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「アースルーリンドの騎士」別記『幼い頃』  作者: 天野音色
第四章『晩餐での冒険』
37/115

2 ちょっとした冒険


 階段を降りきると、短い廊下があった。

「ここを出れば一階じゃない?」

テテュスが、背後のファントレイユに振り向くが、ファントレイユはがそっとささやく。

「階段脇に、絵がかかってる」

テテュスも見て頷いた。

「…曲がってるね」

テテュスは眺めるファントレイユの前に立つと、風景の描かれた右に思い切りひっ傾いた絵の額を掴み、真っ直ぐに直した。

途端ぎぎーっ。と、絵を掛けた横の壁が、開く。


二人はびっくりして、中を覗いた。

そこは円筒形の大きな空洞で、中は上下に螺旋階段が伸びていた。

上の階、下の階、それぞれに扉が見える。

ファントレイユは思わず、興味を引かれて興奮した。

ずっと上は天井が丸いドームみたいに成っていて、ガラスがはめ込まれ、夜空が甲斐間見えたから。


ファントレイユもテテュスと並んで、そっと言った。

「…ここ…天辺迄上がるだけなら絶対、迷わないよね?

上は天井なんだし」

「僕もそう、思う。

絶対迷ったりしないよ!」

テテュスがそれでも、アイリスに言われた事で自分を厳しく制しようと試みた。ファントレイユも、同様だったが二人は顔を見合わせた。

途端、同時ににっこり笑うと、螺旋階段を二人競うように、駆け上がり始めた。

ききーっ。と、控えめに閉じかける扉の音が、二人に聞こえ

バタン!

と扉の閉まる音に振り返り、二人は慌てて戻ったが遅かった。


入り口は閉じ、取っ手すら無く壁に溶け込むその扉は、開ける事が出来なかった。

二人は顔を、見合わせた。

扉の向こうに、どうやって帰ればいいのかまるで解らなくなって。

横の壁や下、上を探しても、再び開ける仕掛けは見つからない。

ファントレイユが肩を落として、ため息を付いた。

テテュスが彼を励ますようにささやいた。

「仕方無いから、上に上がってみようか?」

ファントレイユはこくん。と頷くが言った。

「知れたらうんと、怒られる?」

テテュスがそっとささやいた。

「ちゃんと無事にみんなに会えるなら、叱られても安心してくれる」

ファントレイユが不安げにささやく。

「またみんなに、会えるよね?」

テテュスは自分の内心の不安を押し隠して微笑んだ。

「絶対、会えるに決まってる!」

テテュスが強くそう言うので、ファントレイユは微笑んだ。

テテュスがファントレイユの手を握ると、ファントレイユはテテュスの後ろから、その螺旋階段を登り始めた。



 レイファスは二人の姿が階下の広間に姿を現すのを、待った。

が、幾らしても姿は見えない。

まるで見張るようにディングレーの姿の周囲を探すものの、その姿は一向に現れず、シェイルにバレるのは時間の問題だと思った。


階下ではディングレーがもう限界だと言わんばかりに、女性達を掻き分け始めた。

聞かれた女性にディングレーが大声で叫ぶ。

「“手を洗いに"行かせてくれ!」

女性達は一斉に彼が、トイレに行きたいんだと解って頬を染め、その場を開けた。

ディングレーは彼の意思の伝わらない女性が行く手を塞ぐ度、それを告げて女性の頬を赤らめさせ、彼女達は赤く成って俯いては場を彼に譲る。

「…見ようによっちゃあれも凄く、卑猥なシーンだよな」

レイファスはシェイルのその見解に思い切り、呆れたが、振り向かれると困るので同意した。

「…そうだね」

ディングレーがきょろきょろと、周囲を見回してる。

が、まだテテュスとファントレイユは姿を現さない。

そわそわするレイファスにとうとうシェイルが気づき、テテュスとファントレイユの姿の無いのに、気づく。

レイファスは、シェイルの目が笑ってないくて、けど微笑みを向けられてぞっとした。

それで慌てて言った。

「知ってる?美人が笑いながら怒ると、凄く怖いって」

シェイルは笑ったまま、頷いた。

「俺が怒ってるって、解ってるみたいだな。

テテュスとファントレイユはどこだ!」



ギュンターもがとうとう、叫んだ。

「これ以上押すと怪我人が出る!

