56話 気づけば周りは敵ばかり
午後四時って……俺、何時間気を失ってたんだ?
昼御飯は十二時って言ってたよな。その時に気づいて助けてくれたとして、少なくとも四時間は気を失ってたってことだよな。
「あのじじい!マジで俺を殺す気だったんじゃねえのか⁉︎………ん?」
俺はテーブルの上の置き手紙に気づいた。
手紙には、
「お父さんが無茶してごめんなさい。今日の訓練は終了です。ゆっくり休んでください。昼御飯は母屋のキッチンにあります」
と綺麗な字で書かれていた。恐らく新田母だろう。
「そういや腹が減ったな」
あと二時間もすれば夕食のはずだが、俺は空腹に耐えられず、痛みを堪えて部屋を出た。
一階に降りると渡り廊下を通って母屋へ入る。
キッチンには先客がいた。ぱっと見、高校生くらいに見えた。
「あ、」
その少年は俺と目が合うと気まずそうな顔をしたが、俺はこの少年とは初対面のはずだった。
「……えーと、進藤さん、ですか?」
「ああ。俺、君とどこかで会ったことあったっけ?」
「いえ、初対面だと思います」
だよな。じゃあ、なんで俺の名を知ってるんだ?
「ご飯、食べに来たんですよね?」
「ああ」
そこで少年の目の前にある空になった皿に気づいた。
少年が済まなそうな顔をして、一枚の紙を俺に見せる。
その紙には『進藤君用』ととても綺麗な字で書かれていた。部屋の置き手紙と同じ人が書いたようだ。
「ホントすみません!あ、でも勝手に食べたわけじゃないんですよ。師範が食べていいって言ったんです」
「いや、いいよ。確かにこの時間まで放っておいたら食べないと思うだろうし」
「ホントすみません、俺、ちょっと忙しくて飯食う時間がなくって」
「いや、本当にいいよ」
髪を金髪に染めて見掛けはチャラそうに見えたが、中身はしっかりしてるみたいだ。
やっぱ、外見で判断したらダメだよな。
「あ、自己紹介がまだでしたね。俺、島陣ていいます。ここの門下生で今年、高三になります」
やっぱり高校生か。
最近、外見と年齢の一致しねえ奴ばっかり見てたから自信なかったんだよな。
「俺は進藤千歳。よろしくな。今年大学二年になる。今日からここで護身術を学んでいるんだ」
「知ってますよ。師範が珍しく真剣を使って剣術の稽古してましたから」
「……は?」
「よく生きてましたね。俺、絶対生きてる進藤さんには会えないって思ってましたよ」
……笑顔でとんでもないことを言うな、こいつ。
まあ、冗談だろうけどよ。
「流石にど素人の俺に武術の達人が真剣で斬りかかるなんてあり得ないぜ」
「そんなことないですよ。師範はせりすさんの事になると見境ないですから」
「……そうなのか?」
「ええ。師範はせりすさんの事をすごく可愛がってるんです。周りが引く程に。せりすさんが遊びに来るとそれまで機嫌が悪かったのにコロッと上機嫌になるんですよ」
「ほう」
「昔、俺が『せりすさんと結婚したいな』って師範の前で冗談半分で言ったんですよ。次の瞬間、腕折られました。あはは」
いや、そこ、笑うとこじゃないよな?
「あの時は大変だったなあ。一ヶ月ほどひたすら土下座して、二度と言いませんて誓約書を書いてやっと許してもらったんですよ。あ、思い出したらその時の傷が痛み出した」
……前言撤回。やっぱりこいつも変だ。
「だから、師範とこにもせりすさんのことで挨拶にやってくるって聞いたら時から進藤さんに興味があったんですよ。どんな命知らずだよ、って」
「なんだその話は?俺はそんな事しに来たんじゃないぞ。あくまで護身術を学びに来たんだ」
「じゃあ、ご挨拶はそのついでってことですか?ダメですよ、本当だったとしてもそんなこと師範の前で言ったら。あ、大丈夫です、俺、こう見えて口堅いんで。自分の命が懸からない限り黙ってます」
「それ、口堅いのか?って、いや、そうじゃないだろ。大体誰だよ、そんなおかしな事言い触らしてるのは?」
「せりすさんのお父さんですよ、えっと、ほらっ、名前覚えてませんけど」
ひでえ奴だな。
俺も知らんが。
あのおやじ、自分で外堀埋めてないか?
