4 ある日の出来事
領地の、ファントレイユの友達に6つも年上の、アロンズが居た。
彼は執事の息子で、暗い栗毛の青い瞳の、大理石のような白い肌のとても利発そうな子供で、彼らよりようんと背が高く、大人びていた。
いつも地味な身なりはしていたが、とても綺麗な、神話の若く凛々しい神様のような顔をしていて、ファントレイユは彼がいつも優しいので、とても懐いている様子だった。
彼の年の離れた妹はファントレイユ達より2つ年下で、いつもアロンズにまとわりついてた。
あまり顔立ちのいい女の子じゃなくて、赤毛でそばかすだらけで、神秘的な美男の兄と同じ血が流れてると思えなかったが、ファントレイユもアロンズもとても彼女を大事にしていた。
彼女は二人に優しくされると途端、無邪気に微笑む。
その笑顔が素晴らしく愛らしくて、二人が彼女を大切にする理由がレイファスにも解った。
だがアロンズは毎度、レイファスのとても可憐な美しさに見とれてた。
アロンズはそろそろ異性を意識する年頃だったし、実際女の子にモテていた。
だがどの女の子よりもそれは可愛らしく可憐なレイファスの一際人目を引く美貌には、男の子だと解っていても、必ず頬を染めて見とれる。
レイファスは気づいていて、それはにっこり微笑んでみせたりするから、ファントレイユはレイファスが何か企んでいて、アロンズに愛想を振りまいているな。と感づいた。
レイファスが、尋ねる。
「アロンズはもう大きいから、一人で村に買い出しに行く事も、出来るって本当?」
妹のサイシャに聞いたんだな。と、アロンズは笑った。
「でも、本当に伝言くらいだ。
支払いとかの、お金は持たせて貰えないんだ」
ファントレイユもレイファスも、セフィリアにそれはきつく、領地の外出を禁止されていた。
でも領地内はそれ程広く無かったし、セフィリアや召使いに見られず暴れ回るには、それは、苦労した。
彼らを探す召使いの姿が見えると途端、二人とも騎士ごっこの木の枝を引っ込めて隠さなければならなかったので。
外れの小川や大木の辺りに長く居ると決まって誰かが、二人の姿を探しにやって来る。
レイファスはもう、その監視体制の厳しさにうんざりの様子で、領地の外へ冒険しに出かけたくてうずうずしていたし、ファントレイユにもそれは良く解ってた。
ある朝とうとうレイファスがセフィリアに尋ねる。
「アロンズは今日も、領地の外に出かけるの?」
セフィリアは微笑んで頷く。
「ええ。使いを頼んだわ」
この所二人がアロンズとその妹サイシャと過ごしている様で、セフィリアにはそれが嬉しかった。アロンズは彼女も認める、息子の友達としては及第点を遙かに超えた、優等生だったので。
レイファスはセフィリアの返答に
「そう」
と頷き、会話を終わらせる。
セフィリアはアロンズが出かけるので、この後は遊べない。とレイファスが納得したと思ったが、ファントレイユは違ってた。
チラ。とレイファスの、その表情に微塵も出さない思惑を、読み取ろうとする。
相変わらず、ファントレイユの父親不在の朝食だった。
彼の父は身分もそう高く無い、笑顔の可愛い人好きのするハンサムで、ファントレイユの髪も瞳も、父親譲りだった。
なかなかの美男子で、それは美人の彼の母親と結婚したが喋のような男で、ひらひらとご婦人の間を渡り歩いて、家に戻らない事しばしばで、実はレイファスは彼の父親と、殆ど会った事も話した事も無かった。
ファントレイユに言わせれば彼の母親が、夫があんまりしつこくじゃれてくるのでうっとおしくなって、余所で遊んで来いと言った所、その通りになったそうだ……。
この話を聞いた時、レイファスは何も言えなかったが、ファントレイユもそれで話を終わらせた。
ファントレイユはレイファスを始終伺ったが、レイファスはすました顔で朝食を終えた。
「…何か、考えてる?」
ファントレイユにそっと聞かれ、レイファスは途端、にっこり全開で笑う。
彼がファントレイユに見せるそのとても可愛らしい笑顔は
『悪巧みを実行するぞ』
と言う合図で、ファントレイユは一瞬身が震った。
朝食後、レイファスは領地の外へと出かける支度をしているアロンズの側にまとわりつく。
アロンズは小さな荷台を馬に繋いでいた。
レイファスはそっと横に付くと、覗き込んで尋ねる。
「…出かけて、荷物を載せて、ただ帰って来るだけ?」
アロンズは尋ねるレイファスに振り向き、優しく笑った。
「それも、うんと近くの農家だよ?」
「村じゃないの?」
レイファスの喰い付きに、ファントレイユの嫌な予感がますます高まる。
「村と言えば…村かな?