頼むから一斉に三歩、後ろに下がってくれ!」

さすがに命令し慣れてる隊長の口調で、彼女達は一斉に、危険を避けようと三歩、後ろに下がり始めた。

ギュンターの腕に抱き寄せられた女性はまだそのままで、彼の腕の中ですっかり真っ赤に成っていたが、ギュンターは視線を周囲に巡らせ、また叫んだ。

「まだ、十分じゃないな。

もう五歩、下がってくれ!」


そしてようやく彼の周囲に空間が出来、去る道筋が出来るとギュンターはにっこり笑い、腕に抱いた女性を素っ気なく放すとさっさと、呆けて見上げる女性の間を潜り、取り囲む女性の輪から逃げ去った。


ローフィスはまだ彼を放そうとしない女性達が、彼が一歩、輪の外へと出ようとする度彼の行く手を阻むのに苦笑した。

が、ディングレーが逃げ出す姿を見つけ、何気なくつぶやく。

「ああ…俺の相手が探してる」

その言葉に、皆が一斉に振り向いてディングレーを見つめた。

ローフィスは続いてそっとささやく。

「寝室で、彼は女役なんだ」

女性達は不意打ちを喰らい、その男らしい黒髪の男を、口をあんぐりと開けて見つめ、女性達の視線がディングレーに釘付けられたその隙に、ローフィスはそっとその場を抜け出した。


ディングレーはローフィスが隣に並ぶのに気づく。

が、にこやかに笑う彼の後ろで、ローフィスの逃げ出して来た輪の女性達の呆然とした凝視を一身に浴び、首を捻った。

「どうして俺を見てる?」

ローフィスはにこにこと笑った。

「君が男らしくて格好いいからに、決まってるだろう?」

ローフィスに肩を掴まれ、彼らに背を向け促されても、ディングレーは腑に落ちずに振り返る。

「…それにしては………」

ローフィスは慌てて彼の肩を掴み、引きずるようにその場を離れなが言い聞かす。

「あんまり見るとお前が気があると思って、口説きに押し掛けて来るぞ!」

ディングレーが怒鳴った。

「…やっと抜け出した、ばっかだぞ!」

「嫌ならさっさと歩け!」


ギュンターはさっと、おままごとのようなローランデとその取り巻きの間にその長身の体で割り入り、ローランデの肩を抱くと告げる。

「失礼。彼の奥方から、二人の子供についての至急の伝言が、入ったので」

女性達は夢を一気にブチ壊されて奈落に沈められ、青冷めて固まった。

ローランデの肩を抱いて強引に輪の中から連れ出すと、ローランデはきつい瞳でギュンターを見つめた。

ギュンターが思い切り、開き直る。

「…全部が嘘じゃない。

だって奥方も子供も、事実居るだろう?」

ローランデはギュンターを見上げた。

「言い用があるだろう?

どうして爆薬を投げ入れるような物言いなんだ?!」

ギュンターは喰ってかかるローランデから一旦は顔を背けたが、彼を見つめてきっぱり、言った。

「妬いたと、言わせたいのか?」

「誰も、そんな事は言ってない!

事実にしろ、少しずつ話せば一人ずつ離れて行くのに!」

ギュンターは思い切りぶすったれた。

「そんなの、待ってられるか!

だって妬いたからな!」

ローランデは途端、真っ赤に成る。

「………………………」

ギュンターは彼に顔を傾けると、追加を聞こうと顔を揺らす。

ローランデは顔を上げ、真っ赤なまま怒鳴った。

「言う事なんか、無い!」

ギュンターは吐息を吐いた。

「それは嬉しかったと取って、いいのか?」

「いい訳無いだろう!」

「じゃ顔が真っ赤なのはどう言い訳する?

お前本当に色白だから隠しようが無いな」

ローランデはとうとう、俯いたまま怒鳴った。

「…………いいから!どっかへ行ってくれ!

