83話 女の戦い
スマホにメールが届いた。
相手は新田母からだった。
「新田さん」
返事がない。
ただの屍、ではなく、ゲームに夢中で俺の声が聞こえてないようだ。
みーちゃんの耳が一瞬、ぴくっと反応したが、自分に関係ないとわかってか、こっちを見向きもしない。
パソコンデータの移行作業(コレクション除く)が終わった後、新田さんとみーちゃんは昨日のゲームを始めた。
ネットで彼氏がゲームに夢中で相手してくれない、というような話を読んだことがある。
その時は、「そりゃ、お前に魅力がないからだろ」なんて嫉妬混じりに思ったものだが、実際、自分がその立場になると結構キツいぞ、おいっ!
過激な奴はゲーム機を破壊した、なんてのがあったが、これは買ったばかりのパソコンで、結構金がかかってる。俺にその選択肢はなかった。
俺は一人暇を持て余し、ベッドに転がってスマホでサイトを見ているときに新田母からメールが来たわけだ。
「新田さん」
「……」
うむ?
……もしや聞こえてない振りをしてるんじゃないか?
武術の達人である新田さんがゲームに夢中で俺の声に気づかない、なんてのはおかしいだろ?
……実は俺を誘ってるとか?
今、家にいるのは俺たちだけだ。
エッチするには絶好のチャンスじゃないか!
俺が背後から新田さんにイタズラして、いちゃつきながらベッドイン。
これかっ!これを待ってるんだな!
……いや、もう少し慎重に考えてみよう。
ゲームが楽しくて俺を無視している可能性もある。
って、悔しいがこっちの可能性の方が高くないか?
なんかムカついてきたぞ。
俺の大事なコレクションを抹消したこともあるしな!
よし、もう一度だけ呼んでみるか。
それでダメならイタズラ開始だ!
「新田さん」
「聞こえてるわよ!今いいトコなの!ちょっと待って!」
「だったら最初からそう言えよ!」
とは言わない。
優しい俺は“いいトコ”とやらが終わるまで待つことにした。
別に今の言葉にイライラが込められていたからとか、怒った新田さんが恐いとか、怒りに任せて俺のコレクションの入ったUSBメモリをぶち壊す暴挙に出ることを恐れたわけじゃないぞ!
……イタズラしないでよかったぜ。
「……で、なに?」
「俺んとこにお母さんからメールが届いたんだけど」
「また私に料理を作らせようとしてるの?お昼ご飯とか」
「いや、それは半分諦めて、じゃなくて新田さんのお母さんからだよ」
「何ですって⁉︎」
「もしかして家に連絡してなかっ……」
「半分諦めてるってどう言う意味?」
「え?そっち?」
「……」
「あ、いや、だって、なかなか上手くならないって母さんが愚痴って、って、こっちは俺の母さんな」
以前、俺は新田さんは天才だと言ったが、料理は例外だ。新田母があんだけ料理上手なのに謎だ。
「やる気が出ないだけよ。私が本気を出せば楽勝よ」
「本気出せよ!腹壊したらどうするんだよ⁉︎特に妹が!」
「免疫をつけないと」
「変な言い訳すんなよ!って、そうじゃなくってだな、新田さんのお母さんが新田さんを連れてきてくれってさ」
「……行かない」
「おや……お父さんも心配して会社休んでるって言ってたぜ」
考えてみれば、あのおやじが連絡してこないって変だよな?
毎日脅迫メールや脅迫電話をかけてきてもおかしくない。……まさかうちのそばに潜んで俺を殺る機会を狙ってるじゃないだろうな?
俺はそっと外の様子を窺うが、見える範囲には新田おやじの姿はない。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。ともかく、一度家に帰ろうぜ」
「だから嫌だって」
「新田さん」
「迷惑なら出て行くけど」
「そんなこと言ってないだろ。いつまででもいていいぜ。親は反対してないし、というか、母さんなんか『家にいるうちに籍入れなさい』なんて言ってたくらいだし。まあ、それは冗談だと思うけどな」
「……」
「ともかく、一度ちゃんと話してそれでも嫌だったらまた家に来ればいい」
「……進藤君も来るのよね?」
「ああ、連れて来てくれ、って書いてあるしな」
それに一人にすると逃亡しかねんし。
「……わかったわ」
「じゃあ、行くって返事するぞ」
「ええ」
「みゃっ」
「あ、ごめんね、みーちゃん。再開よ」
「みゃ」
「……まだやるんだ?」
「これからボス戦なのよ!」
「……そうですか。頑張ってくれ」
俺と新田さんは夕方七時前に新田さんのマンションに到着した。
新田おやじはまだ帰宅していなかった。ちょっと遅れるらしい。
前もそうだったが、おやじは会社休んでんじゃなかったのか?
