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2 獣道


注釈:この場合の獣道とは、人があまり通らない、盗賊達が住処を構えるようなとても物騒な細い道の事を差します。

ので、本当の獣道(イノシシ。鹿、熊等。が通って出来たとされる道)よりは、もう少し広いです。


 月明かりの(うまや)へと続く道を、皆が歩く後に従い、ファントレイユはそっとレイファスを、見た。

「まだ、アリシャが心配?」

ファントレイユがとても心配げに覗き込むように見つめていて、レイファスは他事を考えていて、呆けた。

「どうして?」

「だって、いつもなら冒険だ!って、はしゃぐのに」

テテュス迄もが心配げにレイファスに振り向いたりするので、レイファスは慌てて首を横に振った。

「全然、大丈夫。ただ…」

「ただ?」

ファントレイユが尋ねるので、レイファスは言った。

「普通の冒険とは、きっと違う…!

だってアイリスは、ギュンターやディングレー達が知ってる、いつものアイリスみたいだった。

つまり…」

テテュスが、引き継いだ。

「…戦闘中の?」

レイファスは頷く。

「それに、ローフィスやゼイブンですら、道筋の話をしていた時、態度はだらけてたけど、凄く真剣だった」

ファントレイユも、頷く。

「僕達が盗賊に襲われた時みたいだった」

テテュスが二人を、見る。

レイファスが口を開く。

「軽口叩いてるのに、態度に全然、隙が無いんだ」

ファントレイユも言う。

「…危険が、いっぱいあるのかもしれない」

テテュスは、頷いた。

「でもきっと、うんといい経験に成る」

レイファスは笑った。

「そうだね。第一これだけ頼れる騎士と一緒だから、楽しめたり、するかも知れない!」

テテュスは目を、見開いた。

「シェイルと、ずっと一緒で?」

レイファスは思い出した途端、げんなりして項垂れた。

「シェイルは、凄く厳しい」

テテュスは、だが笑って言った。

「でも、その方がきっと、安全だ」

途端、前を歩くシェイルがレイファスに振り返り、その美しいエメラルドの瞳でじっと、見つめたりするからレイファスは内心、震え上がった。


 シェイルは隣のローランデに

「俺の態度がぶっきらぼうだと、非難している」

ローランデは柔らかく笑うと

「そう、思ったら優しく接したら?」

「君は優しい態度を取っても隙が出来ないけど、俺はそんな器用にマネは出来ないからな!」

ローランデは笑った。

「なら、非難されても我慢しないと」

シェイルは思い切り、肩をすくめた。


 厩に着くと、召使いがそれぞれの手綱を引き、皆に彼らの馬を、引き渡す。

そして高く積まれた革袋を一つ一つ持ち上げては、名を呼んだ。

「オーガスタス殿は、どなたでしょう?」

オーガスタスは笑って、革袋を受け取る。

ギュンターも受け取り、革袋を開くと着替えと、アーフォロン酒の瓶が入っていて、手配したアイリスをつい、チラ…!と見た。

ディングレーも袋を開くと、テテュスの着替えとお菓子類が一緒に詰め込まれていて、アイリスの気配りに感心した。

ゼイブンは屋敷に残して来た愛馬の手綱を渡され、微笑を向けると再会の、挨拶をした。

「よぉ…!コーネル。

また大変な旅になりそうだが、よろしく頼むぞ!」

その、白地に薄い茶の模様のあるコーネルは、ヒヒン!と鼻で笑って、なぜて来るゼイブンの手を避け

『仕方無いから、面倒見てやるか』

という表情をして見せ、それを見たギュンターにぼやかれた。

「お前、馬に完全に、舐められてるな…!」

オーガスタスも同感だと、笑った。


 ディングレーが、そっとテテュスが馬に乗るその腰に、手を添えて助け上げる。

ディングレーの馬は真っ黒で艶があり、見事に引き締まった体付きの、とても大きな馬だった。

ヒヒン…!と首を下げて前足を少し曲げて上げる様は素晴らしく綺麗で、でもディングレーが乗ると、無言で意志がお互い通じ合ってるみたいな一体感があって、テテュスは感心した。

ディングレーが手綱を握るともう馬は、彼の命令を待っているかのようだった。

テテュスは振り向く。

「何て、名前?」

「エリス」

そう言うディングレーは黒髪を胸に流し流麗に笑っていて、彼がどれ程自分の馬を、信頼しているのかがテテュスには解った。

きっと彼はエリスと、一体に成って風のように馳せるんだ。と思うと、なるべく邪魔にならないようにしよう。とテテュスは思った。


 シェイルはレイファスの後ろに跨る。

シェイルの馬は細身で小柄だったが、凄く俊敏そうだった。

レイファスはやっぱりシェイルの腕が、庇い慣れた優しさで、そっと腰に回されるのを、感じた。

言葉は凄くぶっきらぼうだけど、そう言う気遣いはとても優しいと、レイファスは思った。が、それを言葉にしたものかどうか、考えてる内にシェイルは、ローフィスの背を、じっと見つめていた。


 ファントレイユはローランデの温もりを背後に感じた途端、いつか温泉に行く時の優しさとは全然違い、もの凄く安心感が溢れているのに気づく。

見えない緊迫感溢れる一行なのに、背後に跨るローランデからは全然、構えた様子が無かった。

どころか背後の彼からは頼もしさが漂っていて、どれ程の危険が押し寄せても、全然怖く、無かった。

ローランデと、一緒ならば。


 ローフィスとゼイブンが先頭で、お互い顔を見合わせて頷き会う。

「じゃ、出たとこ勝負で行くぞ?」

ローフィスの言葉にゼイブンも、頷く。

その後ろのオーガスタスは無言で、更に後ろのディンダーデンは

『マジで言ってんのか?』

とそのふざけた案内役に、眉間を寄せる。

ギュンターがそっと背後を見ると、ローランデがファントレイユを前に乗せて腰を抱き、真っ直ぐな青い瞳で、頷く。

途端、ギュンターの胸がいっぱいになって、中央護衛連隊長だろうが、彼の為ならこなしてやる…!

そう、決意する自分を感じた。

シェイルはローランデの馬の後ろに続き、ほっと吐息を吐くと、背後からレイファスに、ささやいた。

「緊張しなくていい…!