憂さを晴らす、チャンスだろう?」

「…それは俺と、どこかしけ込もうという、お誘いか?」

ローランデはもう、殴ってやろうかと、真っ赤なまんま睨み付けた。

ディングレーがオーガスタスから視線を受け、慌てて駆けつけて来た。

「間に合ったな」

ギュンターに睨まれ、ディングレーが肩をすくめる。

ローフィスがやって来て、ディングレーは彼に言った。

「あんたが来てくれないと、ヘタをするとギュンターと殴り合いに成る」

ローランデがまだ赤い頬で怒鳴った。

「その前に、私が殴る!」

ディングレーとローフィスは顔を見合わせた。

「でもどう頑張っても、拳の威力はディングレーが上だ」

ローフィスが言うとディングレーも頷く。

「俺に任せといた方が、自分の拳を痛めずに済むぞ」

が、その集団にアイリスがふらりと顔を、出す。

そしてディングレーをたっぷり、見つめた。

「今、ランサ候婦人に聞いたんだが…」

ローフィスは途端、ローランデの肩を抱いてその場を去ろうとくるりと背を、向ける。

「…君が寝室で、男相手に女役をしてるのかと、尋ねられた」

ディングレーは暫く、言葉の意味が理解出来なかった。

が、隣のギュンターが口に手を当てくすくすと笑い出し、ようやく背を向けてローランデを促すローフィスの背に、怒鳴った。

「あんたはどうしてアイリスがそんな質問されたのか、理由を知ってる筈だ。

…だろう?」

ローランデは歩けと促す隣のローフィスを、足を止め、呆けて見つめた。

「…まさか、君も爆薬を投下してその場を逃げ出したクチか?」

ローフィスは俯くと思い切り、吐息を吐いた。

振り向き様怒鳴る。

「しょうがないだろう?

シェイルはどこかへ雲隠れしてるし!」

アイリスが、大いに笑うギュンターを見つめてささやく。

「それにしてもディングレーを女役にするのは、どうかと思うけど…」

ディングレーは沸騰したように怒った。

「だから…つまり…あの女達は俺の顔を……

あんなに穴が空く程見てたのか?!!!」

ローフィスが咄嗟に反論した。

「だって誰が聞いても冗談だと思うだろう?」

ギュンターがとうとう、腹を抱えて笑い伏した。

「冗談だと思ってる、視線じゃなかったぞ!

第一どうしてわざわざアイリスに尋ねに行く!

アイリス!タチの悪い冗談だとちゃんと、言ったろうな!」

アイリスはローフィスの視線に肩をすくめた。

「当然、それはローフィスの願望でまだ達成してないから事実じゃないと、打ち消して置いたよ」

ギュンターはとうとう、髪を振って笑い、ローランデも隣のローフィスをつい、見つめて吹いた。

ディングレーはアイリスを頼もしそうに見つめ、肩をポン、と叩く。

ローフィスは真顔でアイリスを見つめ、アイリスはローフィスに微笑んだ。

「自分の言った事の責任は自分で取らないと。

第一言葉が不器用なディングレーと違って君なら幾らでも言い逃れ、出来るだろうしそれに…」

「それに?」

ローフィスが尋ねる。

アイリスは肩をすくめた。

「取り巻きの中に好みの女性が居ないから、きつい冗談をカマして逃げ出したとちゃんと、気づいているさ。

彼女達も」

ローフィスはため息混じりにつぶやく。

「ならいいがね…。

女は自分が望まれないと理解するより、俺がうんと悪趣味だと、取りたがるものだ」

「こう付け足したと、言えば満足するか?

“男は大勢に囲まれるより、自分一人の貴婦人に甘い言葉をささやきたいものだから、その機会を探す為にも、取り巻かれたその場を去る必要がある"と」

皆がアイリスの持ってきように感心したが、ローフィスは身震いした。

「取り巻いた誰かに迂闊に声を掛けたりしたら、間違いなく

『口説かれる』

と待ち構えられるな」

ディングレーがとうとう怒鳴った。

「それ位は自分で何とかしろ!」


が、その時シェイルが駆け込んで来た。

「…テテュスとファントレイユが、消えた!」

後ろから、レイファスも追いつく。

皆が呆然と二人を見つめる。

「………消えた……って…」

ディングレーが言い淀み、ギュンターが唸った。

「人間は消えないぞ。行方知らずに成ったんだろう?」

アイリスが血相変えて怒鳴った。

「どうして、居ない?!」

シェイルが説明しようとし、レイファスを見た。

レイファスはシェイルに顔を向けられ、一息付くと話し出した。

「…二階のバルコニー席から、小さな潜り戸を見つけてテテュスとファントレイユは階下に降りる予定だった。

姿が見えないから同じ道筋を通ってシェイルと来たのに、二人はどこにも、居ないんだ」

ギュンターはさっぱり解らん。と、腕組んだ。

ローランデが聞いた。

「階下に姿が全然見えないのか?」

レイファスは彼を見上げて叫んだ。

「ディングレーが困ってたから!

テテュスは助け出すつもりでそうした!

