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9 『闇の第二』王子

やっと、ムアール、ドロレス、エイリル、ウェラハスが上がりました。


ぜーはー。

挿絵(By みてみん)

 ムアールは闇の回路に入った途端、眉をしかめる。

幾つもの、入り口がモグラの巣のように洞窟の中に伸び、その先へと足を踏み入れた途端、輝くばかりの草原。白い瀟洒な建物。そして…。

その豊満で見事な肢体を薄衣に纏う美女は笑った。

「…あら………」

ムアールは口の端を上げて微笑む。

「ミレディス…」

名を呼ばれた妖艶の王女は片眉を吊り上げると、白っぽいくねる金髪と緑の瞳の長身の、素晴らしい容貌の騎士に視線を送り、つぶやく。

「…久しぶりの『光の王』の末裔じゃないの。

私と…遊びに来たの?」

「闇の国に今すぐ帰るんなら、見逃してやる。

それとも…戦って溜め込んだ“障気”を全部、無に帰すか?」

ミレディスは妖艶に微笑む。

「あら…別の方法も、あるわよ…?

神聖騎士って、遊ぶ機会がそれは、少ないんでしょう?」

彼女を取り巻く五人の美女達は、王女のその言葉に一斉にくすくすと笑う。

ムアールは素っ気なく言った。

「…戦いたいようだな…」

ミレディスの眉が陰り、その瞳に映る素晴らしい容姿の美しい男は、特級の獲物から敵にすり代わった。

「お前達!

構わないからそのまま、あいつの生気を一滴残らず搾り取っておやり!」

彼女が叫ぶなり、取り巻く五人の美女は一気に真っ黒な化け物と化し、その口を大きく開け、周囲の空気を吸い込むようにムアールから、そのまとわりつく“気"を吸い取り始める。

瞬間、ムアールはかっ!と白く光り、吸い込み始めた五人の女達は真っ白な光を吸い込み、喉や胸や、腹を押さえて苦しがった。

「…後でいくらでも力を戻して上げるから、もっと!

もっと吸い込んでおやり!

いつ迄保つか、試してやろうじゃないの!」

侍女達はその言葉に、ムアールの纏う光に咽せながらそれでも口を開け、再び吸い込み始める。

ムアールは瞬間、肩を落とし腰のベルトに手をやり、咄嗟に短剣を投げ付ける。

その真っ白な光の塊は侍女の一人の腹を突き刺すと、女は

ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!

と叫び、黒い風船が萎んでいくように小さく萎み…そして、掻き消えた。

ミレディスはそれを目を見開いて見つめ、ムアールを睨み付け叫ぶ。

「何てことするの!」

ムアールは彼女の睨みにも動ずる様子無く、静かにささやく。

「戦うと決めたのは、そっちだろう?

容赦されると期待したなら、お門違いだ。

それとも以前会った神聖騎士はお前にもう少し、優しかったのか?」

ミレディスの眉が思い切り寄った。

「神聖騎士なんてここ数世紀お目にかかってないわ!」

「…なら神聖神殿隊か…相手は。

彼らはお前に大層、優しかったようだな?」

ミレディスは、歯噛みした。

「…仲間の、言う通りだわ!

あんた達神聖騎士なんて!

堅物でとても、食べられたもんじゃない!」

「生憎、捨て台詞を聞いてる間は無いんだ。

お前がこの当たりの空間にぼこぼこに開けた、穴の修理が大変だからな。

残り四人も失いたいなら、勝手にしろ!」

ミレディスが激しく、ムアールを睨め付ける。

が、さっ!とムアールの手が動くと叫んだ。

「待って!引くわ!」

「とっとと消えろ!」

ミレディスが侍女達に顔を振り、彼女達は一斉にその姿をどんどん消して行く。

朧に透け行くその体を見つめ、ムアールは怒鳴った。

「引き際が、汚いぞ!」

そう…叫んだ途端影は怯えるように一気に、掻き消えた。

輝く草原も建物も一瞬で消え、ムアールは残った空間の歪みに、幾つもの穴が開いているのを見つめ、やれやれ。と吐息を吐いた。



挿絵(By みてみん)

「また…お前か………」

ドロレスが唸る。

「それは、こっちの台詞よ。

折角罠を仕掛けたばかりなのに…!

最初にかかったのが、お前だなんて!」

その、真っ赤に燃える灼熱の溶岩の中、女は真っ赤な炎の髪を揺らめかせ、真っ黒な顔に不気味な黄色の瞳を現れた神聖騎士に向ける。

どろどろと…溶岩がドロレスの足元へ流れ出し、周囲は燃えさかる炎で覆われ、人間が誤ってここに踏み込んだりしたら、護符を付けていない限り一瞬で、燃え尽きたろう………。

灼熱の闇の炎で焼かれる苦しみにもがきながら………。

「本当に私が初の獲物か?」

聞かれて、女は憮然。と腕組んだ。

その燃え上がる炎の髪の真っ黒な体に、炎の衣服を纏った女はつん!と顔を上げると、朱っぽい跳ねた白金の長髪を炎の中靡かせ、真っ青の瞳を向ける素晴らしい容貌の神聖騎士から顔を背け、そっぽ向く。

「サランディラ……」

女はかっ!と黄色に黒の縦筋の入った瞳を見開くと、怒鳴った。

「いくら見知りでも、敬称は必要よ!」

ドロレスは苦笑し、体を少し前へと屈め、右手を優雅に胸元へと振りささやく。

「炎の女王サランディラ。

これでいいのか?」

「結構よ!言いたい事は解るわ!

以前、たっぷり聞いたものね!

私に闇の国で大人しくしてろ。と言う気でしょう?」

「“影”も飛ばすな」

ドロレスの目前の、女王の“影”は怒鳴った。

「食事を、するなと?!」

「“闇抜き”をし、『光の一族』に戻ればいい」

「簡単に言わないで!

『光の一族』に戻った途端、体も存在も消え失せるわ!

私を一体、何歳だと思ってるの?

あんたなんか、小僧っ子ですら無い!」

「それだけ生きても、まだ死にたくないのか?」

「そうよ…!

“狩り”は最高に楽しいわ…!

人間が燃やされて苦しむ姿とその叫び…!

幾度聞いて癒される……!

その楽しみがあるのにどうして…死ねるのよ!」

ドロレスは、付き合いきれない。と言うように女王に言った。

「よっぽど心満たされる幸せとは無縁だったようだな。

俺より年上だと威張っても、中身がそれじゃな。

年上だと言いながら、俺に少しでも年上らしく教授出来る、事すら無いのに生汚く命を惜しむのか…?

それともここで決着を付けるか?

俺も哀れなお前をこれ以上見なくて済む」

「お前に哀れまれる程、情けなく無いわ!」

ドロレスは悲しげに眉を寄せた。

「…自分の姿を…見た事が無いのか?

お前は長生きだとぬかすが…それ程変形し…醜く変貌した闇の女に俺は、会った事が無い………」

女王はむっとした。

「この姿は…闇の世界じゃ皆が最高に美しいと崇め、そして私の力に恐れ、ひれ伏すのよ!」

ドロレスは、頷く。

「とびきり…醜いものな…。

幾人もの人間を苦しめ…歪め、葬り去ったに相応しい…とても、醜い姿だ…」

女王は“醜い”と連発するドロレスに、激しく眉を寄せる。

「…あんたは、嫌いよ!」

「知ってる。あんたに“闇抜き”を勧める小僧だからな」

だが女王は腕組みし、尊大に顎を上げる。

「そろそろ…あんたの方がこの炎に限界じゃないの…?

末裔で、『光の王』じゃない…。

光の力に限界が、あるんでしょう?」

ドロレスは頷く。

「だからいつも説得に失敗する。

どうする?帰るか?

