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「アースルーリンドの騎士」別記『幼い頃』  作者: 天野音色
第三章『三人の子供と騎士編』
35/115

15 ギュンターの秘密

 テテュスの部屋の大きな寝台に三人は寝ころぶと、一緒に付いて来ていたアイリスが、共にテテュスの横に寝ころび、三人は詰めてアイリスを迎えた。

ファントレイユがそっと言った。

「…ギュンター、元気無かった?」

レイファスは頷く。

テテュスも隣のレイファスを見ると、小声で言う。

「…やっぱり、ローランデに思い切り殴られたのかな?」


アイリスはレイファスに顔を向けるテテュスの横顔に、大した観察力だと、感心した。

ファントレイユが一番端から二人を覗き込んでささやく。

「…ローランデにされたの?あの頬の痣」

レイファスが、頷いた。

「そうだと思う。

多分ローランデが講義出来なかったのはギュンターのせいで、ローランデはその事を、凄く怒ったんじゃ、無い?」

ファントレイユが目を、ぱちくりさせた。

テテュスがレイファスの横からそっとささやく。

「…そのせい?

君がいつか…言ってたみたいに、ギュンターが凄く…ヘタだったからローランデが嫌がったんじゃ、無くて?」

アイリスはついテテュスの言葉に、ファントレイユみたいに目を、ぱちくりさせた。

「…どうかな。アイリス。一番上手なのはやっぱり、ゼイブンだと思う?」


レイファスに聞かれてアイリスは、もしかして自分は凄く、まずい状況に居るのかも。と、気づいて青冷めた。

務めて平静に対処しようと思ったけど、男同志だとどうするとか、具体的な話に成ったらどうしよう。と心臓が炙り出した。

ファントレイユがアイリスの様子に気づく。

「…やっぱりアイリスでも、言いにくい事?」

テテュスがアイリスに振り向くと、そっと言った。

「これだけは、教えて。ギュンターはうんと、ヘタだと思う?」

アイリスは吐息を吐き出すと、鎧を脱いだ。

「…剣の扱い同様、激しいとは聞くけど、ヘタだという噂は聞かないし第一、そんな評判が立ったら絶対モテないのに、ギュンターはいつでもモテモテだから」

テテュスが途端、レイファスに言った。

「じゃあそのせいじゃ、無いんだ」

レイファスの眉が、寄った。

「…でも、ローランデは結構ギュンターが好きみたいなのに、嫌がってる理由が解らないよね?」

アイリスは大きな吐息を吐く。

「それ、間違ってもローランデには聞かないと、約束してくれる?」

レイファスが途端振り向いて、アイリスににっこり微笑んだ。

「アイリスが理由を教えてくれたら、聞かない」

ファントレイユにも同様に見つめられ、アイリスは唾を、飲み込んだ。

「…美味しいお菓子だと、ついしなきゃならない事を放り出して、食べてしまうものだ。

ローランデはここに君達の講習に来ていて、ギュンターと仲良く過ごす為に来ていない」


テテュスが、頷く。が、アイリスはぎょっとした。

「テテュス。意味が、解る?」

「つまり、ギュンターが凄く格好良くて素敵で、二人切りに成ると離れられなくなって講習が出来なくなるから、避けてるって事?」

アイリスは音が鳴る程、ごくん。と唾を飲み込んだ。

テテュスのみならず、ファントレイユにもレイファスにも視線を向けられ、アイリスは続けた。

「ローランデは君達の面倒を見ると左将軍と約束をしてここに来ていて、ローランデは人との約束を、破った事が、無い」

ファントレイユが顔を揺らした。

「じゃあ、ギュンターはローランデがいいって言わないのに、一緒に居ようと無理に誘って、ローランデの約束を破ったから、怒られてて…しょげてるの?」

アイリスは頷いた。


子供達は約束を厳しく護るローランデに感心し、だが同時にギュンターに、同情を寄せ巻くってため息を三人同時に、吐いた。

三人が布団を掛け、潜り込み始め、アイリスがほっとした時、ファントレイユがつぶやく。

「どうして、ギュンターが僕らの前でしょうと言ったら、ローランデは怒ったのかな?」

アイリスは、飛び上がりそうに成った。

テテュスも欠伸を噛み殺しながら、言う。

「何をする気だったの?ギュンター」

レイファスが布団を被ると、言った。

「君たち、見た事無いの?」

レイファスの両端に居た、ファントレイユもテテュスもが身を起こしてレイファスを覗き込み、同時に言った。

「何を?」

レイファスは両脇のファントレイユとテテュスを交互に見つめるとつぶやく。

「ファントレイユは領地から出して貰えないし、テテュスは…アリルサーシャといつも一緒だったから…見かける機会が無いんだ」

ファントレイユの眉が思い切り寄る。

「だから!何を?」

テテュスが思い出したように、布団を口に、当てた。

「女中と下男が、するような事?」

アイリスはぎょっとし、レイファスは頷く。

「多分、それ」

言われてテテュスは、甲斐間見た情事の最中の下男と女中を、ギュンターとローランデにすり替えて想像してしまい、暫く、固まった。

ファントレイユがとうとう怒鳴った。

「僕に解るように教えて!」

レイファスとテテュスは途端、アイリスに振り向き、どんな時でも冷静さを崩さないと自分を評価した連中は絶対、間違ってると、アイリスは思った。

こんなピンチを迎えたのは、激戦の時ですら、無い。

アイリスは思い切り俯くと、ささやくように言った。

「その時に成れば自然に解るもので…」

テテュスはさっさとファントレイユに向き直ると、アイリスを助けた。

「大人は、する時は恥ずかしく無いのに、子供に説明する時は恥ずかしがるんだ」

アイリスはもっと深く、俯いた。


その時扉が開き、ゼイブンが顔を見せた。

一斉に見つめられ、ゼイブンは

「よぉ…!」

と唸った。

ゆっくり入って来て、寝台の一番端に横たわるファントレイユの直ぐ側の隣の椅子に座る。

が、顔を上げるとアイリスを含め、子供達に一斉に凝視されてつぶやく。

「俺が来て、まずかったか?」

アイリスが心から、言った。

「その、反対だ」

ゼイブンが、眉を寄せた。


「ゼイブンはいつもしてるから、知ってるでしょう?」

ファントレイユにあどけなく言われ、ゼイブンの眉が寄った。

「いつも、してる?」

アイリスがそっと、ささやいた。

「…情事の事だ」

ゼイブンは、ああ…。と頷いた。

「それが、どうした?」

ファントレイユがいきなり、目をきらきらさせた。

「ギュンターが凄く上手で、レイファスもテテュスも別の人がしてるのを見てるのに僕だけ、見た事無いんだ」

ゼイブンはそれを聞き、項垂れた。

「…そうだな。普通は親がしてるのを、つい見ちまう事故が、良くある筈なのに」

そして、切なげにため息を、吐く。

アイリスは眉を寄せてそっと言った。

「君の家庭事情はどうでもいい。

早くファントレイユの質問に、答えてやってくれ」

ゼイブンは顔を上げてファントレイユを見るが、ファントレイユが先に、口を開いた。

「僕の前だと、セフィリアは絶対、嫌って言う?」

「お前の前どころか…。

滅多に、いいと言わない」

レイファスが素朴に、聞いた。

「ゼイブンはとっても上手なのに、駄目なの?」

ゼイブンはまた、ため息を吐いた。

「セフィリアはアイリスの寝室で見てからあれを、とても不潔な行為で、子供が欲しいから仕方無くするだけで、不潔な事が大嫌いだから、楽しもうとしない」

ゼイブンがもの凄く、がっかりして見え、皆が言葉を控えた。


テテュスが、そっと言った。

「ディングレーもローフィスも楽しいと思ってるみたいだけど、当然ギュンターも、そう思ってるよね?」

ゼイブンはアイリスをそっくり小さくしたようなテテュスを見つめて、肩をすくめた。

「だろう?じゃなきゃ、誘ってくる相手と取っかえひっかえ、したりしないだろうな」

テテュスがレイファスを見、レイファスも聞いた。

「じゃ、ローランデとも、楽しいと思ってる?」

「当たり前だろう!惚れた相手とすると、最高だもんな!」

アイリスはゼイブンが、どうして子供達がその質問をしてるのか気づかぬ鈍さに兜を脱いだ。


「具体的に、どうするの?!」

自分だけ見た事の無いファントレイユがとうとうじれて尋ね、アイリスは思い切り知らん振りを、決め込んだ。

が、ゼイブンは顔色も変えずに怒鳴った。

「ギュンターがどうやるかなんて、知るか!