ディングレーは見てないんだよね?」

ディングレーはローフィスを見つめ、ローフィスはささやく。

「行き違いか?」

「だって僕ずっとディングレーの側にテテュスが現れないか、見てた!

でもいつまで経っても姿を現さないからシェイルにバレて、シェイルと一緒に二人が入った潜り戸から、今ここに降りて来た!」

シェイルも低い、緊迫した声で静かに怒鳴った。

「二人が居たら出会う筈だが、居ない!」

アイリスがシェイルの腕を掴んだ。

「…どの潜り戸だ?!」



 天井迄登った二人は、ガラスのはめ込まれた壁の間に木製の扉を見つけて、開けてみた。

テテュスは後ろに続くファントレイユに振り向く。

「扉を、押さえてて」

ファントレイユは頷く。

テテュスが開けた扉を両手で押して止めると、すっかり暮れて煌々と照る月がその夜闇を明るく映し出す表へ、歩み出すテテュスの背を、見送った。


冷たい夜の風が髪をなぶり、テテュスの進む先に高い壁が見えなくて、そこが屋上だと気づく。

広い場所があるかと思えば、短い石段。

入り組んだ造りで花壇があちこちにあって、その側には必ず、ベンチが備え付けられていた。

昼間見たらきっと素晴らしい庭園なんだろう。と思える程、植物が配置良く植えられている。

「…下に、下りられそう?」

ファントレイユがつぶやくと、テテュスはその、月明かりで照らされる屋上庭園を進み、ささやく。

「階段が見えるけど………」

ファントレイユはそっ。と取っ手を握ったまま、進めるだけ進んで、テテュスの見つけた、階段を見ようとした。

「外を伝って下に下りられる?」

テテュスは石の床に、ぽっかり空いた長方形の、周囲に木枠に囲まれた空洞の中に下に降りる木製の階段を見つけ、身を屈めたまま首を横に、振った。

「きっと、屋敷の中へ、出ると思う」

ファントレイユがささやいた。

「…また、迷う?」

テテュスがためらうようにつぶやいた。

「…そうなるかも知れない」

ファントレイユに振り向く。

が、来た道は閉じたし、そんな場所を、人に見つけて貰えるかどうかも解らない。


ファントレイユはそっ、と、掴む取っ手を見つめ、扉の周囲を見回した。

今度は閉じても、閉め出されたりはしない様子で、ファントレイユはそっ。と戸を閉め、床にはめ込まれた階段を屈み伺う、テテュスの横迄来た。

テテュスはファントレイユを見つめささやく。

「…どう思う?」

ファントレイユも、木で出来た階段の隙間から、うっすらと洩れる灯りを見つめささやき返す。

「…灯りが見えるって事は、誰か人が出入りする場所なんじゃない?」

テテュスもファントレイユの淡い栗色の髪に囲まれた、大人しげで綺麗な顔をそっと見つめ、言った。

「君も、そう思う?」


暗いその場を、目を凝らして見ると、階段の先に床が、見えた。

屋根裏部屋のようで、燭台や古い机。箪笥。

そして幾つもの宝箱のようなチェストが、床の隙間から漏れ出る僅かな灯りに浮かび上がり、暗がりの中、ひっそりとたたずんでいる。

「降りて、見る?」

ファントレイユにそう言われ、テテュスは一瞬ためらった。

だが、二人とも気づいていた。

その屋根裏部屋の、乱雑に並べられた無数の古びたチェストの中味を覗きたいと思う自分達の、興味を押さえられない事に。

それは、冒険に似ていた。

わくわく、していた。


つい二人同時に顔をあげると、テテュスが先にその階段を、降り始めた。



ごちっ!と音がし、ギュンターはまたその小さな潜り戸から出る前に頭をぶつける。

「チッ…。無理だ」

ディングレーは、後からローランデに聞いて駆けつけていたオーガスタスを見上げたが、彼は吐息を吐き、両腕を組んだ。

「…シェイルが限界だろう?」

ディングレーはだがオーガスタスを見つめた。

「でも、アイリスも入ってる」

オーガスタスはその長身の、肩をすくめた。

「…今頃、痣だらけだな」

ギュンターは頭をさすりながら、その潜り戸から身を起こし、つぶやく。

「…息子の心配で痛みも感じないだろうよ」


アイリスはシェイルとレイファスに案内されて、その狭い通路を歩いた。

が確かにテテュスとファントレイユの姿が、無い。

後ろでローフィスが、腕を壁にぶつけ、さすりながら唸った。

「もうとっくに出てるだろう?」

アイリスが、狼狽えてか細い声で言う。

「ならとっくに、私の前に姿を現している筈だ」

とても大人で立派なアイリスの、そのとても心配げな様子にレイファスは、胸が痛んだ。

そして少し俯くとその目の前に、絵が一枚、傾いて吊されているのに気づく。

そんな気は無く、つい無意識に額に手をやり、真っ直ぐに直した。

途端、きぎーっ。と、軋む音と供に、壁が開いた。


シェイルもぎょっとしたが、ローフィスがぼやいた。

「迷路だけで無く、からくり部屋迄あるのか?