農家が五軒くらい集まってて、ちょっとした小さな雑貨屋があるし…。
そこで自分の買い物を、してもいい事になってるんだ」
「何を買うの?」
「砂糖菓子とか…。火打ち石とか。ペン軸とか…。
雑貨だよ」
アロンズは荷台の上に、丈夫な布を掛けた。布の下には空の籠や樽が乗っていて、レイファスが確認していたのをファントレイユは知っていた。
「もう、行くから…」
アロンズがレイファスに微笑み、レイファスはにっこりと頷く。
アロンズが馬に跨る隙に、レイファスはさっと荷台へと回り、乗り込むと布の下へと、一気に潜り込む。
ファントレイユはあっと言う間に姿の見えなくなるレイファスを、呆れて見た。
レイファスが、布の下から手招きしてる。ファントレイユはそれは躊躇したが、もうアロンズは馬に拍車を入れていた。
ガタン…!
荷台の車輪が音を鳴らす。
じき、動き出す。
レイファスがまだぐずってるファントレイユに向かって、来い!と合図を送り、ファントレイユは荷台がゆっくり動き出すのを見、慌てて乗り込む。
アロンズが、ふ、と視線を荷台に送った。
その小さな台を見たが、布が僅かに揺れているだけだった。
風かな?
アロンズは思ったが、そのまま馬車を走らせた。
小さな荷台の中は樽が邪魔してはいたものの、空の籠の上に乗っていればファントレイユとレイファスくらいの小さな子供にとって、丁度良い空間だった。
「…レイファス!絶対まずいよ!」
ファントレイユが小声で言うが、レイファスはにっこり笑うだけで、ファントレイユはますます焦って顔を寄せ、ささやく。
「アロンズには、絶対にバレる!」
「…そりゃ、バラすよ?」
「…だってアロンズは、僕達を連れて行くなんて、一言も……」
しっ!とレイファスが唇に指を当て、門を通るのだ。とファントレイユは気づく。
門番のじいやがアロンズに気安く、門を開けて通す。
小さな荷台を引いた馬車は、ごろごろとまた、道を転がり始めた。
レイファスはもう、わくわくしているみたいだった。
が、ファントレイユは、もしバレたらアロンズがひどく叱られる。と思うと、気が気じゃなかった。
レイファスはファントレイユの心配が解ってるみたいに、物知り顔でつぶやく。
「近くの農村ならそんなに危険だって、無いはずだろう?」
「でも………」
ファントレイユの領地の周辺はあまり警備が厳重で無く、盗賊達が時々ここより少し離れた森によく身を隠し、それで余計ファントレイユの外出を、セフィリアは阻んでいた。
「…でもごろつきが良くうろついてるって。時々、がらの悪い男も出入りしてるって聞いた」
だがレイファスは頷きながらつぶやく。
「セフィリアがそれだけ気を配ってるんだ。アロンズだってまだ11だろ?
