127話 黒の予兆
アレックスが俺に向かってきた。
「殺してはイケマセンヨ!ゾンビにするのもナシデース!」
アレックスが俺に掴みかかる。それをかわしてその土手っ腹に蹴りを入れた。
が、手応えがない。
素早くアレックスから離れる。
アレックスの手が空を切る。
やっべー!もう少し離れるのが遅かったら捕まってたぜ!
変態マッチョは腕を組んでジッと見守っている。
全てアレックスに任せる気のようだ。
俺にまた魔法を盗まれることを警戒しているのかもしれない。
それでも俺には勝機がない。
魔法で肉体強化したのにアレックスにはダメージを与えられなかった。俺と同じ魔法で肉体強化している変態マッチョもダメだった。
救いは奴らよりスピードで優っていることだけだ。
このまま逃げながら時間を稼ぐか?
しかし、それも問題がある。
いつまでこの魔法の効果があるのかわからない。シェーラのときは十分程度だった気がするが正確じゃないし、同じ魔法でも人によって持続時間が違うかもしれない。
それに怪我で歩けそうもないマリを放っては置けない。
俺が逃げ回っているうちにマリを人質に取られる可能性もある。
……いや、全ての女を憎む変態マッチョなら殺される可能性の方が高い。
それは避けなければならない。
……なら手は一つしかないな。
「アディ・ラス!」
再び肉体強化魔法をかけた俺を変態マッチョが大声で笑った。
「ハハハハッハー!無知デース!無知過ぎデース!その魔法は重ねガケシテーモ効果はアガリマセー……」
俺は襲いかかるアレックスを今まで以上に素早い動きで避けた。
その背後に回ると再び蹴りを放つ。
無様に倒れるアレックス。
「……は?重ね掛けが効いた?そんな馬鹿な……」
お、変態マッチョの言葉使いが普通になったな。かなり動揺してるな。
俺は最初から重ね掛けができると知っていたわけじゃない。
一回魔法を損する覚悟だった。
だが俺は賭に勝ったようだ。
本来出来ないはずの事が出来たのは俺が魔法使いになった方法が特殊だからだろう。
魔王の力を借りて魔法使いになった奴なんてそうはいないだろうからな。
今度も頭痛を覚悟していたが、幸いにも起こらなかった。
初めて使うときだけなのかもしれない。
問題は魔粒子の量だ。たぶん後一回が限界だろう。
ここが<領域>なら気にせず使えるんだろうが。
「……お前は、お前は一体なんなんだ⁉︎」
変態マッチョの顔には羨望とそれ以上に妬み、嫉妬が渦巻いていた。
俺は変態マッチョの叫びを聞き流し、全力でマリの元へ走った。
「マリ!手を!」
俺の声に応じて手を伸ばすマリ。
俺はその手を取ると引っぱり上げ、その勢いのまま肩に抱える。
「……セクハラ」
「この状況でその言葉が出るか!余裕だな、おいっ!」
っと、コイツと馬鹿話をしている暇はない。
アレックスがそこまで迫っていた。
振りあげた手の指先の爪がシュッと伸びた。
⁉︎アレはヤバイっ!
俺は直感に従い、アレックスの攻撃範囲から素早く逃れる。
肉体強化魔法を重ね掛けした効果は大きく、マリを抱えた状態でも容易にアレックスとの距離を十分に取る事ができた。
変態マッチョの怒声が飛んだ。
それは奴の憎む女性のマリにではなく、マリを助けた俺にでもなかった。
「ノーッ!アレックス!ゾンビにしてはダメだと命令しただろう!」
やはりか!
以前見たゾンビ映画の中で噛まれなくても爪で引っ掻かれただけでゾンビ化するものがあった。その光景が一瞬頭に浮かんだんだ。
肉体強化魔法を重ね掛けした今の俺なら奴の攻撃を跳ね返したかもしれないが、試す気などない。
アレックスが小さく首を傾げる。
コイツ、命令を正しく理解していない?
そんな事よりもだ!