みんな、抜けられない筈だ」

アイリスが真っ先に駈け寄り、扉の向こうに飛び出す。

目に飛び込む巨大な、塔のような円筒形の薄暗い空洞。

その壁に這う、螺旋階段。

階毎に、横にずらりと並ぶ、無数の扉。

シェイルが続き、ローフィスも覗くと絶望的にぼやいた。

「これだけある扉の、どこに消えたか見当、付くか?」

シェイルは螺旋階段の、上下に並ぶ無数の扉を見、呆けて呻いた。

「一体幾つあるんだ?」

アイリスがとうとう、髪を振って叫んだ。

「テテュス!テテュス!!」

周囲を見回し、どこからか返事が返って来ないかと必死に視線を送り、そして、また。

「…テテュス!

聞こえたら返事をしておくれ!」



階段を降りかけたテテュスが、遠くに響くアイリスのその声に気づき、振り向く。

ファントレイユも、つい一緒に振り向いて、二人は同時に階段を、駆け上がろうとした。

がその時だった。

足元の木製の階段の古板が、ぼきっ!と折れたと思うと、いきなりぽっかり空間が出来て、テテュスの体は下へと沈み込んだ。

テテュスはファントレイユがまだ階段に残ってると思ったが、彼の頭上でファントレイユの体も、転がるように沈むのを見つけた。

テテュスはどさっ!と、床に落ちた。

そこには藁が高く敷かれていて、痛くはなかった。

ファントレイユが、テテュスの隣に尻餅を付くように、やはりどさっ!と落ちた。

瞬間だった。

途端にがくん!と底が無くなり、今度は藁ごと、穴のような坂を滑り落ち始めた。

「どう、なってるの?!」

上から降る、ファントレイユのくぐもる声に、テテュスは何度も足をつるつるの石で出来た床に擦りつけて、滑り落ちる体を止めようとした。

だが螺旋のようにくねる、緩やかなトンネルのような坂の周囲は全然でっぱりも無く滑らかで、勢いづいて止まらない。

テテュスは思わず行き着く先の見えないくねる坂を見つめ、思い切りファントレイユに返答した。

「…解んない!」




ローランデはゼイブンにもう、三度目配せした。

だが三人の豊満な美女を周囲に侍らせ、ソファに身を沈めるゼイブンは、その場を去ろうとしない。

とうとう、ローランデは意を決して美女の肩を抱くゼイブンの前につかつかと歩み寄ると、身を屈めその肩を掴んで引き、とてもよく響く、低い声で言った。

「…悪いが、今晩彼は、私と約束がある」

さっ!といきなり美女達が、抱きつくゼイブンからその手を離す。

ゼイブンはとても美男に見える引き締まった表情のブルー・グレーのきつい瞳で、そう告げる、静かに挑みかかるように迫力あるローランデの青の瞳を見据えると、言い返す。

「…そうだったかな?」

ローランデは静か言い返した。

「忘れて貰っちゃ困る。

私に優先権が、ある筈だ」

顔を寄せてくるローランデのその真剣な瞳に、ゼイブンはだが一瞬怒りを忘れた。

が、周囲の美女達は彼女達のお気に入りの美男に、その貴公子が口付けるように見え、ぎょっとした。

「…私の用は、君にとって、とても大切な事の筈だ」

ローランデが顔の間近でつぶやくと、ゼイブンはようやくそれが、ファントレイユについてだと思い当たって、身をソファから起こした。

ローランデは下がらなかったから、二人は抱き合う位に近く体を寄せていて、彼女達は卒倒しそうだった。

が、ローランデはゼイブンの耳に顔を向けてささやく。