それとも俺がここで、思い切り暴れていいのか?」

女王は咄嗟に組んだ腕を振り解くと、突然その体が透け始めた。

と、共に周囲の炎が暗く、陰って消えて行く。

『…あんたと戦うのは、二度とごめんよ!

年上の女に容赦もしない!』

ドロレスはくすり。と笑った。

「光の氷山に、余程懲りたようだな」

『乱暴者!常識外れ!『光の王』の方がまだもう少し、礼儀正しいわ!』

「“王”ならお前に断りも無く真っ白い光をぶつけ、強引に“闇抜き”にかかるものな!」

『…氷山をぶつけるだなんて!しもやけに成ったのよ!

あんたのお陰で私の自慢の黒い肌が、白黒斑に成ったわ!

恥をかかせて!

これだから、小僧っ子は嫌いよ!』

ドロレスは周囲の炎と共に消えて行く炎の女王の雄叫びを聞き、その後に残された空間が巨大な空洞に成っているのに、吐息を吐いた。

「よくこれだけ、広げたものだぜ………」




挿絵(By みてみん)

 ウェラハスはそっと言った。

傀儡(くぐつ)の凶王」

『神聖騎士か…………』

が、言った途端、空間がびりびり…!と震える。

『お前…さっきの奴らより格上だな…?

光の量が………』

「私にもっと発光されたく無ければ、直ぐにこの空間から撤退しろ。

見た所に寄るとまるで蜘蛛の巣のように随分、罠を張り巡らしたものだ。

が…甲斐が、あったようだな?」

無数にある洞窟内からの入り口に、ウェラハスは首をすくめ、周囲を取り巻く腐りかけた死体が寄り来るのを見つめる。

だが凶王からの返答が無く、ウェラハスは一瞬で空間が真っ白になる程の光をその身から発する。

ぐ…うぅぅぅぅぅぅぅおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!

地鳴りのような音と共に足元がぐらつき、腐りかけた無数の死体は全て地へと転がり、捕らわれた死人の魂は白い光と成って瞬時に天へ、飛び去って行く。

『なんて…何て事を!』

「まだ手持ちが、居るようだ…。

別の罠の中に………」

ウェラハスがその空間から別の空間へと続く幾つもの細い通路へと白い光を瞬時に四方向に飛ばす。

途端、空間そのものの凶王の、その力の源、捕らえた死人の魂が、ウェラハスの放つ白い光に死した体を被われ、次々と白い光と成って天へと登り行き、凶王は力を失う。

ぐわぁう!ぐわぁぁぁぁぁぁう!

空間が、激しく揺れる。

ウェラハスは透ける真っ青な瞳を真っ直ぐ向けるとつぶやく。

「安らぎの筈の死を、苦痛の奴隷とするおぞましい化け物…!

かつての同族だと、到底思えぬ。

私にその力があったなら…お前こそを無に、帰してやれるのに…!」

がががががががかっっっっっっつ!

空間はがたがたと歯の根を合わせるような音を立てる。

「…せめて影だけでも…この世界から、消えるがいい…!

力を失い、闇の民の誰かに飲まれるがいい!」

ぎゃわあぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!

『………飲まれる程、愚かで無いわ!

覚えておれ!

わしが凶王と名乗るだけの闇の勢力だと!

思い知る日がきっと来る…!

いつか…いつか必ずお前に報復してやる………!』

ウェラハスはその長い白金の髪を揺れる空間の中靡かせ、その浮かぶような青の瞳を向けると微笑む。

「次にお前に出会うのは、私で無く『光の王』だ。

その時きっとお前は私を懐かしむ。

せめて相手が私であったなら少しはマシと………。

消えて行きながら思うだろう」

『ぬかせ!ぬかせ!

闇の民は不滅だ!』

どぎゅ…!ぎゃ…!どごおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!

凄まじい音を立てて空間は崩れていき、ウェラハスは光の結界を自分の身の周囲に張り巡らせて巻き込まれるのを、防ぐ。

暫く、轟音と地鳴りは続きようやく…周囲は静かに成りそしてその後、激しく幾重にも亀裂の入った空間を、ウェラハスは見つけた。

『ミューステール…すまない。

まだ力を送れるか…?』

回路の通じている彼らの輪の中心で皆に光の力を送っているミューステールは『西の聖地』の『光の間』に身を置きながら、遠く離れた洞窟内のウェラハスへとささやき返す。

『私の容積一杯に光で満たしていますからまだ…かなりの力を送れます。けれど…どうかくれぐれも、無茶はしないで下さい』

『貴方が大丈夫なら…私達はどれだけでも戦える』

『いいえ…!私より貴方方です…。

幾ら私が力を送っても…もし闇に飲まれれば貴方方を失う事に成る…!』

『侮りはしない。が貴方の忠告はしかと受け止めよう』

『そうして下さい…。

私はまだ、大丈夫ですから…』

『貴方の方こそ、決して無理はなさらないで下さい。

貴方を失えば我々は力を無くす』

『それは十分承知です』

『くれぐれも…』

『貴方も』

ウェラハスの体に瞬間光満ち、彼はそっと周囲を見回すと、歪んだ亀裂の一つ一つに光を飛ばし、空間の歪みの修復を始めた。



挿絵(By みてみん)

 エイリルは眉間を寄せた。

どれだけの闇の、結界だろう…。

こんな巨大で厚い“障気”は、初めて目にする。

敵は一体誰なのか、戦いの経験の浅い彼には、見当も付かなかった。

が、相当な大物である事だけは、解った。

罠にこれだけの闇の結界を張れる者は、『影の民』とは言え早々居ない。

結界内に入った途端、その重圧に、押し潰されそうになりながらも周囲にありったけの“気"を込め、光の結界で自らを包む。

が、“気"を抜けば途端、闇の力に飲まれそうだ…!

どうする…?

ドロレスか、ムアールを呼ぶか…?

自分一人で、処し切れはしない事が徐々に、解り始める。

中央に巨大な亀裂を見つけ、それが四方八方に伸びて別の細かな亀裂へと繋がり、空間を複雑にねじ曲げ、そしてその先に幾つもの出口を見つける。

皆、出た先の場所の生き物…もしくは人間は“障気”に侵され、やって来た獲物を襲おうと待ち構えている。

“一体…どうしたらこれを…元に戻せるんだ?”

途方に暮れた途端、一瞬光の結界が陰り、隙を付いて周囲を取り巻く闇の“障気”が光の結界内に潜り込み、まとわりついて来る…!

体を這い、心に流れ込む。

針で刺されたような痛みに顔をしかめ、必死で“気"を取り戻して発光し“障気”を飛ばし払った。

ちくちくちく…。と胸が痛む。

それが何かを考えぬまま、エイリルは膨大な闇の結界内で、ありったけの気力を込めて発光し、光の力で吹き飛ばそうとした。

『馬鹿かお前は…!

