1 『光の里』
その結界内に入る時、体が一瞬、びり…!と金色に光る。
ファントレイユもテテュスも、『光の里』に入ったんだ。と周囲を見つめる。
木々がまばらに立ち生える森で、清々しい“気"に満ち、光が柔らかに降り注いでいる。
途端、馬がひひん!と叫んで一斉に足を止め、空間から次々に人が現れ、皆がぎょっとした。
彼らは次々馬に寄ると、乗っている怪我人に手を添える。
ゼイブンが、唸る様に怒鳴る。
「見捨てる気だったのか?!」
怒鳴られた、透けるような銀の髪の、『光の民』特有の長身に整いきった顔立ちの男が一人、振り向くと眉間を寄せる。
「…仕方無いだろう?
人間の諍いには、関われない」
ローフィスも馬上で殆ど気を失いかけ、青冷めた顔で唸る。
「…子供が襲われてる時は、例外だった筈だろう?!」
男の一人が彼を馬から抱き下ろしながらつぶやく。
「里から距離が少しある。
力が十分、使えないのに狙いがそれて、君達迄攻撃しても良かったのか?
ちゃんと武器を、手元に戻したろう?」
一人がアイリスを抱き下ろして言った。
「ひどい怪我だ。アイリス」
テテュスが馬から降りながら、途端振り向く。
「テテュスが無事だから…」
言った途端、アイリスはぐったりと身を男に投げかける。
テテュスが、必死の表情で駆け寄る。
だがアイリスを抱く男は微笑んで、心配する彼の息子に告げた。
「癒す為に、気を失わせた。
体の機能を全部、活性化させる。
でもそうすると、もの凄く傷が、痛む事に成る。
正気で居ると、大抵の人間には耐えられる痛みを、越してしまう。
だから………」
「気絶させるの?」
男はその整いきった美しい顔立ちをその小さな子供に向け、微笑んで頷いた。
「さて…!子供を除いて皆怪我人か…」
男の一人が言い、馬から降りたレイファス、ファントレイユ、テテュスそれぞれの手を、三人の里の男が取った。
途端、レイファスもファントレイユもテテュスも、辺りの風景が、変わっていくのにぎょっとする。
森に居たのに、白い瀟洒な建物が目前に現れ、周囲に馬も、彼らを護った騎士達もの姿が無いのに、三人揃ってきょろきょろする。
レイファスの手を取る男は、くすくす笑ってささやく。
「お腹が、減ったろう?喉も、乾いてるようだ」
ファントレイユの手を取る男が、優しく言った。
「ゆっくり休みなさい」
テテュスの手を取る男はテテュスにそっと告げる。
「皆は“癒し手”達が、癒す。
だから…」
テテュスは素早く言った。
「会えませんか?」
「傷の、具合に寄る」
「オーガスタスは?」
尋ねるレイファスが、震えているのに男は微笑む。
「随分、良く成った。
けど闇の傷が深かったから、ずっと結界の中に入れて置いたのに、アイリスの叫びに応じて体を抜け出してしまってね。
後少し、寝たきりだ」
レイファスが、びっくりして叫ぶ。
「体を、抜け出したの?!」
ファントレイユも叫ぶ。
「だから、金に光って透けてたの?!」
テテュスだけは、にっこり笑って微笑んだ。
「じゃ、オーガスタスは無事だったんだね?」
男達は、テテュスに微笑んだ。
三人は心地良い窓の開け放たれた、白い壁に囲まれた室内へと、通された。
壁一面に白いソファが敷き詰められ、三人はそのふかふかの上に座り込むと、目前の白い石で出来た飾りの掘られたテーブルの上に、並ぶご馳走の盛られた幾つもの皿を見つめる。
激しい戦闘で胸が一杯で、お腹なんか全然、減って無かった筈なのに食べ始めると一気に空腹を思い出して、大きなソーセージにかぶりつき、鳥の丸焼きを手で掴んで食べ、柔らかなパンを喉に放り込む。
あんまり美味しくて、三人は物も言わず、夢中で食べた。
少し酸味のある爽やかな飲み物で思い切り喉を潤し、満腹感に浸った時、眠気に襲われる。
そして、意識を無くすようにソファに崩れ落ち、そのまま、そのフカフカのソファに倒れ込むように、眠ってしまった………。
ローランデは次々に現れた“里”の『光の民』の末裔達が、馬の轡を掴み気を失う乗り手達を抱き止め、そして一瞬で掻き消えて行くのを、ラディンシャに跨ったままぼんやり見つめていた。
くっきりと、その淡いブルーの瞳はラディンシャの横から自分を見つめていて、見返すと、その背の高い“里”の男は自分に向かって手を、差し伸べる。
ローランデはそっ…。とその手に掴まりラディンシャから降りた時、ギュンターが、真っ青な顔と青味を帯びた金髪を“里”の男の背に垂らし、体を二つ折りで“里”の男の肩に担がれて行くのを見た。
「…子供達は…?」
尋ねると“里”の男はその高い背を自分に屈め、ささやく。
「先に行かせました。
幼い心がとても…とても疲労しているので…」
ローランデはそっ…。と頷く。
“里”の男は、何かを尋ねようとし、止めた。
そしてつぶやく。
「では、こちらへ…。
でも貴方も、子供達と一緒に寛がれるといいのに…」
ローランデは不思議そうに、その背の高い“里”の男を見つめた。
白く輝くような“気"で包まれた銀髪を長く胸に垂らし、色白で整いきった顔立ちをしていた。
その彼に、聞かれた気がしたのだ。声にならぬ声で。
“子供達の所へご案内しましょうか?”
そして自分は無意識に答えた。
“傷を負った仲間の所へは、行けませんか?”
とそう…。
だが、ここは『光の里』。
そういう不思議もあるのだと、ローランデは疲労を感じながらも男の促す後へと、付いて行く。
血生臭い戦闘の後は決まって、湯で汚れと疲労を落とすまではどれだけ疲れていようが、気が張っていた。
なのに…この“里”には丸で…空気の中に癒しの“気"が漂っているみたいに体がじんわりほぐれ、暖かく優しい“気"で包まれて足が時折、絡まりそうでおぼつかない。
“里”の男は振り向くとささやく。
「“里”の中を自在に飛べる男達は皆怪我人を運び、私には………」
ローランデは察した。
「結構です。私はまだ、歩けますから…」
男は、申し訳なさそうに小さく頷く。
ローランデは森の小道の先に白い瀟洒な建物を見つけ、ふ…と思い出して俯く。
“里”の男が、振り向いた。
「“影”に出会ったのですか?
でもあの建物の中には残念ながら、薄衣の女性は一人も居ません」
ローランデは“飛べない”代わりに人の心を鋭く読み取る彼の言葉に赤面し、つい、顔を下げた。
白く大きな玄関扉を開け、中へと促される。
大理石の床はぴかぴかで、屈むと顔が映るんじゃないか。と言う位磨き上げられていた。
そして柱も壁も全てが白で、手の込んだ彫刻が彫られていてとても、優美だった。
“こんなに真っ白なら、掃除をする召使い達はさぞ毎日、気を張って汚れを取らなければならないだろうな…"
ぼんやり考えてると、先を歩く“里”の男はくすり…。と笑った。
そして…ローランデの心のつぶやきに、答えていいものかどうかを思案する。
それでローランデは彼の背にささやいた。
「掃除は、必要無いんですか?」
男は笑顔で振り向いた。
「ええ。
まるっきり。と言う訳でもありませんが、埃をあっと言う間に取り去る能力を持つ者も居ます」
ローランデも笑った。
「汚れも、あっと言う間に取り去る?」
彼は少し考える表情をし
「…汚れを、取ると言うよりは白くする能力でしょうね。
お陰で、幾ら色を塗っても白に成ってしまう」
ローランデはその言葉に呆れ、天井までもが白い、その白一色の広い建物を見回しつぶやく。
「元は、違う色だったんですか?」
男は頷き
「たまに、色が好きな男があちこち塗りたくるけど。
汚れてくるとその汚れを払った後また、白に成る」
ローランデはきっと自分が、元気な時ならくすくす笑いが止まなかったろう…。そう思った。
疲労を、そのまま感じるように足が、鉛のように思い。
ノルンディルを目前にした時、それまでの疲労は全て忘れ、脳が体に命じ体は脳に、支配された。
『この男に侮蔑と“死”を…!』
今迄どれ程…悔しかったかしれない。
近衛軍と言う組織に護られ、上級士官である彼に自分はどれだけ腹を立てても剣等、抜けはしなかったから………。
ギュンターのように…何も負う物等無ければ後先考えずに抜いていた。
だが…そんな事をすれば故郷、北領地[シェンダー・ラーデン]で自分の後を継ぐ。と信じてる父をどれだけ悲しませるだろう。
そう思ったら出来なかった。
だから…その男相手に剣で立ち向かう事を許された一瞬今迄の…ずっと押さえていた鬱憤が全て解き放たれた気がした。
