1 新しい教師
母親達がアイリスを無視してテテュスに、必ず自分の屋敷にも遊びに来るようにと約束させて帰ってから、ファントレイユとレイファスは今までの時間を埋めるように、ローフィスとディングレーに剣と冒険の講義をねだった。
ディングレーはしょっ中テテュスをファントレイユの相手にし、テテュスは丁寧に、ファントレイユに剣を教えていた。
ローフィスがその様子に
「お前より上手いんじゃないか?」
とテテュスの教師ぶりを、誉めた。
午後になるとテテュスは領地の外の友達の場所へファントレイユとレイファスを連れて出向いた。
ディングレーとローフィスを何度も促したが彼らは動かず、結局皆の方が領地にやって来ては二人を急襲し、二人がへとへとに成るまで遊んでいった。
アイリスは使者がひっきり無しに来るので、仕方なく腰を上げて職場に出向き、でも直ぐ戻り…の繰り返しを続けていたが、毎度それはテテュスの側を離れ難いアイリスの様子に、ローフィスがとうとう腰を上げてアイリスの代理を申し出た。
ずっと短剣の扱いをローフィスに学んでいたレイファスは不満そうだったが、代理を寄越すと言うローフィスの言葉に仕方なく、従った。
その日、ローフィスの血の繋がらない弟、シェイルが姿を見せると、そのあまりの美貌に、子供達は彼をまじまじと、見つめた。
『光の王』の血を引く神聖騎士団のウェラハスのような素晴らしい容貌とはまた別の、輝くような美しさのその銀髪の美青年に、レイファスは暫く彼を見つめたまま口をあんぐり、開けていた。
銀の髪が波打つように肩に背にかかり、すっきりとした細面でとても綺麗な鼻筋をしていて、その瞳は明るいエメラルド色でとても際だち、長い睫毛を控えめに伏せてもその瞳の強い印象は消えなかった。
唇は下唇が少し厚目で小さかった。
が、どこか人を突き離すような感じを受けた。
肩はば。立ち姿の全てがバランスが良く、男の癖に腰が細く、なよやかな印象を受けるが隙が無くて、じっと見つめられる目に慣れている様子で、見つめる視線を跳ね除ける冷たさがあった。
シェイルは庭でたむろう一同を見回し、ディングレーとアイリスに頷き、チビ達を見つめる。
一番大柄で落ち着いた様子のテテュスに
「前に一度会ってるが、覚えてるか?」
と素っ気なく声をかけた。
テテュスが無邪気に微笑んで頷くので、彼の無表情は途端にほぐれる。
やって来てテテュスの頭に手を乗せ、
「お前、本当にアイリスの息子に思えないよな」
と言い、ディングレーに見つめられてアイリスは思わず、顔を下げた。
テテュスはあどけない表情で訊ねる。
「どうして?」
シェイルは彼に少し屈んで、微笑んだ。
「アイリスは自分に他人を踏み込ませない。
自分から他人に寄っていく可愛くない男だが、お前は素直に受け容れる。
とても感じ良く。
みんなが思わず好きになるタイプだ。
…だけど、人が良いから変な奴に利用されないようにしないとな」
アイリスもディングレーも、ローフィスから事情をしっかり聞いてるな。と感じた。
テテュスはシェイルを見つめた。
微笑むとさらにその綺麗な印象が強まる。
どこか、ファントレイユを連想させた。
人間離れして、中性的な感じが。
だが彼が振り向いたり、その腕を上げたりする時独特の間があって、舞踏のように優美で、とても魅力的に瞳に映った。
軽快に腕を振るい、肩や腰の軽い印象のローフィスとは対照的に見える。
シェイルはレイファスに振り向くと、その呆然と自分に見とれる表情を見、途端に眉をしかめた。
「…お前、人の事眺めてられる場合か?
