14 逆襲
残り、後六人。
囲む敵騎士らは、前を塞ぐ癖にじりじりと、隙を狙いかかっては来ない。
もう、五人もの屍がローランデの足元に転がっていた。
チラ…!とアイリスへと視線をくべる。
ノルンディルが圧す剣を上へと振り上げた途端、アイリスが左腿から血を流し膝を折るのが見え、ノルンディルが顔を勝利の笑みで歪め、大きく剣を振り被るのが視界に飛び込む。
ローランデは咄嗟に後ろに跳ね飛び、真後ろに居た男の腹に剣を、突き立てた。
後ろを向いたまま背後の男を斬り殺すローランデの、その真っ直ぐ前に注がれる青の瞳に、正面を塞ぐ二人の男がごくり…!と喉を鳴らす。
ざっ!
血糊を飛び散らせて剣を、引き抜く。
銀の弧が鮮やかに光りを放つ。
が、ローランデの青の瞳は真正面の二人の敵を睨み据えながらも、アイリスの動向から気を逸らさない。
屈み、頭を垂れながら、ノルンディルが勝った!と思い切り剣を振り下ろす、その一瞬の隙を狙い澄ましているのが解る。
いくらテテュスに掠り傷を負わされ、普段の冷静さを忘れて頭に血が上っているノルンディルでも…奴はそんな、甘い男なんかじゃない!半端な反撃はすぐ察し、軽くかわす筈だ。
そう…思いついた時アイリスが、それを計算に入れない筈が無い。と思い当たる。
そしてギュンターの懸念と、あの気弱な表情で一瞬にして察する。
「くっ…!」
気づくと、駆け出していた。
相打ち………!
傷を負った今、ノルンディルが剣を振り込む瞬間、自ら間合いを詰めずとも奴の方から詰めてくれる。
アイリスは自分を斬らせそして…その一瞬で、間近に寄り来る敵を殺す腹だ!
だからギュンターは…………。
前を塞ぐ騎士達の真ん中を一瞬で二振り剣を左右に振り分け、退ける二人の間をすり抜ける。
「嫌だ!!!」
テテュスの絶叫に、ローランデは歯を喰い縛り歩を速める。
視線の先に、左膝を折ってノルンディルの振り下ろそうとする剣に、誘い込むように頭を曝したままのアイリスを見ながら咄嗟に風のように、アイリスの目前。
ノルンディルの剣の、振り下ろされるその先へと、ローランデは突っ込んで行った。
アイリスはノルンディルの剣が自分の身に振り込まれた瞬間、息の根を止めたと相手に思わせ僅かに急所を外し、ノルンディルの腹を思い切り突き刺そうと頭を垂れたまま、下げた右手に剣を握りしめ、その剣が振り下ろされて自分の身を切り裂くのを待った。が…………。
がっっっっ!
突っ込んで来るその体に激しく突き倒され、斜め後ろに仰け反る身を、咄嗟に右足を横に突き出し、支え止める。
「ローランデ………」
ローランデの背が目前で、ノルンディルの剣を自分に代って頭上で受け止めるのを見、途端かっ!と熱く痛む左肩の傷に顔をしかめ、右手に握る剣をからん…!と地に落とし、その手で傷口を押さえ俯く。が、左腕をしっかと回した背後のテテュスの、温もりをじんわりその手の平に感じると、安堵の吐息を短く漏らし、気力を振り絞り全身に力を込めて痛みを吹き飛ばそうと試み、が再び襲い来る左肩の激痛にその身を震わせて唇をきつく噛み、崩れ落ちるようにその身を前へと、屈めた。
ローランデは無言で、押し止めたノルンディルの剣を捌きにかかる。
一瞬で力比べから剣を引き、瞬速で二振り、素早い剣を腹に突き入れてノルンディルを後ろに引かせ、更に足を使い、突っ込んで行く。
ざんっ…!
ノルンディルは振り下ろされる敵の剣の、その早さに眉をしかめ後ろにふっ飛び、が一瞬足を滑らせ、左肩から胸を切られて体を捻る。
『…浅い…!』
ローランデは間髪入れずノルンディルの懐深くに飛び込むが、ノルンディルはがっ!とヨロめく足を踏み止め、向かい来るローランデに素早い剣を振り下ろす。
ローランデはさっと体を捻って唸る豪剣を避け、燕のように身を返し、ノルンディルの真横に素早く回り込み、再び斬り込む。
ざっ!
ノルンディルは横向くが、その剣が襲い来るのを目に、咄嗟に後ろに跳ね飛ぶ。
だがローランデは更に逃げる横へと回り込み、剣を振る。
「くそ…!」
その速攻の急襲に、ノルンディルの眉が寄る。
早さについて行けないと、奴の剣に身を曝す事になる。
がっ!
ノルンディルはローランデの剣を受け、力で押してその歩を止めようとしたが軽くいなされ、軽やかに背後に身を進めるローランデの剣が、背後から殺気を帯びて襲う、その剣をも必死で振り向き剣を引き上げ、受け止める。
がっっつ!
がまた…!
ローランデはさっと剣を外して歩を、進める。
どこから来るか解らない剣にノルンディルは混乱した。
ざっ!ざっ!
その早い剣を、ぎりぎりで避けるものの腕、腿に掠り傷を負わされ、ノルンディルは頭に来るが、ローランデの歩を止める方法が思いつかない。
待つしか、無いのか?
奴が、疲れ切る迄…!
こんな絶え間ない攻撃を、続けられる訳が、無い。
が、ローランデは風のように身を翻し、剣を入れるその隙すら見せずその視界から姿を消し、直ぐにその殺気を帯びた剣で襲い来る…!
使い手だと、知ってはいた。
だがこれ程敵に回すと、身が震える相手だとは思った事すら、無かった。
「俺に可愛いがられた返礼にしちゃ、随分念入りだな?!」
咄嗟にそう怒鳴るが、ローランデからは
「全然足りない!」
と怒号が帰って来る始末で、その早い攻撃は信じられないが更に早さを、増して行く。
がっ!がっ!がっ!
避けるだけで精一杯で、剣を合わせる事すら、出来ない。
こんな攻撃をする相手には出会った事すら無くて、ノルンディルは腹を立てまくったが為す術無く浅い傷を幾つも作り、更に頭に血が、上る。
人の血を見るのは大好きだったが自分の血は、真っ平だった。
ぶんっ!