こんな濃い闇の“障気”の中で、力を使い果たし、敵に(みずか)らを明け渡す気か?!』

ムアールが瞬時に隣に、飛び来る。

『思い切り発光して、全て飛ばせなきゃ後がどうなるか、考えもしない愚か者か?!』

ドロレスの、冷静な声がし、暫くしてそのドロレスも横に姿を現す。

『…っ!じゃ、どうすりゃいいんだ?!』

途端、ウェラハスの冷静な声音が響く。

『恥じずに仲間を呼ぶ事だ。

遠慮など無用』

ウェラハスが、透けてその体を目前に現す。

『そっちはまだ…終わってないようだ』

ドロレスの言葉にウェラハスは頷く。

『君達の、後圧しくらいは手伝える』

ムアールは頷くと横のエイリルを見つめ、つぶやく。

『いいぞ…!お前のしたかった事を始めろ!』

ドロレスももう反対側の隣で言った。

『援護してやるから』

途端、ウェラハスの言葉が響く。

『援護する。と言うべきだ。

エイリルは『恩に着せられる』と敬遠するから』

ドロレスは肩をすくめる。

『余程俺に先輩面されるのが、気にくわないんだな?』

ムアールもぼやく。

『確かにあんまり可愛らしい性格はしていない』

ウェラハスは頷く。

『この間迄君が面倒見ていたラロッツァルと、一緒にするな』

ドロレスは俯く。

『あいつは扱いやすかった。だからさっさと独り立ちしちまったのかな?』

エイリルは怒鳴った。

『どうせ俺は、可愛くない!』

途端、また周囲を取り巻く“障気”が、エイリルの周りを覆う光の結界の隙を付いて入り込み、細い渦と成って黒い蛇のように体を這い登る。

ムアールから瞬時にエイリルに光が放たれ、エイリルの光の結界は真っ白に発光し、黒い渦の“障気”は一瞬で掻き消えた。

『…こんな…闇の結界は初めてだ…』

エイリルは“障気”の這った後が熱く痛むのに眉間を寄せる。

ドロレスがささやく。

『お前は経験が浅い…。

これは相当な大物の結界だ』

ムアールも頷く。

『一人で戦おう等と、考えるな…!

侮ると力を使い果たし、“障気”に侵され、闇に下る羽目に成る…!

我々にお前を敵に回し、戦わせたいのか?』

エイリルはそう言う、両側の先輩達を見つめた。

『やれ…!』

ドロレスが言い、ムアールからもドロレスからも、真っ白な光の援護が送られてエイリルは瞬間、ありったけの“気"を込め、自ら発光した。

膨大な闇の結界が震え、揺らぎ、掻き回されて白い光が神聖騎士三人を中心に渦巻き始め、その分厚い結界を突き、破ろうと大きな渦と成って渦巻き始める。

渦は闇の“障気”を蹴散らし、吹き飛ばし…その存在を跡形無く消し去ろうともうもうと風を巻き起こして更に大きな、真っ白な光の渦と成る…。

が………。

『駄目だまだ…………』

周囲に散った闇の“障気”が消えず、光の渦が収まるのを待つかのように、その隅に留まり在るのを感じ、エイリルが呻く。

途端、目前に実体を現したウェラハスが、向かい合うエイリルににっこりと微笑を送る。

瞬時にその強く、濃厚な光の力が体に満ちるのをエイリルは感じ、ありったけの“気"を込め再び、光の渦を飛ばし始めた。

『今度は行ける…!』

微かに…ムアールがささやく。

『ウェラハスの力を借りれば大抵の事は上手く行く…!』

エイリルは、頷いた。

大きいだけで無く、類い希な程、安定している。

一度ダンザインと共に彼の力を借りた事があったがダンザインはウェラハスの大きさと安定に更に…崇高さが上乗せされ…“障気”が人間の苦しみへと戻り行き、更にそれが浄化され、捕らわれた人間の魂が痛みを忘れ救われていくのを見た時、感激したものだ………。

その器が大きければ大きい程…救う力も大きくなる……。

この“障気”とて元は人間の、心の痛みや苦しみで…。

払い飛ばすだけでは、十分で無いのだと…その時、思い知らされた。

『うぉう!』

ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!

光の巨大な渦が激しく周囲を取り巻き、神聖騎士達の衣服を叩く程の風を巻き起こし、“障気”を凄まじい勢いで吹き飛ばして行く。

『荒技が得意だな…』

ドロレスの声がし、ウェラハスが微笑む。

『君に、似ている。だから多分、反発するのかもしれない…。

ムアール。君の初めの頃にもだ』

ムアールとドロレスが、エイリルの両脇で肩と首をすくめる。

『乱暴者同士で気が合うと?』

ウェラハスは穏やかに言った。

『だが彼の気持ちは理解出来るだろう?』

ドロレスと、ムアールがやっぱり肩をすくめるてるな。とエイリルは思ったが、構わず更なる光の渦で、その膨大な闇の結界を吹き飛ばす。

がががががががががか…………っ!

周囲が揺らぎ始める。

ぅおぅぅおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…!

地鳴りのような雄叫びと共に、破鐘のような声がどすを利かせて響き渡る。

『よくも…!我の結界を………!

小賢しい末裔共め!』

周囲が激しく揺れる。

『…崩れ始めたな………』

ムアールが呻く。

『…後少し…粘れるか?エイリル。

今引くと、奴は手持ちの“障気”を持ち出して、たちまち結界を修復してしまう…!』

『おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!』

エイリルは残った気力でありったけの力を、ぶつける。

光の渦は更に、大きさとその激しさを増して闇の結界を跡形もなく吹き飛ばそうと風と光を撒き散らす。

『おのれ!…全て…消し去る気か?!』

中心の歪みはゆっくり光の力に飲まれ、ひび割れは少しずつ、消えて行く。

『…あれ程理想の歪みが………!

させるか!』

“障気”が渦の隅から中央の神聖騎士達に向かい、大きな黒い蛇のようにうねり飛び、四方から襲い来る。

が…ウェラハスが這い飛ぶその黒い“障気”の触手に向け、瞬時に体から真白い光を四方に飛ばす。

『ぅぎゃぁっ!』

その声と共に這い来る黒い蛇達は、光に飲まれて消え失せた。

ドロレスが叫ぶ。

『亀裂が、閉じるぞ!』

大きく崩れ、割れた空間がゆっくりと、白い光に包まれ合わさって行く。

ウェラハスが叫ぶ。

『閉じた瞬間、飛べ!』

ムアールがエイリルに念押しするように叫ぶ。

『遅れるな!』

エイリルは頷くとありったけの力でねじ曲がった歪みを、引き寄せた。

ごごごごごごごごごごごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!

凄まじい風の中、歪みが光に包まれ消えて行く。

『今だ…!

出るぞ!』

ウェラハスの叫びに、神聖騎士達はその闇の結界が巣喰った空間から、一斉に飛び出した。

ほんの…一瞬だった。

エイリルはドロレスらと一緒に飛ぼうとしたその時、隙を付いて入って来た“障気”の這った後が、ずきん!と痛み、その行為を止める。

が空間は、閉じようとしていた。

皆はもうとっくに飛び去っていた。

『糞………!』

その時閉じようとした空間の中、しゃがれ声が頭の中を這い行くように響く。

『我の結界を閉じた、償いはして貰おう…!』

エイリルは咄嗟にそれを振り切るようにして、一瞬でありったけの力を込めて発光し、闇を振り払い、飛んだ。


 テテュスは良く見ると、アイリスも肩や腕、頬に傷を作り、血を流しているのを見つける。

「アイリス。痛い?」

アイリスはそう尋ねる愛しい息子が、震えながら心配げな表情を向けるのに、「大丈夫」と微笑んで見せた。

ローフィスがそっと寄る。

「闇の傷か?