お前の方が、よっぽどだぞ?」
そう、呆れたようにつぶやく。
言われてレイファスは肩をすくめる。
「女の子にしか、見えないから?」
シェイルは頷いた。
だがレイファスはその、強い印象を放つ透明な明るいエメラルド色の彼の瞳に視線が吸い付いて、つい訊ねてしまった。
「それ、本物?」
シェイルはため息を、付いた。
「宝石を目に入れて、役に立つと思うか?」
レイファスは言いたい事を察する彼に、馬鹿な事を言ったと解って顔を下げ、頷いた。
「…そうだね」
ファントレイユはシェイルを呆けたように見つめていたが、振り向かれ、彼が自分に良く似た境遇の子供を見つけたと言うように、同情を寄せる視線に気づくと、そっと俯いた。
アイリスが、子供達に告げる。
「短剣と長剣を使いこなす名手だから、その戦い方を教えて貰いなさい」
シェイルはアイリスに振り向いた。
「俺はレイファスを鍛えろと、ローフィスに言われてるぞ?」
レイファスは、嬉しそうに微笑み弾んだ声で尋ねる。
「個人教授だね?」
テテュスとファントレイユが顔を見交わした。
その二人の様子を見、シェイルがぼそりと告げる。
「後でローランデが、都合を付けてやって来る。
ディアヴォロスがさりげ無く、こちらに出向いて来てる彼を見つけて声を掛けてた。
アイリスの為に、時間を作ってやれと」
ディングレーの眉が寄る。
「ローランデに声を掛けたのか?
だってあいつ、もうとっくに北領地[シェンダー・ラーデン]の地方護衛連隊長だろう?
第一、こっちに来てるなら…」
アイリスも思い切り顔を下げ、つぶやく。
「…ギュンターが、離れない……」
シェイルは肩を、すくめた。
俺の、知った事じゃないと。
アイリスは、今は離ればなれで一緒に居る時間を一時も惜しむギュンターに、それは恨まれるな。と肩を落とした。
普段は全然忘れているようなのに、先日城下に出向いた時、ギュンターがその金髪と長身、そして相変わらず目立つ美貌で人気の無い場所にずっと、立ちすくむのを見つけて声を掛けた。
彼はそっけ無く、人を待ってる。と告げ、話をしてる間もそれは気もそぞろの様子で、いつも相変わらずモテモテの彼にこんなに気を持たせる相手は誰だろうと興味を引かれ、ついアイリスは相手が来る迄その場に居座った。
その、地方に続く街道の裏道からローランデが馬上に姿を現す。
それを瞳に、ギュンターは剣の柄に手を掛け身を揺すったから、旧友に挨拶するのかと思ったが、ローランデがギュンターを見つけて馬を寄せ、降りて来るなりいきなりギュンターは彼を捕まえて抱きしめ、熱烈に口づけたりしたのでアイリスはつい口を、あんぐり開けた。
確かに教練時代付き合っていたのは知っていた。
当時は教練一の剣士で誰からも尊敬を集め、だが誠実な性格で恋愛事情にはそれな初なローランデに、教練一の遊び人が手を出したと、非難轟々だった。
…だがローランデがその後近衛に進みギュンターと更に恋人のように付き合ってるのを見て呆れたが、彼は二年を近衛で過ごした後、自分の領地である北領地[シェンダー・ラーデン]の護衛連隊長を務める為故郷に戻って、二人は切れた筈、だった。
ギュンターは睨む様子も見せずローランデに夢中だったが、本音は間違いなくアイリスは邪魔者で、疎んじたのは確かで、彼の姿を見つけ挨拶がしたそうなローランデに気づきはしたが、ギュンターは抱くその腕から、その再会の口づけからもローランデを放さなかったので、とうとうアイリスはこっそりその場を逃げ出した。
ディアヴォロスの采配にそれは、アイリスは困った。