女相手は、言ったろう?溜まったもんを、出すんだって」

レイファスが、とうとう聞いた。

「女の人には出す場所があるんでしょ?

じゃ、男同志はどうするの?」

ゼイブンは肩をすくめた。

「さあな。男同志は色々やり方があるし、女の中に出すと子供が出来るが、出すだけなら幾らでも方法がある。

ギュンターがどうしてるかは知らない。

だが話に聞くと凄いらしいから、多分いいんだろうな。

年頃に成ったら、相手して貰え」

途端、無責任男の発言にアイリスが思わず怒鳴った。

「ゼイブン!」

が、ゼイブンは肩をすくめる。

「仕方無いだろう?

同じオムレツを作っても、料理人が違うと味が変わるのと一緒だ。

食ってみないと、解らないだろう?」

三人は感心したように、ゼイブンに頷いた。

レイファスが、顎に手を乗せて聞く。

「それって、世間の評判は宛に成る?」

「成る。たまに、わざと自分の嘘の評判を、人に頼んで言いふらして貰う奴も居るから注意は要るが…。

まあ、ギュンターとそこのアイリスは、(かた)いな」

三人はまたアイリスを見つめ、感心したように、頷いた。


テテュスがつぶらな瞳でアイリスに聞く。

「どうして上手に成ったの?」

アイリスが思い切り言い淀み、ゼイブンが答えた。

「そりゃ、大勢の相手といっぱいしたら上手く成る。

剣と同じだ。

いつも同じ相手ばかりだと、その相手には勝てても別の相手だと勝手が違って負けるだろう?

たくさんの相手とすればする程、色んな事に対応出来るし、技が増えると相手も喜ぶ」

皆が、ふーん。とつぶやき、アイリスが慌てて言った。

「もう、お休み。私もゼイブンも出ていくから」

三人はもの凄く、つまらなそうにアイリスを見るが、アイリスはさっさとゼイブンにきつい目を向け、部屋を出るよう促した。



扉を閉めるとゼイブンがそっと、安堵の吐息を洩らして俯くアイリスに、屈んで告げる。

「連中の将来に、大事な事だろう?」

アイリスはチラと伺うゼイブンを見つめるが、静かに怒鳴った。

「それは解るが、子供達が興味深々で、迂闊にローランデにギュンターとの事を質問したりして、これ以上ローランデを刺激したく無い」

ゼイブンは、そうか。と、下を向き、はーっと、吐息を吐きだした。

「…ローランデは育ちが、いいんだな?」

アイリスが、頷く。

「…つまりセフィリアも同様だから、俺を獣で下品だと、寝室に入れないのかな?」

アイリスが、つぶやいた。

「多分、そうだ」

ゼイブンは思い切り俯くともう一度、はーっと大きな吐息を、吐きだした。




アイリスが部屋へ戻ると、オーガスタスが顎をしゃくり、アイリスがその呼び立てに彼の前に寄ると、ディングレーも、そしてローランデ迄もが寄って来た。

オーガスタスが口を開く前に、ディングレーがささやく。

「ローフィスをゆっくり休ませたい。

つまり、シェイルの代わりに誰がローランデの横の寝台に泊まるかだが…」


アイリスはちら。とディングレーを見て返答する。

「…ゼイブンも押さえとかないと。

全く自覚無くトラブルを引き起こす、天才だからな」

ゼイブンがアイリスの後ろに立って、ささやく。

「…俺はこの場に居ない方がいいか?」

オーガスタスがため息混じりにささやいた。

「いや。居ても構わない」

が、ゼイブンはアイリスの背の後ろから出ないまま、頷いた。

ディングレーが項垂れるようにつぶやく。

「…俺がローランデの寝室に泊まって万が一深夜にギュンターとはち合わせたら、マジに殴り合いになる」

アイリスが頷き、オーガスタスはディングレーを呆れるように、じっと見た。

「…どうしてもそうなるのか?」

ディングレーはその頼もしい男の鳶色の瞳を避け、俯くとぼそりと言った。

「俺も相手にその気になられると、手加減出来ない」

アイリスがその濃紺の瞳を彼に向けて、きっぱりと言った。

「じゃあその役は私が引き受ける。

引き替えに君の担当はゼイブンになるけど、構わない?」

ディングレーはアイリスの背にほぼ隠れるゼイブンを、じっと見た。

「…まあ…。大丈夫だろう。

ローフィスを楽させようとの、言い出しっぺは俺だしな」

アイリスは後ろに振り向き、ゼイブンを見る。

ゼイブンは肩をすくめ、ぼやいた。

「そりゃ確かに…ローフィスの件は俺も同感だが、お前ら俺が、一晩くらい何も起こさないと、思えないものなのか?」

ローランデが素っ気なく言った。

「それは絶対、無理だろう?」

全員が頷き、ローランデに冷たく見つめられ、ゼイブンは項垂れるしか無かった。





 ローランデの寝室を訪れると、アイリスはそっ、と寝台に掛けるローランデを伺った。

正直、ギュンターとの事や、まさか自分の前で泣き出し、一度も見せた事の無い泣き顔を見られて随分バツが悪いんじゃないかと気遣った。がローランデはアイリスに気づくと、微笑んで彼を隣に迎えた。

アイリスはそっと、ローランデの側に寄る。

ローランデはその、教練の時背が高くって品の良い美男として目立ったものの実力は欠片も見せない、一つ年下の人懐っこいかつての下級生、アイリスを見つめて口を開いた。

「さっきは、子供達を寝かしつけて来たんだろう?

ファントレイユは嬉しそうにしていた?」

ローランデに聞かれ、まさか別の事で興味津々だとは言えず、アイリスは苦く笑って頷いたものの、その、学校中で名を知らぬ者は居ないと言われ、人に常に一目置かれながら、だが一旦側に近づくといつも自分を取り巻く者達へ、品良く柔らかい眼差しと対応で気配りする素晴らしいかつての先輩のローランデが、少し、微笑んだ気がして、アイリスは首を、(かし)げた。


「そうやって笑うと、昔と同じだな。

君くらいチャーミングに笑う男を、私は知らない」

アイリスはローランデのその評価にもう一度微笑むと

「自分では解らないけど」

とつぶやき、隣の寝台に腰掛けた。

ローランデがそっと、言った。

「君には、悪かった。テテュスにもだ。

母親を亡くして…本当はとても…大変な時期だろう?」

アイリスには、彼に惚れ込むギュンターが本気だと、もう早い頃から解っていた。

だがローランデに対して他の者達同様、敬意しか無かったから、ギュンターの暴走からいつもローランデを護ろうと、決めていた。

濃い栗毛に明るい栗毛の混じる髪を長く背に垂らし、澄んだ青い瞳を持つ彼は、“剣聖"と呼ぶに相応しい尊厳があったから、アイリスはまるで仕える者のように内心ローランデに平伏していた教練時代を思い出す。

が、今は自分の境遇に心を痛めて思いやるローランデに真顔で言われ、アイリスは少し微笑を浮かべて肩をすくめた。

「私もテテュスも、きっとここに二人切りで居たらずっとアリルサーシャの事が頭から離れず悲嘆に暮れていたから、ディアヴォロスの計らいで君達が来てくれて賑やかな事に、感謝してるよ」

ローランデがそっ、と、滅多に地顔を見せないアイリスの、繊細な表情を眺めた。

「テテュスの事がとても…心配なんだな…」

アイリスが顔を、上げた。その濃紺の瞳が、揺れていた。

「…あのまま想い続けて、アリルサーシャの後を付いて行きそうで…時々とても、怖い。

君から見てテテュスはどんな、剣士だい?」

アイリスに真剣に聞かれ、ローランデは微笑んだ。

「私の幼い頃に似ている。

護るべき立場で、その為に自分の出来る事をしようと固く決意している。

彼はこの先、たくさんの人々を護り、数え切れない感謝を受けるだろう」

アイリスは、やっぱりとてもチャーミングに微笑んだ。

「最大の、賛辞だ」



ゼイブンが部屋に入ると、ディングレーが表情も変えずにつぶやいた。

「よぉ…」

ゼイブンは頷くと、その、教練の時は近づく事も無かった同学年の、王族の血を継ぐ大貴族の男の、横の寝台に腰掛けると大きな吐息を、吐いて言った。

「ヘンなもんだな。

あんたとは、縁が無いと思ってたのに」

ディングレーはゼイブンがえらく畏まって見えて、肩をすくめた。

「どんな風に俺を見ていたんだ?」

ゼイブンは、艶のある手入れのいき届いた見事な黒髪を背に流す、その威厳さえ滲ませる身分の高い若い男を見つめ、肩をすくめると、言った。

「王族の血を引く雲の上の男で…。

身分が態度に見合って、押し出し十分で…。

“男らしい"と言えば、あんたの名が出てた。

同学年の馬鹿達がいくら無謀な事でモメようが、あんたが姿を見せた途端一気に収まる。

住んでる次元が違うと、いつも思ってた。

こっちは馬鹿のとばっちりを受けまいと、神経配ってるのに。

…実際いつもどっしり構えてて、慌てる様子を目にした事が無い」

ディングレーはその淡い色の髪を持つ、軽そうに見える大層美男の色男を軽く、睨んだ。

「そんな筈無いだろう?ローフィスは良く、知ってる。

狼藉者との乱闘の真っ最中、身分が何の役に立つ?

