対談
暗いのか、明るいのか。地面を歩いているのか、空を飛んでいるのか。上なのか、下なのか。
世界の常識で捉えようとすればするほど狂う場所に、クローバーはいた。
混濁していきそうなおぞましさと快感が体を震わせたかと思ったら、まず体の感覚自体がない。
闇の中でなんの感覚もないまま意識だけがあるような、落下していきそうな不安感。
しかし目の前を闇ともなにとも判別できずに、感覚もないので意識だけが拒絶反応を起こしているような自己確立の危うさ。
できれば足を踏み入れたくなかった領域に、脳味噌であったクローバーは存在していた。
「あり?新入りだー!って、クローバーかよ、ダムシット!!」
「あら本当ね。さっきもいた気がするし、あと百年はいなかった気もするし、ああでも時間なんてここでは意味がないわね」
感じ取る赤と青の魔。声として捉えるどころが言葉としても捉えられていないのに、女性だという確信が泡のように現れては消えていく。
その二つはクローバーと違って存在感が濃厚で、押し潰されそうなほどの威圧が意識を掻き消そうとしているようだ。
クローバーは飲み込まれないように思ったことを出していく。言葉でも声としてでもなく、もっと違う何かとして放出するように。
「久しぶりです、そして初めまして。僕は錬金術師クローバー。お見知りおきを、そして忘れてください」
「うおぅっ!?いきなり狭間の常識に慣れ始めやがったんだよ!?いやいやいや、どうなっているんだべ?」
「つまりはクローバーもこの狭間の住人であったし、なる予定でもある。ああ、ややこしいわ。即席世界の中で話し合いましょう」
視界機能や言語機能など最低限通じる世界を、一秒も満たない内に作りだす力。
別に生命を育む必要がなく、空海陸が必要のない簡素な世界。
そこに三人の人間が同時に姿を現した。
クローバーは二十代前後の青年の姿で、アロマキャンドルで照らされた闇の中にいた。
アロマキャンドルは無重力で浮いており、三人にぶつからないように風に身を任せるように揺れ動いている。
青の魔女は老婆の姿で青いフードを被っているが、蛙が彫り込まれた杖を握る手は赤ちゃんの手。
赤の魔女は目が痛くなるほどの真紅のベルベットドレスを着ているが、燃えるような印象は受けない。
サイドテールにして緩やかなパーマをかけた鮮やかな赤い髪、炎を煮詰めたような赤い目、赤く染めた月のような唇。
ドレスのフリルと肌以外は全て赤く、そのどれもが受ける印象を変えてくる。爪も入念に赤く塗っている。
「で、なんのようでしゅかね」
「青の魔女、貴方は話さないで。まずは私の質問。意識はどう?」
「……大分鮮明になったと同時に困惑しています。別世界で繋がるはずのなかった僕の意識も統合されましたから」
「上々ね。それで、貴方が保つべき意識、存在とは答えられるかしら」
「僕は錬金術師クローバー。扇動美鈴じゃないので、気を付けて」
その答えに満足したように赤の魔女はドレスの裾を持って優雅に一礼する。
貴族の女性がする仕草に見えるが、彼女の動きを見ていると真似ごとのようにしか見えない。
赤ちゃんの手で杖を回して遊んでいた青の魔女は、会話が途切れたのを感じ取って話し始める。
「そんでさー、狭間に来てなにをしたいの?狭間は空間ではないし、時間でもない。座標があるけど、一つだけじゃないっつーわけだしん?」
「その代りあらゆる空間や時間、世界に干渉ができる。つまりは世界に干渉したいってことよね?どこのかしら?精霊世界?ゲーム世界?それとも…」
「普通に過去の世界です。タイムマシン開発の際に元の時間世界へ戻れない機能が発生したのは、この狭間を検知したことによる副作用なんですが」
「そうね。過去で歴史を変えればその分可能性が増えて、世界も増える。その分狭間も増加して、元いた時間世界の座標は消えてしまう」
「ながいっすよー。長くてこの青魔女お姉さまは退屈でごわす」
杖で近くにあったアロマキャンドルを突き動かし、赤の魔女のドレスに向かうようにする。
あっさりとドレスは燃えていき、赤の魔女自身も燃えていくが炭すら残らない。
正確には燃え尽きたと思った次の瞬間には、青の魔女の背後に現れていた。燃えた跡一つ残っていない。
「貴方は黙ってて。余計なこともしないで。貴方と違って私は彼に近い考えを持っているから、真剣に話したいの」
「あ、あははは……やっだなぁ、赤魔女ちゅわぁああん!青魔女くんも真剣よ?真剣に退屈なのだよ、うん」
「次邪魔したら貴方を燃やすわ。さて続きね。タイムマシンは粒子を検知し、座標を記録する。ただ狭間によって記録した座標に戻ろうとしてもエラーが発生する」
「そうです。おかげで世紀の失敗作と罵られました。普通の人に狭間のことを話しても通じませんしね」
複数世界理論を用いて開発したタイムマシン。粒子を計算し、元いた時間世界の座標と行きたい時間世界の座標を記録する。
