウェラハスに思いが、簡単に通じるのかな?人間の僕らでも」

ファントレイユもそれが見えるみたいに、つぶやく。

「きっとそうだ…。

幻みたいにぼやけた、微笑む金色のウェラハスが僕にも見えるもの」


けど突然その静かな言葉は降って来た。

「オーガスタスが怪我をしたのは『光の民』の末裔の『影の民』のせいで…オーガスタスが居れば皆はあの戦いで、苦戦等しなかった…。

敵はオーガスタスが、居ると思ってあれだけの数を用意したのだから…。


『影の民』がこの国で悪さをするのは、元はと言えば『光の国』の問題。

『光の民』達とその末裔、神聖騎士達が君達を護るのは、当然の義務。

むしろ…彼らのせいで、こんな目に合う。

と…アースルーリンドの人達に、責められて当然と思ってる。

だから…君達に怖い目に合わせて心から済まないと…ウェラハスもダンザインも謝ってる」


三人が振り向くと、そこには…金の透けた子供が、居た。

彼らよりほんの少し年上の。


「ワーキュラス!」

テテュスが叫んで身を起こす。

駆け寄り、そして透けた子供の前で足を止め、息を切らし見つめる。

「お礼を…!言いたかった!ずっと………!

僕が馬鹿で無茶をして、君もディアヴォロス左将軍も…そしてアイリス迄、迷惑かけて泣かせたから!」

ファントレイユも身を起こしそっ…とテテュスの後ろに立つ。

「どうして…?

いいの?

左将軍から抜け出して」

テテュスもそれを聞いて詰め寄る。

「左将軍は大丈夫?!」


レイファスは片肘付いて身を起こし、その子供を見つめる。

人間の子供で言えば、十才くらい。

けど金の光が周囲を取り巻き、髪は透けた金色。

青の瞳は人外のもののように強い青で光ってた。


そっ…と立ち上がると、ファントレイユとテテュスの後ろからささやく。

「君が…ワーキュラス?」


少年は頷く。

「ここは結界内だから、ディアスに負担を掛けず自由に僕は能力が使える。


僕にも癒しの能力はあるけれど…人間の体は小さ過ぎて…僕が能力を放射すると、体が消えてしまう」


「?どうして消えるの?」

ファントレイユの問いに、少年は寂しそうに微笑む。

「体は細かい粒が繋がって出来ている。

その繋がりが全部、離れてしまう。


一つの粒はそれは…目に見えない程小さいから、全部離れると消えた様に見えるんだ」

けど少年は、レイファスの疑問を感じ取ったようにささやく。

「粒が繋がってる間は人間だけど、粒が離れてしまうともう…その人じゃなくなる。


勿論、拡散する前にもう一度つなぎ合わせれば元に戻るけれど…それだけの粒を元通り、全部つなぎ合わせるのは、大変な作業で…とても、難しい」


テテュスがそっ、と言った。

「心は、どうなるの?」

「魂と成って空間を漂う。

入れ物の体を無くして」


レイファスが、不思議な少年を見上げ、ささやく。

「天国に…逝くの?」

少年は微笑む。

「『光の国』には、大勢のアースルーリンドの民の魂が今だ、居るよ。


昔はアースルーリンドの民を招待した。

けど……みんな、『光の国』の光が気持ち良すぎて…体を必要と、しなくなるんだ」

テテュスはびっくりした。

「どうして?!」

少年は微笑む。

「幸せな夢を見たら、ずっと夢の中に居たい。と、君は思わない?

