8 ゼイブンの剣
ゼイブンは講義を見て、感心した。
まるで軽い体操のように、ローランデはテテュスとファントレイユの剣を同時に受け、継いでレイファスとテテュス。レイファスとファントレイユと、二人ずつを相手に余裕だった。
「…大したもんだ。10人があっという間に死ぬ筈だ」
感心するゼイブンに、ディングレーがそっと訊ねた。
「で、あんたは一度も、教えて無いのか?」
ゼイブンはその男らしい男前の大貴族を睨む。
「自分が死なない為の訓練以外にどうして、剣なんてぞっとするシロモノを持たなきゃならないんだ?
持つなら女の腰がいいに、決まってるだろう?」
皆がそれぞれ、そのゼイブンの徹底ぶりに呆れて吐息を吐いた。
「…良くそこ迄女の事だけで頭が一杯に出来るな」
ギュンターがつぶやく。
が、ゼイブンはその美貌の金髪の野獣をはすに見つめた。
「…あんたはトチ狂ってあの、凄腕の剣士に惚れて以来彼で頭が一杯なんだろう?
俺の事が、言えるのか?」
皆の視線が集まり、ギュンターは肩で息を吐くと、肘をテーブルに付けて前髪に触れる仕草で顔を隠し、俯いた。
それ見た事かとゼイブンに頷かれ、ディングレーがギュンターをどついた。
「本当に、反論出来ないのか!」
オーガスタスが、無理だろう。と顔を下げる。
ローフィスが俯いて大きなため息を、付いた。
が、ファントレイユがかなりの気迫でローランデに一撃を放った時、ようやくゼイブンは彼の息子を見つめた。
テテュスの方が明らかに、剣士としてその剣捌きは勝れていた。
アイリスよりも真っ直ぐな気性で、だがその独特の溜めや間、そして剣を振る時の優美さは、荒削りではあったが確実にアイリス譲りだ。
そして、一瞬の鋭さも。
だがファントレイユは、テテュスに負けない気迫の持ち主で、一瞬、静止したように気を溜め、そして鋭く突っ込む様は確かに幼いながら、並外れた迫力があった。
「…生き残れそうだな」
ローフィスに言われ、ゼイブンは息子を見つめた。
確かに小さかったが、ちゃんと凛々しい騎士に見えた。
がゼイブンは吐息を、吐いた。
「…俺はちゃんと親心があるから、苦労させたく無い。セフィリアの気持ちは解る。
餓鬼の頃病気で随分他の餓鬼より、苦労してる。
進路次第でこの先、楽して楽しい人生を幾らだって送れるんだ。
だが…確かにそれで済む、度量じゃ無いようだ」
オーガスタスが、頷いた。
「あれでやり用を覚えれば…器用で頭が、いい。
剣の腕だけで無く他の手を使って勝てるだろう」
ディングレーがぼやいた。
「あんたやギュンターのような、半分喧嘩のような剣術か?」
ギュンターが肩をすくめた。
「相手がへなちょこなら、足を掛けて転ばして気絶させた方が早いだろう?
俺だってゼイブン同様、剣を振ったら殺しちまうからな!」
ゼイブンがギュンターを睨んだ。
「だがあんたは殺しても気分が落ち込んだりは、しないだろう?」
ギュンターは唸った。
「へなちょこを斬り殺すと俺だって、落ち込むさ」
ゼイブンが目を、見開いた。
「…なんだ…」
皆が彼を、見た。
「…俺だけがびびりじゃ、無いんだな。
あんたみたいな勇猛な男でも、そうか?」
オーガスタスがつぶやいた。
「それはびびりじゃなく、ちゃんと良心があるって事だろう?」
だがゼイブンは俯く。
「…生死を分かつ戦場で、良心が役に立つか?
ともかく、相手を殺しゃ、勝ちなんだ。
俺は『私欲の民』の略奪を餓鬼の頃見たが最悪だった。
命乞いする年老いた男迄殺す。金の指輪を奪う為に。
奴らに人間は見えていない。見えてるのは、金に成るかどうかだ。
そして金になりゃ…殺して略奪する。
…良心の役立つ隙が、どこにある?」
ディングレーが吐き捨てるようにそう言うゼイブンの横顔をつい、見た。
綺麗な鼻筋の、整った美男の色男を。
オーガスタスがつぶやく。
「…子供の頃で、怖かったのか?」
ゼイブンはオーガスタスを、見た。
いつも親しげな微笑の大らかな男は真顔に成ると、その体格に似合わぬ小顔で、鳶色の瞳がとても暖かく、随分端正に見えた。
「…いや。だが殺し合いがどういうものか、解った。
追いつめられた盗賊が命乞いし、それを受け入れて背を向けた騎士のその背を、盗賊が刺し貫くのを見たしな。
…つまり、気を抜けば生きられない。
ずっと、自分を殺す相手に気を配り続けるのは、くたびれる作業だ。
俺は楽天的で気楽な男だから…。戦場でそれはまずい。
だから…出来ればずっと気楽で、居たいんだ」
ローフィスが、俯いた。
「…誤解されがちだが、ゼイブンはこれでも正義感が強い。
もめ事は大嫌いだと言いながら、女、子供、老人は結局、護ってる」
だがそう言うローフィスをゼイブンは睨んだ。
仕方無しに、ローフィスはため息混じりに付け足す。
「…だがそう評価されるのが大嫌いで、ファントレイユとレイファスを盗賊から護ったとしても、尊敬されたりするのは嫌なんだろう?」
ゼイブンは、頷いた。
「息子を護るのは当然だし、俺はいつだって弱い者を護るべきだなんて、思ってない」
ディングレーが呆けた。
「…それでどうして、護ってる?」
ゼイブンがいきなり怒鳴った。
「俺だって知るもんか!見てられなくてつい勝手に体が動いてる!
自覚してやってんなら、評価されて当然だとは思う。だが気づいたらしてた事で感謝されてもな!