揺れるに体を、任せてろ!」

レイファスはそっとシェイルに、振り向いた。

舞踏で見た時同様、やっぱり銀の艶やかな髪に囲まれ、大きなエメラルドの瞳と赤い唇の、素晴らしく綺麗な姿だった。

「やっぱり、飛ばすの?」

シェイルは、倒れたアリシャそっくりの、鮮やかな明るい栗毛の肩までの短髪で青紫の瞳の、少女にしか見えない可憐で小さなレイファスの腰を、大切そうにそっと抱くと、ささやくように言った。

「ミュスは飛ばすと、羽根が生えたみたいに早い…!」

レイファスは、頷いた。

アイリスは最後尾で、ディングレーの背に隠れたテテュスを、見つめた。

ディングレーが気づいて振り向く。

その、男らしい引き締まった表情と深い青の煌めく瞳は、強い意志が籠もり微動だにせず、アイリスは心から信頼してその男に、自分の命とも言える息子を、託す。

ディングレーの瞳は、決して裏切らない。と告げていて、アイリスは鮮やかに微笑むと一声、叫んだ。

「用意は、いいぞ!」

ローフィスはそっ、と背後のオーガスタスを振り向くと、彼の返答を待たず拍車をいきなり掛け、ゼイブンはそれに直ぐ呼応し、二騎は殆ど同時に駆け出した。

一気に、煙を蹴立てて駆け出す二頭の、後を追ってオーガスタスが、両足を浮かせ、馬の腹に打ち付けながら叫ぶ。

「行くぞ!」

その、誰よりも頼もしい男の一声で、皆が一斉に気を引き締め、次々と後に続いて行く。

ファントレイユは凄く速度が、上がってる筈なのに、ローランデからはやっぱりどこかゆったりとした落ち着きを感じ、心がわくわくした。

レイファスは、シェイルが言った通り、彼の愛馬ミュスが羽根が生えたように軽やかに走るのを感じ、こんな馬が自分も欲しいと、心から思った。

テテュスはやっぱりディングレーとエリスが、二人で一つのように自然に呼吸があっているのに感動した。

それで自分も一生懸命、彼らに呼吸を併せようと、気を引き締めた。

アイリスは最後尾から駆けながら、その先には道で無く、メーダフォーテが居るような気が、した。

近衛の、ディアヴォロスと敵対勢力ムストレス派の、参謀。

自分と同じ大貴族で剣を嗜み、頭の回転が早く優美な姿をした、人を戦わせる陰謀の大好きな、物騒な男。

彼が自分に挑戦状を叩き付けている気がし、アイリスは何としても勝つ。と心に誓った。


「こっちだ!」

エリューデ婦人邸を出て、直ぐだった。

ゼイブンが道から外れ、盛り上がる丘の茂みへと馬を進めながら叫ぶ。

ローフィスは直ぐそれに気づき、馬の首を向けると後へと続く。

オーガスタスがその後へ続き、ディンダーデンは

「大丈夫かよ…!」

と唸って馬の首をそちらに促した。

暫く雑草の鬱蒼と茂った、木々の立ち塞がる小道を進む。

それでも月明かりで道は照らされ、皆は茂る葉を蹴立て、次々にその小道を、猛速で駆け抜けて行った。

真正面に一面蔦の壁が現れて行く手を阻む。

ローフィスは思わず手綱を引いたが、ゼイブンは速度を上げて突っ込んで行く。

「マジかよ…!」

背後でそれを見たディンダーデンの呻きが聞こえたが、ローフィスは直ぐ拍車をかけると、ゼイブンの後へと続き、その一面蔦の絡まる壁へと突っ込んだ。

オーガスタスは、背後をチラと振り返ると、怒鳴った。

「続くぞ!」

ギュンターもディンダーデンも、うっ!と顔を上げたが、文句を言わせず突っ込むオーガスタスの後ろに連続して、蔦の壁へと突っ走って行った。

ばさばさっ!

抜ける時、口を閉じていても葉が顔を激しく叩き、蔦が縄のように体に巻き付いて、ばりばりと音を立て、一瞬で引き千切られて行く…!

抜けた後、葉と蔓が全身に絡まって、皆が草まみれの青臭い臭いをプンプンさせながら、それでも手綱を放さなかった。

ファントレイユもレイファスも、ローランデが、シェイルが、一瞬でその身を屈め、自分達に覆い被さって、葉が体を叩く事から庇ってくれるのを感じた。

ディングレーはテテュスに

「顔を下げてろ!」

と怒鳴りった。

だがさすがに八人目とも成ればその壁もでかい穴に成っていて、ディングレーの肘や肩に葉が残るだけで、苦もなく駆け抜けられた。

アイリスに至っては、殆ど蔦に触らず抜けたようで、すました顔で後を付いて行く。

だが壁を抜けた中は、幅広い空洞に成っていて、周囲を蔦の壁で覆われた、大きな洞窟のようだった。

「結構、広いな…!」

ディンダーデンが感想を述べると、隣のギュンターが唸った。

「とんでもない道だぜ…!」

天井が蔦で覆われ、それでも月明かりが、幾筋も漏れ差す様子に、レイファスもテテュスも思わず

「わぁ…!」

と歓声を上げた。

道の先から月明かりが溢れ、蔦の洞窟の終わりを指し示し、皆が溢れる月明かりを眩しく感じながら、風を切って進む。


 両側にびっしりと茂みの覆う小道を、それでも駆け続けると、ゼイブンがそっとローフィスを見る。

気づいたローフィスが、その先に広い道が開けるのを、目にした。

ローフィスが速度を上げるのに直ぐゼイブンも応じ、二人の後をオーガスタスが、遅れまいと続く。

その道は大して広く無かったが、今来た脇道に比べてはうんと広く、マトモな道に思えた。

両側が木で生い茂り、ギュンターが振り向くと、自分達が本筋の道では無く、微かにそれと解る程度の脇道からその道に辿り着いたと知った。

「獣道の、更に脇道か…。

神聖神殿隊付き連隊ってのは、信じられないな…!」

ディンダーデンの言葉に、ギュンターは思わず、頷いた。

ローフィスが、オーガスタスに振り向くと告げる。

「まっとうだが、危険が多い…!

メーダフォーテがここにも、配下を配置してるとしたらな!」

オーガスタスが、解ったと頷く。

ローフィスはその男の返答に、一気に拍車を駆けて速度を上げ、横に並ぶゼイブンは直ぐそれに気づいて習い、オーガスタスは後ろに叫ぶ。

「飛ばすぞ!」

後ろの全員が、その言葉に頷く。

ファントレイユは先頭を走るゼイブンが、ローフィスにぴたりと付く走りに、感心の眼差しを向けていたが、ローランデがぐっ!と体を前に倒し、腰を少し深く、強く抱いて寄せるのに、慌てて体を倒して馬の背に、しがみついた。

シェイルが体を前屈みにして頭を、下げる。

彼の愛馬、ミュスが、本当に羽根が生えたように駆けるのに、レイファスは胸がどきどきした。

ぐんぐんと速度を上げ、その癖軽やかで、自分の重さをこの馬は、感じて無いんだろうか?という程だった。

テテュスはエリスが、軽やかで力強く駆けるその脈動に必死で呼吸を、併せた。

ディングレーは少しも固さが見られず、慣れた様子で馬に任せたように体を揺らし、しなやかだった。

相変わらず、馬とディングレーの呼吸はびったり合って一体のようで、テテュスはエリスの蹴立てるその早さに、必死で息を詰めず力まないよう、気を付けた。


 明かりが見え、その少し広い道沿いにみすぼらしい四、五軒の家が立ち並んで居た。

凄まじい速度でその家々の前を駆け抜けると、一軒の家から慌てて姿を見せた男が、最後尾アイリスの馬が目前を駆け去って行くのを目にし、必死で手持ちの小鐘を打ち鳴らす。

通り過ぎ様その姿を、アイリスはチラと、目に止める。皆がその鐘の音を背後で耳にした途端、アイリスが最後尾から吠えるように叫んだ。

「来襲だ!

