いやもう本当に勘弁してください
やられた。青頭千里はそう唸るしかなかった。
マスターによるプロテクト解除からの新口座開設に心拍把握機能と脳の電気信号の連携から始まる、最先端科学を惜しみなく使った命の保険。
ここまでやられたら認めるしかないか、と夜中の九時という、大人からしたらまだ序の口な時間で青頭千里は苦笑いを浮かべている。
機密研究とこれからの計画に必要な資金源の一部を奪取され、パスコード代りに四人の子供達の命を賭ける。
しかもパスコードを解除する、つまり子供達の命が不当に失われた、もしくは脳に何かしらの改竄を行った場合、青頭千里の首が締まる程度の損害を受ける。
パスコードを保存するには青頭千里は今まで興味を持たなかった子供達の命を守らなければいけない。記憶操作も一切干渉できない。
青の魔女であるミリオン・ブルーノに協力を請えば、覆せる程度の問題ではあるがリスクが大きすぎる。
まず素直にミリオン・ブルーノが命令や指示を聞くという保証を作る所から始めなくてはならないし、今から起きることを考えるとそんな時間的猶予はない。
大好きで信頼している赤い血の少年少女のため、青い血の七番と八番は頑丈な石橋を叩きまくって壊そうとしている。
その石橋が壊れて一番困るのは青頭千里とわかっているからこその暴挙。青頭千里の弱みを子供達と連携させ、その子供達をあえて危険な場所に置く。
しかも青頭千里が損失を受けた場合一番高笑う相手、青い血の二番ジョージ・ブルースの御膝元に近い、さらにこれから騒動が起こる場所に配置している。
ジョージ・ブルースがこのことを知ったら嬉々として子供達の命を奪うだろう。それを考えるだけで頭痛がするほどだ。
「いやもう本当に僕なにも悪いことしてないはずなのに、貧乏くじひかされている気がするよ」
「人徳の結果だろう。ざまあみやがれ」
淡々としつつも、してやったり顔をしているマスター。それに対していつも通りの笑顔を向ける青頭千里。
追い詰められてはいる。だからこそいつも通りの笑顔をする。まだ凶悪な笑みを浮かべるほどの危機ではない。
青頭千里は死の危機でも笑うような人外だ。むしろ死の直前に最高の笑みを見せるかもしれない、とても人に見せられるような物ではない笑顔を。
「とりあえず世界恐慌と魔女狩りの時に比べたら、詰め甘い感はあるよね」
「なんでその二つと青い血が関連するんだ」
「世界恐慌の時に七番と八番だけでなく六番と十二番とかも死んでねぇ。魔女狩りは言わずもがな、なんだけど……」
「そうなんだぜ、とサムズアップしてからドヤ顔ダブルピースなミリオン・ブルーノくん参上だよよん☆」
最初からいた気もするし、今目の前にいても幻と思うような、青い血の魔女であるミリオン・ブルーノが喋り始めた。
それだけでマスターは理解する。つまりは魔女狩りで六人の魔女が巻き込まれた上に、この青の魔女が好き勝手やったのだろうと。
ちなみに二人から見て、ミリオン・ブルーノは現在巨乳を通り越した爆乳の褐色肌幼女で、藍色と水色の牛柄模様着ぐるみパジャマを着ている。
相変わらず奇妙なちぐはぐを演出している青の魔女に対し、マスターは目線を合わせないようにしている。
青の血は厄介で魔女は興味深い。だが二つ合わさった存在である青の魔女とは関わり合いたくない。それは前回の邂逅で理解している。
いくら科学に精通したマスターとはいえ、結局は人間の範疇にしか手が届かない。ナイフで胸を刺されただけで死ぬような、普通の人間である。
「さてさてここでミリオン・ブルーノ殿である某が今の状況説明を始めちゃう。何某への親切設計ってやつさね!」
「ああ、うん。勝手にやっといて。どうせ面白……いだろうから」
適当にあしらおうとして禁句である面白くないを告げそうになった青頭千里の後ろ頭には、傘の金属部分である先端。
いつの間にか姿を変えたミリオン・ブルーノは、少女か少年か区別のつきにくいおかっぱ頭の子供で、腕には蛙のぬいぐるみを持っている。
どうやらこれが一番スタンダードでお気に入りらしく、後ろ頭に押し付けた傘の先端を軽く回しつつも、少しずつ押し付けていく。
まるでゆっくりと頭蓋を貫通しようとする医療用ドリルのような気配を傘から感じ取り、青頭千里は少しだけ黙った。