知恵と要領と、腕力がモノを言うのに」


ゼイブンは顔を上げるとたっぷり、そう言うディングレーの、余裕の無い真顔を見た。

「…餓鬼の頃、ローフィスは俺に同情した。

身分の通じない場で、やり用もロクに知らない、世間知らずのお坊ちゃんだとな。

…同情されるのがあんなに惨めな気分だと、その時迄知らなかった」

ディングレーはそう言い捨てると、膝を引き上げブーツを脱ぐ。

ゼイブンは彼を見ると、つい尋ねた。

「結構、孤独か?」

ディングレーは顔を上げた。

「…まあな。

だが自分から殻を破ると、見合った人間と出会える事も、解った」

ゼイブンは俯くと、告げた。

「そうだな。ローフィスは確かにデキた男だ。

餓鬼の頃から精神が鍛え上げられてるから、大抵の事には対応出来てる」

ディングレーは寝台に横に成ると、天蓋を見つめてつぶやく。

「その価値が解るって事は、お前もそれなりに、鍛えられてるって事じゃないのか?

何で子供と素直に接しられないんだ?」

ゼイブンは目をまん丸にした。

「あんたが子供好きなのは凄く…意外だった」

ディングレーは大きなため息を吐くと、面倒に成って、言った。

「俺は意外性の、塊だからな」

ゼイブンは頷いた。

「まあ…身分が高いと宿舎も別で、あまり人目に触れないから実情が世間の評価と違ってても、体裁が保てて威厳を損なわずに、いられるって事か?」

ディングレーはそれを聞いて思い切り眉を寄せ、ゼイブンに振り向き、睨むと言った。

「…凄く、カンに触る言い方だが…その通りだ」




オーガスタスは寝台に俯いて座るギュンターを、見た。

ローランデを泣かせた後よりかなり…平静に見えた。

見つめていると、ギュンターが顔を上げる。

「世話かけたな」

ギュンターの声に、何を今更、と、その度量の広い男は褐色の髪を振り、肩をすくめる。

「ローフィスが居ると、色々助かる」

言った途端、ギュンターが一瞬泣き出しそうに見え、オーガスタスはタメ息混じりに彼の横に、どさっ!と掛ける。そして長身の頭を屈め、俯くギュンターを覗き込んだ。

その、大抵の事には動じない大柄な男が、そんな風に気遣うように顔を覗き込む事が滅多に無く、ギュンターはオーガスタスの鳶色の暖かい瞳を見つめてささやいた。

「…レイファスにも、心配された」

オーガスタスは頷いた。

「お前が態度を崩す事が、滅多に無いからな」

その言葉に、ギュンターは俯いた。

オーガスタスはその男の“綺麗"と人に評価される顔立ちを、改めて、見つめた。

普段はすっかり忘れているが、珍しくこんなに殊勝だと、その顔立ちが際だって目に飛び込む。

…つまりはそれだけ、打撃を、受けているという事だったが。


つい、普段の彼を探そうと思い巡らす。

美貌と呼ばれ、更に珍しい金髪と紫の瞳で目立ちまくっていたが中味は仲間を決して裏切らない、男気のある奴だと出会って直ぐ、解った。

女にその美貌を使う以外は厄介でしか無いその外見を、それでも自分だと認めて頭を真っ直ぐ上げ、降りかかる厄災を全部、睨め付け戦い抜く様に呆れた。

あんまり面白い男だったので、一級下という年の差も忘れてつるんでいた。

ギュンターと居れば、退屈した事が、無かった。

だがローランデにマジ惚れした事は…もう、面白いの域を、超えていた。

いつも、剣で無く出来る限り拳で対処して来ていた男だった。

その男が剣を握り、限界を超えても戦えばいづれ…命だって落とすだろう。

ローランデが近衛に入隊したての頃は、周囲は剣士ばかりだったから最悪に厄介で、この男は他人の心配を余所に、ローランデの為なら戦い抜く覚悟を決めていたから、いつ奴の葬式で思い切り笑って門出を祝い、天国でローランデが逝く迄待ってろと、弔辞を読まなきゃ成らないかと心構えた。

ディアヴォロスは言うな。と言ったが。

ディアス(ディアヴォロスの愛称)は多くの部下の“死"について気を配り続け、ギュンターもその中の一人だった。

ディアヴォロスがここに出向け。と命を下し、それを受けて出立すると大抵…ギュンターの危機を救う事が、出来た。ディアヴォロスは自分の傘下で、死ぬべきでは無い男の命を、彼の出来うる限り、救い続けて来た男だったから。


珍しくめげているその男の様子に、オーガスタスはまた一つ吐息を吐くとつぶやいた。

「まあ…今更…だな。

昔から散々忠告は、した」

言って腰を、上げる。

ギュンターの返答が無く、オーガスタスは肩をすくめた。

「言って引き返す性格の男じゃないと、知っていたがそれでも、口にした。

“本気で惚れるには、相手が悪すぎる"と。

…皆がお前を心配してる。

お前は自分の恋心には、敵しか居ないと思ってるようだが」

ギュンターが、オーガスタスの心配は解ってると言うように首を横に一瞬振り…だが顔を上げないまま小声で告げる。

「友達で無く、管理者の役割を果たしていい」

オーガスタスは彼の肩に手を置き、揺する。

「言われなくても、そうする。が、友は友だ」

ギュンターが顔を上げなくて、オーガスタスは直ぐ横の自分の寝台に尻を付く。

「明日は時間を作ってローランデとちゃんと、話せ」

ギュンターがようやく顔を、上げた。

その表情が自分を偽る様子無く、あまりに切なげに見えてオーガスタスは肩を下げて小声でささやいた。

「あの凄腕の男をそこまで可愛いと思うのは、お前くらいだ」

ギュンターは俯いた。

「やっぱり…ローランデは困ってるか?」

「まあ…公の場ではな。だがそういうのはお前くらいだから、貴重なんだろう?」

ギュンターが、顔を上げた。

オーガスタスは親しみ易いいつもの笑顔を浮かべた。

「惚れられてると、解ってるならもう少し、落ち着いてやるんだな」

ギュンターが、ようやく肩をすくめた。

「出来ないと、言えばローランデを追いつめるか?」

「解ってるんなら、努力しろ」

ギュンターが、顔を揺らした。

オーガスタスはローランデの時だけ平静を丸で失う、何年経っても懲りない男に一つ、吐息を洩らした。




シェイルは頼りに成る義兄、ローフィスを見つめていると、彼は振り向いた。

その明るい栗毛と青の瞳はいつも、爽やかな青年らしさを纏っていたし、ローフィスは幼少の頃からどれだけ幼くて不利でも敵に怯んで見せた事が、無かった。

どれだけあの背を、頼りにして来ただろう?

戦う発想すら、無かった自分にとって。

ローフィスは自分よりほんの少し大きな、それでも頼りない子供の背を向けながら“自分自身で居たいなら敵がどれだけ大きくても絶対、諦めるな"と無言で語り続け、彼を護って大きな敵と、戦い続けてきた。

自分の戦い様で

『お前には幸せになる権利がある』

といつも教え続けてくれていた。

そんな相手にどうして…心を根こそぎ持って行かれずに済むか、聞きたいくらいだった。

ローフィスが成長し、年頃の少女と楽しそうに会話しているのを盗み見た時も、嫉妬する権利すら、自分に無いと思ってた。

大人に成り、ようやく解った。

呪われた運命に抗う事すら知らない、生きる力の無い、弱い子供。

抗い難い大きな力に淘汰され、消えていく筈だった自分。

ローフィスはそんな自分に

『生きていいんだ』

と言い続けて、生き残る術をずっと付き従い、自分を投げ売ってでも教えてくれた。


シェイルがそっ、と俯いた。

銀の、鮮やかにくねる髪が揺れる。

「…ギュンターの表情を、見た?