体は風のようだった。
あの男の、決して見いだせぬ隙を作り出そうと…体は自在に動き、最高の気分だった………。
准将の地位に座る好敵手。
手強い相手だからこそ…隙を作り少しずつ…あの誇り高い男の焦りと憤りが、絶望へと追いやられるその焦燥感に手応えを感じ、胸が喜びに震えた。
だが…見えない援軍との細い絆があの誇り高い男を支えていた。
メーダフォーテ。
そしてローランデは思い出す。
メーダフォーテのずたずたに斬られた死体を目前になら…ノルンディルはもっと早く自分に、膝を折ったろう。と…。
そしてメーダフォーテはノルンディルの期待に応えるようにやはり、援軍を用意していた。
傷付いたあの男に止めを刺さぬまま背を向けるのは、死ぬ程悔しかった。
が…剣を手放す相手に…どうしても止めの剣は振れない。
その自分の習性を…ローランデは思い返すと唇を噛んだ。
“里”の男が戸口の前で足を止めて自分を迎え、高い背のその顔の上に、困惑の表情を浮かべている。
ローランデはつい、彼が全て知った。と解り俯く。
「復讐は一時の愉しみと変わらない」
ローランデは彼の言葉に、顔を上げる。
言葉は続く。
「喉の溜飲が下がり気が晴れるのは…。
ほんの、一時だ。ご自分の判断を、褒める時がいずれ来る」
ローランデはだが、冷たい言葉でささやく。
「いいえ。後悔の時が来ない事を、祈るだけです」
「でも…今の貴方の身分なら近衛の男は…遠い異国の男と変わらない」
ローランデはそれでも…今だ近衛に居るギュンターの身を、思った。“里”の男は優しく言った。
「でも、貴方の敵ではない。ギュンターか…もしくはディアヴォロスの敵だ。戦うのは彼らで、貴方の相手では本来無いのだから、故郷に戻ったら忘れる事です」
だがローランデのきつい瞳は緩まず“里”の男を見つめ返す。
途端、部屋から別の男が出て、ローランデの小柄な肩を抱く。
そして促すように室内へと招き入れる。
その広々とした部屋にはずらりと寝台が、横の隙間の殆ど無い状態で横一列に並び、ディンダーデン、ゼイブン、ディングレー、シェイル、ギュンターが皆、気絶して横たわっていた。
ギュンターの、横の寝台が一つ、空いていた。
招き入れる男はローランデを見つめて一つ、吐息を吐く。
「侮るな。心の疲労は目に見えずとも体を蝕むぞ」
ローランデは言われ、薄茶の瞳のその“里”の男のぶっきら棒な物言いに顔を上げる。
案内をしてくれた男が隣でささやく。
「彼は“癒し手”だ。
貴方方の世界での、医師に当たる」
ローランデは頷いた。
“癒し手”の手から、光の放射が放たれた気が、した。
その放射に包まれた途端、心の中に暖かい気持ちが戻る。
ローランデは自分の中からノルンディルと、その敵を打ち倒そうとする強い執念が消え去って行くのを感じ、代わりに暖かい、愛すべき人々が戻って来るのを感じた。
“癒し手”は、相変わらずぶっきら棒にローランデに告げる。
「少し眠るといい」
だがローランデはそっ…と、寝台に目を閉じる面々を見つめた。
皆、汚れきった戦闘中の衣服から、白い羽織着に着替えていた。
皆一様に、目を閉じ静かに横たわりその…傷を負った場所だろう…。
布団を掛けているのにその場所が、金の光で光ってる。
が…その顔色は皆、疲労と傷からの出血で血の気が無かった。
目を閉じるディンダーデンは血の気が引いているとはいえ、その顔立ちの美しさが目立った。
横のゼイブンですら…その顔色は青い。
ディングレーは青冷めけれど…微笑んでいる。
そう…ローフィスの無事が、きっと心から嬉しいんだろう。
それでも布団の引き上げられていない胸元に、強い金の光を放ち布団で隠れた胸元にまで、長く伸びた刀傷の跡を辿るような濃い金の光を放ちながら…。
シェイルの顔は真っ青で、泣きそうな表情をしていた。
ローランデの、胸が痛む。きっととても心配だったんだろう…。
レイファスの事そして…ローフィスの命。
ギュンターに視線を向けるとその金の光は他の者達より小さな場所で濃く、光っていて、がその数は一番多かった。
真っ青で……そのやつれた美貌に疲労が色濃く滲んでいる。
ローランデはそっ…と、“癒し手”にささやく。
「光が…濃い方が傷は深い…?」
尋ねると“癒し手”は無言で頷く。
そして案内した男の前に立ち、ぼそり。とつぶやく。
「俺も、少し休む。
これだけの傷を奴らが負う前に、何とか出来なかったのか?」
だが案内をした男は吐息混じりにささやく。
「混戦だ。しかも距離がある。
どう手出し出来るんだ?
もっと近かったらやり様もあるが…」
“癒し手”は戦場の状況を映像で受け取ったらしく吐息を吐く。
無数の…本当に多くの人間の間で、戦う彼らの姿。
その敵は、途絶える事の無い程多い。
広い草原は群れる人間で埋め尽くされ、敵味方の区別等解らぬ程、それぞれが目的に従い蠢いていた。
その中で、まるで覆う暗雲を振り払うかのように、勇ましく決然と剣を振る彼ら。
殆ど…一人が十人を…常に相手取って戦う程の、敵の数。
“癒し手”は俯くと、案内した穏やかな男の腕をぽん。と叩き握り、部屋を出て行った。
振り向く、ローランデの懸念に彼は笑う。
「貴方がここに訪れる前はこの部屋は人で、ごった返していたので」
「…傷の、処理もうんと速いんですね?」
ローランデの疑問に“里”の男は人間界の事情を思い出し、笑う。
「貴方方から比べれば。
けれど我々の“里”でこんなに怪我人がたくさん運び込まれる事は、滅多に無い」
ローランデも、頷いた。
ローランデは眠るギュンターの寝台の横でその手をそっと取り寝顔を見つめていたが、入って来る人影に顔を、上げる。
案内をしてくれた男の穏やかな微笑みに釣られ、そっと尋ねる。
「お食事は?」
ローランデは疲れ切って空腹を感じず、首を横に振る。
そして小声で尋ねた。
「子供達は?」
彼はにっこり微笑むと告げる。
「休ませました」
そして、ローランデの疑問を感じ取ると、彼の横にかけて話す。
「眠っているので。
恐怖も悲しみも、無縁でしょう」
ローランデは、ほっとした。
「激戦でしたから…」
男は、一つ頷く。
「草原に転がる死体をそのままにして置くと、食事をしようと獣達があちこちから現れるでしょうね。
それは、たくさん」
ローランデは俯く。
男はまた、一つ頷くとささやく。
「ゼイブンとディングレー、シェイル。それにギュンターは、夜更け前には目を、覚ますでしょう。
ディンダーデンはもっと、早い。
けれどローフィスは、明日の朝迄は目覚めません。
…アイリスは、もっとかかる」
「深い傷は、貴方方でも癒すのに、時間がかかるのですね?」
男は端正な顔をそのままに、吐息を付くと、言った。
「体を活性化させるのに、その人の順応速度があります。
いきなり直すと、傷の痛みが意識の無い状態でも耐えられない範囲を超え逆に…その痛みのショックで死に、至る事もあるので…。
何にでもその個人の、耐久限度というものがあるものです。
だが………」
男が柔らかに微笑んだ気がして、ローランデは尋ね顔をした。
「貴方のお仲間は、随分タフな方が多い。
普通の人よりうんと早くに、傷を癒せます。
けれど完全に直そうと思うのなら、最低でも三日は、止まって頂かねば成りません。
目覚めても完全に傷が癒えている訳では無く、動くのに支障が殆ど無い。という程度ですから」
ローランデはにっこり笑った。
「それでも十分、凄い事です」
男は、笑った。
「随分長く傷の痛みと付き合うという事は、大変な事なのでしょうね?」
ローランデはびっくりした。
「貴方方はその苦労から、完全に解き放たれているのですか?」
「…そうですね。
傷によっては、完全とはいきませんが…長く痛んだり、苦しむ事はありません。ただ………」
ローランデの疑問を読み取ったのか、男はそっとささやく。
「貴方の母君のように、元から弱い体の造りを、直すと言う訳には………」
ローランデは、南の療養所に居る母の事を思った。
そして微笑む。
「貴方方にも、出来ない事がおありなんですね?」
男はそっと、頷く。
「さあ。貴方も休まれた方がいい。
随分気力が消耗している」
ローランデは立ち上がる男を見上げ、そっと言った。
「先を、知る力もお持ちですか?」
「ギュンターの未来が、ご心配ですか?