備えろ!」

一気に、皆の顔が引き締まる。

ファントレイユはローランデの腕が、しっかりと自分の腰に巻き付けられるのを感じた。

シェイルはレイファスの耳元にそっとささやく。

「頭を、ずっと下げてろ!」

レイファスは、揺れる馬上で頷いた。

テテュスはディングレーが、アイリスの声にも全然変わらないのについ、振り向いた。

ディングレーはゆったりと笑った。

「安心しろ。エリスは逃げ切る」


 ローフィスは後方からの鐘の音を耳にした後、かなり前方の木陰の男が、油を染みこませた布を矢に巻き、それに火を付けて空に高く、放つのを見た。

思わず後ろに叫ぶ。

「前から来るぞ!」

オーガスタスが後ろを振り向く。

ギュンターもディンダーデンもが、その表情を一気に引き締め、戦いに備える気迫を見せた。

前方左の木陰から、バラバラと男達が現れる。

左側に居たゼイブンは懐から一瞬で駆け来る男に短剣を投げつけ、男はぐっ、と首を前に倒して硬直し、一瞬で膝を折って地面に崩れ落ちた。

ローフィスに軽く頷きゼイブンは列を抜け、次々に前方木陰から襲い来る敵に、剣を抜き馬上から斬りかかる。

ローフィスは戦い始めるゼイブンを目に、速度はそのまま駆け続け、オーガスタスが直ぐ後に怒濤の如く続き、左側に居たディンダーデンが、隊列を外れゼイブンの助っ人に入る。

ギュンターはオーガスタスの後に、疾風のように付く。

ディンダーデンは剣を抜き、ゼイブンが討ち零した敵がギュンターの後に続くローランデの馬に寄り来る、その背めがけて、高く掲げた剣を振り下ろす。

ローランデの馬は駆け抜け、後ろに続くミュスの背で、レイファスは目の当たりにディンダーデンの剣が馬上から豪快に弧を描くのを見て、つい

「格好いい…!」

と感想を、漏らした。

だが数人の賊らは駆け去ろうとするシェイルの馬に追い縋ろうとし、後ろからけたたましい駒音と共に駆け(のぼ)って来たアイリスに、振り向き様その背をばさりと斬られ、もう一人は背後に迫るアイリスに振り向いた途端、馬上からの剣に胸を斬られて仰け反り、後ろに倒れ込む。

テテュスは通り過ぎ様、濃い栗色の長い巻き毛を散らし、左で手綱を繰り、右に血の滴る剣を下げて敵が事切れるのを馬上より顔を傾けて見届けるアイリスの、真剣な表情を見た。

“時には、死に神にもなる…”

いつも微笑を称える優しい彼の端正な顔が、月明かりにとても青白く厳しい“死に神”に、一瞬見えた。

が、ディングレーの言う通りエリスは、疾風のようにアイリスの横を駆け抜け、手綱を掴もうとばらばらと駆け寄る盗賊達を、寄せ付けない。

アイリスは見事に彼の栗毛を繰り、逃げるエリスに襲いかかろうと走り来る賊二人の間に飛び込むと、左右に立て続けに剣を振り、二人が剣を振る間も与えず一刀で、斬り殺す。

その優雅で鋭い剣捌きを、テテュスは必死で見つめた。

賊が、胸から吹き出す血にその身を染めて呻き、倒れ伏す。

アイリスは顔色も変えず、更に襲い来る敵に、拍車を掛けて走り寄る。

そしてまた…月明かりにきらりと銀に光る弧が見える。

が突然顔を上げ、はっとした表情を一瞬見せると拍車をかけ、凄まじい勢いで前へ駆け進み、賊の一人が傷ついた右肩を押さえ、ヨロめきながら元居た木の茂みに戻って行こうとするその背に、駆け付け様思い切り、剣を振り下ろす。

ずばっ!

ファントレイユは馬上でローランデに腰を抱かれ駆け抜け様、月明かりの下、逃げる男の背に銀の弧が鋭く走るのを見、馬上で手綱を繰るアイリスが、その整った顔を俯けて殺した男を見つめ、右手に下がる銀の剣先から血の滴が伝い落ちるのを、驚愕して見つめる。

レイファスは斜め前方の、その鬼神のような凄まじいアイリスの殺害を見つめ、目を見開く。

だがアイリスは手綱を引きゼイブンとディンダーデンに振り向くと、低く(はらわた)を抉るような鋭い声で、怒鳴った。

「全部、殺せ!

一人も逃すな!

逃がしたら子供が同行していたと、メーダフォーテに知られる事に成る…!」

テテュスは狼の咆吼のようなアイリスの叫びに胸を、掻きむしられた。

通り過ぎた時、彼の不動の決意を秘めた、濃紺のきらりと光る瞳と、目が合う。

ディングレーが背後からそれを見、慌ててテテュスの耳元に顔を寄せ、そっとささやく。

「目を、閉じてろ。怖いのなら…!」

ディングレーの気遣いを感じたが、テテュスはごくり…!と喉を鳴らすと、馬上で長身の背筋を伸ばして長い栗毛を風になびかせ、一人たりとも生きて帰さないと、傷つき蹌踉めく敵を見据えるアイリスの、不動の決意籠もる姿を、見つめ続けた。

ディンダーデンは一瞬殺し損ねた賊が立ち上がる姿を見つけ、ちっ!と舌打つと馬を急かし、剣を振り上げ、逃げ行く賊が振り向く、その胸に激しい一太刀を浴びせる。

「ぐあっ!」

ゼイブンは目を見開いて振り向き、月明かりに浮かぶアイリスの厳しい濃紺の瞳を受け、少し顔を揺らして俯き、その顔に垂れた淡い栗毛で影を作り、吐息を吐き出して顔を上げ、傷ついて肩を押さえる男に持っていた短剣を、一瞬で投げて付けて止めを差した。