そんな危険な所に一人で行かせる許可なんか、セフィリアは出したりしないよ」
「それは…。
そうかもしれないけれど……」
ファントレイユの心配そうな表情に、レイファスは微笑んだ。
「そんなに長い時間じゃないし、大丈夫さ!」
ファントレイユはため息を、付いた。
確かにレイファスは、今迄上手くやって来てる事は解ってる。
だけど………。
言いつけを、破った事どころか荷台に隠れて門の外へ出る。
だなんて、ファントレイユにとって一度だってした事は無かったし考えた事すら、無かった。
が、二人が乗って暫くだった。
荷台が止まり、レイファスは、だろ?とファントレイユを見る。
その場所は門の前の道を少し左に入った辺りで、木々をかき分け進むと領地の周囲を取り巻く石塀が見えるんじゃないか。
と言う位、近かった。
布の間から覗くと、アロンズが農家の納屋に入って行くのが見える。
「…荷物を積むのかな?」
暫くしてアロンズが、籠の上に果物をいっぱい乗せて戻って来た。
農家の女将さんが微笑んで彼に、おみやげも持って行って。と笑い、アロンズは頷いて荷物を、荷台に乗せる為近寄って来た。
アロンズが籠を置いて布を取り払う前に、レイファスが布の下から姿を現す。
ファントレイユはあんなにびっくりしたアロンズの顔を、見た事が無かった。
まるで天地がひっくり返ったような驚きようで、レイファスがとてもしょげた表情でアロンズに謝罪する。
「…ごめんなさい………」
アロンズはまだ、口がきけなかった。
ファントレイユはどうしていいのか解らなかったが、彼もレイファス同様布を払って立ち上がる。
「…ファントレイユ……君迄?」
ファントレイユはとてもすまない。といった表情で、やはりアロンズに謝罪した。
「…ごめんなさい」
アロンズは暫く、どうしていいのか解らないようだった。
が、レイファスは上目使いにアロンズを見、つぶやく。
「ファントレイユを誘ったのは、僕なんだ。僕の領地でやっぱりアロンズ位の子が農家にお遣いに行く時、良く荷馬車に乗せて貰っていて…。
なんだか懐かしくて、つい、乗っちゃったんだ」
ファントレイユはレイファスを見た。
勿論レイファスの嘘だ。
彼の所だって領地から出たりしたらそれは、怒られる筈だった。
でも全部嘘じゃないのは、その子供とレイファスは内緒の取引をしていて、レイファスはこっそり領地からしょっ中、抜け出している。という事だ。
アロンズはそれは大きな、ため息を付いた。そっとレイファスに屈み、つぶやく。
「もう少し、隠れていてくれる?」
レイファスは、こくん。と頷く。
「君達みたいに目立つ、綺麗な子供が一緒だって解ったら直ぐ奥様に解ってしまう」
レイファスはつぶやいた。
「君の困るような事は、しない…」
その、とても素直な様子に、アロンズは優しく頷いた。
レイファスはファントレイユを促すと一緒に荷台に屈み、アロンズから受け取った果物籠を、荷台の隅に置いた。
そうして、三軒目の農家を訪れた時だった。少し手前でアロンズは馬を止めると、その隅の大木の下に、居てくれと二人に頼んだ。
「…樽を入れ替えるから、君達が乗っていたら農家の旦那に見つかってしまう。
これを、食べてていいから」
アロンズはさっきの農家で貰った干しりんごを二人に渡し、大木の隅に居る彼らを振り向き、微笑みを送る。
風がさやさやと頬を撫で、気持ちのいい緑に囲まれた場所で、とてものどかだった。
「美味しいね」
レイファスが笑うと、ファントレイユもつい、微笑んで頷く。
干しリンゴは少し甘酸っぱく、木の葉のさざめく音を聞き、爽やかな風に吹かれながら食べていると、屋敷の庭で食べるより何倍も、美味しく感じられた。
がさっ!