ますますギュンターの恨みを買う事は必至だった。
頭を抱えるアイリスを見てもシェイルは知らんぷりで、ディングレーがとうとう見かねてアイリスの様子に視線振り、シェイルに言い諭す。
「…テテュスは可愛げの無いアイリスの見せる、たった一つの弱味で、息子と居る彼は普段を連想させず、それは可愛らしいぞ」
子供達はシェイルを見たが、彼は醒めたもので
それが?と、肩をすくめ、ディングレーのしつこい視線に仕方無さそうに、ぶっきら棒につぶやいた。
「ギュンターは俺が何とかしてやる」
ディングレーは頷き、アイリスを見た。
「…私はテテュスの側に居たいのに…彼なんか来たらずっとシェイルの後ろに隠れてなきゃ、ならないじゃないか」
子供達は、どう見てもアイリスの方が背が高くて体格が立派だから、アイリスより細身で頭二つ背の低いシェイルの後ろに、どう頑張って隠れても、はみ出すのに。
と、心の中で思い、顔を見交わし合った。
シェイルはその一年年下で近衛時代、“神経がどこにも無い大物"と呼ばれたチャーミングで人を喰った笑顔を絶やさず、どんな状況下でもそれは優雅に切り抜けてしまう、右、左将軍のお気に入りの若者、アイリスの情けない様子にとうとう怒鳴った。
「ギュンターの恨みを買ったって、それが何だ?
大体、あいつがいなけれゃローランデはちゃんと北領地[シェンダー・ラーデン]で相手を見つけるさ!
大概、諦めろと俺がギュンターに言ってやる!」
ローランデの大親友のシェイルのその強気に、アイリスはつい、身が震った。
ディングレーに寄るとこっそり、ささやく。
「ギュンターがシェイル相手に殴りかかったりしたら、君が押さえてくれないか?」
ディングレーは、顔は大層の美貌だが長身で、中味が野獣の暴れん坊のギュンターを任され、まじまじとアイリスを見返す。
ギュンターは確かに、ディングレーと同級だった。
が、ギュンターは三年からの編入で、一年の頃からその身分と押し出しと剣の腕でいつの間にか学年一の地位に居たディングレーにとって、確かに目立つ男が入ってきたなという印象はあった。
素晴らしい美貌の容姿を裏切って喧嘩の大層強いギュンターと彼とが、学年一を争い対決する様子を、周囲は秘かに想定していたようだが、ギュンターは彼の一つ年上の兄、グーデンの、敵だった。
ディングレーの兄グーデンは、王族の血を引く大貴族の身分とその美貌に自惚れていて、かなり卑怯な手を使って自分の言いなりになる人間をそれは増やすロクデナシだったし、同様の悪行を平気でこなし、悪い遊びが大好きな身分の高い乱暴者の取り巻きを引き連れた教練の一大派閥で、同級の実力者、オーガスタスと敵対していた。
ギュンターは目立ったし、その美貌と男ぶりを争って対決をしたのは兄グーデンの方で、ギュンターの方も平気で、グーデンからギュンターに乗り代えようとする愛玩扱いされていた少年達を受け容れたり、グーデンの目の仇の敵対勢力のオーガスタスとつるんだりするので、グーデンと完全に対立した。
ディングレーは自分の兄が最悪に嫌いだったから、周囲の想定を裏切って、ギュンターには同情的だった。
ギュンターも、例え敵の弟だろうが戦意の無いディングレーにつっかかって行く程馬鹿じゃなかったから、その後近衛でも二人は顔を合わせると
「よぉ…!」
と声を掛け合う仲だった。
「…だが仲良しって訳じゃないぞ」
アイリスが、その押し出しと迫力はギュンターに負けないだろう?という視線を、尚もディングレーに向けたりするから、ディングレーはアイリスに詰め寄った。