アイリスの、その瞳はこう語っていた。

『お前も、ファントレイユが可愛いだろう?』

アイリスは敵を良く、知っている。

無茶な命令を、下す男じゃない。と上司である彼の事を思い知っていた。

『全部を殺さねばならない程、物騒な敵なのか』

腹を括るしか、術は無かった。


 先頭を走るローフィスは、遙か前方からの駒音にはっとして目を向ける。

黒ずくめの男一人が馬を蹴立てて一行に近づき、オーガスタスは眉を寄せ、ギュンターは腰の剣の柄に、手をそっと添える。

が、後方からアイリスが馬を飛ばして駆け付け、その男を出迎える。

男はアイリスの真正面でいななく馬を止め、アイリスも同時に手綱を引く。

アイリスの視線を受けてローフィスは一つ、頷き速度を落とさず駆け抜ける。

オーガスタスもチラリと相手の男を確認し、拍車を掛けて通り過ぎた。

ギュンターは吐息を吐くと、剣の柄に添えた手を手綱へと戻す。

横を過ぎるローランデとシェイルの耳に、アイリスと男の会話が飛び込んで来た。

「後は我々が始末致します」

ローランデもシェイルもその男が、エリューデ婦人邸で出会った赤黒いベストの男の部下だと、一瞬で察した。

顔に傷のある、隙無く油断ならない、若いごろつきに見えたからだ。

ファントレイユも、レイファスもが、濃い栗色の巻き毛で背を覆うアイリスを見つめた。

彼は無言で頷いていた。

テテュスは通り過ぎ様、アイリスの後ろ姿を、見る。

横顔、そして…。

再び目が合った時、自分に向けるその濃紺の瞳に一瞬、困惑と悲しみが浮かぶ。

テテュスは『大丈夫』とアイリスに送りたかったが、もうエリスはアイリスの横を通り過ぎて行った。


 ローフィスが、手綱を引き馬の速度を緩めながら、手を振り脇道へ入るぞと、後ろに合図を送る。

オーガスタスが、その赤毛を振って振り向き、叫ぶ。

()れるぞ!」

ゼイブンもディンダーデンも、アイリスもが顔を、上げる。

ローフィスはとっくにその道へと姿を消し、オーガスタスがその殆ど茂みにしか見えない道へと、突っ込んで行った。

ギュンターが続き、ローランデも迷い無くその後へと、突っ込んで行く。

シェイルはゼイブンが横に並び走るのを、見た。

ざざざっ!と丈の長い草を蹴倒し、列の横を凄まじい早さで駆け去って行く。

ローランデもギュンターも、直ぐ彼らの横を風のようにすり抜け、あっという間に先頭のローフィスの隣に追いつく、ゼイブンの背を呆然と見つめた。

ディンダーデンは、あんなマネは出来ないと、最後尾のアイリスの前に割り込んだ。


 暫くして、ローフィスが馬を止める。

皆が一斉に、やれやれと手綱を緩め、速度を落として馬を、止めた。

ローフィスはオーガスタスに振り向くと、ささやく。

「足場が悪い」

ゼイブンが横で、止めた馬上で手綱を握る手を鞍の上に乗せ、もう片手をその手の上に置いて俯き、ほっ。と吐息を、吐く。

どうやらこの道を、知ってる様子で、ギュンターが金の髪を揺らし、そっと馬をローフィスに近づけてその先を見ると、足下は抉り取られたように何も無い、崖だった。

夜目で、月明かりの十分届かないその急な岩場の坂は、底が無いように見えた。

内心、つぶやく。

『足場が悪いどころじゃない』

表情には微塵も見せなかったが。

ローフィスはオーガスタスにそっと告げる。

「俺の後を、付いて来てくれ。

道から外れるな」

オーガスタスは大きく頷くが、ギュンターは

「どこに道がある」

とつい、声に出してしまった。

ローフィスがその明るい青の瞳でじろりと見るが、拍車を駆けてその岩だらけの坂を、下り始める。

ゼイブンが、オーガスタスの横でローフィスの降り行く姿を、息を飲んで見つめる金髪の野獣に顎をしゃくる。

「どんな場所も、攻略地点ってのは、あるもんなんだ」

ギュンターはその色男に金の髪を散らして振り向き、噛み付く様に言った。

「嘘を付け!」

その紫の瞳の美貌の男に睨むように見つめられ、ゼイブンは吐息混じりにささやく。

「いいから、俺が通った、後に続け。

解ったか?」

ギュンターは暫くその軽い美男の顔を見つめたが、しぶしぶ頷く。

オーガスタスが先に、両足を馬の脇に打ち付け、手綱を繰って崖を降りるよう馬を促し、ローフィスの後を追い始める。

ゼイブンは横のギュンターと、その後ろに姿を見せるローランデに振り向く。

ローランデの腕に背後から抱かれたファントレイユの、自分を見つめる幼い無邪気なブルー・グレーの瞳が飛び込んで来たが、二人に頷いて見せ、そっと馬を進め、崖を下り始めた。

