10話 誘われて来てみれば
『すぐきて、ふりーず ばい ひめ』
そのメールが届いたのは午前十時を少し過ぎた頃だった。そのとき俺は非常に機嫌が悪かった。
今日は休講が重なったのとバイトのシフトが入っていなかったので一日フリーだった。
久しぶりに俺の可愛い妹と一日遊べると思っていたのに母がママ友会とやらに連れて行ってしまったのだ。
送り主のメールアドレスは初めてみるものだったが、相手があのバカだとすぐわかった。
ふりーずはプリーズと打ち間違えたのか本当にそう思っているのか、はたまた違う意味で書いたのか判断できない。
バカだからな。
俺はキッチンに向かい冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを取り出すとグラスに注ぐ。
そこへ帽子をかぶり赤いマントを纏ったにゃっくがやってきた。
俺はにゃっくにもウーロン茶を注いでやる。
俺たちが一服しているとまたメールが届いた。
『すぐ来て、プリーズ by ぷーこ』
「お、今度は間違えなかったな。しかも自分のことを”ぷーこ”と俺がつけたあだ名にしている」
ここまで下手に出られるとちょっと考えてしまうな。
どうせ暇だし行ってみるか。
「にゃっく、ぷーこのとこ行くけどどうする?」
にゃっくは無言でぴょんとジャンプして俺の肩に乗った。
相変わらず重さを感じない。
「行くか」
俺は今から行くと返事をすると残りのウーロン茶を一気に飲み干した。
出迎えに出たのはぷーこではなかった。
「よう、みーちゃん」
もはやこのネコ、いや皇帝猫達の行動に驚かなくなったな。
いいのか、これで?
「人を呼んどいて出迎えなしか。相変わらずおまえの飼い主はだめだめか?」
どっか出かけたか?入れ違いになったのか?と考えているとまたメールが届いた。
さっき俺が送ったメールの返信だ。
内容は、
『さんきゅ。』
だった。
「なに?」
俺は辺りを見回した。みーちゃんは俺と目が合うと、
しゅたっ、
と右前足を上げた。
「へ?まさか、俺を呼んだのはおまえか?」
みーちゃんが大きく頷いた。
念のため部屋の中を見て回るか。
真っ先にバスルームに向かった。
他意はないぞ。ドラマとかでよく倒れている場所だからだ。それだけだぞ。
しかし、残念ながら、もとい、幸いにもぷーこはいなかった。
残る部屋とトイレも見たがやはりいなかった。
みーちゃんがあれだけしっかりしてるんだ。もしぷーこが倒れているようなことがあれば真っ先に案内してるよな。
いつからいないんだ、あいつは。いつものことか?
飯はどうしているのかと見回すと最高級キャットフードがあった。
とりあえず餓死の心配はなかったか。
冷蔵庫を開ける。
コーラとミネラルウォーターだけで食材はまったくない。
「まあ、あのぷーこが自炊するはずないからおかしくはないか。間違えた。自炊などできるわけがない、だな。日本語は正しく使わないと」
そうつぶやいたときに二匹、いや二騎が頷いたように見えたのは気のせいか。
そういや昼飯食ってなかったな。ママ友会ショックですっかり忘れてたぜ。
俺がみーちゃんに相談しようとしたときにはすでにネットで寿司を注文した後だった。
キャットフードに飽きて呼び出されたのか、俺は。
注文や支払いはネットで出来ても受け取ることが出来ない。
さすがに猫が出迎えて渡す奴はいないだろう。
だから俺を呼びだした。
そういうことなんだろう。
っていうか、他の奴らはどうしたんだ?
出前は三十分ほどで来た。
配達人は前回来た女性ではなかった。俺が出迎えても特に驚くこともなく、寿司を置いて去っていった。
みーちゃんが側にいたからか?
まあ深く考えるのはやめよう。
俺は台所から小皿を三枚取り出し、寿司を平等に振り分ける。
前回はぷーこの陰謀でイカとタコばかりだったからな。
「嫌いなものあったら言えよ」
二騎が同時に指差した。
エビ、いか、たこだった。
確かに前回エビも取り除いていたな。エビはぷーこがぜんぶ食ってたが。
「代わりになんか食いたもんあるか?」
そう俺が聞くと、びしっ、びしっと二騎そろってマグロを指しやがった。
「……容赦ねえな、おまえら」
冷蔵庫からコーラとミネラルウォーターを取り出す。
コーラは俺だ。
テレビをつけた。
特に見たいものがあるわけじゃない。BGM代わりだ。
にゃっくとみーちゃんは何やら話をしているようだが当然俺にはわからん。
洋画がやっていたので音声を英語に変えて聞いてみた。
聞き取れん。俺の英語力はそんなもんさ。
ん?