マスターは平然とした態度で、むしろそのまま貫通して死んだら解剖できると企んでいる。だからといって青の魔女の味方はしない。
三竦みの勢力図に近い緊迫した部屋の中で、次に口を開いたのはミリオン・ブルーノだった。
「面白いだろうから?つまり期待してくれるってことようござんすね?」
「うん、そうだよ。ぜひとも面白おかしく愉快に説明してほしいと言いたかったんだ」
「しょうがないっしゅういっしゅ☆じゃあ今夜は朝までオールナイトパーティーよろしくな感じで気持ちよくイっちゃおうか」
そう言って部屋の床を傘で一突きする。すると床がテレビ画面のように別の場所を映し出す。
この部屋の床にテレビ画面機能などない。それを魔法で組み替えたと言えば、簡単に聞こえるがそうではない。
魔女の魔法は世界単位で作用する。世界の中で普通の床であった部分をテレビ画面に変えた。それは前からこの床はテレビ画面であったということ。
マスターは脳内で発生する矛盾に、わずかながら顔を顰める。先程までは確かに床だった。だが前からそれはテレビ画面だった。
記憶が目の前に発生した現象について辻褄を合わせようと修正されていく。矛盾と整合性が鍔迫り合いを起こしていると錯覚する。
もっと普通なことはできないのかと思いつつ、マスターは足元の画面に目を向ける。分割画面で、様々な子供達や青い空の世界が映し出されている。
「今回の構図なんて簡単だ。ジョージ・ブルースVS赤い血の子供達。ただ戦う場所が多すぎるっつーか、細分化されているっちゅーいんがむ」
「青い空の電子世界、狼型ロボットが徘徊する病院地下、そこに囚われているであろうマーリンの捕捉、地上の病院で寝ている流川綺羅の保護及びその他、などだね」
「え~☆青い血の二番であるぼっちな友達いないジョージ・孤独なブルースくんに対処できるの!?なんてお悩みの奥さん、大丈夫なんです!なぜならシステムエッグという最強装備があるんです!今ならお値段……」
「そこなんだよね。逆にシステムエッグさえ壊せば二番にできることなんか大幅に限定される。むしろ自分守るので精いっぱいになるだろう」
長くなりそうなミリオン・ブルーノ言葉を若干遮りつつ、青頭千里は適度に説明の捕捉と相槌を同時に行う。
でないと話が逸れすぎていき、最終的に行き詰ってしまうのが目に見えているからだ。そしてマスターはこの不毛な会話に参加したくないと顔に出している。
仕方ないと青頭千里は説明の続きをそれとなく促す。重要なのはシステムエッグの居場所と、ジョージ・ブルースの居場所。この二つが同じ場所か、違うのか。
「二番である彼の者の臆病さと卑屈さと矮小さと高慢で身の程知らずな性格を忘れたのかね、一番よ!あれが居場所知られるような場所にいるはずね―じゃん」
「だよね。となるとシステムエッグだけど……あれは流川綺羅の脳内からデータを抽出などをネット機能を使って、世界を形成している」
「この世界は私が作りました、的なシール貼っときゃ良かったとブルーノちゃんは自らの凡ミスに項垂れつつも、ある事実に気付いてしまったのでありやがります」
なぜか青頭千里の額にプリクラで撮ったシールを貼りつけるミリオン・ブルーノ。マスターは貼られる前に回転椅子で部屋の端まで避難した。
しかしマスターの行動は青の魔女を前にしては無力であり、違和感に気付いて額に触れた時にはもうすでに貼られた後だった。
世界単位での魔法をこんなしょうもないことに使うミリオン・ブルーノに、盛大なため息が二つ零れる。
プリクラシールには、マジ永遠にズッ友フォーエバー、と可愛いキラキラ丸ペンで書かれた文字と共に、一人でダブルピースをしているミリオン・ブルーノ。
文字のセンスからその場の状況に言葉選びなど、あらゆる面から心を抉ってくるプリクラを貼られて、マスターの機嫌が急降下する。
しかし青頭千里は気にせずに笑顔で剥したプリクラを握り潰しつつ、なにに気付いたのかと問いかける。
「流川綺羅の脳は十年ほどの酷使によって脆弱な状況。そこへ何億回も繰り返したであろう膨大なデータである海林厚樹、通称マーリンによる補填!これはもうまるっとお見通しだ!」
