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2話 塀の上のこねこ2

 その夜。

 バイトを終え、店から出ると予想以上に寒かった。

「さみっ」

 思わず声が漏れ、吐く息は白い。

 俺は寄道などせずまっすぐ家に向かった。

 自然と早足になる。


 家に近づき、今朝あのネコがいた塀に目を向ける。

 きらっと光るものがあった。ネコの瞳だ。

「まだいたか」

 俺はひとりつぶやき、立ち止まってネコを観察する。

 バイト先で夕飯は済ましたからあとは風呂に入って寝るだけだ。

 かわいい妹に早く会いたいという気持ちはあったがもう寝ているだろう。

 ネコは朝と変わらず、何もない空間をきっと厳しい目で睨んでいた。

 このネコはずっとここにいたのか、それともまたここに戻ってきたのか。

 やはりこのネコには何か見えているのだろうか?

 ネコは俺に気づいていると思うんだがまったく見向きもしない。

 寒さのためだろうか、微かに小さな体をぷるぷると震わせている。


 十月ももうすぐ終わる。

 秋も終わり冬に移ろうとしてるとはいえ、今夜の寒さは異常だ。真冬と言っていいくらいだ。

 俺は吐く息が白いのを再確認した。

「俺んち来るか?ここ俺んちなんだ。空なら俺の部屋からも見えるぞ」

 寒さにぷるぷる震える子ネコに、俺は思わずそう声をかけていた。

 とはいえ相手はネコだ。

「分かる訳ないか」

 玄関に向かって歩き出すと背後で何かが動く気配を感じた。

 振り返るとあのネコが道路に降りていた。

 ネコは歩き出し俺の横でぴたりと止まった。

 ネコが俺を見た。

 その瞳に高い知性を感じた。

「おまえ、俺の言ったことがわかるのか?」

 ネコは何も答えない。

 だが俺が動き出すのを待っているかのようにじっとしている。

 冷たい風が吹き、そのちっちゃな体がぷるぷると震えた。

「行くか」

 俺が歩き出すとネコも歩き出した。

 このネコとの出会いが俺の人生を変えることになるとは想像もつかなかった。

 



 俺が連れてきた小さな客を見て、母が眉をしかめた。

 母は別にネコが嫌いなわけではない。

 むかし実家でネコを飼っていたくらいだからな。

 母はペットを飼うこと自体に反対なのだ。

 俺は、いや進藤家は以前犬を飼っていた。

 その犬は寿命を迎え、犬小屋だけが今も庭に残されている。

 愛犬の死があまりに悲しかったのでもうペットを飼うのはやめようと家族で話し合って決めていたんだ。

 あれから半年しか経っていない。

「ちょっとの間だから」

「……ほんとうにちょっとの間よ」

 お、なんだ、簡単にOKするじゃないか。もしかして母も気になってたのか。

「サンキュー」



 俺がまず最初にしたことはこのネコの体を洗うことだ。

 かわいい妹がいるのだ。ノミだとか撒き散らかされてはかなわない。

 俺が体を洗う間、ネコは全く身動きせず俺に身を任せていた。

「おまえは飼われてたことがあるのか?」

 ついつい動物に話しかけてしまうのは、ペットを飼っている奴なら分かるよな?

