11話 <領域>に潜むもの
探偵事務所からの帰り道。
見覚えのある人物が前を通り過ぎた。
新田さん⁉︎︎
向こうはまったくこちらに気づかなかったようだ。
あるいは気づいたかも知れないが、前の一件から気づかない振りをされたか。
俺は足を止め、遠ざかる新田さんを見送る。
未練たらしく見つめていたわけじゃない。
違和感を覚えたんだ。
新田さんはどんどん遠ざかっていく。
あれっ?
俺は時計を見て違和感の正体に気づいた。
新田さんの門限は午後八時のはずだが、もう午後九時を過ぎている。
門限はきっちりしたものではなく多少遅れても大丈夫なのかも知れない。
門限の話はコンパなどの誘いを断るための口実だったのかも知れない。
そもそも門限の話自体誰かの作り話だったのかも知れない。俺が直接本人から聞いたわけでもないからな。
実はこの辺りに住んでいてお使いに出たのかもしれない。
だが、
どの可能性も俺の不安を拭い去ることはできなかった。
ぎゅっ
にゃっくが俺の肩をつかんだ。
その表情は厳しいものに変わっていた。
にゃっくも何か感じ取ったか?
丁度いいじゃないか!前の一件のことで話をしよう。まだ考えはまとまっていないがきっとなんとかなる!
「いくぞ!」
俺は新田さんの後を追いかけた。
不安が的中する。
新田さんの姿が段々と薄れていく。
他は正常だから俺の目がおかしいわけじゃない。新田さんだけが何かおかしい。
「新田さん!」
俺は新田さんに追いつき声をかけるが返事はない。そして新田さんに手を伸ばすが手が触れる前に姿が完全に消えた。
直後、にゃっくが俺の肩を蹴って跳ぶと新田さんが消えた辺りでにゃっくも姿を消した。
俺は慌てて新田さん達が消えた場所で手を振り宙をを探ったり、その場でジャンプしたり、できることをやってみたが何も起こらない。
歪みに飲み込まれたのか?
だとしたら俺にはどうしようもない。
だが、
出来るかもしれない奴を知ってるじゃないか!
俺はスマホを取り出し電話をかけた。
「早く出ろよ、ぷーこ!」
出たと思ったのもつかの間、
『電源が切れているか、電波が届かない所にあります』
「何が電波が届かないだ!お前いつも電波出してるだろっ!直接受信しろ!」
もう一人に急いで電話をかける。
「頼む!出てくれ!四季!」
だが出たところでどうにかなるのか?
四季がアルバイトを辞めてからもう何日も経っている。
この街にいない可能性が高い。
それでも俺には他の方法が思い浮かばなかった。
「はい、どうしたのかな?」
電話に出た四季の声は俺の焦りとは対照的に呑気な声だった。
「助けてくれ四季!新田さんが突然消えたんだ!にゃっくもだ!何かが起こってるんだ!」
「うん?ごめん、周りがうるさくてよく聞こえないんだけど」
確かに人が多い。前に来たときはこんなに人はいなかった。あちこちで叫び声が聞こえる。
だがそれを疑問に思う余裕はなかった。
「ともかくすぐ来てくれないか⁈」
俺が事情を説明したあとすぐに四季は現れた。
どこにいたんだこいつは、などと疑問に思う余裕などこのときの俺にはまったくなかった。
それにしても俺の話は支離滅裂だったと思う。自分で言うのもなんだがよく来てくれたものだ。
「じゃあ行こうか」
四季はいつもの笑みを浮かべて言った。
「行くって、どこへだよ?新田さんもにゃっくもここで消えたんだぞ‼︎︎」
動揺する俺を四季は笑顔にまま驚くことを言った。
「大丈夫。僕に任せてよ。僕はこういうの、慣れてるんだ」
そういうと俺の言葉を待たず、
「こっちだよ」
とだけ言うと走り出した。
俺は慌てて四季のあとを追った。
突然四季は立ち止まった。
「ど、どうしたんだ?」
結構走り続けたため俺の息は荒い。対する四季は平然としていた。
俺は高校で陸上部だったんだ。同じ年頃の奴と比べれば平均以上の体力はあるはずだぞ!どんだけ体力あるんだよ、お前は。
「準備はいいかな?」
「何がだよ?」
それに答えることなく、四季は突然俺の手を握った。
な、こいつ、まさか両刀だったのか?