夢の中にずっと居たら…体は要らないだろう?」


レイファスが、呆けたように言った。

「そんなに…幸せな気分に成るの?」

少年は悲しげに俯く。

「辛い体験をした人程、そうだ。

だから体は要らずずっと幸せな夢の中で、生き続けたい。

そう思ってどんどん、透けて行き終いに…体が無くなる。


みんな『光の国』の、風や空気や水…花や木に溶けて、ずっと幸せな夢を見続けている。

だから…『光の国』の民はもう、アースルーリンドの民を招待しない。

余程、望まれなければ」


ファントレイユが無邪気にささやく。

「でも、招待されたら行ける?」

「規則が出来たから…。

『光の国』の民がここで結界が必要なように、人間も『光の国』だと、結界が必要なんだ。

“光”をたくさん浴びないような結界が」


テテュスは“里”のその、素晴らしく美しい花々が咲き乱れる庭園を見回した。

「ここよりも、もっと光が濃いの?」

少年は、頷いた。


レイファスが尋ねる。

「ワーキュラスはその姿よりももっとずっと、大きいの?」

ファントレイユも目を輝かせる。

「何歳?」

テテュスも無邪気に言った。

「僕、竜って見た事無い!」


途端三人の頭の中に、山々の間から巨大な光の柱が真っ直ぐ天に伸び、その周囲を姿の美しい流線型をした金色の竜達が飛び交う、姿が見えた。


暮れゆくオレンジの空を背景に、その金の鱗を輝かせながら。


あんまり綺麗で、ファントレイユが溜息を付く。

頭の中で、声がする。

“竜達はとても長生きで……。

昔は『光の国』の民との交流も無かったけれど、大昔一人の竜が民に鱗を与えて以来…お気に入りの人間と言葉を交わすのが、竜達の楽しみの一つと成った…”


三人の頭の中に、崖に立つ人間の、その遙か上空に飛翔する黄金の竜の姿が小さく、見えた。

さっ!と旋回して、崖下から姿を見せるその竜の頭は…崖上に立つ人間よりもずっともっと大きくて…。


頭ですら、あんなに大きいのだから、全身は山のように大きいに違いない。

三人はそう思った。


“大きくないと、光の柱にその身を飲み込まれてしまう……。

だから…子供の竜が産まれると、皆が交代で、光の柱から光を子竜へと運ぶんだ”

ファントレイユが聞いた。

「子供が柱に近寄ると、危険?」


ワーキュラスは頷いた。

“あんまり気持ちよくって、飛んでいられなく成る。

高い所から落ちたら、大怪我をするか…死ぬ。


それに光の柱の光はとても…濃いから、意識がしっかりしていない子竜が強い光を浴びると、人間のように体を、保てなくて拡散してしまう………”


テテュスは拡散する程気持ちが良い。って、どんなんだろう…。と思った。


アリルサーシャもそうだったら良かったのに……。

あんなに苦しんで最期を迎えるんじゃなく…。

気持ち良すぎて逝ってしまったんなら………。


そう、考えると涙が頬を、伝った。

でもそれでもやっぱり、悲しかった。

僕とアイリスを置いて…逝ってしまうだなんて………。


ずっと…ずっと描いてた夢がある。

少し元気になったアリルサーシャの手を引いて…アイリスと三人で、ピクニックに行く。


美味しいお弁当をいっぱい持って…それはアイリスの仕事。

重いご馳走のいっぱい詰まったバスケットを両手に持つのが。


僕はアリルサーシャの手を引いて…草原の風を感じる。

晴れ渡った青空で、草原の木々も草もが、陽に照らされてきらきら光り風に優しくその葉はさざめき…。

草原の草も一斉にたなびいて…。


僕はアイリスに振り向く。

アイリスは微笑む。

アリルサーシャは林檎色のほっぺをして………。


ファントレイユもレイファスも、テテュスの頬から次々に涙が、伝うのを見た。


もしそんな夢の中にずっと、居られるとしたら…。

アリルサーシャが元気で、僕とアイリスと一緒に過ごす夢の中に。ずっと………。

ずっと居られたら………。


そしたら、体は要らなくなる。

きっと。

僕は幸せすぎて。


テテュスの頬からあんまり…涙が次々伝い、ファントレイユは切なく成った。

ワーキュラスが、優しく言った。

“でもテテュス。それは夢だ”