しかし過去にさかのぼり、戻ろうとした際に通信は可能でもマシン自体がエラーを起こして戻れない。
そして明らかになるのは別の時間世界に向かった人間は、そのまま違う時間世界に進むということ。
元の世界に戻れない。実験によって発覚した最大の失敗点。
だがクローバーはそうなるだろうと予測していた。複数世界理論を実際の粒子測定器において計算した結果、小さな隙間があることを見つけていた。
そのせいで計算はずれていき、おかしいと調べた結果見つけたのが、世界と世界の狭間。
空間でも時間でもなく、粒子が原因でもない。世界が増えると同時に現れる、座標計算を狂わせるなにか。
その発見と同時に気付いた不可解な、あの世ともこの世ともつかない、場所。
クローバーはそこを狭間と感じた。どこにでも属せて、どこにも属せない狭間。
しかし説明しようにもその場所は目に見えない。宇宙空間というわけでもない。
なぜか過去には戻れる。過去はすでに決定していると仮定し、粒子の流れが安定しているとクローバーは推測している。
しかし変化を続ける未来は粒子が不安定で、また過去と違い増える世界が爆発的なのだ。再計算しようにも追いつかない。
だから過去に戻ったタイムマシンは未来に戻れない。通信だけでもできるのが救いだが、意味はない。
通信は粒子の流れに合わせて波長を合わせればいいが、タイムマシンは粒子の位置を特定してその場に瞬間移動するに近い構造。
川の流れに色水を流して一本の線を作るのが通信。しかしタイムマシンは川に落とした葉を雨の中で探すに近い計算が未来に戻るには必要なのだ。
過去に遡るのが容易いのは、川の底で溜まっている石の一つを見つけることだと思えばいい。未来世界計算よりは簡略できる。
その小石が集まった際にできる隙間が狭間。そこすらも川の流れで揺れ動き、形を変えていく。
それに気付いた時、クローバーはタイムマシンの公表を止めようとした。だが世間の期待はそれを上回った。
正直に言えば複数世界理論は世間に正式に認められていたわけではないが、タイムマシン開発に必要な理論として取り上げられていただけだ。
それでも憧れの大発明が叶うなら、荒唐無稽な話でも理論立ててしまえば納得することができる。誰もが浮かれていた。
だからこそタイムマシンにおいて発生するエラーは理解されないまま、クローバーのタイムマシンは失敗作と決定された。
「粒子は世界の流れ。精霊とも言えるわ。その流れを計算することによって世界座標を特定する。素晴らしかったわ」
「ありがとうございます。しかし失敗は失敗です。僕は結局先人が見つけた最高の発見を生かしきれなかった、科学者の成りそこないです」
「失敗したから、見つけたのではなくて?狭間の存在を。そしてどうするべきかを」
「はい。僕は、僕が体験したのとは違う過去時間に介入します。世界は彼らを救いません。だから手を伸ばそうと思います」
アロマキャンドルの芳しい香りに包まれながら、それでも意識を鮮明にしてクローバーははっきりと告げる。
「諦めないでと手を伸ばされたあの時から、それだけが僕の変わらない行動理由です」
クローバーは手を差し伸べる。助けるわけではない、ただチャンスを与える。
決めるのは伸ばされた方の意思。それが一番だとクローバーは思っている。手を握るのも、振り払うのも、他人の意思では意味がない。
自分自身、それが後悔しない唯一の道。脳味噌になったクローバーは、差し伸べられた手を振り払った結果だった。
後悔はしていない。本当のではないが、父親の役に立った。誰かに哀しい顔はさせたが、それでも満足していた。
その後の未来がどんな悲惨な結果を辿ったとしても、誰もが自分自身の意思で突き進んだ結果だ。
誰もが救われなかった未来を辿ったクローバーだからこそ、他の時間世界の可能性に対して適切な処置を施すことができる。
マーリンを別の時間世界に送ったことによって、赤い結末、魔法使いの弟子達は全員が生き残った。
そうやって可能性を増やしていく。もしかしたらどこかには全てが存在する素晴らしい世界があるかもしれない。
だけど側面で救われない可能性も多々存在し、中には助言だけでは意味がない物事だってある。
今回直面するのはそんな事件。そこへ手を差し伸べるため、クローバーは狭間に向かった。
タイムマシンで誰かを送っても意味がない。通信で言葉を施してもどうにもならない。
もし決定的に何かを変えるなら行動するしかない。それが永遠の別れを意味したとしても。
赤の魔女は姿を陽炎のように揺らす。足先が透明になったかと思えば、全体が半透明のようになって背後にあるアロマキャンドルが透けて見える。
しかし揺れ消える中で、微笑みだけが鮮明に見える。炎の向こうに揺らめく実像のような姿。
「素敵。魂に芯が通った、燃えるような意思。私、好きよ。そういうの」
「……魔女は世界のために動く。しかし別側面で生存本能のように求める物があると聞きました」
