3 剣の稽古
だが、朝三人は目覚め、夕べ何の騒ぎも起こらなかったと思い、皆顔を見合わせてわくわく、した。
ローランデが剣を使う様を思い浮かべて。
はしゃいだ様子で寝台を飛び出す。
レイファスとテテュスの着替えは速攻で、一番遅れたファントレイユが、慌てて部屋の扉を蹴立てる二人の、後を追った。
爽やかな朝の光差し込む食堂で、アイリスが真っ先に立ち上がりテテュスを迎え、体を屈めて頬にキスし、朝の挨拶をした。
テテュスはそんなアイリスに、くすぐったそうな表情を見せて笑い、アイリスは彼が可愛くて仕方ないという父親の表情を見せて微笑み、レイファスとファントレイユを呆けさせ、見ている二人にアイリスは、うっとりするような微笑を向けて、挨拶に代えた。
いかにも大貴族らしい、豪奢でどっしりとした雰囲気の食堂の中、ローランデとシェイルが窓から射す光にその輪郭をぼやけさせて、重々しい葡萄茶色の手の込んだ飾りが随所に施された、20人は腰掛けられそうな立派な机の前に、二人並んで座っていた。
浮かぶような銀の髪と鮮やかなエメラルドの大きな瞳、そして小さな赤い唇をしたシェイルの姿は相変わらず息を飲む程美しく見え、だが隣のローランデは自分を制するような武人の静けさはあったものの、柔らかな栗毛を胸に流し、澄んだ青の瞳と色白の面立ちはそれは端正で美しいと、三人は思った。
シェイルはだがやっぱり口を開くと途端ぶっきら棒な口調で「よぅ」と三人に声を掛けて、その完璧な絵のような美しさをブチ壊した。
ローランデは本当に優しげな笑顔を子供達に向け、彼が子供好きなんだと、三人に解らせた。
レイファスが彼の横に掛け、その横がファントレイユ、テテュス、アイリスの順で席に着き終わると、ディングレーが、戸口から姿を見せた。
相変わらずとても素っ気ない様でだが、その黒髪の醸し出す秘やかな男らしさが滲み出ている姿は、女性達がつい、どぎまぎして意識せずにはいられないような男っぽさがあり、品格ある男前に見えた。
つい子供達は、男としての彼のそんな様子に初めて気づいてじっと見つめたが、ディングレーは彼らの視線に気づくと普段のように何気ない笑顔で
「よぉ!」
と三人に挨拶した。
ファントレイユは、集まる仲間が違うとこれだけそれぞれの印象が違うのかと、大人達を見回した。
アイリスはいつもはゆったりとした領主然としていて、エルベスといる時気品漂う貴人みたいな印象なのに、彼らといるととてもチャーミングな笑顔の、長身で体格のいい人懐っこい下級生、という様子に見えてびっくりした。
レイファスもテテュスも同様で、つい黙って皆を観察しているみたいに見えた。
そして…。
ディングレーがアイリスの正面に座した時、戸口に二人が、現れた。
長身のギュンターが素晴らしく目立つ男らしい美貌で金髪を揺らし、どこか猫科の猛獣のように秘やかでしなやかな動作で憮然と姿を現し、だがその後ろに、それより更に長身の、ライオンのように人目を引く大柄なオーガスタスが、ゆらりとその幅広の肩の上で跳ねた栗毛を揺らし、頭を戸口にぶつけ兼ねないすれすれで軽く頭を下げ、見つめる一同に、親しみある笑顔を浮かべて見つめ返した。
二人が並ぶ様は草原の豹とライオンに見え、そのゆったりとした野生の迫力に三人は目を、丸くした。
ギュンターは不機嫌な表情でディングレーの横に座ると、正面に座るローランデを恋い求めるように真っ直ぐ、見つめる。
その紫の瞳が宝石のようで、三人はつい、その透ける綺麗な瞳に見惚れた。
オーガスタスの、ギュンターの横に座る様子はゆったりとしていて、その広い肩幅の隙無く引き締まった立派な体格は頼もしげで信頼感に溢れ、男達の視線を引き付けた。
つい、ファントレイユがその立派な騎士達が居並ぶ様子に、感嘆のため息を洩らす。
教練に行けばこういう男達がたくさん居るのかと思うと、自分もその一員に成って、彼らに仲間と認められたいと思ってると告げたテテュスの気持ちが、凄く解った。
レイファスも言葉も無く、その大きく強そうで立派な男達に見惚れていた。
テテュスとて、これだけ男達が集まるのは初めての事で、彼らの醸し出す、普通の男達とは違いゆったりと見せながらいつ不測の事態が起こっても直ぐに対処出来るような隙の無い様子に、息を飲んだ。
「…格好いいね…」
レイファスが隣のファントレイユにこっそり感想を洩らす。
が、ファントレイユも同感のようで、頬を染め、彼らに刺激されたのか、とても少年らしい表情で、こっくりと頷いた。
けれどレイファスの隣のローランデはそう言う彼らに振り向くと、どう見ても可憐な美少女に見えるレイファス。
人形のように美しいファントレイユ。
そして美少年だがゆったりと落ち着き気品ある、一番少年らしいテテュス達の方こそ、普段ではお目にかかれない子供達だと思っているのに。と、隣のシェイルに肩をすくめて見せた。
が、本人達の自覚なんてそんなもんだと、彼ら同様、目立ちまくって他人の注目を浴びるのに慣れたシェイルは、親友に肩をすくめ返した。
がギュンターの視線がローランデから外れず、ローランデはつい彼を避けて俯いた。
アイリスはテテュスの横で息子と居られる幸せをその微笑みに浮かべていたが、ギュンターの不機嫌な“気"がその場を覆い尽くすのに気づいて、顔を下げた。
食卓の重い空気に、ディングレーがそっとつぶやく。
「…一服盛ったのか?もしかして」
その言葉は隣のギュンターの更に横のオーガスタスに向けられ、オーガスタスは顔を傾け体を倒し、憮然と腕を組むギュンターの向こうのディングレーを見つめ
「…他に手があるか?」
とささやき返した。
ディングレーはつい、隣のギュンターの様子に声をひそめた。
「…同意があった訳じゃ、無さそうだ。
そんな事をして殴られないのはあんたくらいだな」
オーガスタスはディングレーの、少しギュンターを警戒する様子に笑った。
「…俺は大人しく殴られてないからな」
ディングレーはその大柄な男が乱暴な挙動にいつも余裕で、とても素早く対応するのを知っていて、頷いた。
ローランデはそれを聞いて気の毒そうな視線を、今だ自分を真っ直ぐ見つめるギュンターに向け、シェイルが怒鳴るように彼に告げた。