けれど未来は流動的だ。
ただ、人には運命があるから、近いものは読み取れるが………。
けれどギュンターは多くの人の思念に拠って、護られている。
その一番強い思念が、貴方だ。
想いは、見えないからと言って、形にならないとは限らないのですよ」
ローランデは彼を、不思議そうに見つめた。
「ギュンターはとても深く貴方を愛してるから意識の奥底で、本来の自分の生き方を変えて迄も、貴方の意志に従おうとする力が働いています。
彼は無意識にそれを感じている。
でも彼はとても素直な男だから、無意識から働きかける声に耳を貸す。
そして、そうしようと努力する事の出来る男です」
「………とても、素直な?」
彼は頷く。
「貴方に出会った途端、無意識の内に全身で貴方に惹きつけられた。
が、普通の人間ならそれを拒絶して、別の道を選ぶでしょうね」
ローランデは俯くと、そっと言った。
「その方が良かった」
だが彼は笑う。
「無理でしょう。
貴方と彼はお互いを自覚する事無いとても幼い頃に、一度出会っている。
その時ギュンターは貴方を護ると心に誓っている。
まさか成長して貴方が、こんなに強い剣士に成っているだなんて知って、彼はさぞかし愕然としたでしょうね」
ローランデは呆けた。
「幼い頃に………?」
彼は微笑む。
「貴方の意識の、とても奥深くに、揺らめいています。
そしてギュンターにとってはどうやら…自覚すら無い、初恋のようだ」
彼はくすくす笑うと、さあ…!と腰を上げる。
「食事を、なさい。用意してありますから」
ローランデはそれでもまだ、立ち上がるその神秘的な『光の民』の末裔を、じっとあどけない澄んだ青の瞳で見上げた。
ギュンターはその暖かい気配が彼から遠のくかと思ったら戻って来て、その暖かい唇が額に触れ、そしてそっと、優しい温もりの“想い”で包み込み、そして微笑んで離れて行くのを、感じた。
ただ…距離は少し離れていても、心は、寄り添うように側に居て、ギュンターは少しそれが嬉しくて俯く。
何かを掻き回される気がしてそれを探ると、さざ波のように過去の記憶が揺らめき、開く筈の無い扉が開いた気がして、そちらに歩き出す。
扉のその向こうは…彼の、生まれ育った領地の丘だった。
うんと幼い彼が、その丘でじっと、その下の小さな崖と小川を見つめ、そして丘の上にある墓石を見る。
その墓石の前迄来ると、足を抱え込んで座る。
そして、顔を埋め、じっとしていた。
「どうしたの?」
その言葉に顔を上げず、まだそうしていると、そのしつこい声は、今度はとても心配そうにささやく。
「どこか、痛いの?」
その、品のいい言葉遣いに、この辺りの奴じゃないな。と感じ、そっと顔を上げると、やっぱり真っ白な肌をして青く澄んだ瞳の、柔らかな独特の髪の色をした可愛らしい子供が、こちらを伺っていた。
「…」
それでも、ギュンターは声が出なかった。
憤りややるせない思いがいっぱい詰まって、窒息しそうだった。
今つっ突かれたら、爆発しそうだ。
それでじっと、じっと足を揃えて掴み、体を丸めていた。
こんな自分はヤバいから、消えてしまいたい。
そう…思っていた。
そして…彼の実の母親が実際そうした、その丘の下の川を思い浮かべていた。
でも…自分は泳げる。
どうしてそんなこと、出来るようになっちゃったんだ?!
…自分に憤ったけど、でも…何度、流れに身を任せようとしても、浮いてしまうし、水で顔が苦しくなると、手足を動かして岸へと向かってしまう…。
もう、先の塞がれたどうしようも無い状態に彼は体を丸め、このままご飯を食べず、じっとここに居たのなら願いが叶うかもしれない。
そう、思ってた。
なのに、その子供が邪魔をする。
自分も小さかったけど、その子もとても小さくて、自分がどうすればいいのか?の問いの返答を、持ってるとは思えなかった。
けど、じっと側に居る気配に顔を上げて見ると、その邪魔者は思いの他可愛くて、とても愛くるしい表情を、していてつい、見とれる。
とても優しい雰囲気で、包み込まれるような感じ。
それにとても、育ちが良さそうだった。
だから思わず話しかける。
「ここいらの子じゃ、ないだろう?」
その子は笑った。
「母様のお見舞いの旅の、帰りなんだ。
北領地[シェンダー・ラーデン]に住んでる」
「シェ……?」
ギュンターはその地名を知らなかった。
けどうんと、遠いのだとは、解った。
「じゃ…ここにはずっと、いないのか?」
子供は、頷く。
その子供の柔らかな微笑みがあんまり暖かくて、ギュンターはその子が直ぐいなくなる事に、思いの他がっかりした。
でも子供は直ぐ、心配そうにつぶやく。
「どっか、痛いの?
僕少し、薬草を持っている」
ギュンターはその子が男の子だと解って、びっくりした。あんまり愛らしくて、てっきり………。
けど言った。
「どこも、痛くない」
途端、その子は凄く嬉しそうに笑った。
「良かった!」
他人事なのに。
どうしてそんな笑顔が出来るのか、解らない。
その子をがっかりさせたく無かったけど、ギュンターは言った。
「どこも痛くないけど、俺を消さないと。
でも出来なくて、どうしていいのか解らない」
その言い方が、凄く切羽詰まっていたんだろう。
その子は途端、不安そうに成った。
「どうして消すの?」
ギュンターはいきなり…自分でも思いがけずいきなり、胸の内をぶちまけた。
「俺はアレステンの子供じゃない。
だから、シュティツェとアルンデルは俺を、虐めるんだ。それに弟も出来た。
その子はちゃんと、アレステンの子供だ。
俺は…実の子供じゃないから、居場所が、どこにも無い。
親父ですら、俺のじゃない。
俺は…要らない子供で、どこに行ったらいいのか、解らない!
だから…ここに居るしかないし、俺はアレステンも親父も、大好きなんだ!
…でも二人も兄貴達も、俺を要らない」
「お母さんは?」
ギュンターは、墓石に首を、振った。
その時、頬に熱い滴が伝い落ちているのが、解った。
「俺なんか要らないと、先に逝った。
生きて、居られたのにそうしなかったって!」
その子供は凄く、悲しそうな顔で、見つめて言った。
「お父さんも、居ないの?」
ギュンターは、頷く。
「どこに居るかも解らない」
その子は打ち明けられて…どうしていいか、解らない様だった。
彼の、手に負える範囲を、超えているみたいで。
ギュンターはその子に、悪いな。とは思ったけど、言ってしまった言葉を喉に戻す事は出来なくて、バツが悪かった。
が、ふ…とその子をみると、青くて綺麗な瞳が、みるみる内に潤み、いきなり涙を滴らせるから、びっくりして狼狽えた。
「ど…どうして泣くの?」
「だって……」
その子は、“君も泣いてる”と彼の頬に視線を向けて、そっと言った。
「僕、君に何も、してあげられない…。
何も…出来なくて、ごめんなさい……」
そう、言ったりするものだから、ギュンターはしどろもどろった。
そんな、つもりじゃあ無かった……。
けど、彼が口をきいて、小さい子を泣かせた事があったし、アレステンにいつも、言い様が、“ぶっきらぼうで喧嘩を売ってるみたい”と、言われてたから、それで……。
その子の涙をどうやって止めればいいのか、考え付かないまま狼狽えてると、ふ…と、暖かい感じがして、見るとその子の小さな手が、そっと…腕に触れていた。
それで…解った。
その子は自分がとても…悲しいから、一緒に、泣いてくれているのだと。
その手があんまり暖かくって、自分の為に、泣いてくれる相手に初めて出会って…。
その子があんまり小さくて可愛らしいから、ギュンターはそっと…手を伸ばして、抱きしめた。
腕の中に居たのは、天使だった。
暖かくて、柔らかくて、光輝いてた。
ギュンターはその子を抱いた途端、自分に“資格”が、出来た様に感じた。
この世界に、居てもいい“資格”
消えてしまわなくても、いい“資格”
だって、天使が俺を思って泣いてくれている。
要らない奴に、そんな暖かい事をしてくれる筈が、無い………。
ギュンターは暫く、その子が泣き止む迄、そっと、壊さない様大切に、腕の中に、抱いていた。
その子が顔を上げた時、天使の涙は、止まっていた。ギュンターはそれが本当に嬉しくて、笑った。
その子の、涙を止める事が出来て。
自分にそれが出来て。
その、力が、自分にあって。
あんまり嬉しくて、思い切り微笑んだ。
だがその時だ。
「アルスゼルンの、貰いっ子だぜ!」
ギュンターの、眉が寄る。
兄貴達も現れた途端、自分の平穏な世界をブチ壊したけど、そいつらもそうだった。
ギュンターの世界に平穏だなんて滅多に無く、いつも、やるか、やられるか。だった。
ギュンターは振り向くと、シュッツルの悪餓鬼共を見つめる。
「…なんだ!
餓鬼の癖に、可愛い子ちゃん連れて!」
次男のからかい。
そしてシュッツルのいちばん背の高い長男は、天使を抱く彼に眉間を寄せ、呻く。
「その子は俺の屋敷の、客人の息子だ!」
まるで、自分の物を、取られたような目付きだった。
でも、その子はどうして喧嘩をするのか、解らない。と言うように、ギュンターを見上げた。
「こっち、来いよ!
そいつ、アルスゼルンの奴だ!」
「アルスゼルンは汚いし、乱暴だ!
それにいっつも、食い物の無い貧乏だ!」
チビ迄はやし立てる。
ギュンターはムッとした。
「乱暴はそっちもだ!
それにいつも、グーグー腹を鳴らしてるのは、お前だろう!」
そのチビはその通りなので、うっ!と黙る。
が、少し上の兄貴が弟を庇う。
「こいつの腹が鳴るのは食いしんぼうなだけで、食い物が、無いんじゃない!」
「一人だぜ」
「きっと、シュティツェにも要らない奴だと思われてるんだ。何たって、貰いっ子だもんな!」
「やっちまえ!」
一番年長の兄貴はかかって来なかったけど、三人の弟達が、ギュンターを天使から引き離そうと、腕を掴み、引き上げ、殴りかかった。
「…!どうして乱暴するの?」
その子は叫んだけど、ギュンターを引き戻そうとして、跳ね飛ばされた。
「!」
ギュンターはその子が転ぶのを見てかっ!と怒り、思わず目の前の子を、殴った。
もう一人もふいうちで殴りつけて転ばせ、倒れる天使に駆け寄る。
長男も駆け付けて横に立ち、ギュンターを睨む。
「俺が、面倒見る」
でも、ギュンターは引かなかった。
自分に資格をくれた天使を、傷付けられて彼は心底、頭に来てしまった。
だから…。
ほぼ自分の二倍近くある長男を…。
いつも、喧嘩の時は必ず避けるそいつを…睨み付け、殴りかかり、挑みかかった。
もとより一対四で、相手もでかくて、敵うはずも無い。
すぐ両腕取り押さえられたし、あっちもこっちも殴られた。
なのに、その子は何度も乱暴を働く子の腕を掴み、止めようと振り払われて…でもそれでも、必死でギュンターを殴る子達を、止めようと立ち上がってくれた。
何度も。何度も…。
「あっ!」
でもとうとうその子は転んで、石に頭を、ブツけた。
「馬鹿…!」
長男が、振り払った三男に怒鳴り、駆け寄る。
ぐったりとしたその子を見て、ギュンターは完全に頭に血が上った。
腕を掴む奴を振り切り、長男に、飛びかかった。
上に乗って殴るけど、背を腹を、どけ!と叫ぶ次男三男に蹴られ、一番のチビは小石を、投げつけた。
「てめぇら!」
聞き慣れた、長男シュティツェの怒号。
「シュッツルの最低野郎!」
次男アルンデルも、怒鳴る。
その、肝の据わった二人の声は、こんな時は凄く、頼もしかった。
シュティツェはギュンターを取り囲む奴をさっさと、腕で払いのけ、逆らう奴に馬乗りして殴っていたし、アルンデルは右の、腰の入ったパンチをお見舞いしてた。
シュティツェはギュンターの体の下から、シュッツルの長男を掴み上げ、殴りかかろうとした。
そいつは、言った。
「てめえらだって、ギュンターは要らないんだろう!