重いんだよ」
「…ヘンな奴」
ギュンターがぼそりと言い、ゼイブンが睨むがオーガスタスは笑っていた。
「…つまり、人が良いんだ。が、そう思われたく無いんだろう?」
ゼイブンはぶすっとした。
「アテにされても困る。お気楽でいい加減な女好きで十分だ。
俺は清廉潔白で、誰の期待にも応えるローランデとは違うからな!」
途端、皆が一斉に黙った。
つい、ゼイブンがその顔を見回した。
「…どうした?」
ディングレーがつぶやいた。
「ローランデのようには誰も、成れない」
オーガスタスも大きく、頷いた。
「ありゃ、餓鬼の頃から使命を叩き込まれてる」
ギュンターは頭を抱えた。
「自分より、領民の命の方が大切だ」
ローフィスが、大きなため息で“同感だ"と告げた。
「…どうして私の話に、成ってる?」
その声に、全員が座ってる椅子から、飛び上がりそうに驚いた。
見るとローランデは剣を下げてテーブルの前に、居た。
「…肩慣らしは終わった。
ゼイブン。剣を持って来てくれ」
名指しで言われてテーブルの皆の視線を浴び、彼は息子、ファントレイユのあどけない瞳がじっと自分を伺う姿を目に、凄腕の剣士を見ないでつぶやいた。
「…俺に息子の前で恥をかけって?」
だがローランデは素っ気なかった。
「恥をかくかどうかは、君次第だ」
ゼイブンはくるりと背を向けるローランデの取り澄ました端正な横顔をチラと見、オーガスタス、そしてギュンター、ディングレーを順に、見た。
「…お前の番だ。俺もやられた」
ディングレーがささやく。
ローフィスはさっさと椅子を立て。と小ずく。
ゼイブンは仕方無しに立ち上がると、テテュスの横に居るアイリスに怒鳴った。
「…何とか、しろ!」
アイリスは肩をすくめて応える様子が無く、ゼイブンは俯いて、首を横に振った。
レイファスの横に居たシェイルが、腕組んだ。
「剣持って突っ立ってろ!ローランデが勝手に、捌いてくれる」
ゼイブンは彼を睨んで歯を、剥いた。
怒りながら剣を持つローランデの前に立ち、シェイルから剣を受け取ると、その刃先を見て怒鳴った。
「…潰してないぞ!真剣だ!」
シェイルは頷いた。
「だからギュンターも怪我をした」
ゼイブンは剣を持ったまま、固まった。
「…冗談だろう?」
顔を上げて向かいのローランデの顔を伺うが、その文句無く端正な貴公子は、真顔で青い瞳で真っ直ぐ、見つめてくる。
アイリスが、ぼそりとつぶやいた。
「…せいぜいローランデの剣でなぶられて怪我でもし、女の事は暫く忘れて息子の事でも、考えてやるんだな」
かっ!と怒った感じが、したがゼイブンの表情はまるで変わらなかった。
動作も。だがそのブルー・グレーの瞳が冷たく、アイリスを見据え続ける。
「君の相手はこっちだ」
ローランデが声を掛ける。
が、ゼイブンの視線はアイリスから離れない。
アイリスはゼイブンの真っ向から向ける眼差しを受け、微笑を洩らすとローランデにつぶやいた。
「…この通り、侮辱されると本気に成る」
テーブルの男達は一斉にローフィスを見たが、彼はそうだと、頷いた。
ディングレーが、さっき迄話してた表情とガラリと変わるゼイブンの様子に思わず、つぶやく。
「…真顔だと、随分美形に見える」
オーガスタスが笑った。
「いつもふざけてて、一時も真顔じゃないって事か?」
ギュンターが、そう言うオーガスタスをチラリと横目で見た。
「…顔立ちが綺麗でもそう見えない奴は、大勢居るぜ」
オーガスタスがギュンターを、見返す。がギュンターは続けた。
「真顔に成ると毎度、あれこいつ、結構整った顔してるなと、気づくんだ」
言われてギュンターの紫の瞳で見つめられ、オーガスタスは吐息を短く吐いた。
「…それはもしかして、俺の事か?」
ギュンターは、ディングレーも見た。
「…俺もか?」
ギュンターはため息付いた。
「ごつくてがさつなイメージをいつも、裏切られる」
ディングレーとオーガスタスが、顔を見合わせて肩をすくめた。
ローフィスは頬杖してつぶやく。
「お前自身はその綺麗な顔が真っ先に目に入るから、そのがさつだとかごついは、後から沸いて出るもんな」
ギュンターが腕組み、明るい栗毛と青い瞳の、優しい凛々しさを持つローフィスを睨んだ。
「願ったりだ」
ファントレイユはゼイブンが、見た事も無い真剣な表情をしてるのに見入った。
…表情が引き締まるとそのブルー・グレーの瞳が輝きを放ち、ギュンターと並んでも遜色無い美男に見える。
ローランデがつぶやく。
「剣が嫌いなら、私に斬り殺されても、仕方無いな?」
ゼイブンが、そう告げるローランデを見つめ、刃先を潰してい無い剣を、軽く握り直す。
レイファス迄もがつい、そのいつも陽気な男の真剣な顔が、本来の顔立ちの美しさを見せつける様子を、呆けて見つめた。
随分怒っているようなのに…だが、笑った。
「通常通りの戦法で、いいんだな?」
ローランデは頷く。
ゼイブンは心の中で、そっとささやいた。
さすがにこの男だけは、敵に回したく無いがそうも、いかないようだ。
その誰もが認める凄腕の剣士を目前で敵として迎えると、今まで戦っていた100人を相手にしたような大きさが、あった。正面に相対し、その“強さ"をびんびん感じる度、怒りがふつふつと沸き上がる。
ゼイブンが、真剣腹の底から、自分をこの状況に叩き込んだアイリスとローフィスに怒りまくってるのを、彼らは知っていた。
が、怒れば怒る程ゼイブンはそれを、見せない。
彼は怒る時、それは静かに腹を立てるので。
普段陽気で隙だらけの男がその隙を全く無くした時、彼はぞっとする程冷たい男に見えた。
ゼイブンの、薄い髪の色もその淡いブルー・グレーの瞳も、いつもは優しささえ感じさせる、とても柔らかい印象なのに、今はその全てを取り払い、冷気を纏い冷酷さすら、感じさせる。
「…何でも、有りだな?」
そう、微笑を浮かべローランデに告げるゼイブンは、背筋が凍るような冷気を帯び、ファントレイユはゼイブンのそんな姿を、初めて目にして凝視し、レイファスはいつも陽気な男が温度を失う様子に言葉を無くした。
テテュスはその綺麗な顔立ちから放たれる氷のような微笑が『死の大天使』のように見えて、恐怖すら感じ秘かに震う。
が、対するローランデに怯む様子は微塵も無く、皆がゼイブンの変わり様にも動じないローランデに心から、感動した。
ゼイブンが、対するローランデに体を横向けたが、瞬間短剣が、ローランデの顔めがけ放たれていた。
がっ!
