第三話:見えない変化
朝、同室のレイリア達と一緒に目を覚ましたライザは布団を綺麗に畳んでいた。
「あーあ、布団を畳むのって意外と面倒よね。重たいし」
「レイリアが大雑把なだけだよ」
「そう言うならライザ畳んでよー」
「ライザ、ダメだよ」
「ルークは割り込まないでよ。あたしライザと話してるんだから」
「レイリア、早く畳まないと朝御飯食べられないよ」
ライザは呆れながらレイリアの布団を畳むよう指示する。
彼女の身体を包んでいたタオルケットは丸められて放り投げられているのを見たからだ。
「あーあ、可哀想に。タオルケットをくしゃくしゃにしてるなんて恩知らずー」
横からルークが意地悪くレイリアを突っついてくる。毎朝恒例のやり取りだ。
「うるさいわねー、そう言うあんたの布団とパジャマも見映え悪いから。ねー、ライザ」
「レイリア?」
少し困惑するのは彼女がこうやってライザにくっついてくることだ。
本当に背中に手を回して抱き締めてくる。その度に胸や腕の感触が伝わってくる。
こうしていると、いくら口が達者で強気に振る舞っていてもレイリアが女の子であると意識してしまうのだ。
「ルークと違ってかわいいもんっ!」
ぎゅうっと、強く抱き締められ、ライザは顔を歪めた。
息苦しいのもあるが、それ以上に胸の奥がチクリと痛んだ。
「ライザが困惑してるだろー、そんなことしたら俺も抱き付いちゃうね!」
レイリアを真似てルークは二人を囲むように両手を広げて抱き締めた。
「ばっ、バカ! なにやってんのよ!」
レイリアは瞬時に離れ、顔を真っ赤にして布団を畳み始める。
(僕は……)
彼女の指先が震えているのが目に入り、ライザはまたしても顔を歪めた。
この痛みが何なのか、彼はまだよく知らなかった。
部屋から出てくると朝ごはんは出来ていた。
香ばしいフランスパンの香り、ふわふわのスクランブルエッグ、小さなバターナイフと白いティーカップ。
子どもながらにライザはストレートティーが大好きだった。
隣にいるレイリアは砂糖とミルクを入れており、ルークに至っては角砂糖を三個入れていたので彼女が呆れ果てていたが。
よく見なかったか、或いは全然気にしていなかったのだが、ルークと一緒にいるレイリアは本当に女の子みたいだ。
怒ったり彼の頭を叩いたりする仕草も可愛らしい。
やり込められた時のレイリアはムキになって怒る。
「いつもいつもあんたは」
よく分からないがレイリアはこんな言葉をルークに向かって言うときがある。
「どうしたんだよー」
ルークはレイリアが怒っている理由が分かっていないようだ。
それどころか抱き付こうとしていた。
「なっ、あ、あのね!」
「レイリアのご機嫌を直そうと思ってさあ」
今度は慌てふためくレイリアに相変わらずのペースで絡むルーク。
ライザは黙々とパンを放り込み、紅茶を飲んだ。
「ライザ、珍しいなあ。食べるの速いなんてー俺も負けないぞ」
「いや、早食い競争してるわけじゃ……」
「そうよ。あんたじゃあるまいし。ライザはお上品だものっ」
「じゃあ勝ったらレイリアのキスをもらう、と」
「殴るわよ」
レイリアが顔を真っ赤にして怒る。
その瞳は、相変わらずルークを真っ先に映すのだが。
見ていて辛くなった。
優先的にルークを映すということが。
胸に秘めた想いにも気付かず、そもそも理由も自分が分かっていない。
そんな中で終えた朝御飯はとても微妙だった。
朝御飯も終え、今日の仕事は窓拭きを言われていたのでやることにした。
掃除自体は苦痛でも何でもないが二人と一緒にいたくなかった。
理由はやはり分からない。何となく、としか言いようがない。
「ライザ君、おはよう」
爽やかな声。
「れれれ、レオンさ、ま!」
不意討ちだ。
金髪の美青年が来るのは。
「何をそんなに驚くの。あとレオンだ、戻ってるよ。今日は休みだから本を借りに来た」
「は、はあ……」
アディンゼルのことを気安く呼べないのが彼には分からないのだろうか。
今日はどうも苛々している。
あまり誰とも話したくなくて窓拭きを再開しようとしたところ。
「大変そうだし、手伝うよ。いつも本を借りてるお礼ね」
レオンはニコッと笑って雑巾を手に取る。
レイリアとルークは本棚の整理中だ。正直レオンには図書室に行ってほしくない。
二人のことが話題に出ても、二人が自分のことをレオンに言われるのも困るのだ。
「ライザ、良かったら話、聞くよ」
そう言われてレオンの方を振り向くと彼はライザの頭を撫でていた。
その手が、少しだけ心地よくて、どうしてか泣きそうになった。
窓拭きはレオンが気を利かせてくれたおかげで驚くほどのスピードで終わった。
感謝しないといけないと、ライザは長身の彼を見上げ話し掛けようとしたところへ、優しい声が落ちる。