「恋に狂った野獣を相手にするのは、いくら俺だって嫌だ」
懇願の視線をディングレーに向けても、頑として受け容れてもらえず、アイリスは途方に暮れたようにため息を付いた。
ファントレイユとテテュスは彼らの様子に、顔を見合わせる。
レイファスが、訊ねた。
「ローランデって、どんな騎士?」
シェイルがそのチビに気づいて、振り向く。
「…ああ…。立派な剣士だ。
体は大きいとはいえないが、剣捌きも戦う戦意も卓越していて、彼は在学中教練一の剣士だったし、近衛でも腕の立つ剣士といえば彼の名が、上がる程有名だった」
「だった?」
ファントレイユが訊ねると、シェイルは彼に微笑む。
「今は北領地[シェンダー・ラーデン]の地方護衛連隊長だからな」
「じゃ…。北領地[シェンダー・ラーデン]の大公の子息なんですか?」
テテュスに訊ねられシェイルはますます微笑む。
「上品な姿にダマされると、痛い目に合うぞ」
レイファスが肩をすくめた。
「だって地方護衛連隊長って、西領地[シャノスゲイン]以外は凄く野蛮なんでしょう?」
「…ローランデは珍しく、品がいい」
三人は、そうなんだ。と頷いた。
その日の昼食後、レイファスはシェイルに夢中だった。
今迄ローフィスに短剣の使い方を学んでいたが、シェイルは短剣と長剣の組み合わせを教えてくれたからだった。
レイファスはゼイブンが、最初に短剣を投げて相手の気をそらし、間髪入れずに斬り込んだのを目の当たりにしていたから、シェイルにその使い方を聞き、かなり興奮していた。
シェイル自身は二本の剣を使い、実際自分に短剣を投げろと言い、レイファスの投げた短剣を剣で、はたき落としてみせながら
「もっと心臓をちゃんと狙え!」
と怒鳴る。
アイリスとディングレーはテテュスとファントレイユの相手をしていたが、その迫力に呆れた。
アイリスはテテュスの剣を受け、彼が驚く程カンが良く、剣を握ると静かな気迫さえ見せながらも冷静で、そして…時々びっくりするような場所に剣を入れてくる、その才能に感嘆した。
アイリスは勿論本気を出さなかったが、相手にとってはとても避けにくい隙を付くのが、テテュスは上手かった。
それに彼はそれを意識していない。
つまり相手に読まれにくいのが特徴で、大抵びっくりする場所から剣が飛び、それに気を取られると急所を的確に狙ってくる。
「…私の、負けだ」
アイリスが笑顔でそう言うが、テテュスは不満そうだった。
が、剣を下げて彼の側に寄る。
色白の頬が染まり、でも自分と同じ色の、けれどうんと澄んできらきらした素直な濃紺の瞳が自分を見上げてくるのにアイリスはうっとりした。
あんまり可愛らしくて、ファントレイユやレイファスに少しも劣らぬ綺麗な子供だと思った。
が、テテュスは真っ直ぐ、言った。
「僕が、息子だから手加減していますか?」
父親としてでなく剣の講師に告げる口調で、アイリスは微笑んだ。
「…父親じゃなくても、あんまり君が強くてびっくりしている」
テテュスは少し、厳しい表情で俯く。
「…でも貴方は本気で相手をしてくれない」
アイリスは彼にそっと、顔を寄せてささやいた。
「…でも、どうしても体格差がある。
それは無視出来ない」
テテュスはだが顔を上げてきっぱり、言う。
「じゃあもし、僕がとても危険な場所へ行って、大人に囲まれた時相手は遠慮して、くれますか?」
アイリスはその時テテュスが、綺麗ないとこ達を自分が、危険から護る責任を感じている事に気づいた。
「ここは都に近いからとても警護がいいけれど、地方はそうはいかないでしょう?