なんで殴る!」
「いらない訳、ねぇだろう!
俺の弟に、手出ししてるんじゃ、ねぇ!」
がっ!
「いっつも、虐めてるじゃないか!」
「…いいか!俺はこいつの兄貴だ!
だから虐める資格が、あるんだ!
てめぇらは余所者だろう!
お前らに、その資格はねぇ!
ギュンター殴るんなら俺を敵に、回したとそう思え!」
がっ!がっ!
ギュンターは、倒れて気絶する天使の横でその様子を伺い、それを聞いた。
アルンデルも、言った。
「こっちは普段、面倒見てんだ!
奴がしょんべん垂れても、後始末は全部、俺らの仕事なんだぞ!
てめぇら何もしてない癖に、いっぱしに虐めてんじゃねぇ!」
がっ!
ギュンターが顔を上げると、二人は顔や腕に擦り傷を作って起き上がり、シュッツルの悪餓鬼共は一目散に、逃げ出していた。
シュティツェはギュンターに振り向き、長男らしい野太い声で唸る。
「てめぇ…。
アレステン(母親)もゼンダ(親父)も、お前の姿が見えないからと血眼だぞ!」
アルンデルは兄貴に言った。
「アレステンに、言われたろう?
シュティツェが、いつも殴るからだ!」
「だって、ああいう奴も、居るだろう?!
殴って鍛えとかなきゃ、やられるじゃないか!
お前もそれで、喧嘩が強く成ったんだろう!
兄貴の愛情を、暖かく受け止めとけ!」
「受け止めてたら、毎度傷だらけじゃないか!」
「嫌なら、殴り返せばいいだろう?!
それだけの事だ!」
アルンデルはギュンターに振り向く。
「シュティツェに殴られるのは、お前だけじゃ、無いんだぞ!」
アルンデルのその、リキの入った言葉に、ギュンターはぷっ!と、吹き出した。
「…その子、どうした?」
シュティツェが、ギュンターの横の天使に顎をしゃくる。
「えらく綺麗な、品のいい子だな?」
「巻き添えに、成ったんだ」
ギュンターの言葉に、シュティツェは頷く。
「だから俺に鍛えられなきゃ、駄目なんだ。
俺を殴り返せないようじゃ、大事な相手も守れないぞ?」
ギュンターはムキに成った。
「相手は自分より大きくて、四人居てもか?」
シュティツェは直ぐ、言った。
「それでもだ!
勝てなきゃ、負ける。負けりゃ、身ぐるみ剥がされ、食い物が無くなり、命も取られるぞ!」
ギュンターもその冬の、盗賊の領地襲撃を思い知っていたから、乱暴者の兄貴に返す言葉は見つからなかった。
奴らは領民の命も食料も奪って行き、悲しみと腹ぺこに包まれた最悪な冬を、過ごしたからだ。
天使はシュティツェの背中におぶわれ、ギュンターは背にもたれて顔を揺らす、その子の気絶した顔を、見つめていた。
シュティツェもアルンデルも…普段はいつも言い争うし、おやつを取り合って殴り合いをする。
なのに…敵に向かう時、確かに二人は一丸で、今は自分もその、仲間だった………。
「だけど、俺は兄貴達のように、アレステンの本当の子じゃない」
シュティツェは、じっとギュンターを見て、怒鳴った。
「だから、何だ!」
アルンデルも言う。
「本当の子じゃないが、今はアレステンの子だろう?」
それが、どうかしたか?と言うように尋ねられ、ギュンターは言葉に困った。
シュティツェは更に、言った。
「アレステンや親父や俺らと、顔も姿も違う。だがお前は俺の、弟だ」
アルンデルは、それ以上、何かあるのか?
と言う顔で、ギュンターを見た。
シュティツェが、吠えるように怒鳴る。
「お前、違ってて生っちろい女みたいな面だし、金髪で目立つからな!
餓鬼の頃から、やたら手がかかるぜ!」
アルンデルも頷く。
「お前にちょっかいかける奴を追っ払うより、お前自身を鍛えた方が早いと、叔父貴達も口を揃えて言ってる。
さっさと自分の身が、守れるくらい強く成れ」
だがシュティツェがぼやく。
「お前のやり方が極端なんだ。
俺と違ってお前には懐いてたのに!」
アルンデルは途端、ムキに成って怒鳴った。
「シュティツェに言われたくないぜ!」
ギュンターは、それを聞いて笑った。
笑ったけど…心が、暖かく成った。
まだ背に揺られてる天使を、見た。
この子がそれを、運んで来てくれた気が、して。
ギュンターはその寝顔を心に刻み込んで、一生忘れまい。と誓った。
“資格”をくれたその子を、何があっても護ろうと。
その為にはどれだけでも、強く成ろうと…。
そう、心に決めて。
テテュスは深い、眠りの中に居た。
とても濃い眠気がどんより周囲に漂い、起き上がりたくても出来ない。
でもテテュスは必死で…その這うような眠気の濃い空気の中、必死で探していた。
何を…?
テテュスは叫ぶ。
「アイリス!」
そして顔を振り周囲を見回し又、叫ぶ。
「アイリス!!」
その悲しげな、絶叫が聞こえたかのようにアイリスが、ふわっ。とまるで…空気か風のようにテテュスの目前に舞い降り、その涙の伝う頬に触れる。
「アイ…リス?」
アイリスは微笑む。
「“影”じゃない…?
アリルサーシャの時のような…別の物じゃない?
本物の、アイリス?」
アイリスの姿は風のようにとても色味が薄かったから、テテュスは本当に不安になる。
が…アイリスの表情がくっきりと濃く成ったかと思うと、その表情はいきなりくしゃっと歪む。
そして頬に涙を伝わせ、その色の透けた体で抱きしめる。
腕も胸も、全てが透明だったけど…けれどその腕の温もりや胸に抱かれたその存在感は確かで、テテュスはいきなり安堵して透けたアイリスにしがみつく。
「逝っちゃうかと思った!
良かった………!」
アイリスは無言できつく…きつく放すまいと小さなテテュスを掻き抱き掠れた声で呻く。
「逝ってしまうのかと思ったのは私だ…!
ノルンディルは容赦無いと君の命など平気で一撃で………!」
だがアイリスの喉が詰まり、それ以上言葉には成らなかった。
きつく…きつく抱かれ、アイリスが震えているとテテュスは感じた。
アイリスの、頬から伝わる涙がテテュスの額に振り、その逞しい腕は自分の広い胸にテテュスの顔を押し当てくるみ…透けるその姿の、けれどその確かな温もりにテテュスは切なくなってもっと、きつくアイリスにしがみつく。
アイリスが…耳に聞こえぬ心の声でこうテテュスに、語り続けていたから…。
“良かった…。君を護れて、本当に良かった…!”
繰り返し、繰り返し幾度も。
寄せる湖水のさざめきのように途切れることなく、何時迄も………。
レイファスは必死で、その衣服の裾を離すまいと握りしめていた。
思い浮かぶのは、大きく広い背のオーガスタス。
近寄る、事すら出来なかった。だから今度は…絶対離すまいと心に決めた。
いつも…きつい顔できつい言葉を吐く、見惚れる位に綺麗なシェイルの顔。今はもう知った。
とても…とても思っていてくれるからこそそんなに、厳しいんだって。
だからシェイル…!
僕はもう嫌だ。この裾を離すのは。
だが手の中からその衣は、消えて行くように滑り落ちて行く。
レイファスの…顔が震え、声も無く泣く。
必死で手繰り寄せようと手の中から滑り落ちた裾を、慌てて探す。だが突然暖かい“気"に気づく。
目前に透けた…巨人の気配。その向こうに、シェイルが背を向け、顔だけをこちらに振り向かせ、見つめている。
見惚れる程の銀髪の麗人。
彼は笑っていた。
“俺は行くところがある。後はそいつに、任せるから…”
シェイルの、去って行く背を追おうとし、気づく。
“そいつ”………?
顔を、上げる。
途端レイファスは叫んで彼に、抱きついていた。
瞬間うんと高い背の、その小顔にいつもの、おおらかで親しみ易い微笑を見つけて。
“オーガスタス!”
その温もりが嬉しくて、レイファスは必死で抱きつく。
“オーガスタス!!!
うんと、心配したんだもう…目を、開けないんじゃないかって!
冷たくなってたらどうしようって!!!”
オーガスタスの、いつもの陽気な言葉が頭上から降って来る。
“俺はそんなにお前に好かれてたのか?
光栄だな!”
レイファスはムキに成った。
“オーガスタスを嫌いだなんて言う奴が居たら僕が殺してやる!”