音に、振り返ると少し離れた、生い茂る木々や丈の長い草むらの向こうに、一人の青年が遠ざかる姿が見え、振り向くその顔に、ファントレイユは見覚えがあった。
農家から、良く卵だとか焼きたてのパンだとかを届けていたフレディと呼ばれる、アロンズよりは少し年上の、黒髪で色黒の少年で、でもいつの間にかセフィリアに、出入り禁止を喰らった子だった。
ファントレイユが見ると、フレディは振り向いたまま、大木の下に居るファントレイユを、じっと見つめている。
年の割に体格が良く、黒に近い焦げ茶の巻き毛と浅黒い肌をしていて、黒に近いグレーの瞳をしていた。
まるでファントレイユがそこに居るのを、さっきから知っていたように暫く、じっと見つめ続けている。
レイファスがフレディのそんな様子につい、不安になって、隣に並ぶファントレイユにそっと、耳打ちする。
「…ガラの悪い知り合いだね?」
ファントレイユはそう告げるレイファスを見る。
「以前、屋敷に出入りしてた。
アロンズも知ってる子だよ」
アロンズと一緒だから、大丈夫。と、ファントレイユは言ったつもりだったが、レイファスは彼がアロンズより年上で、その上体格もいい様子に少し眉を寄せ、不安げな表情を見せた。
「君も何度か、顔を合わせた事があるの?」
ファントレイユは頷く。
「初めは、他の子達と一緒に少し遊んだけど…。
でももう遊び友達にしてはいけない。って、セフィリアに言われた」
レイファスは、頷いた。
「年上過ぎるから?」
ファントレイユは首を横に振る。
「そうじゃなくて…。
少し、乱暴な所があるからって」
「君に、乱暴な事をした?」
ファントレイユは、レイファスを見た。
どうしてそんなに聞くのか、不思議だったが答えた。
「そうでも、無いけど…。
溝に落ちそうになった時、でも助けてくれた」
「セフィリアはそれを見ていたの?」
ファントレイユは頷く。
「…君を助けたのに、どうして遊び友達から外すんだろう?」
ファントレイユはその時の事を思い返す。
「…落っこちないよう抱きしめられたけど…その後暫く僕を離さなくて、セフィリアはそれが気に触ったみたいだ。
フレディが言うには、自分はあんまり清潔じゃないから僕に触るのをセフィリアは嫌がるんだ。って。
…けど」
ファントレイユがふ…と、思い出したように口にし、レイファスは彼を覗き込んで尋ねる。
「けど?」
ファントレイユは躊躇ったが、口を開く。
「…セフィリアは僕と遊ばせる子は、大抵お風呂に入れて綺麗にした後遊ばせる。何日もお風呂に入ってないデッロだって、僕と遊ぶ時はまずお風呂に入れられたって」
レイファスは眉間を寄せると、覗うような秘やかな声音で尋ねる。
「…その時フレディは君に何か、ヘンな事をしなかった?」
「ヘンって?」
「君、だって女の子みたいだし」
ファントレイユはもの凄く、むっとした。
「僕もそうかもしれないけど。
けど君の方がうんと女の子に、見えると思うな!」
レイファスは、そんな事はとっくに知ってる。と肩を、すくめる。
ファントレイユがそれは怒ってるみたいで、レイファスはもう口を開かなかった。
が直ぐにアロンズは戻って来る。
二人は揃って荷台に乗り込んだ。
樽は中味がいっぱいになっていて、たっぷん、たっぷんと音を立てた。
村の真ん中の、広場に面した場所に雑貨屋があり、アロンズは布の下の二人にささやく。
「もう少し待っていて」
二人はこっくり頷いた。
アロンズは直ぐ戻り、荷台はまた動き始める。
けど暫く行くと、止まった。
