14話 新田家の人々
午後十一時過ぎ。
俺が宿題を片付けているとスマホが震えた。
見ると相手は新田おやじだった。
……しょうがないなぁ。
新田おやじの執念に降参した。
「もしもし」
『…え?』
ん?なんで驚く?いや、今の声、女の人?
「あ、新田さんのお母さんですか?」
『いえ、』
「ん?」
『せりすです』
「は?」
ちょっと待て。もしかして今までかけていたのは新田さんだったのか、と思った瞬間、
『やっと出たか、こそ泥が!』
野太い、ドスの利いた声が聞こえた。
「……新田さん、声が変ですよ。風邪ですか?」
『父親だ』
わかってたよ。
『やっぱり引っかかったな。娘がかければおまえのような性欲丸出しの若造は本能で出ると思ったわ!』
滅茶苦茶な言いようだな。
向こうで新田さんが、『恥ずかしいこと言わないでよ!』と叫んでいるのが聞こえる。
『ともかくだ、貴様が娘にふさわしくないことを証明してやらんといかん!』
「はあ」
『あと、娘とどこまで……うっ』
ぼてっ
ん?
『あら、ごめんなさいね』
「えーと、」
『せりすの母です』
「は、はあ。こんにちは」
『はい、こんにちは。無理言ってごめんなさいね。うちのひと、この件がはっきりするまで会社を休むっていうのよ』
それは困りましたね、
って、それはそれとしておやじはどうした?
『このままだと、あのひと、会社クビになっちゃうわ。一度でいいから家へ遊びに来てくれないかしら?もちろん、身の安全は保障しますわ』
「は、はあ」
おやじがどうなったか話さないな。
で、なんだよ、身の安全て……行きたくねー!
断りたいが本当に会社をクビになったら……ダメだ、恐ろしすぎて想像したくねえ。
「…わかりました」
俺は渋々了承した。
次の日、
俺は講義が終わったあと新田さんの家に向かった。
新田さんも大学に来ているはずだがもちろん一緒に行ったりはしない。
新田さん狙いの男共に見つかったら面倒だしな。それに住所さえわかれば後はスマホのマップで迷わず行ける。
しかし、新田さんの家にお邪魔するのはどうなんだろうか?
わざわざ既成事実を増やしているように思うのは俺だけか?
とはいえ、他に会う場所があるのかと聞かれても思い浮かばないんだが。
ほんとあのおやじの暴走には参るぜ。
これまでもこんなことがあったのだろうか?
はあ、気が重いなぁ。
ーーそうか、
これが相手の両親に結婚の許しをもらいに行くときの気持ちなんだな!
…いや、違うってわかってるよ。
ちょっとだけ現実逃避させてくれ。
新田宅はメゾン月影の五〇三号室だ。
俺が着いたとき新田おやじはいなかった。
「さっき電話があってね。もうすぐ戻るそうだから、ちょっと待っててね」
「戻る?買い物か何かですか?」
「仕事よ」
「へ?」
「うちの人、ああ見えてサラリーマンなのよ」
いやいや、そんなことはどうでもいい。
休んでるんじゃなかったのか?
「今朝も駄駄こねてたから『娘と一緒に家を出ていくわよ』って言ったら、猛ダッシュで出かけていったわ。うふふふ」
……それ、もっと早く言ってほしかったな。
しかし思いっきり尻に敷かれてるな、あのおやじ。
でも、まあ、しょうがないか。
前回は余裕がなかったが改めて見ると新田母も美人だ。しかもとても若く見える。知らない人に姉と言っても信じてしまうんじゃないか?
新田さんは九十九パーセント以上母親の遺伝子を引き継いようだな。
よかったよかった。
「そうそう、忘れないうちに」
そう言って新田母はスマホを取り出し俺に向ける。
「えーと」
「電話番号交換しましょ」
「あ、はい」
俺は言われるがままに電話番号とメールアドレスを交換した。
よしっ、
あとは新田さん本人のみだな!
って、なんで本人が一番最後なんだ!
しかも今のところ交換の予定がない!
ふとリビングに飾ってある一枚の写真に目が留まった。
親子で旅行に行ったときの写真のようだ。
新田さんが幼稚園くらいのころの写真だろうか。
かわいいのは言うまでもない。俺の可愛い妹に匹敵する、
って、そうじゃない。
俺が気になったのは父親だ。
母親に負けず劣らずの美形だ。
まさか、あのおやじは新田せりすの義理の父親⁉︎
恐ろしい想像が俺を襲う。
俺の視線に気づいたらしい新田母が寂しそうな表情でその男について教えてくれた。
「それは前の夫です」
やはり!
なんと恐ろしいことを知ってしまったんだ、俺!
その後は話しかけ辛く時間が過ぎるのをテレビを見ながらひたすら待った。
新田さんもしばらくして帰宅したが何を話していいのかわからない。
本当にそんなに話したことないんだぜ。
趣味や興味あることを聞いてみたいとも思ったが母親がそばにいると躊躇してしまう。
新田おやじのように敵意をむき出しにはしていないが、内心どう思っているのかさっぱりわからん。
俺には難易度高すぎだ。
新田さんからも話かけてくることもない。
これなら新田おやじと対決してた方がまだ楽かな、
と思った時だ、ドアを勢いよく開けて新田おやじが現れた。
「せりす、それ以上近づくな!妊娠する恐れがある!」
「するか!」
「もう、お父さん、あんまり恥ずかしいこと言わないでよ!」
一瞬、新田さんの腕がぴくりと動いたのを俺は見逃さなかった。
あの細腕にはこのがっちりした体格の新田おやじすら一発で仕留める力があるのだ。
「とにかく、ここは父さんに任せるんだ」
新田さんは何か言いたそうだったが、そのままリビングを出ていった。
新田おやじは俺に敵意をむき出しに尋問を始めた。
リビングには新田母もいたが、にこにこしているだけで一度も会話に参加してこない。この状況をひとり楽しんでいるように見えるのは俺の気のせいか?