俺達が最初に屋根に乗ったトラックを見た。
辺りに動いているゾンビはいない。
シエスと不愉快な仲間達は戦いながら場所を移動していた。
ゾンビの数も大分減っているようだが、シエスの動きが少しおかしい気がした。
どこか壊れたのかもしれない。
にゃっくと闇皇帝も離れたところでジッとお互いを睨みながら対峙していた。
お互い傷を負っているようだ。傷の具合はこの場からはよくわからない。
俺はトラックに向かって走った。
目的はアクティブ・ワイヤー“ケロロ”の回収だ。
トラックの下敷きになっていなければいいんだが……。
それにしてもこうやって抱えながら走っていると新宿地下街で黒美少女と鬼ごっこした事を思い出すぜ。
あの時は、どさくさ紛れに新田さんにスキンシップ(そう!誰がなんと言おうとあれはスキンシップなのだ!)したが、流石にマリにはできない。
そう!
どんな状況であろうと俺はちゃんと理性が働くのだ!
やっていい子と悪い子との区別が出来るのだ!
……って新田さんの前で言ったら殺されるな。
って、俺はこんな時に何を考えてんだ!
ヤバイな。自分で思っている以上に疲れが溜まってる。
早くこの状況をなんとかしないと。
「マリ、足は痛むか?」
「……痛い」
「歩けないよな?」
顔は見えなかったが頷く仕草をしたのがわかった。
「……私を置いて逃げて」
「アホか」
「……護衛の私が足手まといになるなんて」
「気にするな!今の俺ならお前を一人抱えるくらい何ともない」
「……下っ端の千歳に助けられるなんて……」
……あー、なんだろう。急にマリが重くなってきた。
放り投げたくなってきたな。
⁉︎
背後に殺気を感じた。
俺は迷わずジャンプした。
俺が直前までいた場所をバイクが通過した。
自走しているのではなく、宙を飛んでいた。
背後を振り返るとアレックスが物を投げた体勢をしていた。
「あの野郎!」
「……ぶつかる!」
「な?うわっ!」
俺は想像以上に高く飛んでいた。
天井までの高さは十メートル近くあるはずだが危うく頭から激突するところだった。
空いている左手を天井に伸ばし衝突を避ける。
その衝撃で天井が凹んだ。幸い俺にダメージはない。
すぐ近くに換気口のようなものがあり、それを覆っている格子を掴んで落下を防ぐ。
格子の隙間は指がどうにか通れるくらいの幅で格子自体も細過ぎて掴むと痛い。
……この体勢は長くは持たないな。
「にしてもアレックスの野郎!捕まえる気ねえな。殺す気満々じゃねえか!」
それは変態マッチョも同じだったようだ。
「ノー!ノー!アレックス!何度言ったらわかるんです!」
変態マッチョがアレックスに近づく。
と、アレックスが爪を伸ばし、変態マッチョを切り裂いた。
「……あ、あれ?」
ばたりと倒れる変態マッチョ。
変態マッチョの体が痙攣している。
おそらくゾンビ化が始まっているのだろう。
「仲間割れ?……一体どういうことだ?」
「……」
アレックスはじっと変態マッチョを見つめている。
やがて変態マッチョがゆっくりと立ち上がった。
先程までの生気をまったく感じなかった。
「自分の実験体の暴走で自滅か。……結局、奴の本名はわからなかったな。ま、別にいいけどよ」
俺はホッとした。
敵の魔法使いがただのゾンビになったのだ。
明らかに敵は戦力ダウンした。
アレックスがゆっくりと顔を上げ、俺を見た。
その顔に笑みが浮かぶ。
明らかに自分の意思を持った笑みだった。
……暴走じゃない?自分の意思でマスターを殺した?
確かに変態マッチョは自分を化け物にし、恋人を殺させた憎い敵だ。殺す事は理解できる。
だが、何故今なんだ?なんでもっと前にしなかった?
「……ん?」
奴の体に変化が起きていた。
その体の至る所に黒いシミが浮かび出てきたのだ。
……あー、なんか嫌な予感がするなぁ。