そういう地方に住む騎士の子供は、大人相手でも互角に戦う者が居ると聞きました」
アイリスはテテュスが、より過酷な条件で自分を鍛えたいと、熱烈に希望するその心が、アリルサーシャを護れなかった自分を罰するように感じて、少し悲しかった。
が、言った。
「…時間を作って君と旅行しよう。
ローフィスはそうして自分を鍛えて来た。
君もそれを聞いてそうしたいと、思ってるんだろう?」
テテュスは頷いた。
「貴方もそうだと、聞きました」
アイリスは先を急ぐ彼が、死に急ぐような不安を覚えて囁く。
「テテュス。でも私が旅に出始めたのは、8つには成っていた。
君はまだ、六つになったばかりだろう?」
テテュスは一瞬、自分の熱意を押しとどめられて、眉を寄せて顔を揺すった。
カン…!
ファントレイユがディングレーの剣を激しく、弾く。
ファントレイユはこの所、気迫が剣に宿るような迫力を見せ始めた。
同い年のテテュスと相手をしている内に、どんどん彼に習ってその鋭さを増していく。
ディングレーがその鋭い突きに顔をしかめ、小さな相手にやりにくそうな表情を見せる。
テテュスは微笑んだ。
「アイリスから見てもファントレイユは、素晴らしい剣士でしょう?」
だが、もっと優れた資質を持つ本人のその笑顔に、アイリスは微笑んだ。
「剣士としての資質は間違いなく君が、優れている」
テテュスは一瞬、表情を強ばらせた。
ファントレイユより優れている、と告げたのに、彼は喜ぶ様子を見せない。
アイリスはそんな奢りの無い彼を誇りに思って、そっと告げた。
「…だが騎士は剣の資質だけじゃない。
色々な戦い方があるから、君の資質が優れていても、相手によっては負けてしまう事もある」
テテュスは、微笑んだ。
「じゃあ、ファントレイユは僕を負かす事も出来る」
アイリスはそっと言った。
「君がファントレイユ相手に決して真剣に斬りかかれなければもうそれで、負けだよ」
テテュスは輝くような笑顔を見せた。
「その通りですね」
アイリスはその言葉遣いについ、悲しげに言った。
「…もう、父親に戻りたいんだけど」
テテュスはむくれてつぶやく。
「もう、お終いにするんですか?」
アイリスは笑った。
「今日はね。だってもう、お茶の時間だ」
盆を持った召使いがお茶とお菓子を運んで来るのを目で促すと、テテュスは恨めしそうにそれを、見た。
アイリスとテテュスが外庭のテーブルと椅子に付くのを見、ディングレーが鋭く斬りつけて来るファントレイユに怒鳴った。
「ファントレイユ!もう、休憩だ!」
ファントレイユは夢中で、聞こえてる風じゃなくてとうとう、ディングレーが思い切り、ファントレイユの剣をはたき落とした。
ファントレイユは手から剣を弾き飛ばされ、はあはあと肩で息をしていたがそのブルー・グレーの瞳に今だ気迫が残り、普段お行儀の良い人形のような様とは激変していた。
きっと睨む顔はとても男の子らしく、彼が今までどれだけ鬱積していたか、物語るようだった。
ファントレイユは手を差し伸べて迎えるディングレーに向かうと、ディングレーは彼の小柄な肩を抱き、言った。
「…たいしたもんだ」
ファントレイユは顔を、上げる。
「それ、貴方に勝った時に聞きたい言葉だ」
ディングレーが、ファントレイユを見下ろす。
「…俺に勝つ気でいるのか?ならとっくだ。
お前相手に本気で剣が、振るえるか?」
ファントレイユはぶすったれた。
「…そういうのは、勝ったって言わない!」
ディングレーはつい、笑った。
アイリスとテテュスを見つめ、その横の椅子に掛けるとアイリスはディングレーに囁く。
「ディアヴォロスが、ローランデを寄越す理由が解った」
ディングレーは隣のアイリスを見つめ、肩をすくめた。
「ローランデなら容赦しないだろうな」
アイリスも、同感だ。と頷いた。
だがレイファスとシェイルは熾烈を、極めた。
レイファスが投げる短剣はどんどん素早くシェイルに向かうのに、シェイルは簡単に剣を弾き、やれやれとため息混じりに挑発する。
「…今のが本気か?投げる甲斐も無いぞ!
