110話 皇嫁につける薬はないのか
「……ったく、最近の若いもんは猫友も知らないのかい!」
いや、それ絶対若いとか関係ないぞ!
「いいかい⁉︎猫はこの世で唯一信じられる存在だよ!」
ばあさんの言葉に子猫が大きく頷く。
この猫、人の言葉がわかる!?
「わかったのかい⁉︎」
「え?あの、その、説明、それで終わりですか?」
「他に何を言うことがあるんだい⁉︎」
「えっと、オーナーさん、つまり、猫はペットじゃない、ということですか?」
「あんたにはそれ以外に聞こえたのかい?」
「いえ……」
「ったく、最近の若いもんは……」
だから若いもんは関係ないだろ!
っていうか、だったら最初から物件資料にそう明記しとけよ!
最初から知ってればにゃっくも連れて来れたじゃないか!
やはり家賃が安いのはこのばあさんに問題があるな!
まだ事故物件の可能性も捨てきれないが、それは帰ってから事故物件を扱ってるサイトで検索すればはっきりするだろう。
「すごくいい部屋だね」
「……ああ、そうだな」
俺達の賞賛の声にばあさんは、頬をヒクヒクさせている。
褒められて嬉しいがそれを知られたくないのだろう。
可愛いとこもあるじゃないか、このばあさん……って俺はそういう趣味はないからな!
それはそれとしてだ……
「進藤、何か気になる事があるの?」
「ん?あ、ああ。だがそれは部屋の事じゃない」
「と、いうと?」
皇が俺の視線に気付いたみたいだ。
「二人に何か?」
「何故あの二人は使いもしないキッチンをあんなにじっくり見てるんだ?」
「し、進藤!それを言っちゃ……‼︎」
俺達の会話がキッチンにいる女性陣にも聞こえたらしく、こちらを睨んできた。
「進藤君、今のはどういう意味?」
「ちいと、まるで私達が料理できないみたいに聞こえたわよ⁉︎」
「え?その通りじゃないのか?なあ皇?」
皇は困ったような顔をした。
……あ、俺、余計なこと言っちまったか。
俺達を睨んでいた皇嫁が突然ニヤリと笑った。
ああ、このバカ嫁、またロクでもない事思いついたな。
「そこまで言われたらこちらも黙ってられないわ。ねえ、せりす」
「え⁉︎」
あ、新田さんもバカ嫁の次の行動が読めたな。
「料理対決よ!もちろん、負けた方が相手の言うことを何でも聞くのよ!」
「ちょっと、つかさ!」
やっぱりか。
「つかさちゃん……」
新田さんの動揺した表情、同情した皇の顔。
これだけでもう勝負するまでもない事がわかる。
いや、わかっていないのが約一名いるか。
「ったく、無謀なことを」
「……なんですって?」
あ、また声が出ちまったぜ。
ま、いいか。
「気付いてないのか?新田さん、すごい自信なさげだぞ」
「え?」
これは皇嫁には予想外だったようだ。
「せ、せりすのお母さん、すごく料理上手よね?」
「お母さんは、ね」
「え、えっと、前にちいとにお弁当作ってきた事あったわよね?料理出来るわよね?」
「……ほんの少しは」
自信なさげに答える新田さん。
これは謙遜でも何でもない。事実だ。
作ってもらってこんな事を言うのはなんだが、同人即売会の時の弁当は大した事なかった。
もし料理が出来るならおにぎりと味噌汁だけって事はないだろう。
俺が家に行った時も料理は新田母に任せっきりだったしな。
新田さんの返事で皇嫁の表情に不安が広がる。
「一応言っとくとだ、俺はな、かつてある理由で料理の猛特訓をしたことがあるんだ」
「妹ちゃんのためでしょ?」
「妹ちゃんのためだよね?」
「変態だわよね」
「なんでわかった?てか変態ってなんだ!男が料理したら変態なのか!」
「あんたが変態でしょ」
「おまえなあ、俺はともかく彼女の前で失礼だろ。なあ?」
「え?」
あの、なんですか新田さん、その驚いた顔は?
「う、うん、まあ、そうね、今は料理の話だからその事は置いときましょう。ね?」
「俺が変態だというのは否定してくれないのか?」
「そうね。それを否定するには今まで私にした事が変態行為かどうかを客観的に判断してもらわないと」
「話してみて!」
「うん、気になるね」
「わかった。保留でいい」
「今ので変態確定でしょ!」
「だって。いいの進藤?」
「いいわけねえだろ!でも言わねえ!俺は恥バナを喜んでするどっかのバカ夫婦とは違うんだよ」
「だ、誰がバカ夫婦よ!」
お前らだよ。わかってるだろ?
「でもまあ自分で恥バナだって思ってるってことは自覚してるって事だよね」
「なんだと!?」
「じゃあ、進藤君はやっぱり変態って事で」
何言ってんだよ、新田さん。
新田さんはこのバカ嫁に毒されてきているな、確実に!