途端、金色の少年の横にやっぱり…金の光に包まれた…透けた女の人が、姿を現した。


ファントレイユもレイファスもびっくりしたけれど…テテュスはあんまりびっくりし過ぎて、涙が止まった程だった。

「…………アリルサーシャ………!」


テテュスの顔が、くしゃっ!と歪み、透けた金の彼女の元に、拳を握って駆け寄る。

けど、透けた女の人をテテュスは通り越してしまって……。


レイファスはそれを見た途端、涙が溢れた。

あんまり…テテュスが可哀相で。


テテュスは振り向く。

金に透けたアリルサーシャもテテュスに振り向き…そして微笑む。

テテュスはそれを見て…また溢れる涙を必死で…堪えてた。

「居るの?本物の、アリルサーシャ?」


彼女はこくん…!と頷く。

『ごめんなさい。テテュス。

私は最低の母親だわ…!』

テテュスは必死で、首を横に振る。

『いいえ…!そうなの……。

貴方がどれだけ大切か…。私ちっとも…教えられなかった………』

「そんな事無い!」

『私が必要としてる貴方しか…私は貴方から引き出せなかった…。

だから私が逝った後、貴方は誰にも必要とされないと…思い込んでしまってる。


アイリスが毎晩泣くの……。

夢の中で、テテュス。貴方を捕まえられなくて。


私が近寄ると、悲しげに見つめるわ。

“テテュスを君は連れて行ったりしない。

そうだろう?”


そう言って。

私はもう…起きていても苦しくないから…泣く、アイリスを一生懸命抱きしめるの。


私を亡くして…そして貴方まで無くすと…アイリスは怯えきってる……。


あんなに強くて……頼もしい人だったのに…………』


テテュスはアイリスの大きな背が………ノルンディルの剣が自分の頭上から処刑する刃物のように振り下ろされようとしていても、どかなかった事を、思い浮かべた。


アイリスはその背でこう言っていた。

『嫌だ!』と。


僕がアイリスを失いたく無い事よりももっと…!

例え自分の命を無くしても僕を、無くしたく無い!


そのどかない背中は無言でそう……僕に告げていた。


テテュスがあんまり…激しく身を震わせて嗚咽を上げながら顔を下げ…その涙が頬をひっきりなしに伝うから、ファントレイユは必死にテテュスの肩を抱いた。


“君の幸せな夢の中のアイリスは君の作り上げた幻覚で本物じゃないからきっと…。

本物のアイリスは消えた君の体を探して毎晩彷徨う。


それは…悲しげな悲鳴を上げて。

君の幸せな夢が覚める迄アイリスは、きっとそれを続けるだろう。

本物の自分はここだ。と………”


ワーキュラスの言葉にレイファス迄もが、顔を下げしゃくり上げて涙を頬に、伝わせた。


ファントレイユは泣くレイファスに振り向いて駆け寄ろうかと戸惑い…だがテテュスに向き直ると必死できつく、その肩を抱きしめる。


『テテュス……。

小さな貴方には、死ぬと言う事は耐えられない程辛い事だと、思うわ……。


とても残酷だけど、それは誰にでも訪れる最期の時なの。


でもテテュス。私は後悔が一つも無い……。

だって貴方を、産めたんですもの。


無理だって…言われた。

体がとても弱いから。

貴方が産まれて代わりに私は息を、引き取るだろう…と。


だから…苦しくなったら、いつも貴方を産んだ時の事を、思い出かの。

産まれたばかりの産声を上げた貴方の横で私は……死にかけていた。

けど嫌だった!

絶対嫌だったの!


貴方ともっと、居たかった…!

どうしても!


だから……必死で生きる事に縋り付いた…。


……起き上がる事が出来ない程弱ってしまったけれど、でも嬉しかった。

貴方の姿を、見てるだけでどれだけ私が幸せだったか……。


貴方に苦しむ姿ばかり見せてしまった。

伝えられなかった。


どれだけ苦しくても貴方を見ていられる幸せに比べたら…あんな苦しみは何でも無かったの!


貴方の林檎色のほっぺ。

ぷっくりと愛らしくて…とても、利発で…。

私に本を、読んでくれる時の貴方が私はとても…誇らしかった。

お願いテテュス。

貴方はとてもとても大切な存在なの。


私の体は透けて、普段貴方には見えない。

けど居るの。貴方とアイリスの側に。


だからお願い。私の姿が見えないからといって、貴方の姿をこの世から、消さないで…!