 当然ながら返事はない。

 頭は注意深く洗った。

 今朝、俺に大声を出させたかもしれないあのアホ毛が気になったのだ。

 常識的には考えられないことだが、事実は事実だからな。

 俺は慎重にあのアホ毛を探した。

 あった。

 瞬間、


「でけー!めちゃでけー!」


 と今朝と同じく絶叫していた。注意していたのにも拘わらずだ。


 やっぱり俺の意志とは関係ない。

 俺は慌てて顔を逸らした。

「うるさいわよ!近所迷惑でしょ!」

 母の怒鳴り声が飛ぶ。

 母上、その声も結構デカいぞ。

 俺は確信した。

 このネコ、やっぱ普通じゃない。


 風呂から出るとネコに温めたミルクを与え、飲んでいる間にかわいい妹の寝顔を見て元気を回復する。

「あんたが父親みたいね」

「うるせえ」


 母のからかいを軽く流し、ミルクを飲み終えたネコを抱え二階の俺の部屋に向かった。

 部屋に入るとネコはいきなり俺の腕の中から飛び出した。

「おいっ!」

 ネコは一目散に勉強机に向かうと、ととと、机を垂直に駆け上がった。

 勢い余ってそのまま数十センチメートル上昇した後に、ぴたっと机に着地した。

「……おまえ、今、思いっきり重力無視したぞ」

 ネコ離れするにも程があるだろう。いやネコがどうこういう問題じゃない。

 ネコは俺の言葉を聞き流し窓の外に顔を向ける。

 そして動かなくなった。

「おいおい」

 ネコの見ている方向は外で見ていたあたりだ。

「まったく……」

 心やさしい俺(なぜか他人に言われたことはないが)はタオルを何枚か引っ張り出し、ネコにかけてやる。

 去年買った使い捨てカイロの残りがあったのを思い出し、机の引き出しから引っ張り出すと、ネコの下に引いたタオルの下にいれる。

 エアコンのスイッチも入れたので部屋も暖かくなってきた。


 ベッドに転がって読書していた俺は本を閉じ、時計に目をやるともうすぐ夜の十二時だった。

 ネコはというとあれからまったく身動きしていない。

 この光景だけ見るとぬいぐるみと錯覚しそうになるな。

「明日にしろ。カーテン閉めるぞ」

 そういって俺がカーテンを閉めるとネコは家に来てから初めて表情を変えた。

 困ったような表情に見える。

「そんな顔してもな。外から丸見えなんだぞ。まあ、覗くやつがいるか知らんが」

 ネコは窓に顔を向けるとそのでかい頭をカーテンの下から突っ込んだ。

 どうしても外が気になるようだ。

「頭隠して尻隠さず、だな」

 だがその態勢はカーテンの重さが首にかかり結構きついようで直ぐに顔を戻した。

 そして俺を見た。

 その表情は何かを言いたがっているようだったが、当然俺にはさっぱりだ。

 ネコが小さく頷いた。

 俺も思わず同じように頷いた。

 まあ、あれだ、外国人に質問されたとき、意味がわからなくてもイェスと言ってしまう、あれだ。

 ってこれは俺だけじゃないよな?

 俺の頷きを確認した後、ネコはカーテンに向かって右前足を上げると下に引いた。

 するとカーテンがぱっと縦に裂けた。

 まるで何か鋭い刃物で切ったかのような切れ味だ。

「なっ」

 俺が驚きのあまり声を失っていると続けてもう一回引っかいた。

 またも綺麗に裂けた。

 そしてそのネコはそのでっかい頭をその間に突っ込む。

 その裂けた間隔はちょうどネコのでっかい頭と同じくらいの幅だ。それなら確かに首への負担は少ない。

 俺は我に返り思わず叫んでいた。

「お前は切り裂きにゃっくか!」

 いうまでもなく切り裂きジャックをベタにもじったものだ。

 この瞬間、このネコの名前は切り裂きにゃっく、


 にゃっく・ザ・リッパーに決まった。


 俺の頭に切り裂きジャックの名が浮かんだのには理由がある。

 最近、切り裂き魔による連続殺人が起きており、それと切り裂きジャック事件がよく引き合いに出されるからだ。

 この犯人は巧妙で証拠を残していないらしく、警察も犯人特定に至っていないようだ。

 はやく捕まえてもらいたいものだ。俺のかわいい妹が巻き込まれたらどうするんだよ。

 そこで俺は急に不安になった。

 このネコは普通じゃない。今更だが本当に家に入れてよかったのか?

 自分で切り裂きにゃっくなどと名付けておいてなんだがこいつが切り裂き魔ってことはないだろうな……

 俺の不安を感じ取ったのか、にゃっくはカーテンから頭を戻すとまっすぐに俺を見た。

 その瞳を見た瞬間、


 こいつは信用出来る。


 なぜだろう、そう確信した。

 今まで直感なんか信じたことはなかったのに。

「好きなだけいてもいいけど俺の部屋だけだからな」

 俺の言葉ににゃっくは小さく頷いたように見えた。

「やっぱり言葉がわかるのか⁉︎」

 にゃっくは俺の問いに答えることなく、再びカーテンに頭を突っ込んだ。

 まあ、にゃーとか返事されてもわからんけどね。


 カーテンが切れている事は翌日、部屋を掃除しに来た母親にばれた。

 別に俺が掃除を頼んでるんじゃ訳じゃないぞ!

