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15話 人気者は苦労する

「ーーあったま痛ぇ」

 俺は二日酔いだとわかるのにしばらくかかった。


「……ここはどこだ?」

 見たことのない天井だな。


 ゆっくりと体を起こし辺りを見回すがやはり見覚えがない。


 …あれ、でもこの部屋の匂いには覚えがあるぞ。

 …そうか、ここは新田さんのマンションだ。


 どうやら俺は飲みつぶれてしまったらしい。

 いつもなら自制するところだが、今回は新田おやじの挑発に乗ってしまい、この有様というわけだ。


 こめかみを抑えていると静かにドアが開き新田さんが顔を出す。

「あ、起きてた?」

「ああ。ごめん、俺、眠っちゃったみたいで」

「気にしないで。あれはお父さんが悪いんだから」

「そうそう」

 そう言って新田さんの後から新田母が入ってきた。

「でもおかげで昨日はおいしいお酒が飲めたわ」

「は?」

 意味が分からん。

 新田母の話を聞くうちにだんだん思い出してきた。



 俺は飲んで飲んで飲みまくった。

 用を足しリビングに戻ってきたとき棚の中のあるものに目が留まった。

 俺はそれを乱暴につかみ取る。

「あ、貴様!それはっ!」

 新田おやじが激しい動揺を見せる。

 俺が手にしたそれはいかにも高級そうなウィスキーだ。

 銘柄は"ライト&ダーク"

 後で知ったんだが最低でも五十万円はするらしかった。


 新田おやじの態度で俺は考えが正しいことを確信した。

「貴様、それをどうする気だ!」

 新田おやじの目に恐怖が浮かぶのが見えちゃったー♪

「飲む!」

「ふざけるな!」

 新田おやじは立ち上がろうとしてコケた。新田おやじも結構キていたようだ。

「それはなあ、せりすが嫁に行くときにひっそりと飲むと決めたものなんだぞ!」

 おお、それはいいことを聞いたぞ。


「おかしなことを言うな、おやじ!」

「なんだと⁉︎」

「せりすは嫁にやらないんじゃなかったのか?」

 お?俺、新田さんを名前で、それも呼び捨てにしちゃったよ。まあいいか。酔っぱらいの特権てことで。

「矛盾してるぞ?おやじい」

 その時の俺はすごく意地の悪い顔をしていたような気がする。

「く、そ、それは……」

 新田おやじの顔が苦渋に満ちたものに変わる。


「その顔が見たかったぞぉ!ジョジョ!」


 ん?

 ジョジョって誰だ?

 まあ、いいや。

 どんどん攻めるぜ!


「さあどうするんだ?嫁にやる気が本当にないんなら飲んでもいいよな?」

「そ、それは…」

「いいよな?」

「だ、だから……」

「はっきりしろよ、本当に一生独身でいさせる気なら俺も鬼じゃねえ、飲むのを諦めてやる」

「その選択自体が鬼だろうが!」

「わはははは!」

 おー、気分いいぜ。たまには悪役もいいもんだ。

「で、どうなんだ、んん?」

「せ、せりすは……」

 新田おやじは泣きながら叫んだ。

「誰にもやらん!」

「敵ながらあっぱれだ!」

 俺はそういって容赦なく高級ウィスキーの封を切った、


 らしい。

 やっべー、俺、よく無事だったな。



「おいしかったわね、”ライト&ダーク”」

「そ、そうでしたっけ?」

 味、全然覚えてねぇ、

 っていうか封切った覚えもないんだが……


 ん?

 なんで新田さんも頷いてるんだ?

 酒は飲めないって話だったような……


「え、えーと、おやじ…さんは?」

「会社に行ったわ。今日は休むって駄々こねたけど叩き出したわ」

「そ、そうですか…」

 ちらりと新田さんを見る。

「あの人の言ったことなんか気にしなくていいわよ。勝手に言ってるだけだから」

 うわっ、俺の考えが新田母に読まれた⁈


 ……ちょっと待て、勝手に言っているだけって、それって飲まれ損ってことか?まあ、俺だって本気にしてた訳じゃないけど、ちょっと新田おやじがかわいそうな気がしてきたぞ。