大人に成った貴方。

愛する人と共に歩く貴方を私にどうか…見せて頂戴。


そして…精一杯生きて、もう思い残す事が無くなった時、私を呼んで。

そしたら貴方を迎えに来るから…!

きっと来るから!


だからどうか…その時迄はどんな事があっても…歯を喰い縛って戦って!

生きる為に!


貴方は知らない。

アイリスは一生懸命…貴方の前では立派で居ようとしてる。

けれど…!


全てから解放された夢の中で、アイリスがどれ程…悲しげに泣くのか…。

どれ程……。


悲しげな声を上げるのか………』


テテュスは抱きつきたかった。

アリルサーシャにもう一度。

けど出来ないと知って、その場で叫んだ。


「解った…!

解ったから……!

アイリスをもう、泣かせたりはしないから…!」


ファントレイユにもレイファスにも、解った。

アイリスは…テテュスがアリルサーシャの為なら、生きる事を蹴ってでも死の世界迄簡単に飛び込んで行けるけど…自分の為には必死で…生きる事を選ぶ為にそれこそ必死で、歯を喰い縛って頑張ってくれはしないのだと…。


解ってしまっているから、泣いている。


テテュスはアリルサーシャに縋り付く事が出来ず代わりに…肩を抱く、ファントレイユの腕を掴み…きつく掴んで言った。

「絶対そうする!

幻の夢の世界を選んだりしない!

そう約束する!

アリルサーシャ!絶対で誓うから!!!」


テテュスは涙でくしゃくしゃで、でも自分の腕を痛い程きつく掴み…必死で叫んでいた。

ファントレイユはその時のテテュスは、どんな時でも断固として自分を貫く、アイリスそっくりだ。と思った。


顔はとても綺麗だけれど意志が凄く強くて…そしてどんな相手でも決して諦めずに戦い抜く、アイリスそっくりだ。と。


レイファスはそう叫んだテテュスがあんまり男の子らしくって…アイリスと、大人に成った立派な騎士のテテュスが、だぶって見えた。


アリルサーシャは儚げで…けれどとても美しい微笑みを、テテュスに見せた。


ファントレイユとレイファスでさえ、思った。

透けて…薄い色の姿だったけれど…その微笑みはきっと一生忘れない………。


そんな…永遠に心に残る、微笑みだった。


アリルサーシャの姿がワーキュラスの横から薄く成って消えて行くと、テテュスはがっくり膝を付いて、壊れたみたいに泣き続け…両側に、ファントレイユもレイファスも付いて必死でテテュスを、無言で慰めた。


ワーキュラスがもう一度、とても悲しげに微笑むと、彼から金色の光が小さな渦のように放たれて…それが三人の周囲を包むと、途端に三人の、意識が薄らいだ。


泣き疲れたようなテテュスの肩を抱いて…ファントレイユも…そしてレイファスも、崩れ落ちるように眠りに付いた。


薄目明け最後迄抗うように…レイファスは重い瞼を持ち上げていたけど…ワーキュラスの金の姿を目に焼き付け…そしてとうとう、テテュスの暖かい体の上に、顔を倒し深い眠りに就いた。


ワーキュラスは目前に折り重なるように眠る三人の子供と…そして消え行くアリルサーシャの

『ありがとう…』

とささやく、優しい声を聞いた。


ワーキュラスが顔を上げて空を見る。

まるで本来の自分の大きさを、越える程のテテュスの悲しみに、胸打たれたように顔を上げたまま、暫くそうする。


やがて…晴天は雲に覆われる。


サーチボルテスもアッカマンも、窓辺を見つめた。


ぽつり…ぽつりと雨粒が、落ちて来る。

“里”中の住民がその雨に、音の無い声でささやき合う。


『神の涙だ…』

天からの雫を皆がそう、呼んだ。

『神の涙が降って来た』



アイリスとテテュスのお母さん、アリルサーシャの出会いについては  http://p.booklog.jp/book/21032  にてどうぞ。

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