足音がし、布を少し上げてアロンズが、二人に向かって微笑みを見せる。
「もういいよ。少しここで休もうか?」
レイファスは嬉しそうに微笑った。
片側が木の立ち並ぶ森で、目前には草原が広がっていた。
風が吹き渡り、花々のいい香りがする。
アロンズは布を敷いて、二人をその上に座らせた。
なのにアロンズは布の上で無く草の上に腰掛けるのを見て、レイファスは不思議に思って尋ねる。
「アロンズは布に座らないの?」
「…だって君達の服は、汚す訳にいかないだろう?」
とても優しくそう言われ、レイファスは潔癖なセフィリアの事を思い出すと、少し項垂れてそうだね。と頷いた。
三人の前にはミルク壺とコップ。それにいちごのパイ。ハムと野菜がサンドされたバーンズが並んだ。
「わぁ…!」
レイファスが、はしゃいだ声を立てる。
「でもあんまり食べて昼食が入らないと困るから、少しにしてね?」
レイファスは思い切り頷く。
ファントレイユも頬を紅潮させた。
確かに、そんな気持ちのいい場所での内緒の食事は、いつもより倍以上美味しかった。
それに、凄い開放感があった。
言いつけに縛られてない。その事がこんなに違うのか。と思う程。
ファントレイユはレイファスがどうしていつもそんな危ないマネをして抜け出すのか、解った気がした。
「男の子なのに、冒険も無いなんて!」
レイファスはいつも言っていた。
女の子みたいと言われる顔立ちと躾けのせいなのか、彼は折角自分が男の子で産まれたんだから、男の子に出来る事を全部、したいと思ってるみたいだった。
だけど…。
冒険を、ファントレイユも気に入った。
それはとてもわくわくした。
食事の後、アロンズは後かたづけをし始め、二人はその辺を歩き回った。
レイファスは苺の実を見つけて夢中になる。
夜食のおやつにしよう。と、少しずつ場所を変えては草の中のそこら中に姿を見せる、赤く熟れた実を次々と摘み始めた。
ファントレイユはレイファスの様子を見ていたけど、つい気をそらすと近くのうっそうと茂った森の木立の下に、フレディの姿を見つけた。
手招き、してる。
ファントレイユは誘われるように彼の方へと歩を進めた。
フレディはファントレイユが側に来ると肩を抱いて、皆から見えないよう木立の影に隠す。
「久しぶり」
フレディが言うので、ファントレイユはどうして彼がそんなにこそこそしてるのか解らなかったが、返した。
「どうしてたの?」
フレディはそっと立木の影からアロンズやレイファスの様子を伺い、つぶやく。
「アロンズに見つかるとあいつ、奥様に怒られる」
「どうして?」
「俺と話しちゃいけないって、あんたの母親に言いつけられてるからさ。
もっと奥へ行こう」
フレディが強引に手首を引っ張るので、ファントレイユは少し不安になった。
手を、振りほどこうかとも思った。
が小声でフレディにささやく。
「レイファスが心配する」
フレディは振り向くと、請け合う。
「大丈夫。遠くに行かないから」
少し奥まった辺りに小さく粗末な小屋が見え、小屋の後ろに回り込むと、木で出来たみすぼらしい長椅子があった。
「ここなら、誰にも見られない」
フレディがファントレイユを腰掛けさせ、その横に掛けた。が、ファントレイユは一度も二人切りになった事の無い相手と一緒に居る事に、不安を覚え始めた。
がフレディは彼を見て、笑う。
「…遠く、無いだろう?」
ファントレイユは頷く。
フレディは気さくに話しかける。
「よく、あの奥様が出してくれたね?」
ファントレイユが途端、俯く。
「…アロンズがまさか、こっそり出してくれたの?