どんな敵だ?」

アイリスがささやく。

「アースルーリンドの外に通じた空間で、襲って来たのは結構でかい猿の集団だ」

ローフィスは俯くと、オーガスタスの姿を念頭に思い浮かべ、唸る様にささやいた。

「…おまけに闇の結界で回路を閉じられ、護符も威力を発揮しない中でか…」

ゼイブンもつぶやく。

「障気にどっぷり浸かって、化け物化してたか?」

アイリスが、『そうだ』と頷く。

「最悪に、厄介だな………」

ゼイブンは身震いして呻き、オーガスタスが血塗れに成る筈だ。と青冷めて俯く。

ローフィスがアイリスの上着の襟に手を掛けると、アイリスは微笑む。

「大丈夫だから…」

「いいから脱げ。

闇の傷は手当てが悪いと厄介だと、お前も知ってる筈だ」

「神聖騎士団の護符なんて、大層なものを付けてるのに?」

ローフィスは吐息を、吐く。

「だがオーガスタスを癒すのに、大半以上の力を使ってるんだろう?」

アイリスは思い出したように、頷いた。

そして上着を肩から滑り落とし、シャツを脱ぐ。

ディンダーデンは、背に垂れる長い焦げ茶の艶やかな髪を、手を後ろに回して掻き上げ、首筋の傷を見せるアイリスを見た。

「今思い出したが、あの男に女を取られて寝室に割り込んだ事が、ある」

ギュンターの、眉が寄る。

「どうしてあれを見て、今思い出すんだ?」

「スカした美男なのに妙に色気があって、だが逞しい肩と胸をしていたからかな?」

ギュンターは、上半身裸のアイリスが髪を掻き上げうなじを見せ、優美な顔立ちの割、しっかりした長い首と、逞しいその肩と胸を曝す様子に、頷く。

「なる程」

ディングレーが吐息を吐く。

「服を着てると、凄く上品なやさ男に見えてるしな」

ゼイブンも呻いた。

「奴は確かに、着痩せする」

ローフィスに薬草を塗られながら、アイリスがぼやく。

「昨夜一緒に湯に浸かったのに、今頃?」

ギュンターにじっと見つめられ、ディンダーデンは怒鳴った。

「くつろいでる最中に、男の裸をマジマジ見るか?」

ギュンターが成る程。と頷き、アイリスも俯いて言った。

「君のそういう性格を、綺麗に忘れてた」

テテュスが心配そうに、長く切れ込む傷が幾つもあるのに気づいて尋ねる。

「アイリスの戦った敵と、オーガスタスも戦ったの?

だからオーガスタスはもっといっぱい、傷ついてたの?」

アイリスは、そうだ。と頷く。

「とても、素早くてね。

障気に憑かれると、限界を超えてその生き物の能力が発揮されるから………」

一通り塗りおえると、ローフィスはゼイブンに振り向く。

「光の粉を、くれ」

ゼイブンは懐から袋を取り出し、ローフィスに手渡す。

「自分のは?」

「馬の、鞍だ」

ゼイブンは肩をすくめた。途端、思い出したのか突然叫ぶ。

「コーネル!」

ヒヒン!

いきなり前方から返事が返って来て、ゼイブンはびっくりしてそちらに振り向く。

馬が奥から駆けて来て、ゼイブンも思わず駆け寄る。

「コーネル!

戻って来たのか?!」

ディンダーデンが、それを見てつぶやく。

「逃げた女房に出会ったみたいに感激してる」

ディングレーもその様子を目に、つい叫んだ。

「エリス!」

その暗い洞窟の奥から、黒光りする体を振って駆け、ディングレーの頼もしい愛馬、エリスも姿を見せた。

皆がそれぞれ、口笛を吹くと、愛馬達は彼らの元に戻って来た。

「ミュス…心配したぞ…」

シェイルがなぜると、ミュスは嬉しそうにその手に頬を擦りつけた。

レイファスが、涙で濡れた顔を上げる。

途端、ミュスに心配そうに顔を寄せられ、レイファスはそれでも笑顔を浮かべて、大きな馬の鼻をなぜた。

ローフィスもギュンターも、ディンダーデンも愛馬の手綱を取る。

ローランデは女性を扱うように優しく愛馬の頬をなぜ、その優しい色の栗毛を背に流すたおやかな風情に、ギュンターが物欲しげに、目を向ける。

が途端、どんっ!

と激しい空気音が轟き、馬達は驚いて一斉に前足を跳ね上げた。

「エリス!」

戻って来たばかりの愛馬を放すまいと、ディングレーは手綱を、引く。

一瞬で空間に消えた神聖騎士達、三人が姿を現し、ウェラハス、ドロレス、ムアールの三人が、馬と彼らを背に回し、立ち上る黒い靄から円を描いて護る。

ファントレイユは、自分達に背を向けて立つ、その長身の細く流れる白っぽい金髪に白の衣服を身に着けた神聖騎士の頼もしさに、感嘆の吐息を吐いた。

周囲は煙のように黒い靄が渦巻き、けれど神聖騎士に三方を取り囲まれた皆の居る場所は白い光で護られ、渦巻く靄は弾かれて届く事が無い。

「…何が起こった?」

ディンダーデンが慌てて尋ねる。

ギュンターも、ローフィスとアイリスを交互に見つめる。

ゼイブンが、唸った。

「連中が、歪みに巣喰った敵に決着を付ける。

黙って見てろ!」

ローランデは思わず、ウェラハスの背を見つめる。

真っ直ぐ伸ばした背は不動で、現れ来る敵を睨み据えている。

“罠の空間を閉じた。

主が直、姿を、現す筈だ…”

その心話が頭に響くのに、テテュスはつい、ウェラハスが睨み据える黒の靄が渦巻く中心を、息を飲んで見つめた。

どんっ!

ハデな音を空間に鳴り響かせ、エイリルが白い閃光と共に飛んで転がり、姿を現す。

その、渦の中心が更に濃くなり、空間が怒りに震えるように振動した。

渦の真っ黒な靄は次第に人型を取り始め、皆が見守る中、黒い影が長い髪をなびかせ、真っ黒な影の中、目だけが赤く、光る。

ローランデもシェイルも思わず唾を飲み込み、ゼイブンの眉が、思い切り寄る。

「随分、ヤバい奴が出て来たな…!」

ローフィスもつぶやく。

「…もしかして『闇の王子』か?」

ディングレーがその名を聞き、記憶を頼りにつぶやく。

「第一か?それとも三か?

…二なら一番、ヤバいんだろう?」

だがその影は次第にはっきりと、姿を取った。

その目は相変わらず真っ赤だったが、鼻、頬、顎が、真っ暗な影の中から、浮かび上がる。

“『闇の第二』”

ウェラハスの、心話が響く。

「二だとよ…!」

ディンダーデンがつぶやく。

ディングレーは、おもむろに頷く。

が、ディンダーデンはふと思い出し、ディングレーを覗き込む。

「で?どうヤバいんだ?実際」

聞かれてローフィスが振り向く。

「心を、操る」

ディンダーデンが、肩をすくめる。

そして目前で背を向ける、神聖騎士に視線を送る。

「連中に光の結界で護られてるのに?」

アイリスが、そっと言った。

「奴の力は強い。

護られていてもそれでも、心にささやきかける。

隙を見せなければ光の結界が力を貸してくれて、心の中から追い払える」

ディンダーデンが思い切り眉間を寄せる。

「…厄介だな」

ディングレーが声をひそめて怒鳴った。

「だから、そう言ってるだろう?!」

途端、ドロレスが心話で怒鳴る。

“エイリル!聞くな!”

エイリルは彼らの元へ戻ろうとしながら、片膝と片手を地に付き、俯いたままだった。

ファントレイユもテテュスも、つい一番新米のエイリルの様子に喉を、ごくりと鳴らす。

エイリルは静かに顔を上げたが、その薄茶色の瞳がゆっくり…朱に染まり、ついに一瞬、真っ赤に光る。

その途端、周囲を漂っていた黒い靄が、エイリルの周辺を取り巻き始めた。

白い衣装が見え隠れする程、真っ黒い靄に覆われ始め、ムアールが怒鳴る。

“聞くな!罠だ!”