暗くて、足下が悪い上に、急な坂だった。

が、オーガスタスは迷い無くローフィスの後に続いてゆっくり馬を慎重に繰り、下り行く。

確かに…上からは暗くて良く、見えなかったが、ローフィスの行く後にはかろうじて道らしき細い通路が蛇行して続いていた。

右に…そして左に。

だが体が思い切り前に傾き、腿でしっかり挟み込んで無いと馬上から転がりそうになる。冷や汗が背に伝うのを、ひしひしと意識しながら、慎重に馬を進める。

月の明かりにくっきりと影を作る岩場の間を、通り抜けるように細い道が続き、夢中でローフィスの背を追いかけているとついに、底が無いと思われた平らな場所に、降り立つ。

ゼイブンも真っ直ぐ降りず右に、左に、少しずつ馬を促して進み行く。

ギュンターは吐息を吐いてゼイブンの背を見つめ、がローランデにそっと振り向くと、彼は背後のシェイルに、自分の後に続けと伝言していた。

ギュンターはゼイブンの降りた道筋を辿りながら、半分陰で月明かりの十分届かない暗いその崖を、降り始めた。

上から見たら大変急な坂だったが、ゼイブンの後を付いて行くと確かに、岩や小石の隙間に細い、道筋らしきものがある。

蛇行して降りて行くせいか、この高さに関わらず馬はそれでも、怖がらずに歩を進め行く。

夢中でゼイブンの後を追うと、いつの間にか崖を、降りていた。

先に降り立つローフィスとオーガスタスが、顔を上げて皆の動向を見守る。

シェイルはローランデの後に続き、心配無いようだった。

ディングレーが、崖の上に立つと、アイリスが背後からそっとつぶやく。

「降りられそうか?」

ディングレーは素っ気なく言った。

「エリスは、大丈夫だ」

アイリスは彼の、馬を見た。

確かにその見事な黒毛は、急な崖を怖がる様子が無かった。

そっとテテュスに視線を送り、微笑む。

テテュスはさっきの『死に神』が、冬の氷の溶けた春のような柔らかで暖かい微笑みを浮かべるのに、心が震った。

アイリスにとって自分は春、そのものだと解って。

ディングレーはそっとテテュスの耳元でささやく。

「…行くぞ」

手綱を緩めるとエリスはそれが合図のように、そっとシェイルの辿った道筋を伝い行く。

ディンダーデンは暫く無言で、崖を見つめた。が、隣で覗うアイリスに、そっと告げる。

「…本気か?」

問うその年上の男に、アイリスは呆れたように先に降り立ち、崖下からこちらを見上げる仲間を、目で指し示す。

「あれを、どう取る?」

ディンダーデンは嫌そうに、アイリスの微笑を浮かべた顔を見つめる。

「可能だと、言う事だな」

アイリスはにっこり笑うと

「その、通りだ」

と言ってディンダーデンに、とっても嫌われた。


「そんなに怖く、無かったろう?」

降り立った後アイリスにそう言われ、ディンダーデンは思い切り彼を、睨み付けた。

「怖かったのか?」

ギュンターとオーガスタス、そしてシェイルの声が揃い、皆が顔を見合わせる。

ローフィスが、ふっ。と吐息を吐く。

「この先の道は飛ばせない。

足下が、かなり悪いからな」

ローフィスの言葉に思わずギュンターは周囲を見回す。

だが月明かりに影を作る、岩場の平な場所が広がるばかりで再び崖がある様子でもなく、ほっと安堵した。

ローフィスは察してギュンターに告げる。

「岩場だ。

馬が足を痛めないよう進まないと」

オーガスタスが頷く。

シェイルが、心配するように言った。

「随分暗いぜ?」

レイファスはその心配が、ミュスの為だと気づいた。

ミュスのような馬を、傷つけたくないシェイルの気持ちが解り過ぎる程解ってつい、俯く。

だがローフィスは頷くと、つぶやく。

「だから、速度を落とすんだ」

ディンダーデンが思い切りぼやく。

「街道を、敵を片っ端から斬り殺して、ぶっ千切った方が早く無いか?」

オーガスタスが笑う。

「お前の性には、合ってるだろうな」

ゼイブンは近衛の色男に振り向く。

「こっちの方が早い。

直線距離だからな…!」

ディンダーデンは神聖神殿隊付き連隊の色男にぶすったれた。

「言ってろ!」

ローフィスが先に馬を進めながら、忠告した。

「口は、閉じてろ。

舌を噛むぞ」


 岩場は起伏に富み、確かに崖より厄介だった。

ファントレイユはローランデが馬を傷つけないよう、慎重に歩を進めるのを、見つめた。

下はごつごつしていて、岩と岩の間に足を滑らせたりしたら、馬の細い足を痛めそうだった。

「いい子だ…。無理するな」

ローランデの優しい声に、その柔らかな白に近い栗毛の馬は、応えるように慎重に歩を、進める。

ファントレイユは彼の馬は雌だと、感じた。

時々、その馬は主人が気遣うのと同様、背に乗せた小さなファントレイユを、気遣うように優しく、背に包み込んでくれたので。

だから彼女が岩の上から一瞬、ずっ!と足を滑らせた時、叫びはしなかったけれど、心が悲鳴を上げた。

が、馬は直ぐに足を持ち上げて、その先の岩の上に、乗せて振り向く。

大きく長い顔の彼女と目が合った時

『大丈夫』

と言われた気がして、ファントレイユはその白に近い栗毛の鬣を、そっとなぜた。

レイファスは、ローフィスの言う通り口を閉じてないと、舌を噛む…!とずっと、唇を上下離さないよう気を遣い続けた。

がくん…!がくん!と、馬の背が大きく上下したり、崖を登ってるのかと思う程高く斜めに成ったかと思うと、いきなり下ったり。

でも背後のシェイルは自分に見せる優しい気遣いを、ミュスにもして見せた。

決して急かしたりせず馬に道行きを任せ、目を配り平らな岩を見つけると、ミュスに促して判断を、仰いだりした。

ミュスはシェイルの指し示す場を、吟味し行くのを止めたり、そちらに歩を進めたりして、慎重にローランデの馬の尻を、追いかけ続けた。

ディングレーは全く指示を、与えなかった。

エリスの進むに任せ、馬の背に、呼吸を併せて自然に跨ったままだった。

テテュスは幾度も揺れて前にいざっては、エリスにその重さを知らせたが、ディングレーは柔らかく上体を揺らし、まるでエリスの体の一部のようで、エリスにとって自分だけが、動く度重い荷物を背負ってる。と感じさせて、恥じ入った。

必死で、腿に力を込め、上体がいきなり揺れたり動いたりしないよう、ディングレーを見習って柳のようにしなやかに揺れて、エリスの動きに合わせるよう、気を使い続けた。

オーガスタスが時折背後を振り向くのに、ディンダーデンは気づく。

オーガスタスが、二人分の重みのかかるローランデとシェイルとディングレーの馬を気遣ってるな。と感じたが、ギュンターに隣でそっとささやかれる。

「他に気を取られると、まずいぞ」

ディンダーデンは解ってる。と手綱を引いた途端、彼の馬は足を滑らせ、ディンダーデンは慌てて、その横の平らな岩に馬を、導いた。

大した距離でも時間でも無かった筈だが、ようやく転がる岩が小さく成り、とうとう小石の転がる道に出た途端、皆が一様にほっとした。

そしてまた、まっとうな道に出くわすと、ゼイブンがローフィスの顔を、見る。

「どうする?

この分だと、ここも奴らの配下が張ってるぜ」

「近道を、知ってるのか?」

ローフィスの問いに、ゼイブンは頷くと、付いて来いと促し、道の横の少し坂に成った茂みへと入って行った。

ディングレーが吐息を吐く。

「この分だとまっとうな道は全然、進めないようだ」

テテュスはつい、そんな彼に振り向き、見上げた。

頑健で頼れる逞しい肩と胸が視界に入り、彼の艶のある黒髪が月明かりの下、その胸元で揺れていた。


 ゼイブンは馬上ですら視界を塞ぐ程の高さの茂みの中の蛇行した細い道を、そこそこの速度で馬を走らせ、そして止めると青白い月明かりを頭上に浴び、くっきりと影を作るその顔を振り向かせて、皆に告げる。

「水の中を歩くから、馬を下りろ。

子供達はそのまま馬上に残せ」

「どうして水の中だ?」

ギュンターが問うと、愚問だ。

とローフィスとオーガスタスが月明かりを背に、揃って憮然とした表情で、跨った馬から降りながら視線を向ける。

ギュンターが二人に揃って見つめられ、吐息を吐いて手綱を握り、唸った。

「川を、渡るんだな?」

ディンダーデンは、馬上で怒鳴る。

「橋が、無いんだな?!」

前方の様子に、ローランデとディングレーは一瞬目を見交わせ、軽い吐息を吐いてそれぞれ馬を降りる。

シェイルは軽やかに飛び降りると、馬上に残るレイファスを見上げ

「しっかり鞍を、掴んどけ!」

と言った。

が、見下ろす心配げなレイファスの表情に、艶やかな笑顔を見せる。

アイリスは足を跳ね上げ様馬をすとんと降りて手綱を掴む。

一同は馬を引きながら深い茂みを掻き分ける、ゼイブンのその背に続いた。

丈の長い茂みが周囲を覆い尽くす中を進むと、直ぐ、足下に水が染み出して来て、前方からはじゃぼじゃぼと水の中を進む音が聞こえ、ついディンダーデンが、濡れ始める足下に眉間を思い切り寄せて叫ぶ。