烈剣を振るが空を切り、その場のローランデはとっくに場を移して姿を消し、背に一瞬の殺気を感じ体を捻り剣を持ち上げたが止める事叶わず、背に浅い傷を受け仰け反る。
「ぐぅっ!」
その間に正面に回り込んだローランデの剣が、踏ん張る右太腿に飛ぶ。
「くっ!」
咄嗟に足を引くがやはり、傷を作る。
防戦一方。
さらに全身のあちこちの浅い傷の痛みが沸き上がり、ノルンディルは更に頭に血が上ったがローランデの剣は悔しがる間も与えず、四方から降り続けた。
ゼイブンはベルトを探る。
一本…そして数本…。
あるのを確かめ、ほっと吐息を付く。
だが…尽きるのは直だ。
確かめるのもそこそこに、しぶとく現れる賊と戦いながら、傷付いたアイリスが頭を垂れる様を見る。
とっとと倒して駆け付けたいのは山々だったが、それでも目前に二人居た。
余所見しながら仲間を殺す奴だ。と目を付けたのか、二人のでかい賊は力任せに剣をがつん!がつん!と左右から振らせる。
賊の殆どが倒れ、今や近衛の騎士達が取って代わって同僚達に牙を剥いているのに、それでも少し、ほっとする。
が、倒れた賊がヨロヨロと、無防備なファントレイユとテテュスを睨み据え、近寄ろうと這いつくばるのが視界に入ると、油断は出来ない。
何より…短剣が尽きたらこの位置で…どうやって子供達を護ればいいんだ?
アイリスの左肩がべっとり。と血で濡れているのが見える。
がつん!
剣を受ける合間にも、必死でゼイブンは視線を子供達と、アイリスへ向ける。
だが…!
アイリスだ。
あいつの根性は、大貴族の癖して恐ろしく座ってる。
身分が高いと人々に仰ぎ見られ、威張るしか能の無いチャラけた奴らとは丸で違う…!
あいつが絶対なんとかしてくれる筈だ…!
ゼイブンは激しい剣を左右から受けながらも必死で、起き上がり、子供をお宝のように捕らえようとする賊の様子に気を、配り続けた。
アイリスはその足音に、そっ…と押さえた傷口から手を放し膝を前に折ったまま、顔を上げずに地に手放した剣を探る。
柄を掴むと一瞬背後のテテュスとファントレイユへ素早い視線を送り様、横からローランデを捕らえようと取り囲んでいたノルンディルの部下達がローランデの後を追って近づき、テテュスとファントレイユを捕らえようと迫る、その気配に身構える。
テテュスはアイリスの、青冷め緊迫感溢れる視線を受け、そっ…と顔を、そちらに向けようとした。
ファントレイユが先だった。
騎士が近づくのを見つけ、テテュスの背をきつく握り、ささやく。
「…テテュス…!」
テテュスはアイリスの背を握りしめていた手をそっと外し、背後のファントレイユへと回す。
ファントレイユはその手が自分を護るように回されるのに気づいた。
…とても…暖かかった………。
「がっ!」
でもまた背ろで捕まえようと寄り来る賊の叫び声がし、ゼイブンの短剣を胸に深々と突き刺し、倒れ伏す音に思わず振り返る。
敵の騎士達が、目前に近付いて来る。
その気配に、テテュスはゆっくり顔を、上げる。
横のアイリスは頭を垂れたまま背を向け、膝を折っていた。
大きく肩で息を吐き…けれど右手に握る剣の柄をきつく…握りしめ、耳を研ぎ澄まして気配に気を配る。
が…ゼイブンの短剣に、その足音が崩れ去る様子も無い。
そうだろう…。あれだけ投げ続ければ、ゼイブンがあと僅かな短剣を惜しむのも無理は無い。
テテュスがそっ…と小声でささやく。
「五人居る………。でも一人は、まだうんと向こうだ」
アイリスの、濃い茶の髪が微かに頷くように、揺れる。
先頭の騎士がテテュスの横からその、手を伸ばそうとした瞬間、アイリスはくるりと振り向くと咄嗟に右手に握る剣を、屈む騎士の腹に真下から突き刺す。
「…!アイリス!!!」
ファントレイユがそのあまりに素早い動作に、目を見開く。
深々と抉れた傷口の、血塗れの左肩。膝を付いたままの左腿にも斜めに長く切れ込む、血の滴る深い傷。
でもそんな傷が無いようなアイリスの機敏な動きに、ファントレイユは深く眉を寄せ、テテュスの背後で震えながらアイリスの戦い様を見つめた。
屈んだまま下から、前に身を折る騎士の腹に深々と剣を突き刺し、尚も突き、アイリスに殆ど覆い被さる騎士の体がびくん!と大きく跳ね上がる。
後ろの騎士が気づき慌てて剣を引き上げ、アイリスを叩っ斬ろうと身構える。
咄嗟にアイリスは剣を後ろに引くと、自分に向かい崩れ落ちて来る死体を傷付いた左肩で支え、その屍を自分の盾とする。
騎士は仲間の背が、斬り殺そうと狙う男の体の殆どを覆い、咄嗟に振り上げた剣を振り下ろしかね、顔を思い切り歪めた。
瞬間、アイリスは死体を肩から滑らせて身から落とすと、前へと大きく一歩踏み出し様、同時に右手の剣をも振りかぶる騎士の腹へ、一気に突き刺す。
「ぐっ!」
テテュスはアイリスが、荒い息を吐き肩を激しく上下させながらも突き刺した剣を、激しく引き抜くのを見た。
二人の死体が左右に転がるその真ん中で、アイリスはすっ。と屈む身を起こし、真正面のもう二人のノルンディルの部下を見つめ、青ざめた顔で微笑む。
「…どうした?
ご覧の通り、私は重傷だ」
二人は咄嗟に、侮辱を受けたように顔を真っ赤に歪め、剣を斜め上に振り上げて突進して来る。
「ふざけるな!」
「…止めを、刺してやる!」
ファントレイユがテテュスに震えながらささやく。
「…アイリス…大丈夫なの?」
左肩はべっとりと血で濡れ、背に流れる髪迄もその、流れる血で染まっていた。
鬼神のような顔で、ノルンディルの部下騎士は剣を振りかぶってアイリスへと突っ込んで来る。
一人は少し遅れ、その後ろから。
アイリスは微笑を浮かべ、負傷を負った左肩を後ろに少し下げ、右手の剣を下げたまま迎え撃つ。
ざっ!
敵の騎士がその剣を大きく振り被った瞬間だった。
アイリスが一気に剣を引き上げ、先に相手の肩から胸へと、瞬時に弧を描き剣を振り入れたのは。
「ぐっ!」
斬られた敵騎士は、胸からどっ!と血を吹き出し、剣を振り切り肩を下げ、下から睨め付けるように見つめる濃紺の二つの眼を目を見開き、見つめた。
その青ざめた顔色の美男の、口の端に冷笑が浮かぶのを見つけ、馬鹿にされたように沸騰し、叩っ斬ろうと痛みを抑え込んで再び、剣を振り下ろそうした。
が…………。
「ぐわっ!」
その前に、アイリスは下げた剣を一気に、肩を揺すり敵の腹へと真っ直ぐ突き刺す。
アイリスの素早い剣捌きを見つめ、テテュスはそれでもハラハラしながらアイリスを見つめた。
彼が動く度…傷口から新たな血が、溢れ滴り伝い落ちて行くのが見えて………。
が、もう一人の騎士の、歩が止まる。
顔が真っ青に歪み、目前の男がアイリスに向かってぐったり体を倒し始める様子を、信じられない。と目を見開いて見つめた。
「ぎゃっ!」
また、ファントレイユの背後で近寄る賊がゼイブンの短剣で倒れ、ファントレイユはテテュスの背に、しがみつくようにきつく指を、喰い込ませる。
テテュスはごくり…!と喉を鳴らす。
でも…後一人だ。
アイリスは腹を刺されて自分に身を投げかける虫の息の男を、そっ…と肩を外して地に落とすと顔を真っ直ぐ上げ、真正面で躊躇うノルンディルの部下騎士に視線を向ける。
その美男の青冷めた凄まじい気迫籠もる顔を、敵騎士は顔を歪めたまま見つめる。
奴の口の端には微笑が…消えぬまま浮かんでいる。
…その微笑を奴が浮かべた時、相手は必ず死ぬ。
突然思い出すと、喉がひりついた。
神聖神殿隊付き連隊へと移っても…その剣は少しも錆び付いてはいない………。
騎士は足が地に張り付いたように動かぬまま、アイリスが自分に向ける視線に捕らわれたように、顔を更に歪めた。
背後に居る筈の一人は今だ、やって来ない。
左から胸に掛けて血の筋を、飾りのように衣服に付けるその美男の、胸に垂らす濃紺の巻き毛のほつれ毛が、風に嬲られはためくのを見つめ、目を見開く。
これ程の深手を、負っているのに………!