俺は新田おやじに何度も新田さんとは特別な関係じゃない、ただの学友だと説明するがまったく信じない。
新田おやじが俺に酒を注いできた。
酔わせて口を割らそうという魂胆か?
だが無駄だ。
なぜなら本当に新田さんとはなんでもないんだからな!
…言ってて悲しくなってきたな。
「娘がお前にまったく興味ないのはわかる。当然だ。しかしお前は娘に惚れているな?そうだな?」
「いや、確かに嫌いじゃないけど惚れている、とまではいかないです」
「そんなわけあるかっ!娘に惚れない男などこの世に存在しない!」
言い切ったよ、このおやじ。どんだけ親バカなんだ。
っていうかこれじゃ、俺が惚れてるって言おうが言わまいが、結局同じルートに行くんじゃねえか?
「ーーそうか、お前はホモだな!さては俺のケツも狙ってるな!」
温和?な俺も流石にこの新田おやじの一言に切れた。
俺は思わず叫んじまったぜ。
「んなわけあるかっ!俺は女の子一筋だ!突っ込むんなら女の子にするわ!」
一瞬、
しん、
となった。
やべっ、
俺としたことが強くもないのに出された酒をがばがば飲んだのがまずかったな。酔った勢いで思わず下品なこと言っちまったぜ。
俺のかわいい妹がここにいなくてよかったぜ。
内心ほっとしたのもつかの間、新田おやじが勝ち誇った顔をした。
そこで背後の気配に気づいた。
恐る恐る振り返ると新田さんが酒とつまみのお代わりを持って立っていた。
どこから聞いてたんだっ⁈
俺の動揺をよそに新田さんは俯いたまま無言でテーブルに酒とつまみを置くと、顔を上げることなく両手でおしりをかばうようにして出て行った。
「……」
「終わったぞおまえ!わははは!お前がいかに変態性癖をもっているか、娘も思い知ったはずだ!」
「このくそおやじめ!本当の親じゃないくせに!」
しまった!
怒りのあまり思わず口が滑っちまった!
「……そりゃ、どういう意味だ?」
新田おやじが怒りの形相を見せる。
もうなるようになれ!
俺は写真立てを手に取り、新田おやじに見せつけて叫んだ。
「これが新田さんの本当の父親なんだろ!この人がどうなったか知らないが、どうせお母さんが悲しんでいる隙を狙ってうまく結婚しただけなんだろうが!あんたがだめな人間だから未だに前の夫の写真を飾ってるんだぞ!恥ずかしくないのか!」
「……」
やばっ、言い過ぎたか。
俺は思わず身構えたが襲いかかってくる様子はない。
新田おやじはしばらくその写真を見ていたが、俺に顔を向けぼそりと言った。
「…俺だ」
「は?なんだって?」
「それは俺だ」
何言ってるんだ、このおやじ。
俺は新田母に顔を向ける。
「写真の人がせりすさんの本当のお父さんなんですよね」
新田母はにこにこして言った。
「ええ、前の夫です」
だよな?
「太る前のあの人」
…は?なんだって?
俺は新田おやじをマジマジと見た。
おお、そういえばこうやってきちんと見るのは初めてだな。いつも怒ってやがるからまともに顔を見たことがなかったぜ。
言われてみれば確かに似てる。顔のほくろの位置も一緒だ。
結婚した後、体形が崩れるパターンはよく耳にするが、新田家ではおやじがそうだったようだ。
いや、だがちょっと待て。
勘違いした俺も悪いが新田母よ、あんた、俺が勘違いしていたのに気づいてたんじゃないか?
そもそも紛らわしい言い方したのは俺をミスリードさせるためだったんじゃないか?
俺の疑いの目を新田母は笑顔でかわした。
…できるぞ、新田母。
実は新田家最強⁈
新田おやじは満面の笑みを浮かべる。
「それで終わりか?若造」
「くっ」
「わっはっはっは!俺の勝ちだな!」
ちっくしょー!
って、何に負けたんだ、俺?
新田おやじはもうすっかり何もかも終わったかのように清々しい顔をしている。
まあ、これで電話攻撃がなくなるっていうならこれでもいい……
わけあるかっ!
なんかむかつくぞ、こらっ!
「まあまあ、飲め飲め!今日は俺のおごりだ!それでせりすのことはきれいさっぱり忘れろ!」
何がおごりだ!ここはお前の家だろう!
まあ、いいさ、飲んでやるさ!ご希望通り飲んでやる!
この家にある酒、全部飲み干してやるぜ!
さっきも言ったが俺は酒に弱い。
まあ、未成年だから飲み慣れてるほうがおかしいよな?
俺の父親もそんなに強くないから遺伝かもしれねえ。
ともかくだ、
結果的にこれは大失敗だった。
やっぱり酒に飲まれちゃだめだよなあ。
俺は身をもって知ったね。