あのバカおやじとは一度きっちり話をする必要があるな。
……まだ生きてたらの話だがな。
「ともかく誤解だ。俺と新田さんはそこまでの仲じゃない」
「その"そこまで"をもっと詳しく」
「秘密だ」
「えー、そこをなんとか。俺と進藤さんの仲じゃないですか」
「出会って十分も経ってないと思うぞ」
「そんなの関係ないですよ。俺は会った瞬間、進藤さんとは親友になれる!って思いましたよ!」
嘘つけ!
「今、『島君には隙を見せるな』と俺の心が警告して来たぞ」
「そうなんですかぁ。おっかしいなぁ」
「……もっと面白くなると思ったのに」とボソリ呟くのを俺は聞き逃さなかった。
やはりこいつは油断できねえ!
「島君は新田さんが好きだったんだろ?俺が新田さんと付き合っても悔しくないのか?」
「俺、自分の命が大事なので。それに今は他に好きな人がいるんですよ。へへ」
「そうか」
「あ、聞きたいですか?」
「いや、別に」
「そうですか、残念だなあ」
他人の恋愛など興味ないし、交換条件に新田さんとの関係を話せと言われても面倒だしな。
「でもまあ、せりすさんのお父さんの話はデマなんでしょうね。本当に親しかったら下の名前で呼びますよね」
「そ、そうだろ」
うっ、
今の言葉、ちょっとぐさっときたぞ。
「周りに関係を気づかせないために人前だけ名字で呼んでるって可能性もありますけど」
「俺はそんなに器用じゃねえよ」
「そういうことにしときます。あ、そうだ!さっき冷蔵庫漁ったときヨーグルトが入ってたのを思い出しました。食べます?」
「あ、ああ」
いきなり話が飛んだな。
まあ、その方が俺もいいけど。
島は冷蔵庫を開けるとヨーグルトを二つ取り出し、片方を俺に渡した。そして棚からスプーンを取り出す。
勝手知ったる他人の家、って奴だな。
……いや、待てよ。
「もしかして、島君はここに住んでるのか?」
「違いますよ。あ、でも昔はよくあの離れに泊って特訓してました」
「なるほど」
だから詳しいのか。
島が美味そうにヨーグルトを食ってるのを見て俺も空腹だった事を思い出した。
俺のはブルーベリー味だった。
俺はヨーグルトの中でこのブルーベリー味が一番好きだ。因みに島はパイナップル味だった。島が俺の好みを知ってる訳がないからブルーベリー味を俺に渡したのは偶然だろう。
うん、やっぱりブルーベリーはうまいな。
「俺、何も知らずにここへ護身術を学びに来たんだが、スラ流っていうのは剣術もあるのか?」
「ええ。と言うか剣術が専門だって話があるくらいですよ」
「そうなのか」
「はい。スラ流は身を守る技より相手を打ち倒す技の方が圧倒的に多いんです。それも殺傷能力の高い技ばかりで、護身術とは対極に位置するんですよ。実際には剣術だけじゃなく、あらゆる武器の技が存在するらしいです。その中でもっとも多いのが剣術なんです」
「今は教えてないのか?」
「一般には、ですね。殺傷能力の高い技を誰彼構わず教えるわけにもいかないということで、何代か前の当主から護身術をメインに教えるようになったらしいです。殺傷能力の高い技はスラ家の血を引く者か、特別に認められた者だけに伝授されるみたいです」
「なるほどね」
「あ、あとスラ家の家系は代々女性ばかり生まれるらしいですよ」
「じゃあ師範は?」
「婿養子らしいです。因みに今の当主は師範の奥さんのあやめ様です」
「へえ。つまり新田さんのお祖母さんてことだな」
「そうです。俺は数回しか会ったことないんですけど、会ったら驚きますよ」
「年齢よりすごく若く見える、とか?」
「よくわかりましたね。あきらさんのお姉さんかと思いますよ」
「そりゃすごいな」
島はヨーグルトを食べ終わると去っていった。
そいうや、島は組織の人間なのだろうか?