「どれ位迄浸かる?!」

月の明りに濃い陰を作る周囲を覆い尽くす茂みが、徐々に水面に金の粉を散らす川面に取って代わる遙か前方から、ゼイブンの声が聞こえた。

「まあ、深くて腰くらいだ」

ファントレイユは高い馬上から、周囲の背の高い草が無くなりどんどん水で覆われて行くのに思わず辺りを見回し、斜め前で水に浸かって馬を引くローランデの背を、見つめる。

その(くるぶし)迄浸かった水が今や、膝近く迄ある。

「…冷たい?」

そっと尋ねると、振り向くローランデはやっぱり優しい微笑を湛えていた。

「大丈夫」

だが直ぐ、ディンダーデンの大人げない声が前方から響いた。

「冷たいに、決まってる!」

ギュンターは斜め後ろの、手綱を引いて転ばないよう下を見ながら怒鳴る、その男に心の中では同意したものの、子供の手前もあるのにな。と吐息を、吐き出した。


 レイファスは馬上からそっと、馬を引くシェイルの背を、見つめる。

一行の中で一番小柄な彼は、水丈が増すと、一番浸かる。

「風邪、引かない?」

そっとつぶやくと、シェイルは振り返る。

月明かりで黒々とした水の表面が、零れる光で金に、きらきらと光っていた。

振り返る銀の巻き毛を胸に流すシェイルの美貌はやっぱり綺麗で、レイファスはミュスに捕まり、揺れながら影を作るシェイルの美しい顔立ちを見つめた。

が、シェイルは呻く。

「そんなに、柔じゃない」

腿の半ば迄水に浸かったシェイルが、冷たくても表情に出さないと解って、レイファスはそっと頷いた。

テテュスは、その流れの殆ど無い川を無言で水を掻き分けどんどん進むディングレーの、逞しく頼もしい背を見つめ続けた。

エリスと二人(?)切りで、テテュスはそっと、エリスの鬣をなぜて労った。が、エリスが背のテテュスを、揺れないよう気遣い歩を進めている。と気づき、エリスに心の中でそっと

『重たくて、ごめんね』とささやいた。

エリスは気づいたように一瞬背を揺らし、でも軽く振り向き、主人のディングレー同様素っ気なく

『気にするな』

と、返答したように、テテュスは感じてつい、笑った。


 水から上がると一面草原のような広々とした川岸で、全員が一斉にやれやれ。と足を引き上げ、ブーツを引き抜いては、それぞれがブーツを傾け中の水を、草の上に空けていた。

どさっ!

テテュスはディングレーの重みを背に、感じる。

やっぱり凄く、逞しくて立派な感じがし、アイリスだって体格が良いのに、どうしてこんなに感じが違うんだろう。と首を捻った。が、そのアイリスが馬に跨り、横に来て顔を、覗き込むように見つめていた。

「アイリスは、大丈夫?」

そう尋ねると、だがアイリスはテテュスの方こそ、どうなんだろう?と心配する顔つきで、優雅で品の良い彼の端正な顔が、さっきの道で“死に神”に変わったのを、ふと思い出す。

「まだ、危険?」

アイリスが、どうだろう?と前方の、大変な道だけれど敵と出会わずに済む優秀な道案内人、二人の、馬上で話し合う姿を見つめた。

ディングレーが、背後で吐息を吐く。

「まあ…危険を避ける為には、別の危険も付き物だって事だ」

アイリスはそのぼやきに、ディングレーがディンダーデン同様、街道を敵を切り裂いて進む方が何倍も慣れてる。と感じ、くすりと笑った。


 ローフィスは川を抜けた草原に馬を進めると、その先にやっぱり本道が見えて来るのを、目にする。

そちらに進もうとするゼイブンの背に、声を掛る。

「最短の近道が、ある」

ゼイブンが、月に照らされたなだらかな傾斜の草原の、その奥の黒々とした森へと促すローフィスに振り向くと、直ぐ後ろに続くオーガスタスも同様、ローフィスを見つめた。

ローフィスは二人の視線を受けて口を開く。

「だが、とっても足場が、悪い」

ギュンターもディンダーデンもそれを耳に思い切り、俯いたし、ゼイブン迄もが眉間をうんとしかめ、オーガスタスにこっそり耳打ちした。

「ローフィスのとっても…は、最悪と言う意味だ」

オーガスタスは頷くと、乗り気の友の意見に従った。

「外れるぞ!」

総大将のその言葉に、ディンダーデンもギュンターも吐息を吐き出し、俯いた顔を、上げなかった。


 黒々とした森を駆け抜け始めると、ざわつき、何かが襲って来るような恐怖を一瞬、ファントレイユは感じた。だが、背のローランデの温もりはとても暖かくて、ファントレイユはそれに集中していると、恐怖を忘れた。

けど森は直ぐ開け、その先には大きな滝があった。

真っ平らなその幅広い川の水が、滝壺に轟音を蹴立てて流れ込み、もうもうと水煙を起ち上げている。

水は勢いを増し、幅広い激流の川がその行く手を塞ぐ。

…行き止まりだった。

だが、行き止まりの筈の蔦の壁を通り抜けたゼイブンの事を皆が覚えていて、シェイルがその激流を見つめ、そっとつぶやく。

「…泳いで渡る?」

ローフィスは滝壺に続く横道を、滝の方へと馬を進めながらつぶやく。

「滝の、裏を通る」

一同は一斉に、顔を下げた。


 進むにつれ、前方に激しい音を立てて流れ込む滝の水煙が、左手にそびえる岩壁の影を落とす暗い岩肌の道を濡らし、滑る。

滝の爆音はどんどん大きく成り、霧のような水が体を被い、冷んやりとした冷気に包まれる。

左手の岩壁がだんだん高くなり、右手はすとん。と切り取られたような垂直の崖で、その真下は滝壺だった。

その上…進む道は濡れてどんどん、横幅が細くなって行く。

ローフィスが馬から降りるのを目にし、ギュンターは、やっぱり…と吐息を吐いた。

オーガスタスが馬を降りて、前方の友の背に、その大柄な肩を揺らし怒鳴る。

「俺にでも、渡れる道なんだろうな?」

ローフィスは軽く振り向き、怒鳴り返す。

「大丈夫だ!」

だがローフィスの直ぐ後ろのゼイブンはとっくに馬から降りて手綱を握り、オーガスタスに振り向くと

「『せいぜい、足を滑らせないよう頑張れ!』という意味だ」

と付け足した。

ローフィスが思い切り振り向き、ゼイブンに怒る。

「いちいち、俺の言葉を拡大解釈するな!」

ゼイブンは怒鳴り返す。

「どこが拡大だ!