あんたに感謝してる」

ローフィスはその、少女ですらこれ程はっ。と人目を引く美しさを持たない程の整いきった…見慣れた美貌を見つめた。

鼻筋が通り、そのエメラルドの瞳は銀の睫毛の下、濡れたように輝く。

華奢に見える程細い鼻の形がとても綺麗で、その両側に並ぶ瞳も、そして唇の形も、完璧と言える程の配置でつい、彼を初めて見た相手は大抵、その神の創造の見事さに暫くシェイルに見惚れるのが常だった。

が、ローフィスにとってシェイルは、感情すら表せない程の恐怖におののく、ただの怯えた、小さな子供だった。


「あの動じない男もローランデ相手じゃ、形無しだな」

そうつぶやくと、シェイルは肩をすくめる。

「だがあんたのやり用は、いつだって見事だ」

「ああ…義弟にそう評価されるのは、嬉しいな」

ローフィスがシェイルを見ると、彼は少し、沈んで見えた。

ローフィスはそっ、と、どれだけ人に“綺麗”だと評価されようが呪われているとしか思えないその美貌を忌まわしいと感じ、俯く事しか知らなかった義弟を、優しく見つめた。

「ディアヴォロスと近衛で一緒で、何が心配だ?」

シェイルは俯いたまま、一つ吐息を吐いた。

「あんたが、居ない」

ローフィスはシェイルを見つめた。

銀の髪に囲まれたエメラルド色の宝石のような瞳が、揺れて瞬く。

『光の民』のような、突出したその外観。

だが『光の民』達は生まれた時から自分を護る力を授けられている。

シェイルと、違って。


ローフィスはつい、ため息を吐いてささやいた。

「…お前のは、刷り込みだ。

餓鬼の頃、俺しか居なかったから俺が世界の中心だったろうが今はもう、そうじゃないだろう?」

シェイルが顔を上げ、そのすがるような大きなエメラルドの瞳を見つめてローフィスは二度(にたび)大きなため息を、付く。

ずっと…護ってきた。

そして出来るだけ…彼の為になろうと努力し続けた。

あんまり小さく、愛しくて、怯える彼を抱いてそのままずっと腕の中で守り通してやれたら…と、祈った夜すらあった。年頃にはようやく少しやり用を覚え…彼はやっぱり祈り続けた。

シェイルが…願わくば一人前の青年に成長する事を。

それを見届けたらようやく…自分の気持ちを解放出来ると、信じて。

ひよこのように自分の後に付き、真似をしていたから…自分はいつも兄として行く先を指し示し続けた。

女との付き合いだって、教えるつもりだったのに…女性と話をする度、シェイルはただ俯き、自分が彼から離れていくと、声も上げずただ固まって覚悟を決めていた。

胸が、痛んだが兄で居ようと決めていたし、何があっても彼を一人前にする責任を負っている。と自分を戒め続けた。

…周囲に、シェイルはお前に惚れている。と言われようが…その場所から動く気なんか、無かった。

どれだけ泣かれようが…。すべき役割を果たそうと…そう…決めていたのに、その前にシェイルは逝ってしまいそうだった。

自分を包み守ってくれる愛を失うと思い込み、心が折れて…戦う気力を無くし、敵に自分を明け渡しそうに、なって…。

ローフィスは今だ、その時の事を思い出すと苦く顔が、歪む。

彼に応えるしか、彼を死の縁から救い出す手だてが無かったとしても…。

それでも兄としての立場を放棄した事を、恥ずべき事だと、思っていた。


ローフィスは顔を上げ…そして真っ直ぐな深く青い瞳をシェイルに向けて、真顔で告げる。

「俺はお前に惚れてるが、縛る気は無い」

シェイルはその言葉に顔を、上げた。

ローフィスは自分を見上げるエメラルドの瞳を見つめ、もう一つ吐息を吐くとささやく。

「いい加減、ちゃんと恋をしろ。

餓鬼のまんまだ。

安心出来る相手が居ないと、まだ不安なのか?」

シェイルは顔を歪めた。

「…あんたの事、心の底から兄貴だと思った事が無いのに?」

ローフィスはだが又、吐息を吐いた。

「ディアヴォロスは良く解った男だからお前の中味が…小さな子供と同じだと、解っていて見守る気で居る」

そう言われて…それでもシェイルは自分が、恋をする資格さえ無いと思い続けて来た。

闇に引き裂かれるのを待つだけの存在で、生け贄になるしか無い。と諦めて。

その、あまりの恐怖に(すく)んで、生きる事も、息をする事すら放棄して来た。

だから…。

ローフィスに、振り向いて貰える事すら念頭に無かっから、いつかどこかでローフィスが幸せに笑って居てくれる事を心の糧に、自分を失った事が彼の心の傷に成らない事だけを、ずっと祈り続けて来た。


人外の友を持つ偉大なディアヴォロスが、闇をすっかり払い…自分を死の恐怖から、救い出す迄。

「あんたもじゃないか…」

シェイルが可憐に俯き、ローフィスは言った。

「お前がちゃんと、恋すれば俺もディアス(ディアヴォロスの愛称)も、お前を放す気が、ある」

シェイルはやっぱり、不安げだった。

「だって…どうしたって凄く、あんたが好きだし…ディアスはとても、大切だ」

ローフィスはちゃんと恋する青年の瞳でシェイルを見つめ、つぶやいた。

「本気でそう思ってくれるんなら、いい加減ひよこから脱皮してくれ」

シェイルはそっと、窓辺に居るローフィスに身を寄せてその首に腕を巻き付け、ローフィスの青い瞳を見てささやいた。

「でもあんたが凄く…好きなんだ」


けれどその瞳がやっぱり恋を、知っている様子では無くて、ローフィスは短い、吐息を吐いてシェイルの腰に腕を回し、彼をそっと、抱き寄せた。




 翌朝、ギュンターはオーガスタスと食堂に降りて来たが、ローランデが続きのテラスに居る姿を見つけた。

オーガスタスが促し、ギュンターはそっとテラスの透けたカーテンを開けて朝日を浴びて白い頬を輝かせるローランデの、後ろに立つ。

ローランデは振り向くが、ギュンターの美貌が相変わらず、野獣の中味と別人のような崇高な騎士に見えて、戸惑った。紫の瞳が朝陽で煌めくと、昔物語で読んだ、素晴らしく人徳高い騎士のように隙無く完璧に見えて、いつも通りやっぱり一瞬見惚れたが、背後のオーガスタスが頷くのを見、現実に戻って彼に、頷き返した。


ギュンターが口を、開いた。

「…許してくれとは、言わない」

ローランデはその言いように、きっちりむくれた。

「謝罪を受け容れてくれとは、言わない気なんだな?」

ローランデが怒っている風で、ギュンターは顔を揺らし内心もの凄く、狼狽えた。

が、静かに顔を下げると、そっとささやく。

「だって俺は、悪いだろう?」

自分から、その処刑に身を差し出す罪人のようなその様子に、ローランデはつい、彼に駆け寄って抱きしめてやりたいと思ったが、自重した。

ギュンターのそんな潔い様子は大抵の相手の心を動かし、例え野獣のような恐ろしさを持っていても、多くの人が熱烈に焦がれるのは、こんな殊勝な部分があるからだと、ローランデは知っていた。

「…だったらいい加減いつもの厚顔無恥な男に戻って、私の役割を助けてくれ」

ギュンターは顔を揺らすと、そっと頷き、きびすを返した。

自分で無い、別の…彼が今まで付き合っていた多くの人間は、こんな風に沈んだ様子の彼に背を向けられたりしたら、きっと後ろから、必死で追いかけて抱きついて彼を、振り向かせたろう。