アイリスは気づいたようにそっ。とつぶやく。
「…確かに……私は傷を負っているから今は君を、楽に殺すのは難しいな」
突然。だった。
敵騎士がその真っ青な顔をいきなり歪め、背を向けたのは。
そして、今だやって来ない仲間を捜すように、駆け去って行く。
アイリスは暫く、その背が遠ざかるのを見ていたが、そっ…と背後のテテュスに顔を傾け、つぶやく。
「…どう思う?」
テテュスは震えながらささやく。
「来たら僕が…アイリスに教える!
必ず…そうするから!」
ファントレイユも叫ぶ。
「もう、動いちゃ駄目だ!」
振り向いた先の子供達二人の視線が、左肩とそして…深く斬られた左太腿から伝い行く血を目で追っているのに突然アイリスは気づくと、そっ、と頷き、ゆっくり身を、屈める。
静かに膝を付くと、顔を深く下げて右手に握る剣を再び、からん…!と音を立てて地に、落とした。
テテュスは泣き出しそうに駆け寄り、真っ青な顔でまだ血の吹き出す肩の傷をその手で押さえるアイリスの腕を、支えた。
必死で、誰か…!と視線を振る。
ギュンターが、横の騎士を斬り殺してこちらに振り向く。
向かい来ようとしてその歩を止め、見ると踏み出した右腿に深々と、矢が刺さっていた。
「……!」
ギュンターだけで無く、ローフィスも体の大きな赤毛の男とまるで余裕無く戦い、ディンダーデンも黒髪の大柄な騎士と真正面から激突し、ディングレーは死神のような銀髪の騎士と、激しい攻防を繰り広げている…!
ゼイブンが、やっとファントレイユの元へと駆け寄ると、ファントレイユはゼイブンの腰に突進し、抱きついて泣いた。
「アイリスが…!」
が、ゼイブンはその気配に咄嗟に身を翻してファントレイユを背に回すと、襲い来る敵の剣に長剣を合わせる。
がきっ!
ファントレイユはゼイブンの後ろから戦う父親を見上げ、そっと後ろのテテュスの、屈むアイリスの背に顔を深く埋めて抱きつき、肩を震わす姿を見つめる。
そして目前の、アイリスを傷付けた騎士をローランデが、彼独特の素早く流麗な剣技で翻弄し続ける姿を見つめた。
周囲には、無数の転がる死体。
それでもまだ、戦闘は続いてる………。
「…テテュス…!」
テテュスは顔を上げてファントレイユを見つめる。
テテュスは泣きそうに顔を歪め、アイリスは荒い息を吐き、それでも身を起こして右手で胸元を探って上着の下のシャツを引き裂き、肩に当てようとする。
ファントレイユが慌てて手伝おうと手を伸ばし、テテュスもその小さな手を添える。
アイリスは二人の子供が、揃って泣き出しそうに見つめるのにそれでも微笑み
「ありがとう」
と、言った。
肩に布を当てて下に回すと、テテュスの手が引き継いで後ろへ回し、アイリスに布の端を手渡す。
それを引いてきつく締め上げ止血し、端を結ぼうとすると、テテュスが布を、アイリスの手から取り上げて結ぶ。
左肩から胸へとべっとり流れる血は、まだ滴りはしたが、止まりつつあるのにテテュスは心からほっとする。
アイリスの額に汗が滲み、彼は顔をくっ!と歪めてそれでも背を伸ばし、腿の傷を見て再びシャツを切り裂き、腿の付け根に巻き付ける。
染まる血でべっとりと濡れた、傷の痛みで上がらない左手で端を掴み、右手で引こうとするのを見て、テテュスがアイリスの左手から端を受け取って掴み、アイリスの青冷めた笑顔を見つめ、彼の右手が布を、引っ張ると同時に、テテュスも引っ張った。
「僕が縛る」
息子の言葉に、アイリスはにっこり微笑むと
「頼む…!」
とつぶやいた。
テテュスは必死で、その腿の付け根をきつく締め付け、布の先を結ぶ。
「…痛い?」
ファントレイユが涙を浮かべそうな表情で、尋ねる。
アイリスはちょっと困った、悪戯っぽい表情で、それでもうんと青い顔で尋ね返す。
「やっぱり、すごく痛そうに見える?」
ファントレイユもテテュスも、泣き出すのを我慢するような表情で震えながら、こっくりと頷いた。
ゼイブンは一人殺したがまた一人、今度は賊じゃなく、近衛の騎士らしい体格良く戦い慣れた男が襲い来て、その背にまだ一人、控え寄り来るのを目に、そっと腰を、探る。
短剣は完全に尽きていた。
チッ!と舌を鳴らすと
『俺の腕じゃ、戦い専門の近衛の男を短剣無しに倒すには、骨が折れる』
と顔を、しかめる。
が、その向こう、ローフィスが、オーガスタス張りの体格の力自慢とやっぱり長剣だけで戦ってるのを目に、額に汗が伝う。
奴も、本気の本気のようだ。
がっ!
ゼイブンは騎士の腹を思い切り蹴る。
長剣を叩き込む間も無く、後ろに居た騎士が倒れた騎士を庇う様に、剣を振り入れて来た。
咄嗟の事で避けきれず、左腕をばっさり薙ぎ払われ、衣服が破れ、血が腕を伝い行くのを感じた。
がそれでもゼイブンは剣を振り上げ、次の剣を振り入れようと敵が構える間に剣を、相手の腹に思い切り振り、騎士は後ろにふっ飛んで避ける。
倒れていた騎士が咄嗟に身を起こし、剣を頭上から振り入れて来、ゼイブンはがきっ!と音を立てて剣を合わせ、受け止める。
そしてもう一人がまた…横で剣を振り被るのが見えた。
ゼイブンは咄嗟に合わせた剣を振り解き、頭上から襲いかかる剣を受け止める。
がっ!
もう一人が止めを刺そうと間を詰める隙にゼイブンは再びその男の腹に足を蹴り入れ、後ろに吹っ飛ばす。
頭上で合わさった剣からふっ。と力が抜けたかと思うと、真横から薙ぎ払おうと襲い来る剣を、ゼイブンは剣を立て受け止める。
がきっ!