「盛られたにしては、寝覚めがしっかりしてるようだな!」
ギュンターは見つめるローランデの隣のシェイルからの声に、嗤いながらつぶやいた。
「獲物を目前にした、どうせ野獣だ。
焦点がぼけたままでいられるか?」
この言葉に大人達はいっせいに、ため息を吐き出した。
オーガスタスが、目の前に食事が並んでも子供達がローランデを見つめ続けるギュンターから視線を外せずにいるのに気づき、顎をしゃくった。
「しっかり食っとけ。ローランデは剣を握ると人が変わるからな」
三人は慌ててチラと、美貌の猛獣に恋われる端正な騎士を見つめ、フォークを握った。
食後、ローランデの後を付いて三人は剣を持ち庭に出る。
外庭のテラスの前の広い場所で下には芝生が敷き詰められ、近くには大木が幾つか並んでいた。
風が爽やかに吹き抜ける良い天気の気持ちのいい朝で、シェイルが、テテュスとファントレイユの後を付いて行こうとするレイファスに向かって、叫んだ。
「お前はこっちだ!」
項垂れるレイファスに、ファントレイユとテテュスが気の毒げな視線を送る。
レイファスはだが、シェイルを目前にすると、今日はやり返してやる!と見上げて息巻いた。
ローランデはじっと見上げるテテュスとファントレイユを見つめ、微笑むと少し剣を構えてささやいた。
「腕を見たい。二人同時でいいから、かかっておいで」
二人はつい、そう微笑む優しげな騎士の言葉に、顔を見合わせた。
テテュスが剣を構えて瞬間、歩を進める。
剣が銀の弧を描き、陽にキラリと光った。
ローランデが微笑を浮かべたまま、すっと下がってそれを避ける。
ファントレイユが飛び込むがローランデの足捌きは見事で、彼は剣を持つ右肩をそのまま、左肩毎左足をくるりと後ろに下げ、避ける。
それは舞踏のような優美な動作で、曲げていた剣握る右手をすっと伸ばし、ファントレイユの剣を軽く弾き返す。
間髪入れずテテュスが向かって行くが、まるでどこにテテュスの剣が来るのか解っているような余裕で、剣を合わせ止める。
ローランデが、微笑んでつぶやく。
「別に二人同時でいい。隣に誰か居ると思わず私と、一対一だと思いなさい」
テテュスはすぐ解ったように頷き、剣を構えて突き入れ、ファントレイユは戸惑ったがテテュスに習った。
つまり隣のテテュスが剣を入れてようが構わず、ローランデに向かって行ったのだ。
ローランデは殆ど動く事無く突いてきたテテュスの剣を軽く、剣を振り止め、ファントレイユの突きも同様、剣を合わせ止めた。
直ぐ続いてテテュスが剣を上からローランデ目がけ振り下ろすが、ローランデは上体を少し後ろに捻り軽やかに、襲い来る銀の弧を避ける。
直ぐ横から振り入れるファントレイユの剣を、さっと右手を伸ばして軽く止め、続き左側へと入るテテュスの剣を、一歩後ろに飛び退き様受けた。
チャリン…!
ファントレイユもだんだん真剣な表情で剣を振るがローランデは少しも慌てる様子無く、ファントレイユが突き入れる場所がまるで、解っているようにその剣をさっと差し出すとファントレイユの剣を止める。
テテュスとファントレイユがほぼ同時に、ローランデに向かって剣を突き入れて進んで行った。
…にも関わらずローランデは、少し早いテテュスの剣を上から叩き、瞬間返す刀でファントレイユの剣をも叩き落とす。
テテュスはローランデを見つめ…ファントレイユもその少しも乱れない呼吸と動作の見事さに、つい眉を寄せて彼を見つめた。
二人がだんだん、夢中になる。
テテュスが空いたローランデの脇を狙って本気で剣を突き入れる瞬間、鋭い“気"がローランデの剣に籠もり一瞬で上から、テテュスは握る剣を叩き落とされる。
が、テテュスは剣を手放してはと、慌ててきつく、握り直す。
ファントレイユもさっきより更に一歩踏み込み、かなり際どい剣をローランデの胴目がけ突き入れる。
優しげなローランデが軽ろやかに後ろに下がり様、強い“気"で突いて来た剣を一気に横に凪払う。
ファントレイユもやっぱり、その勢いに剣を持って行かれそうで、必死に剣を握り、弾かれた剣を捕えた。
全然ローランデの息が上がる様子が無いどころか、その微笑すら、消える事が無い。
栗色の髪に明るい色のメッシュの入った長髪を鮮やかに揺らし、しなやかで軽やかな見とれる程優美で素早い動作なのに、一瞬の剣が振り入れられる時に鋭い、気迫が籠もる。
テテュスは必死で、まるで彼を追いつめようとするように突進しながら剣を振って行ったが、ローランデはすっと前に出様、ブンと音立て襲い来るテテュスの剣を、殆ど掠るくらいギリギリで首を傾けて避け、振り切ったテテュスの剣を、真上から叩く。
カン!
じん…。
と剣を握る手にローランデの剣が当たる振動を重く感じても、テテュスは歯を食いしばり剣を、落とさなかった。
ファントレイユが両手で剣を握り、脇に構え突っ込んで行くが、やはりローランデは微笑むと腰をうんと低く屈め、突き入れる剣を真正面から、合わせるように切っ先を入れると、剣が触れた瞬間横に倒し、ファントレイユの剣を外へ滑らせその突きをかわした。
しっかり両手で握った剣を横に凄い勢いで振られて、ファントレイユは肩と腕に痺れを感じたが、テテュス同様必死で剣を、落とすまいと握り直す。
あんまりローランデが見事で余裕で、ファントレイユもテテュスもどれだけ剣を、真剣に入れても彼に掠る事すら出来ないんじゃないかと、思った。
“達人"というのは、こういう人を言うのかと思う程、彼の動作はしなやかで淀み無く、ファントレイユとテテュスの剣がどこに向かうかを、知り尽くした的確さで、余裕で防ぐ。
テテュスもファントレイユもが、どんどん真剣に成る。
ついにテテュスが一歩踏み込み、上段から剣を一気に、ローランデめがけて振り下ろす。
ローランデの姿が瞬間視界から消え、次に剣が懐に飛び込んで来て、テテュスは慌ててそれを避けた。
いつの間にか真横にローランデが居て、続けて剣が、冷やりとする気迫を漲らせて胸元に襲いかかって来る。
ローランデが攻撃に転じ、テテュスは必死でその剣を避け、剣を振るが、簡単に弾かれ尚も鋭い剣が胴目がけて襲って来て、テテュスは避けるのに手一杯に成る。
どうして…!