だがエイリルの瞳は輝きを、落としたかと思うと再び、真っ赤に光った。

テテュスが、アイリスにしがみつく。

「乗っ取られたら、どうなっちゃうの?」

アイリスは泣きそうな息子の顔を見つめ、言い淀む。

ローフィスが、静かにつぶやく。

「闇に、下るんだ」

ファントレイユが振り向き、ローフィスに問い正す。

「じゃ…じゃ、神聖騎士じゃなく、闇の者に成っちゃうの?」

アイリスがそっと言った。

「ウェラハスは、させない」

だが今や、黒い靄を身に纏うように体中に覆い被り、真っ赤な瞳をその黒の中、閃光のように輝かせ始めるエイリルに、ファントレイユもテテュスも必死の視線を向ける。

「でも…!」

テテュスが言ったし、ファントレイユもささやく。

「だって…!」

レイファスはシェイルの腕の中で、見ていられない。とその胸に顔を埋める。

シェイルが気づき、そっ…とレイファスの髪を、なぜた。

まるで空気を震わす咆吼のように、エイリルの口が開き、耳に聞こえぬ声と共に空間を震わせ、纏う靄は彼を中心に黒い渦を、巻き始める。

“ウェラハス…!”

ムアールがその一番の実力者に振り向き、ドロレスは尚も叫んだ。

“戻って来い!エイリル!”

ファントレイユが悲鳴を上げる。

「あの晩のテテュスみたいだ!」

レイファスは顔を揺らし、それでもファントレイユの声に反応し、振り向き、エイリルのその変わり果てた姿に愕然と目を見開き、シェイルの手でその視界を遮られる。

「いいから、見るな……!」

レイファスはシェイルの胸に顔を突っ伏して叫ぶ。

「オーガスタスを襲った猿と、同じだ!」

レイファスの肩が恐怖にガタガタ震え出し、ディンダーデンがギュンターに振り向き、呻く。

「オーガスタスはあんな化け物と戦ってたのか?」

ギュンターは俯き、眉間を深く寄せてささやく。

「俺は化け物はごめんだが、オーガスタスは物好きだからな………」

ゼイブンが、敵を睨み据えて怒鳴る。

「いつも相手にしてる、俺もローフィスも物好きか?」

ローランデがその叫びに思わず振り向き、ディンダーデンが怒鳴った。

「物好きを通り越して、変人だ!」

ゥオオオオオオォォォォォォォ!

空間がびりびりとその声で激しく振動し、光の結界外の、神聖騎士達の居る場所を黒い渦が取り巻き始める。

ローフィスが、周囲の光の結界の境界線が震えるのを見つめ、唸る。

「なんて力だ…!」

“やめろエイリル!

力を明け渡すな!”

ドロレスが叫び、黒の渦が風を吹き上げ、ドロレスやムアールを激しく叩く。

「!みんなも危ないの?!」

テテュスがアイリスに振り向く。

アイリスは、言葉を掠れた声で紡ぎ出す。

「…乗っ取られた側は、限界を超えた力を放つ。

エイリルは神聖騎士だから…その力がとても、強いんだ」

ムアールの、悲鳴のような心話が、頭の中どころか心の中にまで響き渡る。

“戻って来い!”

その声が届いたように、エイリルが泣き顔のように紅い瞳を揺らめかせる。

“俺には資格が…無い………!”

“何のだ!

ダンザインは資格の無い男を入団させたりはしない!”

ムアールが怒鳴ると、ドロレスがささやきかける。

“もっと自分を、信じろ……”

“俺が殺した…殺した……殺してしまった!”

だがその時、静かなウェラハスの言葉が穏やかに響いた。

“解っているだろう?エイリル”

その言葉は、あの夜のディングレーの言葉のように白く光って空間を漂い、黒い靄に染まるエイリルの元へと届く。

“解っている筈だ。

もう、終わった事だと。

全て、あるべき場所に還った。

お前の心の傷を除いて”

エイリルの身は、震えていた。

ウェラハスの光の言葉は、エイリルの目前で金の光の美しい塊と成った。

“彼女は死んで迄もお前を苦しめたくないと願ってる。それを、決して忘れるな”

ゥオオオオオオオオオオオオォォォォォ!

エイリルは悲しみの塊のように咆吼する。

ファントレイユもテテュスも、心が泣き叫んでいるようなその声に心を揺さぶられてつい、エイリルを喰い入るように見つめる。…が、ウェラハスは言葉を続けた。

“失った事を、悲しんで欲しくないんだ。

彼女の、意志を汲め”

エイリルの瞳から朱が消え始め、ウェラハスに向けて子供のようにつぶやく。

“でも…俺が馬鹿だから、薬の量を間違えた”

“そう…お前は物知らぬ子供だった。

だから…彼女は小さなお前が罪を背負い続ける事を、とても悲しんでいる。

それをお前は…ダンザインに見せて貰った筈だ…”

泣き濡れたエイリルが、こくん。と頷いたように、見えた。

そして彼がそっと口を開けると、ウェラハスの言葉の優しい金の光の塊が、エイリルの口の中に吸い込まれて行った。

ウェラハスの光はエイリルの喉を通って胸に。

ほのかに優しい金の光を、透けて輝かせた。

途端、だった。エイリルを被う黒い靄が、彼が徐々に白く輝き始めると共に彼の身から、剥がされるように離れ始めたのは。

ウォ……!

ゥオオオオォォォォォォォ!

再び激しい風と共に空間がびりびりと揺れ、光の結界に護られる皆も、身が震い体を叩くその振動に眉間を寄せる。

だが………。

「靄が………!」

ファントレイユの明るい声が響く。

真っ黒に取り巻く禍々しい黒い靄を、エイリルは凄まじい力で吹き飛ばし始める。

途端、ドロレスから雷のような金の閃光がエイリルを援護するように放たれ、エイリルからその靄は凄まじい早さで弾き飛ばされた。

途端、エイリルは力を使い果たしたようにがっくりと膝を、折る。

ムアールが一瞬ウェラハスを見るがウェラハスは頷き、ムアールは隊列を離れてエイリルに駆け寄る。

膝を付いて俯くエイリルの横に屈むと、一瞬ウェラハスに視線を投げ、ぱっ!と真っ白に光ると、空間にエイリルと共に、消えて行った。

彼らが去ると、途端黒の靄は、エイリルに力を送り弱るドロレスを集中して取り巻き始める。

ローランデは彼らを取り巻く光の結界の、その光が薄れて行くのを見つめる。

明らかに結界の力が、弱まっているのが皆に解った。

「結界が消えたら、どうなる…!」

ギュンターが唸ると、アイリスは空間に浮かぶ禍々しい敵と、周囲に漂う、隙を狙うように渦巻く黒い靄、濃い“障気”を睨め付けた。

「あれに曝される。

『闇の第二』の障気だ。ひどく生気を吸い取られそして……」

「そして?」

ローランデも不安げにそうつぶやく。

「心を明け渡せば、奴の下へと下る」

言ったローフィスを、ディンダーデンもローランデもギュンターもが、呆然と見つめる。

ゼイブンは俯いて、深い吐息を吐く。

「あんたは心に不安は無いか?」

問われてディングレーは顔を上げるとつぶやく。

「兄貴への遺恨をつつかれると、ヤバいな」

ゼイブンは頷く。

「奴に乗っ取られる程遺恨が、溜まってんのか?」

ディングレーは俯く。

「まあ…ギリギリだ」

ゼイブンは、そうか。と頷いて顔を揺らす。

が、ローフィスが呪文をドロレスに向けて唱え出すと、アイリスも追随する。

二人の胸に下げたペンダントから、白い光が呪文と共に、ドロレスに向かって流れ出す。

ウェラハスは消えかかる結界を支え、ドロレスに力を送り続けたが、ローフィスとアイリスの助けを借りてきっ!と敵を、睨み据えた。途端周囲を取り巻く黒の靄が、光の結界から輝き出す白い光で押し戻される。

“末裔………。

さすが王のそれだ。

護衛官(神聖神殿隊)のそれとは、出来が違うようだな”

だが途端、空間からホールーンとアーチェラスが一瞬光る白い輝きに包まれ姿を現し、彼らに背を向けて立って光の結界を強化し、ウェラハスに力を送る。

ウェラハスから出て行く光の力が、周囲の黒い靄を凄まじい早さで弾き飛ばし、『闇の第二』は呻いた。

“ムウゥ……おのれ!”