「そうよ。でもそれすら世界を動かす一部、いいえ壊す一部、止める一部、作る一部。なんでもいい、それさえあれば生きていけて、それがないと死んでしまう」
「せっかくの機会です。教えてくれませんか?」
横目で暇そうにしている青の魔女を見つめながら、クローバーは鍵となる言葉を引き出そうとする。
魔女の本質。青い血が自分のために動き、社会を大きく震わせるように、魔女にも必要な何か。
「愛よ」
クローバーは睨んだ通りと笑みを見せる。同時に赤の魔女と青の魔女も笑う。
「まるで夢幻のように、炎のように、灯火のように、蝋燭のように、マッチのように、揺れ動くのが愛」
「とある王子のように、姿を変え、手を変え、品を変え、変化していくのが愛」
「それこそ月のように、満ちて、欠けて、消えて、輝いて、全てが見えたと思ったらまだ裏があるのが愛」
一つ混じった言葉と声に思わずクローバーは肩を震わせてしまう。
振り向けば黒の濃淡のみの十二単を着た麻呂眉の女性が、ダンディな男性に姫抱きをされて現れていた。
その眉毛に覚えがあるクローバーは震える声で尋ねる。
「き、求道松尾さんと神楽耶さん……というか黒の魔女夫妻」
「なんか惹かれる感じがあったから来ちゃった★ねー、松尾さん」
「はっはっはっ。神楽耶さんの頼みとあらばえんやこらだからね。久しぶり、三葉さん」
「切札三葉は別世界の僕の名前なので、今はクローバーと。それにしても、まさか他の三人が来たりは……」
魔女は六人。それぞれ色を冠する。一人でも厄介な存在である。
それが三人揃ってしまったことにクローバーは警戒し。何度も周囲を見回す。
しかし求道神楽耶は大丈夫と根拠のない返事をする。
「というか今から減ると思うわよ。なにせ今からわらわと松尾さんの壮大な愛の逸話が始まるから!!」
「え?」
「うげっ!?」
そして始まる本当に無駄に壮大な出会いから始まる二人の惚気話。
言葉の合間にはキスやら濃厚なロマンス空気が挟み込み、聞いている方が大ダメージを受ける始末。
最終的に青の魔女が、話し終える前に逃げ出した。大声で青い血の一番に呼ばれたと言い訳していたが、その真偽は確かめようがない。
逃げた青の魔女を羨ましく思いつつ、クローバーは最後まで話を聞き終えた。
赤の魔女はどこ吹く風で、平然とした笑顔で拍手を送っている。クローバーにはその気力がなかった。
黒の魔女である求道神楽耶は自分から腕の中から降りて、求道松尾と並び立つ。
「お邪魔虫はいなくなったわよ、薪ちゃん」
「ありがとう。それにしても気まぐれな貴女がここに来たということは、彼が手を差し伸べる世界は息子さんと関係が?」
「少しだけね。でもどう生きていくかは、あの子が決めること。正直に言えば松尾さんとの愛を語りたかっただけよ、ねー?」
「ねー」
腕に腕を絡ませて求道神楽耶は上目遣いで夫に熱い視線を向ける。
その視線を甘受して、同意の声を送る求道松尾はもう蕩けそうなほど妻を眺めている。
おそらく息子の求道哲也がいたら、哲学書に集中して見ないようにしていたであろう程、二人のラブラブカップルぶりは激しい。
「……そういえば、今の貴方は天埜薪なんですか?」
「そうよ。赤の魔女は代替わりが他よりは激しくないけど、それでも狭間にいたら私とは違う赤の魔女とも出会うでしょうね」
統合された意識と知識のもと、クローバーは赤の魔女である天埜薪のフルネームを口に出す。
ついでに言えば先程逃げた青の魔女はミリオン・ブルーノだ。しかし時間と空間外の狭間ではこの認識もかなり危うい。
全く別の世界から代替わりした赤の魔女と出会う可能性もある。魔女は世界を動かすが、不死ではないのだ。
狭間に来た人間は生死すらあやふやで、あべこべなのだ。それが正しいことで、歪んでいる。
それでも覚えておかないと後々面倒なことが起きる可能性もあるのだ。クローバーは忘れないようにしようと誓う。
ちなみに今の天埜薪とクローバーの会話、その真の意図は目の前で熱い愛を披露する夫婦から意識を逸らすためである。
「で、貴方は魔女の本質を利用して何がしたいのかしら?」
「小さな話ですよ。データ一つを救いたいだけの、簡単な話です」
「指先一つでも可能な話ね。それは魔女や世界を巻き込むほどの話なのかしら」
「ええ。なにせ青の魔女が関与している。むしろ青い血が関与している。だからこそ狭間に来ました」
クローバーは逃げ出した青の魔女、ミリオン・ブルーノを思い出す。
話の前後がわからなくなるほど、狭間というのは時間や空間の概念がおかしい。
狭間には青い血や普通の人間は手出しができない。だからこそあるデータに相応しい。名前でも繋がりがあるほどに。
「よかったら協力してください。赤の魔女である貴方の力を、僕に」
「……いいわ。そこに愛があるなら」
愛を求める魔女は、錬金術師の差し伸べた手を取る。
そして向かうのは物語の最後の最後、二人が介入するべき時間世界へと向かうのだった。