ローランデは予告無く、投げる様子すら伺わせないゼイブンの急襲に感心したものの、難なく剣を立ててそれを顔の前で弾く。
レイファスは次にゼイブンの長剣が襲い来ると思ったが、ゼイブンは直ぐ、次を投げていた。
そして次。また次。
ゼイブンは相変わらず、全く投げる素振りすら見せずにローランデを見据えたまま、ゆったりと歩を進めて一気に襲わないが、ローランデは彼が、シェイルにも劣らない短剣使いだと気づく。
その振りは全く、剣筋を読ませないどころか、いつ投げたのか、気づかぬ程のさりげなさだ。
ゼイブンはローランデが、流麗な動作で左の脇差しを抜き様銀の弧を描いて一瞬自分目がけて走る銀の閃光を次々に叩き落とす様子を見、右に持つ剣を下に下げたまま少しずつ歩を進めながら次、そしてまた次を、放った。
「…接近戦は不利だと読んだか」
ディングレーが言うと、ローフィスもローランデを見つめながらぶっきら棒につぶやく。
「俺だって、嫌だ」
オーガスタスもギュンターも、その言い草に肩をすくめた。
早い…。
ローランデは短剣を叩き落としながらもゼイブンの動向を見守った。
左肩が後ろに下がったと思うと、いきなり不意打ちのように短剣が急襲する。
がっ!がっ!二本が立て続けに飛び、ローランデが左右の剣を振って弾き、が一瞬の隙に真正面から、胸目がけて飛ぶ短剣が視界に飛び込む。
瞬間、良く訓練されたローランデの右肩が後ろに下がり、胸を狙う短剣がそれた、その一瞬だった。
ローランデは直ぐ体勢を戻すと、上から振り下ろされるゼイブンの長剣を頭上で、受けた。
がっ!
だが直ぐに左手から、体めがけて潜り込むように飛ぶ短剣を、長剣を頭上で受け止めたまま体を思い切り捻り避けると、崩れた体制めがけてゼイブンが、瞬間長剣を振り上げて二度目を急襲する。
がっ!
ローランデは殆ど膝を付く程低く、そして仰け反るようにして頭上を襲うゼイブンの長剣を、右手の剣で受け止める。
ファントレイユもテテュスも、レイファスも、ローランデが一瞬でも気を抜けば切って捨てられる勢いの剣を、それでもぎりぎりで受けるのを見つめて息を飲んだ。
ローランデ相手に、ギュンターやアイリスですら、攻撃出来なかったのに…!
がちん…!がちん!
二度、三度。
火花を散らしながら襲い来るゼイブンの長剣を頭上で受けるものの、吐息を付く間すら与えず、ゼイブンの左手が一瞬視界から消えた途端、銀の閃光が自分の右脇目がけて二つ突っ走るのを目にし、ローランデはゼイブンの長剣が頭上から離れた一瞬に左右の剣を持ち替え、襲い来る短剣を、右手に持つ脇差しを振って立て続けに二回、クロスして叩き落とす。
が、次の瞬間再び長剣が、左胴を凪払う激しさで振り込んで来、ローランデはその剣を左の長剣を立てて瞬時に止め、次いでやはり腹を狙う短剣も、右の剣で振って叩き落とす。
ゼイブンが長剣を後ろに引いたと思うといきなり脇に銀の輝きが見え、腹目がけて突き入れる剣とほぼ同時に右肩を狙う短剣がローランデに向かい走る。
ローランデは左足を一歩後ろに引き様左肩を後ろに捻り、腹を突く剣を避けると同時に、右肩を庇い襲い来る短剣を脇差しで弾いた。
が途端、今度は重心をかけた右腿めがけ短剣が飛ぶ。
ローランデは咄嗟に飛んで下がると、脇差しを下へと振って弾き、次に一気に間を詰めて左肩を凪払う長剣を左手に握る長剣で、がっちり音を立て、止めた。
息付く間無く再び短剣が腹を襲い、ローランデは右手の剣を、横に凪払って弾く。
ギュンターが唸った。
「…あいつと喧嘩すると、ヤバい事に成るな」
オーガスタスが、頷く。
「死ななくても、大怪我だ」
ディングレーはつい、眉をしかめた。
「アイリスもそうだが、在学中はあんなんじゃなかったぞ」
ローフィスが、彼らを見た。
「…そりゃ、神聖神殿隊付き連隊に入ってから磨いたんだろう?
死にたくない一心で」
「…ローランデが…」
テテュスが言うので、アイリスがささやいた。
「いつもと、逆だね?」
テテュスは、頷いた。
攻められてるのはローランデで、仕掛け続け、手を休めないのはゼイブンの方だった。
ファントレイユはゼイブンが本領発揮する様子を、固唾を飲んで見守った。
ローランデの、一瞬の隙も見逃さない。
ローフィスがぼやいた。
「…きっちりキレてるな。あいつ。
安心しろ。キレてなきゃあんなに手強く無い」
皆がローフィスを、見た。
その止まる事の無い、長短の次々繰り出される速攻を、ローランデはそれでも怯まず受け止め続け、ゼイブンに挑む瞳を向けるのを止めない。
が…。ゼイブンに少しも、焦りは無かった。
これだけ続けても、ローランデは全部、避けるか叩き落とすのに。
まるで…相手が動作を止める迄攻撃の手を抜かないと言うかのように、とても冷静に、ローランデの動きに併せて出来た隙に間髪入れずに短剣を叩き付ける。
レイファスはゼイブンがベルトに仕込んだ短剣をその指先で軽く掴み、柔らかく手首を使って一瞬で投げるのを、見続けていた。
軽く肩を下げたと思ったら短剣はもう飛んでいる。
どの動作も手首を軽く曲げただけで、およそ目にも止まらない。
小さな短剣が一瞬手の中できらりと光り次の瞬間消え、銀の閃光がローランデに向かって矢のように走る。
シェイルが唸った。
「酒場であれを使われたら、誰に殺られたのか気づかぬ内に死ぬぞ」
レイファスはシェイルを、見た。
シェイルはそのぞっとする使い手を、これ迄無い程真剣にじっと見続けている。
ファントレイユもテテュスもが、見えない早さで狙う短剣と隙を付いて襲いかかる長剣をローランデが、一時も休まず止め続けるのに、生きた心地がしなかった。
けど…。どれも、ローランデを仕留める事は出来ない。
また…!そしてまた!