チラと隣のファントレイユを見るが、彼もローランデの振り入れる冷やりとする剣の切っ先を、全く余裕の無い表情で、慌てて避けるのが精一杯の様子だ。
だって、二人居る。
なのに二人に交互に剣を素早く突き入れて、攻撃している…!
テテュスが尚も剣を振りかぶろうと握るなり、ローランデの腕の優美な振りが見えた途端、剣の切っ先が鋭く胸元を襲い、テテュスは慌てて体を横に、滑らせて避ける。
でも見ると、ローランデの動作は急ぐ様子無く流麗そのもので、ファントレイユが剣を握り直す隙に、その流れるような動作で剣を振り、ファントレイユが横に転がるように逃げるのを目に、テテュスは上に構えてローランデに向かおうとした時、ローランデが振り向き様その剣を顔の正面に突き入れて来て、テテュスは一歩下がらずにはいられない。
剣を、振り入れる事すら出来ない!
テテュスは必死で、攻撃の糸口を見つけようとした。
だが、どう体勢を立て直そうとしても、体を突いて来る剣を避けるのにただ必死で、攻撃に転じる事は無理だった。
焦っちゃ、駄目だ…。テテュスは肩を揺らす程の激しい息を整えながら、心の中でつぶやいた。
ディングレーが言った。駄目な時は隙が出来る迄、様子を見ろって。
がローランデの振りはゆったり優美に見えて全然そう見えないのに、突いて来る時は一瞬で襲いかかり恐ろしく素早く、テテュスがまともに立って居られないような場所に突いて来る。
「何してる…!
もっと足使わなきゃ、ローランデには付いていけないぞ!」
ディングレーの声が飛ぶ。
ああ…そうか。ファントレイユには解った。
自分の足捌きはたどたどしいけど、ローランデのは素早く余分な動作は一切無い。
足が付いて行くから剣も、次の動作も素早いんだ。
でも…。
「…解ってても、ついて行けない!」
ファントレイユは必死で剣の切っ先を避けて、叫ぶ。
ギュンターが横を向いて吐息を吐き、怒鳴った。
「俺だってやっとだ。付いていけなくて、当たり前だ!」
オーガスタスの朗らかな声がした。
「胸を借りる気でやれ。
ローランデには遊び相手にしかならんだろうが」
アイリスがつい、真剣なテテュスとファントレイユがそれでは気の毒だろう?と、オーガスタスに視線を向けた。
が、子供可愛いのアイリスにオーガスタスが、見ろ!と顎をしゃくった。
『遊び相手』に誇りを傷つけられたのかその幼い剣士達は、遙か雲の上の相手に剣をきつく握り、気迫を込めて突っかかって行った。
テテュスがあんまり凛々しく見えて、アイリスがつい見とれ、ディングレーもギュンターもオーガスタスも彼の親馬鹿ぶりに呆れた。
だが二人の剣がどれだけ気迫を増そうと、ローランデが崩れる事が無かった。
テテュスの突きが入る前にローランデがすっと出て剣を振ると、テテュスは胸元を掠る鋭いきっ先に慌てて避けてその体勢を崩し、ファントレイユの剣を、合わせて剣で止めて途端直ぐ次にローランデの剣が、上から体を刺し貫く勢いで襲いかかって、ファントレイユは慌てて後ろに転げる。
ファントレイユの消耗が激しく、テテュスですら足をふらつかせた。
剣を振り入れる体勢が毎度崩れ、ちっともまともな剣を、ローランデに向けて振る事すら出来なくて。
ローランデはそれを見取り、ファントレイユの剣を手元から、かん!と音を立てた鋭い振りで叩いて飛ばし、テテュスにも同じ事をした。
ファントレイユは飛んだ剣を取りに行き、テテュスは暫く、剣の抜けた、じんと痺れる手をそのままに、呆然とローランデを見つめた。
彼は微笑み、剣を持ち戻るファントレイユに言った。
「腕を見ると言ったろう?
私に講義をさせてくれない気か?」
ファントレイユは顔を上げた。
そう微笑む騎士はとても優しい青い瞳を、していたからだった。
さっきの鷲か鷹のような、素早く襲いかかる鋭い剣とはうって変わって。
テテュスも剣を拾いに行くと、アイリスが地面に落ちたそれを取り、テテュスに手渡した。
テテュスは一瞬彼を見つめたが、くるりと背を、向けた。
アイリスの少し寂しげな表情にオーガスタスは思い切り呆れ、横に立って居たディングレーは気遣うようにささやいた。
「息子の成長を喜んでやれ」
アイリスのしょげた顔に、ギュンターが唸った。
「…娘と、間違えてないか?」
オーガスタスが肩を、すくめた。
ファントレイユはディアヴォロスに、『足を鍛えろ』と言われた理由が解った。
足捌きであれ程違うと、思わなかった。
テテュスも同感のようだったが、彼はローランデの剣の扱いが素晴らしいと思った。
全く淀みなく、見ている視線では追いつかない相手の隙を、的確に突いてくる。
しかも、二人同時だ。
ローランデは二人が真剣に見上げるのでまた微笑むと、ファントレイユに向いて言った。
「リズムが、大切だ。
剣を使うのと足とは連動している。
大振りをする時深く踏み込むだろう?
だがそれをしたら相手は直ぐに、剣が来ると察する。
持っている剣を弾かれたら、深く踏み込んだ時体勢は直ぐに、崩れる」
ファントレイユは、頷いた。
「体勢が崩れれば簡単に隙が出来、相手に討ち取られる。
君の剣には気迫があってとてもいい。
でも簡単にその剣が、来ると読める」
ファントレイユはまた、頷いた。
「剣は力だと思うか?