 勝手にやるんだ。どうしても掃除したいって言うから仕方なくやらせてるんだ。そこんとこ勘違いするなよ。

 それはそれとしてだ、

 そのときもにゃっくは机の上で微動だせずじっと窓の外を見ていたらしい。

 当然のごとく俺がにゃっくのためにカーテンを切ったと勘違いした。俺は事実を言わなかった。言ったって信じないだろうしな。カーテンは自分の金で直せとお説教をくらい、とりあえず頷いておいた。もちろん俺にその気はさらさらない。

 カーテンが多少切れようが支障はないからな。


 俺が大学から帰ってくるとにゃっくはやはり机の上に座ってレース越しに窓の外を監視していた。

 タオルで全身をくるみ、頭だけちょこんと出した格好でだ。

「にゃっく警部、張り込みご苦労さん」

 犯罪者から刑事へ変わってもにゃっくの反応はない。

 あっても怖いけどな。

 俺は手にしたコンビニ袋からあんパンとパック牛乳をにゃっくの側に置く。

 張り込みの食事と言えばこのセットは外せないだろうという俺のギャグだがネコ相手に通じたのか甚だ疑問だ。

 俺もにゃっくに倣い外を見るが、俺の目には特に変わったものは見えない。

 俺は手にしたコンビニ袋の中から自分の分のあんパンとパック牛乳を取り出した。

 相棒として同じものを食べるべきかと律儀に考えてのことだが、実はあんパンはあまり好きではない。

 というか甘いもの全般が苦手だ。

 あんパンの袋の封を切って取り出し一口食べる。

「うむ、甘いな」

 パック牛乳の側面に張り付いているストローを剥がし、パックに突き刺して一口飲む。

「うむ。あんパンだけじゃきついがこの組み合わせはいいな」

 などと独り言を連発し、ちょっとかわいそうな人になりかけていたとき、にゃっくが動いた。

 外を見ながら前足であんパンを引き寄せると、右前足をあんパンの封に沿って引いた。

 すると袋がまるでカッターで切られたかのようにキレイに切れた。

 机の方はといえばまったくの無傷のようだった。実際あとで確認したが傷はなかった。

 カーテンを切り裂いたときと同じ技だ。

 そして、にゃっくは器用に袋からあんパンを掴み出すとぱくり、とかぶりついた。

 口をもぐもぐさせながら、後ろ足でパック牛乳を引き寄せストローを剥がそうとするが、これはさすがにうまくいかない。

 猫足だからか、外に注意を払うあまり集中できていないからか。

 俺が代わりにパック牛乳にストローを刺してやる。

 にゃっくは俺の作業が終わるのを気配で感じとったのか、こちらを振り向きもせずに牛乳を口もとまで引き寄せると、ストローを口にし、ちゅー、と吸った。

 その間中、視線はずっと窓の外だった。


 あとで知ったのだがネコには与えちゃいけない食べ物がある。ミルクだってなんでもいい訳じゃないらしい。

 だが結果から言えばにゃっくはまったく問題なかった。

 にゃっくは見た目こそネコにそっくりだが、やっぱりネコじゃなかったんだ。

 そのことがわかるのはもう少し後のことだ。


 切り裂きにゃっく、じゃなくて刑事こにゃっくのほうがよかったか、などと真剣に考えているとスマホが鳴った。

 バイト先からだった。急にシフトに空きができたので今から来れないか、という誘いだった。

 俺は二つ返事で引き受けた。また大学に戻るみたいで抵抗はあったが平日のバイトは楽だからな。

 電話を切るとあんパンと牛乳をかき込み、にゃっくに挨拶を済ますと部屋を出た。

 にゃっくは振り向くことはなかったが、短いしっぽを俺に振ったように見えた。

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