ゼイブンはそっと頷くとようやく、ローランデは彼から離れた。

ゼイブンはさっと視線を泳がせ、息子が消えたという問題の潜り戸を探し、そこにディングレーとオーガスタスの姿を見つけて駆け寄ろうとした。

が、二人の背後に居たギュンターにぎんぎんと睨まれ、つい後ろに居るローランデに振り向き、ぼやく。

「俺に妬くなんてどう頑張っても見当違いだと、ギュンターに言ってやって、くれないか?」

ローランデは、現場を見ていたギュンターのきつい射るような睨み顔につい視線を送ると、吐息を吐いて下を、向いた。

「…だってギュンターとは、こういう時言葉が通じない」

ゼイブンは軽く、頷いた。

「野獣だものな。

でも調教手段くらい、あるんだろう?長い付き合らしいし」

ローランデが顔半分背の高いゼイブンを見上げて怒鳴った。

「そんな方法があったら、オーガスタスやディングレーを煩わせるか?!」

ゼイブンは暫く、我を忘れて狼狽える珍しいローランデをたっぷり見つめ、かける言葉もなくて、ただ頷いた。


ゼイブンとローランデに救助信号の灯った視線を送られ、ディングレーは顔を下げ、オーガスタスは吐息を吐くと、乱暴にギュンターの肩を掴んで揺すぶり言った。

「…相手は、ゼイブンだ」

ギュンターはそれだけ揺らされてもオーガスタスを見ず、視線を、向かい来るゼイブンに向けたまま唸った。

「知ってる」

オーガスタスがつい、声を荒げた。

「だが、解って無いだろう?

あいつは女以外に興味無いのを、すっかり忘れてないか?」

「…問題は、そこじゃない」

ギュンターが低く唸り、ディングレーは隣で顔を下げきってオーガスタスに告げた。

「…なあ…。

これだけ付き合いが長くても、ギュンターはローランデに、あれだけの事すらして貰ってないのか?」

オーガスタスがそのディングレーの質問に、ため息混じりでささやいた。

「…お前だってローランデの気持ち位、解るだろう?

ゼイブンには、幾ら顔を寄せようが抱きつこうが、全く安全だが、ギュンター相手にそんな事をしたら…」

「……………」

ディングレーは顔を下げたまま、無言で頷いた。

そして言った。

「開いた狼の口に飛び込む、子羊だな」

オーガスタスも不本意に、頷く。

が、ギュンターは聞いてはいず、ゼイブンは近づきながらもオーガスタスに、今だ睨みを解く様子の無いギュンターに視線を振り

『どうにかしてくれないのか?』

とすがった。

オーガスタスは肩をギュンターの胸の前に強引に入れて、飛びかかるのを塞ぐ。

ギュンターはオーガスタスのその先制の警告に、眉根を寄せて大柄な親友を、見上げ睨んだ。


ゼイブンは目を見開く。

そして隣のローランデにそっと、ささやいた。

「…飛びかかりそうだったのか?

そんなに、怒ってんのか?」

ディングレーがつぶやいた。

「喰い付かれないだけでも、感謝しろ」

だがローランデは、思い切りギュンターの態度に狼狽えるゼイブンに唸った。

「私の合図を無視して女から離れないからこうなったと、解って無いだろう?!」

だがゼイブンはローランデに振り向き、怒鳴った。

「今日は、息抜きだろう?

俺にだって、楽しむ権利がある筈だ!」

ギュンターがとうとう、オーガスタスの肩を押しどけて、怒鳴った。

「放任も大概にしろ!