新田さんと新田母は一度目を合わしただけで一回も言葉を交わしていない。
新田母はいつもの笑顔を崩していないが、流石に表情通り受け取ることはできない。
あー、居心地悪い。
俺はさっさと帰りたかったのだが、おやじが俺に話があるらしい。
……話だけで済めばいいけどな。
まあ、その事がなくてもこんな険悪な雰囲気の二人を置いて帰れねえよな。
何せ二人とも武術の達人というだけでなく、ラグナなんていう特殊な力を持ってるんだからな。
喧嘩を始めたらこのマンションを破壊しかねん。
「進藤君」
「あ、はい」
「また娘を助けてくれてありがとうございます」
そう言って深々と頭を下げる新田母。
「あ、いえ、やめてください!俺も新田さんには助けられましたから」
「そうよ」
「いえ、この子のせいでまた死にかけたと聞きました」
「それはお母さんが私の、……病気の事隠してたからじゃない!」
「母さん……お祖母様からラグナの使用回数を守るように厳命されていたでしょ?それを破ったのはあなたよ」
「そうしなきゃ、死んでたわよ!その場にいなかった人にどうこう言われたくないわ!」
その言葉で、新田母から表情が、すっと消えた。それは初めて見る表情で、恐ろしくも美しかった。
「何見惚れてるの?」
その冷たい声でハッと我に帰り新田さんを見ると俺を睨んでいた。
流石親子、新田さんの怒った顔も母に劣らず美しい。
「進藤君、今度は娘に見惚れてるの?」
「え?あ、あ、その、二人はやっぱり親子なんだって、って俺は何を言ってんだ?」
「別に私に見惚れるのはおかしくないでしょ!私に惚れてるんだし、なんと言っても誰かと違って若いんだし!」
「若い、だけですけどね」
「ちょっと若作りだからってチヤホヤされて喜んでんじゃないわよ!」
「褒められて喜ぶのはおかしくないでしょ?自分の幼稚さをそろそろ自覚しなさい」
お互いに罵詈雑言を浴びせ始める。
新田さんが感情むき出しで母親に食ってかかる姿を見るととてもムーンシーカーとは思えない。
と、突然、新田母が俺に声をかけてきた。
「進藤君」
「え?あ、はい」
「私、来年早々にはおばあちゃんになってしまうのかしら?」
俺をジッと見る新田母。
「え、えーと、その、可能性はある、かな、あはは……」
「進藤君!」
「あ、悪い、でもさ……」
「そういう関係なのね。大丈夫ですよ。私は反対しませんから」
「あ、ありがとうございます」
それはつまり俺達が付き合う事、結婚することになっても反対しないってことでいいんだよな?
「べ、別に母さんの許可なんか必要ないから!それにね!気にしなくてももうすでにババアよ!」
「進藤君、私、そんなに老けて見えるかしら?」
「いえ、全然!とても大学生のお子さんがいるとは思えないです!」
「あらあら」
「進藤君!なんでそんなババアの肩持つのよっ⁉︎」
「ええっ⁉︎いや、別に肩を持ったわけじゃ……」
「そうよ、進藤君はただ正直に答えただけでしょう?」
「何が“正直に“よ!そんなこと聞かれて、『ええ、老けてますよ』なんて言う人いないわよ!ちょっ見た目がいいからって調子乗ってんじゃないわよ!」
「そっくりそのままお返しするわ。あなたがチヤホヤされるのは遺伝子のお陰よ。あなた自身の努力でもなんでもないわ」
「努力してますう!」
うわー、新田さん、めっちゃ子供っぽい反応だな。可愛いけど。
「あらあら、ゲームやアニメを見ることが、かしら?」
「い、いつのこと言ってるのよ!昔のことでしょ!」
「あらあら、そうだったかしら?」
「だ、大体遺伝子っていうならそっちもそうでしょ!」
「私は毎日欠かさず自分を鍛えていますよ」
「脳も筋肉になってるんじゃないの⁉︎」
……ダメだ。
何とか二人の緩衝材にと思ったがまったく役に立ってねえ。
って、いうか俺がいる事で喧嘩の材料増やしてねえか?