「それに昨日は私もすっきりしたわ」

「は?」

「ほら、あのひとに向かって『この豚っ!猪っ!』とか言ってくれたじゃない」

 いや、それは絶対言ってねぇだろ。


「私の言いたいこと言ってくれてうれしかったわ」

 だから言ってねえって。


 ……新田母、やはり只者じゃないな。


「これであの人が昔に戻ってくれるといいんだけど」

「……」


 その話は終わりとばかり、新田さんが話を変えた。

「進藤君は今日講義は?」

「ん?」

 何があったかなぁ。頭痛くって、うまく頭が働かねえ。


「もうそろそろ出ないと一限目の講義、間に合わないよ」

 って、いってもな、俺、教科書だって昨日のものしかねえし。まさか泊まることになるなんて考えてもみなかったからな。

 あ、そういや、俺、泊まるって家に連絡してなかったよな。


 スマホを確認すると発信履歴が残っていた。午後十一時過ぎにかけたようだ。全然覚えてねぇぞ。


「俺、昨日家に電話してました?」

「ええ、ただロレツが回ってなかったので私が代わって説明しておきましたよ」

 とニッコリ笑顔の新田母。

 隣で新田さんが微妙な表情をする。

 え、新田さん、なにその表情?


「あの、なんて言ったんですか?」

 新田母はぐっと親指を立て、「ばっちり!」とだけ言った。


 いやそれじゃ全然わからんよ。

 新田母よ、一体どんな説明したんだよ!


 と、そこで俺は今日なんの講義があるのか思い出した。



 鬼の神沼。

 俺達、学生からはそう恐れられている電子回路の講師がいる。正確には神沼助教授だ。


『講義を一回でも欠席したら単位はやらん、だが代返はOKだ』


 などとおかしなことを言う変わった講師だ。

 もちろん、話はそれで終わりではなく、


『ただし、見つけたら代返した者も単位はやらん』


 だった。

 神沼は有言実行の男である。それは先輩達の話から疑いようもない事実だ。この絶好調な日にその講義があることを思い出した。


「行かねば」

 俺はまだ無欠席。四年間で単位を取ればいいのだが、取れるときに取っておくべきだろう。

 神沼は皆に恐れられているにもかかわらず神沼の研究室を希望する者は多い。理由は簡単だ。神沼はいろんな企業とつながりを持っており、希望の会社へ就職できる可能性が高いからだ。俺も他の者と同様に早めに単位をとって好印象を与えておきたいという下心があったのだ。

 俺はふらつきながらも立ち上がった。

「もう少し休んだら?」

「神沼の講義があるんだ」

「それは……ごめんなさい…」


 いやいや、新田さんが謝る必要はないさ。悪いのはあのおやじだから。


 服は昨日と同じだが、冬だし汗臭くはないだろう…うん、大丈夫だ。

 シャワー浴びたいがそんな時間…ないよな。

 俺は新田さんと目が合ったがすぐに視線を外した。

「どうかしたの?」

「いや、なんでもない」


 まさか一緒に入る想像をしてしまった、なんて言えないだろう?


 顔を洗い、新田母が差し出した水を一気飲みし、新田家を後にした。

 駅へ向かう途中で新田さんからもらった消臭飴を口に放り込んた。



 人々の視線を感じる。

 いや、それは俺に向けられたものではない。隣に立つ、新田せりすに向けられたものだ。

 新田さんは慣れているのか気にする様子はない。

「おはよう、新田さん!」

「おはようございます」

 おそらく同じ光月大生だろう。

 その男が新田さんに好意を抱いているのは声だけで容易にわかる。

 俺は頭痛をこらえるのに必死でどんな奴か見る余裕はない。

 その男が俺のことを聞いたようだ。

 やっぱり気になるか。

「そこで偶然会ったの」

 今朝出るときに打ち合わせした通りに新田さんが説明する。俺に話を振られたときのことも考えていたがそれは必要なかった。

 こいつは新田さんと話がしたいだけなんだからな。

 その後、さらに何人かやってきた。

 皆例外なく俺に敵意を向けてきたが、俺にまったく戦意?がないとわかると、完全無視を決め込んだようだ。


 しかし騒がしいな。

 二日酔いの俺にはキツぜ。


 俺は乗車位置を変えようかと考えたが通勤時間帯なのでどの乗車位置も結構並んでおり、今から後ろに並び直すと電車に乗った時もっと潰されそうだったのでこのまま我慢することにした。


