46話 大暴走
俺は小場Q百貨店に来ていた。
特に用事があった訳ではない。クララの調整及び稼働時間の確認をするための場所として選んだだけだ。
服や靴などを物色したり本屋で立ち読みしたりと様々な行動をして違和感があればその都度微調整した。調整はスマホのアプリで行うのだが、パラメータが細か過ぎて最初の頃は上手く調整できず、何度も設定をリセットする事になった。
この設定調整難し過ぎだろ。パラメータの説明が説明になってねえし。
例えば、<Dex1>だ。
説明をみると『Dex1です』
って、アホか!それを聞いてるんだよ!他のDex2やDex3と何が違うんだよ!
じゃあ、パラメータをいじればわかるのかといえば、実際に変えてみても何が変わったのかわからないものもある。
使う相手の事考えてねえよな。
……いや、待てよ。
アヴリルは試作品と言っていたな。この設定メニューはあくまで仮で正式なものはこの後に実装されるのかもしれないな。いや、間違いなくそうだろう。でなければ製品化された後、クレームの嵐だぞ。
心の中で(もしかしたら口に出していたこともあるかもしれないが)、この説明を書いた奴に文句を言いながら設定変更を繰り返した。数十回も繰り返した頃には大体のパラメータの意味がわかってきた。
俺って結構辛抱強かったんだな。
クララはただ腕に巻き付いているだけのはずなのに位置がズレたことはない。かといって痕が残るくらい腕を強く締め付けているわけでもない。
とても不思議な装置だよな。まさか魔法が使われていたり、とか?
クララの調整を終え、アプリを閉じた時、あるアイコンが目に入った。
一見すると唯のミュージックプレーヤーだが、実際は普通の人には見えないモノを見る事が出来るワイヤレスイヤホン、「聞いてミルンデス」を起動させるアプリだ。
今日の俺は聞いてミルンデスを付けていない。クララと干渉するかもしれないし、下手に幽霊が見えて余計なトラブルに巻き込まれたくなかったからだ。
と言いつつも、しっかり持ってきてはいる。
そういや、片方を新田さんに貸したままだな。
聞いてミルンデス単体では効果はないので、持っている事でトラブルが起きることはないと思うが、借り物だから早めに返してもらわないとな。あとあの後の事も聞きたいし。
今日の夜にでも連絡取ってみるかな。
空腹を覚え、時間を確認すると十三時を少し過ぎたところだった。
腹が減ったけどこの時間じゃまだ混雑してるよな。昼飯はもう少し後にするか。
クララを装着して七時間経過したが、今の所は順調だ。調整した効果がハッキリと現れ、昨日よりずっと反応が良くなっている。もう動きだけで言えば普通と変わらない。
問題はやはり感覚がないことだ。
一度、うっかり手の力を抜いてしまい、スマホを落っことしてしまった。幸い、スマホカバーのお陰で本体に傷がつくことはなかったが、それ以来、物は左手で持つように気をつけている。
十四時を過ぎると流石に客は少なくなったのでレストラン街の中華料理店に入り、ランチを注文した。
待つ間、アヴリルにクララを送ってくれたことへの感謝のメールを送った。もちろん、設定調整の酷さをさり気なく付け加えるのを忘れない。
アヴリルからの返事は飯を食い終わっても来る事はなかった。
まあ、忙しそうだったし、緊急でもないしな。
クララに変化があったのは十五時を過ぎた頃だ。
最初はおやっ?と思った程度の反応の遅れだったが、それから三十分程経つと明らかに反応が遅くなり、それからちょっとしてスマホが震えた。
見るとクララのアプリが充電を促すアイコンを表示していた。
「ざっと見て九時間半ってところか、思ったより短いな」
クララの調整のため、色々な行動を取ったのでその分短くなったのかもしれない。
家に帰ろうと駅に向かっている途中で新田さんからのメールが届いた。
『話があるから今から会えない?』か。
丁度いいじゃないか。俺も連絡しようと思ってたところだし。
ここからなら師走駅がお互い近いか。
師走駅は俺の帰宅途中にある駅で、新田さんが通学するときの乗り換え駅でもある。
新田さんに異論はなく俺達は師走駅で待ち合わせすることにした。
新田さんと会った時にはクララは完全に停止していた。
クララの事はアヴリルに他言無用と言われている。恐らくクララには最新技術が使われており、知られると色々面倒なのだろう。
新田さんは俺の腕が動かないことにすごく責任を感じていたので、言えないのは心苦しいが仕方がないよな。
俺は組織に入ったばかりの新人だ。
口が軽い奴と思われてあっさり解雇されても困る。
クララがバッテリー切れで動かなくなったのは好都合かもな。
「進藤くん、私、お母さんから聞いたわ」
「そうか」
俺も気になってたんだよな。
俺は、アヴリル達の組織は向こうの世界の住人が中心となって作った組織で、新田母はこっちの世界の住人が中心となって作った組織だと考えている。
「ここじゃ、なんだから、その、場所変えない?」
「確かに外でするような話じゃないか。待ち合わせ場所、ここじゃない方がよかったかな」
「ごめんなさい、その、あまり深く考えてなかったの」
「いや、それは俺もだから。そうだな、じゃあ、喫茶店でも……」
「ええ⁉︎」
なんでそんなに驚く?