その幻影が見えても、ローランデはテラスの手摺りを、握り続けてその場を、動こうとはしなかった。


オーガスタスの横に居たアイリスが、そのローランデの様子に切なげに眉を寄せ、彼自身が言った

『とても魅力的な男』ギュンターを、オーガスタスと共にそっと、朝食の席へと促した。

だが、ゼイブンがアイリスの後ろに隠れるようにしてその二人の様子を見ていて、ぼそりとつぶやいた。

「何だ。野獣に心を持って行かれて、捨てられたらどうしようと思ってるのは、凄腕の剣士の方か」

アイリスが、もの凄い瞳でゼイブンを見た。

ギュンターが唸った。

「…やっぱり、俺に惚れられたら相手は不安に成ると、思うか?」

ゼイブンが肩をすくめた。

「ならない方が、どうかしている」

大人しく席に付けと促すアイリスとオーガスタスを無視し、ギュンターはゼイブンに尋ねた。

「…俺にはそんなにつれなく、相手を捨てるという印象があるのか?」

「だって事実、つれなく幾人も捨ててきてるじゃないか」

ギュンターが、喧嘩売ってるのか?と瞳を、向けた。

「つれなく捨てたりしてない」

「だが気の無くなった相手にはさっさとそう告げて、その後関係を断つだろう?」

「気が無くなったらそう言うしか、無いじゃないか。

黙ってて、都合のいい時にだけ、いい顔出来るか?」

「そりゃ、あんたは相手を利用したりする気は無いだろうが、あんたに惚れた相手は、利用されてもあんたと関係を、続けたいものなんだ」

ゼイブンがそう言い切った時、部屋の中に入って来る子供達の姿を目にし、アイリスは慌てまくった。

ギュンターはきっちり、ゼイブンに目を、剥いた。

「俺と関係持った事が無い癖に、何だってそんな事が言えるんだ!」

ゼイブンは顔一つ背の高いその金髪の野獣に、肩をすくめた。

「だって…俺の前にお前と付き合ってた女が毎度俺に、愚痴るからな」

ギュンターがたっぷり、そう言うゼイブンを、見た。

「一時は、五人近くが連続して、うんざりした」

アイリスとオーガスタスが、その数を要するにこの二人がこなしたんだと、呆れてため息混じりに俯いた。


ディングレーはゼイブンの近くで腕組みして聞いていたが、もう関わりたくない。とさっさと、椅子を引いて座る。

ゼイブンは丸で解っていないギュンターに尚も、言った。

「お前に未練たらたらで、お前を忘れさせてくれと言われて、毎度凄く、困った」

ギュンターがとうとう、唸った。

「それで、俺に恩に着ろといいたのか?」

「そりゃ、着て貰えれば御の字だが、どうせお前は自分は役割を果たしてその後の事なんか、知ったこっちゃないと、思ってるだろう?」

ギュンターは図星を指されて、ゼイブンから目を反らした。

ゼイブンはチラ…と、テラスから耳を澄まして聞き入るローランデを目で指すと

「…あれだけお前に熱烈に惚れられた後にそんな捨てられ方をしたら、半端無い打撃だろう?

こっちが入れ込む前にとっととお前から、逃げ出したいとローランデが思うのも、無理無いぜ」

アイリスがそっと、言った。

「ゼイブン。君の言う事は最もだが…」

アイリスが、目を向けるとそこには、三人の子供達が、そういう事なんだ。と頷き合い、後ろでローフィスが腕組みして、俺はもうフォローしないぞと、投げやりな表情で俯き、シェイルは横に居るテテュスに、ゼイブンの言った通りなのかと問われる目を向けられて、困っていた。


ファントレイユがその、あどけない唇を開き、大人達はそれを目にして、固まった。

「…やっぱり、つれなく捨てたりしたらその後、本気の相手にも逃げられるの?」


全員が、その動きが縛られたみたいにピタリと動作を止め、シン…と静まり返った。

ゼイブンが、余りの図星に一つ、大きなため息を付くと、小さな息子にささやいた。

「ギュンターが青春を掛けた恋で、お前らに最悪の実例を見せてる。

ちゃんと胸に刻んで、自分だけはギュンターを見習うまい、と、せめて奴の思いが無駄じゃなかったと、奴に教えてやれ」

ファントレイユもテテュスも、レイファスもが珍しく真剣に頷き、ローフィスは後ろで額に手を当てたまま、つぶやいた。

「一見、綺麗に閉め括ったように聞こえる。

だが絶対ギュンターの恨みを買うだろうし、その時俺は助け出さないぞ」

オーガスタスもがぼそりと言った。

「俺もだ」

そしてゼイブンと目を合わせず、席に着く。

アイリスは、ゼイブンに視線を振られて目を、反らしたし、ディングレーに至っては、ゼイブンの方へ顔を向けるのを、拒否していた。


ゼイブンは目前の、長身で金髪の野獣を見上げないまま、つぶやいた。

「…やっぱり、俺を恨むか?」

ギュンターの声は、平静に聞こえた。

「良かったな。子供の前では、お前を殴れない」

ゼイブンが、ほっとして顔を上げたがギュンターはきっちり、キレた野獣の、表情をしていた。




 ファントレイユはゼイブンを、見上げた。

ローランデはまた、テテュスとレイファスを相手に打ち合っている。


ゼイブンはそっと、ファントレイユに屈んだ。

「見てろ」

ファントレイユは、頷いた。


テテュスは果敢にローランデにかかっていき、もう遠慮は微塵も無かった。

ファントレイユは自分より大柄な彼が、とてもしっかり剣を扱うのを見て、感心した。

ローランデはでもやはり、テテュスが突き入れる剣を先読みしてその剣を軽く合わせて、止めている。

流麗な、見事な流れるような動作はもう、目に焼き付いていたけれど、ローランデが思いの他、テテュスに優しく接していると解った。


レイファスから短剣が飛ぶ。

とても可愛らしい一番小柄なレイファスは、だけどその性格そのままに、さっと投げる手を後ろに引き、その肩で隠し、ローランデがテテュスの剣を止めに行くその時、一瞬で短剣を投げていた。

直ぐに長剣を振り、ローランデにかかっていく。


ローランデはすっと左手を上げ、見もせずにその短剣を弾き、もう一度振りかぶるテテュスの剣を軽く弾いて跳ね上げ、そのままレイファスから来る剣を、合わせて止めた。


ゼイブンが、ファントレイユの横に顔を近づける。

「ローランデの呼吸を、盗め」

ファントレイユは呆けて見ている自分が、恥ずかしかった。

ローランデを見る機会は少ない。

だから、彼が剣を振ってるその短い時間を惜しめと、ゼイブンは真剣な眼差しで告げていた。


呼吸…。

「解るか?気配だ…。

よく見て、自分を彼に併せろ…。

違いが、解る迄」


ファントレイユは少しずつ、ゼイブンの言った意味が解ってきた。

ローランデのつもりで、剣を振ってる気に成った。

もう、腕を引いてる。

左に振ってテテュスの剣を止め、直ぐだ。

もうレイファスの剣も止めて、さっと左を上げ、短剣を弾いている。

ファントレイユの息が、上がる。

がローランデの呼吸は全く、乱れていない。


「お前、突く瞬間は息を吐くがその直ぐ後、詰まらせるだろう?」

「剣を持ち直す時…そうなる」

「力を入れようとするからな。吐け」

ファントレイユはやり直した。

ローランデは華麗に左手の剣を横に振って短剣を叩き落とし、下げ、左肩を後ろに引いて直ぐ右から弧を描き自分を襲うテテュスの剣を右手の剣で、止める。

がちっ!


「!」

ファントレイユには解った。

止めてテテュスの剣が当たる瞬間、ローランデはぐっ、と“気"を、溜める。

そして直ぐに吐き、体を柔らかく使い直ぐに、レイファスの剣も、止めた。


やっぱり…!

受け止める一瞬、ローランデは息を、止めていた。

でも、自分がするように息を詰まらせたりせず、息苦しくなったりはしていない。

ぐっ…と…。

その瞬間柔らかなローランデの体に力が、溜まるみたいだ…。

また…!

振った剣ががちっ!と当たる時…そしてローランデが攻撃の剣をテテュスに入れて…これ以上突き入れたらテテュスが怪我をする。という瞬間、やっぱりローランデはぐっ!と息を止め、そこで剣を引く。

