7 神聖神殿隊長、アースラフテスの訪問
皆がすっ…と深い眠りの中から、浮かび上がるように目覚める。
が突然目前の空間にアッカマンが姿を現し、一気に寝ぼけ眼が醒める。
サーチボルテス迄が姿を現したかと思うと、周囲がいきなり霞み行き、白い霞みが晴れると皆が椅子の上に掛けていて、更に部屋の、様子まで変わっていて皆、ぎょっ!とする。
確かに寝室に居た筈なのに、そこはソファが並ぶ洒落た居室で、起き上がった寝台はソファに取って代わって、オーガスタスとディンダーデンがつい、キョロキョロと自分の掛けている腰回りを見回した。
「…どうなってんだ?」
ディンダーデンがつぶやくがローランデは、向かいのソファに座る人物を見つめ、つぶやく。
「…アイリス」
アイリスは名を呼ばれて微笑む。
「…私はどうやら別室に居たようだ。
子供らは?」
ゼイブンとディングレーが顔を見合わせ、ディングレーがつぶやく。
「目覚めた時は、居たな?」
ゼイブンは肩を竦める。
「アッカマンの姿が空間から浮かび上がった途端周囲がぼやけたから、定かじゃない」
が、唸り声がしたかと思うと、二人の向かいの空の椅子にいきなり、ローフィスの姿が浮かび上がる。
ローフィスはその姿がはっきりしたかと思うと、皆のぎょっ!とする視線を一斉に浴びて目を、見開く。
「…何だ。
俺への客じゃないのか?」
オーガスタスがその親友に尋ねる。
「…客が来たから…ここに移されたのか?」
ローフィスは肩を竦める。
「それも急ぎだ。
幾ら連中だってそうじゃなきゃ、頭の中で“こっちに来い”と呼んで誘導した筈だ」
そして、オーガスタスの背後。
ローフィスからは真正面のその向こう。
暖炉の前に佇む、背の高い『光の民』の一人を、顎でしゃくって見せる。
皆が一斉に、そちらに振り向いた。
シェイルだけは、現れたローフィスの隣に慌てて、座る場所を移したが。
注視を浴びたその長身の人物は金の髪を奔放にくねらせ、ライオンのような迫力があった。
その周囲はやっぱり白っぽく霞んで見えたはしたが。
その横にアッカマン、サーチボルテスが空間から姿を現すのを待って、二人同様白っぽい長身の姿の、素晴らしい容貌をした『光の民』の一人は二人に頷く。
サーチボルテスは目を伏せて軽く頭を下げ、アッカマンは見つめる皆に振り向くと告げる。
「神聖神殿隊の長アースラフテス殿が、君達に話がある」
紹介を受けて暖炉の上に置いた手を降ろし、その二人の上司に当たる一際威厳を湛えた人物は、金の髪のギュンターをその中から見つけ出し、その美貌を見つめながら口を、開いた。
「ギュンター。君への伝言を受け取った。
が、君をここ迄連れて来る為共に戦った皆にも、それを知らせるべきだと思いご招待した」
アイリスが、仕事上で良く知るその人物を見つめ、尋ねる。
「推薦状を頂く件で。ですか?」
アースラフテスはアイリスに振り向くと、はっきりとした言葉で告げる。
「その件は後にしよう。
ダンザインからも、伺ってはいるが。
まずは推考議会の決定を、直ちに君に知らせてくれ。と頼まれている」
言って、ギュンターを真っ直ぐ見つめる。
だが見つめられたギュンターは、戸惑うようにつぶやく。
「ダンザインが、俺に?」
アースラフテスは頷くと言葉を足す。
「それに君の推薦者、ダーフス、エルベス両大公からも。
中央護衛連隊長の選抜方法を、幻影判定で選出する。と議会は決定し、両大公もダンザイン迄もが君が立派にこの判定で結果を出せる。と確信している。と…そう」
皆がその“幻影判定”の言葉に、一斉に頭を揺らす。
同時にその選出方法に、一様に安堵の吐息が漏れた。
が、アイリスが鋭く斬り返す。
「それを、あっちは飲んだんですか?
ディアヴォロス左将軍は彼らがそれを飲まざるを得ない手を、打たれて?」
アースラフテスは良く知るその理知的な人物の懐疑と懸念に答える。
「…それを言い出したのは相手側だと聞いた」
アイリスの、顔が揺れる。
そしてその濃紺の瞳は一気にきつい輝きを帯びた。
「…罠だ!」
アースラフテスは頷くがつぶやく。
「私の管理下で決して不正は起こさない。と約束する」
が、それでもアイリスは低い声でつぶやく。
「…貴方の目をくぐり抜ける方法を、もし奴らが見つけたとしたら?」
アースラフテスは顔を上げると顎を突き出し、アイリスをおもむろに見つめ、静かに応えた。
「ダンザインが同席し、他の判定者同様、夢の中で観戦する。
それでも不正が、見つけられない。と君は思うのか?」
がアイリスは激昂した。
「この有様を!ご覧になって下さい!