ローランデは全部を止め、そして叩き落とし、いつもみたいに攻撃に転じる事が出来なくても決して、諦めたり怯んだりしない。
テテュスは幾度もアイリスを、見た。
幾度も。
でもアイリスは『止めろ』とローランデが視線を送る迄口を出す資格は無いと言うように、その真剣勝負を静かに、見守っていた。
ローランデはゼイブンが冷気に包まれたまま、溶けないのを見続けた。
その間は容赦ない剣が、飛ぶのだと覚悟していたがその通りで、間を詰めたまま長剣の届く範囲から、一歩も引く様子無く長短の剣を繰り出し続け、どれだけ止めても崩れる様子が、丸で無い。
その冷たいブルー・グレーの目が自分を見据えながら隙を伺い、短剣を叩き落とし体勢が崩れるのを見届け間髪入れず長剣で仕留めようと襲いかかって来る。
間をもっと詰めようと進むと、途端ゼイブンは察して直ぐ下がり、それでも長剣で狙える距離で、続けて長剣で突き入れようとすると直ぐ鋭い短剣が飛び来る。
避けて体勢を少しでも崩すと、速攻で長剣が頭上から横から襲いかかり、彼の命事凪払おうとする。
がっ!
…ローランデはだが、殺気を打ち破る為にどれだけでも鍛錬を繰り返し続けた男だったから、命を斬り捨てようとする剣を止め続けた。
ゼイブンがもう、頭で考えて戦ってるんじゃなく、ただ感覚だけで動いてるんだと解った。
ファントレイユには解らなかった。
だって…ゼイブンはもの凄く冷静に見える。
みんな、真剣に成るとその本来の姿が見えた。
激しかったり、優美だったり…。
戦う“気"を、ちゃんと見せつけた。
ローランデが強いから偽る余裕も無くて。
なのに…ゼイブンは、そんな彼らよりもっと冷静で信じられない早さで攻撃を繰り出し続けていた。
氷のように少しも息も切らさず、汗をかく様子すら無く、途切れる事なく短剣を振る手は湖の波紋のようにとても静かに見えるのに、その右手はまるで鷹が獲物を襲う時のように音も無く素早かった。
見ていて、皆がとても強かったから次の動作はいつでも驚かされたけど、ゼイブンは目で追える早さを超えていた。
ローランデは信じられない位その流麗な動作で良く、その早さに付いて行き、ひっきりなしに襲い来る刃先を全て叩き折っていた。
「…早いローランデの、上を行って攻撃仕掛けてるぞ?」
ディングレーが唸り、ギュンターがローフィスに尋ねる。
「あんなに立て続けに、急所だけを狙えるもんなのか?」
ローフィスは吐息を吐く。
「キレてるあいつは、人間超えてるからな」
皆がやれやれ。と、ため息を吐いた。
途中幾度もシェイルは、ローランデが避けた短剣が飛んで来るのを剣で叩いて落として子供達を、護った。
ローフィスは慣れてるように、ローランデが振り弾く短剣が飛んび込むのを、右手でお茶のカップを口に運んだまま、左に握る剣で叩き落とす。
かん…!かん、かん!
10人を一気に…とローランデの事を驚いて見せながら、ゼイブンはそれを軽く上回るだけの数の短剣を、仕込み持っている。
だがローランデは一瞬でも気を抜けば深々と体に刺さる短剣と、命を叩き切る勢いで襲う長剣を至近距離から受け続けても戦う瞳を止めず、ゼイブンはどれだけそれが叩き落とされても、仕留める動作を止めなかった。
どちらも顔色も変えずに挑み続け、子供達はローランデが一瞬気を抜き、大怪我を負うんじゃないかと生きた心地がしない。
がゼイブンはさっきから、心に突き刺さって来るのをどうしても、振り払えずにいた。
それはローランデからの疑問のようだった。
霰のように降る短剣を避け続けながら、ローランデはそのくっきりとした青い瞳で尋ね続けた。
短剣でも十分仕留められる筈の腕前だ。
今度こそはそれが、心臓か喉を狙うだろう。と、幾度も。
幾度も機会はあった筈だ。
なのに…。
ゼイブンはローランデの挑む青い目が、どうしてそこに投げない?と挑発するように突き付けられるのにとうとう見入られ、一瞬手が、震った。
がっ!
ローランデに真正面からまた振り下ろす長剣を封じられ、ローランデの怯まぬ青の瞳を真正面から見据えると、とうとうゼイブンはその剣を外し様、地面に叩き付けた。
カラン…!
「…糞!」
言う成りローランデに背を、向けて突っ立つ。
皆が驚愕に、つい揃って顔を、上げる。
無防備に背をローランデに晒したゼイブンは、好きにしろ!と言うように投げやりで、ローランデはゆっくり、襲う剣を受け止めた体勢から身を、起こした。
ファントレイユもが、どうして?と剣を投げ捨てるゼイブンを、喰い入るように、見る。
押していて、勝ちそうだったのはゼイブンなのに?
テテュスはアイリスを、見上げた。
腕組みして見つめるアイリスには、解っているようだった。
ローランデが珍しく息を切らし、ゼイブンを見る。
がその息切れを直ぐに収め、横を向いて居る、初めて怒りの表情を顔に浮かべたゼイブンを、静かに見つめた。
ローランデは訊ねた。
「…どうして心臓に、投げない?」
ゼイブンはその静かな問いかけをするローランデに振り向き様、怒鳴った。
「ああ!あんたになら、投げたって避けるだろうさ!」
ローランデはすっと屈み、ゼイブンの投げた剣を拾う。
「もっと私に隙を、作れた」
「…そうかもな!」
「傷くらいは負っていた」
ゼイブンがとうとう振り向き、ローランデを見据えた。
「傷に何の意味がある!
俺は仕留めるつもりで、やっている!」
ローランデは青い瞳を真っ直ぐ、ゼイブンに向けてつぶやく。
「…だが君の腕で心臓を立て続けに狙えば、確実に私の動きを縛れた。
右で仕留める機会が、もっと出来た筈だ」
静かに返答を求めるその剣士に、誤魔化しはきかないとゼイブンはイラ立ちながら、兜を脱いだ。
「…心臓を狙わず、それで殺されたら俺の、寿命だ!