そしてその騎士の背後、地に転がった騎士が立ち上がる様を目にする………。
ゼイブンは糞…!と心の中で悪態付き、左腕を伝う血が止まる事無く流れ続けるのを感じながら、それでも諦めず戦い慣れた二人相手が殺そうと襲う刃を、剣を激しく振り払って止め、戦い続けた。
がっ!がっ!がっ!
右。真上。休む事無く左斜め。
目前の『死の刃』ラルファツォルが真っ直ぐの銀の髪を激しく散らし、大振りだが素早い剣を力任せに立て続け振り降ろし、ディングレーはその剣でがっし!と続け様受け止めながら、チラと視線を、ラルファツォルの背の向こう、ノルンディルの剣に倒れるアイリスに向ける。
ローランデはノルンディル相手に翻弄し、だが倒れるアイリスに寄り添うテテュスの元へと、隙を狙うメーダフォーテの黒ずくめの部下の姿が伺い見え
「糞…!」
と唇を噛む。
だが、『死の刃』と呼ばれるラルファツォルは歴戦の戦士…。
激しい剣は止む事無く襲いかかる。
がっがっ!
隙を付いて唸る豪剣を寸ででその剣を引き上げ、ぶつけ止める。
腕にびりり…!と痺れが走るがラルファツォルが、休ませてくれる筈も無い。
反撃出来るものならしてみろ!
と言わんばかりに一方的に剣を振り入れ、ディングレーは必死に振り続ける剣に自らの剣を合わせ止める。
がきっ!
こっちは歯を喰い縛ってると言うのに、剣越しのラルファツォルの嗤いは消えぬままだ。
がラルファツォルの背の向こう、幼いテテュスの背後に駆け寄る敵が視界に飛び込んだ時、とうとうディングレーはラルファツォルが頭上から力任せに振る、縦に振られた轟音唸る剣をその場を動かず一瞬で肩を思い切り左に振って避け、一歩詰め寄り様一気に
ずばっ!
と瞬速で剣を真横に、振る。
その斬り返しの早さにラルファツォルは肝を冷やしたものの、一瞬で後ろにふっ飛び、避ける。
ディングレーはちっ!と舌を鳴らす。
普通の相手なら、最悪でも掠った筈だった。
がラルファツォルはさすがに無傷。
そして、奴はうんと若輩のディングレーを睨み付け唸る。
「いい気に成るな!」
ざんっ!
斜め横から唸り来て頬を掠る剣をぎりぎりで避け、ディングレーはまた歯咬みした。
傷付いたアイリスが膝を付いたままテテュスの腕を握り、咄嗟に自分に引き寄せ後ろに引き倒し庇い、地に降ろす剣を右手で握り込み、右膝を立て、襲い来る男の腕に斬り付けるのを目にし、唇を噛む。
長い焦げ茶の髪を振り、痛みと出血に青冷めた、だが決然とした表情で、息子を奪おうとする敵にそれでも左膝を地に着けたままの姿勢で、剣を尚も振る。
ディングレーはそれを見た瞬間、覚悟を決めたように握っていた剣を下げ、ラルファツォルの豪速の刃に身を、無防備に曝した。
ラルファツォルは剣を振りながら瞬間、嗤った。
ずばっ!
真上から振り下ろされる剣を僅か後ろに肩を引き、寸でで避けるものの左肩から胸へ、掠る傷から血が一気に噴き出す。
がディングレーは痛みを抑え込んで剣を引き上げ、一気に間を詰め斬り込む。
ずばっ!
ラルファツォルは、振り下ろした剣を下げた際出来た一瞬の隙に一気に剣を叩き込まれ、咄嗟に後ろに飛び退いたものの胸に、ばっさり深い傷を負った。
ディングレーは止めを刺そうと剣を持ち上げる。
がその時ラルファツォルの背後に、アイリスが膝を付いたままテテュスを捕らえようと寄るメーダフォーテの部下に大きく剣を振り、メーダフォーテの部下は咄嗟に後ろに飛び退りアイリスの剣を避ける様子が、視界に飛び込んだ。
それを見た途端、ディングレーは駆け出していた。
ざんっ!
深手を負ったラルファツォルが横を駆け抜けて行くディングレーの背に、振り向き様剣を振り降ろす。
ざっ!
その剣はディングレーの背に届き、背に斜めに一気に斬れ込む傷口から鮮血が飛び散る。
ディングレーは一瞬仰け反り、が前屈みに足を踏み止めて耐え、そしてそのまま、振り向かず一気に駆け去る。
ラルファツォルは体の向きを変え、ディングレーの背を追おうと一歩歩を進め、が胸の傷から吹き出す血に傷口を押さえ、呻く。
「むぅ…!糞…!」
屈む身を上げ、それでも頭を上げてディングレーの背を睨む。
が、いきなり銀色の一筋の光が間近で見え、ラルファツォルは経験に従ってその心臓を狙うぞっとする短剣を、身を捻って避けた。
がっ!
右肩に喰らったものの、それでも致命傷は避けられ、ラルファツォルは左手で刺さる剣を抜き取り、血が滴るのも構わず、投げた主、シェイルを睨め付けた。
自分同様、一度短剣を握ると『死神』と恐れられるシェイルの冷たいエメラルドの瞳のその美貌を見つめ、それでも言う。
「どうした?
次を、投げろよ」
シェイルはそのピンク色の形良い、柔らかな唇を開き、つぶやく。
「これが、最後だ」
ラルファツォルは、嗤った。
「なら、俺と互角だ。
長剣でお前ごときに殺られない。
例え怪我を、負ってもな!」
シェイルは、一息付く。
背後のレイファスにそっと、触れる。
レイファスの小さな手がそれでも止めようと、シェイルの衣服の裾を握りしめ、シェイルはそっと左手を振り、背後のレイファスを自分から離す。
レイファスはそれでもきつく裾を握っていたが、そっ…と、震えながら握る手を離して、シェイルを見上げる。
彼の美貌のそのエメラルドの瞳は静かに敵を見据え、ラルファツォルは剣をぶん!と振り降ろして威嚇する。
シェイルは右に握る剣を持ち上げ、秘やかに横に、構えた。
アイリスは歯噛みした。
まだ…!
まだ剣を握り、向かって来る敵の方がマシだった。
テテュスが背後で、自分は大丈夫で、走れるから逃げられる…!
そんな風に、自分の腕から逃げ出そうと身もがく感触を感じる。
テテュスを…もう放すのは嫌だ!
だがメーダフォーテの部下は近衛の騎士達と違い、傷付き機敏に動けない自分の隙を狙い、剣を使わずテテュスを、捕らえようと右に左に身を回す。
揺さぶりをかけて手強い剣士と戦う道を避け、子供達に近付こうと隙を狙い続ける。
ハイエナのようだ…!
アイリスは押し寄せる激痛と闘いながら、きつく唇を噛んで意識を繋ぎ止める。
近付く男を、剣を振って退かす。
が、男は飛び退きながらも子供を捕らえる機を狙うのを、止めなかった。
ディングレーはアイリスの横に回ろうとした男の真横へ滑り込むと、斜めから剣を一気に振り下ろす。
ずばっ!
