魂のないデータ
マスターという金髪の美女はあらゆる技術を持っている。
工学から科学、理系と言われる分野においては彼女は万能の才能を持っている。
その上で彼女は感情や魂という存在を認知し、一種のエネルギー理論として組み立てることも可能だ。
現在注目しているのはアニマルデータ、消失文明というアトランティス文明並の古い時代の人間の魂がデータ化したものだ。
六人の魔女という存在が、システムエッグという最高の演算装置の設計図を消失文明に渡したことがきっかけだ。
まずはシステムエッグの説明として、演算装置とは思えない豪華な外見が目を惹くだろう。
インペリアルエッグのような宝石を誂えたその姿を見れば、誰もが宝飾品と勘違いするほどだ。
しかし実質機能として与えられた問題に対して最高の結果を打ち出すコンピュータに近いものである。
だが高望み、いわゆる不可能に近い、もしくは過ぎた望みにおいては話が違ってくる。
例えば不老不死、不老長寿、そう言った問題にも可能な限り近い案を質問者に授ける。
代わりに絶望のような物事をばら撒く。不老不死には致死率の高い謎の流行病、不老長寿には地下水に染み込む花の毒。
文明を対象に、望みすぎた願いには対価となる犠牲を。
システムエッグはどこまでも機械的に処理していく。
とある黒の魔女曰く、システムエッグ自身が叶えられない望みに対してエラーが起きないようにバランスをとっているのだという。
かつて消失文明というのは広い大陸で繁栄を極めた社会だったが、不老不死を望んだ愚者によって呆気なく滅んだ。
今となっては文明の名残も、名前も、生きていた証さえも風化して消えてしまうほどだ。
しかし不老不死に近いシステム、魂のデータ化、アニマルデータによって消失文明の人間達は現代においてデータとして生きている。
魂に全ての記憶や感情、個人として成立させるのに必要な物を刻み込み、回路設計図として岩肌に残す。
NYRONの南エリアの小さな洞窟において、一億近くの人間、データ回路設計図が眠っている。
洞窟自体も六人の魔女が気まぐれで憐みの元作り上げた、人体から魂を抜出しデータ設計図変換用の仕組みを埋め込んであるので、ただの洞窟ではないのだが。
そうやって消失文明の人間や女王は洞窟の中で眠るようにデータとなって、謎の病から逃れた。
洞窟は一定期間後、そうやって設計図を保存する倉庫としてひっそりと存在し続け、そして現代日本を生きる人間に見つけられた。
多くの波瀾、そこから始まる地底遊園地、未来世界、魔法使いの弟子、様々な事件が広がった。
始まりは魂を持つデータ、アニマルデータだった。
しかし終わりへと向かう今、現れたのはアニマルデータとはあまりにも逆な存在だった。
名前は狭間進歩。ある個人の記憶と公に記載されている資料データから構築され、一週間で終わる世界を生きた少年。
感情もデータ、記憶もデータ、心もデータ、魂をエネルギーとするなら少年に宿るのもまたデータだろう。
全てが作られた人工品。アニマルデータに混じってメンテナンス機械でインストールされた歪なデータだ。
今は金龍のアンドールの中でマスターに調査されている。瀬戸海里が持ち主の皆川万結に頼んで、マスターに渡したのだ。
皆川万結は少し不服そうだったが、いつもお世話してくれる瀬戸海里ならと渋々承諾してくれた。
マスターがキーボードを見ずに打ち込む横で、青頭千里が興味深そうに金龍を眺めている。
青白い肌をした青年の青頭千里は人間と全く同じ容姿をした、しかし青い血が流れた人外である。
社会への表向きの顔としてBlueBloodという会社の若社長として、第一線で活躍している。
しかし実年齢は二十歳半ばの外見には似合わない、仙人と称していいほどの年である。
「どうだいマスター。面白いことはわかった?」
「面白くないことはわかった」
笑顔で問いかけた青頭千里と反比例するような不機嫌さでマスターは愛想なく答える。
画面に流れる文字列はアニマルデータよりも単純なシステム構築に必要な計算式。やろうと思えばマスターでも作れる人工知能。
現代技術で言えば恐ろしいほど先を行く技術なのだが、マスターからすれば近々実現可能な範囲だ。
感情システムも記憶システムも心の機微も、あらかじめ設定された通りに反応し、矛盾が生ずると忘却や心の痛みと勘違いさせるエラー機能で補っている。
内容量も人間一人分というにはあまりにも極小で、ゲームのモブキャラを少し優秀にした程度である。
これで世界一つ救う主人公を作り上げようとしているジョージ・ブルースという男に対し、マスターは鼻で笑う。
「人間一人分の脳味噌とシステムエッグと公式記録を用いて……こんなデータしか作れないとは、無能な男だな、あいつ」
「うーん、否定できない。昔から要領とか悪い子だったから……それでも二番ってことなんだけど、本人はそれに納得していないんだよねぇ」
世間話をするように青頭千里とマスターは今回の諸悪の根源、青い血の一族、序列二番目、ジョージ・ブルースの話をする。
青い血の人外は家族ではない。ただどんな時代でもきっちり十三人存在し、お互いを認知する、同じ青い血が流れている、血族である。
その中で血族の長、一番は青頭千里である。二番がジョージ・ブルース。七番に七園真琴、八番に白子泰虎。
しかし七番と八番はまだ青の字を授かっていないので、仮の血族扱いではある。