確かに大柄な剣士は力が強いし、その激しい剣を止めるにはそれだけの筋肉が必要だ。
けれど避けられれば、その必要は無い。
…だからといって相手が剣豪なら時には止めなくてはならないから、鍛える事は必須だ。
でも10本全部で無く、二、三本で済めば、体力は温存出来る。
疲れ切れば、相手に殺してくれと言うようなものでそうなったら…殺されるか降伏するしか手が無く、相手次第では殺される方を選んだ方がいい場合もある」
ファントレイユは瞳を見開き、テテュスは顔を揺らした。
「いつも、次を考えるようにしなさい。
今で無く。次にどうするかを。
先手を打つと相手に隙が出来る。
討ち取る事が出来る。
だがさっきの君達は今飛んでくる剣を受けるのに、ただ必死だったろう?
勿論、私は君たちが次に手を打てないような場所に剣を振り入れた。
が、それでも体勢を崩す事無く次の攻撃が出来なければ、事態は変わらないんだ」
テテュスが、頷いた。
ローランデはテテュスを見つめた。
「君は天性の、カンを持ってる。
相手を自分のペースに引き込めば、相手が避けにくい場所に君は剣を入れるから、相手に隙が出来て、勝率はぐんと上がる。
…でも自分の剣が振るえなければ、意味が無い」
テテュスはローランデにつぶやいた。
「どうやって自分のペースに引き込むか、覚えろと言う事ですね?」
ローランデは笑った。
「色々やり方がある。相手も色々で、どの手が通じるか、やってみないと解らない」
テテュスは頷いた。
ローランデは見ているギュンターに顔を向けると声かけた。
「ギュンター。少し相手をしてくれ」
ギュンターは顔を上げたが、憮然と告げた。
「言っとくが、加減出来ないぞ!」
ローランデは頷く。
ファントレイユとテテュスは脇にどくと、恋人同士の二人が剣を交えるのを、どうなる事かと見つめた。
が、ギュンターは剣を抜くと構えたまま、抗議するように暫くじっと、ローランデを見つめる。
がローランデはいきなり、燕のような素早さで彼の懐迄突っ込んで行く。
途端、ギュンターは気づくとさっと体をよけ、避けた。
ローランデが体毎ぶつかって行くように見えたのに、その切っ先は鋭くギュンターの脇を掠める。
剣を振るのが早すぎて、見えない。
だが避けたギュンターの体勢が崩れた所に再びあっという間に優美な動作できびすを返したローランデの剣が、襲う。
さっきよりもっとローランデは足を使い、次の動作も判断も早かった。
その、流麗な鋭い攻撃につい、ファントレイユもテテュスもが見とれた。
剣を、下げたかと思うともう素早くギュンターの脇を襲い、ギュンターが体を振って避けると直ぐに剣を戻し様ギュンターの、肩へと振り入れる。
一瞬の淀みない舞踊のようなその流れる動作で、間を置かず例え相手に避けられたとしても、動揺も見せずに直ぐ、次の攻撃を仕掛けていく。
ギュンターも自分達同様、攻撃に転じるのに苦労していた。
どう見てもギュンターの方が大きく、それに下手だと言ってたけど一度剣を振ったらその威力は凄まじいんじゃないかと思う位の激しい振りだった。
ローランデの、ひっきり無しの攻撃を受け続け、ギュンターがどんどん戦意を増していくのが解った。
が、ローランデはどう見ても早さで勝る。
どれだけ振った剣をかわされようと、体勢を崩す事無く直ぐ次の剣を振り入れる動作は、見事だった。
ギュンターはローランデのその剣が、本来の剣捌きを使わせないよう隙を、間髪入れずに突いて来る五月蠅さに唸った。
やっと剣を鋭く払うように振るが、ローランデはもうとっくにその場を飛び退き、さっとギュンターの背に回って剣を、頭上から振り入れる。
がっ!
ギュンターが振り向き様剣を受けるが、ローランデは素早く剣を引き、一歩下がると横に滑り様次の攻撃に、移っていった。
ギュンターはもう、足を使わなかった。
自分を投げ出すように無防備で、だが嵐のように降って来る剣の切っ先に、瞬間反応してその剣で受け止める。
ギュンターが攻撃して来る剣を止めながらも、気を研ぎ澄ましてローランデの隙を狙ってるなと、二人は感じた。
ギュンターが、“野獣"と呼ばれる訳も。
ギュンターはそのしなやかな野生のカンのようなもので、突っ立ちながらも瞬間、自分の隙を付いて素早く場所を移動しながら何処に振り入れられるかまるで予測出来ない、襲い来る剣を、次々に止める。
立っている彼はいつ獲物が疲れ切り、体勢を崩し、攻撃に転ずる機が訪れるかを、剣を止めながら凄まじい“気"を放ち、伺っていた。
その様子はまさに獣のようで、そんな迫力あるたたずまいの彼に剣を淀みなく振り入れるのは、とても気力の要る作業だと二人は思った。
右肩、続き、胴。そして頭上。
まるで連続しない別々の場所へ、前、横、そして後ろから、さっとその華麗な足捌きで燕のように身を走らせながら、ローランデは淀みなく剣を振り入れる。
「おい…!」
シェイルの声がし、とうとうレイファスはシェイルの講義そっち退けで、二人の戦いに見とれたようだった。
が、ローランデの流れるような腕の振りから上へと振った剣を止め、直ぐに横にから脇を襲う剣を、ギュンターは咄嗟に剣で防ぎ止め、直ぐに反対の肩に振り下ろされる剣を、顔を傾けて避けて、続く胴を凪払う剣を、一歩引いて、その剣を立て止める。
がちっ!
続け様に受け止めながら、ローランデの止む事の無い攻撃にギュンターは一瞬の気も抜かず、見事に対応していた。
が、反撃出来る機会があるとは思えない程ローランデは早い。
がっ!がっ!がっ!
良く、あんな素早い剣が止められるなと思う程ギュンターは棒立ちのまま、向かい来るローランデの、幾度も左右に体を揺らしながら背にその剣隠し、どこを狙うか、襲いかかる瞬間迄読ませないローランデの剣を、そのしなやかな獣のような身のこなしで受け止めた。
がちっ…!