「二つを繋ぐ楔にシステムエッグを使用しているという推理なら五十点。ネット機能を使えば距離は関係なくなる」
「じゃあ流川綺羅の生命維持機械にケーブル接続を必要としているとしたらどうだい、青頭探偵先生?」
「七十点。もう少し説得力が欲しいな。例えば卑屈だけど思い上がりが世界最高峰な二番が、子供達を苦しめるのにどんな手を使うか、とかね」
「あー、ほどほどになるなる。手の届く場所に逆転の鍵を置き、そこに罠を仕掛ける。んで、絶望の最中に見えた希望に縋りつく赤い血を後ろからグサってきゃー!」
地底遊園地でジョージ・ブルースの悪趣味な仕掛けを思い出して、青頭千里は鼻で笑う。
子供達では到底敵わないであろう巨大な龍のロボット、その背中に設置された緊急停止ボタン。
頑張れば届くかもしれない、という希望をちらつかせて無惨に赤い血が踏み荒らされるのを楽しもうとした性格。
その性格のおかげでロボットは止められた、というのに一向に反省の余地はない。改善もしていないだろう。
いかに自分自身を武器に青い血として青頭千里を超えるか。それだけを突き詰めればいいのに、余興を入れる思考。
だから二番止まりだということを理解もせずにもがき、あらゆる事態を巻き込んで高笑いする最悪な趣向。
その全てを鑑みて、システムエッグは子供達が向かう先にある。ジョージ・ブルースはそれをネット中継で遠方から眺めているだろう。
一つだけ懸念があるとすればジョージ・ブルースにとってもシステムエッグは切札である。これをなくすだけで、どれだけ青頭千里から遠のくか。
予備を作ることはできない。消失文明ほどの技術と六人の魔女の協力なしでは、あの素晴らしい演算装置は組み立てることすらできない。
だが設計図データと演算システムをコピーして保存することはできる。さすがのジョージ・ブルースもそれくらいは頭が回るだろう。
そしてきっとそこにも悪趣味を混ぜ込んでいるだろう。例えば子供達が絶対失いたくない物の中に紛れ込ませ、破壊を勧める。
苦悩の中で決断しようとする子供達に脅威を降り注がせて惑わしていく。そして時間制限を理由にコピーを回収すればいい。
「実はさ、記事で調べてからずっと引っ掛かっていることがあった。青い血に無駄な誇りを持つ二番なら目をつけ、鍵になっている存在。データとして回収しやすい」
「記事ってバス事故のやつか。十二年前の、子供三人が死んだ今回のきっかけ」
「そう。でさ、花山静香っていう名前に覚えはあるだろう?狭間進歩が拘る約束の少女」
海林厚樹は膨大なデータ故にデータ転送に時間がかかり、魔法使いの弟子達が固執している。論外。
実畑八雲は実際に生きている人間で、流川綺羅が青空の世界を望むために固定している存在で、鍵にはならない。論外。
狭間進歩はジョージ・ブルースからすればすでに消えた存在であり、主人公に最も近付いたが、竜宮健斗の性質を取り入れすぎた。論外。
流川綺羅は電脳世界を構築する部品の一つであり、脳の摩耗が激しい上にデータ転送には向かない。論外。
花山静香。名前に偶然にも青の字が入った少女。定期的にデータ消失を施されており、決して主人公にならない、データだけの存在。該当。
「もし本当にジョージ・ブルースを完膚なきまでに叩き潰すなら、狭間進歩は花山静香のデータを消去するべきだろう」
「しかしそれでは約束が守れない。あいつの存在意義は最早そこが大部分になっている。ただでさえ世界存続の目途も立っていないのに、その決断ができるのか?」
「二番はむしろそれが狙いなんだよ。つまりは花山静香は決して味方ではない。ある意味、一番ジョージ・ブルースの手駒と言って過言はないね」
「約束の少女、システムエッグのコピー、青い血の手先、消滅させるべき敵!!ああなんという巡り変わる愛!憎愛も親愛も友愛も敬愛も全てを巻き込んだぼくちゃん好みの少女!」
勝手に部屋の中を片足だけで器用に回り続けるミリオン・ブルーノは陶酔していた。変わり続ける愛こそ青の魔女が求める物。
停滞は退屈、変わらぬ永遠の愛は墓場、面白くないのは死に値する。どこぞの童話のように蛙の王子が変わるからこそ、二転三転する姫の心情が人間の愛。