「大体、ちいとが本当に料理出来るって証拠はないわ!」
「そうだな。でもよ、俺はちょっと前までファミレスで働いてたんだぜ」
「別に料理作ってたんじゃないでしょ!」
「だが時間がある時は料理するのを見てたんだ。少なくとも知識がある事はわかるよな?」
「そんな事言ったら私だってお母さんが料理してるのずっと見てたわよ!」
「手伝えよ」
「よ、余計なお世話よっ!お母さんが手伝わなくていいって言ったんだから!ねえ?」
「ええっ?あ、うん、そう言われたらそうするしかないかもね……」
皇嫁、やばくないか?料理の腕は新田さん以下なのか?
「で、どうするんだ?そっちが圧倒的に不利なのは明らかだと思うんだが?今なら許してやってもいいぞ」
「そうだよ、つかさちゃん、新田さんが心に深い傷を負ったらどうするの⁉︎」
「おい、皇、それはどういう意味だ?」
「何よ、そのまるでもう勝ったかの言い様は!」
む、これは逆効果だったか。
「新田さんはいいのか?」
「……まあ、つかさがどうしてもやるって言うなら」
新田さんは半分諦めた口調で言った。
あ、そうだ、お約束だが言っておくか。
「洗剤で米洗うなよ」
「ばっかじゃないの!失礼よね、せりす!」
「本当にね。進藤君、私達をバカにしすぎじゃない?」
「そうだよ、進藤。流石にそれは……」
「無洗米使うに決まってるじゃない!」
「「「え?」」」
「……あれ?」
「つかさちゃん……」
「……皇、お前よく今まで生きてたな」
「うーん」
「ち、違うの?」
「……つかさ、無洗米じゃなくても洗剤は使わないわよ。私でも知ってるわ」
「い、今まではお母さんがご飯炊いてくれてたんだもん!」
「……」
これ、時間も食材も無駄だよな?
「もう勝負したことにして俺達の勝ちにしないか?」
「それ、私達に利点あるの?」
「もし勝負したら勝ったかもしれないのに、という夢に浸れるじゃないか」
「「……」」
「進藤…」
うーむ、今のは流石に言い過ぎたか?
「悪い。今のは言い過ぎた」
「ちいとムカつく!絶対勝って“ぎゃふん”と言わせてやるわ!ね!」
「……そうね。そこまで言われたら勝つしかないわね」
どうやら俺の一言が女性陣の心に火を付けてしまったようだ。
……火が付いたところで料理の腕は上手くならないんだけどな。
そうそう、皇にこれだけははっきり言っておかないとな。
「皇、お前の嫁の料理はお前が食えな」
「ええ⁉︎死ぬ時は一緒だよ⁉︎」
「嫌だね」
「あんた達、絶対許さないから!」
さて今度は新田さんに何を……ってやべっ!ばあさんほったらかしじゃないか!
「あの、すみません」
「……馬鹿話は終わったのかい?」
あれ?怒ってない?
今のやりとり面白かったか?
もちろん、そうではなかった。
ばあさんは他のものに気を取られていたのだ。
ばあさんが窓の外を指差した。
窓の外、ベランダの手すりの上に子猫がいた。
「にゃっく⁉︎」
相変わらずのポーカーフェイスだった。
「あんたの猫かい?」
「え?あ、はい」
「……あの子、できるな」
どうしてそう思った?
「頭がでかいからですか?」
「……あんた、意外に見る目があるじゃないか」
図星かよ。って誉められてもうれしかねーけどな。
「それにね、ここは4階だよ」
あ、確かに普通の猫が外から四階まで上がってくるなんて出来ねえか。
「なんで一緒に連れて来なかったんだい?」
「それはペット禁止って言うから外で待って……」
「かーっ!」
俺の頭に再び激痛が走る。
「いてぇ!二度もぶちやがったな!」
心優しい俺もさすがにキレるぞ!
「さっさと入れてあげないか!震えてるじゃないか!」
その言葉でちょっと冷静さを取り戻す。
にゃっくは表情とは裏腹にそのちっちゃな体はぷるぷると震えていた。
もうすぐ五月に入るというのに今日は涼しかった。
俺が窓を開けてやると、にゃっくはジャンプし、音も立てずに部屋に着地した。
にゃっくとあの子猫がしばし、無言で見つめ合う。
しばらくしてどちらともなく視線を外し、にゃっくは俺の肩に乗った。
子猫がちらりと新田さんを見た気がした。
ばあさんに追い出されなかったところをみると皇夫妻は合格点をもらえたようだ。
帰り際、視線を感じ、後ろを振り返るとあの子猫がじっとこっちを見ていた。
どこか寂しそうに見えたのは俺の気のせいか。