瞬間真正面で剣を交え様、ギュンターは唸るように凄まじい“気"で、交えた剣を咄嗟に前に、突っ放した。
いきなりでしかも激しく、普通なら相手はびっくりして後ろに吹っ飛ぶ筈だった。
が、ローランデは瞬間剣を下ろして滑るように横に体を移動させ、足を引いて止まる。
ファントレイユは目を、擦りそうだった。
テテュスですら、ローランデのその動作があまりに見事で横に立っている彼が信じられず、剣を下げたその静かなたたずまいのローランデを凝視した。
逆にギュンターは相手に、咄嗟に避けられて前に進み、一瞬体勢を崩す。
ローランデがその僅かに出来た隙に間髪入れず、下げた剣を見えない早さで引き上げ、ギュンターの体目がけて振り降ろす!
がっ!
見ていて冷や汗ものだったがギュンターは斜め横上から鋭く振って来る素早いローランデの剣を、体を捻り様受け止めるのに間に合った。
皆がギュンターのその俊敏さに、思わず拍手を送りそうだった。
二人はギュンターが『剣は下手だ』と言ったが、その反射神経と動きの良さでそのハンデを完全に埋めていると解った。
ローランデは止められるとさっと剣を引き、間を取って走る。
ギュンターは剣を斜めに下げ、ローランデの動きを目で追う。
その金髪が朝の風で揺れて流れ、紫の瞳が一瞬煌めき、その美貌故にとても優美な勇猛さに見えた。
が、ギュンターの気迫が漲り瞬間、周囲を隙を伺い走るローランデの、動きを読んだように走り行くその先にギュンターはいきなり、その凄まじい剣を振った!
がっ…!
ローランデがだが進む進路の、避けられぬその気迫籠もる剣を、体を一瞬捻り様真正面からがっつり受けた。
どう見ても重く激しい剣で、それをあんなに見事に受け止める彼は、『鍛える事は必須だ』との言葉を実証して見せた。
ギュンターが仕留めにかかっているのは明白だった。
前に突っ放した時も、ローランデの動きを読み切った剣を振り入れた時も。
ギュンターだっていきなりで鋭く素早かった筈なのに、ローランデはそれを全て、止めてみせた。
ローランデはそれでも気迫で押して来るギュンターの剣を、いつまでも力比べに付き合う事無く横にさっと受け流し、剣を鮮やかな動作で引き、握り直し、軽やかな足を使って体勢を崩すギュンターに、瞬間剣を振り被り様襲いかかって行く。
その鷲か鷹のような見事さ。
その剣には“野獣"に負けないくらいの“気"が漲り、その青い瞳は静かな気迫が込められ、ローランデからはどれだけギュンターが避け、激しく凄まじい攻撃を受けようが一歩も引く様子は見られず、彼が絶対負ける気が無いのが、良く解った。
ローランデの方がどう見ても、小柄だった。
体格だって小さい筈だ。
でもローランデは果敢に、自分より大きく力も強く、牙を剥く猛獣のような迫力あるギュンターに、恐れの微塵も無い様子で、打ち負かす気迫を込めて立ち向かって行く。
シェイルが、彼は英雄で、みんなに崇拝されていると言った理由が、子供達は心から解った。
例え相手が自分よりうんと…大きく強かろうが、怯まず戦い抜くその姿勢は、見ている者の胸を踊らせた。
がっ!
崩れた体制でそれでもローランデの剣をなんとか、ギュンターは止める。
が、彼の顔が歪み、ローランデは瞬間察したように、すっ、といきなり剣を、下げた。
あんなにいきなり戦意を解いていいのかと思う位、ローランデは気を抜いてギュンターの前に静かに立ち、ギュンターは察したように肩で息を吐き、ローランデの剣を受け止め続けた、その剣を握る手を今だ震わせていたが、ゆっくりと鞘に、収めた。
その時ようやく、ファントレイユもテテュスもが、二人が真剣で戦っていたのに気づいた。
テテュスは目をまん丸にして、そっとアイリスを見上げた。
「……もしかして……当たっていたら、大怪我をしたの?」
アイリスがそっと屈むと、彼の愛しい息子にささやいた。
「…だって大人用の訓練の剣が、無いからね」
見るとローランデが持っていた剣は、さっき自分達に使った刃を潰した剣とは違っていた。
ファントレイユは一瞬、さっきの鋭い二人の攻防を思い出して、思わずぞっとした。
二人はつい同時にごくりと唾を飲み込み、顔を、見合わせた。
ギュンターはだが、異論を唱えるようにローランデを見つめ、その腕を彼に伸ばそうとした。
がローランデはさっと避けてアイリスの横に居る子供達の元へと歩を進め、ディングレーとオーガスタスがローランデを捕まえようとするギュンターの両脇に咄嗟に付いて、やめとけ、とその体で押し止めた。
ギュンターの眉が深く、寄る。
オーガスタスも大柄だがディングレーも自分よりほんの少し背が低いだけで、その肩幅はギュンターより広い。
ローランデが子供達に微笑みかけて、つぶやいた。
「…どんな時でも、戦意を無くしたらそれで終わりだ。
相手がどれだけ強かろうと諦めないで戦えば、どこかにいつか、必ず隙は出来る」
が、ギュンターが切れた息を整えながら唸った。
「俺は一番剣が下手だと言ったろう!
参考になるか!」
ローランデはそう怒鳴る彼を、眉を寄せて悲しげに一瞬、見つめた。
が、二人に振り向くとささやく。
「君達にも解ったろう?
剣の扱いが下手だと彼は言ってる。
でも戦いは方はとても上手だ。
相手が捕まらない時彼はどうした?