オーガスタスが肩を竦めた気がした。
“えらく、物騒な言葉だな…。
死体がごろごろそこら中転がってたのか?
奴ら、戦い始めると遠慮無しだからな…。
激戦なようだし、敵の数も多い。
だがレイファス。近衛に進むんじゃなけりゃ、こんな物騒な現場は滅多にお目にかかったりはしないぞ?”
レイファスは顔を上げ、オーガスタスを睨んだ。
“それ位オーガスタスが好きで心配したって意味だ!
比喩だよ!”
オーガスタスは小さく可憐なレイファスを見つめ、だがそっと屈む。
その、大きな男が目の前で、あの時あれ程強かった鳶色の瞳が暖かく優しげに潤み、レイファスは突然泣き出しそうに成って身を、震わせ唇を噛んだ。
でも堪えきれず、大粒の涙がぽろぽろと頬を伝う。
オーガスタスの大きな手が頬を被い、透けた…けどやっぱり黄金に輝く光を放ちながら、優しい声でささやく。
“覚えておけ。レイファス。
アースルーリンドの戦士は子供や女を護る為に平気で命を捨てる。
その為なら…惜しくない。
そしてそれが、戦士達の誇りだ。
だから死んで、悲しんで欲しくなんか無い。
そこ迄戦い抜いたと、褒め称えて欲しいだけだ。
それが名誉で生き甲斐だ。
それを、決して忘れるな。
お前が戦場に立つ事無くとも。
敵と戦う騎士を見つけたら…その心を汲んでやれ…。
解るな?”
レイファスはでも…言おうとした。
オーガスタスがうんと好きだから、絶対死んで欲しくないって。
だが、オーガスタスの暖かく柔らかい微笑みに後圧しされるように、こくん。と涙を頬に伝わせたまま頷く。
途端、オーガスタスの全身から笑顔のように明るい“気"が光りの放射と成って輝く。
“だが今回は、アイリスの作戦勝ちだ。
奴はどんな事態に成っても“里”に運び込まれれば何とか成る。と知ってたからこそ、“里”に通じる地下道を選んだ。
お前も、奴のように頭で戦え。
うんと利口だから。
その頭脳で仲間の危機を、助けてやれ…!”
レイファスはついその言葉に顔を上げる。
透けた金のオーガスタスは笑って立ち上がり…が告げた。
“戦士…はな、レイファス。皆戦って死にたい。
無様に動けぬ体を引きずって…生きながらえたくなんか無い。
名誉ある死を迎える戦場を…心待ちにし、戦い抜く事を誇りに生きている。
今回俺はそれを逃したが”
レイファスは叫びたかった。
“それは最高だ!”と。
けれどオーガスタスの向けた背は、その言葉が本気だとレイファスに知らせた。
名誉ある“死”を迎え、まだ若い顔に微笑を浮かべて棺で皆の、別れの挨拶を聞く。
皆が口々に告げる。“良く戦った。最期迄”
その労りの言葉に心から、微笑みながら。
それは…決して悲しくなんか無く、光栄に包まれた最期だと。
オーガスタスの背は語り、そして彼がその最期を、熱望しているのが感じられ、レイファスは思わず拳を握ってその背に怒鳴る。
“でも僕は嫌だ!
オーガスタス程の騎士に死ぬ程護られるだなんて!
そんなひ弱な“男”だと自分の事がこの年で解ったら、この先一生男としてやっていけない!”
オーガスタスは立ち止まり、背を向けたまま肩を竦める。
“男なんか護らない。
護ったのは子供だ”
レイファスは怒鳴った。
“子供でも、“男”だ!
テテュスはそれを知ってるからこそ…相手がどれだけ強く大きな騎士でも剣を振ったんだ!”
オーガスタスの、大きな溜息が聞こえる。
“成る程…死ねない筈だ”
“絶対死なれちゃ、嫌だ!”
レイファスの言葉に、オーガスタスは振り向き、頷く。
“名誉ある死。は、今度は護られて素直に感謝してくれる相手の時に迎えるとする”
レイファスは叫んだ。
“ぜひ、そうして欲しい!”
オーガスタスは途端、笑った。
“なら俺が感心する程、大した騎士に成れ”
レイファスは一瞬怯み、だがきっ!と顔を上げた。
“絶対成る!”
オーガスタスが微笑む。
“約束だ”
レイファスは、その視線を目標とする大きな強い騎士に向けたまま、しっかりと、頷いた。
“約束は、絶対守る!”
オーガスタスが微笑みながらその小顔を、頷きで揺らすのを見つめながら。
ファントレイユはゼイブンを必死に探した。
その場所はふわふわと足場がのめり込む、不安定な場所だったので。
けど…ゼイブンは直ぐ見つかり、広げた両手の、胸の中に飛び込むと抱きしめてくれた。
ファントレイユはあんまり嬉しくてゼイブンの胸にしがみついていたが、ゼイブンの身が震っていてつい…ファントレイユはゼイブンの胸の中からそっと顔を、上げる。
見つめるファントレイユの瞳が解ったのか、ゼイブンは唇を噛み…言った。
「お前は大事な大事な俺の息子だ。
あんな奴らの誰一人にだって、触れさせてたまるか!」
ファントレイユがそう怒鳴る、ゼイブンに胸打たれてこっくり。と頷く。
立て続けに心臓だった。
けどそれを思い返すと言葉が出ない。
彼がどれだけ…必死で余裕が無かったかを、思い知らされるようで。
「…僕の事いっぱい、いっぱい心配した?」
ゼイブンの、顔が歪みその瞳に、みるみる内に大粒の涙が溢れる。
「…当たり前だ!
いつ…奴らに奪われるかと…心の臓が破れそうだった…」
そう言った声は語尾が霞み、涙声だった。
頬に伝い続ける涙と、きつく掻き抱く腕にファントレイユの胸は痛み、けど心が熱く成ってささやく。
「僕の事…やっぱりうんと、好きだから?」
ゼイブンは泣きながら言った。
「愛してる…。
お前より大切な物なんか無い!
亡くしたら…立ってる地面が消えて無くなる…。
…生きて、いられなくなる程辛いに決まってる!」
胸が張り裂けそうに…子供のように震えて後から後から、頬に涙を伝わせながらそう言うゼイブンを、ファントレイユはじっと、じっと見つめた。
きっと…ゼイブンはこんな自分はみっともない。そう思ってるからいつも隠してるんだ。と解った。
けど…子供のように素直に涙を次々に頬に伝わせ…震っている彼が、本当に嬉しくて大好きだった。
だってゼイブンは必死だった。
必死で…結局どんな敵からも護り抜いてくれた。
だから…もう思い切り自分に戻って、どれだけみっともなく泣いたって構わない。
大声で号泣し、泣き崩れたって…みっともないだなんて、これっぽっちも思ったりはしない。
ファントレイユはそっと言った。
「僕はいつもゼイブンを凄く愛してるし、大好きでいつも一緒に居たい」
言った途端、ゼイブンはもっと顔をくしゃっ。と歪め、涙を溢れさせて小さな愛息をきつく、きつく抱きしめ嗚咽を上げた。
「…う………くっ……」
ひっく。ひっくと時折喉を鳴らし、ゼイブンがそっ…と顔を上げるとその美男の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、ファントレイユはつい、ポケットを探りそっとハンケチを差し出した。
ゼイブンは受け取り、思い切り鼻を噛む。
ビーム!
そして鼻を拭き取ると、普段その形と品の良い鼻は、真っ赤に染まっていた。
鼻だけが赤くって、目は涙でぐしゃぐしゃてやっぱり赤くって…けれどファントレイユにそのゼイブンの、ちっとも美男でもいい男でも無い顔が、勲章のように思えた。
いい男で居たい彼が、ここ迄自分をくしゃくしゃにして迄、思っていてくれる。
心に、あんまり暖かい思いが広がって、ファントレイユの瞳も潤んだ。
だから…ファントレイユはゼイブンに微笑み、ゼイブンの手からハンケチを取り上げ、ゼイブンの鼻の頭の拭き残しを拭ってもっと、笑って言う。
「見た事ない位の、男前だ!」
ゼイブンは、嘘を付け。と言う目を向けたが、ファントレイユのブルー・グレーの瞳は真剣で、つい心からの満面の笑みを浮かべる息子に、異を唱えられなかった。
物音に、子供達が目を覚ますと、そこにはディンダーデンが居た。
「ディンダーデン!」
ファントレイユが叫び、レイファスはいきなり起き上がり、横のソファに座って食事をしている彼の胴に手を回して、抱きつく。
「おい…!」
ディンダーデンは両手を横に広げ、レイファスに眉をしかめた。が、レイファスはきつくきつく抱きつき、顔を埋めてる。
ディンダーデンは右手に握るチキンを、仕方無しに皿の上に置き、ナプキンで手を拭い、呻いた。
「まあ…。お前が将来、べっぴんにならないとも、限らないし、俺も口説きたく、ならないとも限らない」
テテュスが、くすくす笑った。
レイファスは泣き顔を上げて、つぶやく。
「そうなったら絶対僕、ディンダーデンに断らない!」
が、ディンダーデンは六歳の子供をじっと見つめ、言った。
「もっと大人に成って意味が、解ってからそう言ってくれると、心から嬉しい」
ファントレイユもくすくす笑った。
ディンダーデンはぼそりと、笑う二人に言う。
「お前らはもう、食ったのか?」
ファントレイユが、言った。
「ここに来てから直ぐ!」
「でもみんなは傷を癒すために、気絶させたって。
凄く疲れてるから、当分目覚めないって」
テテュスの言葉に、ディンダーデンは頷く。
「そりゃ…。
あの洞窟だけでも癖々してるのに、止めがあの戦闘だからな」
「怖かったね…」
レイファスが言うと、ディンダーデンもまだ張り付くレイファスを見、思い出すとおぞけを震い、ささやく。
「お前は何を見たんだ?