「そ、その、そういう喫茶店、この近くにあるの?」
ん?そういう?
「いや、俺の知ってる喫茶店はちょっと距離があるし……!」
そこで俺は新田さんが何を気にしているのか気づいた。
俺が行こうとしていた喫茶店<青い宝石>はアヴリルの組織の息がかかった店だ。
新田母とアヴリルは別の組織なので抵抗があるのかもしれない。
「やっぱりまずいか」
「そ、そうね」
「じゃあ、新田さんの家にする?」
新田母にも直接聞きたいしな。
「ええ⁉」
あれ?そんなに驚くことか?
「︎……その、進藤くんの家、じゃ、だめかな?」
「俺ん家?」
「うん」
ここからなら新田さん家の方が近くないか?
まあ、いいか。新田オヤジがいるのかもしれないし、新田さんが新田母からどの程度の事を聞いたのかもわからないしな。まずは新田さんの話を聞いてからがいいか。
「わかった。俺ん家に行こう」
「……うん」
しかし、気のせいか新田さんの顔が赤いような。風邪気味か?
電車の中で新田さんは無口だった。
窓の外を眺めていると白いものが見えた。雪だった。
「雪が降り始めたよ」
「うん」
会話が続かねえな。
新田さんはどことなく話しかけづらい雰囲気を出していたので俺はずっと窓の外を眺めていた。
駅に着くと、雪はさっきよりも強くなった気がする。
「ちょっと急ごうか」
「うん」
家に着くと母が出迎え、新田さんを見ると意味深な笑みを浮かべた。
「母さん、こちら新田さん」
「あら、あなたが新田さんなのね」
「あ、はい。初めまして」
「母さん、邪魔だ。新田さん、上がって」
「あ、はい、お邪魔します」
「ごゆっくりね」
俺の母は、最後まで意味深な笑顔を崩さなかった。
新田さんは俺の部屋に入るとキョロキョロと中を見回す。
何も問題ないはずだ。
昨日、クララの動作確認ついでに掃除をしたのだ。
「そんなに珍しい?」
「あ、ごめんない。私、男の人の部屋に入るの初めてだから」
「そうなんだ」
新田さんは机の上にあるみーちゃんのノートパソコンに興味を持ったようだ。
「進藤くん、こんな高性能なパソコン使ってるんだ。これなら最新のオンラインゲームも余裕で動くでしょ?」
「あー、確かに」
と、みーちゃんがオンラインゲームをやってる光景を思い出した。
みーちゃん、猫足で上手くゲームパッドを操作するんだよなぁ、ってそんな話はどうでもいい。
「あ、でもそれは俺のじゃなくて、借り物なんだ。俺のはその隣」
「これは……進藤くんって物持ちいいのね」
おお、そういう褒め方があるか。
「金がないだけだよ。最近ハードディスクが変な音出してるし、そろそろ買い変えようかと思ってるんだ。それより新田さんはオンラインゲームするの?」
「え?あ、うん、たまに、ね」
「そうなんだ。じゃあ、今度買い換えるときはオンラインゲームが出来る奴買うから、一緒にやろうか?」
「うん!」
即答か。やはり、新田さんはゲームマーなんだな。
「じゃあ、そろそろ本題に入ろうか」
「あ、うん、でも……」
そう言って新田さんは静かにドアに近づくと、パッとドアを開けた。
「あ、」
そこには母がジュースを持って立ってた。
変なポーズで。
「何やってんだよ?」
「見てわからない?ヨガのポーズよ」
「んなわけねえだろ。聞き耳立ててたんだろ」
「失礼ね、飲み物持ってきて上げたんじゃない」
「……ほう」
「じゃ、ごゆっくりね。おほほほ」
母が下に降りたのを確認してドアを閉めた。
「ごめんね、変な親で」
「ううん 、大丈夫」
「でもよくわかったね。俺、全然気づかなかったよ。あ、武術やってたから?」
「そうかも」
「じゃあ、改めて」
「う、うん」
「新田さん?」
「うん、あ、そうだ、にゃっくちゃんは?」
「にゃっくは下にいる。あれからずっと寝てるんだ。あ、でも、皇帝猫は冬に弱くてそれが普通らしいから心配しなくていいよ」
「そう、よかった」
「それで、新田さん、話があるんだよね?」
「うん……」
新田母のことはそんなに話し難いのか?ここに来てまだ迷うほどに?