「ぎゃっ!」
メーダフォーテの部下は突然の襲撃に仰け反って倒れ、ディングレーは直ぐ横に振り向き、隣のゼイブンに襲いかかるノルンディルの部下騎士の横っ腹に、剣を振り入れる。
びゅっ!
「ぎゃっ!」
テテュスはアイリスの傷ついた左肩に手を添え、膝を付きながら荒い息と共に顔を歪めるアイリスを必死で支え、でも駆け付けてくれたディングレーの背に、斜め上から下に真っ直ぐ斬られた血の滴る傷を見て、泣きそうに眉を寄せる。
騎士を相手に戦うゼイブンですら、左の二の腕に衣服が切れ、布が垂れて傷口が覗き、裸の腕を伝って血が、滴り落ちていた。
ギュンターは尚も周囲から隙を狙う騎士の一人を斬り殺し、胸を狙い飛び来る矢を、一瞬身を捻り避けている。
が避けた隙に再び襲い来る敵と剣を合わせながら、飛び来る矢を、身を捻って必死でかわしてた。
ローフィスは…大きな赤毛の騎士に翻弄されるように身を左右に飛ばして大振りの剣を避け…でもとても、苦戦していた。
シェイルは銀髪の大柄な騎士に、静かに剣を構え相対して睨み合い…レイファスが泣き出したいのを必死で我慢するような瞳で震えて、シェイルを見つめている。
ディンダーデンは相変わらずあちこちに掠り傷を負っていたが、同様あちこち傷だらけの黒髪の狼のような俊敏な男を仕留めようと、豪快に剣を、振っている。
ローランデだけは足場を瞬時に変え、大きな敵に襲いかかっては相手に傷を作り続け、騎士は怒って剣をぶん回すものの、その凄まじい剣は空を裂くだけだった。
アイリスの生暖かい血が僅かに胸に伝い行くのを見、テテュスは泣き出しそうになりながらも感じた。
居る筈だった…大きな頼れる男の存在の、欠落に…。
誰も口に、したりはしない…。
だって彼も今、“死に神”と戦ってる。
彼が欲しいと…必要だとは誰も…口に出来たりはしない…!
けど……。
けどもし………!
ファントレイユがゼイブンの、衣服が破れ、血の滴る生腕を見つめ、背後からそっと言った。
「…オーガスタスが居たら…こんなに苦戦しなかった…?」
テテュスはその言葉に、弾かれたように顔を上げた。
ディングレーの出現に慌て、視線を送る敵騎士の動向を見つめながらゼイブンは、そのブルー・グレーの瞳をそうつぶやく泣き出しそうな息子に、一瞬静かに、向けただけだった。
ギュンターは襲う騎士を全て地に転がし、ローフィスの相手、フォルデモルドを見、続きシェイルがラルファツォルを相手にしてるのを見つけた。
歴戦の強者ラルファツォルの豪剣を、シェイルは手に持つ長剣で真正面で止めている。
無茶だ……!
チラ…!とローフィスを見る。奴も苦戦している。
がローフィスは瞬時にギュンターに、シェイルへと顎を振る。
ギュンターは頷く間も惜しみ駆け寄ろうと走り出す。
がっ!
咄嗟に腿に飛ぶ矢を、剣を振って叩き落とす。が直ぐ次の矢が走るその先に飛ぶ。
がっ!
それをも、叩き落とす。
ドラングルデが叫ぶ。
「シェイルの元へ助っ人に行くか?
が、まだ敵も居る!」
途端背後から剣が振り、ギュンターは身を横に捻ってそれを避け、体を後ろに咄嗟に返し様剣を振り下ろす。
ぎゃっ!
どさっ!
敵が倒れる音と共に、右肩に矢が、突き刺さる。
身を折り振り向くが、ドラングルデは栗色の巻き毛を肩の上で揺らし、笑う。
「楽しめそうだな!
俺の射程から、抜けられるものならやって見ろ!」
「そっちこそ矢が、切れないよう気を付けるんだな!」
が、ドラングルデは笑った。
「俺の心配か?
心の臓は打たないと、安心してるな?
虫の息でも、かろうじて生きてりゃノルンディルは納得するさ!」
ギュンターが激しく目を剥く。
「ぬかせ!」
途端ギュンターはぎり…!と唇を噛み、右肩の矢を引き抜く。
抜いた傷口から血が噴き出すのも構わず、抜く瞬間顔も歪めぬ金髪の美貌の男のその凄まじい気迫籠もる鋭い顔に、ドラングルデは一瞬息を飲み、ノルンディルのつぶやきをふと思い出す。
“あいつには、痛む神経が通ってない”
確かに…矢を引き抜く瞬間毎度見る、顔をしかめる様子はこの男の顔には見られない。
がギュンターは次に襲い来る男の相手を既にしていた。
ローランデを逃がしたノルンディルの部下達が、ギュンターに少しでも傷を作りその汚名を注ごうと、やっきになって斬りかかる。
ギュンターは飛び来る剣を頭上で音を立てて瞬時に止め、咄嗟に剣を引き、下から腹へと一気に突き刺し相手を殺す。
ドラングルデは再び矢を構える。
背後から襲い来る男に振り向いた途端、ギュンターの右胸に矢がどっ!と音を立て突き刺さる。
ギュンターは咄嗟に矢に手をかけ引き抜き、その間に仕留めようとぎらりと剣を上から振りかぶる男に、身を屈めて一気に間を詰め、豪快に横に薙ぎ払う。
ざっ!
ドラングルデはちっ!と舌打った。
どうやら奴は上着の下に、帷子を着けてるな…。
傷は付いても、奴の動きを止める程じゃない。
が、深く刺されば奴とて倒れる。
ドラングルデは咄嗟に次を弓に、つがえる。
男を倒し様飛び来る矢を、今度は身を屈め素早く一歩踏み込み叩き落とし、ギュンターはチラとシェイルに視線を振る。
シェイルがその大柄で逞しい敵と真正面から剣を合わせ、力比べに腕を震わせ、顔を歪めるのを見る。
が、ドラングルデは無視し通り過ぎられる敵じゃ無い。
ギュンターは咄嗟に駆け出した。
がっ!
飛び来る矢を、剣を振って叩き落としドラングルデに向かって矢のように駆ける。
が直ぐ次の矢が飛ぶ。
がっ!
それをも、叩き落とす。
ギュンターは右腿の受けた矢傷から血が伝い行くのも構わず、怒濤の如くドラングルデに向かい、走り続ける。
さながら、敵に襲いかかる俊敏な手負いの豹のようなその男の走りに、ドラングルデは内心呆れる。
右腿に付けた矢傷からは、後から後から血が腿に伝い、落ちて行くのに。
“本当に、痛む神経が無いのか…?!”
が距離を縮めつつある、その男の走りが止まらぬのを目に、慌てて次の矢を構え、放つ。
がっっっ!