俺は、俺が殺した死体が動いたのを見たんだぞ!
当分うなされると思ったが、夢も見ずに眠りこけた。
光の結界ってのは、半端じゃないな!」
テテュスは横に座ると、その体格のいい美男を、じっ。と見た。
「ディンダーデンはどこも、怪我して無いの?」
ディンダーデンの、眉根が寄る。
「相手はディングレー同様、“左の王家”の血筋のレッツァディンだ。
怪我無く終わる筈無いだろう?」
ファントレイユも、テテュスの横に来ると聞く。
「凄く、強いの?」
ディンダーデンは肩をすくめた。
「戦闘であいつの戦い方見てると、敵に回したく無い奴の一人だが…まあ、俺も動く死体を見た後だったし、あれに比べりゃ、一応生きてる人間だしな!
だがフォルデモルドの恐怖は解るぜ。
透けたオーガスタスなんて、どうやって殺したらいいか解らんだろうからな!
何にしろ、戦う相手は斬ったらちゃんと死ぬ奴が、好ましい」
レイファスも、テテュスもが気味悪そうにディンダーデンに尋ねた。
「死体が、動くの?」
「ぞっと、するだろう?」
二人はディンダーデンをじっ。と見つめ、思い切り、頷いた。
ファントレイユが素朴に尋ねる。
「神聖呪文を、唱えても駄目なの?」
ディンダーデンは肩をすくめる。
「俺は呪文を知らないし、ギュンターもだ。
結局、ローフィスが神聖騎士を呼び出して、カタを付けて貰った」
テテュスが、そっと言う。
「ローフィス、神聖騎士団の護符を持っていたしね…」
でも途端、ファントレイユがつぶやく。
「ローフィス、大丈夫かな…?
僕、ローフィスとアイリスが殺されそうな夢で、うんとうなされると思った」
テテュスが、青冷めてつぶやく。
「でも、大丈夫だって、“里”の人が言った」
レイファスが、話題を変えるようにつぶやく。
「ここに来る時、“里”の人に手を握られたら景色が変わったんだ!
ディンダーデンの、時もそう?」
「馬から下ろされる時意識が無くなったんだ。
そんなの、知るかよ」
ファントレイユも無邪気に言う。
「魔法みたいだった!」
ディンダーデンは肩を、すくめる。
「空間を、一瞬で移動すると聞いた事はあるが、それかもな」
テテュスがそっと言う。
「“里”は光の結界が満ちているから、“里”の人は“里”の中だと、能力を使えるんだって!」
レイファスが、すかさず言う。
「『光の王』は、“里”じゃなくても能力が使えるって!
ディンダーデン、『光の王』って、見た事ある?!」
ディンダーデンは、肩をすくめた。
「俺の餓鬼の頃に没したからな…。
お前らが大人に成る頃には、次の王が戴冠するだろう?多分」
レイファスもテテュスも、顔を見合わせた。
ファントレイユがそっと言った。
「じゃ、その時会える?」
ディンダーデンはぼそりと言った。
「戴冠後は、封印の張り直しでそこら中駆け回るらしいからな!
その頃には、お前らも見慣れてるだろう?きっと」
テテュスが、そっとつぶやく。
「じゃ、動く死体も、見慣れたら怖く無い?」
ディンダーデンは、心からぞっとして言った。
「見慣れる程何回も、あんなもの、見たく無い」
レイファスもファントレイユも、心から同意して頷いた。
ギュンターは目が醒めて身を起こそうとし、右肩と胸の、皮膚の奥にちくり…!と刺すような痛みを感じ、眉を寄せる。
凄腕の射手、ドラングルデを一瞬にして思い出し、そして…痛みを押しやって、随分矢が刺さったまま無茶をした事を思い出す。
あれだけの無茶の後、これだけしか痛まないとは…。
そう思い、眠っていた事に思い当たり、何日経ってるのか不安に成る。
幾ら推薦を取り付けたって、とっくにグーデンが中央護衛連隊長の信認を貰っていたら万事休すだ。
隣でシェイルが、目を開けていた。
「お前も、寝てたのか?」
尋ねると、シェイルはぶっきらぼうにつぶやく。
「馬から降りた途端な…」
一つ向こうで、ディングレーの声がした。
「俺も目が醒めたが…確か気絶する前、胸も背も、ひどく痛んだからな………」
ゼイブンの、かったるそうな声がする。
「起きてみろよ。
“里”の癒し手は、優秀だ」
ギュンターも同意した。
「ああ…あれだけ無茶したのに、殆ど痛まない」
「嘘付け……!
っ……!
………そこそこは、痛むぞ?」
身を起こすディングレーに、ギュンターは振り向く。
「全く痛まないとは、言ってない」
ディングレーはその金髪美貌の男を、睨み付けた。
が、ギュンターはそっと尋ねる。
「何日経ってるか、解るか?」
ゼイブンの、とぼけた声がした。
「まだ、今日なんじゃないのか?
洞窟へ入ったのは」
「!…嘘を付け!
これだけ痛まないってのは、三日以上は経ってる筈だ!」
ゼイブンはよいしょっ!と身を起こすと、呻く。
「だから…言ったろう?
“里”の癒し手は優秀だと。
それに、ここをどこだと思ってるんだ?
光の力満ち溢れる、『光の里』だぞ?」
だがディングレーはともかく、全く『光の民』の知識の無いギュンターは眉を寄せる。
シェイルはそっ…と、ギュンターの横に眠るローランデを見つめる。
「まだ、目覚めないのかな?」
ギュンターは気づく。
そう言えば、夢を見ていた。
暖かな、天使の夢。
あれ以来俺は、天使は居る!と言い張って、居ないと言う奴と毎度殴り合った。
いつの間にかどうしてだか、それで喧嘩に成るのは当たり前で、どうして天使なんか居る。と自分が思い込んでいたのか、謎だったが………。
そう言えば、そんな事もあったと、おぼろに思い出す。
ギュンターは愛しいローランデの寝顔を見つめ、そっと尋ねた。
「なぁ…。ゼイブン。
ここは不思議な場所だから、忘れていた記憶を夢で、見たりもするのか?」
ゼイブンはかったるそうにそのグレーがかった淡い栗毛を掻き上げると、その淡いブルー・グレーの瞳で斜にギュンターを見つめ、呻く。
「引っかかってて、表に出したくてもなかなか出ない記憶。とかか?
…最低な事に、ある」
シェイルが尋ねる。
「どうして最低なんだ?」
ディングレーは、やっと身を起こした所をゼイブンに睨み付けられて、その頭に手を添え、斜に睨み付ける淡い髪の美男を、見つめ返す。
「…何で俺を、睨む?」
「だってお前、引っかかりもせずに綺麗に忘れてるだろう?」
「何をだ?」
「俺に、迫った事をだ!」
ギュンターもシェイルも思わず、そう言ったゼイブンを見、揃ってディングレーに振り向く。
ディングレーは鳩が豆鉄砲喰らったような顔でゼイブンを見つめ、言った。
「どこの世界の、話だ?
そんな事が、あり得る筈無いだろう?」
「とぼけるな!
教練の一年で、ローフィスに連れられて酒場に初めて行った時の事だ!
お前、酔っぱらって俺を、押し倒したんだぞ!」
ディングレーは、真っ青に成った。
途端、シェイルもギュンターもゼイブンをチラ…と見つめ、ディングレーに心からの同情を送る。
「俺はそれ以前から男が嫌いだったが、吐き気を催したり蕁麻疹が出たり、鳥肌立つように成ったのはあれ以来だ!」
シェイルはますます、俯く。
ディングレーは援軍のローフィスが居ず、思い切り狼狽える。
「ゼイブン。
お前に迫ったと聞かされて、ショックなのは俺の方だ!」
怒鳴るが、ゼイブンはもっと憤った。
「けどお前は記憶が無いだろう!
俺はしっかり、覚えてるぞ!
お前の、唇の感触とか、舌の感触だとか、抱いてきた胸板とか腕の感触をだ!」
ぶっ!
とうとうシェイルは吹いたし、ギュンターは俯いて肩を揺らす。
だって言われたディングレーの方こそが、自分の口元に手を当てそれこそ、真っ青に成っていたので。
「…そんな…事を俺はお前に、したのか?」
声が震えていて、ギュンターとシェイルはますます、笑いに入る。
だがゼイブンは容赦無かった。
「そうだ!
その気で見つめてくるお前の瞳も顔も!
どアップで見た!」
ギュンターが、そっと言った。
「その夢をここで、見たのか?」
ゼイブンは振り向く。
「俺はここで癒される前、男に抱きつかれて喧嘩に成り、そいつにとうとう、短剣投げつけて決着を付けたがそいつの兄貴が、弟は当分仕事が出来ないから、代わりに金を寄越せと怒鳴り込んで来やがるから、そいつからトンヅラして、結局徒党を組む奴らに追われて滝から落ちて大怪我してここに運び込まれた!」
ギュンターはとうとう、肩を揺らしてくっくっくっ!と笑う。
「巨大ワニや“影”の連中だけで無く、色んな相手とやりあってんだな!お前!」
ゼイブンはギュンターを睨みながら唸る。
「…ともかくそれで、どうしてこれ程男嫌いが進んだのかと、ここで眠りに落ちる前考え続けた」
「そして…その記憶を結局夢で、思い出したのか?」
笑うギュンターの横でいつの間にか、ローランデが身を、起こしていた。
ゼイブンは頷いた。
「全部、リアルに思い出した」
ディングレーは青冷めながらつぶやく。
「それ以上の事はまさか、して無いな?
