悔いはない
帽子屋の背中に庇われながら、崋山優香は何度も目の前の扉を叩く。しかし取っ手もない自動開閉式の扉は動かない。
そして帽子屋の正面には無数のロボット達。地下室の全戦力を集めた、ジョージ・ブルースが赤い子供達を絶望へ叩き落とす最高の手段。
駿河瑛太の活躍により、扉の向こうにシステムエッグがあるのを知っている。ロボット達が崋山優香を始末しようとしていることからも明らかだ。
しかし開かない。鍵もない。こじ開ける力もない。帽子屋一体だけで猛攻に耐えられない。
「開けて!この先に消失文明を、地下世界を、全てを狂わした元凶があるの!もう……クラリスみたいな犠牲を出したくないのっ!!」
金髪の少女。大人になれず、恋に憧れ、その恋も実らないまま消えてしまった存在。崋山優香も忘れられない。
時計台の上で恋話をした。確かに子供達を犠牲に愛する民を救おうとした。それは彼女が女王だったからだ。女王としての責務を果たすための仕事だった。
少女は女として生きれなかった。最後まで、アンドールになっても、消失文明の女王として自信の記憶容量の負荷に耐えられず内部から焼けて死んだ。
地底人。地上の発達した薬品によって数を少なくした種族。いまや五人しかいない程、減ってしまった人々。
太陽の下に出られない白い髪に赤い目、そして恐ろしいほど白い肌。これから地底人の数を増やすなど無理な話である。
残された地底人の子供は夢のような遊園地を作った。太陽のように光り輝く遊園地は、一時青い血によって利用された。
システムエッグ。最高の演算装置。しかし身に余る希望を望めば、文明すら破壊する絶望を振りまく、魔女が作った傑作。
それは今も幸せな世界を作り続け、苦しめている。システムエッグに意思はなく、全ては利用者の悪意と善意を区別せずに再現している。
消失文明は不老不死。地底世界は不老長寿。トットは弟を見守る方法。ジョージ・ブルースは赤い血を利用し、自分に利益をもたらすため。
全てが悪かったわけじゃない。それでも数えきれない犠牲の上にシステムエッグは存在し続けている。
それさえなければ叶ったことがあるかもしれない。高望みではなく、身の丈に合った願い事ならささやかに実現したのかもしれない。
だがシステムエッグはそれすらも奪い去る絶望を振りまいた。涙する余地を残し、少しずつ搾り取るように命を消していった。
<お嬢さん。それをシステムエッグに願えば、きっと叶えてくれるでしょう。扉の向こうにあるのですから、簡単なことです>
「……それはできない。私はシステムエッグに頼らない!ケンがそうしてきたなら、私も同じ!」
<ぶっは!この状況でそうきましたか!!ならば……この帽子屋、主人公のような少女のため、少々本気を出しましょう!!>
卵のような顔についているの通気口の四角い部分だけ。目も鼻もない。それでも通気口から吐き出す空気だけで、帽子屋は器用に笑みを感じさせた。
細長い体は崋山優香を庇っているため、多くのロボットに噛みつかれては振り払っていたため、金属部分が露出した部位も多い。
それでも帽子屋は軽快な動作で頭に乗せているシルクハットを軽く四回叩く。途端、人間の耳には届かない周波が撒き散らされる。
ロボット達はその周波で視界だけでなく音を捉える機械すらも狂わされる。上下が狂うなど生易しい物ではなく、紅茶にミルクを入れてかき混ぜるような渦巻く視界。
音も反響音が鳴るのではなく、左右上下をかき混ぜるような距離感の把握を狂わせていく。奥の方から愉快な茶会の笑い声が聞こえてきて、新たな敵かとCPUが混乱する。
何体かのロボットが隣にいた味方に攻撃し、同士討ちが始まる。帽子の中からティーカップを取り出して、意味もなく投げて割る帽子屋は高らかに宣言する。