約束は守らずに醜い姿を嫌悪し、叩きつけた蛙の生まれ変わった美しい姿に心奪われ、キスなどせずとも幸せを迎える姫物語。
「面白くなってきた!主人公にもなれなかった少年は、彼女を、ヒロインを、消すか否か!!」
「さてと、そろそろ人外と天才の会談にも飽きてきた。僕もやることがあるし、そろそろ展開を彼らに譲ろう」
「それもそうだな。ここでどんな論議をしても変わらん。結局事件って言うのは現場で進行するからな。どこかのドラマみたいな台詞だが、それが真実だ」
マスターの言葉を皮切りに、青頭千里は部屋から出ていき、青の魔女は最初からいなかった。
途中まではいた気もするが最初からいなかったかもしれない。そんな中途半端な後味を残すのは、床がテレビ画面ではなく、元の床に戻っているからだ。
溜息一つ吐き出しつつ、マスターは自作のパソコンの前に向かう。あまりにもマスター専用に特化しすぎて、誰も使えないパソコンだ。
「世界も魔女も青い血も関係ない。人間として抗えるところまで、抗ってやるだけだ」
そして内線ネットを使ってアクセスするのはスーパーコンピュータの中に構築された会議場。一定数のアニマルデータが集まる場所。
外線ネットで侵入するのは電脳世界。本来なら眺めるだけしかできない世界だが、マスターの技術力があれば、ちょっかい程度はかけられる。
すぐにそれすらも跳ね除けられるだろうか、一瞬でも変化した世界に気付く存在がそこにはいる。何億も繰り返したがゆえに、苦しんで諦めきれなかった男。
ただその男が気付いた変化が希望になるとは思えない。逆に絶望として彼を蝕んでいくだろう。
それでいい。重要なのは希望だろうが絶望だろうが、知ることである。知識一つで見える世界が変わることを、マスターは身をもって知っている。
あとは子供達次第だ。決着をつけるのは赤い血の子供達だけである。これだけは青い血にも魔女にも成せない大業である。
「期待しているぞ、少年少女。どうも人外達一人勝ちなのは個人的に気に食わないからな。なにより、そっちの方が刺激的だ」
わずかにどころではない変化した電脳世界。いきなり青空が真っ赤な色に変われば、誰だって驚く。
特に驚いたのは海林厚樹である。何億も繰り返し、今も消失と再構築、変わらない一週間を繰り返している世界の中で、一度もなかった現象だ。
思わず口を開いて呆然と空を見上げてしまう。流川綺羅の身に何かあったのかと、木曜日の雪合戦中に彼女へ目を向ける。
だが流川綺羅に変化はない。むしろ怖いとはしゃいで実畑八雲に抱きつく有様で、心配した自分が馬鹿だったのかと肩を落としたくなる。
肩を落とす前に目についた変化は花山静香である。口から0と1の羅列を呟き、機械が演算処理するかのように動きを止めている。
さっきまでいつもと変わらず笑っていた少女とは思えないほど、無機質で不気味な変化。保ち続けた希望が、本当に希望だったのかと恐怖を抱く。
「し、静香。聞きたいことがある」
「……え、なぁに?もしかしてまた大きな海へ行く約束を覚えてるかってこと?それだったら誰としたかまでは思い出せてないけど、一応……覚えてるよ」
「それは花山静香として覚えてるのか?それとも、もっと違う何かなのか?お前は誰だ?」
花山静香はいつも通り笑っている。横では雪玉を握り締めている新しく構築された狭間進歩が、空を見上げたまま動かない。
「要請を確認。返答を要求。了解。説明いたします。私は花山静香の人格を借りたシステムエッグのコピーとなります」
「……おか、しいと、気付けばよかったんだ、俺は。こんなデータと脳で管理された、システムエッグという最高の演算装置に統制された世界で、奇跡なんて起きるはずがないんだ」
「花山静香と最も主人公に近づいた代行との間で交わされた約束は、ジョージ・ブルースが求める主人公発生に必要に、なるかもしれない、という理由で一時保存しています」
「一時保存……は、ははは。データである俺達の約束なんて、どれだけ大切にしたとしても……そんな、そんな扱いしかしないのかよ!?」
「肯定です。保存期間は、もしも排出した狭間進歩のデータが戻ってきた際、新しく構築された狭間進歩と共に破棄される、予定です」