そう決めている!」
ローランデの眉が、思い切り寄った。
「…殺されても、心臓には投げない気か?」
ゼイブンはローランデを、見た。
ゼイブンのブルー・グレーの瞳には体温が、戻っていた。
「…俺はびびりで、根性無しだ。
いいか!
俺の腕で心臓を狙えば簡単に殺せる!
呆気なく!相手が死ぬんだ!
どれだけ怖いか、解るか?
最悪を通り越す!俺は絶対………!
そんな短剣は投げたく無い!」
その声は絶叫に近く、ローランデは参ってるのは彼の方だと解った。
そっ…と近づき、ローランデがゼイブンの肩に触れるとゼイブンは肩を凪払った。
「…野郎はごめんだ!」
だがそれでもローランデが腕を掴むと、ゼイブンは俯いた。
彼が震えていると、皆がその時、解った。
ゼイブンが、ローランデを見ないまま怒鳴った。
「俺に…心臓を狙わせるな!
やれと言われれば…簡単に出来る!
簡単に人を殺せる事がどれ程恐ろしいか、お前に解るか?!」
そう、俯いたまま怒鳴るゼイブンの顔が苦しげに歪み、肩も腕もがぶるぶる震え、皆がつい、その様子に押し黙る。
ゼイブンはそれでもまだ自分に注がれる、静かな青の瞳にようやく顔を上げ、怒鳴った。
「俺は…自分を恐ろしい男だと思い知って生きていける程、強く無いんだ!」
悲鳴のようだ…とファントレイユは思った。
ゼイブンはローランデに腕を掴まれたまま怒鳴り続ける。
「それに…俺はアイリスやあんたみたいに冷静じゃ無い!
キレちまったら、殺す事しか念頭に、無い!意識が飛んで……。
相手が死んだ後に正気に戻ったって、遅いだろう?!」
ゼイブンは泣き顔で、ローランデは彼の掴んだ腕の震えが、止まらないのを感じた。
「俺は…嫌だ!最低の、命を屁とも思わない盗賊共と同じに成り下がるのは!
奴らは絶対地獄に落ちる…!
俺は死んだら別嬪の天使に迎えられて天国に行くと、決めてるんだ!
絶対にだ!」
笑えるセリフだったけれど…誰も、笑わなかった。
ゼイブンが、泣いていたから。
その頬に涙が伝って初めて、ローランデは彼の肩を抱き寄せるとゼイブンは崩れるように彼の右肩に顔を、埋めた。
「…何が、清廉潔白な剣士だ!
俺をいじめて、楽しみやがって………」
ローランデは大きな子供に言うように、そっとつぶやいた。
「楽しんで、無いから…」
「それでもだ!意地悪しただろう?
どうして“気"を抜かない!
俺は殺気に反応するんだぞ!」
「……悪かった」
ローランデが彼の背にそっ、とその手を添えると、ゼイブンはすっと顔を起こした。
俯いたままだったが、ローランデに小声で告げた。
「…野郎とこれ以上抱き合う気は、無い。
ギュンターが睨むしな」
言われてローランデがギュンターに振り向くと、無意識にゼイブンを睨んでいたギュンターははっと我に帰り、オーガスタスとディングレーとローフィスに、呆れて見つめられた。
ゼイブンはアイリスに振り向き様怒鳴った。
「…息子の前で恥をかかせて、満足か!」
テテュスはアイリスを見上げたが、アイリスは大きく息を吸うと、俯いた。
「…だって君がまさか、ローランデ相手に上を行ってあそこ迄…追い詰めるなんて、予想外だったし。
…泣く迄戦い切るだなんて思わなかった。
ファントレイユに聞いて見ろよ。
凄く強くて、びっくりしたと言うだろう」
ゼイブンは彼の横にたたずむファントレイユを、見た。
ファントレイユの方が泣き出しそうで、ゼイブンは一瞬拳を握って顔をくしゃっと歪めると、息子に向かって両手を広げた。
ファントレイユが彼の胸に飛び込み、彼にしがみついて震える声で、告げた。
「…殺しそうで、怖かったの?」
ゼイブンは顔を下げたまま、胸のファントレイユを引き剥がし、その顔を伺った。
ファントレイユの瞳に、自分と同じ…真っ直ぐ見つめて来る、ゼイブンの涙で濡れた輝くブルー・グレーの瞳が映る。
「…お前が何も感じずに人を殺せたら…それはそれで…怖いが…だが…ちゃんと人並みの感覚があるんなら、人殺しなんてただのロクデナシだと覚えとけ!」
ファントレイユはゼイブンの短剣を投げた左手がまだ、震えているのを、知った。
そしてそっ、と問うた。
「…ゼイブンは凄く…強いのに?」
だがゼイブンはファントレイユの肩を揺すった。
「…こんなのは…こういうのは、強く無い!