<これが私の真の実力なのです!遊園地の時は披露できずじまいのままズルズルと役立たずの称号を受けていましたが、汚名挽回ですな!>
「返上!挽回は取り戻している!それはマジボケなの!?それともCPUがトチ狂っているの!?」
<……そうでした。実は私、この機能を使うと私自身にも影響が出る諸刃の剣でして、どうも辞書機能が狂ったようです。ぶっは!元から狂っているのにさらに狂うとはこれいかに!>
「それでもこの扉を開ける機能はないのね……ああ、本当にどうすれば……」
そこへ現れたのは人間兵器と名高い豊穣雷冠。俵を抱えるようにクラカを持っているのは気になったが、まさに希望の雷光。
これで扉が開けられると思った矢先、帽子屋だけに標的を定めた激しい雷攻撃が視界を白く染め、帽子屋の体を綺麗に吹っ飛ばした。
廊下向こう側の壁まで吹っ飛ばされた体はマリオネット人形のように関節が捻じれ、黒く焦げている。体のすぐ横を掠めた熱量に崋山優香は冷や汗をかく。
「このロボット野郎!!お前のせいでクラカが気持ち悪いとか酔ったとか言い始めたんだぞ!どうしてくれる!?」
「あれは一応味方ぁああああ!!というか、どうしてくれちゃったのは貴方の方!はっ、元に戻ったロボット達が……」
崋山優香は背後の確認もせずに頭を抱えて蹲る。無駄だとわかっていても襲い掛かってくる相手から防御態勢を取ってしまう。
そこへトリモチが詰め込まれた砲弾が飛んでくる。残っていたロボット達を全て封じるように何発も撃ちこまれ、崋山優香はおそるおそる目を開ける。
すると帽子屋を背中に抱え今にも潰れそうな葛西神楽と、持ってきた武器のほぼ全てを使いきったため、軽くなった袋とバズーカ砲を構えるアントニオ・セレナ。
「どういうことですし?そろそろ写真の時間だと聞いてますが、まだこんなに残っていやがったのですし?」
「いや、これが最後だろう。他に動く敵対ロボットの気配がしない。とりあえず俺様の電撃でちょいっとな」
トリモチで身動きができなくなったロボット達に電撃を放つ豊穣雷冠。クラカはアンロボットでありながら酔いが治まるのを待っている。
せっかく活躍したのに味方に殺されかけた帽子屋に葛西神楽は最大限同情した。それとこれとは別の、金属製ロボットらしい重みに涙する。
「おーもーいー……なんで俺こんな役目なのぉ……」
「あ、このロボット野郎!次は消し炭にしてやる!」
豊穣雷冠が怒りの青筋を浮かべながら、葛西神楽が抱えていることも忘れて帽子屋に電撃を放つ。葛西神楽が涙目になるが、その体に触れた瞬間に電撃は消えた。
これには豊穣雷冠だけでなくアントニオ・セレナや崋山優香も驚く。そして、そういえば能力無効化能力者だった、と葛西神楽の価値を思い出す。
人間兵器に対抗できる存在。ただし本人は涙目で豊穣雷冠に、危ない気をつけろ、と震えながら大声を出している最中だ。
<ぶっは、はは……敵は本能寺にあり、ということですね……ここ本能寺じゃないですけど!ぶっははははははは!>
「げ、元気そうね……良かったわ」
「このチビが俺様の能力を消した!?ぐっ、敵軍にいたら一番真っ先に近代兵器で殺すべき奴じゃないか!」
「なんか未来から来た人間兵器が怖いこと言ってるぅううううううう!!」
「う、うーん……少し治まりました。雷冠、それ以上の争いと混迷化は無用です。それよりもセレナさん、武器は余っていますか?」
悔しがる豊穣雷冠を宥めながらクラカがアントニオ・セレナに尋ねる。ほぼ中身が入っていない袋の中、そこに状況を打開する武器はあるか。