なんとかこの状況を打開するものはないのか!?
これがゲームならキーアイテムがどこかにあるはずなんだが、これは現実だ。そんな都合のいいものあるわけないよな……ん?
前回来た時に高級ウィスキーが置かれていた棚が目に入った。
そこにはまたウィスキーが置かれてはいたが、前のより一回り以上小さいし、銘柄も違う気がする。
「ふふふ、安物よ」
俺の視線に気づいたらしい新田母が何故か嬉しそうに説明する。
……もう二度と見るのはやめよう。おやじに同情してしまう。
っていうか、口喧嘩は終わったのか?
と、思ったのも矢先だ。
「いい気分か、クソガキ!」
あちゃー、見られてたよ。タイミング悪いときに帰ってくるぜ、このおやじ!
……いや、タイミング良すぎねえか?
と、おやじの足が微かに震えているのに気づいた。
……このおやじ、母娘ゲンカの途中に帰って来てたな!
で、あまりに恐ろしい光景を目にして、ドアの向こうで震えながら嵐が通り過ぎるの待ってやがったな!
なんて卑怯な奴なんだ!
俺がおやじの立場だったら同じことしてたけどなっ!
「あらあら、まずいところ見られたわねぇ」
新田母はそう言いつつも全然まずそうに見えない。
というか、新田母はスッキリしたような表情をしている。
いや、新田さんもか、お互い言いたいことを言ってスッキリしたってことなのか?
……あれで仲直りできたのか?
いつ殺し合い始めてもおかしくない状況に見えて、俺は内心ビクビクしてたのによ。
おやじはホッとした表情をしたのもつかの間、再び怒りの表情を俺に向ける。
「いいか!お前は一滴も飲まなかったとはいえ、お前が原因で俺の大切なウィスキーがなくなったことは間違いないんだ!」
「はあ……はい?」
今、おかしなこと言わなかったか、このおやじ。
「俺は一滴も飲んでないって?」
しん、と静まりかえる。
「じゃあ、誰が飲んだんだよ!」
俺が周りを見回と、「あらあら」と新田母が照れる。
「俺の酒だ!悪いか!いや、悪くない!」
と開き直るおやじ。
このやろう!
で、新田さんに目を向けると、うつむいた。
それは飲んだ、でいいんですね?せりすさん。
「なんだそりゃ、新田家で全部飲んだんじゃないか!俺もおかしいとは思ってたんだ!これじゃあ、俺が封切ったっていうのも怪しいぞ!」
間違いなく真犯人は他にいる!っていうかもう一人しか思い浮かばん。
「封切る必要なかったんじゃないですか?」
真犯人、新田母はいつもの笑みで罪悪感など微塵もなく答えた。
「あらあら、それじゃあ、この人の決断が無駄になってしまうじゃないの」
いやいや、新田母よ、あんた、おやじのいうことなど気にしなくていい、ってさらっと言ったよな?俺は覚えてるぞ!どっちにしろ、おやじの決断は無駄だったろう!
「俺のせいにすることはなかったんじゃないですか?」
「お前のせいだ!お前が俺のウィスキーを手にしなければ飲まれることはなかったんだ!」
「違うだろ!あんたが……」
「もう済んだことだし、進藤君も反省してるって言うんだからこの件はここでおしまい」
「いや、俺は反省なんて……」
「母さん、俺は納得して……」
俺とおやじはそれ以上言えなかった。
新田母の無言の笑み、プレッシャーに負けたのだ。
やはり恐るべし、新田母。
でも俺、ほんと反省してないぜ。俺は絶対悪くない!
「じゃあ、そろそろ本題に入りましょうか」
本題、そうここからが本題なんだ。
ウィスキーのことは納得いかないが今は忘れよう。