でも一瞬だ…。


ファントレイユもそれを、マネしてみた。

けど、止めてみても体に力が漲る感じは、しなかった。

「…腹だ。お前は肩に力を入れて息を止める。

がローランデは腹に力を入れて剣を止めている」

ゼイブンの声が耳元でし、ファントレイユは夢中で、自分で試してみた。

だが腹に力を入れると、体が一瞬、固くなる。

ファントレイユはゼイブンを、見た。

自分と同じ…と言われてる、いつもとても綺麗だと思う鼻筋の、綺麗だと思える引き締まった顔が、こちらに傾けられる。

そのブルー・グレーの瞳が一瞬自分を、捕らえてゼイブンがつぶやく。

「腹をへこませて、息を吐け」

ファントレイユは試してみた。

出来て、ゼイブンを見上げる。

「へこませる時、力を入れてへこませて見ろ。

息は絶対、止めるな」

ファントレイユはようやく、少し意味が解った。


腹に力の入れ具合で、確かに調節出来る気が、した。

でも力を入れるとどうしても、息が止まる。吐きながら………。

でもそれを聞いた後、ローランデが、短剣を弾く時、そして剣を合わせる時、一瞬腹への力の入れ加減で調節しているのが、確かに感じられた。


ファントレイユはゼイブンを、見上げた。

微笑んで、いた。

がゼイブンは真面目な顔でローランデの動きを見つめたまま、ファントレイユに屈む、腰を上げた。




テラスの椅子の上で、ディングレーもオーガスタスも、ローフィスもゼイブンの様子に気づいていた。

ゼイブンはファントレイユに剣を振れと促し、ファントレイユは剣を、振り始めた。

「腹を意識しろよ!」

ゼイブンはファントレイユの剣をただ軽く、受け止めた。

続けざまにゼイブンはファントレイユに剣を、振らせた。

「俺を倒す事は後だ。振る時の加減を、覚えろ!」

ファントレイユは言われた通り、突く時、腹を引っ込めた。

ゼイブンに一撃を入れようとする途端、息が、詰まった。

ゼイブンは肩で吐息を吐くと、つぶやく。

「絶対、息を止めるな。

少しでいいから、吐き続けろ!」

ファントレイユは真剣な表情で、頷いた。


幾度目かだった。

少しだけでも吐き続け、腹に力を込めて剣を突き出すと、腕が、思ったより伸びて軽い。

幾度か振ると、直ぐ腕が痺れていたのに、今はあの重さが嘘のように軽く感じた。

ゼイブンはファントレイユがそれが解った事に、気づいた。

「そうだ…。もっと…。

いいから剣を振り回せ。

右…左だ…。

そうだ!」

ゼイブンはその剣を止め様、ファントレイユの頭に手を乗せて、抱き寄せた。

ファントレイユは少し息を吐きだして、ゼイブンにもたれかかる。

その左手でゼイブンの脇の衣服を握り、腰に顔を埋め、上げてゼイブンを、見つめて言った。

「剣が、軽い…!」

ゼイブンは笑った。

「お前のやり用じゃ俺だって、直ぐ疲れて剣を手放すぞ!」

ファントレイユは、笑った。

「みんな、こうしてる?」

「軽々剣を、扱う奴は大抵そうだ」

ファントレイユは頷いた。

ゼイブンは続けろ。と体を離すと、ファントレイユはゼイブンから離れて剣を、構えた。



ローランデは顔を上げると、アイリスとローフィスに視線を向ける。

二人は席を立つと、テテュスとレイファスの、相手をしに彼らの側に、来る。

テテュスは、アイリスを見上げた。

いつもながら、とても魅力的な微笑をたたえ、とても優雅に見えた。

けど自分の前に立つと、その長身と、素晴らしい体付きについ、顔が引き締まる。


アイリスが頭上から、そっ、とつぶやく。

「思い切り突いてきて、いいから…」

やっぱり、アイリスは濃い茶の長い髪を背で揺らし優雅だった。

が、剣を持つ彼は誰よりも大きく、強敵に、目に映った。

テテュスは剣を、握り直した。

相手を見つめ、一瞬で斬りかかる。

アイリスは優美な微笑を称えたまま、ローランデ同様、すっとテテュスの剣を難なく受け止める。

また、振る。

そして、また…。


テテュスはどれだけ繰り出しても、アイリスがみな止めるのも構わず、突っ込んで行った。

アイリスがすっ!とその剣を、振る。

テテュスは一瞬、青冷めて後ろに飛び退いた。

そうだ…。

ギュンターもディングレーも…そしてアイリスも、仕留める時は、一瞬。

その一瞬が必殺の、剣なんだ。

アイリスの、顔を見上げた。微笑んでいた。

盗賊を殺した時の彼の剣はきっと、もっと鋭く、早かったろう…。

自分を引かせはしたものの、それでも手加減している。

テテュスはでももう、構わなかった。

自分の強さに合わせて、どれだけでも機会があれば斬りかかると、アイリスの決意を感じたから。

だから…アイリスでさえ、本気を出す程の剣を繰り出させるかは、自分の上達にかかってると、テテュスはもう、知っていた。

でも…嬉しかった。涙が、零れそうだった…。

アリルサーシャを、護りきれなかった…。

自分が、駄目な騎士だと、思っていた。

その上アイリスに迄、真剣に打ちかかってもらえなかったら…。

もう自分が救いようが、無いように惨めだった…。

でも今はアイリスはちゃんと、自分も騎士の仲間として扱っていて、くれる…。

父親を、したがってたけれど…でもテテュスはそれより、剣士の仲間と認めて貰える方が何倍も、嬉しかった。

そっ…と視線をファントレイユに、向けた。

ゼイブンと打ち合う彼の、心が震える程の歓喜が、テテュスにも、解って。

どれだけ力いっぱいの剣を叩き付けても、アイリスは動じない。

強い…!

…体格が、ローランデより勝っているから、どれだけ真正面から斬りつけても、怯む様子も、無い。

そして、精神がとても、安定していて気持ちが強いんだとも、テテュスは感じた。

アイリスの事は、好きだった。

でも今この瞬間程好きに成った事は今まで一度も、無かった。


強くて…心が広くて…大きくて…そして頼もしい。

ファントレイユの気持ちが、解った。

彼はアイリスみたいに成りたいと、つぶやいていた。

でもテテュスにはその時、そう言う彼の気持ちが良く、解らなかった。

テテュスはアイリスに、それでも激しい剣を叩き付けながら、心の中で叫んだ。

“大好きだ。アイリス…!"

アイリスはその剣を剣で受け止めながら、その声が、聞こえてるみたいに、また柔らかな微笑を、その顔に、浮かべていた。



 レイファスが、ぐったりした様子にローフィスは、笑った。

「シェイルがギュンターの事でかりかり来てるから、振り回されただろう?」

レイファスはその通りだと、頷いた。

「ギュンターを本気で仕留めても、いいって。どうせ、当たらないから」

ローフィスは頷くと、短剣を手に持ち、ささやく。

「…もっと、小さいのを作らせた方がいいな。

俺からアイリスに頼んでやる。

これじゃ、手首を痛める」

レイファスは、頷いた。

「小さいともっと、きっとやり用がある気がする」

ローフィスは笑うと

「だがなかなかだ。後は短剣の投げ方だが、そろそろ手首だけで投げられる訓練を始めろ。

俺もやるが、ゼイブンも使ってただろう?

あれは余程真剣にやらないと、投げ損なう」

レイファスは顔を、上げた。

その幼い彼に、ローフィスは言葉を続ける。

「…針程の剣を使う奴は指先だけで投げるしな」

それを聞いて、レイファスは目を、まん丸にした。

「…短剣じゃなくて、針?」

ローフィスは頷く。

「針を使う奴が敵だと、ヘタすると側でしゃべってる時、そいつが指をくっ!と折り曲げただけで、殺られる」

レイファスはもっと目を、見開いた。

「俺やゼイブンはもう少し射程距離が長いから応用もきくが、さすがにそんな距離では、バレるから殺れない。

逆に至近距離の方がいいくらいだ」

レイファスはようやく、頷いた。

「…針使いなんて、どれだけ居るの?」

ローフィスは肩をすくめた。

「お前もやろうと思えば、出来るぞ?」

レイファスは可憐な顔を引き締め、慎重につぶやく。

「ローフィスは、じゃ、出来る?」

ローフィスは肩をすくめる。

「俺が針に塗るのは睡眠薬だ。

手に負えない暴れん坊にタマに、やる。

諍いは面倒だろう?」

レイファスはローフィスを、たっぷり呆れて見た。

ローフィスは、朗らかに笑う。

「ゼイブンにも二度程使った。

後で頭痛がすると、恨まれたが…ありゃ絶対、針に塗った薬のせいじゃなく酒のせいだ」

まじまじと見るレイファスに、ローフィスはもう一度、明るく笑った。

「腕を振り回し、もう大概肩に来てるだろう?

手首を捻って飛ばすやり方を覚えろ。

うんと負担が、少ない上に相手の隙を付ける」

レイファスは頷くと、言った。

「でもその分、振り回すよりうんと、難しいんでしょう?」

ローフィスは、当たり前だ。と腕組んだ。

「最初の内、まともに飛べばいい方だ」

「…つまりまともに飛ばせられずに、落ちるんだろ?」

ローフィスは、そうだ。と頷いた。

レイファスは思い切り、ローフィスを睨んだが、その短剣を飛ばし始めた。

やっぱり、思った通り、その剣は、直ぐに真下に滑り落ちた。

ローフィスはにっこり笑うと

「鍛錬しろ」

と、ぶすったれるレイファスの頭に手を置き、髪を掻き混ぜて言った。



「昼食だ!」

かん…!