ローランデが姿を現したら、息子の事だとどうして予測出来ない!」

ディングレーが顔を下げて吐息を吐き、オーガスタスが内心のうんざりした感情を殺して冷静に、告げた。

「ファントレイユが見つかったら好きなだけ言い争え。

今はそんな場合じゃない」

ゼイブンはその総大将の言葉に、慌てて怒鳴った。

「どうして消えたんだ?どうなってる!」

ディングレーが、体を開けて後ろの潜り戸を見せ、ローランデがゼイブンの腕を素早く掴むと、その中へ連れ込もうと進んだ。

ギュンターが途端、血相変えて怒鳴る。

「…おい!どうして一緒だ!」

ゼイブンはローランデに強引に引っ張られながら、食い尽きそうに追いすがるギュンターに振り向き、怒鳴る。

「俺の、意志じゃない!」

ギュンターはもっと歯を剥いて、怒鳴った。

「そこが、問題だ!」

ディングレーが

『何とかしなくて、いいのか?』

とオーガスタスを見るが、オーガスタスはつぶやいた。

「ギュンターがあの狭い中で暴れられるか?」

ディングレーは、それはそうだが…。

と見ると、ローランデに連れ込まれて狭い入り口に頭を下げるゼイブンと、その後ろにやはり、思い切り身を屈めて入り込む、ギュンターの背を見て言った。

「…あれだけ哀れだと、同情しか沸かない」

オーガスタスがその、あまり感想を口にしない黒髪の大貴族を見つめる。

「ゼイブンか?」

訊ねられ、ディングレーは腕を組み、首を横に振った。

「相手にどれだけ袖にされ、罵られようが、格好良さを崩した事の無い男だろう?」

オーガスタスが、ため息まじりにささやいた。

「ギュンターか……………」




アイリスの、叫ぶ声が聞こえた途端、ゼイブンは狭い室内の横の隠し戸の中へ向かう、ローランデを遮二無二押し退けようとした。

ローランデはその大人一人がやっと通れる程狭い戸の入り口に、ゼイブンが脇から無理矢理体を入れてくるのに顔をしかめ、その体を押しどけながら怒鳴った。

「無理だ!ゼイブン!」

だがアイリスの叫び声が、その奥から再び響く。

「聞こえたら返事をしておくれ!」

いてもたってもいられぬような、アイリスの動揺仕切った声に煽られ、ゼイブンはそれでも前を塞ぐローランデの体を押し退けて進もうとし、とうとう後ろからギュンターに襟を掴まれ、引き戻された。

「それ以上くっつくと、本気で噛みつくぞ!」

顔が間近でギュンターに引き戻されて怒鳴られ、だがゼイブンは目前で歯を剥く金髪美貌の猛獣より、滅多に取り乱す事の無いアイリスの声音に、動揺仕切った。

「あの、アイリスが、叫んでるんだぞ!」

情けなく、歪みきった顔の美男を見つめ、それでもギュンターは怒鳴った。

「俺にだって、耳はある!」

まだローランデの方へと駈け出そうとするゼイブンに、ギュンターは掴んだ襟首を、咄嗟体ごと引き戻し怒鳴った。

「…一人ずつだ!順番を、待て!」



「アイリス!」

ローフィスが叫び、ローランデがシェイルの背後に姿を見せ、天井から洩れ差す月明かりに照らされた巨大な空洞と、その周囲に並ぶ、螺旋階段の扉の数を見

呆然と口を開けた。

「…どうするんだ?」

ローランデに背後から聞かれ、シェイルは彼を見つめた。

「…アイリスは片っ端から、開けて回る気だ」

アイリスが螺旋階段を上へと駈け登り、ローフィスは仕方無さそうに、下へと駆け下りる。

「手分け、するしか無いようだ」

言ってシェイルがローフィスの後へと続くのを見、ローランデはアイリスの後を追って階段を駈け登った。


ゼイブンとギュンターがその扉が閉じかかるのを寸でで開けて覗くと、やはりその場の様子に呆けた。

が、上下二手に別れる彼らがそれぞれその巨大な空洞の周囲に並ぶ、幾つもある扉をバタンバタンと開け閉めしているのに気づき、慌てて階段を駆け上がる。

ローフィスの、ぼやき声が下から響く。

「どこも一部屋しか無い。

この階段からしか入れない部屋だなんて、呆れるぜ。

一体どういう目的で…」

階上から、アイリスの声も、響く。

「こちらも同じだ!

でも全部そうなら、どこかにテテュスが居るかもしれない…!」


ローランデを追って階段を駆け上がるギュンターが、隣に並ぶゼイブンに、怒鳴る。

「二手に別れるなら、お前は下だろう?!」

だがゼイブンはその野獣に、喰ってかかった。

「…どうして下だ!俺のカンは上だ!」

ローランデは彼らの一階上から、振り向いて怒鳴った。

「その縁の扉は確認しそびれた。

言い争ってないで開けてみてくれ!」

二人は言われて、階段の横に続く廊下の先の扉を見つけ、一緒に気の進まぬ様子で進むと、扉をそっ、と開けた。

「…真っ暗だな」

ギュンターが言うと、ゼイブンが小声で呼んだ。

「ファントレイユ。かくれんぼしてる場合じゃ、ないぞ?」

だが、暗闇に二人同時にそろりと中を進むと、バタン!と背後で大きな、音がした。

背後の扉が閉まったが、二人は気にする事無く壁を伝って中へと進む。

ギュンターが、後ろに続くゼイブンに唸った。

「並んで進んで、どうする。お前は反対側から来い!

