みかんシンドローム
「先生、次の患者さんを入れていいですか?」
「ちょっと、待ってくれ。少し伸びをさせて。」
うーんと、声を出して伸びをする。
ここは整形外科の病院の診察室。今日はやけに多いな。でも、次で最後だ。頑張ろう。
「よし、呼んでくれ。」
「はい。」
そうして、最後の患者が入ってくる。
若い男性だ。私は椅子をすすめる。男性は少しおどおどしながら腰かけた。
……歩き方は普通だ。どこがわるいのかな。
「本日はどちらを傷めましたか?」
「いや、あの、実は僕ではなくてですね。」
「ご家族ですか?」
「はい、弟がちょっと。」
「では、こちらに連れてきてください。」
「あ、弟歩けなくなってて。」
「それは大変だ。車にいるのかな? 車いすも出しますよ。」
「いや、あの、歩けないんですけど、連れては来ています。」
「ん? どういうことですか? いないじゃないですか。」
「あ、こ、ここです。」
そう言って、青年はズボンのポケットに手を入れた。ごそごそと手を動かし、中からあるものを出した。
「弟です。」
みかんだった。
「みかんじゃん。」
「いや、弟なんですって!」
「君、来る病院間違えてるよ。あっちの総合病院だったらね。君みたいな患者も見てくれるから。」
「いやいや、僕ではなくてですね先生。弟がおかしいんですよ。」
「いや、君がおかしいだろう。」
「おかしいことを言っているのはわかりますけど、私は精神科にかかる必要はないですよ。」
「おかしいとわかるなら、それが弟じゃないことくらいわかるだろう。」
「いや、信じられないかもしれないですけど、弟なんですよ。」
「なあ、これみかんだよなあ。」
私は助手の看護婦に聞く。
「はい、みかんです。」
「ほら。」
「弟なんです。」
「じゃあ、何か。君の弟は人類ではないのかね。」
「いや、人類ですよ。弟は人類ですよ。」
「でも、それは人類じゃないだろ。」
「この形はそうですけど。」
「なあ、これみかんだよなあ。」
私は再度、助手の看護婦に聞く。
「はい、みかんです。」
「ほら。」
「朝までは、ちゃんと人の形をしていたんですよ。」
「そのサイズで?」
「いや、身長170センチの人型でした。」
「じゃあ、それは?」
「みかんですけどお。」
「やはり、来る病院間違えてるよ君。」
「精神科はいいですから。じゃあ、聞きますけど先生。」
「何かね。」
「傷を負ったらどこに行けばいいですか。」
「まあ、うちだな。整形外科だ。」
「そうですよね。じゃあ、骨折は?」
「それもうちだ。」
「じゃあ、やけどで皮膚の形が変わったら。」
「それもうちで大丈夫だ。」
「じゃあ、弟の症状です。弟は人型であったのにも関わらず、骨と皮膚が変形してしまいました。どこで見てもらえますか。」
「ん、まあ、骨と皮膚、あとは軟骨、靭帯、神経に関する傷なら確かに整形外科だ。」
「ほら、じゃあ、弟はここで見るべきですよね。」
「人体ならな! それはみかんだ!」
「もともと、人体だったんですよ! 変質してこんな感じになっているだけです!」
「じゃあ、君は弟がみかんに変形するのを見たということかな?」
「実は直接は見ていません。朝、部屋にいるのが、最後に見た弟の人としての姿でした。昼前にもう一度部屋を見ると、ベッドの上に変わり果てた弟が……。くっ。」
「いや、『くっ』じゃないよ。それ弟が外出ただけだろう。何でみかんがベッドにあるかは知らんがね。」
「先生、僕は弟が外に出たのを見てません。だから、これが弟です。」
「見逃しただけでしょうよ。それは確実にみかんだ。」
「いや、弟です。」
「なあ、これみかんだよなあ。」
私は重ね重ね、助手の看護婦に聞く。
「はい、みかん……だと、思います。」
「なんで、自信なくなってるんだね君!」
「ほら、やっぱり。看護婦さんはわかってくれますよね?」
「いや、わたしは何とも。」
「『何とも』じゃないよ。みかんでしょ! どう見てもねえ!」
「先生もそろそろ認めてください。」
「君はやはり違う病院に行きなさい!」
「弟を助けてくれないんですか!」
「もういい! 君じゃ話にならん! 君の親を呼びたまえ!」
「母でしたら、一緒に来ています。」
「そうか、じゃあ、お母さんに入ってもらって。」
「あ、もういますよ。」
ぎくりとした。
「ここに。」
青年はポケットに手を突っ込むとあるものを取り出した。
「母です。」
トマトだった。
実はオチをもう一つ考えていましたが、削りました。
うまく引き算がハマればいいのですが。