絶対に違う!」
皆はそう言い切るゼイブンに感心した。
「…本当に…強いのはどれ程怖くても…怯まぬ奴だ…。
剣を持たなくても…意思の折れない奴の事を、言う。
命を奪うのはただの“力"で…力が強ければ強いんだと、絶対カン違いするな!」
ファントレイユは良く…解らなかったが、こくんと頷いた。
それがどういう事か、はっきりは知らなかった。
けど、鳥肌が立つ程強かったゼイブンがその手を震わせて自分に思い知らせたい事を必死に、心に留めた。
レイファスはファントレイユが…いつも、とても情を大切にしている様子に感心していたし、人形に見えるのにその心の底にはどこか相手への気遣いがあって…。
天然で、色々な事に無頓着で、気が付かない事がたくさんあっても…絶対、情を裏切らない彼の事が、大好きだった。
それは…ゼイブンがとても、大切にしている物だと、その時初めて気づいた。
ゼイブンはそれを…宝物のように大切に、心の中にしまってる。
「…死んだら、戻って来ない。
後悔しても、遅いんだ」
テテュスはゼイブンの言葉に、胸をどん!と、殴られた気が、した。
ゼイブンがテテュスの様子に気づいて顔を、上げる。
レイファスは感心した。
ファントレイユもそうだ。
いつもはとても他人の感情に鈍いのに…こういう時はちゃんと、気づく。
「…悪かった…。亡くした、ばかりだったな…」
ゼイブンが顔を上げてアイリスにそっと告げると、アイリスはテテュスを、気遣わしげに見つめた。
テテュスは俯いていたが顔を、上げてゼイブンに訊ねた。
「…死なれて…後悔した事が、ある?」
ゼイブンはその、まだ綺麗に見える顔を苦く歪めて俯いた。
「…それまで俺は自分はそこそこ出来た男だと思ってた。
だがてんで…ロクでなしだと解った時、本当に自分にがっかりした…。
その程度ならいい。
…だけど…死ぬべきじゃない相手を、間違って殺しちまって…。
代わりに自分が死んだ方が、マシだと思うような相手をだ。
…どれだけやり直そうとしても無駄で、俺みたいなくだらない奴の方が生き残ったと解ったら…絶望的な気分に成った。
希望が全然無いのは………」
テテュスがそっと、俯いてつぶやく。
「底なし沼だね」
ゼイブンはそう言うテテュスを、顔を揺らし、労るように見つめた。
「そんな餓鬼でその気分を味わうのは、辛いだろう?」
だがテテュスは顔を上げ、ゼイブンを、見た。
「でもゼイブンは希望を、見つけたんでしょう?」
問われてゼイブンは、ためらように肩を、すくめた。
「…さあな。
そいつが死んで俺が生きてるから…そいつのしようとした事をたまに代わってしてる。それに…」
「それに?」
ゼイブンは皆の見てる前で、肩を揺らした。
「…多分それを続けたら、俺にも別嬪の天使に迎えられて天国に逝く資格が、出来るってもんだ」
レイファスがそっと言った。
「“別嬪"は外せないんだね?」
途端皆が、爆笑した。
三時のお茶と菓子がテーブルに並べられ、ファントレイユはゼイブンの横に座ると彼の左手を、その小さな手で取って見た。
「…僕にも、出来る?」
ゼイブンは小さな息子を、見た。
「自分のやりやすい戦い方を見つけろ。
俺はこれが手っとり早いから、磨いただけだ。
短剣を使うのは、餓鬼の頃でも簡単に相手を傷つけられたからで…。
その必要が無い方が、いいぞ。
それにお前はセフィリアに似て綺麗だから、アイリスの親父のシャリスみたいに、護ってくれる騎士を従えろ。
絶対それが、楽だ」
ローフィスとアイリスが顔を下げきった。
ローフィスが口を開いた。
「いいのか?ゼイブン。つまりそれは、男を作れと言う事だぞ?」
アイリスもつぶやいた。
「息子が男に走ったら、血相変える癖に…」
ゼイブンは顔を上げた。
「…俺だってファントレイユが見た目道理の、ひ弱な可愛い子ちゃんなら『もっと鍛えろ』と言うが…。
あんな、肝の座ったとこ見せられちゃな。
とことん腕を磨くか、その気迫で男を操るかだ」
アイリスがまた、深いため息を付いた。
「相変わらず、ファントレイユの意見は聞かないんだな」
ゼイブンは息子を見た。
「…俺みたいに成りたいだなんて、言うなよ!
俺にだって僅かにある親心が、俺よりはマシな人生を送って欲しいと節に願ってる」
レイファスが言った。
「セフィリアに、捕まったりしない人生?」
ディングレーが全開で、笑う。
ゼイブンは二人を、睨む。
「そっちじゃ、ない!
人殺しに成らない人生だ!」
ローフィスが頬杖付いて、言った。
「恩師を事故で殺したなんて、初めて聞くな。
息子に解らせたいなら、ちゃんと話すべきだ」
ゼイブンは凄まじい瞳で、ローフィスを睨んだ。
アイリスも、言った。
「どうせ息子の前じゃ、皆の前で話すより更に照れて、言わないんだろうしな」
オーガスタスが横を向いた。
「…どうして肉親相手にそうなるんだ?」
ギュンターが、顎に手を付いて唸った。
「俺は解る。解りたく無いが。
…俺の兄弟にもそんな態度は取れない。
どつくか、殴るか、喧嘩越しなら言えるが」
皆が壮絶な家庭環境のギュンターを、見た。
が、ギュンターはゼイブンを見つめて訊ねる。
「…あんたも兄弟か?」
ゼイブンはギュンターを、見返した。
「俺に兄弟は居ない。父が早くに死んだんでな!
代わりに父の兄弟と母の兄弟の、叔父だらけに囲まれた。
こっちは唯一餓鬼だってのに、遠慮のカケラも無い!
…だが親父は生きてた時ですら、そりゃあ叔父達に負けない位のいい態度で、母親と徹底差別されて扱われてた。
親父に聞いたら
『男相手だと思うと自然に態度が、乱暴に成る』
と言った。
今その気持ちは凄く、解る」
ローランデが言い淀むみたいに、訊ねた。
「事故で殺したと言うのは、まさか…」
ゼイブンが直ぐに怒鳴った。
「親父は違う!
あいつ、女を庇って死にやがった!
母親じゃない女だ!」
「…別嬪か?」
シェイルに聞かれ、ゼイブンはくぐもった声で、返した。
「…近所の別荘に遊びに来ていた、大貴族の凄い美人の未亡人だ」
全員が、俯いた。
「お袋がそれを聞いて、真っ青だった。
あいつ、兄弟の所へ行くと言ってたのに反対方向の上…死に場所が婦人の、寝室だと聞いて」
皆がそれ以上は聞きたく無いと言わんばかりに体をもじもじさせた。
子供達はつい、お菓子で口をもぐもぐさせながら、彼らの様子を見守った。
「貴婦人に付きまとってた変態野郎が、他の男に取られるのは我慢出来ないと、婦人を殺そうとしたのを庇って相手を何とか殺した後、親父は婦人の腕の中で息絶えたと…女中が証言した上…死に顔が最高に満足げで、お袋はキレた」
「…キレるだろうな…」
オーガスタスだけが、何とか相づちを、打ったが他は全員、下を向いていた。
「…死んで、悲しかった?」
ファントレイユの素直な声音に全員がほっとして、顔を上げる。
が、ゼイブンは言った。
「ファントレイユ。人間、満足に死んだ奴には涙は出ないもんなんだ」
ファントレイユが、そう。と顔を揺らした。
「…葬式の参列も野郎だらけで、皆どんちゃん騒ぎで乾杯してたしな。
お袋の怒りに更に、火を注いだ」
皆が頷きまくる。
「あいつ…絶対、別嬪の天使に連れられて天国に逝ったぞ!