「新田さん、もし言い難いなら……」
「大丈夫!」
「そ、そう」
そう言ったものの、俯いてモジモジしだす。
うーん、この沈黙はキツイな。
もう一度声をかけようと思った時だ。
新田さんが顔を上げた。その顔は真っ赤でその目は潤んでいた。
「その、年頃の男の子の利き手ってすごく大事なのよね?」
「そう……ん?」
「私、進藤君の右手になるから!」
「……は?」
あれ、なんの話をしてる?新田母の話をするんじゃないのか?
「あれから何日も経ってるから、も、もう我慢できないよね⁉︎」
新田さん?ちょっと息荒くない?
って、新田母よ!あんた、いったい何を言ったんだ!
「あ、でも、手だけって言っても、やっぱり、その、服とか汚れちゃったらまずいから、服、脱いだほうがいいわよね?」
そう言って、俺の返事を待たず服を脱ぎ始める。
新田さんはやる気満々だ。
どうもさっきから変だなと思っていたらお互い違うことを考えていたのか!
納得いったぜ。
「って、ちょっ……下に親……」
いや、待て!落ち着くんだ!俺!
……今まで黙っていたが、俺は以前から少子化問題に心を痛めていたのだ。
それに断ったらやる気満々、もとい、決意して来た新田さんに失礼というものだ!
新田さんの思いに応えてこそ男だろう!
そして何と言っても新田さんは俺の彼女だ!
なんの問題もない!
……よな?
「い、一分もあれば済むよね?」
……なん、だと?
もはや、少子化問題などどうでもいい!
俺のプライドの問題だ!
新田さんに自分の大きな間違いをしっかりとその体に刻み込まねばなるまい!
俺は新田さんの手をちょっと乱暴に撥ね退け、代わりにボタンを外し始めた。
って、緊張して上手く外れねえ。
「……進藤君」
「わかってる、ちょっと待っ……」
「手、動いてるね」
新田さんの声の低さに違和感を覚え、俺はボタンから目を離し、新田さんに顔を向けるとさっきまでの発じょ…、欲じょ…、いや、まあ、さっきまでのやる気満々の表情とは打って変わり、冷やかな、軽蔑したような目をしていた。
そこで初めて俺は両手を使っているのに気づいた。
しまった!
っていうか、クララ!お前、バッテリー切れしたんじゃなかったのか⁉︎
「あ、あの、これは……」
「治ってたんだ」
「いや、その」
「私を騙してたのね!サイテー!」
新田さんは去った。
俺の左頬に真っ赤な紅葉を残して。
頭がクラクラする。
一気に力が抜け、ベッドに腰を下ろした。
……これでよかったんだ。
その場の雰囲気に流されて、ってのはな。
それに罪悪感で関係を持ったら後々シコリが残りそうだ……。
だよな!
……あー、なんだかなぁ……。
再び動かなくなった右腕を見た。
袖を捲ってクララを見ると停止していた。
……まさか、俺の意思で動いたんじゃないよな?
俺の性欲……ごほん、強い意志が呪いを瞬間的に打ち破った、とか?
……だめだ、考えてもわからん。