結界内の皆が、ホールーンとアーチェラスの出現にほっと胸を、なで下ろした途端だった。

ギュンターの、眉が激しく寄り、そしてがっくり首を垂れて片手を地に着ける。

途端、ウェラハスの声が響く。

“見るな!ギュンター!”

皆がギュンターを見つめる中、顔を上げたギュンターの瞳が、僅かに朱に、染まり始めた。

「ギュンター!」

ローランデが彼の腕にしがみつく。

が、ギュンターはローランデのその愛しい青の瞳を、染まり始める朱の瞳で見つめ、つぶやく。

「本当に、アイリスと寝たのか?!」

アイリスが、ぎくっ!として振り向く。

ローランデは必死で首を横に、振る。

だが途端、ギュンターの咆吼が飛ぶ。

「嘘を、付け………!」

次第にその瞳が真っ赤に染まり始め、ゼイブンが呻く。

「まずい…。一番弱いトコを攻めやがる…!」

ローフィスが敵を睨め付ける。

「奴らの定石だ。

中から結界を挫き、神聖騎士全員の力を弱める気だ。

アイリス!何とかしろ!」

アイリスは必死にギュンターを、見た。

ギュンターがゆっくり振り向き、真っ赤な瞳が自分を捕らえ、睨み据えて光る。

「貴様を、切り裂いて二度とローランデを拝めなくしてやる…!」

低く獣のようなしゃがれた声で、皆が乗っ取られかけるギュンターの様相に、心底ぎょっとした。

が、アイリスは化け物へと化すギュンターの、真っ赤に染まりつつある不気味に光り出す瞳を睨み返すと、腹の底から吠えるように怒鳴る。

「ローランデを、泣かせる気か?!

自分の嫉妬を彼の身より、優先させるつもりか?!

第一、オーガスタスはどうする!

あの怪我は無駄になるのか?

瀕死なのに!!!」

ギュンターの、朱の瞳が、揺れて瞬き輝きを失う。

ファントレイユは白い光の力で闇を凄まじい力で封じ込めようとするウェラハスと、闇に飲まれようとするギュンターの攻防を、首を振りながら交互に、必死に見つめる。

テテュスも、レイファスもがギュンターを喰い入るように見つめ、ローフィスはそれでも呪文を唱え、ペンダントの白い光をドロレスに、送り続ける。

ローランデはギュンターの腕を掴み、揺さぶって叫ぶ。

「ギュンター!

ギュンター嫌だ!

私に誓ったじゃないか!

闇に飲まれて、私が困った時に駆け付けられるか?!

出来ないだろう!

あれは嘘だったのか?!

君は言った。

もし誓いが破られたら、私に唾を吐きかけられても構わないと!

私に今、そうさせたいのか?

騎士として最低の汚名を着て、闇に落ちるのが君の望みか?!

応えろ!!!」

ローランデの、心が千切れそうな叫び声に、ギュンターの瞳から朱い色が、ふっ!と消えた。

同時にウェラハスもホールーンもアーチェラスも、そしてドロレスさえもが凄まじい白い光を体から発光させ、それを渦の中心、『闇の第二』に向けて放つ。

ざ………ん…っ!

音と共に、闇はその場から一瞬で消え、周囲を取り巻く、闇の“気"はそこから消え、ドロレスががっくりと膝を付いて、肩で荒い息を吐く。

ホールーンがゆっくりドロレスの横に立ち、屈み、ローフィスにその瞳を、向ける。

「ありがとう」

優しい声で、テテュスもレイファスもつい、そう告げられたローフィスを、見つめる。

「………………」

ローフィスの、声は出ず、心話が響く。

“礼を言うのは、こっちだ”

ホールーンはだが、耳に聞こえる言葉で、また言った。

「…それでもだ。

ありがとう」

ローフィスは一つ深い吐息を吐くと、ようやく無言でその言葉に頷いた。

アイリスは振り向くと、ウェラハスの視線が向けられているのに気づく。

“この後のギュンターの疑惑を、君が何とか出来るな?”

二人だけに聞こえる心話にアイリスは感謝してつぶやく。

“ご迷惑をお掛けしました”

ウェラハスは頷くとささやく。

“君のせいじゃない…。

が、ギュンターの見た映像は、『闇の第二』が君の心から盗んだものだ”

アイリスは、タメ息を吐く。

“ギュンターが、憤る筈ですね…。

でも…何とかします”

ウェラハスは微笑むと、皆に心話で告げた。

“『闇の第二』の空間は閉じた。

奴の“障気”は、再び歪みが出来ない限りここには現れない”

皆が途端、ほっとする。

テテュスもファントレイユも、そしてレイファスも疑問が沸き起こり、渦に成って困った。

アーチェラスが微笑むと、彼らの疑問に応える。

“そう、『闇の第二』は人の心を乗っ取れるから、『闇の王子』三兄弟の中で一番力を持ち、障気をため込んでいる”

ファントレイユが尋ねる。

“じゃ、本当はもっと強いの?”

“ここは奴の狩り場の一つで、全部の力を使い果たすと『闇の世界』の勢力争いに敗れるから、全力は使って来ない。

けれど今日の事でかなり力を落としたから、またどこかいい狩り場を探して罠の空間を、作る可能性が高い”

テテュスが叫んだ。

“じゃ、僕達も危ない?!”

“『光の王』の結界が護ってくれるし、滅多な場所じゃ、狩り場は作れない。

『光の王』の封印の効力の薄い、危険指定地域に足を踏み入れなければ、大抵は大丈夫だ”

レイファスも、ほっとした。

アーチェラスはレイファスを見つめ

「とても、怖い思いをしたね?」

と優しくささやく。

レイファスは泣きそうな顔を上げる。

“大好きだ”

アーチェラスはレイファスにそう言われ、本当に嬉しそうに微笑んだりするので、テテュスもファントレイユもアーチェラスが、子供の純粋な気持ちを向けられて、それにとても満たされる彼の心を感じ、神のような力を持つその人を凄く身近に思って、心が暖かく成った。