あの後夢で親父が出て来たが、最高に幸せそうに笑って、お袋の面倒見てやれと言われた」
むかむかするように腕組みして言うゼイブンに、全員が、どう返していいのかそれは、困った。
テテュスは自分と比べて、全然悲しそうじゃないゼイブンについ、聞いた。
「やっぱり、したい事して死んだら、悲しく無い?」
ゼイブンはテテュスを見ると途端、怒りを解く。
「お前は別だろう?
女は違う。男は女を護るもんだ。
護れて死んだ親父は幸せだが…」
テテュスは、俯いた。
「…じゃあ僕も、護れて死んだら、幸せに成れるかな?」
その言葉に横のアイリスが、ぎんぎんとゼイブンを睨んだ。
ゼイブンは真摯な瞳で見つめて来るアイリスの息子に告げる。
「…テテュス。餓鬼は女と変わらない。
餓鬼と女に死なれると、大人の男は心を殺られる。
さっきファントレイユに言ったが、大人の男は力が強いが心はそれ程、強く無い。
生きていくには、心の強さが重要で…。
それが無いとどれだけ屈強な男でも、脆いもんだ」
オーガスタスもディングレーも、こういう時のゼイブンには思わず感心した。
テテュスはそっ…とアイリスを伺い見た。
「…アイリスでも?」
ゼイブンはアイリスを、見た。
彼はやっぱり、凄まじい瞳で自分を睨んでいた。
つい、ゼイブンはその様子に目を、見開く。
ローフィスが早く返答しろと、ゼイブンを横で小突いた。
「…信じられないが、そうのようだ」
アイリスが途端、低く唸った。
「どうして信じられない」
ゼイブンは、テテュスと居る時別人のようなアイリスを呆けたまま見、つぶやいた。
「…アイリスが、冷静さを欠いた所を、見た、事が無い。
例え一瞬欠いても直ぐ、持ち直す。
役職を担うだけあるし、そういう勤めはやっぱり冷静な奴の仕事だと、いつも俺を感心させてる」
ローフィスが、つぶやいた。
「だが、尊敬はしてないな」
アイリスも頷いた。
「『良く、やってるな。俺は冷静じゃなくて良かった』と、思ってる」
ゼイブンは途端、ぶすったれた。
「付き合いが長いと、最悪だな!」
ローフィスが、肩をすくめて両手を広げた。
「誤解が無くて、手っとり早いだろう?」
ローランデも、ギュンターも、ディングレーでさえ、そのお気楽具合に呆れて、ため息を吐いた。
「…でも、ゼイブンは強かったでしょう?」
無邪気に言うファントレイユに、ローランデは苦笑いした。
「とても…。でも殺し合いは腕とは別で、殺す気が無ければどれ程の腕の剣士でも、負ける」
ファントレイユの笑顔が止まった。
ローフィスが続けた。
「…逆に、卑怯で弱虫だろうが、殺す気があれば、仕留められるんだ」
テテュスは顔を揺らし、レイファスは俯いた。
ローランデが、ファントレイユを真っ直ぐ見て告げた。
「ゼイブンはとても腕が立つ。
けれど、剣士に最も必要な物が欠けていて、自分でもそれを知っているから戦いを避けようとする」
ファントレイユがローランデの青の瞳を、見つめた。
「欠けているもの?」
ローランデは頷く。
「冷静さと、相手の“死"を乗り越える強さだ」
ゼイブンは唸った。
「正気で殺せる奴が、本当に強い。
俺は殺す時は正気でいられない。
まともな気持ちの時に殺れなきゃ、使え無いも同然だからな」
ファントレイユはそう言うゼイブンをじっと、見た。
がローランデは優しく言った。
「君は君の父親を、誇っていい。
ちゃんと命がどれだけ大切かを知っていて、強くて、とても優しい」
ゼイブンが途端、真っ赤に成った。
全員が、もの凄く解りやすく照れるゼイブンに思わず注視する。
ファントレイユがそっと見上げると、ゼイブンは赤い顔のまま、ローランデに怒鳴った。
「…何でもそのまま言えばいいってもんじゃ、無いぞ!」
ローランデはその顔の余りの赤さを目につい、俯くと、つぶやいた。
「そうらしいな…。
言っとくが、いじめじゃ、無いぞ」
ゼイブンは、乱暴に頷いた。
「それはもう、解った!
俺は繊細に見えないが、こう見えても繊細な、部分も、あるんだ!」
ローランデは項垂れきった。
「…そうみたいだな…」
そして肩で息をすると、つぶやく。
「ギュンターも、時々知らない内に傷つけてる」
ギュンターがローランデの言葉に、思わず顔を上げる。
が、シェイルは親友を、庇った。
「二人共どう見ても、『神経なんてどこにあるんだ?』と言う位、繊細さとは程遠い男達だ。
滅多に無いツボにはまったとしても、気にする事は無い」
ローフィスも請け合った。
「どっちも自覚無しにその鈍さで散々、人を平気で傷つける面の皮の厚い奴らだから、タマに傷つけたくらいでこっちがヘコむ必要は、全然、無い」
言い切る二人を、ギュンターもゼイブンもが、睨むように見た。
オーガスタスが顔を隠してくすくす笑い、ディングレーも顔を下げて肩を揺らし、アイリスは横を向いて笑いを誤魔化した。
「…でも、怒らせると面倒?」
テテュスが、そっとアイリスに訊ねた。
アイリスが途端、鮮やかに笑った。
「そういう事。二人共、プライドだけは、高いからね」
それを聞いてギュンターは思い切りそっぽ向いて腕組みし、ゼイブンは頭を抱えて、『そうなんだ』と見つめて来るファントレイユの、あどけない瞳を見返した。
午後の講義で子供達が、またローランデとシェイルの講義を受け始め、アイリスはテテュスに付き添っていた。
ローフィスはテラスの机の上にへたり込むゼイブンを、見やった。
「…かなり…堪えてるみたいだな」
ディングレーが肩をすくめた。
「あんなに腕が立つのを、隠してた天罰だ」
ギュンターも頷く。
「あんなのを敵に回すのは、俺だって嫌だ」
オーガスタスがギュンターを見た。
「いいじゃないか。その問題の主自ら、お前は避けるべき野獣だと思って、避けてくれていたんだから」
ギュンターがぼそりとつぶやく。
「…それは…喜べない評価だ」
ゼイブンがとうとう頭を、上げた。
「俺は通常なら、大した腕じゃ無いんだ!