この数字には意味があり、自分より上の番号の血族には敵わないという強さの順位付けである。
ただしその強さの定義に関しては青頭千里は口にしない。本人曰く、強さの順位通りに敬われるわけではない、だとか。
「そうそう。狭間進歩について調べといたよ。約十二年前の記事に地方事故として載ってたよ」
「ふーん。てことはあまり派手な事故じゃなかったわけだ」
「内容的には死者がたった三人という、バスへ鉄骨が落下した事件。死亡者は……」
狭間進歩、花山静香、海林厚樹。
聞こえてきた名前に金龍はその体を動かして青頭千里の顔を見上げる。
ぬいぐるみのように小さなその体は精巧なロボットで、表情すらも再現している。
蛇のような体に小さな手足がつき、顔は厳つく伝説の龍のような造形だが、その表情は今にも泣き出しそうだ。
「バスの真ん中に真っ直ぐ一本当たった。鉄骨はバス通路を押し潰し、後ろ五人座席の内、三人の子供達が死んだ」
<……俺?>
「正確には君が再現される元となった子供、だよ。つまり君は色んな意味で代用品だったんだよ」
金龍、狭間進歩は言葉もなく体を横たえる。
主人公の代行として試され、流川綺羅の友達として再現され、生まれた世界すらも偽物。
哀しいと感じる心さえデータで、魂なんてどこにもない。そのことに狭間進歩は涙できない。
アンドールというロボットに涙を流す機能はないからだ。
数日後、狭間進歩は金龍のアンドールの持ち主である皆川万結の腕の中にいた。
桃色のデジタルカメラを持った幼い少女は御満悦な表情で、NYRONという街を小さな足を動かして歩いていた。
全てが大きく見え、太陽が輝くのも素晴らしいと言わんばかりの期待に溢れた様子だ。
「アユム、きょうはアンドールのたいかいがあるんだよ」
<……そうか>
「アユム?げんきない?まゆがいたいのとんでけする?」
まだ舌足らずな言葉遣いの皆川万結は先程の表情とは逆に今にも泣きだしそうな顔をする。
そして慌てたようにアンドールの小さな頭を撫でるのだ。小動物を可愛がるような仕草だ。
その気遣いが狭間進歩はどう処理していいかわからなかった。どんな言葉を出せばいいのか、わからなくなった。
あの青い空の下で五人組で遊んだ日だったら、なんの迷いもなく自分の言葉を呟けただろう。
しかし今は全てが作られた、誰かの代わりを押し付けられた、空っぽの存在が狭間進歩だった。
さらに言えば狭間進歩という名前も自分の物ではない。十年以上昔に死んだ少年の名前だ。
自分とはなんだろう。どうしてあの時、花山静香と一緒に消えなかったのだろう。
もし消えていたらこんなに辛い真実も、戸惑うばかりの困惑も、機械の体に入る事態もなかったはずなのに。
全てが理不尽のように思えた。だがそんな苛立ちでさえデータで再現された感情システムで、狭間進歩の物ではなかった。
全てが行き詰まりのように思えた時、皆川万結のデバイスから着信音が流れる。
狭間進歩を片手に、もう片方の手でポケットからデバイスを取り出す皆川万結は、画面に映った少女のような姿に笑顔を見せる。
「アラリス!海里おにいちゃんがいってた……おうじさま!」
<そうでーす★って、電子世界の僕っ娘王子様って新ジャンルすぎるね!どう、金龍くん?>
<……>
画面の中で自由に動き回る少女。金髪のツインテールにミニスカートをはいた姿は人間の真似事をしている人形のように整っている。
そして明るくはしゃいだ声は声変わりよりも前の幼い少年特有の高さで、少女の声にも間違えそうなほどだ。
そんなアラリスの問いも無視して狭間進歩は無言のまま反応を見せない。
「ねー、アラリス。アユムぽんぽいたいのかな?さすればなおる?」
<いや、アンドールにそんな機能ないから……ねぇねぇ、僕の名前実はアラリスじゃなくてアダムスだったんだよ>
「そうなの?」
<うん。でも今は別の名前で生まれ変わったんだ。きっとさ、そこの金龍くんにもそういうの必要なんだよ。唯一のものがさ>
全て与えられて作られた存在。感情も名前も存在も全てが自分を裏切る。
一週間で終わる世界を知っているアラリスはそのことを理解していた。しかし皆川万結に教えるには難しすぎる話。
だからこそ一つだけでいい。少しでも変えられるきっかけがあれば道が開く。そう信じてアラリスは皆川万結に頼み込む。
<金龍くんに新しい名前つけてあげてよ>
皆川万結は少しだけ迷った。しかし名案が浮かんだのか、晴れ渡るような顔で金龍を持ち上げて高らかに宣言する。
「まえにみたなつかしアニメのシェンロ……」
<あ、ごめん。それ以外>
最後まで言い切る前にアラリスが冷静に他の名前案を求める。
龍繋がりでつけられそうになった危うい名前を却下され、皆川万結は改めて悩む。
悩んで、悩み抜いて、それでも最後は笑顔で金龍を眺めて新しい名前を告げる。
「ムーくん!マロンちゃんかどっちかでなやんだけど、ムーくん!」
<…………可愛い名前だね。良かったね、ムーくぶはっほふぅ!!!あはははははは!!>
堪え切れずに画面の中で両足をばたつかせて大笑いするアラリス、対してムーくんと名付けられた狭間進歩はアラリスを睨みつける。
幼い少女センスで名付けられたせいで、当分はムーくんで過ごすしかなくなった狭間進歩。
だけどあどけない少女の優しさと、今も大笑いを続けつつも気遣ってくれたアラリスに対し、少しだけ感謝した。
だが、あまりにもアラリスの大笑いが止まらないので、やっぱり感謝するの止めようと思ったのは別の話である。