アイリスが、テテュスの剣を思い切り弾いて、テテュスはようやく気づく。

そしてアイリスは息切れして頭を落とすテテュスの肩を抱くと、促した。

レイファスは痺れる手首を押さえ、ローフィスを見るが、腕組むそのさぼってるとしか思えない男は言った。

「腹減ったな」

レイファスがまた、睨んだ。

「立ってた、だけなのに?」

ローフィスは肩をすくめた。

「ヘタくそな短剣の扱いを見ると、立ってるだけで、疲れる」

レイファスの顔がしかめっツラに成り、ローフィスは笑って促した。

背をそっと押されて、レイファスはローフィスを見上げた。

「シェイルの口と性格がきつくなる理由が凄く、解った」

ローフィスは、そうか?と肩をすくめる。


ファントレイユはゼイブンが、側に立つのが、解った。

「一度に身に付けられたら天才だぞ?」

ファントレイユは顔を、上げた。

その幼いブルー・グレーの瞳が一心に自分を慕うように真っ直ぐ向けられ、ゼイブンはつい、俯いた。




 テラスのテーブルに付くと、ローフィスはシェイルを見た。

シェイルはずっとローランデとしゃべり、彼の気持ちをほぐすのに、成功してる様子を見せた。

ローフィスが意味ありげに見つめて、シェイルは肩をすくめ、自分の役割をちゃんと果たしたと、報告に代えた。

オーガスタスと、アイリスがそれに、気づく。

二人はつい顔を見交わし、ローフィスが場を和やかに保つ為気を配れる男だと、心から認めた。


全員が食卓に付くと食事が運ばれ、テテュスもファントレイユももうぺこぺこで、食事に夢中に成った。

ローランデが微笑んでゼイブンを見つめると、ゼイブンは顔を、傾けた。

「…あんたの講習には、ほど遠い」

ローランデは肩を、すくめた。

「そうは思わない。呼吸から教えるとは、恐れ入った。

さすがにあれだけ私を追いつめる腕の、持ち主だ。視点が他とは違う」

皆がゼイブンを、見た。

ゼイブンはぶすったれた。

「ギュンターやディングレーと同様の条件なら、俺はケツまくって逃げるぜ!

俺は短剣で距離を置いて戦えるから、やれるだけだ」

ローフィスも唸った。

「全く、同感だ。長剣だけでローランデと真っ向から対する肝の座った奴は、大したもんだ」

ディングレーも唸った。

「良く言う…。

俺だってローランデのあの剣の嵐はごめんだ。

誰を相手にするより肝が冷える。

一瞬気を抜いたら、お陀仏だ。

ギュンター程の反射神経の持ち主ですら、やっとなんだぞ?」

ゼイブンが、顔を上げた。

「…でもギュンターはローランデに勝ってるだろう?」

皆がぎょっとして一斉に顔を、上げた。


ギュンターがもう、椅子を立ちかけてゼイブンを睨んだ。

ゼイブンはその様子にぎょっとした。

「…どうして睨むんだ?ディアヴォロス以来の、快挙だろう?」

「いいから…黙ってろ!

本当に、俺が勝った訳じゃ無いし…第一ローランデにとって、不名誉な事だろう?!」

ギュンターが怒鳴ると、ゼイブンが声を顰めた。

「内緒なのか?だがローランデに勝ったなんて、内緒にする話なのか?

別にお前が彼の衣服を剥いで無理矢理襲っていたと、言った訳じゃないぞ?」

ローランデが突然真っ赤に成って、顔を、伏せる。


子供達はローランデの反応をつい目で追い、レイファスがギュンターに言った。

「ローランデに、勝ったなんて凄い!」

ギュンターが途端、その可憐な子供にそっと言った。

「たまたま勝ったように、見えただけで、真実じゃない」

ゼイブンは、呆けた。

「だってあんた、ローランデの剣を弾き飛ばして、喉元に剣を突きつけたじゃ無いか」

皆が、ギュンターを見る。

ギュンターは唸り出しそうだった。

「どうしてそんな所を見てたんだお前は!」

「…講義を、さぼってたからな。

お前とローランデが果たし合いみたいに真剣な顔付き合わせて、決闘始めてぎょっとしたが…」

ローフィスが言葉を足した。

「厄介事が嫌だったから物陰でただ、見物してたんだな?」

ゼイブンは、頷いた。

そして見つめるテテュスとアイリス。そしてファントレイユにも、ささやく。

「普通、そこ迄したら勝ったって、言わないか?」

テテュスが尋ねた。

「教練の、時?」

ゼイブンは、頷いた。

「ギュンターは三年で編入して…その、夏頃か…?

ああその前、あいつ何トチ狂ったか、ローランデに会う度毎度口説いて、からかってたな」

つい、レイファスもテテュスもファントレイユもが、ローランデを見た。


アイリスもオーガスタスも、ローフィスの気遣いをブチ壊すゼイブンに頭を抱えていた。

ローランデは子供達を見つめて、ささやいた。

「ギュンターが勝ったのは、本当だ」

子供達はびっくりしてギュンターを見るが、ギュンターはローランデを…一瞬困惑したように見つめ、明らかに庇うように怒鳴った。

「勝ったと言っても…負けなかっただけの、話だ!

第一あの後俺は、筋肉痛で二日は寝込んだんだぞ!

それで勝ったと、言えるか?」

だがローランデは直ぐに、静かな言葉で返した。

「勝ちは、勝ちだ」

ギュンターはまだ納得行かないように、静かに威嚇した。

「他言は、無用だ」

ファントレイユがそっと、聞いた。

「でも、ギュンターはローランデより強いって事でしょう?

…そう思われたくないの?どうして?」

ゼイブンも、言った。

「だよな。どうしてだ?」


ギュンターは困ったようにオーガスタスを見、シェイルが思い切り、大きなため息を、吐いた。

ローフィスが、俯いて言った。

「ゼイブンみたいな口の軽い奴に見られてて、今まで外に洩れなかったのが、奇跡なんだ」

子供達の視線が自分に集まり、今度眉を寄せるのはゼイブンの番だった。

「…つまり、揃って知ってても、内緒にしてたんだな?」

アイリスが仕方成しに言った。

「ここに居て、知らないのはディングレーだけで…後は皆、知っていても口に出さない」

ディングレーは唸った。

「聞いた事はある。ローフィスがシェイルとこそこそ話たのを漏れ聞いた。

耳を疑ったが…。

普通、ローランデに勝ったなんて名誉だから、言いふらすだろうがギュンターが口にしないから…言えない事情があると察して、黙ってた」

ギュンターが、怒鳴った。

「どうして他言無用の筈が、ローフィスや果ては、アイリスどころかディングレー迄知ってるんだ!」

シェイルが、つぶやく。

「お前、オーガスタスには話したんだろ?」

ギュンターは、頷いた。

ローランデがささやいた。

「シェイルは親友だから…」

シェイルは親友を庇った。

「ローフィスには俺が話したし。で、アイリスはどうして知ってるんだ?」

アイリスは肩をすくめた。

「…だって…ディングレーも知ってたじゃないか…」

ギュンターが、顔が上げられない程がっくり肩を、落とした。

ゼイブンはそれを見て、つぶやいた。

「…つまり、お前があんまり人前で暴虐武人にローランデに迫り倒し、ローランデがうっとおしかったから、剣で決着を付けようとしたんだろう?

負けたから、仕方無くお前の無礼を容認してたとか?」

アイリスが大きく、ため息を付いた。

「…まあ、あのタイミングであれを見ていたら、誰でもそう、推察するよな」

ローフィスも、顔を揺らすとゼイブンを見た。

「つまりギュンターはローランデの剣を叩き落とすくらい、本気だったって事で…。

その上、ローランデの名誉の為にも他言無用だとの、口止め付きだ。

あの頃、ローランデが下級生の代表でギュンターが上級の代表のように思われてたし、二人の剣はいつもギュンターが粘りまくって決着が付いて無かったろう?