アントニオ・セレナは少し迷った後、頷く。本当に最後の最後、切り札として残した武器はある。これを使えばアントニオ・セレナは無力になる。
そして威力から鑑みて、この地下室は無事にすまない。セレナはそれでいいのかと視線で尋ね、クラカは静かに小さく頷く。
「優香さん。貴方には無茶してもらいたいと思います。いいですか?」
「……はい。大丈夫です。その無茶で誰か救えるなら、幾らだってやります」
「わかりました。では合図があったらセレナさんは撃ってください。同時に雷冠は内部にある装置の破壊を」
的確に指示していくクラカは帽子屋に小声で、なにかあったら盾になってください、と耳打ちする。それは葛西神楽にも聞こえていたため、青い顔をする。
一人動揺する葛西神楽を置いて、崋山優香は手にした金属バットを握り締める。百%の未来はもう少しで時間を迎える。
その未来にどんな意味があるのか。皆川万結が示した写真、その価値を確かな物にするため、崋山優香は脈打つ鼓動に耳を澄ませ、待つ。
「今です!」
直後、セレナは構えていた試作の爆撃用小型砲をの引き金を動かす。圧倒的な爆発音と衝撃が地下室全体を揺らし、閉ざされていた扉を破壊する。
その衝撃や音を電撃の力で吹き払った豊穣雷冠が、内部に仕掛けられていた迎撃装置を次々に破壊していく。そして土煙が充満する室内に崋山優香は迷うことなく入る。
ただひたすら真っ直ぐに、インペリアルエッグのように宝石で飾られ、電光で輝く最高の演算装置に向かい続ける。汗で手が湿るが、気にしていられない。
最高の演算装置。平和のために作られた機械。意思がなくて人間に忠実。おそらく同じ物は二度と作れない至上の最高傑作。
それを壊すことに――――。
「悔いはないっ!!!!」
振り下ろされた金属バットが土煙を払い、明確になった視界の中で砕け散る宝石の卵。電脳世界すら作り上げるそれが今、潰された。
ジョージ・ブルースは微笑む。これで流川綺羅の体と電脳世界を繋げるシステムエッグは消えた。つまり、流川綺羅は意識のないまま死ぬ。
コピーはすでにある。今更システムエッグが壊されたとしても、劣化品だが同じ機能を果たす代用品は作れる。もう終末の黒が世界を呑み込むことはない。
本当の終わりが、世界を崩す。空中パズルが砕け散るように、電脳世界は消え去る。望み通り一週間を繰り返す幸せな世界は消える。
代わりに流川綺羅は死ぬ。実畑八雲も戻れる手段がない。竜宮健斗達のクロスシンクロも妨害する準備はできている。
システムエッグが壊れた映像を見ていた竜宮健斗達は、足下が崩れ始めたのを確認する。花山静香と対峙していた狭間進歩も同じだ。
しかし花山静香だけが丸い透明な風船に包まれるように世界から隔離される。少しずつ浮かび、速度を上げていく風船内で花山静香は呟く。
「なんで……進歩は私に最後まで諦めないでと言ったの?やっぱりこんな風に世界が終わるのを知っていたのに、どうして?」
それは花山静香の意思とシステムエッグのコピーが演算中に浮かび上がったエラーを処理するための機能を混ぜ合わせたような問い。
結局電脳世界は終わる。大きな海へは向かえない。逆転はない、全て予想通りの結果。それでも予測できない狭間進歩の思考。
「約束を守るためだ。笑わなくていい……どうする?」
逆に問い返すように狭間進歩は花山静香に尋ねる。このまま思惑通りでいいのかと。全てジョージ・ブルースが思うままでいいのか。
最高の演算装置のコピー。そして花山静香の意識を持った代用品。決して本物になれない彼女は、あり得ないと思いつつ呟く。
「――――助けて、進歩」
瞬間、世界の全ては砕けて散り散りになる。黒とも判断できない終わりが全てを覆い尽くそうとしていた。