「ライザ、一体どうしたの?」
「う、うん……」
上手く言葉に出来ない。
レイリアとルークが仲良くしているのを見て、レイリアがルークにからかわれる度に指を震わせている。顔を真っ赤にして。
自分の入る隙なんかどこにもない。
ライザの視線が弱々しいことに気付き、レオンは再び頭を撫でる。
「気軽に話してほしいな。無理にとは言わないけど」
こんな人が傍らにいてくれるなんてウィライルたちは幸せだとライザは思った。
「……レオン」
「うん、どうした」
「聞いてくれる?」
不安げに揺れる瞳が助けを求めている。
「もちろん」
レオンなら分かるかもしれない。だって、何でも知っているからとライザは思うからだ。
ゆっくりと、今の気持ちを有りのままに話し始めた。
「……僕、今此処でね、仲良くしてもらってる大親友がいてね。レイリアとルークって言うんだ」
日の光が強くなるにつれ、ライザの額から汗が流れ落ちる。
「同い年?」
「うん、そうだよ。それでね、いつもルークがレイリアのことをからかうんだ」
「そうかあ……」
「……レオン?」
レオンがクスリと笑うのを見たライザは首を傾げる。しかし、彼はどうぞと先を促すだけだった。
「う、うん。それで、レイリアが顔を真っ赤にして怒ったり、ある時は泣きながら帰るって言ったり。でもルークがごめんって言ったら笑って、いいよ、って。それでね、レイリアは僕にくっつくのはどうもしないのにルークが抱きつこうとしたら怒ってさ」
「それを見て君が苛々しているわけなんだな」
「えっ?」
ライザの話を聞くだけで、どうして今の気持ちが分かるのか。
まるで、超能力者みたいだとライザは思う。
純粋で眩しい視線を苦笑気味に受け止めるレオンに彼は首を傾げる。
「君はレイリアって女の子が好きなんだよ。そして、その子の気持ちがルークに向いているのが分かるから苛々しているんだよ」
「……そうなの?」
ライザはきょとんとした様子でレオンを見る。
幼い彼に恋という感情は理解の範疇を越えているようで目をぱちぱちしているだけだ。
「変じゃないよ。きっと君はどっちも好きだから悩んでるんだ。いいね、早いうちから青春か」
「レオンはこういうの、経験したことあるの?」
聞いてみたかった。
レオンがどんな人なのか、ライザは知りたかった。
「あるよ、憧れたりしたこととか。全部叶わなくて今や懐かしいなあって振り返って笑うんだ」
「レオンのことだからとびっきり綺麗な人なんだろうな」
「君は僕を何だと思ってるんだい?」
レオンは頭を抱える。
彼をヒーローのように見ているライザの視線が眩しい。
真っ昼間の、太陽がギラギラと照る雲ひとつない空の下。
手を伸ばし、彼の額から垂れ落ちる汗を掬い取る。
「暑いね、ライザ」
「う、うん……」
真っ赤になっている丸みを帯びた頬を少し撫でて立ち上がる。
「暫く夏休みでアリアスに家族でいるんだ」
彼が行きたいと言ってくれるのを密かに期待する。
自分がライザを誘うのを何となく躊躇っているからなのだろうかとレオンは苦笑気味に考えた。
「そう、なんだ、じゃあ、毎日話せる、ね」
遠慮がちだが、太陽のように光り、空のように澄んだ綺麗な瞳がレオンを映す。
「ライザーっ、早く来いよーっ」
「あ、ルークが呼んでる」
ライザは親友の快活な声に気づき、レオンに手を振った。
「レオン、またね!」
いつだって、忘れたことのない円らな瞳と無邪気な笑顔。
「またね、ライザ……」
切なげな、憂いを帯びた笑顔で見送るレオンには気づかない。
「レオン様だろ?」
レオンが見えなくなるとルークは首を傾げながら問いかける。そう言えばルークには詳しく話していなかった気もする。
「あら、ライザには従兄さんがいるってチラッと聞いたわよ。もしかしてレオン様?」
どうやらレイリアは覚えていたようで、先程の親しげな様子から推測したらしい。
「でもさ、今や他人だよ。僕、多分アディンゼルさんみたいな暮らし、耐えられる自信がなかったのかな。弟や妹がいて、自分もいたら迷惑なんじゃないかと思って」
「まあ、ここは働き口を見つけやすいから。でもライザ、妹さんや弟さんを養いながら働くつもりだったの?」
「うん、やりたいことは決まってないけど働きたいとは思ってた」
レイリアとルークは顔を見合わせる。
ライザは献身的だという意味で、だ。
「そりゃあ、レオン様も、なあ……」
「えっ、レオンがどうかしたの?」
「いや、何でもないよ」
ライザに詳しく説明しても彼はそのまま突き進むだろうから。
「レイリア、飯食いに行こう」
「そうね。ライザ、早く行くわよ」
気がつけばそろそろ晩ご飯を作る時間だ。
「待ってよ!」
適当に話を切って先々行く二人の後を追いかけるライザ。
今日のご飯もきっと美味しいに違いなかった。