まんまだろう?!」

オーガスタスは二人の言い合いに首と肩を下げ、関わり合いに成らず水に濡れて滑る足下に、集中しよう。と思った。


 テテュスは、ディングレーが爆音を蹴立て、水煙を霧のように漂わせる滝の背後に入った途端、濡れた岩肌の幅の細い道を見つめ、一つ吐息を吐いて馬からそっと、降りるのを、見た。

テテュスも続いて、馬から滑り降りようとする。

月明かりの中目前が、左は真っ直ぐの岩壁で、道幅は馬の横幅がやっとあるくらい狭くて、右側がすとん。と真っ直ぐ垂直な崖でその下に川の水が爆音を蹴立てて流れ込み、巨大な渦を巻くのを目にして。

ディングレーの頑健な腕が彼の腰を、支えて馬上に止める。

「降りるな!」

「でも…!」

ファントレイユもレイファスも、ローランデとシェイルの馬達は、とても軽い荷物を背に乗せて居るように何気なく、歩を進めている。けれど…。

テテュスはエリスを心から愛してるディングレーと、自分を乗せて背を揺らすエリスの、黒毛の鬣を長く垂らした艶ややかな黒く長い首を、見つめた。

エリスが自分の重みでバランスを崩し、水で濡れた足下に足を取られ、もし、一緒に滝壺の巨大な渦に飲まれたりしたら…。

きっとディングレーはとても、悲しむに違いない。

テテュスはディングレーに振り向くと、必死に訴えた。

「僕は、ファントレイユ達と違ってとても、重いんだ!」

ディングレーはそんなテテュスを見つめ、確かに鍛えて来なかったファントレイユとレイファスは羽根のように軽いが、ちゃんと筋肉の付いているテテュスは彼らより体が大きく、少し重い事に気づく。

が、エリスを見る。

「…いいから、そのまま乗ってろ!」

「だって…!」

テテュスが震えていて、馬を降りたアイリスが背後から、ディングレーにそっと告げる。

「降ろして、やってくれ。

君の後ろに。

私が彼を見る」

アイリスの言葉に、ディングレーは一吐息を吐くと、テテュスが馬から降りるのを手伝い、抱き上げる。やっぱりテテュスを抱くと特別な気分に成り、その健気な子供が、愛おしくてたまらなくなる。

ディングレーは心の中でそっと、つぶやく。

彼が震える程に彼は、重くないのに。

だがディングレーはその体を自分の後ろに、降ろした。

途端、アイリスの手がテテュスの肩に置かれる。

「足下が濡れてる。

滑らないで、歩ける?」

テテュスは振り向き、アイリスを見上げると頷いた。

その時エリスが黒く長い顔で振り向き、ディングレーは愛馬のその気遣う表情で、テテュスがエリスの為にその背から降りたと気づく。

エリスに近寄り、首をそっとなぜて言ってやる。

「アイリスに、たまには親父らしい事をさせてやれ」

エリスは顔を前に戻し、ブヒヒヒ…。

とくぐもる、同意とも不満とも取れる声を、洩らした。


 オーガスタスはすっかり滝の真後に入りその道が、どんどん細く、ずぶ濡れなのに眉をしかめる。

しかも滝の水で月明かりは隔てられ、その光は揺れて岩壁を照らし出し、仄暗い。

その上轟音を蹴立てる滝側の道のその横は、切り立った崖で足を滑らせ落ちたら最後、清流渦巻く巨大な滝壺に真っ逆かさまだ。

ますます細くなる道を足先で辿り、滑らないよう慎重に歩を進め、時折り後ろに引いた赤毛の愛馬ザハンベクタを気遣いながら、そっと進む。

が先を見るとその道がそれ以上細くならないのに、ほっとする。

突然先頭を行く筈の、ローフィスとその馬の姿が消えている事に、愕然とする。

が、ゼイブンが滝とは反対側の岩壁に、くるりと向いて馬と共に姿を消して行くのに気づく。

ああ…。でっかい穴があるんだな。

オーガスタスはそれ以上、その細く濡れた道を進まなくていいのに心の中で感謝し、馬を、それでもそっと引いてゼイブンの後に続き、真っ暗で巨大な穴、洞窟へと足を踏み入れた。


 ギュンターはディンダーデンが、ぼやきもせず随分静かなのについ、振り向き様子を伺うが、その色男は普段一度も見せた事の無い、真剣そのものの表情で足下を探りながら、慎重に後を付いて来ていた。

そのあまりに切羽詰まった、生真面目な顔に思わず、ぷっ!と吹き出し、金髪を揺らしながらオーガスタスが消えた洞窟へと、入って行った。


 ファントレイユは足下を見たら、馬が足を滑らせて直ぐ横の崖から落ちそうで気が狂いそうにどきどきし、必死に見ないよう顔を上げ、ふと後ろに振り向いてレイファスを見た。

シェイルの馬の首で見え隠れし、その様子はチラチラとしか見えなかったけれど、レイファスは周囲を、やっぱり

わぁ…!

と首を回して眺めていて、右に滝の、水のぶ厚い巨大なカーテンと、左に切り立つ黒い岩壁が、水を通した月明かりに仄暗く水色に揺らめき浮かぶ光景に夢中で、その一度も見た事のない景色を、目に焼き付けているように見えて彼のその度胸を心から、羨ましいと感じた。