が、ぐったりするドロレスを支えるホールーンとウェラハスに見つめられ、アーチェラスは一つ頷くと子供達を見つめ、微笑むと、白く光る光の中へと、消えて行った。

「行ったのか?」

すっかり周囲が暗く成って元居た洞窟の風景に戻り、ディンダーデンは手綱を握り、周囲を首を回して見やると、ディングレーも吐息を吐いた。

ローフィスは、屈むギュンターの腕をまだ握るローランデの横へと行くと、そっと神聖騎士団のペンダントを自分の首から外し、ギュンターの首に掛けた。

ギュンターは気づき、ローフィスに済まなそうな顔を向ける。

「俺のせいで………」

ローフィスは、解っている。と頷いた。

「真剣に惚れていると、嫉妬は付き物だ。

惚れた気持ちが深い程、深刻な敵だな」

ギュンターは吐息を吐いた。

「…あんたはだって、ディアヴォロスに妬かないだろう?」

ローフィスは肩をすくめた。

「そこはとっくに、通り過ぎた」

そして

『お前にもそういう時期がくるさ』

と、パン!と二の腕を叩き、ギュンターを励ました。


 ギュンターはローランデを見つめた。

その、いつも表情を変えない金の髪の美貌の男の、謝罪の籠もる紫の瞳が向けられ、ローランデは心が震える程ほっとし、そして…微笑った。

ギュンターは不思議なものを見るように、ローランデの子供のような無邪気な微笑みを見守る。

ローランデは気づくと、少しむくれた顔でつぶやく。

「闇に乗っ取られかけた時、自分がどんなだったか、知らないんだな?」

ギュンターは顔を揺らすと、ローランデをまだ眉を下げて見つめる。

「リアルな映像が見えて頭に血が上り、沸騰したとこ迄は、覚えてる」

「君の瞳は、紫だからいいんだ!」

ギュンターの眉間が、寄る。

もう全員が馬に跨り、ローフィスは飛び乗ってローランデに視線を送る。

ローランデはローフィスに振り向き頷くと、ギュンターがむんず!と行こうとするローランデの腕を、掴む。

途端、馬の背から身を屈めて顔だけ彼らに振り向くシェイルの視線がきつく成り、ローフィスが大丈夫だ。と視線を送る。

ローランデは腕を慌てて掴むギュンターを見上げ、掴むギュンターの手に視線を落とし、再びギュンターを見上げたが、ギュンターはしどろもどろった。

「それは…どういう意味だ?」

ディンダーデンが馬に跨り、手綱を持つ手を鞍の上に降ろし、吐息を吐く。

「化け物よろしく、お前の瞳も真っ赤だったって意味だ!」

ゼイブンも振り向き唸る。

「お前だって、エイリルを見てただろう?」

ギュンターはそう言う二人に青くなって振り向く。

「…嘘だろう?」

ローランデはさっ!と動揺するギュンターの手から自分の腕を引き抜くと、怒鳴った。

「だから!

紫の瞳が嬉しいと、そう言ったんだ!」

言ってさっさと、愛馬ラディンシャに跨る。

ギュンターはまだ呆然と俯き、今度はディングレーを見つめる。

ディングレーは気づいて、ぶっきらぼうに怒鳴った。

「ここに居る全員が、不気味に光るお前の真っ赤な瞳を見てるからな!

いくら俺でも庇いようが無いぞ?」

言って、さっさとエリスに跨ったまま馬の首を前へと向け、ギュンターに背を向けた。

ギュンターはショックでまだ俯き、ローフィスは馬に拍車を掛けて怒鳴った。

「さっさとしないと、置いてくぞ!」

そう言いながら先に駆け出す皆の後を追う、ローフィスの馬の尻を見つめ、ギュンターは愛馬ロレンツォが自分に『乗らないの?』と見つめる瞳を見上げ、頬を一撫ですると、一息も付かず一気に跨り様両足を広げ、馬の胴に打ち付けようとした。

馬は承知していたように、ギュンターが胴に打ち付ける寸前、前足を跳ね上げ一気に駆け出すと、皆の後を追った。


 淡い光蘚(ひかりごけ)のぼんやりとした白い光に照らされる道筋を進みながらディングレーが、そっ…と、テテュスを前に乗せ、オーガスタスの愛馬の手綱を引くアイリスを覗き込む。

「奴の馬は俺が引こうか?」

アイリスは濃紺の瞳を真っ直ぐ前に向けたままつぶやく。

「彼の怪我は私の責任だ」

テテュスは思わず、後ろに座るアイリスに振り向く。

アイリスはオーガスタスの安否を気遣うような、厳しい表情で、普段の柔らかで優雅な、ゆったりとした雰囲気は微塵も見られない。

ディングレーは一つ吐息を吐く。

「それは…そうだろうが…」

チラと厳しい表情を崩さない、アイリスの整った横顔を見つめる。

「笑って無いお前は、らしくない」

ディングレーに言われ、アイリスは横に並ぶ彼に呆然と振り向く。

「いつも人を小馬鹿にしてると、君には不評なんじゃないのか?」

ローフィスも後ろから怒鳴る。

「だから…それがお前だろう?」

アイリスはローフィスに振り返る。

が、ファントレイユを前に乗せたゼイブンと目が合うと、ゼイブンはローフィスに同感だ。と小声で呻いた。

「…ザマ、無いぜ?」

シェイルもレイファスを前に乗せて言い切った。

「ギュンターがしょげてるのと同じくらい、見るに耐えない!」

レイファスは呆れたように、背後のシェイルを見上げた。

ローフィスはレイファスを気遣い、シェイルにそっとささやく。

「一応子供達にとってアイリスは、憧れで魅力的な、大層立派な騎士なんだぞ?」

シェイルは吐息を吐き、自分を見つめるレイファスに真顔で言った。

「人を見抜く目を、もっと鍛えろ!

お前、俺の事も外見で判断してるだろう?」

レイファスは頷くと

「でも大分、慣れてきた。

薔薇も棘があるけど、釘が生えてる性格でとびきり綺麗な顔の人には、これからはうんと気を付ける」

“釘”でシェイルの眉が思い切り寄る。

ディングレーがぼそりとささやく。

「釘で、済むのか?」

ギュンターが頷くと、吐息混じりに付け足す。

「斧のが、正確だと思うぞ?」

シェイルは二人を睨むと

「ほざいてろ!」

と怒鳴った。

ディンダーデンが笑顔で振り向く。

「俺ならその容姿なら、そこいら中の奴をたぶらかして楽しむがな」

シェイルはきっ!と睨むと

「お前なら!だろう!」

怒鳴って、一同の失笑を買った。

ローフィスが、前に向かって怒鳴る。

「アイリス!

オーガスタスが居ない今、(かなめ)はお前なんだ!

皆を不安にさせるな。お前らしく、笑ってろ!」

アイリスは途端、項垂れるとささやく。

「アリシャが倒れた時、彼女に『笑って』と言われた時のレイファスの気持ちが痛い程良く解る」

ゼイブンがぼやいた。

「…普段が笑い顔だから、顔を作るしか性がないだろう?

いつもは作り笑顔じゃないのか?」

アイリスは、項垂れた顔を後ろのゼイブンに向けた。

「違う。楽しくて笑ってる」

全員が、やれやれ。と首を横に振った。

ファントレイユが顔を真上に上げてゼイブンを見た。

「どうして、いけないの?」

ディングレーが、斜め後ろのファントレイユに振り向き、ぼそりと言った。

「そりゃ、敵を陥れる時も、相手を叩きのめす時も、楽しく笑われちゃな」

ローフィスも項垂れたまま、つぶやいた。

「最悪に性格が悪い」

そう言われたアイリスを、テテュスはびっくりして見つめた。

「そうなの?」

そしてテテュスはディングレーを見つめ、振り返って斜め後ろに馬を飛ばす、ローランデを見つめた。

ローランデはテテュスの、尋ねるような無垢な濃紺の瞳が真っ直ぐ自分に向けられ、何とかアイリスを庇いたかったが、言葉が見つからなかった。

それで、ぼそりとつぶやいた。

「…敵の前でそれは、相手に脅威を与えるから…はったりとしては有効だけど………」

そして、顔を上げてアイリスの背を見つめる。

「…本心から、楽しんでいるのか?」

アイリスはローランデに振り向くと、ささやいた。

「だって心から楽しそうじゃないと、嘘と直ぐ、バレるだろう?