もちろんそうではなかった。
俺は四季に引っ張られ抗議しようとした瞬間、手が放れた。
「一体なんだったんだ?…って、あれ?ここはどこだ?」
しっ。
俺の問いには答えず、しゃべるな、と人指し指を口元にあてる。
俺は改めて辺りを見回す。
辺りの景色が一変していた。
場所は同じだが見る限り俺達以外誰もいない。
あれだけの人がいきなりいなくなるなんてありえない。
これが”歪み”の中なんだろうか?
いや、違うか。もしそうなら俺達は元の世界に帰れないはずだからな。
俺は声を潜めて四季に尋ねた。
「ここは何だ?」
「<領域>と言われてる」
「<領域>?…歪みとは違うんだよな?」
「違うよ」
「それは…」
「ストップ」
「……」
「ひとつ、確認しておくよ」
「あ?ああ」
「君が助けたいのは新田さん、だっけ?」
「ああ。ファミレスに何度か来たことがあるからお前も見たことはあると思う」
「うん、たぶんわかる。みんなあの子に気があるみたいだったからね」
「……なんだよ?」
「別に」
「僕は新田さんを助けることには協力するよ。あとは君の自由にすればいい」
「ん?そのあと自由にって……いやっ俺は別に新田さんとそういう……」
「うん、僕もそういう意味で言ったんじゃない」
「へ?じゃあどんな意味が…」
「行くよ」
「って、おい」
俺は四季の後を追った。
しばらく進むと新田さんを発見した。
その目はうつろで、まるで何も見えていないようだ。いや、それだけではなく何も感じていないようにも見える。
ぼんやりと立っている新田さんの前に壁となって”敵”から守っているのがにゃっくだった。
敵、そうソレは敵としか言いようがない。誰が見てもソレが味方と思う奴はいないだろう。
にゃっくは新田さんに迫る黒い、どす黒い触手のようなものを俺の部屋のカーテンを切った技、皇帝拳だったか、で切り落としている。
切り落とされた触手のようなものは地面に落ちる前に塵になって消えた。
にゃっくは新田さんを守るだけで精一杯で反撃にでる余裕はないようだ。
にゃっくの体には無数の傷があったが幸いにも致命傷はないようだ。
「あの子だね」
「ああ!早く助けてくれ!」
「うん」
四季は笑みを浮かべたまま、俺に動かないように合図すると触手を放つソレに向かって歩き出す。
ソレは直径二メートル程の球体に見える。
いうまでもないが俺はこんな生物を今までに見たことはない。
ソレは全身がどす黒く、体からにゃっくを攻撃している触手を無数に生やしている。
そして本体には触手のほかに無数の赤い目を持っていた。
今までにゃっくと新田さんに向けられていた目の大半が四季に向けられ、残りがにゃっく、新田さん、そして俺に振り分けられる。
ぞくり。
ソレを最初に見たときが俺の恐怖はマックス値だと思っていた。だが実際はそうじゃなかった。
あの赤い目に見つめられた瞬間、
逃げたい!逃げたい!逃げたい‼︎
何もかも捨てて誰も彼も見捨ててここから逃げ出したい!
そう思った。
情けないことに俺がこの場に留まっていられたのは恐怖で体が動かなかったからだ。
俺とは比較にならないほどの視線を浴びているはずの四季は歩みを止めない。
その姿からはまったく恐怖を感じられなかった。
そんな四季の姿を見て俺は理性を少し取り戻した。
必死に勇気を振り絞る。
俺は逃げないぞ!
動け!動け!動け‼︎
なんのためにここに来た!
新田さんを救うためだろう!
ここで逃げたら絶対後悔する!
一生後悔する!
逃げて後悔するくらいならここで死ね‼︎
俺は心の中で何度も何度も何度もそう叫び続けた。