もっと真剣に投げろ!
だいたい、同じ場所に投げてどうする。
もっと散らせ!
注意をそらす事すら出来ないぞ!」
テテュスとファントレイユは二人共、シェイルのその厳しさに、いいな。と見つめる。
アイリスとディングレーは、揃って顔を見合わせた。
だがレイファスはどうしても、シェイルの言う程真剣には投げられなかった。
ヘタをすればシェイルが怪我をすると思って。
カン…!
軽く、レイファスの短剣を弾き飛ばし、シェイルは怒鳴った。
「俺がこんなへなちょこの短剣で怪我すると、本気で思ってんのか?
舐めてるのも大概にしろよ!」
レイファスは一息付くと、また短剣を振り投げた。
真っ直ぐ肩に向かい、シェイルはうっとりする程綺麗な顔で微笑むと、それをやはり軽くはたき落として、言った。
「…まあまあだ。
だが俺が軽く避けれるくらいだ。
大した事は無いが、少し休もう」
レイファスは、ぐったりとした。
どれだけ投げてもシェイルは全部余裕ではたき落とし、少し落ち着いて攻略法を考えたかった。
シェイルは椅子に付くレイファスに振り向き、呻く。
「お前、俺の姿が綺麗だとか思って馬鹿にしてやしないか?」
レイファスは睨んだ。
「見とれてる暇なんかあるか!
そんな隙も与えない癖に…!」
シェイルは疲れ切るレイファスの頭をぐりぐりなぜると
「いい子だ」
と、笑った。
テテュスもファントレイユも、姿はとても綺麗な青年なのにもの凄く気の強そうなシェイルを、呆けたように見つめた。
シェイルはその視線に気づき、お茶のカップを口に運びながらぼやく。
「…言葉使いが悪いのは兄貴の教育が悪いせいだから、文句はローフィスに言ってくれ」
ディングレーが、呆れて肩すくめ、テテュスとファントレイユは、それを聞いて顔を見合わせた。
お茶の後、子供達は大抵農家の子達と遊びに出かけたのに、その日レイファスは彼らの誘いを断った。
テテュスとファントレイユはアイリスとディングレーを見つめたが、アイリスは一緒に遊びに行くつもりはあったが剣の講義を続ける気が無く、テテュスは仕方なく、ファントレイユと一緒にアイリスを連れて、遊びに出かけた。
ディングレーはますます厳しくするシェイルに、呆れてまだお茶を楽しんでいた。
が、その時だった。
領地に馬が三騎なだれ込み、ディングレーが顔を上げると見慣れた顔を見つけた。
「…オーガスタス!」
三騎の中でも先頭に居た、一番体格の良い、赤みがかった栗毛を奔放に靡かせた男が、その呼びかけに笑った。
ディングレーは納得がいった。
ディアヴォロスはローランデに声を掛け、ギュンターが離れないと知っていて、オーガスタスをその見張りに付けて寄越したのだった。
オーガスタスはディアヴォロスが一番の信頼を寄せる部下で、ローフィスの親友。
ディングレーからしたら一級上で直接の交流は無かったが、尊敬するディアヴォロスが彼を認め、更にローフィスも彼と親しかったから、ローフィスを挟んで、彼と一緒に成る機会は多かった。
大柄で誰からも好かれるライオンのような風格の、赤味を帯びた栗毛と鳶色の瞳をした気のいい男で、親しみやすい笑顔の度量の広い、ギュンターの悪友だった。