余分な動きを封じ、体力の消耗を減らして、攻撃の機会を狙ったろう?」
テテュスが、その濃紺の瞳でローランデを見上げてつぶやいた。
「…それにとても、素早く受ける。
あんな風にじっとしたら、僕はとても降ってくる剣を止めるのに間に合わない」
ローランデは微笑んだ。
「つまり戦いは、剣の腕だけじゃないんだ。
駆け引きや…自分の得意技で対応するから」
ファントレイユも、頷いた。
「ギュンター。ファントレイユの相手をしてくれ。オーガスタス、君はテテュスだ」
オーガスタスは頷いたが、ギュンターは殺気立っていた。
ローランデはファントレイユに屈むと、つぶやいた。
「怖くなったらそれで君の、負けだ」
ファントレイユは、頷いた。
オーガスタスは刃を潰した子供用の剣を握ると、かかって来いとテテュスに微笑む。
そのライオンのような大きな男は体格だけで無く度量も大きいように見え、テテュスは一瞬怯んだ。
が、向かって行った。
オーガスタスは大柄なのに剣の扱いは卓越していて、テテュスが右に左に、剣を入れてもその立ち位置を変える事無く、その剣に応酬して見せた。
ファントレイユが、アイリスの横に付くローランデを睨み据えるギュンターに向けて剣を振りかぶるが、ギュンターは見もしないでファントレイユの剣を、刃を潰した子供向けの練習用の剣で、跳ね返した。
ギュンターが、怒ってるのは解っていた。
が、ファントレイユは尚もかかっていく。
だが相対して解ったのは、ギュンターがまだローランデに気を取られていて、幸いだって事だった。
もし自分にあの“野獣”が牙を剥いたら、きっと凄く怖い。
気迫負け、と言うのは初めて知ったが、間違いなく足が竦むだろう。
テテュスはファントレイユが一瞬心配だったが、目の前のオーガスタスはローランデ同様、とても親しげな優しい微笑を浮かべるが手加減は、しない男だった。
テテュスの剣が甘いとその力強い剣が彼の手から、握る剣を奪う強さで振り入れられ、咄嗟に剣を飛ばすまいと力を込めると手が痺れ、テテュスは他人の心配どころじゃなくなった。
ローランデが、はらはらする横のアイリスの様子に、ディングレーに訊ねる視線を向けてささやいた。
「…アイリスは親馬鹿なのか?」
ディングレーは、その通りだとたっぷりと、頷いた。
いつも取り澄まし、取り繕う様子さえ見せずそんな批判を軽やかに笑顔で吹き飛ばすアイリスが、それをする様子も、見守るテテュスにはらはらするのをを隠す様すら見えなくて、ローランデはつい俯くと、大きなため息を吐いた。
がっ!
ついにテテュスがありったけの気力を向けて、その大柄な剣士に襲いかかる。
オーガスタスはうんと身を屈めて真っ向からそれを受け、その大柄な体で交えた剣を、一瞬力を込めて前に突き放す。
テテュスが瞬間、激しい勢いで後ろに押されて吹っ飛んだ。
が、倒されたテテュスは向かう瞳を止めず、剣を握り直して手を付き身を起こして、また、かかって行く。
オーガスタスは笑い、だがやはり手加減する様子は無い。
アイリスが心配の余り顔を歪め、それを目にしたローランデがつい
「アイリスの方が持たない」
と、側に居るディングレーにこぼした。
ディングレーはその言葉を聞いて
「間違いなく、先に音を上げるな」
と頷いた。
ファントレイユはギュンターに、どんどん気迫増してかかっていくが、ギュンターは時折、ファントレイユを見はするものの、まだローランデに視線を投げていた。
かん…!かん!かんっ!
ギュンターの反射神経と読みの早さは本物で、ファントレイユがどれ程真剣にかかっていっても、余所見したまま顔も向けずに全て、止める。
振り向かせる事すら出来ない…!
ファントレイユの肝が、座る。
例えあの“野獣”の凄まじい“気"を浴びてもいいから、ちゃんと自分と戦ってるんだと認めさせたかった。
だがその時、テテュスが鋭い突きをオーガスタスに振り入れ、オーガスタスが瞬間、そのライオンの鬣のような髪を揺らして前足を浮かして踏み込み、剣でその突きを叩き止め、テテュスがそれでも剣をきつく握って振り上げ、凄まじい気迫で振り被り、振り下ろす剣を、間髪入れずに剣を交えて止め、凄まじい勢いで前に押す。
テテュスは受け止め兼ねてまた後ろに、ふっ飛んだ。
が、テテュスは体を起こしながら必死で、ローランデがギュンターのその剣を受け流した様子を思い浮かべ、立ち向かう瞳を、親しげな微笑を浮かべたままのオーガスタスに向ける。
アイリスの顔が揺れ、吐息が洩れた。
「…テテュスの腕の腱が、切れてしまう……!」
ローランデはギュンターの射るような自分を乞う視線を見つめていたが、アイリスのその言葉に思わず振り向く。
ディングレーがアイリスに身を寄せてささやく。
「…あれでオーガスタスはちゃんと解って、加減してるぞ?」
だがそれでもアイリスのはらはらと心配そうな表情が普段に戻る事無く、ローランデは無駄だ。とディングレーに視線を送った。
また、オーガスタスが交えた剣を前に突き放つと、テテュスはようやく少し横に剣を滑らせ…だがやっぱり勢いを殺しきれずに後ろに転んだ。
が、それでもテテュスは剣を握り、立ち上がる。
まるで…テテュスは自分の腕が折れようが、ローランデのやり方を収得しようと決意しているみたいで、まだ気迫を込めてオーガスタスに、突っかかって行く。
その気迫を増す様子にディングレーは感嘆した。
まるで限界など無いように、テテュスの気力が沸く。
戦いに飢えていたように。
必死で剣を交え様、その剣を横に滑らす。
が、やっぱり体勢を止められずに、ぐらついて横に転ぶ。
そしてまた…さっと身を起こし、オーガスタスを見つめる。
オーガスタスが、待ち構えるように優しさすら滲ませて、その鳶色の瞳で微笑む。
テテュスの剣を握る手に力が、籠もる。
止めどなくその剣に気迫が漲り、増して行く。
がっ!
だがやはり、交え様突っぱねるオーガスタスの剣の勢いに押され、後ろに吹っ飛ぶ。
それでも、テテュスの瞳には挫ける色は浮かばなかった。
「…アイリスが、泣く筈だ。
テテュスはあの年であれだけ戦えるんだから」
ディングレーがつぶやくと、ローランデもそっとアイリスの様子にため息を混じりに囁き返す。
「…父親なら喜んでいい筈なんだけどね」
ディングレーはローランデを見つめると、言葉を返す。
「早く自立されると、寂しいんだろう?」
ローランデが、いかにも意外そうにそっと尋ねた。
「…アイリスって、実は甘えん坊だったのか?」
ディングレーは肩をすくめた。
「テテュスの時だけが例外だと、思ってた方がいい」
ローランデは解った、と頷いた。
アイリスは二人を見ると、眉間にきつく皺を寄せた。
「どうして君達に甘えたいだなんて思うんだ?