歩を止める事無くギュンターは瞬時に剣を振り、向かう矢を叩き落とす。
ドラングルデの、顔が歪む。
向かい来る男は剣を振り回す限り、その正面は盾を持つのと変わりなく倒す隙は無い。
矢を次々に忙しくつがえ、構えて腿を狙う。
距離はもうたったの、一メートルも無い。
立て続けに矢を放つが、ギュンターは車輪のように剣を振り回し、全てを弾き飛ばす。
ドラングルデは剣を振りかぶり飛び来るギュンターに慌て、シェイルに視線を向け怒鳴る。
「シェイルが殺られるぞ!」
ギュンターは一瞬、足を止めるとシェイルへ振り向き視線を投げる。
どっ!
狙いは胸だったが咄嗟に身を捻るギュンターは、左脇にそれを喰らう。
矢は刺さったままなのに、ギュンターの紫の獣の瞳で激しく睨め付けられ、ドラングルデは舌打って脇の岩場に乗せていた、剣の柄を必死で探る。
が…。
距離があった筈のその男の振る、銀に光を弾く剣先が、大きく目前で弧を描く。
「ぐっ!」
避けた、筈だった。
長身のその男が飛び込み様真正面から斜め横に振る剣を。
だが左脇が熱く、斬られたと感じ、傷の深さを測る間無くベルトに挟む短剣を握り、次の襲撃を防ごうと顔を上げた。
…がその男の背は、遠ざかっていた。
止めを刺す間無く背を向けるか?
だが確かに…シェイルはラルファツォルの翻弄する剣に蹌踉めき、斬られかけていた。
ドラングルデは笑って矢を、つがえようと左手で探り掴み、瞬間激しく痛む左脇腹に思わず手を添えて屈み、べっとりと滲む血に、思い切り眉根を寄せる。
が、右手で弓を地にしっかり突き刺し固定し、顔を思い切り歪め、それでも左手で矢を、つがえ引き絞った。
がっ!
シェイルは寸でで何とかそれでも、ラルファツォルの剣を頭上で受け止めていた。
この場の男達の中でも最も小柄でなよやかな肢体のシェイルに、その大柄な騎士の剣が激しい勢いで振り下ろされる度、レイファスは気が気では無くつい、手を上げ下げし、手の平を、開いては握り、足を彷徨わせる。
が、がっ!
左、そして斜め右。
シェイルはそれでも器用にその剣に自分の剣を、ぶつけ止めてはいたが、激しい振りの、その剣の勢いに吹き飛ばされかけて両手で剣の柄を握りしめ、それでも止めきれずによろめき、ラルファツォルはそれを見るなり咄嗟に剣を引き笑みを浮かべ、再び剣を、振り上げる。
その胸からは血が滴り、斜めにばっさり斬られた傷口は抉れ血が、滴っていると言うのに…。
レイファスはどうか…!
と両手を胸の前で握り込む。
どうか騎士が痛みで…シェイルに剣を、振り降ろし損ねますように…!
と必死でそう…。
が、死に神のようなさらりと背に銀髪を流す騎士の、戦いと傷の痛みに慣れた不屈の笑みを見、心が凍り付く。
ギラリ…!と刃の切っ先が、シェイルの遙か頭上に光り、シェイルより頭二つ分は背の高い、その逞しい肩をした騎士が力一杯それをシェイル目かげて振り下ろそうとするのを目に、レイファスが絶叫する。
「シェイル!」
シェイルはそれでも顔を上げ、剣を、持ち上げようとした。
かん!
駆けながら、ギュンターは左脇腹に刺さる矢を血が迸るのも構わず引き抜き、しぶとく飛ばすドラングルデの矢を腹立ち紛れに叩き落としながら、シェイルの肩を背後から掴み後ろに引き倒し、ラルファツォルの振り下ろす剣を代わって受け止めた。
がっっっ!
「ギュン………」
びゅっ!
矢が飛び、ギュンターの踏ん張る右太腿横に、どさっ!と音を立て突き刺さる。
「…!」
ギュンターの背後に居たシェイルは咄嗟に斜め後ろに視線を振り、その先の岩場で弓を立て、引き絞った後の左手を後ろに泳がせるドラングルデの、こっちを真っ直ぐ見つめる青い瞳に気づく。
ドラングルデは思わず振り向く銀髪巻き毛のその可憐な美青年が、血濡れた凄惨な戦場の中、一輪の清々しい花のように目に映り、つい習性で笑みを浮かべ、シェイルに向かって片目つぶって見せた。
左脇腹をべっとりと血で濡らしながらのその余裕に、シェイルは一気にムカつくと、咄嗟に横に転がる自分が倒した男の喉から屈んで短剣を引き抜き、ぎょっとして見つめるドラングルデに向け、放つ。
距離があったからドラングルデは慌てて身を屈め、間に合ったと思った瞬間、左胸に短剣がどさっ!と音を立てて突き刺さり、ギラリと刃を光らせるのを、見た。
「動きを、読まないとでも思ったか?」
シェイルの冷たい声に、ドラングルデは手を持ち上げかけては上げきれずに降ろし、が歯を喰い縛って痛みを抑え込み腕を持ち上げ、左胸に突き刺さる短剣を、息を止めて一気に引き抜いた。
レイファスはあまりの見事さに、ついさっきの悲壮感を忘れて思わずシェイルに、拍手を送りたくなった。
が、シェイルは静かに言い放つ。
「引き抜くと言う事は、今度は喉か、それとも左胸(心臓)のもっと深くに、短剣を喰らうつもりだと言う事だ」
『持って、無い癖に…!』
ドラングルデは歪む顔を上げるが、シェイルのその手にはとっくに、別の男の喉から引き抜いた、血のべっとり付いた短剣が握られていた。
「…たったの一本か?!」
ドラングルデの言葉に、シェイルはようやく笑う。
「不十分かどうか、その身で試すか?!」
ドラングルデは自分同様、凄腕の短剣使いと呼ばれる可憐な美青年の、その余裕に額に汗を滴らせ、唇を噛んで呻いた。
ギュンターはラルファツォルを、見た。
胸の肩口から胸にかけて斜めに長く伸びた刀傷は真ん中が深く抉れて肉が覗き、血が滴り続けている。
ディングレーの、付けた傷か。
が、自分も右腿に矢が刺さったままで動く度痛むが、抜いてる間が無い。
がっ!がっ!がっ!
縦、右真横。そして左斜め上。
激しく降りかかる剣を息付く間無く受け止めるが、ラルファツォルは完全に頭に血が上り、その剣は止む様子を見せない。
瞬間憤る奴の顔の上に、ある様が思い浮かぶ。
可憐な美貌のシェイルに一降り剣を入れ、崩れ落ちるシェイルを腕に抱き止め咆吼を上げる。
『剣を、止めろ!
この男に止めを刺されたくなければ!』
…俺達はそれを聞かざるを得ず、一斉に目前の敵へ振る剣を止め…奴らの勝利が決まる。
その様が目に浮かび、ギュンターの顔が思わず綻ぶ。
がラルファツォルはそれを邪魔したギュンターに、激しい怒りと共にその自在の剣を豪速で振り続けた。
がっ!