ローフィスの言った通り、一部屋しか無いなら途中で俺とかち合う筈だ」

「思ったより、かしこいな」

ゼイブンに言われ、ギュンターは思い切り目を剥いた。


ギュンターは扉が閉まり、真の闇に成り果てた室内で、ゼイブンの指が目を突き刺そうとするのに思い切り顔をしかめ、その彷徨う手を、掴んだ。

途端、ゼイブンのとぼけた声がする。

「…ごつい手だな。握られるんなら、女がいい」

ギュンターは思い切りその手を振り放すと、怒鳴った。

「こんな時に、贅沢言うな!」

二人はやはり、扉が見つけられずにやれやれ。と、閉まった扉の方へと肩を並べ進んだ。

「…結局、一部屋か?

ローフィス達はどうして開け様、中の様子が解るんだ?」

ゼイブンの声にギュンターがふと、思い出した。

「…確か、反射してたがあれは…鏡か?」

ゼイブンが、ギュンターの顔があるだろうと思われる方向に顔を、向けた。

「…じゃ、空洞に差す月の光を鏡で反射させて室内を覗いていたのか?」

ギュンターが返答した。

「…多分な」

「鏡なら、持ってる」

ゼイブンがそれをギュンターの手に当て、ギュンターはそれを振り払って怒鳴った。

「もう、遅い!」

そして、扉の取っ手に手を掛ける。

ゼイブンはじっ。と待った。

がちゃがちゃと、音はするのに一向に、青白い月明かりが拝める様子無く、ついぼやいた。

「近衛の隊長が扉の一つも、開けられないのか?」

「近衛の隊長が関係あるか!

…だがこれは………」

まだがちゃがちゃ言わせるギュンターに、ゼイブンはとうとうその取っ手を引ったくると言った。

「壊すなよ!」

ギュンターが、何か言いかけた。

が、ゼイブンも取っ手を回すが、悪戯に音が、鳴るばかりで引っかかっている金具が取っ手の回しと共に、外れる気配が全く、無い。

いきなり真っ暗な中、ゼイブンにぽん。と、ギュンターは肩を叩かれる。

「扉を蹴破るのは、得意技だろう?」

ギュンターは唸ったが、とっととこのふざけた男とおさらばしたかった。

少し下がると、いきなりがん!と扉を蹴る。

結構な音が、した筈だったのに扉は裂ける様子が、無い。

ゼイブンがそっと、ささやいた。

「…まさか、ジャイムの木で、出来てないよな?」

ギュンターもそれを口に、しようとした所だった。

「…鋼鉄のようなジャイムなら、さすがのお前も蹴破れないだろう?」

ギュンターがもう一度、蹴り倒した。

今度は体を傾け、思いっきり。

がんっ…!!!

だが…。

派手な音はしてもやはり扉は、裂けなかった。

「…ジャイムだな」

ギュンターが言うと、ゼイブンは唸った。

「これだけ大きな音だ。

ローフィス位が気づいても良さそうだろう?」

「あっちも忙しいんだろう?」

ギュンターは言うと、もう一度、渾身の力でその扉を、蹴り倒した。


何か音がした気がしたが、ローフィスは並ぶ扉の数を数え、うんざりして上に向かい怒鳴った。

「そっちはどうだ?!」

ローランデの、返答が返って来た。

「どこにも居ない!」

ローフィスは一階下の、壁に伝う廊下に並ぶ幾つもの扉を見つけ、焼け糞で駆け下りた。

ローフィスが音を蹴立てて階段を駆け下り様、シェイルはどん!と、派手な何かにぶつかる音に、目線を上に、向けた。

「…何の、音だ?」

だが音はそれきり止んで、シェイルは肩をすくめてローフィスの、背を追った。


「…どうして、止める?」

ゼイブンの声にギュンターがぼやいた。

「そう思ったら、今度はお前が蹴れ」

「…ジャイムを蹴るだなんて、馬鹿なマネはしたくない」

ギュンターはもう、きっちりキレた。

「俺に三度もその、馬鹿なマネをさせといて言うセリフか?!」

ゼイブンは、心からべそをかきそうになった。

「…こんな事なら、あの美女の内の一人でも連れ込むんだった。

一緒なら暗闇だろうがどれだけ閉じこめられようが、全然平気だったのに」

ギュンターも唸った。

「…俺だって今、何でお前でローランデで無いのか神を呪いそうになったぜ!」









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