134話 乙女の誇りにかけて
横になるだけのつもりだったがいつのまにか寝てしまったようだ。
枕にしていた右腕が痺れていた。
隣ではにゃっくがちっちゃい体を更に丸くして寝ていた。
にゃっくも流石に疲れたよな。
「マリ、悪かったな。勝手に寝ちまって。見張りは俺がやるからお前も休んだらどうだ?」
「……」
「ま、無理にとは言わねえけどよ」
また曲解されて“報告する”とか言われちゃ敵わねえしな。
……これ以上俺の評価が下がることはあるのか?
状況確認のため立ち上がり、辺りを見回してみる。
ゾンビの数は寝る前と変わっていないようだ。
丁度真下に青いジャケットを着た女性のゾンビがいた。首や脇に食いちぎれた痕がある。
かわいそうに。年は俺とそう変わらないんじゃないか?
ゾンビになった者達を同情できる程度には余裕ができたようだ。
そのゾンビが突然顔を上げた。
「あ、ああぁぁ」
俺に向かって言葉にならない声を上げた。
横へ移動すると同じようについてきた。
試しに右手で適当な場所を指差す。
するとそのゾンビはその方向へ顔を向けた。
そしてすぐに顔を俺の方へ戻した。
「ああ、ううう……」
文句を言ってるように見えるな。
それより、このゾンビは目が見えているのか。
シエスは生命エネルギーに反応していると言っていたし、実際目が潰れたゾンビが正確に俺達の位置を把握していたから疑っていなかったが、それだけじゃないって事か。
今までゾンビを観察する余裕がなかったが、これからのこともあるし、少し調べてみるか。
ゾンビ観察を行っている間に新たなゾンビが現れることはなかった。
これは戦いが終息に向かっているということだよな?
だが、組織支給のスマホは相変わらずアンテナが一本も立っていない。
時間を確認すると夜の十二時を過ぎていた。
「マリ、あれから何か情報は入ってきたか?」
マリは小さく首を横に振る。
「魔法もダメだよな?シェーラは?」
「……」
やっぱりまだダメか。
今ならゾンビを避けつつ階段にもエレベーターにも行けそうだが、その先に敵がいないとは限らないからな。この戦力での移動は無謀だよな。
やはりもうしばらくここで待機だな。
とはいえ、
「腹減ったな」
夕飯を食ってから六時間以上経っている。
こんな死体が散乱する中で食欲があるのはそれだけ神経が図太くなったのか、麻痺しているのか。恐らく両方だろうな。
ポケットを探るが食べ物はなかった。
部屋に戻ればあるんだけどな。
流石にゾンビのポケットを漁る気にはならないしな。
さっきタクシーの中を漁ればよかったぜ。ってそんな余裕なかったか。
今、ここで腹を満たせそうなのはポーションだけだ。
ポーション、うまいのか?
って、流石に空腹だからって貴重なポーションを飲めねえよな。
餓死寸前ならともかくよ。
「マリは腹減らないか?」
「……」
「減ってないならいい」
「……たい」
ん?
「何?何か言ったか?」
「……トイレに行きたい」
「ああ、トイレね」
確かに俺もちょっと行きたい気がするがまだ一、二時間は大丈夫だろう。
「我慢出来ないなら、その辺ですればいいんじゃないか。その間そっち見ないようにするぜ」
「……する」
「は?なんだって?」
「……変態プレイを強要された事を報告する」
「何言ってんだ!強要はしてねえだろ!提案しただけだ!」
「……そんなことは絶対しない。……乙女の誇りにかけて」
「なんだそれ」
「……いざとなったら」
「何だよ?」
「……死なば諸共」
こいつ何言ってる?
……まさか、漏れそうなったら抱きついて来る気じゃないだろうな⁉︎
マリが薄ら笑いを浮かべる。
ムーンシーカーはどんな状況になっても表情は変わらないもんだと思ってたが、そうじゃないらしいな。
って、そんな事よりこいつ、やる気だな!
あー、くそっ!そんな脅し方あるのか⁉……ん、くそ……もしかしてこいつ……。
「……」
「何だよ?」
「……乙女は……はしない!」
「はいはい」
「……」
どうやら俺の思った通り……いやいや!それはいい!ともかくトイレだな。トイレがないと俺にも悲劇が起きる!
だが、トラックの上から見渡す限りトイレらしきものは見えない。
まさか、ここにはないのか?
「……急いで。残された時間は、少ない!」
「そうか。って、お前も探せ!」
「……」
とはいえ、ないものはない。
どうする?
トイレのためにこの安全地帯を出るのか?
でもよ、こいつ、俺の護衛だよな?護衛対象を危険な目に遭わせていいのか?
って、いうか遭わせてばかりいないか?
……まあ、魔法が使えないのは想定外だったんだろうけどよ。
「……このままだと二人にとって最悪の報告をせざるを得なくなる」
「だから、それはお前の問題だし、黙ってればいいことだろ!」
「……こ、細かな事まで報告するよう命令されている!」
う、マジで限界近そうだな、こいつ!
その時、にゃっくが俺の肩に乗った。
「にゃっく、起きたか。って、あんなに殺気を放たれてたらおちおち寝てられねえか……ってなんだ?」
にゃっくの前足が指した方向を見るとそこには軽トラックがあった。
「あの軽トラがどうした……いや、キャンピングカーか!」
そう、軽トラの向こう側にキャンピングカーが駐車していたんだ。なんで気づかなかったんだ。
あの大きさなら間違いなく車内にトイレがあるはずだ!
いや、それだけじゃない!きっと食いもんもあるはずだ!
サンキュー!どっかの誰か!
そしてにゃっく!
お前はよく気がつくやつだぜ!
「マリ!」
マリが無言で大きく頷いた。
キャンピングカーまで距離的に五十メートルくらいか。
その方向にゾンビの姿は見えない。
マリが飛び降りようとしたので慌てて止めた。
「……」
「もうちょっとだけ辛抱しろ!」
問題は鍵だ。
タクシーの時はシエスの手が鍵だったから良かったが、今度はどうする?閉め忘れを期待するのは危険だ。
勿論壊すのは難しくない。にゃっくの皇帝拳でも俺がアディ・ラスでこじ開ける事もできる。
問題はその後だ。
俺達が移動すれば間違いなくゾンビ達も押し寄せて来るだろう。
ゾンビの数は少ないから一掃するのは難しくないと思う。
だが、出来るだけ戦闘は避けたい。
特殊な能力を持った奴がいないとも限らないからな。
「鍵がかかってなければそのまま突入。鍵がかかっていたらにゃっくが天井に小さな穴を開けて中に入り鍵を開ける。でいいか?」
「……問題ない!」
マリが苦しそうな表情で力一杯頷く。
俺の肩の上でにゃっくが頷くのがわかった。
「もしかしたらキャンピングカーに籠城する事になるかもしれない。それでもいいか?」
マリ、にゃっくが頷いた。
「よし、行くぞ!」