思い切り振り入れるその剣は早く凄まじく、咄嗟に剣を合わせ受け止めるもののびりびりと腕から全身に痺れが伝い、その都度負ったあちこちの矢傷がずきり…!と息を吹き返したように鋭く痛み、血が、伝い行く。
奴もシェイルとは違い、確かな手応えで止める相手にその振る剣の、凄まじさを増す。
が、それを止める度、派手に痛み出すあちこちの矢傷にギュンターはぎり…!と、奥歯を噛み合わせる。
付き合ってるだけの余裕が、今自分には無い…!
ギュンターは仕方成しに息を止めると、合わせた剣に火花が散りそうな勢いの剣を剣でがっし!と受け止め、ラルファツォルが次の剣を繰り出そう降り被ったその瞬間、腿に矢の刺さったままの右足を一気に引き上げ、真正面ラルファツォルの腹を思い切り蹴り倒した。
がっっっっ!
ラルファツォルはまさか、と思ったガラ空きの腹に矢が腿に刺さったままの足を叩き込まれ、後ろに吹っ飛んで転がり、咄嗟に左腕を地に付け起き上がろうとした瞬間、襲いかかる豹のように素早いギュンターの振り下ろす剣が銀の弧を描くのを目にし、右肩口にばっさりと、熱い痛みを感じ剣を手放す。
からん…!
目前のギュンターは剣を振り切って降ろし、踏ん張る右腿の矢の刺さったままの傷口から、血が次々に足先へと伝い行く。
「…馬鹿が……!
痛む神経が、無いな!」
「五月蠅い!」
どっ!
ギュンターが再び剣を振り上げ、その胸に振り下ろす。
手放した、剣を再び探る間すら、無かった。
ばっ!
胸に負った傷の上に更に傷を負わされ、血が一気に飛び散りラルファツォルは銀の髪を血に染めて一瞬仰け反り、そして痛みに体を、震わせながら前折りにした。
瞬間気づく。首を、奴に曝している。
止めを刺される…!
地に落ちた剣の柄を探り咄嗟に身構えるが剣は、振って来ない。
ふ…と顔を上げるとギュンターが、荒い息で自分を、その紫に光る野獣の瞳で睨め付けていた。
「…今頃傷が、痛んだか?」
呻くように聞くが、ギュンターは吐き捨てるように言った。
「今お前を殺すと、厄介だからな…!
中央護衛連隊長に成ったら、いつでも喧嘩を買ってやる…!」
ラルファツォルの顔が、冷笑に歪む。
探る指先に、剣の握りが触る。
「成れたら、お慰みだ!
お前のような下賎な身分の男が!
相応しいと、思うだけでも図々しいぞ!」
ギュンターは頷くと、剣を下げたままいきなりそう言い捨てる男にずかずか寄って行く。
ラルファツォルはギュンターが剣を、振り上げる気配を見張り続けていたがその男の剣は上がる様子無く、距離だけが縮まって行く。
ギュンターが左拳を振り上げた瞬間、ラルファツォルは驚愕に目を見開いた。
握り込んだ剣を、引き上げる間も無くギュンターはラルファツォルの顎を、有無を言わせず左の拳で思い切り殴りつける。
がつん!
「…俺でもそう、思うぜ」
が、返事無く、見るとラルファツォルは気絶し、地に転がっていた。
ドラングルデはシェイルの動向をじっ…と覗う。
距離がある。
だから短剣で致命傷を負わせるのは不利だ。
が…矢をつがえ引き絞ってる間にシェイルはたったの一振りで、自分の喉を突くだろう…。
掠ったとしても、喉を切られればマズイ。
ラルファツォルが、ギュンターに殴られ地に転がるのがシェイルの背後に見えた。
奴でもギュンターを仕留められないか…。
が………。
シェイルの手が、ぴくり…!と動いた瞬間、ドラングルデはその青の瞳をきらりと光らせ叫ぶ。
「ギュンターが倒れるぞ!」
シェイルはその振り出そうとした短剣を瞬時に止め、背後に振り向く。
レイファスは気が気で無く、シェイルに代わってドラングルデの様子を伺った。
ラルファツォルを殴り倒したものの、その前に立つギュンターは前に身を折り、金髪にすっかり顔を埋め、上げない。
痛みに耐え、右腿の横に刺さったままの矢に手を、掛ける。
そして身を折ったまま、青味を帯びた金の髪を揺らし一気に、引き抜く。
びっ…!
抜いた途端、迸るように小さな傷口から、血が吹き出して膝を伝う…。
そしてぐらり…!とその長身を横に揺らす。
が、レイファスはドラングルデがその隙に弓に矢をつがえるのを見、叫ぶ。
「シェイル!」
シェイルは振り向き様咄嗟にびゅっ!と短剣を投げ、直ぐ背を向けて横に倒れ行くギュンターの体に、身をぶつけ入れて止め、その肩を両腕で支えた。
レイファスは真っ直ぐ一直線に走る短剣が、ドラングルデが弓を引き絞る間に襲いかかるのを見た。
ドラングルデはその早さに目を見開き、咄嗟に引き絞る左手を放し下げたが間に合わず、左肩にどっ!と短剣が音を立て刺さり、途端ドラングルデは激しい痛みに顔を歪め、弓を手放し左肩を押さえ身を屈める。
からん…!
弓が岩の上に音を立て、落ちた。
レイファスはその鮮やかな栗毛を振って、今だ前屈みに身を折りその金髪に顔を隠したままの、ギュンターの大きな体をシェイルが蹌踉めきながらも必死で支えるのを見、そして再び髪を散らして振り向き、ドラングルデの様子に目を移す。
ドラングルデは一気に、左肩に刺さった短剣を引き抜き、が…その左腕はたらり…と下がったまま、上がる様子が無い。
両腕使わなければ、弓は引き絞れない…!
あんまりシェイルが鮮やかで、ついレイファスはギュンターを支えるシェイルの元へと駆け寄り、叫ぶ。
「ドラングルデはもう矢を、つがえられない…!」
シェイルはギュンターの体を支えながらチラ…!と視線をドラングルデに向ける。
布の端を歯で噛み止め、上がらぬ左肩の傷の横にもう片端を巻き付けて引き、止血を始めていた。
「当分はな…」
でも…!レイファスは言いたかった。
「シェイルは凄い!」
シェイルはだが、頷くと言った。
「いいから、自分の周囲に気を配れ。
ギュンターは暫く動けない」
そっ…と、レイファスはシェイルが支えてる大きなギュンターの、身を前に折った体のあちこちの矢傷から、血が伝い衣服を赤く染める様を見る。
丸で血の気が引いたように、いつも艶やかな金の髪が青味を帯びて見える。
その金髪に顔を埋めたまま、上げないギュンターにレイファスは不安に成って、小声でささやく。
「…凄く、重傷?」
シェイルは一つ、吐息を吐いた。
「もっと重傷の時も、歩いて帰って来た男だ。
けど…少しは休ませないと」
レイファスは不安をごくり…!と飲み込み、シェイルにこっくり頷き、視線を周囲に、油断無く向けた。
ゼイブンは駆け付けたディングレーが自分に背を合わせ、傷付いたアイリスと子供達を狙う敵を次々に斬り殺して行くのを、背後に感じる。
いつも憎らしい程風格ある逞しい筋肉に被われた上背が、今や空気を隔てた秘やかな温もりの、頼もしさに代わる。
が目前の敵はしつこく、足蹴りを警戒して間を取り、がつん!がつん!と力任せに剣を振り下ろして来る。
気を抜くと途端、敵騎士は右斜め後ろのアイリスの傍らに居るファントレイユの元へと、滑り込もうと機を窺う。
賊共とは違う、その戦い慣れた隙無い騎士は、剣を幾度も左に振り降ろし、巧妙にゼイブンをファントレイユを庇う位置から引き離そうと、左へ左へと誘い込む。
ゼイブンは気が気で無く、振り下ろされる剣をわざわざ右へ体を回し込んで受け、右をガラ空きにしないよう騎士をその身で、牽制し続けた。
もうとっくに右腕は痺れ、左腕からは血が、滴り続けて止まらない。
糞…!