貴方なら我々が怪我を負った経緯を見渡せる筈!
ここ迄してそして………!
最後、負けるしかない判定に奴らが身を委ねる等とどうしても………!」
オーガスタスが激しく叫ぶアイリスに一つ、吐息を吐いてつぶやく。
「ここ迄してもギュンターを殺せなかった。
だから…じゃないのか?」
アイリスはその、総大将にきっ!と振り向く。
「権威を保って負ける方法はもっと別に幾らでもある!
負ける事を認めるやり方の中で幻影判定は最も…不名誉な負け方だ!
恰好付けたい奴らがわざわざそれを、選ぶ理由が解せない!
…だが万一それが罠だとしたら!
奴らが言い出す理由として心の底から私は納得出来る!」
アッカマンもサーチボルテス迄もが、アイリスを気の毒そうに見つめた。
サーチボルテスが彼の上司、アースラフテスにささやく。
「…アイリスは子供を殺されかけた」
アースラフテスは言葉が放たれた途端、心に流れ込んで来るその映像を受け取る。
「君は始終を、見ていたのか?」
サーチボルテスは俯く。
「あまりに…心の悲鳴が大きく、結界の外に視線を向けるしか無かった。
見る事は出来たが…力を貸すには遠すぎて………」
アースラフテスは項垂れるサーチボルテスを、眉を下げて見つめた。
アッカマンは吐息を吐き、腕を組む。
ゼイブンは二人の様子に俯く。
決して…見捨てる気でも高見の見物をしていた訳でも無い。と知って。
ローフィスはゼイブンの項垂れる様子に視線を落とし、つぶやく。
「…本当に、不正が介入出来ない。と貴方はお思いか?」
アースラフテスは気づくと、神聖神殿隊付き連隊の、目端が聞きいつも気の利いた笑いと話題を届ける男を見つめる。
「我々の、管理下では。
普通の手段では介入は不可能だ。と断言出来る。
だが…………」
アイリスが即座に喰い付く。
「だが?!」
サーチボルテスもアッカマンも、そっと上司の男らしい素晴らしい容貌が少し曇り、俯き腕を組む様子を、不安げに見つめた。
「…我々の知る術の限られた、古代の方法が、あるやもしれぬ」
ローフィスが尋ねる。
「メーダフォーテか?
あいつは書物に埋もれ、得たいの知れない秘儀を山程読み漁ってる。と聞く………。
幻影判定を操れる、そんな方法があるんですか?」
アースラフテスは顔を上げた。が首を横に振る。
「確かに方法としては、対抗者グーデンが夢の中でその実力を倍以上に増幅させるやり方が存在する。
それを反則。と糾弾出来ない特殊な隠し方を、見つけた。としか思えない。
ダンザインもそれを言った。
そして彼は会議後直ちに『西の聖地』に戻り、その方法を見つけるべく古代の呪法を探っている。
彼は必ず、それを見つけ出すとギュンター、そう君に伝えてくれ。と頼まれた」
アイリスがそっ…とささやく。
「ダンザイン程の人物の目を眩ます等、とても不可能に近い方法だと思うが…他には方法は?
夢使い達を自分の思うままに、操れる方法が、あるのでは?」
アースラフテスは笑った。
「私に気づかれずに?