あいつ、絶対しないと思ったのに」
ファントレイユは顔を上げる。
「アロンズは、絶対しない」
フレディは笑った。
「じゃ、勝手に出てきたのか?」
ファントレイユはしょんぼりするように、こくん。と頷いた。
顔を下げていると、フレディの視線が食い込むみたいに感じ、顔を上げてフレディを見る。
殆ど黒に見えるけど、少し光に透けるような濃いグレーの瞳がじっと見つめていて、つい尋ねる。
「…顔に何か、ついてる?」
フレディは首を横に、振った。
そして何か…言いたげだった。
途端、だった。
フレディが被さったと思った瞬間、唇を塞がれたのは。
ファントレイユは訳が解らず抗ったが、直ぐに椅子に押し倒され、背を、木の板に押しつけられて頭を掴まれてのし掛かられ
る。
フレディの体はアロンズよりもずっと大きく、優しい感じのアロンズとさえ、こんなに近くに密着した事なんて無かったのに良く知らないフレディの、大人に成りかけた青年の体の下敷きにされ、ファントレイユは恐怖を覚えた。
唇に、ねっとりとしたフレディの唇の感触がして、ぞっとして身もがくが、フレディの体はファントレイユよりもずっと大きくて、逃げ場なんか全然無い。
唇が、いつ離れるかとファントレイユは震えながら待ったが、フレディは口づけたまま、手を衣服に潜り込ませ探り始める。途端ファントレイユの脳裏に、服を脱がそうとしていたセフィリアの友達の、息子達の姿が蘇える。
フレディも、自分が本当に男の子かどうか確かめたいんだろうか?
その時恐怖が消え去り、怒りが沸いてきた。
だったらどうして。
自分に聞いたりせずに、こんな乱暴を働くんだろう?
フレディの唇が、離れたら言ってやろうと思った。
が、フレディの手が衣服をはだけて素肌に滑り込むと、なぜるように触ってきて、その感触にファントレイユはぞっと総毛立った。
彼が、思ってるのとフレディの考えは違うような気がして。
でもフレディがどうしてそんな事をするのかさえファントレイユには解らず、ただ込み上げる恐怖と不快感につい、身が震った。そして思わず…。
がっ!
フレディの体が少し浮いたのを機に、ファントレイユは膝を曲げ、フレディの体を思い切り蹴り上げた。その隙に逃げ出そうとしたが、咄嗟に手首を掴まれ、引かれてまた抱き寄せられ、今度はフレディは乱暴にもっときつく、抱きしめてきた。
ファントレイユはその時本当に、実はフレディは野獣なんじゃないか。と思った。
チラと目に映ったその顔は、怒りに歪んでから。
「いや…!」
ファントレイユが大声で叫ぶ。途端、フレディの手が口を塞ぐ。ファントレイユは必死で身もがいた。
が足を掛けられ、殆ど転ぶようにして地べたに叩き付けられ、押し倒され上からのし掛かられて髪を掴まれ、また唇を、唇で塞がれた時は、恐怖にぞっ。と鳥肌が立った。
直ぐそこにレイファスが、いる筈だった。
レイファスはさっきの声に気づいてくれるだろうか?
でもそうじゃなかったら…!
髪を掴まれ、首を振ろうとする度引っ張られて痛くて、顔にのしかかられて唇を、ずっと塞がれている。
ファントレイユはもう、息が苦しくなっていた。
身動き取れないくらいにきつく唇を押しつけられ、ファントレイユは呼吸出来なくて必死でフレディの大きな体の下で、身もがいた。
なのに…フレディは、止める様子を見せずに逆にもっと、押さえつけてくる…!
殺す気なんだろうか…?
ファントレイユが本当に、息が苦しくて怖くて、体ががたがた震え始めた頃、ざっ!と音がして突然フレディが体の上からどいた。
顔の横に立ち上がったフレディの足が見え、そして頭上で、殴り合う音がする。
がつん!
「大丈夫?」
気配に振り返ると、心配そうなレイファスが覗き込んでいた。
ファントレイユは二度、咳き込む。
レイファスが背を、抱え起こしてくれた。
目前で、アロンズとフレディは殴り合っていた。
レイファスをそっと見ると、彼はファントレイユの背を支えたまま、アロンズの様子を食い入るように見つめてる。
ファントレイユはそっ、とそちらに振り向く。どう見てもアロンズの方が背も低くて体格も劣り、不利だった。
ファントレイユは少年達が、真剣に殴り合う様を初めて見た。
がっ!
拳を握りしめたフレディが、アロンズの顎を思い切り殴り、アロンズは顔を歪ませ吹っ飛ぶ。
レイファスはじっと静かにそれを見つめ、ファントレイユにささやく。
「一人でも、大丈夫?」
ファントレイユは軽く頷く。
がっ!