みーちゃんを見るとそわそわして落ち着きがない。
「トイレか?」
みーちゃんははっとしたように俺を見、何事もないようにマグロをぱくっと食べる。
なんだ?
しばらくしてまたインターホンが鳴った。
それに反応し、みーちゃんがドアモニタにダッシュした。
みーちゃんはモニタで相手を確認すると応答ボタンを押せ押せと俺に催促する。
俺は応答ボタンを押した。
「はい」
『お荷物ですっ!』
配達人の元気な声が聞こえた。
みーちゃんが目を輝かせながら俺を見た、ような気がした。
これのための俺を呼んだのか。
俺はみーちゃんに急かされるままに玄関の開錠ボタンを押した。
配達人の女性は二十歳過ぎくらいか。体格ががっちりして声もでかいから体育会系に違いない。美人というわけではないが、愛想がよくて好感がもてる。
「毎度ありがとうございますっ。あれっ、今日はお姫様いないんですかっ?」
あいつは誰にでもそう言ってるのか。
「今ちょっと頭の病気の治療してるんだ」
やべっ、口が滑ったぜ。
「そうなんですか」
あれ?あっさり納得したぞ。
しかも何度も頷いて。
自分で言っといてなんだが、この人も結構失礼な奴だな。
にゃ。
みーちゃんが俺の足をつつく。
まったく子供?だな。
「ハンコかサインお願いします」
俺のサインで大丈夫なのか。
そう思ったとき、みーちゃんが鳴いた。
ん?
見るとみーちゃんが顎を上げていた。
ふんぞり返っているのか、あの飼い主に似たか?と一瞬思ったがそうじゃなかった。
その首にがまぐちがかけられていたのだ。
頭がでかくて今まで気づかなかったぜ。
がまぐちをあけると中には小銭と万札が数枚、それにハンコが入っていた。
俺をハンコを手に取って印を確認した。
……これを使うのか?
ちらっとみーちゃんを見ると大きく頷いた。
俺をちょっと躊躇したがそのまま押した。
ちなみに印は、
みーちゃん、
だった。
作ったのは絶対ぷーこだ。
ばかだ、あいつ。
こんなんでいいのかという俺の心配をよそに配達人は、ありがとうございますっ、と営業スマイルを崩すことなく去っていった。
「なんだかなぁ……ん?」
荷札が目に入った。
時間指定してるじゃないか。
ということはぷーこは突然用事ができたってことか……ん?
宛名に、
姫野風子
と書いてあった。
あいつ本名は姫野風子っていうのか。
……まてよ、
ひめのふうこ…ふうこ、ぷうこ、ぷーこ!
おお、俺がつけたあだ名、すばりじゃねえか!すごくねえか、俺!
と俺がひとり興奮しているとみーちゃんが足をつついてきた。
みーちゃんの催促で俺は段ボールを担いでリビングに向かう。
中に入っていたのはタブレットだった。
結構人気の奴だ。パソコンとかに興味のない俺でも知ってるくらいだからな。
なかなか値引きしないんだ、とタブレットで絵を描いているらしい皇が文句を言っていたのを思い出す。
どうやらみーちゃんのデイトレは絶好調のようだな。
本体を取り出すとみーちゃんがもう我慢ができない、とばかりに間に割って入り立ち上げ作業を始める。
「…まじかよ」
てっきり俺にさせるのかと思っていたぞ。みーちゃんは慣れた手つき?で十分足らずでセッティングを終了させ、さっそくネットに繋ぎ何事か始めた。
俺がやるより確実に速い。
思わず見とれていたが飯の途中だったのを思い出した。
にゃっくはすでに食べ終わり、窓の外を眺めていたりする。タブレットにはまったく興味なしだ。
みーちゃんはご飯のことなどすっかり忘れてタブレットに夢中だ。
しょうがないので俺が寿司を口に運んでやる。
飯も食い終わり映画も終わった。
俺は特にすることがなくなった。
みーちゃんは相変わらずタブレットに夢中で、にゃっくはといえば、ちょっと前に窓から外へ出て行ったっきり帰ってこない。
俺はソファにごろんと横になるといつの間にか眠ってしまった。
「……今何時だっ⁈」
誰にともなく叫び時計を見た。
午後七時を過ぎたところだった。
「げっ、もうこんな時間か」
にゃっくは戻ってきていた。厳しい表情をしているように見えるのは気のせいか?
みーちゃんは相変わらずタブレットをいじっていたが、俺が目覚めたので画面をこちらに向ける。
出前のメニューだ。
俺もぷーこを非難できねえな。
夕食を済まし、テレビをしばらく見ていたが誰も帰ってこなかった。
俺はみーちゃんにうちに泊まりにくるかと誘ったが、タブレットから目を離さず微かに頭を横に振った。
「そうか。じゃあ、ちゃんと戸締まりしろよ」
俺とにゃっくは探偵事務所を後にした。