 新田さんも大変だな。

 相手したくない奴もいるだろうに。美人だといろいろ得することもあるがこんな苦労もあるんだな。

 俺の可愛い妹も同じ問題を抱えることになるだろうから対策を考えておく必要があるな。



 神沼は数々の代返相手を撃破したその眼光で俺の状態を見抜いた。


 いや、まあ、今の俺は誰が見ても体調悪いのはわかったと思うけどな。


 神沼は教科書を忘れたものにも容赦がないが、さすがの神沼も借りたかどうかまで一人一人調べまわるほど暇ではないので俺が新田さんから借りたことはバレなかった。


「進藤、二日酔いか?」

 神沼が自分の講義を受けている学生の顔と名前をすべて覚えているという噂は本当のようだ。

 会話などほとんどしたことないのに俺の名前を正確に当てた。

 へたに言い訳してもだめなのはわかっている。俺は素直に認めた。

「すみません、昨日飲み過ぎました」

「それで俺の講義に出るとはいい度胸だ。よし、その度胸に免じてこの問題を解かせてやろう」

「はあ」

 俺はふらつきながらも教壇までたどり着き、ホワイトボードに書かれた電子回路図を見つめる。

 二日酔いのせいで頭が働かない。

「今までの公式を応用すれば解る問題だ」

「はあ」

 ぼんやりした頭で俺はペンを取った。

 後に語られる”神沼の奇跡”が起こる瞬間であった。


 どっちかというと”進藤の奇跡”ではないかと思うのだが、そこは俺の知名度の低さに問題があったようだ。


 ……別にどうでもいいけどよ。



「なっ、なんだ⁉︎」

 俺は頬に冷たいものを当てられ目を覚ました。

 机から身を起こし、俺を目覚めさせたものを見た。

 ミネラルウォーターのペットボトルだった。

「目が覚めた?」

「…新田さん?」

 授業は終わったようで、次の講義のために学生の移動が始まっている。

「お、俺、眠ってたよな!やばっ、神沼に気づかれなかったのか⁉︎」

「何いってるんだよ、進藤。おまえ神沼の許可もらって寝てたんじゃないか」

 俺の疑問に答えた奴を見た。


 誰だ、お前?

 いや、同じ学科の奴か。名前は…わからん。

 俺の学科には百五十人近くいるんだぜ。中にはまだ一度も話したことがない奴もいる。


 しかし、

 やけに馴れ馴れしいな。お前とはほとんどしゃべったことないだろう。


 俺は皇にも確認してみる。

「ほんとか?」

「うん」

「驚きね、神沼助教授にも意外な一面があったのね」

 と新田さんが言った途端、講義を受けていた男子学生が我先にと説明し始めた。


 …俺に説明して欲しいのだが。

 まあ、俺にも聞こえたからいいけどよ。


 問題を解いた俺に神沼は、

「よし。字は汚いし、答えも間違ってる」

 といったらしい。でだ、俺は恐れ多くも文句を言ったらしいのだ。「じゃあ、よしじゃないだろう」と。体調が悪かったとは言え、なんと恐ろしいことを俺は言ったんだ!

 だが神沼は怒らなかったらしい。相当機嫌がよかったとしか考えられない。


「しかし計算方法は合っているから今回はぎりぎり合格にしてやる。寝てていいぞ」

 俺はその言葉に素直に従い、席に着くとそのまますぐに眠ってしまったらしい。


「そうなんだ、すごいわね」

「うーん、そう言われればそうだった気がするな」

 そこで予鈴が鳴った。

「進藤君、教科書いい?」

「あ、ああ、サンキュ」

 新田さんは俺から教科書を受け取りながら、くすっと笑って言った。

「寝てたなら必要なかったかしら」

「いや、教科書なかったらそこで追い出されてたよ。ほんと助かった」

「二日酔いがきついならもう帰った方がいいんじゃない?」

「いや、大丈夫。大分楽になったから」

「そう。じゃあね」

「ああ」

 新田さんが去った後、男どもに質問責めだぜ。まあ、予想してたけどな。

 俺は新田さんからもらったミネラルウォーターを飲みながら新田家を出る前に打ち合わせした通りの話をする。

 バイト仲間と朝まで飲んでた俺は偶然駅の近くで新田さんに会った、と。そこで教科書がないことを話すと貸してくれたのだと。

 深く突っ込まれたらバイト仲間には四季の名を出すつもりでいた。仮に四季を知っていたとしても確認をとることはできないだろう。この街にはもういないだろうし、電話番号を知っていたとしても繋がらないだろう。

 自称親友の俺ですら繋がらないんだからな。


 まあ、そこまで詳しく聞く奴はいなかったから、その設定は無駄に終わった。

 結局のところ、

 みんな俺のことより新田せりすのことが知りたいのさ。



 家に帰ると母が笑顔で出迎えた。

「私、ほっとしたわよ」

「何が?」

「あんた、妹ばかり気にかけてるから心配してたのよ」

「何を言ってるんだ?」

「今度ちゃんと紹介しなさいよ」

 母は言いたいことをいうとキッチンへ消えた。


 …新田母、どんな説明したんだよ?

 気になるがそれよりもこれからバイトだ。


 俺は急いでシャワーを浴びさっぱりするとファミレスへ向かった。

 バイトから帰ってきた時にはそのことをすっかり忘れていた。

 

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