また、アロンズが殴られていた。
そして腹を蹴られ、蹌踉めいていると襟首をフレディに、乱暴に掴まれる。
ファントレイユは身を屈めたレイファスが、近くにあった木の太い枝をそっと掴むのを見た。
襟首を掴まれたアロンズは、そのままなぶられるようにフレディの拳を二発、顔に喰らう。
三発目をフレディが喰らわそうとした時、レイファスは後ろから咄嗟にフレディの背中に思い切り、木の枝を振り入れた。
がっ!
フレディは背を激しく叩かて振り返ったが、その小さな邪魔者に凄まじい目を向け、木の枝を掴むとそれを持つレイファス毎、思い切り振り払った。
軽いレイファスが、吹っ飛んで地面に叩き付けられる。
でもそれを見たアロンズが、猛烈に怒った顔でフレディの腹を思い切り蹴った。
一発。二発。そして三発目を蹴り入れようとした時、フレディは蹌踉けながら慌てて、その場を逃げ出し始めた。
アロンズは威嚇するように足で蹴る仕草をし、フレディは一度振り向いたがそのまま、森の奥へと駆け去って行った。
アロンズは直ぐに、レイファスの側に寄った。
レイファスは顔を歪めていたが、被さり様子を伺うアロンズにそれでも
「大丈夫」と言い
「それよりファントレイユを見てあげて」と、つぶやく。
アロンズが、ファントレイユの横に座る。
ファントレイユは半身を起こしていたが、アロンズの優しい気配に一気に緊張がほぐれ、気づくと彼の胸に突っ伏して、しがみついていた。
アロンズは労るように暫くそうしてくれたけど、やがて抱え上げて馬車の荷台迄運んでくれた。
荷台にアロンズは、今度は布を、掛けなかった。
ファントレイユは隣に座るレイファスを見た。目の横に、擦りむいた傷を作っていたが、レイファスはじっとしていた。ファントレイユが見つめているのに気づくとそっ、とレイファスの手が動いて、はだけた胸元を直してくれた。
レイファスは全然口を、利かなかったけど、ずっと労るようにファントレイユにその身を、寄せてくれていた。
まるでローダーの時の、返礼だと言うかのように。
屋敷に戻ると大騒ぎで、セフィリアは暫くファントレイユを、抱きしめて離さなかった。
ファントレイユが呆然としていて口をきかないので、レイファスは『休ませてあげて』と、セフィリアに頼み、ファントレイユは自室に連れて行かれ、レイファスも暫く一緒に無言で横に、たたずんで居てくれた。
が、レイファスはファントレイユが、ローダーの時してくれたようには自分に出来ないと解ったのか、直ぐに彼を置いて、部屋を出ていった。
ファントレイユは何が起こったのか良く解らなかった。が、その暫く後セフィリアがやって来て、もう何も心配はいらないわ。と言い、額に口づけ、スープを飲ませ
「もし眠れるなら少しお休みなさい」
と掠れた声で耳元でささやく。
そして、側に居て欲しいなら…と言ったので、ファントレイユは一人でも大丈夫。と告げた。
もし、もっと幼い時みたいに、セフィリアに付いて貰ったりしたらレイファスに“赤ちゃん"とからかわれる気が、したからだ。
ファントレイユは寝台に潜り込んだが、自分に何が起こったのか、やっぱり解らなかった。けれど、唇に感じたあの不快感だけは取れず、直ぐに体を起こしてはごしごしと唇を拭う。
レイファスが疲れた顔をして部屋に戻り、ファントレイユが唇を、拭っているのを見た。
ファントレイユは慌ててそれを止めた。
レイファスは寝台に腰掛けると、ファントレイユに尋ねる。
「気色悪い?」
尋ねられて、ファントレイユはどう答えていいのか、それは戸惑った。
が、黙って俯く。
レイファスはそれを見て、頷いた。
「気色、悪いんだな?」
ファントレイユは自分の心をレイファスに読まれ、つい頬を、赤く染めた。