彼の兄グーデンは弟が自分の仇達と仲間しているのが気に入らない様子だったが、ディングレーの構った事じゃ無かった。
案の定、微笑む気品ある端正なローランデの少し後ろで、表情には微塵も出さないが機嫌の悪そうな金髪の美丈夫、ギュンターの姿が目についた。
シェイルが三人の到着に、つぶやいた。
「早かっ…」
途端に短剣が顔を掠め、シェイルは避けた。
レイファスは一瞬怒鳴られるかと思い、手が滑ったと言い訳を用意して縮こまった。
シェイルは睨み付けて言い放った。
「…隙を付いても、この程度か」
レイファスは肩の力が抜けたが、睨み返した。
ディングレーは、親友を迎えレイファスに背を向けるシェイルの、その背中に思い切り舌を突き出すレイファスを見てしまい、今飲み込んだお茶を吹き出しそうになった。
「楽しそうだな!」
その様子をしっかり見た、ライオンの鬣のような少し赤味のある栗色の長髪を幅広の肩の上で揺らすオーガスタスが言い、笑顔でテーブルに寄る。
何とかお茶を飲み込んだディングレーが、その大柄な男を見上げ睨む。
オーガスタスは睨まれて、親しみのある鳶色の瞳を細め、全開で笑った。
「…シェイル!」
ローランデに微笑まれ、シェイルも笑って彼を出迎える。
「君の見るチビどもは、遊びに出かけてるぜ!」
「…アイリスも居ないのか?」
ギュンターが彼の後ろから、その長身の金髪を揺らして憮然と告げ、シェイルは早速彼に、喧嘩を売る。
「…お前は余計だと、あいつも思ってるぜ!」
レイファスはその、長身で金髪の、美貌の青年の男らしさについ、見とれた。
隙が無く、しなやかで格好いい。
それに大柄な騎士は、太陽のような笑顔で幅広の肩を揺らし、いかにもその姿通りの大物に見えたし、その中で話題の剣士『ローランデ』はシェイルよりほんの少し背が高いだけで、濃い栗毛に明るい栗毛が幾筋も混じる独特の色をした髪を長く肩に背に垂らし、澄んだ青い瞳をした、とても端正で品のいい騎士で、大人しくすら見えた。
レイファスにまじまじと見つめられ、ローランデは微笑んだ。
「初めまして。君は…それで、テテュスの妹?
アイリスに、とても面差しが似ている」
ディングレーが顔を下げ、シェイルは肩をすくめた。
「俺の、生徒で男だ」
ローランデは頬を染めて心から間違いを、丁寧に謝罪したものだから、レイファスは彼の事がうんと好きになった。
「失礼。あんまり可愛らしいものだから」
レイファスににっこり笑われ、ローランデは嬉しそうに謝罪が受け容れられてほっとした様子を見せた。
「どう見ても女の子にみえるから、間違えても仕方無いだろう?」
ギュンターがぶっきら棒に言い、シェイルが突っかかった。
「…本人の気持ちも少しは考えろ!」
オーガスタスが、親しみやすい笑顔をレイファスに向けるとささやいた。
「ローランデが微笑みかける相手は君みたいな子供でも、ギュンターは焼き餅を焼く。
大人なげ無い男だから無視してくれて、いい」
レイファスは目を、丸くした。
「たったあれだけで?焼き餅を焼くの?