だってテテュスはもの凄く………可愛いだろう?」
その馬鹿ぶりに、つい二人は言葉を無くし、アイリスに同意せずに俯いた。
ギュンターはだがファントレイユに振り向くものの、一瞬でファントレイユの剣をその素早い剣で堰き止め、またローランデに視線を送る。
ファントレイユがとうとう、ギュンターのその様子にキレて剣に殺気を昇らせた。
がっ!
再び叩き払うように剣でその突きを遮られ、ファントレイユはだが完全にその“野獣”に腹を立て、ギュンターはその殺気につい、マジで対応した。
つまり、とうとうファントレイユに凄まじい視線を向けたのだ。
が、キレたファントレイユはもう相手に構ったりはしなかった。
“野獣”に睨み据えられながらもまだ、鋭い切っ先をギュンターに向けてぶつけ、ギュンターは五月蠅い蠅を払うように振り下ろす。
ファントレイユの気迫が増す。
とうとうその、子供にしては凄まじい気迫に気づいたオーガスタスがファントレイユに視線を送り、テテュスが、倒れた体を起こしてそのオーガスタスを見つめ、レイファス迄もがシェイル同様二人を見つめた。
シェイルがつぶやいた。
「…戦意のあるギュンターに向かってあいつ…思い切り、キレてないか?もしかして」
レイファスはファントレイユがキレると、相手がどれだけ大きかろうが数が居ようがお構いなしだし、その時受けた痛みすら感じなく成る様子を思い出してつい、口をあんぐり開けた。
ファントレイユは見た事も無いくらい凄まじい気迫で、ギュンターはそれを押さえつけるように睨み返し、その剣は一応相手は子供だと、思いやってはいたものの、いつ堰が切れるかはらはらものだった。
ギュンターは腹に据えかねるくらいイラだっていたし、ファントレイユはそんなギュンターに容赦無く思い切りキレまくっていた。
「…ヤバく無いか?」
ディングレーがつい、オーガスタスの側迄来、そっと顔寄せて訊ねる。
オーガスタスが、ローランデを見た。
「何があってもお前は仲裁に、入るなよ!」
自分の仕事だと、その大柄な男に言われ、ローランデはそっと頷く。
レイファスはシェイルが、鋭い視線で短剣を持ち上げる仕草につい、息を飲んだ。
まさしく不測の事態だった。
ファントレイユは周囲の大人の思惑等、まして“野獣”がどれ程獰猛かも考えたりせず、きっちり真剣に、剣を振りかぶってかかっていくものだから、とうとうギュンターはその剣を思い切り、吹っ飛ばそうと振った。
瞬間シェイルの短剣がギュンターの顔を掠め、ギュンターが避けた拍子にその早く凄まじい剣は、ファントレイユをそれた。
が、ファントレイユが足を止め、野獣の剣を避けて振り向き、直も剣を振り被って進むのを目にしたオーガスタスが、剣を抜き様突進する勢いでギュンターの前に飛び込むと、ファントレイユの剣を瞬間、身を低く構えその剣で受け止めて見せた。
がっ!
目の前の金髪の猛獣が、静けさをたたえたライオンに変わった時、ファントレイユはようやく自制を思い出した。
ふっ。と息を吐くと剣を引く。
ギュンターは、庇われた大きなオーガスタスの体を忌々しげに振り払おうとし、オーガスタスにその腕を掴まれ、激しく振り下げ、制された。
腕をきつく掴んだまま目で、厳しく見つめるオーガスタスに、ギュンターもつい、我を思い出したように静まる。
その、大きく頼もしい男の仲裁に、大人達が心から信頼を寄せて事故が未然に防がれた安堵のため息を付くのを、テテュスは目にした。
レイファスはシェイルを、見た。
「…ったく!」
シェイルは唸り、見つめられているのに気づく。
レイファスが呆然としてその疑問を、シェイルにぶつけた。
「…ギュンターが避けなければ、完全に鼻に刺さってたよね?今のって…」
シェイルはレイファスに、断固としてつぶやいた。
「あの野獣に、滅多な事で当たるもんか!
あいつは剣が下手だとか抜かすが、避けるのの天才だからな!」
レイファスが感心したように、そうなんだ。とつぶやくのを耳に、シェイルは言った。
「試しに今度、あいつの隙を見つけて短剣を振って見ろ!
俺もローフィスも大概避けるが、ギュンターもふいの短剣を、憎らしい程見事に避けるぞ!
余程毎回剣が飛んで来る境遇に居たとしか、思えない。
しかも日常でだ!」
レイファスは、ギュンターを見た。
静まった彼は素晴らしい美貌の、しなやかな男らしさに満ちていた。
が、戦う彼の“野獣”ぶりを知ると、投げる時手が震えるんじゃないかと、思わず俯いた。
「ファントレイユ…!」
テテュスが駆け寄ると、ローランデも彼の側にそっと、寄った。
テテュスに何とか大丈夫と告げ、怒られるかとそっとローランデを見上げるファントレイユに、でもローランデは微笑んだ。
「大した気迫だ。君はテテュスのように真っ向から向かう剣士としては、その資質は劣ってる。
けれど君の戦い方を見つければ、誰よりも強くなれる」
ファントレイユはその誉め言葉に呆然とローランデを見上げた。ロ
ーランデは自分の言い用が、もしかしてファントレイユを傷つけてしまったのかと、いぶかうようにファントレイユを、見つめ返した。
が、ファントレイユはローランデに訴えた。
「でも…僕、どうやったのかあんまり、覚えて無くて…。
凄く腹が立った所は覚えてるんだけど…」
その言葉に言葉を無くすローランデの横で、アイリスがため息混じりに肩をすくめて見せた。
「ゼイブン譲りかな?