口づけ以上の事は、まさか」
ゼイブンのブルー・グレーの瞳で真っ直ぐ睨まれ、ディングレーはもっと青く、成った。
「…………したんだな?」
シェイルとギュンターはとうとう、笑い転げる。
ゼイブンは意地悪く言った。
「具体的に、言って欲しいか?」
シェイルとギュンターが見つめる中、ディングレーは俯ききって
「いや」
と断りを、入れた。
そして、素早く言った。
「…この話はローフィスが目覚めたら、彼立ち会いの下でちゃんと一度、話し合おう」
シェイルとギュンターは揃って言った。
「絶対、立ち会わせてくれ!」
ローランデは二人に呆れ、だがさりげなくディングレーを庇う様に言った。
「でもゼイブン、君を抱いたりは、しなかったんだろう?ディングレーは」
ディングレーは途端、何て事を聞くんだ!と、考える事すら恐ろしい様に、ローランデを見つめる。
ゼイブンは睨むように笑って、ディングレーに凄む。
「どう、思う?」
ディングレーは凄まれて思い切り、しどろもどろった。
「あ…ど………どう………ったって…。
そりゃ、俺としては心から、未遂だった事を、祈る」
ゼイブンがふい!と顔を逸らし、ディングレーは祈る様に、ささやく。
「その……途中で俺は、正気に戻るか、酔いつぶれたんだろう?」
だがゼイブンはおもむろに頷く。
「どうしてお前が女を遠ざけ、警戒心ばりばりなのか、良く解ったぜ!
若年の頃酒場で飲んで意識が無くなった後、何人か孕ませ、訴え出て来た女に、内密に金を払って堕ろさせたんじゃないのか?」
そのゼイブンの、じろり…!と見据えるブルー・グレーの瞳に、ディングレーは心から震って呻く。
「その方が、マシだ…。
お前を抱いたなんて事聞かされるよりは」
シェイルが突っ込む。
「ゼイブンの言った事って実際、あったのか?」
ディングレーは俯いたまま、うっ!と呻くと、小声で洩らした。
「…それでも、せいぜいが二人程度だ………」
シェイルが、ローランデを指さす。
「ローランデはそれでちゃんと責任取って、結婚したぜ?」
ギュンターも呆れて突っ込む。
「本当はもっと居たから、責任が取り切れなかったんじゃないのか?」
シェイルも続けてつぶやく。
「実際、隠し子がぞろぞろ居ないか?」
ゼイブンも、畳みかける。
「お前を硬派で誠実な男だと思ってる貴婦人方は、大層ショックだろうな?!」
シェイルが、尚も言う。
「…おかしいと思ってたんだ。
“左の王家”の血筋で、遊び回らないのも、浮き名を流さないのも、ディングレーたった一人だけだったし。
ディアヴォロスだって、俺と会った頃は来る者拒まずの、ギュンターやアイリス並の遊び人だった。
…やっぱりお前もバリバリ、“左の王家”の末裔じゃないか!」
ディングレーは、俯いたまま顔を、上げない。
「ディングレー……。反論、出来るならしといた方が………」
ローランデの助け船に、ディングレーは僅かに顔を上げると
「だから…。それは15の年で、すっぱり止めたんだ!」
そしてゼイブンは止めを刺した。
「俺との時は確かお前も俺も、14だったな」
ディングレーはもう、崩れ落ちそうな位、打撃を受けた。
「じゃやっぱり…俺はその………。
その…………」
シェイルが、言葉にすら出来ない真っ青に成るディングレーの後を継いで、ゼイブンに尋ねる。
「突っ込んだのか?と聞きたいらしい」
ギュンターが、体を二つ折りにしたディングレーがとうとう、膝にかかる布団に顔を埋めているのを見、シェイルにささやく。
「想像も、したく無いらしい」
シェイルはディングレーの姿を見つめ、肩をすくめる。
「だって酒の上で記憶が無かろうが、実際奴のした事なんだろう?
仕方無いじゃないか!」
が、ディングレーは突然顔を上げる。
「執事も言っていたが、俺の金か名誉を汚すのが目当てで、嘘付いてないか?!」
だがゼイブンはディングレーを睨み付けた。
「俺のどこに利害が生じて、こんな最低な告白をする?!
甘い妄想も大概にしろ!
その女達だって事実、お前と行為をした上での訴えだと、俺は思うぞ!
執事は主人のお前を思いやって、お前に都合のいい言い訳したに過ぎない。
現にその女達に金を渡して追っ払った後きつく、お前に女の前で絶対酒を飲むな!と忠告しただろう!口調は丁寧だが殆ど、脅す勢いで!」
ディングレーは口に手を当て、思い当たるようにまた、真っ青に成った。
そして意識が拒否しているように、ゼイブンを見なかった。
「でも実際、無かったんだろう?
その…ディングレーが考える、最悪な事態は?」
ローランデに聞かれ、ディングレーはもう、死刑の判定を聞くように両拳を、握って震わせた。
ゼイブンはローランデに怒鳴りつける。
「ぎりぎり、寸前だ!
奴はその頃からガタイがでかかったし!
俺はうんと華奢だから、殴りかかろうにも鍛え上げた奴をどうにも出来なくて、恥も外聞も、身も世も無く叫んでローフィスを呼んだ!
奴が駆け付けてくれて、ディングレーの頭を燭台で殴りつけてくれて、俺は瀕死の状態から救われたんだ!
相手が女で、ディングレーにうっとりして助けなんか呼ばなかったら!
間違いなくそうなってた!」
ディングレーはそれで少し、ほっとしたようで、ぼそりと言った。
「燭台で殴られた事は、覚えてる。
二日酔いに加えて、傷が三日もずきずき痛んだ」
「俺への暴行未遂は?!」
ゼイブンの怒号に、ディングレーは項垂れきってつぶやいた。
「…………全く、覚えて無い……」
シェイルがとぼけたようにささやく。
「惜しかったな。
黙っとけばディングレーに、責任取らせる事が出来たのに」
ゼイブンは、最もだ。と頷く。
「奴を俺の、言いなりか?
考えただけでも楽しいぜ!」
ディングレーが、突然睨み怒鳴る。
「ふさげるな!」
が途端、ゼイブンは睨み付ける。
「未遂だと知って途端、何も無かったような顔をするな!
暴行された事実は消えないんだぞ!
“里”の奴らに頼んでお前の深い記憶を、呼び覚まして貰おうか?!」
ディングレーは一気に怯んで、青冷める。
「………でもまあ………。
昔、お前は華奢な美少年で、今のお前とは似ても似つかないんだろう?」
ゼイブンはかっか来て、怒鳴った。
「…だろうが、俺だ!
俺だと言う事実は断じて変わらないんだぞ!」
ディングレーは思い知って思い切り、項垂れた。
「女は金で済むがな…」
ぼそり。と言うギュンターの言葉に、ディングレーはもう、顔が上げられなかった。
が、小声でつぶやく。
「…だから塔から降りた所を抱き留めた時、慌てて放せ!と、怒鳴ったのか?」
ゼイブンはギロリ…!とディングレーを睨み
「普段俺も思い出す事を拒否してるから、努めて記憶の中から抹消する様にしてたのに、あのどアップで、一発であの夜の事が蘇っちまった!
もう少しあのままだったら、全身が発疹だらけだったんだぞ?!」
ディングレーはギュンターをじっと見、情けない声で尋ねる。
「…発疹の責任は、どう取ればいいんだ?」
その顔があんまり青冷めて真剣で、ギュンターは言葉が何一つ、思い浮かばずただ、ディングレーを見つめ返した。
「ゼイブン!」
ファントレイユが心から嬉しそうに、父親を迎えて抱きつく。
ディンダーデンが顔を上げて、金髪の悪友に
「ヨォ!」
と声を掛ける。
テテュスが嬉しそうにディングレーを出迎えたが、彼は凄く気まずそうに、視線を幾度もゼイブンに振り、その唇に目を止めると真っ青に成って口元に手を、当てている。
「どうしたの?」
レイファスも、ディングレーの様子に心配そうにささやく。
「まだ気分が、良くないの?」
ゼイブンは気づくと
「いい加減にしろ!
まるで俺が、加害者に成った気分だ!」
と怒鳴る。
ギュンターがディングレーの真っ青で固まる様子に気の毒げな視線を送り、ぼやいた。
「…好物だと思った食事が最悪の調味料で料理されていて、一口食べたら吐き出しそうになった時に似ている」
シェイルがその金髪の長身の男に振り向くとすかさず言った。
「…その、上手い不味いの判断も出来ず、奴は喰っちまったんだ!」
ディンダーデンが会話を引き継ぐ。
「それは悲劇だな?
で、誰が誰を、間違えて喰っちまったんだ?」
ローランデは事情も知らないのに会話の通じるディンダーデンに、さすが色の道の専門家。と呆れ混じりの感嘆の視線を向けた。
ギュンターの視線が俯くディングレーに止まり、次いで、ファントレイユを腰に張り付かせるゼイブンに、注がれた。
ぶっ!
ディンダーデンは一気に吹き出し、どもる。
「で…で、幾つの頃の、話なんだ?
今のあいつを押し倒す程、悪趣味で根性のある男じゃ、無いんだろう?
幾らディングレーでも」
ディングレーが咄嗟に顔を上げ、年上の色男を睨み据える。
「俺だって、意識さえあったら苦瓜だけは避ける!断じて!」
ディンダーデンは思い切り肩を揺らして笑う。
「意識が無かったから、喰っちまったのか?!」
ゼイブンは振り向くと怒鳴る。
「喰われてない!未遂だ!