その上…この大馬鹿な遊び人は暇さえあればローランデを口説いて…。

当時の評判を、聞いてないのか?」


ゼイブンはようやく、事の次第が解った。

「…つまり…。

世間の噂道理の、剣じゃ到底勝てないから色事で勝とうとギュンターが初な彼を口説いてからかい、恥をかかせて上級生の面子を保とうと…してたんじゃなくて…。

あの時点でちゃんと勝ち、その上それを世間に伏せる程…マジにローランデに、イカレてたって事か?」

一同が一斉に頷き、ゼイブンが呆れきってギュンターを、見た。

ローフィスが、そっとささやいた。

「世評通りならローランデに勝った事を言いふらすのが当たり前だし、その決闘だっておおっぴらに宣伝して立会人をどっと、増やした筈だ。

だが、オーガスタスも俺もギュンターに同情的なのは、それをせず、勝った事すら伏せる程ローランデに入れ込んでるのに、当の本人にはそこ迄真剣な気持ちを、全く信じて貰えなかったからだ」

オーガスタスも腕組んだ。

「なあ…。確かにあの頃、ローランデはまだ若かった。

だが誰よりも熟達していたし…俺ですら、一瞬の気も抜かず彼の剣を止め続けるだなんて、絶対無理だと思ってる。

誰が…彼に勝てた?

ディアヴォロスくらいだろう?あしらえたのは。

そんな相手に、全身の筋肉が悲鳴を上げても戦い抜いたのは…自分が遊びなんかじゃなく真剣だと、彼に教える為だろう?」

ゼイブンはもう、項垂れきっていた。

ローフィスは、気持ちは解る。とゼイブンを見た。

「…考えたく無いだろう?

俺だって、シェイルにそんな事聞かされた時、知らなきゃ良かった。と思ったもんだ」

シェイルが思い切り、むくれた。

「性がないだろう?事実だし」

ゼイブンが顔を上げないまま、そっとつぶやいた。

「…で、そこ迄してもやっぱり日頃の行いの方が、モノを言ったのか?」

その言葉がどうやらギュンターに向けられていたようで、皆がギュンターを見つめ、ギュンターは腕組みしてつぶやいた。

「馬鹿な奴だと、同情だけは買えたようだ」

子供達がローランデを見つめていると、ローランデは吐息を吐いた。

「ギュンターは上級の連中の面子の為に私と対するのをかなぐり捨て、自分の評判を落として迄も…私の味方に付いてくれたのは、確かだ」

シェイルが頬杖付いて、問う目をするテテュスとレイファス。それにファントレイユを見つめた。

「…もしギュンターに負けたなんて評判が少しでも立てば、ローランデが上級生から一斉に

『もう少し大人しくしてろ』

と見下された。

あの時ローランデを挟んで、上級と下級はそりゃ激しく対立していて、ローランデは暴挙を働く上級生にいつも睨みをきかせてた。

下級生は大概、上級生に乱暴や理不尽を働かれると、ローランデの元に駆け込んでいたからな。

もしギュンターが、勝っただなんて噂が立てば…」

レイファスは俯いた。

「上級生が、乱暴したい放題だった?」

シェイルは、頷いた。

「…オーガスタスとローフィスは最上級の四年だったし、下級迄目が届かない。

それに敵対するディングレーの兄貴のグーデンが仕掛けてくる嫌がらせに応対するのに手一杯だったしな。

グーデンの奴、ディアヴォロスが在学してた間首根っこ押さえつけられた猫みたいに大人しくしてたから、奴の卒業と同時にうっぷん晴らしで取り巻き連れて暴れ回って、手が付けられなくて、そいつらとオーガスタス達はいつも睨み合ってたんだ」


ローフィスがそっとディングレーを見てつぶやく。

「…ディングレーは兄貴と俺達の間で中立を保ち続けて迂闊に動けなかった。

それでも時には兄貴の取り巻きに“裏切り者”と絡まれて、ハデな喧嘩をしてたよな」

ディングレーは素っ気なく言った。

「…やってられるかよ。

兄貴だろうが、あいつの一味に思われるのは全く心外だ」

オーガスタスが微笑む。

「…それでもあいつの弟と思われて、随分気分の悪い思いを散々したろうが。

自分を保ち続けて、根性を見せた。

ローフィスに懐いていたのに、一応兄貴の立場を考えて、こっちに完全に付く事もしなかったしな」

オーガスタスに誉められて、ディングレーが少し頬を染めて俯くと、ゼイブンとギュンターが気持ちは解ると彼を見た。


子供達はその立場の難しさについ、ディングレーを労るように見やった。

シェイルは子供達に向き直ると、ささやいた。

「…だからつまり、一年も二年も身近に駆け込めるローランデが頼りだったんだ」

ファントレイユはそっ、とギュンターを伺った。

「みんな、上級生はギュンターの事…ローランデをやっつけられると頼りにしていたのに、ギュンターは裏切ったの?」

ギュンターは腕組んだまま、吐息混じりにささやいた。

「そういうのは裏切ったとは言わない。

勝手にローランデの対抗馬に俺を担ぎ上げたのは、連中だ。

どうして俺が、奴らの体裁の為に自分の本心を偽らなきゃならない?

馬鹿げてるだろう?」

テテュスがそっと、言った。

「ローランデが、下級生の為にいい事をしていたから?

だから、勝っても、『言うな』って言ったの?」

ギュンターは肩をすくめた。

「だって俺とローランデの間の事だ。別の事が、絡む方が可笑しい。

世間じゃだけど、それを自分の都合良く利用しようとする奴も居るから『黙ってろ』と言ったし第一…本当に胸を張って勝ったと、言えなかった。

お前達も見てたろう?

あれを延々続けて、ローランデにやっと一瞬隙が出来た時に彼の剣を、弾いただけだ。

その間俺は一度も攻撃に出られなかった。

筋肉痛が限界を超えてもう、剣を握ってる感覚も無かった。

勝ったといっても凄く無様な勝ち方で『粘り勝ち』としか、言いようが無い」


テテュスもレイファスもファントレイユも、ため息混じりにそう言う、とても名誉を重んじる剣士のギュンターを見つめた。

ギュンターはまだ見つめる子供達に

「もっと、マシな勝ち方だったら俺も、他言は無論無用だが、秘かに胸を、張れたかもしれない」

レイファスも『そうだね』と項垂れ、テテュスもファントレイユも俯いた。

ギュンター同様、子供達が一斉に俯くのを見て、ディングレーが唸った。

「どうしてお前達迄、顔を下げる?」

レイファスがそっと、言った。

「でも、ディアヴォロスは勝ったんだ」

アイリスが、頷いた。

「私の入学前だから、噂でしか知らない」

ギュンターも顔を揺らした。

「俺も編入前の話だ。だが相手はディアヴォロスだろう?想像は付く」

ローランデも俯くと、吐息を吐いた。

「次元が、丸で違う。

一見隙だらけに、見える。

なのに斬りかかると一瞬で断ち切られ、こっちが動く先に剣を入れて来る。

君達に私が、したように」

テテュスもレイファスもファントレイユも、ローランデを見た。

「どれだけフェイントを入れても、どれだけ剣筋を隠しても無駄だ」

ファントレイユがそっと、言った。

「動きを全部、読まれてた?」

ローランデが顔を、上げた。

「一瞬だ。剣が見えない早さで振り下ろされ、もう…絶命している。

ヘタをすると斬り殺された事すら、気づかぬ位の早さで」

オーガスタスが肩をすくめた。

「ローランデがようやく彼の、相手を少し出来ただけで、他の剣士は大抵、ロクに剣を交えない内に討ち取られていたからな」

三人が一斉に、吐息を吐くのを聞いて、ローフィスがささやいた。

「ディアヴォロスを念頭に入れると、確かに鍛錬するのが馬鹿らしくなるかもな」

ディングレーが唸った。

「ディアヴォロスの側にいつでも居られるならそれでいい。

だがはぐれたら、自分の命は自分で護るしか、無いぞ?」

三人は殊勝に、頷いた。


ゼイブンがちら。とギュンターに視線を送り、ギュンターが怒鳴った。

「何だ!」

ゼイブンは俯くと、吐息混じりにつぶやいた。

「結構、健気で可愛い男だったんだな…」

子供達はつい、ギュンターを見、他の全員は一斉に、ゼイブンを見つめた。

だがギュンターが静かにつぶやき返す。

「…だが俺はつれなく捨てる男だから、惚れられても困るんだろう?」

そう言った彼が静かに俯くので、ゼイブンは、切なげに眉を寄せて彼を見つめるローランデを盗み見て、また大きな、ため息を、付いた。


が、同時に幾人もの吐息が聞こえ、ふと顔を上げるとローフィスもディングレーも、そして見回すとオーガスタスとアイリス迄もが同様に、吐息混じりに俯いていた。

子供達に視線を向けると、三人共騎士達同様、ギュンターの真剣で切ない恋心の行方の、あまりの希望の無さに、同情するように俯いていた。

シェイルだけが、だからとっとと諦めればいいんだ。と強気で腕を、組んでいた。





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