それじゃ相手に脅威に感じて貰えない」

ディンダーデンが深い吐息を吐いた。

「…まあ…理屈は通ってるが、それを実際、やれと言われて出来るもんじゃない。

並の人間と、神経の出来が違うだろう?」

アイリスが、素朴に質問した。

「普通は出来ないものなのか?」

再び、皆がやれやれ。と首を横に、振った。

ファントレイユがまた、顔を上げてゼイブンに尋ねる。

「普通出来ない事が出来るって、凄い事じゃないの?」

ゼイブンが投げやりにその質問に答えた。

「そう、思っとけ!

その方が、憧れを無くさずに済む」

ファントレイユがまた質問しようと顔を上げると、レイファスが言った。

「一つの能力も、角度を変えると色んな見方と評価があるから、君は君の評価が正しいと思ってて、いいって、ゼイブンは言ったんだ」

ファントレイユはにっこり笑い、思い切り頷く。

ディンダーデンはその、鮮やかな栗毛でくっきりとした青紫の大きな瞳の、可憐そのものの女の子のような子供を、まじまじと見て言った。

「お前も外見と中味が違うな」

レイファスはその近衛の色男に口を尖らせ、すかさず言い返す。

「シェイル程凄くない」

皆は内心

『そんな事無いぞ』

と思ったが、オーガスタスと恐怖を体験したレイファスの境遇を思いやって、誰もそれを口にする事は、無かった。


「少し、休もう」

暗いがらんとした洞窟を走り続け、アイリスの抑揚のない声が響く。

ふ…と皆が、振り向くオーガスタスを意識する。

総大将である彼がいつも命を叫ぶ、その声を待つ、ように。

ディングレーもギュンターも、この洞窟に入ってからはオーガスタスは後方を、護ってたな。と思い出し馬を、降りる。

シェイルは直ぐレイファスを抱き下ろすと、地下水の染み出し始める岩肌を伝う水に布を浸し、呆けて人形のように大人しいレイファスの、手を取りべっとりと付いたオーガスタスの血糊を拭き取った。

皆無言で円に成り、シェイルの作業を横目で見つめる。

ファントレイユはレイファスがもう何も口をきかないのに心から心配げな視線を向けて見つめ、テテュスはレイファスの横に来ると、そっとその顔を窺う。

「…泣き疲れたんだ。ちょっと休ませてやれ」

シェイルに言われ、テテュスは頷いてアイリスの横に戻る。

ローフィスは口に付けた飲み水の入った木筒を下げて傾け、やはり無言のアイリスを見つめ、吐息を吐く。

一度首を横に振って、アイリスにぶっきらぼうにつぶやく。

「まだこの先、長いか?」

アイリスはテテュスに見つめられ、ああ…と気づいてローフィスに振り向く。

「周囲が濡れ始め、足元が起伏に富み始めたから、直出口近くに出るだろう」

ディンダーデンが察して吐息を吐き、自分の木筒を口から降ろす。

「…もう少し、あると言う事か………」

ゼイブンが頷き、木筒を持ち上げ口に付け、言葉を返す。

「まあ、かっ飛ばせるのはここ迄だな」

ローランデはギュンターを心配そうに見上げたが、ギュンターは俯いたまま無言で、木筒の飲み物を喉に流し込んでいた。

シェイルはレイファスの頬を擦り上げて血糊を落とし、つぶやく。

「少し寝かせてやれればいいが」

が、レイファスは小声でそっと言った。

「でもまだ、頑張れる。

弱音なんか吐いたら、死神と戦ってるオーガスタスに笑われる」

小さなレイファスのその言葉に、皆が一斉に振り返る。

レイファスはやっぱり無表情で呆けて見えたが、その言葉はしっかりしていた。

ローフィスが頷く。

「レイファスの言う通りだ。

呆けてたら、笑い飛ばされるぞ!」

その言葉はアイリスに向けられ、アイリスは俯く。

そして一つ、吐息を吐いてローフィスを見つめた。

「そんなに、呆けて見える?」

ローフィスは肩をすくめる。

「だってお前が分相応の年下の男に見える、なんて事、今迄一度だって無かったしな!」

ゼイブンも笑う。

「…確かにな!」

アイリスは二人を見つめ、俯く。

「じゃ今迄二人共私を、上司として尊敬するでも無く、かと言って年下扱いもした事無いのは、そう言う訳か?」

ローフィスは異論を唱えた。

「ちゃんと、敬ってやってるじゃないか!」

ゼイブンも追随する。

「尊敬はしてる。一応」

アイリスは俯き切る。

「…………………………」

テテュスがそっと、顔を下げるアイリスを覗き込んでつぶやく。

「ローフィスとゼイブンが部下だと、大変?」

アイリスは顔を下げたまま頷き、さっと顔を上げると、愛しい愛息のつぶらな濃紺の瞳を見つめ、ささやく。

「年上の有能な男を部下にすると、敬って貰うのに、大変苦労する」

皆が見てると、ローフィスもゼイブンも揃って

『嘘を付け…!』

と言う顔をした。

ファントレイユがそっと言う。

「でも、ローフィスもゼイブンも、ちゃんと敬ってるって!」

アイリスは困った様にファントレイユの無邪気な顔を見つめ、ささやく。

「彼らは大人だし部下だから、ちゃんと社交辞令を心得てる」

ファントレイユが首を傾げ、レイファスが振り向いた。

「口だけだって」

ローフィスもゼイブンも、ファントレイユに見つめられて同時に叫ぶ。

「そんな事無いぞ!」

「口だけじゃない!」

ディンダーデンもディングレーも、ローランデ迄もがくすくすと笑い、アイリスはますます、ムキに成って言い訳する嘘くさい二人に、がっくり肩を落とした。


 馬にテテュスを乗せるアイリスの背後にディングレーが立ち、ぽん!と肩を叩いて言った。

「まだ先があるんだろう。しっかり頼む」

ディンダーデンも手綱を引くと振り向く。

「また訳のわからない化け物が出たら、お前に全部任せるからな!」

アイリスはそう言うディンダーデンを見つめ、隣のギュンターをチラ…!と見る。

ギュンターは気づくと

「『光の里』に着いたら、聞いてもいいか?」

と言い、アイリスは来たか…。と項垂れ、一つ、頷いた。

シェイルは馬に跨り前に乗せたレイファスの腰を抱き、真っ直ぐそのエメラルドの瞳で見つめ、つぶやく。

「…頼りにしてる」

アイリスの瞳はまん丸に成り、だがローランデも微笑むと

「君を信じてる」

と言い、隣のギュンターにすかさず睨まれた。

がそのギュンターでさえ

「仕方無いからオーガスタスの代わりに、お前に付いてってやる」

と言い、ローフィスとゼイブンには

『今更だろう?』

と見つめられて目を、見開いた。

「………オーガスタスの代わり………?

だってこの中で私が一番、年下で………」

ディンダーデンが馬の手綱を取って進みを制し、面倒臭げに唸る。

「四の五の言うな!」

ディングレーも隣で深い青の瞳を、投げかけた。

「役目を、果たせ」

テテュスにまで見つめられ、アイリスは馬に跨ると背後に従う皆を振り向いて見回す。

ファントレイユやレイファスでさえ、つぶらな瞳を輝かせ自分を、見上げていた。

おもむろに口を、開く。

「この先は地下水が染み出し、足場が滑る。

速度をそれ程上げられない。

馬を、急かすな」

皆がその言葉に一様に頷く。

「行くぞ!」

肝の据わったアイリスのその声に、ローフィスもゼイブンもが顔を見合わせて笑い、ディンダーデンもディングレーも微笑して手綱を握り、シェイルもローランデも一気に顔を引き締め、ギュンターは少し、俯くとその優雅な一番年下の男の統率力に、首を二度、横に振って拍車を、掛けた。





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