今度もやっぱりローランデの優しい雌馬は

『大丈夫。私は足を、滑らせないから安心して』と、優しく包み込む背中の“気"で告げていて、ファントレイユを随分、安堵させた。


 レイファスは滝の後ろに進むにつれ、水しぶきと冷気が霧のように降りかかり、寒さにぞくっとしてそっと、前を進むシェイルの華奢な背を見つめる。

自分ですら寒くて手が(かじか)むのに、水に浸かったシェイルはもっと、寒いだろうと、気が気じゃない。

だが、風邪を引くんじゃないかと見つめるレイファスの視線に気づくと、シェイルは振り向き、皮肉な笑いをその表情に浮かべる。

レイファスは気づくと

『俺の外見が柔だから、直ぐ風邪引くと思ってるな?!』

と凄まれたと気づき、俯いて、はーっ。とため息を、吐いた。

ディングレーは前の連中がずっと滝の裏を通るんじゃなく、その崖の中の、あるだろう洞窟に次々に消えていくのに、ほっとした。

正直、延々と片側が轟音轟く滝壺の、濡れた細い道を渡り続けるのは、神経が保たなかった。

振り向くとテテュスは一生懸命、右の岩壁に手を滑らせ足下を見て進み、アイリスはテテュスが転んだらいつでも、手を差し伸べようと背後から彼を、覗き込んでいた。

自分と自分の馬。その上前方に居る息子の心配迄する。

アイリスは本当に、一度に多方に気を配れる大した奴だと思い、だが父親とも成ると、それ位出来なけりゃならないのか?と自問した。

だが進むテテュスの足取りは、たどたどしいながらもしっかりしていて、アイリスの出番はどうやら無いな。と思うと、奴が気の毒でくすり、とディングレーは笑った。


 その洞窟は始めは広く、奥に行くにつれ細く成っていった。

その岩壁は、水を通した月明かりで揺らめく水色に照らされ、その奥は真っ暗だった。

皆が足音を響かせて進む中、その内枝道に出くわす。

皆は馬を引くローフィスが、惑う事無く右側の広い道へと入っていくその後を、ぞろぞろと続いた。

だがその縦のうんと長い枝道へと入ると、一条の光が高い右上の岩壁から降り注ぎ、道が明るく月光の青白い光に照らされるのに、入った皆が次々気づく。

真っ暗な場所があるかと思うと、岩の隙間から月の光の差し込む場所があり、その洞窟の内部がいかに黒々とした岩に囲まれた場所かを、一同にはっきりと示した。

だが道幅はまた狭く成り、足場はそれ程悪く無いものの、両端を岩で被われる圧迫感に、オーガスタスが眉をしかめる。

つい前に怒鳴ろうと口を開けた瞬間、ローフィスの声が飛んだ。

「これ以上は、細くならない!」

オーガスタスは開けた口を一度閉じ、息を吐いてつぶやく。

「お気遣いに、感謝する」

ローフィスはその皮肉の籠もる親友の言葉に軽く、肩をすくめた。


 ファントレイユは今度は馬上で、レイファスのようにゆっくりそれを、眺められる余裕が出来た。

上を見ると、高く成るにつれどんどん狭く成って行く天井。右側の岩が薄いのか、所々小窓のように亀裂が横一列に並び、高い頭上から光が差し込んでそれが道に沿って、光差す場所と暗い場所が交互に出来、神秘的な光景を作っていた。

亀裂から入る月明かりの場所を通りかかると、まるで月光を、全身に浴びたように姿が白金に照らし出され、そしてまた、暗い場所へ入るがその先にやっぱり、亀裂から漏れ出る白っぽい光が、行く先を照らし出す。

かつん。かつんと成る駒音は、空洞の岩壁に反ね返って耳に大きく響き渡る。

ファントレイユはその不思議な光景に見とれて、その道を声も無く、周囲に頻りに目を振りながら馬に揺られ続けた。


 シェイルは、とうとう月光に照らされる馬上のレイファスの顔に振り向き、怒鳴った。

「風邪はまだ、引いてないぞ!」

洞窟内の冷え切った空気に身を包むレイファスの視線はシェイルに注がれたままで、心配そうな表情を浮かべとその小さく可憐な唇を開く。

「薬草、持って来てる?」

シェイルはつい、声を荒げた。

「風邪は引かないから、要らないんだ!」

レイファスのため息が聞こえ、シェイルは自分が、彼の子供のように心配されるのにうんざりした。


 テテュスはすっかり馬に乗る事を忘れ、アイリスに手を引かれて、細く成る洞窟を一緒に歩いた。

テテュスもその、光と暗がりが交互に訪れる神秘的な景色に

「わぁ…!」

と見惚れて周囲を見回し、アイリスに

「こんな場所、アイリスはとっくに来た事ある?」

と尋ね、アイリスの

「こんな景色は見た事があるけれど、ここは初めてだ」

という言葉に、視線を周囲に注いだまま、頷いた。


 洞窟を抜けると頭上から月の光が降り注ぎ、一面青白い草野原が広がる。

ファントレイユもレイファスも、そして馬を降りたテテュスもがその開ける場所の、草が短く生えそろい、その向こうに青白い月光の中、花が色取り取りに咲き乱れ、くねる幹のどっしりとした樹木に蔦の絡りその枝を長く伸ばして葉を蓄える、とても神秘的で綺麗な、奥まった庭のような景色を、呆けて見つめた。

ローフィスが、最後尾のアイリスが洞窟を抜けた事を振り向いて確認すると、言った。

「『西の聖地』だ」

皆が一様に押し黙り、アイリスが戸惑った後、つぶやく。

「…つまり、領地内って…コトか?」

ローフィスはその通りだ。と明るい栗毛を肩の上で揺らし、肩をすくめる。

ディンダーデンが大きな吐息を吐き、その逞しい肩を揺らすと、どさっ!と草の上に腰を下ろし、アイリスを見上げた。

「休養、出来るんだろうな?」

アイリスは、ディンダーデンのその青の流し目を受け、それは戸惑った。

ディンダーデンは埒が明かない。と総大将のオーガスタスを見つめ、その大柄な男にぼやく。

「手配、してると言ってたろう?」

オーガスタスは急かす彼の言葉に一つ、吐息を吐くとアイリスに振り向き、言った。

「…してるんだろう?」

アイリスはその大柄な男の鳶色の穏やかな瞳に見つめられ、俯き、つぶやく。

「してるけど………」

テテュスもレイファスもファントレイユも、道で鬼神だった彼の、その心から困惑する弱々しい表情に、目が釘付けに成る。

「けど?何だ!手違いが、あったってのか?!

休めるんだろう!」

ディンダーデンが怒鳴り、ローフィスもアイリスに向き直る。

が、アイリスはローフィスに見つめられ、しどろもどろった。

「だって…それは、正面玄関から取り次ぎに、会った時の話で………。

ここはその…中庭なんだろう?」

「だから、何だ!

中のどこが悪い!」

ディンダーデンは凄み、ディングレーは気づいて顔を、下げた。

「ローフィス。正面玄関はここから…?」

ローフィスは思い切り俯くと

「元来た道を戻り、ぐるっと回って…。

まあ随分と、遠回りに成るな」

ディンダーデンは、そんな馬鹿な!と目を剥く。

「だって、領地内なんだろう?!」

アイリスは俯いたまま、言った。

「中庭と正面玄関の間の門には、(かんぬき)がかかっていて…。鍵を持ってないと、行き来出来ない…。

それに、昼間なら皆人外の力を持つ者ばかりだから、心の中で

『ここに居るから、見つけてくれ』

と言い続ければ誰かが気づいて来てくれるだろうが、今は真夜中だ………」

だがディンダーデンは、座ったまま凄んだ。

「休めるんだろうな?!」

その、強引な脅迫に、アイリスは仕方無いなと肩を落とすと

「じゃあ…。

とっても、はしたないけど、神聖騎士団長の、寝込みを襲うか………」

この言葉にギュンターと、ゼイブン迄もが俯いて吐息を吐き出し、シェイルもローランデも顔を、上げなかった。


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