欧米人になってしまった日
それは、5月の夜のことでした。
私は毎日同じように起きて、学校行き、そして帰ってきて寝る、そんな日常の中の出来事でした。
そんな日々をめんどくさいとか、飽きたとか、つまらないとか、そんなことを思っていたわけではありません。
でも、ちょっとした遊び心というか、好奇心みたいなものだったのかもしれません。
「明日も早いから、もう寝るね。」
「そう? じゃあ、おやすみなさい。」
「うん、おやすみ。」
母との最後の会話は、本当に何気ない会話でした。
というより、これから何かあるのを知らない限り特別な会話なんてそうそうしません。
よく、「あの人との最後の会話にあんなひどいことを言ってしまうなんて……。」というのが二次的な世界や文字だけの世界で描かれますが、結局あれはフィクションであってリアルでは万に一つくらいの確率でしか起こらないと思うのです。
まあ、話がそれてしまいましたが、私はその日、それほど眠くない目を閉じて布団の中に入りました。
眠くなくても寝れるのがここ数年の私で、小学生の頃は寝るのに布団の中をゴロゴロ、モゾモゾと何時間もして気づいたら朝だったのに、今ではそんな過程を通り越して気がつくと朝です。
ですが、この日、いや正確には次の日? 便宜上「この日」とさせてもらいます。
この日の午前2時17分にメールが届きました。
『あなたはリンゴが好きですか?』
「……。」
言葉を失いました。そして、寝ました。
どうでもいい内容のメールでしたから。
むしろ、せっかく寝ていたのに無駄なメールの着信音で起こされた気分を、また寝ることで直すことに私は努めたかったのです。
ですが、それ以降は小学生の頃に戻ったかのようになってしまったのです。
それで、取り敢えずこんなくだらないメールを送ったのは誰か確認しようと思って、メールを再び見たところ差出人の欄が空白になっていました。
まあ、でも私はその時、もうそろそろこの携帯も替え時だなあくらいにしかそのことに関して気にしていませんでした。
メールには続きがありました。
『YES / NO』
私は好き嫌いがありません。
このように言うと褒められたり、凄いと言われたりします。
それは嫌いなものがないと言う人だけにしてほしいのです。
好きなものも特にないのですから。
よく、親や小学校の先生は言います。
「好き嫌いせずに、何でも食べなさい。」
これはつまり、子どもの個性を失くしていく言葉だと思うのです。
彼らにそんな意図がなくても、結果的に私はそうなりました。
しかしながら、別に私はそのことを気にしていません。
ただの私の意見です。
また、話がそれてしまいましたが、とどのつまり私はリンゴに関して感じるものは何もありませんでした。
「なんで、無関心という第三の選択肢がないんだろう。」
日本人はよく、曖昧表現を使うと言われ、それが批判対象にもなったりしますが、どうでしょう? 欧米文化などでは答えが大体二極化ですが、日本ではその中間があるのです。
他国よりも選択肢がある分、先進国だと思うのです。
ただしかし、さらに進んで私は第三の選択肢を常に用意できる国であって欲しいとも思っています。
今回はプログラムされた文面だけに、それを変更すことは不可能なようです。
私はYESを選びました。
特に意味はありません。
強いて言うなら、ただYESが前でNOが後だったからです。
この時私は欧米人でした。
メールを無視するという第三の選択肢を選べなかったのです。
クリックすると私は不本意ながら自然と毒でも盛られたかのように眠りに落ちました。
不運を掴んだら、恐れるものは何もない。改善策を考えるだけでいいのだから。
(ドイツの諺)