きっちり安心しとけ!」
ギュンターが唸った。
「…キレた時は要注意か…」
ディングレーが頬杖付いた。
「で、それはいつだ?」
三人はローフィスを、見た。
ローフィスは肩をすくめる。
「まあ…慣れだな。侮辱は聞き逃さない。
で、怒っても…表情は変わらないから、余計タチが悪い」
「そんな筈、無いだろう?」
ローフィスは戦ってた時とは数段落ちる軽い美男に止まるゼイブンを、そっと見る。
「表情が、無くなる。かな?
普段のお前を知らない奴は怒ってると、全然解らない」
言われてゼイブンは、『嘘だろう?』と顔をしかめる。
ディングレーが言った。
「キレてると、相手に警告出来ないのか?」
オーガスタスが意見した。
「普段がおちゃらけなら、怒った所でどれ程だと、どのみち相手は侮るだろう?」
ギュンターも見解を述べた。
「安全だと思ってる橋が突然落ちるようなもんだな」
ゼイブンはむかっ腹立てて、怒鳴った。
「お前らに、言われたくないぞ!
お前ら喧嘩は平気だろうが、俺は違う!」
ディングレーは吐息混じりにつぶやく。
「お前、ギュンターだけで無く、近衛の名のある男達を皆、猛獣だと思って人間扱いしてないんじゃないのか?」
オーガスタスがぽん。とゼイブンの肩を叩いた。
「安心しろ。きっちり、俺達と同類だ」
「出来るか!
…いいか!俺は絶対!お前らとは蔓まないからな!
お前らとご一緒してたら、厄介事が寄って来る!
そんなのは、断固としてごめんだ!」
三人は顔を見交わした。
代表でディングレーが、ささやいた。
「近衛の男を、疫病神だと思ってるな?」
ゼイブンはもうこの会話を終わらせたかったが、ローフィスが彼に代わって、全くその通りだと、頬杖付いたまま頷きまくった。
だが…アイリスが、テテュスと打ち合い始める。
テテュスの真剣に応えるかのようにアイリスは、本来の優美な剣捌きを見せる。
ゼイブンが途端に、唸った。
「…どうしてああ、優雅なんだ?
品格の、塊だ」
ローフィスがゼイブンを、目を丸くして見た。
「…お前、もしかして本気の本気でアイリスは自分よりいい男だと、思ってるのか?」
「ああ見えて今だにセフィリアはぞっこんだしな。
あいつと女を取り合うのは、ごめんだ」
オーガスタスがつい上体を屈めてゼイブンを覗き込んだ。
「ギュンターとも、ごめんか?」
ゼイブンはジロリとギュンターを見る。
「…あの顔が女だったら、口説きたくなる位の美形だもんな。
…で、顔がそっくりな姉妹か叔母は、いないのか?」
頬杖付いて聞いて来るゼイブンに、腕組みしたギュンターが怒鳴った。
「兄弟しかいないと、聞いて無かったのか?
俺だって周囲は叔父だらけだ!」
ローランデはお気楽に戻るゼイブンとギュンターのやりとりを一瞬耳に止めると、ファントレイユが父親の涙と心の慟哭に胸打たれて動きが鈍いのを、目にした。
レイファスが心配そうに目を向け、シェイルは生徒の様子に腕組みしたまま吐息を吐く。
ローランデはそっと剣を降ろすと、ファントレイユにささやいた。
「…ファントレイユ。ゼイブンがああなる迄には、人には決して見せない訓練を、ずっとしてきている」
ファントレイユはその青い瞳を、見つめた。
心が揺れているような不安げな表情で。
「いつもふざけているように見える。でも影で、歯を喰い縛ってる。
けどそれを人に、見せたく無いんだ」
ファントレイユは何となく、それが解った。
アイリスにも、そういう所を感じた。
人前で、それは優雅に見せるその影では、鍛錬をずっとしている風なのを。
「…だから…いざ、真剣に成っても動じないの?」
ローランデは頷いた。
「鍛錬は、自分からしようと思わなければ駄目だ。
それに無理無く続けられる方法を探すのも。
自分のやり方は自分にしか解らない。
色々お手本を見てもそれが自分に合うか、判断するのは全て自分だから」
ファントレイユはローランデを、見つめた。
あんなにぞっとする、まるで人の体温を無くして人を超えたようなゼイブン相手に少しも…怯まないのに、今はこんなに優しい。
強くて、優しいのは貴方だ。
そう言おうとし、でもゼイブンの、あのふざけていい加減な顔の下が、ローランデと同じだと解って、彼は心が途端、暖かく成った。
態度は丸で違うし言葉は投げやりで、乱暴で、気遣いのカケラも無いけど…でもゼイブンはいつでもちゃんと、解ってくれて…思いやって、くれていた。
ファントレイユにはそれが、感じられていたからこそ…。
仕事に出向く、ゼイブンの大きな背を見送るのが、辛かった。
もっと、あの大きな頼もしさに包まれて、安心していたかった。
でもいつも…『お前も俺と同じ、男だろう?』と突き離された。
それが寂しくて…でも、嬉しかった。
ゼイブンが居ない時、セフィリアを護るのは自分だと、任された気がして。
最も…セフィリアの心配事は自分だったから、自分が熱を出さないよう気遣う事しか出来なかったけれど。
ローランデはファントレイユの表情を伺い見て、微笑んだ。
父親がやって来て、その本音と騎士の価値を見せた事はファントレイユにとって間違いなく…大切な事だった。
そっ、とローランデはテラスに掛けるローフィスを盗み見たが、目端のきくその男は直ぐに気づいて振り向き、ローランデに微笑んだ。
アイリスにも目をやったが、アイリスもやっぱり気づき、微笑みを零した。
そしてローランデはアイリスが、テテュス相手に彼を本気で鍛えるような剣を向け始め、ほっとした。
自分がずっといられる訳じゃなく、引き継ぐ相手が必要で…。
レイファスは多分、ローフィスが相手をしてくれるだろうが、ファントレイユの方は…。
ゼイブンに教える気が、あるだろうか?
そして、ディングレーは馬鹿正直で不器用だった。
どう頑張っても…子供達相手に真剣は振るえないだろう。
ローランデは鋭く成る一方のファントレイユの剣を受けながら、そっとギュンターを見た。
ゼイブンが掻き回し、頼りになるローフィスが来てくれて、もう暫く噴火はしそうに無い。
ローランデはローフィスを呼び出そうかどうかを迷い…だが、声を掛ける前に気づいたローフィスが椅子から、立ち上がった。