俺がヨーグルトを食べ終わったとき、キッチンの入り口にじじい(師範)が立っていた。
こわっ、全く気配を感じなかったぞ。
じじいがヤル気だったら間違いなく終わってたな。
「……ふん、思ったよりしぶといな」
……それ、誉め言葉だよな?
じじいは冷蔵庫に向かった。
俺が空になったヨーグルトのカップをゴミ箱に捨てようとしたときだ。
「ない」
じじいがそうつぶやくのが聞こえた。
「わしが楽しみにとっておいたブルーベリーのヨーグルトがない」
「え?」
「……わしのヨーグルトを食ったのは誰じゃ?」
じじいは俺が今まさに捨てようとしていたヨーグルトのカップを睨みつけていた。
え?何これ?
……まさか、島!謀ったのか!島!
「何故食った?」
決して声は大きくないが、怒りが込められているのははっきり分かる。
「し……いや、まあその、そこにあった、から?」
島がくれたから、と思わず言いそうになったが、そんな言い訳しても更に怒りを買うだけだろう。
「つまり、わしの大好物をさっきの仕返しとばかりに食ったはいいが、退散する前に運悪くわしに見つかった、というわけじゃな」
「そんな事言ってねえだろ!大体じいさんの好物なんて知らねえよ!」
「まったく、なんと器の小さい奴じゃ!」
人の話聞けよ!被害妄想じじい!
「ヨーグルト一個でそんなに怒るほうがよっぽど器が小さいんじゃないか⁉︎」
「お前は『食い物の恨みは恐ろしい』という言葉を知らんようじゃな」
「知っとるわ!わかったよ、そんなに食いたいなら買って来てやるよ。それでいいだろ!」
「……貴様には武術を教える前に礼儀を教える必要があったようじゃな。目上のものに対する態度がなっとらん!ついでに存在自体が気に入らん‼︎」
「何がついでだ!結局はそれだろう!」
「確か、名誉防衛という法律があったはずじゃな。名誉を守るためには相手を殺してもいいという」
「ねえよ!いつの時代だ!っておい⁉︎」
じじいがゆっくりと俺に近づいて来る。
まずいぞ!このじじい、マジやばい!
助けてド……あきらさん!
「いい加減にしなさい」
そこへ現れた人物は新田母にそっくりだった。この人が島が言っていたあやめ様だろう。
彼女の姿をみるとじじいから殺気が消えた。
「わ、わしは何も悪くないぞ」
「……」
「小僧!今回はこれくらいで勘弁してやる!覚えてろ!」
じじいは小悪党がよく吐くセリフを残して逃げるようにキッチンから出て行った。
……今思ったが、澄羅の家系は女性が強いんだな。
「……ったく。進藤君、大丈夫?」
「ありがとうございました。助かりました」
「ごめんなさいね」
「いえいえ。あ、あやめ様ですよね。島君が言ってた通り本当にお若いですね」
「……」
あれ?
なんかあやめさんの俺を見る目が変わったような……。
「……そう、私、そんなに老けて見えるんだ」
「え?」
「私は澄羅楓。あきらの姉よ。せりすの伯母ってことになるわね」
「……へ?」
なんてこった!
褒めたつもりだったのに!
島!なんで新田母に姉がいること言わねえんだよ!
早とちりした俺も悪いが、島の話を聞いてなければこんな失敗はしなかったぞ!
……まさか、ヨーグルトのことといい、これらはすべて奴の策略なのか⁈
「ち、違うんです!お姉さんがいるなんて知らなくて……」
「そうだ進藤君。まだ着替えてないってことは、まだまだやる気あるって事よね?」
「あ、いや、今日は休めって言われてるので……」
「ああ。それ取り消し」
「いや、でも、妹さんが置き手紙をですね……」
「それ書いたの私」
「えっ……!?」
にっこり微笑む楓さんだが、目は笑ってなかった。
「でも、俺、体中が痛く……」
「私が救った命だからどう使おうと私の自由よね?」
「そんな無茶苦茶な……」
「お黙り」
俺は楓さんに首根っこを掴まれ道場まで引きずられた。
見た目、それほど筋肉がついているようには見えないのにとんでもない馬鹿力だった。
こうして俺はまたもや俺を鍛えるためとは明らかに違う理由で指導を受けたのだった。
口は災いの元とはよく言ったものだよ……。