男に奪われてたまるか!
奪うならともかく!」
シェイルもギュンターも、顔を揺らす。
「それでも奪う相手は、勿論女なんだな?」
ゼイブンは二人に振り向き、怒鳴りつけた。
「俺は生物学上、全く正常な反応の、“雄”だからな!」
ローランデももの凄く“自分もそうだ”と言いたかった。喉まで出かかったが、ギュンターを一瞬視界に捕らえ、言葉を飲み込んだ。
が、シェイルは開き直る。
「生物学が、何だ!
恋愛至上主義で、どこが悪い!」
皆が途端に、その見目だけはいかにも美麗な、楚々とした銀髪の美青年に視線を投げた。
ギュンターが、俯きぼやく。
「相手がディアヴォロスとローフィスじゃな…」
「あれだけ開き直れるのも、無理ないぜ…」
ディンダーデンも、同意する。
「誰だと、開き直れないの?」
可憐なレイファスの問いに、ディングレーとゼイブン、シェイルの視線が一斉に、ローランデに注がれる。
ローランデが、チラとギュンターに視線をくべ、はぁ…。と吐息を吐いた。
皆のその反応に、ギュンターの眉間が一気に、寄る。
ファントレイユもテテュスも顔を見合わせ、レイファスが、ローランデにそっとつぶやく。
「相手が、ギュンターだと胸張って、言えない?」
ローランデはレイファスを見、次いでギュンターを見て、もう一度、はぁ…。と吐息を吐いた。
ディンダーデンが、悪友に肩をすくめて見せる。
ギュンターはそのローランデの反応に、ぷい!と背を向け、開け放たれたバルコニーにさっさと出て行った。
ローランデが、悲しげな視線を向け、ディンダーデンがまた肩をすくめる。
「みんな、凄く元気で良かった!」
テテュスがはしゃいでそう言う。
ファントレイユも微笑む。
「アイリスもローフィスも、目覚めたらきっと、みんなみたいに元気に、成ってるよ!」
レイファスも勿論だと、笑う。
「オーガスタスも、きっと元気だよね!」
ゼイブンは子供達がはしゃぐのを見つめ、無理無いと思った。
確実に、ローフィスの命は敵に持ってかれると、覚悟した程だった。
まだ腰に張り付いたまま動かないファントレイユの頬にそっ…と口付ける。
ファントレイユが、何か言いたげにそのブルー・グレーの瞳を上げた。
が、ゼイブンは避けるように顔を背け、そっ…とその体をやんわり、押し退けた。
ファントレイユが慌ててささやく。
「ゼイブン…夢を見た?」
ゼイブンは首を、横に振って言う。
「ディングレーと、話がある」
ファントレイユはまだゼイブンの表情を見つめていたが、こっくり頷いて、しがみつくその腕を、解いてゼイブンを行かせた。
ディングレーが部屋の隅でまだ、しょげたように俯く姿を目にし、寄って肩をぽん!と叩く。
「だがあんたは頼りになる。
助っ人に入ってくれた時、本当に助かったからな!」
だが、ディングレーはゼイブンの口元を見つめ、思い切り顔を下げた。
ゼイブンはその様子に、顔を寄せて耳元でささやく。
「もう、迫ったりしないだろう?」
ディングレーはもう一度吐息を吐き
「一度でもお前に迫った事があるなんて…死ぬ程ショックで立ち直れない」
「傷とどっちが痛む?」
ディングレーはようやく顔を上げてゼイブンの顔をまじまじと見
「…お前に迫った事の方が、心が派手に痛む」
ゼイブンも、そうか。と項垂れて頷く。
「だが俺も、お前に惚れる婦人の気持ちが解りそうに成り、凄いショックだった」
ディングレーがつい、顔を上げてそう言うゼイブンを見つめる。
「………それは………どういう意味だ?」
ゼイブンは顔をすっと上げ
「怖いから、聞かない方がいい」
ディングレーも、それもそうだな。と同意した。
バルコニーで夜風に身を曝すギュンターの背に、ローランデはそっと近寄る。
気配に、ギュンターは振り向くと、一瞬ローランデの顔に夢で見た小さな子供の天使の顔がだぶり、ギュンターは俯く。
「夢で…子供の頃のお前を、見た。
すっかり忘れていたが、俺はお前を、天使だと思っていた」
ローランデも頷く。
「…私も思い出した。
母の具合が思ったより良くて、はしゃいだ帰りの道中の事だった…。
…金の髪が輝く王冠のように見えたのに、その王子は随分沈んだ様子で、気になって仕方無かった」
ギュンターの眉が思い切り、寄る。
「王子…?」
ローランデは顔を上げて、笑った。
「私には、そう見えた。
とても綺麗な顔立ちの子供で、王冠を被っているように。
旅から帰って乳母に、『王子に会った!』って大声で報告したら、乳母は目を丸くして言った。
『王様夫妻にはまだ、お子様がおられないのに?!』」
ギュンターは、無理もない。と吐息を吐いた。
「じゃ俺はお前の事を天使だと思い、お前は俺の事を、王子と勘違いしてたのか?」
だがローランデはつぶやく。
「それでも…私は時々、君が王冠を、被っているように見える」
ギュンターが、顔を揺らす。
「なら随分、哀れな王冠だな…。
惚れた相手に、振り向いても貰えない」
ローランデが思い切り俯く。
「里の男が、君はとても素直だと…。
子供の頃の誓いを、それと忘れているにもかかわらず、守ってると」
ギュンターは俯ききった。
「どうしてなのか、俺自身にも解らなかったが…。
時として永遠に成る出会いも、あるのかもな………」
「永遠?」
顔を上げるローランデに、ギュンターは言った。
「俺は、選べた。
だがお前を取った。
それしか要らないとずっと、駄々をこねる子供みたいに。
だが子供の思いは一途で真っ直ぐだ。
俺は大人になっても…俺の中のその子供に、逆らえないし…逆らおうと、する気も無い」
「本当に…好きになった婦人は、居ないのか?」
ギュンターは肩をすくめる。
「多分…俺の唯一の女性は、あの丘の墓の中に眠ってる。
彼女は俺を捨て、俺に振り返ったり決してしないから…俺にとっての女性はそれで、終わりなんだろう…。
後はただ、戯れに触れあう相手が居るだけだ……。
俺は随分孤独だと、言った女が居た。
子を産んでくれる女性を見つけ、自分そっくりの子供を授かるしか、逃れる手立ては無いと。
だが……」
「だが…?」
ローランデの瞳が、あんまり心配そうで、ギュンターはそっとつぶやく。
「…その女が言うには、俺は決して女に心を開けないから、そんな女を見つける事は、無理だろうと……」
ギュンターは肩をすくめてつぶやく。
「俺はその女に言ったもんだ。
結局孤独から逃れる術が、無いんじゃないか!と……そうしたら………」
ローランデの瞳があんまり気遣わしげで、ギュンターは自分が、同情されてる。と感じた。
「女は笑って言った。
その通りだ。と………。
だから、俺の事を“北の国の氷の男”と呼んだ。
氷が溶ける事が無いように、俺の孤独も、消える事が無いそうだ。
“随分、悲劇的だな”と言ったら女は笑った。
もしその氷が溶けたなら…俺は一気に沸騰した湯と成って相手を焦がしてしまう…。
それが悲劇になるか、それとも幸せな結末に成るかは、俺の精進次第だが、氷は分厚く溶けた途端上がる温度は半端じゃないから、相手を焦がさず求めるのは、とても大変だと笑いやがった」
ローランデは顔を揺らし、俯いた。
ギュンターはもう、耐えられなくて話題を、変えた。
「ノルンディルの奴、血相変えてたな」
ローランデは途端、きつい瞳を上げる。
「もう少し時間があれば、殺っていた!」
ギュンターは肩をすくめる。
「体力のある男を仕留めるのは、お前でも大変か?」
ローランデは俯くと、その瞳に殺気を滾らせ呻く。
「あと少しで…あいつをバラバラで出来た。
全てのリズムを狂わせ、隙だらけの丸裸に出来たのに!」
ギュンターは吐息を吐く。
「…復讐か?」
ローランデはその青の瞳を、上げる。
「こっちも人間扱いされて無いんだ!
そう扱って、どこが悪い?!」
ギュンターも、そうだな。と頷く。
「天使を敵に回す程の、馬鹿だ。
救いが必要無いと、思い上がってる」
ローランデは途端、眉を悲しげに寄せた。
「私は救いをもたらす天使じゃない」
ギュンターはじっ。とローランデを見つめた。
「…シェイルに聞いてみろ。
奴もきっと俺に、同感だ。
だから余計…あいつはお前を神聖な場所に、置いて置きたいのさ!」
だがギュンターが顔を上げ、戸口を見つめるのに、ローランデも振り向く。
シェイルが戸口で腕を組み、こちらを覗っていた。
シェイルは会話を、聞いていたように組んだ腕を解く。
「さっさと戻れギュンター。
夜風はまだ、傷に障る。
折角俺とローフィスが、ドラングルデの止めと狙う矢からお前を守ったのに」
ギュンターは、笑った。
「俺を殺るのは、自分じゃないと気がすまないか?」
シェイルのそのエメラルドの瞳は
『当たり前だ!』と雄弁に語り、ギュンターはそっと、ローランデに優しく気遣わしげな一瞥を投げ、その正面から姿を消した。
シェイルは入れ替わってゆっくりローランデに近寄ると、ささやく。
「もう少し、休まないか?」
背に手を置かれ、ローランデは心配する親友に、そっと頷いた。