その言葉は海林厚樹のデータでしかない心に響くには充分だった。南エリアの海よりも大きな海へ行く約束を、花山静香は忘れる。
約束した狭間進歩が戻ってくると同時に忘れる。約束を守りたいのに、相手はそれを覚えてない。帰ってくる前までは覚えていたことを、ゴミ箱に捨てる。
希望だと信じていた。海林厚樹はずっとそれに縋ってきたのに、蓋を開ければ絶望への布石だった。
「青い血か?ジョージ・ブルースが全部仕組んだんだろう!!排出された狭間進歩が戻ってきたら?つまりはそういうことか!!」
「復活は主人公に不可欠ではありませんが、重大な要素として確認されています。最も主人公に近づいた代行への処置として、念のため、と手配を受けています」
「俺は信じてきたんだ。こんな馬鹿みたいな世界だけど、俺が生まれた場所で、楽しい時間があって、いつかは……いつかは救われるんじゃないかと……八日目を信じてたんだ、ずっと」
「厚樹、八日目なんて来たらこの世界は壊れるんだよ?それだったらずっと楽しい一週間を繰り返そうよ!私はそれでいいの」
花山静香の声と人格で、システムエッグは海林厚樹の心を挫く。それがジョージ・ブルースに指示されたことだから。
赤い血の子供達は希望を求めてやってくるだろうと。海林厚樹が、マーリンが、諦めてないという希望を抱いてくるだろうと。
それを塗り替える喜びを味わうため、ジョージ・ブルースは手元にある全てを利用する。
来週になったら大きな海へ行く約束を覚えている花山静香から出た、八日目が来なくていいという言葉。
約束とは何なのか。ゆびきりげんまんには意味がなかったのか。狭間進歩や海林厚樹が抗ってきたことは無駄なのか。
しかしそこで一つだけ違和感に気付く。閉じられた世界にいた海林厚樹が知ることはなかった情報が、不意に零れ出ていたことに。
「排出された、狭間進歩?最も主人公に近づいた代行が復活する……重大な要素!?」
顔を上げた海林厚樹の顔に絶望も希望もない。あるのは興奮と大きな期待だけ。思わず花山静香の肩を掴む。
痛そうに顔を歪めた花山静香に謝罪もしないまま海林厚樹は掴んだ情報を頼りに辿っていく。
海林厚樹は、マーリンは、ずっと知らなかったのだ。自分が抽出されるのに引きずられて、狭間進歩のデータも関連付けて引きずり出され、排出されたことに。
知らないまま青い空の世界に戻ろうと、意図的に飛ばされた未来から自分の意思で過去へ、現在で魔法使いの弟子達を巻き込んで事件を起こしてきた。
事件の最中にジョージ・ブルースに回収されてから後に現実で起きた出来事は一切認知していない。
魔法使いの弟子達がマーリンを助け出そうと、子供達と一緒に行動して生きていることも。排出された狭間進歩が巡り巡って皆川万結のアンドールにインストールされたことも。
海林厚樹は閉じられた世界の繰り返す一週間の中、たった一つの約束を鍵だと信じて、耐えてきたのだ。
「諦めなくて、いいんだ。例えシステムエッグがコピーされた花山静香、お前が約束を忘れたとしても諦めなくていいんだ!!」
「厚樹?どうし……失礼。会話ログを再検索。検討。検挙。理解しました」
「どうやら俺の思考データも捨てたもんじゃないらしい。やっぱりこの約束は鍵だったんだ」
どう使うかわからなかった鍵が今、海林厚樹の挫けそうになった意思をこじ開ける。
必要だったのは約束を覚え続けているかではなく、約束を起点にどれだけの情報を得られるか。
ここまでの結果を得られるとはマスターも考えていなかった。だからこそジョージ・ブルースの琴線に触れた。
「海林厚樹のデータに介入します。膨大なデータや思考はそのままに、行動データを改竄します」
思い通りにならないデータを意のままに操るのは簡単だ。システムエッグさえあればクリック一つもいらない。
一瞬にして自由を奪われる。抗う暇もなく、意思を持ったまま海林厚樹はジョージ・ブルースの操り人形となる。
それは全てを操られるよりも過酷なことを海林厚樹は知っているつもりだった。ジョージ・ブルースの思惑の中で動かされてきた経験から、理解していると思っていた。
だがそんなのは生易しかったと知るのは、電脳世界に戻ってきた狭間進歩と再会してからだった。