彼もキレると、手に負えない強さを発揮する。
到底勝てない相手に向かっていっても、結局勝ってしまう」
ファントレイユはそっと、そうローランデに告げるアイリスを見上げた。
「そう…なんですか?」
アイリスが、頷いた。だが彼は言葉を続けた。
「…でもギュンターは相手が悪すぎる。それで無くても溜め込んでるのに…」
アイリスの言葉にローランデは思わず赤面するが、アイリスはファントレイユに微笑み
「怪我が無くて本当に良かった」
とその頬に手を、添えた。
ファントレイユはその素晴らしい容貌の騎士の言葉に頬を染め、そして後ろの、少し離れた木の横に居るシェイルを振り返る。
シェイルは気づくと、礼は無用だと言わんばかりに腕を組む。
オーガスタスを見つめると彼はまだ、ギュンターを完全になだめる為に側に付き、ディングレー迄もが彼の行く手を阻むようにその横に立っていた。
ファントレイユがテテュスを見ると、テテュスが頷く。
それでファントレイユは彼らの方へと進んだ。
そのすっかり落ち着いた、人形のように大人しげで綺麗なファントレイユがそっと横に付くと、オーガスタスが顔を俯けて小さな彼を見下ろした。
「よぉ…!“野獣”を本気にさせるとはな!
大したもんだぜ!」
やっぱりオーガスタスは朗らかにそう告げたが、ファントレイユはしゅんとした。
「ギュンター…ごめんなさい…」
ディングレーとオーガスタスがその言葉に思わずギュンターを見つめたが、ギュンターは不機嫌につぶやいた。
「謝るな!お前が謝ったりしたら、俺まで謝らなけりゃならなくなるだろう!」
ディングレーがつぶやいた。
「謝る気が無いのか?せめてオーガスタスにさえも」
ギュンターが、ディングレーに唾がかかる程顔を寄せ、怒鳴った。
「こいつは夕べ俺に一服盛った!
これでチャラだ!」
ディングレーはその怒鳴り声に耳が痛そうに、顔をしかめた。
シェイルが腕組みしたまま寄ってくると、気づいたオーガスタスとディングレーは彼に体を空ける。
シェイルはギュンターの真正面に立ち、ギュンターに向かって真っ直ぐ、告げた。
「出来ればもう二、三本投げたかったぜ!」
ギュンターは小柄な彼に、笑った。
「当たらんがな!」
シェイルが組んだ腕から後ろに指で、合図を出す。
レイファスはその合図に気づくと、短剣をシェイルの後頭部めがけて思い切り投げた。
ひょいとシェイルが避けると、咄嗟に自分に向かう短剣に気づいたギュンターは体をさっと捻って避け、途端怒鳴った。
「…おい!」
シェイルは笑った。
「確かに当たらないが、肝は冷えたようだな」
ギュンターはぷんぷん怒り、ディングレーは隣でやれやれと、項垂れた。
が、ギュンターは尚もオーガスタスの横から見上げる、心配げなファントレイユにふっと気づくと、その大きな手でファントレイユの頭を掻き混ぜた。
「戦いの間の出来事だ。謝罪はいらない。
男と男の真剣勝負だからな」
ファントレイユが途端、あんまり嬉しそうに微笑むのでギュンターはびっくりした。
ファントレイユがテテュスの元へ嬉々として飛んで行くのを見、後ろから姿を見せるアイリスにギュンターが思わず訊ねた。
「俺は何か、ヘンな事を言ったのか?」
ディングレーが、横で笑った。
「ずっと女の子と間違われてたからな」
アイリスもつぶやいた。
「君みたいに男らしい剣士に、男同志と言われて嬉しいんだろう」
ギュンターは、あれ程きつい気迫を見せる彼が女の子だと勘違いされる事が、間違ってると唸った。
レイファスはファントレイユの横に来ると
「凄くびっくりして、相手構わずもここ迄来るかと呆れた」
と言い、ファントレイユはテテュスにも解るくらい、しゅん。と項垂れた。
が、レイファスは横に来たシェイルに
「まあまあだ。もっと早く、鋭く無いと“野獣”は仕留められないぞ!」
と駄目出しされて俯いた。
テテュスが、顔を下げてつぶやいた。
「でも、レイファスは貴方の頭の後ろめがけて投げてた。
当たっていたら頭が後ろから、真っ二つに割れていたんじゃないの?」
ファントレイユが思わず想像して青くなり、シェイルはその、焦げ茶の髪に囲まれた色白の、アイリスと面差しがそっくりで彼をそのまま小さくしたみたいな子供に、肩をすくめて見せた。
「当たるかよ。あの“野獣”でさえ俺が隠してたのに避けられたくらい、へなちょこな剣だ」
ギュンターがそれを耳に、怒った顔でつかつかとやって来た。
「…いや!十分ヤバかったぞ!
シェイル!お前生徒に思い切り、憎まれてるだろう!」
シェイルの眉が寄った。
「…レイファスはとても遠慮がちだ」
レイファスはそれを聞いて、もっと項垂れた。
ギュンターは、違う!と手を振り上げたが、シェイルは小さなレイファスを、見て言った。
「仕留めるには剣に気迫が、全然足りない。
ファントレイユを見習え」
ギュンターがきっちりキレて怒鳴った。
「見習うな!そんな勢いじゃ死人をごろごろ出すぞ!」
ファントレイユとレイファスは、どっちなんだ。と思わず顔を、見合わせた。
横に来たディングレーとアイリスにテテュスが尋ね顔で見上げる。ディングレーがそれに気づき、唸った。
「シェイルは本気でギュンターを仕留めたいんだ」
テテュスはため息を吐くと、やっぱり、そうか。と項垂れた。
アイリスが、困惑するレイファスとファントレイユにささやいた。
「君らがそうしたいんなら、シェイルに従えばいいが…」
だがシェイルは怒鳴った。
「どう頑張って投げても、レイファスにギュンターは殺せないさ!
だからあいつにだけは、思い切り投げても構わない」
言われて、レイファスはもの凄く、困った。
「……………そういう意見か?」
ギュンターが腕を組み、シェイルを思い切り睨んで聞くと、シェイルはまた、笑った。
「そういう意見だ」
ローランデがそっとシェイルの後ろに付くと、途端ギュンターの顔が彼を見つめて引き締まる。
がローランデは顔を上げず、シェイルの後ろに隠れる様に、ギュンターが端で見ていても解るくらいがっかりして吐息を吐くと、腰に手を当て、俯いた。
ファントレイユが、つぶやいた。
「うんと強くても、大人って大変なんだ」
ギュンターが、全くその通りだと大きく頷き、アイリスとディングレーを呆れさせた。