…じゃあ、いつも彼から三人分くらい離れてなきゃ、駄目?」
ローランデは頬を染めてレイファスを見つめ、皆は一斉にくすくす笑ってギュンターを見た。
が、ギュンターはその通りだと、大まじめで頷いた。
「いい心がけだ」
ディングレーが唸った。
「ギュンター。子供の冗談を真に受けるな」
だがギュンターはレイファスを真っ直ぐみつめると
「冗談にしない方が、いいぞ」
と言い、ローランデに睨まれた。
「…ギュンター。いい加減にしてくれ」
ギュンターは腕組みすると、そっぽ向く。
レイファスがつい、つぶやいた。
「…もの凄く、彼にイカれてるんだ」
この、女の子に見える大層品の良さそうな可憐なレイファスにその言葉に、皆が驚いて彼を凝視する中、ギュンターだけは頷いて言った。
「…だろう?」
レイファスは、対等な口をきくギュンターに、呆けたようにつぶやく。
「隠したり、大人の体裁を構ったり、する余裕も無い所はカレアスみたいだ」
シェイルが訊ねる。
「カレアス?」
ディングレーが俯いた。
「妻にぞっこん惚れていて、いつ彼女の気が変わって離婚されるかはらはらしてる、気の小さい彼の父親だ」
がギュンターは憮然と言った。
「本気で惚れりゃ、そうなるさ」
シェイルが頬杖ついて目を見開く。
「お前でも、いつ振られるかはらはらしてるってのか?」
ギュンターは彼に振り向き、唸る。
「はらはらしてるだろう?」
オーガスタスもディングレーも肩をすくめた。
「全くそう、見えない」
シェイルが言うと、そうか?とギュンターも肩をすくめる。
レイファスは隠す様子の無いギュンターにでも、何だか好感が持てた。
「でもあれでアリシャはかなりカレアスの事が好きだし。
ギュンターはそんなにいい男だから、振られたりしないよ」
ギュンターはそう慰める六歳に成ったばかりの子供に、ため息を、付いた。
「…だといいがな」
と、ローランデを見るが、ローランデはかんかんだった。
「子供相手に愚痴るな!
恥ずかしいと思わないのか?!」
ギュンターは怒鳴られてレイファスを見、そっ、と伺うように訊ねる。
「どうだ?見込みありそうか?」
レイファスはそんな彼の様子に、つい笑った。
「結構、ありそう」
ギュンターはその素晴らしい美貌でやっと微笑み、ローランデは真っ赤になってとうとう怒鳴った。
「相談、するな!」
オーガスタスとディングレーは顔を見合わせた。
シェイルが頬杖付いたまま、ふてくされて言う。
「…どうしてギュンターは女と子供に、受けがいいんだ?
外見はともかく、中味は野獣なのに」
オーガスタスはその言葉に笑った。
「野獣が牙を剥くのは、敵だけだからな」
レイファスが、小声でそっと訊ねる。
「ギュンターは野獣なの?」
シェイルが振り向き素っ気無く言葉を返す。
「売られた喧嘩は全部買うし、負けん気が強いったら無いから、そう呼ばれてる」
レイファスはギュンターを、見た。
とてもしなやかで、優美にすら見える。
「とっても、強いんだ」
レイファスのその囁きに、ギュンターは微笑んだ。
「引けなきゃ、強くなるしか無いだろう?」
レイファスはその時ギュンターがどうして強いのかが解った。
どこか、テテュスを思い出させた。
決して引けない戦いに全力を尽くす所が。
「手抜き、したいとか思わないの?」
ギュンターは肩をすくめた。
「手抜きすると失うからな」
ディングレーが顔を、揺らす。
シェイルは片眉釣り上げてギュンターに振り向く。
「やっぱり、気が小さいじゃないか。失うのが怖いんだ」
ギュンターは唸った。
「それは最悪だろう?失って意味があるなんて俺は思わない」
レイファスは、そんなギュンターに囁いた。
「…きっと、テテュスと話が合うよ」
オーガスタスがそれを聞いて問う。
「アイリスの息子か?」
ディングレーは思い切り、眉間を寄せた。
「レイファス。テテュスは可愛いがギュンターは可愛くないぞ?」
レイファスは顔を、上げた。
「でも考えは同じだ。
無くしたくなくて、全力を尽くすところが。
その為には自分も、省みたりはしないんだ」
レイファスの言葉に、ローランデはギュンターもそうだ。と言わんばかりに彼を、そっと、見た。