心を操られ別人のように成った部下を、私が見過ごす筈が無い。
だが君の懸念は十分解る。
では私は普段のギュンター隊長とグーデンの戦い振りを方々から受け取り、その普段の様子から夢が著しく外れた場合、全力でそうなった原因を探す。と約束する」
アイリスはその言葉を聞いて、ようやくほっ。としたように吐息を吐き出した。
ギュンターは一部始終やり取りを聞き、アイリスをそっ…と伺い見る。
彼はようやく晴れた心の暗雲に、清々しい微笑すら、その整って美しい横顔に湛えている。
「左将軍の為………。
お前はどうせそう言って、俺の感謝なんか、受け取らないんだろうな」
アイリスが突然のその言葉に思わず、ギュンターに振り向く。
アッカマンが吐息を吐く。
ローフィスがささやく。
「ギュンターが、スネてるぞ?」
アイリスはびっくりして俯くギュンターを喰い入るように見た。
オーガスタスも…ディンダーデンもディングレーもが、くすくす。と笑った。
アースラフテスは首を竦めると、横に立つサーチボルテスに感想をつぶやく。
「人間とは意志の疎通が難しくて、厄介な生き物だな」
サーチボルテスは腕組みして俯き、大きく頷いた。
アースラフテスは急くように、ギュンターに用件を伝える。
「幻影判定が行われる限り…私の推薦はあまり意味が無いとは思うが…。
今君と会ってどういう人物かも確認出来たし、ダンザインの推挙もある。
必要なら書こう」
ギュンターが一気に顔を、上げる。
アイリスは微笑むと、その神聖神殿隊の長に告げる。
「必要なら、私の心から過去の近衛時代の彼の戦い振りをご覧に成って下さい。
この中央テールズキースを、任せるに相応しい猛将だと、確信が持てるでしょうから」
が、アースラフテスは複雑な顔をした。
それで、アイリスは気づいてギュンターに振り向く。
ギュンターはアイリスから目を、反らした。
アースラフテスは吐息を吐くと、アイリスに告げる。
「ギュンターは君に負い目がある。
その上感謝を受け取って貰えない。と成ると…彼は落ち込む一方だ。
アイリス。
君は当たり前の事をしている。と思ってるようだが。
君にそこ迄認められて、ギュンターは内心喜んでいる」
アイリスの、眉が思い切り寄る。
「負い目?」
アッカマンがぶっきら棒に告げる。
「君の尊敬している大切な先輩を、強引に自分のものにしたろう?」
アイリスは、ああ。と頷く。
が次を尋ねた。
「…認められて?」
今度はサーチボルテスが、吐息混じりにつぶやく。
「君に能力ある猛将だと、その実力を買われた事だ」
アイリスが肩を竦める。
「私が敵に回さない様、苦労する相手だから当然の事だ。
第一…そんな能力の無いロクデナシを担ぎ上げ、こんな怪我を負ってここ迄来る程私は馬鹿じゃない。
担ぐだけの実力があるからこそ…怪我をしても甲斐が、あるってものだ!」
言い切るアイリスを、ギュンターは見たし、オーガスタスもディングレーもディンダーデンも…そしてローフィス、ゼイブンですら、顔を揺らして頷いていた。
シェイルだけは腕組みしてそっぽ向いていたが。
ローランデが優しい表情をして、ギュンターにそっとささやく。
「そんな…事は前提としてとっくに承知の上だから、アイリスがそう推挙するのは、最早当然で感謝を必要としない。とそうアイリスは思ってる。
だから……君の感謝が意外なんじゃないのか?」
アッカマンが直ぐ様、言って返す。
「君とアイリスの仲を詮索し、糾弾しよう。と腸煮えくりかえってるから、ギュンターは余計に複雑なんだ!」
アースラフテスはその言葉にとうとう、大声上げて笑い出し、皆が一様に俯く。
「はーっはっはっはっ…!
痴話喧嘩は好きにやってくれ!
私は自分の所用で忙しい。
伝えるべき事は全て伝えた。
判定は二日後だ。
その頃迄には…癒えてるな?」
サーチボルテスは頭を垂れるとささやく。
「傷を残さぬ程に」
アースラフテスは頷くといきなり皆に振り向き、微笑を向けたまま…透けて消え行く。
アイリスが咄嗟に叫ぶ。
「もう………!」
がその姿は掻き消えて、アイリスは何も無い空間にその後の言葉を吐き出した。
「……行っておしまいに成るんですか…………」
その語尾が小さく成るつぶやきの後、サーチボルテスは顔を下げつぶやく。
「そりゃ私でも思う。
君への感謝と嫉妬は別物だと」
ギュンターが途端、心を読まれたように顔を、揺らし上げる。
アッカマンがそんなギュンターを見つめ、捨てセリフを吐いた。
「アイリスが、裏の事情を容易に曝す。と思ったら甘すぎるぞ?」
今度は消え行く、アッカマンにギュンターが立ち上がりかけて怒鳴った。
「…おい…!待て!どの手を使えば晒すんだ!」
皆が『光の民』の消えた空間に、詰め寄り怒鳴るギュンターを、呆れて見た。
「…それを言うんならせめて忠告くらい、与えてから消えて行け!!!」
ディンダーデンは顎を手の上に乗せて首を横に振りまくったし、ディングレーは大きな吐息を、吐き出した。
が、オーガスタスがぼそり。とつぶやいた。
「…連中が消えたのはいいが、俺達はどうすればいいんだ?」
ローフィスが、やっぱり腹を押さえてそっ…と腰を浮かしささやく。
「食って寝る。が回復の基本だ」
ゼイブンも腰を上げる。
「いい匂いがする方に行けば、食い物がある」
がたん!がたん!