内心呻く。
敵騎士はゼイブンが右を詰めるのを目に、今度は自分が左へ身を進め、ゼイブンとディングレーとの開いた真ん中を抜けようと狙いすます。
が、敵騎士が思いきり剣を振り上げた瞬間、ディングレーが咄嗟に黒髪を靡かせ真横に飛び込む敵騎士に振り向き様ずばっ!とその剣を、長身から一気に振り降ろす。
「ぐっ!」
騎士は避ける間も無く右肩から背にかけて深い傷を負い、蹌踉めき目前に居るゼイブンへと、その身を投げかけようとした。
深手を負った騎士が、自分に覆い被さろうとするのを目にゼイブンは咄嗟に後ろに、身を下げる。
どんっ!
男はもんどり打って地に倒れ、俯せて手を傷付いた背後に回そうと、腕を後ろに折り曲げながらも痙攣する。
ゼイブンは荒い息で血の滴る左腕の傷を押さえ、顔を上げた。
目前にディングレーが、左肩から胸に一直線に付いた傷口から血を滴らせ、こちらをその深い青の瞳で見つめ、艶やかな黒い乱れ髪を上下する肩に垂らし、荒い息を吐いていた。
ゼイブンはその頼もしい男の姿を真正面で見た途端、いきなり全身から力が抜け、地に両膝同時に付き、思わず荒い息と共に崩れ落ちて頭を、下げる。
ディングレーはゼイブンの腕の傷を見て素早く胸元から布を取り出すと、咄嗟に屈んで肩の下で縛り上げる。
「…良く、頑張ったな。
少し、休んでろ」
顔を揺らし上げると、その青の瞳に労りが滲み、ゼイブンは屈むその男の胸元の抉れた傷口から滴る血が、衣服を濡らし伝い行くのに視線を落とし、そっとささやく。
「…あんたの止血は?」
「お前程傷は深く無い」
言った途端ディングレーは、脇腹を掴む小さな手の感触に一瞬身を揺らす。
見るとファントレイユが、もうその淡いブルー・グレーの瞳に涙を溢れさせ見上げていて、ディングレーはふっ。と笑うとその頭に手を置き、そっと揺らして言った。
「ゼイブンの、横に居ろ」
ファントレイユがそれでも自分を見つめるので、ディングレーは視線をそのままにする。
ファントレイユは泣きじゃくりながら、か細い声でつぶやく。
「背中も、血がいっぱい出てる」
ああ…。
ディングレーは軽く背後を振り向き、だが吐息を吐き、ささやく。
「深く無いから、大丈夫だ」
そう言うとようやく、ファントレイユは涙を頬に伝わせ、こっくり。と頷いて地べたに腰を降ろすゼイブンの横に、座った。
だがディングレーは咄嗟に振り向くと、背後から振り下ろされる剣を、がっし!とその剣で止め、押し合う。
ファントレイユの目に、背を向けるディングレーの斜めに細く、長く伸びる傷口から血が次々に伝い落ちるのが映り、その息付く間も無い戦いを、声も無く見守った。
テテュスはアイリスが、ゼイブンの動向を見守り、敵が走り来ようとする度脇に置いた剣の柄を握り込むのを目に、必死で衣服を掴み、押し止める。
「お願いだ…!
お願い、アイリスもう…動かないで…!」
アイリスはふ…と視線を、涙を頬に伝わせるテテュスに向ける。気づくと自分の胸はべっとり血で染まっている。
きっと…たくさんの血が流れ、自分の顔色は真っ青なんだな…。
アイリスはそう気づき、努めて優しく、テテュスに微笑む。
「大丈夫だから………。
もっとひどい怪我の時も、走ってた」
テテュスはひっく。と涙を止める。
「…本当に?」
アイリスは微かに頷くとささやく。
「…怖いのは…気が緩んだ時だ。
一気に…押し寄せるから。
けど君の側に敵がいる限り、私の気は緩んだりしないから………」
テテュスはじっ…。とそうささやく青い顔の、端正な顔立ちの上にやつれた…けれど優しい微笑を湛えるアイリスを見つめた。
そしてアイリスの右肩に、その小さな顔を埋める。
「絶対…逝っちゃ嫌だ…!
絶対嫌だ………!」
アイリスはそれでも敵の気配に気を配りながら、右手に握る剣をそっ、と手放し、テテュスの背を抱く。
その温もりと小さな体が自分にしがみついて泣きじゃくるのを感じ、アイリスの瞳にうっすら…と涙が滲む。
「大好きだ…テテュス。
君が無事で居る為なら、私は最後迄戦うから………」
だが、テテュスの背の向こうで腰を降ろしたゼイブンが、荒い息を飲み込み、怒鳴る。
「後は俺達に任せとけ!
テテュスをもうそれ以上、泣かせるな!」
ぶっきらぼうなその言葉に、アイリスは顔を上げる。
ゼイブンの額は汗で髪が張り付き、その顔色には疲労が滲み、が、そのブルー・グレーの瞳が真っ直ぐ自分を見据えてる。
そして口を開く。
「…ひどい有様だ。
色男が台無しだ」
テテュスの背を抱くアイリスは息子が心配して当然な程の血を流し、髪にも頬にも血がべっとりと張り付きその顔色は真っ青で、いつ気絶してもおかしくない程、消耗して見えた。
普段圧倒的な存在感を誇る彼が小さく弱々しく見え、ゼイブンですら不安に成る程だ。
が、アイリスはその言葉に笑った。
…その、真っ青で死人のように血の気の引いた美男の笑いに、ゼイブンはムキに成り怒鳴る。
「…何だ!」
「…その言葉をそっくりそのまま、君に返すよ」
テテュスも、ファントレイユもがそう言うアイリスを呆けたように見つめ、ゼイブンは途端顔を背け、唸った。
「…心配して損したぜ…!
こんな時すら、可愛げが無いな!」
アイリスは異論を唱えた。
「可愛げがあると君は、心配するだろう?」
ゼイブンは心を見抜かれたように苦虫噛みつぶし、唸った。
「………まぁな」
アイリスはやっぱりくすくす笑い、テテュスを少し、ほっとさせた。