一斉に皆が椅子を立つ中、ローランデだけが椅子の握りに掛けた手を、きつく握り締めてわなわなと震わせ、俯いて低い声で、唸る。
「…まだ…それを蒸し返す気でいたのか?!ギュンター!」
ギュンターは気づいてぎくっ!として振り向き、顔を下げ髪にその表情を隠し見せないまま怒りに震えるローランデに、説明しようと気弱な表情で手を、振り上げた。
ディングレーが吐き捨てるように言う。
「猛将。のあの姿は惨めすぎる」
ディンダーデンは頷くと、肩を並べた。
「見るに耐えんな!」
ディングレーが頷くと、二人の背後に続く、長い間眠っていた総大将のオーガスタスが彼らの頭の上からくっくっくっ!と、愉快そうな笑いを零す。
シェイルに手を借りるローフィスもさっさと背を向けて皆に続き行き、ゼイブンが戸口に消え去るその背を見送りながら叫ぶ。
「…あんた迄見捨てる気か?ローフィス!」
ローフィスの腕を支えるシェイルがくるり!と振り向き唸る。
「いい加減彼を頼らず、自分で何とかしろ!」
ゼイブンは困惑し、まだ椅子を立てない、横のアイリスに振り返った。
「…手を、貸すか?」
アイリスもやっぱり椅子の握りに手を掛けたまま、固まった。
「感謝を受け取らない。とスネといて、今度は嫉妬で私を、問い正す気か?」
ローランデが咄嗟に顔を上げると怒鳴る。
「いいから、君は行け!
私がギュンターと二人切りで話を付ける!」
アイリスはローランデを見ないまま、固唾を飲んだ。
アイリスが飲み込む言葉を察し、ゼイブンがローランデに小声でつぶやく。
「その…二人切りで“話”が出来るのか?」
ローランデは二人のその懸念を一瞬で察し、怒鳴り返す。
「ギュンターは今だ、怪我人だ!」
アイリスがローランデを遠慮がちにそっと見つめ、ささやく。
「けど…でも、ギュンターが黙って君の糾弾を聞ける程お行儀がいい訳じゃ無いって事を…すっかり忘れてるだろう?」
ゼイブンが肩を竦める。
「俺だって女に、別の女に同じ事を言って口説いたろう?と怒鳴られたら、さっさとその口を、自分の唇で塞ぐ」
ぐっ!とローランデは握りを力を込めて握りしめ、真正面に立つギュンターを、顔を上げて睨め付けた。
「…そうするつもりか?!君も!」
ギュンターは弱ったようにささやく。
「そうする気が無くても…お前に責められたら俺は身の置き所が無くなって………それを何とかしようと無意識に行動に出てる、可能性が高い。
お前は解って無いが…お前に非難されると…それは、ヘコむんだぞ?俺は」
ローランデは咄嗟に怒鳴った。
「アイリスとは何でも無い!とそう、しつこくくどく言ってるのにどうして信じない!」
ギュンターはそれを説明しようと、言葉を吐き出そうと口を開けだが…言葉が出ずにそれを三度繰り返し、アイリスが見かねてささやく。
「ローランデ。私が彼と付けるべき話だ」
ローランデは即答する。
「だが君は大怪我負っている!」
アイリスはそれでも何とか微笑を浮かべ、ささやく。
「私の心配は、無用だから」
ゼイブンは腕組みして俯き、ローランデに告げた。
「仲介はとってもとってもとっても、不本意だが、俺が務める」
アイリスが、促す様に頷く。
が、ローランデは信用出来ないゼイブンとギュンターを交互に睨み、がそれでも頷くアイリスに、仕方無く席を、立つ。
戸口で振り向き、ギュンターに釘を刺すのを、忘れなかった。
「どれ程下簀な邪推か、思い知るといい!」
ギュンターがその背を追いかけようと足を浮かし、咄嗟にゼイブンが言った。
「後を追ったらこの話は終いだ」
アイリスも畳みかける。
「二度と、混ぜっ返すな。
今消えたらもうどんな言葉だろうが、君の文句は今後一切聞かないからな!」
二人の言葉にギュンターはぴたり…!と足を止める。
ゼイブンも、アイリス迄もがローランデの背を追って、ギュンターが消えて行ってくれる事を祈った。
が、ギュンターは足を止めたまま、二人に振り向く。
途端、椅子に掛けるアイリスと横に立つゼイブンは互いの目を見交わし合い、落胆の、吐息を吐いた。